とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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法の書編 救われぬ者に救いの手を

法の書編 救われぬ者に救いの手を

 

 

 

パラレルスウィーツパーク

 

 

 

「それから、オルソラさんを救出した後、私が来るまで『絶対にローマ正教へ引き渡さないでください』」

 

 

「「「え!?」」」

 

 

詩歌の提案に3人は一斉に『?』を浮かべる。

 

それもそうだろう。

 

オルソラ=アクィナスを天草式から救い出すというのは理解できるが、彼女が所属しているローマ正教に引き渡すな、などと言われたら首を傾げるに決まっている。

 

 

「詩歌。どういう事だ。説明してくれ」

 

 

しかし、上条詩歌が何の理由もなく、無駄な行動を取るはずがない。

 

 

「オルソラさんをローマ正教に渡せば、彼女は殺されます」

 

 

その発言に、息を呑む。

 

 

「<法の書>がどれほどのものかは想像できませんが、それを読み解けば、十字教を終わらせるほど強大な力だと言われています―――しかし、それを誰もが欲しがるとは限りません」

 

 

「何でだ? 力があった方がプロの魔術師としては都合が良いようなもんなんじゃねーのか? ローマ正教だって力が欲しいから<法の書>を管理してたんだろうが」

 

 

当麻には不思議だったが、ステイルとインデックスには何か言いたいのか分かったらしく、はっとした表情を作る。

 

 

「つまり、です―――」

 

 

そして、愚兄の問いに答える為に、賢妹は静かに笑って、

 

 

「十字教最大宗派、世界のトップ、20億人もの信徒を抱えるローマ正教が、『十字教の終わり』なんて望むはずがありません」

 

 

あ、と当麻は気付かされた。

 

そう、今の時代、このバランスの中ですでに満足している人間が変化なんて望むはずがない。

 

ましてやそれが、この時代のトップの座に君臨している者ならなおさらだ。

 

 

「ローマ正教は現状を維持できればいいんです。もう、これ以上、上を目指す事なんてできないんですからね。<法の書>という、強力な力なんて求めていません。むしろ、彼らにとったら存在しない方が良い。宝の持ち腐れ状態がベストなんです」

 

 

当麻も、インデックスも、ステイルでさえ黙り込んだ。

 

 

「よって、<法の書>を目覚めさせる事ができるオルソラさんを秘密裏に消す事にした。『神の教えを信じる者を殺めてはならない』という教えが十字教にあるそうですが、何事にも例外はありますからね。罪人、魔女、背信―――これらのルール違反を犯したという事にすれば『神の敵』として処刑されるでしょう」

 

 

「ああ、その方法なら簡単だよ。試せば良い。そうだね、例えば焼けて真っ赤になった鉄の棒がある。オルソラにこれを握らせる。もしも彼女が無罪なら、主が守ってくださるから火傷は負わない。逆に火傷を負えば、彼女は守るに値しない人間だと判断された、という訳だ。ふざけた方法だろう? イギリス清教じゃ、主を試す悪法として禁じられた試罪法ってヤツさ」

 

 

「そんなの……ッ!」

 

 

当麻は絶句する。

 

 

「そんなの、火傷して当たり前じゃねえか! 逆に火傷しない方が異常だろ!」

 

 

「そうさ。だから“火傷を負わなくても”難癖が付けられる。悪魔の加護があるとか言ってね。どちらの結果にしても、“試されたものは必ずレッテルを貼られるように”決まっているんだ」

 

 

酷過ぎる、と当麻は思う。

 

そんな無茶苦茶な方法でオルソラの未来が決定されるなんて絶対に間違っている。

 

 

「オルソラさんがどういう理由で<法の書>を解読しようとしたのかは分かりません。しかし、彼女はこのままだと自分の命が危ないとに気付いた。だから、逃げ出したのでしょう。そう、ローマ正教の手の届かない科学側の総本山、学園都市に」

 

 

イギリス清教ならともかくローマ正教と学園都市に協定など『ない』。

 

オルソラはそれを知っていた。

 

だから、彼女は何としてでも学園都市へ、ローマ正教の手が届かない所へ行こうとしていた。

 

そこで詩歌は重たい溜息をついて、

 

 

「<法の書>が紛失されたと言っていたそうですが、それはおそらくローマ正教側の嘘です。突然、オルソラさんが消えてしまったら、『彼女はローマ正教から逃げる為に亡命した』と疑われるかもしれませんからね。しかし、<法の書>とセットで失踪したとなれば、『<法の書>の力を利用しようとする誰かに攫われた』と誰でも思います。つまり、正義になれます」

 

 

善と悪、攻と守、強奪と救出。

 

その全てが、一瞬にして裏返る。

 

しかし、当麻はそれでも納得できない部分があった。

 

 

「なあ、それなら、天草式のヤツらは何でオルソラを誘拐したんだ?」

 

 

そう天草式十字凄教。

 

もし詩歌の話が本当だとするならば、天草式はローマ正教にわかりやすい悪役にされたようなものだ。

 

いや、そもそもなぜ彼らはこの件に関わってきたのだろう。

 

この件に関わらなければ、世界で最も力のあるローマ正教を敵にする事もなかったのに…

 

 

「ええ、それが一番のネックだったんですよ。彼らという存在がいたから、ローマ正教側の話に信憑性出て、完全に否定できなかったんです。正直、今も彼らが<法の書>を盗んでいないと確定する事はできません。……しかし、ここに『神裂火織』という要因(ファクター)が絡むとある推測ができます」

 

 

神裂火織―――元・天草式十字凄教の女教皇(プリエステス)

 

類稀なる天運と超人的な才能の持ち主。

 

彼女の信念は『救われぬ者に救いの手を』。

 

 

「天草式は火織さんが抜けて弱体化した、と聞いていますが、隠密性に優れた集団で“その本拠地は誰にも知られていない”。つまり、力がなくても他の勢力に攻め込まれる心配などないんです。インデックスさんさえもその全容を知らない<縮図巡礼>という特殊移動法もある事ですし、いざという時は“逃げればいいんです”」

 

 

昔からずっと迫害され続けた天草式が、他の勢力に攻め込まれた時の対処法を持っていないという事はありえない。

 

もしなければ、もう途絶えているはずだ。

 

それに、彼らの本拠地は誰にも知られていない。

 

つまり、防衛のための準備など最初から必要がない。

 

攻め込まれるはずがないのだから。

 

 

「じゃあ……」

 

 

天草式は一体何の為に……

 

 

「神裂火織……彼女は『救われぬ者に救いの手を』という信念のもとに戦い続けています。しかし、その信念を貫くために、自分がいるせいで救われぬ者となった仲間を救う為に彼女は天草式を去った……―――さて、ここで自分達の為に犠牲になった火織さんを見て、天草式の皆さんはどう思ったのでしょうか?」

 

 

そこで一拍呼吸を置き『まず、ここから先はあくまで私の想像です』、と前置きしてから再び詩歌は語り始める。

 

 

「天草式にとって火織さんは自分達の象徴であり、英雄。彼女が貫いた生き様は、彼女の後姿を見てきた彼らの心に鮮烈に刻まれている」

 

 

故に間違えない。

 

その歩む道を。

 

その力の使い方を。

 

それが正しい方向へと己を導いた。

 

言葉にすれば簡単な事を実際に行動で示してくれた事で、人はここまで強くなれるものだと、ここまで優しくなれるものだと、それは手を伸ばせば届く所にあるのだと、女教皇がその身をもって教えてくれたから……

 

 

「だが、彼女は自分達が弱かったせいで天草式を去ってしまった。……彼らは悔やんだ。悔やんで、悔やんで、悔やみ切れないくらい悔やんだ。だから、彼らは強くなろうとした。誰も傷つかず、誰も死なせず、誰も哀しませず、誰かの笑顔の為に戦い、何者かの幸せを守る為に迷わず全員で立ち上がり、立ち向かえるように、そう、女教皇(プリエステス)がしていた『救われぬ者に救いの手を』差し伸べられるように」

 

 

当麻は想像できる。

 

神裂が去った時の天草式が。

 

そして、尊敬する。

 

大切な者の想いを受け継ぎ、強くなろうとした彼らを。

 

 

「だから、彼らはオルソラさんを助けようとした。『救われぬ者に救いの手を』。つまり、彼らはオルソラさんを“誘拐”したのではなく、ローマ正教の魔の手から“救おう”とした」

 

 

 

『ローマ正教に戻るよりも我らと共にあった方が有意義な暮らしを送る事ができるとよ』

 

 

 

あれはそういう事だったのか……

 

天草式は組織間のやり取りで想定されるような利害の為に戦っていたのではなく、彼らは彼らの事情で戦っていただけでそこに利益を求めていなかった。

 

 

「なら……どうして、オルソラは天草式から逃げたんだ? 詩歌もいたよな。俺達が初めて会った時、オルソラは1人で学園都市の近くを歩いてた。その頃、ローマ正教と天草式は戦闘中だってステイルが説明しただろ」

 

 

「ええ、当麻さんが気付いていたかは分かりませんが、彼女はずっと怯えてました。おそらく、彼女は戦闘の隙を突いて、両陣営から逃げてたんでしょう」

 

 

「じゃあ、どうして……だって、天草式はオルソラを助けようとしてたんだろ」

 

 

「きっと、オルソラさんは怖かったんでしょう。当麻さん、赤の他人が無償で、しかも我が身を省みずに助けてくれたら、どう思います? 普通は何か裏があるのではないかと疑います。世の中に正義の味方なんて都合のいい存在なんていません。つまり、天草式は都合が良すぎた。きっと、彼女はこう思ったはず。『世界最大宗派であるローマ正教を敵に回してまで自分を助ける理由はない。おそらく、見返りに<法の書>の解読方法を求めてくるだろう』、と――――以上、これが私の推測です」

 

 

当麻、インデックス、ステイルの3人は黙り込んだ。

 

確証に至る証拠なんてない。

 

今のはあくまで詩歌の推測だ。

 

だが、筋は通っている。

 

それに詩歌の推論は良く当たる。

 

限りなく真相に近いだろう。

 

 

「しかし、オルソラさんがローマ正教を恐れてたのは事実です。気付きませんでしたか? オルソラさん、薄明座跡地でローマ正教の修道女、アニェーゼさんを見て、怯えてましたよ」

 

 

詩歌は話を進める。

 

今、すべきことは自分の推測に確証を得ることではない。

 

オルソラ=アクィナスを救う方法を考える事だ。

 

 

「なるほどね。道理でアニェーゼ=サンクティスを見た途端に彼女が呆然自失としていた訳だ。僕達をローマ正教の主力隊から切り離したのも、始めから見下されていたからかもしれないね。ふん……イギリス清教がいると命令系統が乱れる、か。言ってくれるね」

 

 

「ええ、そうでしょうね。しかし、好都合です。こうして、周囲の目を気にせず皆さんと相談ができるんですからね……」

 

 

詩歌は人の悪意に敏感だ。

 

あまりとやかく言うつもりはないが、自分達の事を異教徒や極東の猿であると見下していた声も聞こえていた。

 

つまり、あそこは敵地(アウェー)

 

もし迂闊な発言をすれば、即刻『神の敵』にされてしまっていただろう。

 

だから、詩歌はこの機を待っていたのだろう。

 

 

「オルソラさんがすぐに処刑される事はありません。何せ、多大な功績を持つ敬虔なる十字教信者を『神の敵』にしなければいけませんからね―――……だから、当麻さん。今は落ち着いて私の話を聞いてください」

 

 

拳を握り締め、今にも戦場に飛び込もうとする当麻に釘を刺す。

 

詩歌はなるべく早口で喋っていたが、もうすぐ作戦開始時刻が迫っている。

 

つまり、ローマ正教が先にオルソラを捕らえてしまうかもしれないのだ。

 

 

「でも、なるべく早くオルソラを助けた方が良いんだろ! こんな所で悠長に話をしてる暇なんて……!」

 

 

「落ち着いてください。たとえ、今ここにいるローマ正教から送り込まれてきた300人の刺客を全員打ちのめしたとしてもオルソラさんを救った事にはなりません。安住の地を作らない限り、彼女はずっと狙われ続けます。それに、個人で世界最大宗派、信徒が20億人を超えるローマ正教を相手取るなんて無茶です」

 

 

「だったら、俺達が学園都市で匿えば……」

 

 

その当麻の発言に詩歌は笑みを消す。

 

 

「当麻さんは、学園都市に戦争の火種を持ち込むつもりですか。お忘れでないでしょうね。私と当麻さんはインデックスさんを誘拐犯(ステイル)さんから助ける為にここに来たんですよ。それが、もしオルソラさんを学園都市で匿うことなんてしたら、魔術側の人間に科学側の人間が『神秘』、しかも、<法の書>という莫大な力の情報を奪った、と思われてしまいます。そうなれば、戦争です。間違いなく、科学と魔術の世界規模の戦争が起きます……」

 

 

9月1日。

 

シェリー=クロムウェルという魔術師が今の世界の危ういバランスを正す為に学園都市にテロを起こした。

 

テロという暴力的な手段を使ってでも彼女は魔術と科学の戦争を防ごうとしたのだ。

 

そう考えれば。シェリーの気持ちになってみれば。

 

それほど、シェリーが起こしたテロなんて可愛いと思えるほど、魔術と科学の戦争は酷くなる、と想像できる。

 

つまり、詩歌はこう言いたいのだ。

 

 

「当麻さん。当麻さんはたった1人の人間を守る為に何も関係のない多くの人間を巻き込んでも良い、と仰るんですか?」

 

 

「……、」

 

 

力強く握っていた拳から力が抜け、ゆっくりと開いていく。

 

インデックスがそんな当麻を見て、何かを言おうとしたが、結局何を言って良いか分からず吐息が漏れるだけだった。

 

見ているものが違う。

 

これが、目先のことしか見えていない愚者と遠く先の事を見据えている賢者の違い。

 

当麻は目を閉じたまま、額に手を当て、搾り出すように言う。

 

 

「じゃあ……どうすんだよ……詩歌はオルソラの事を見捨てても良いっつうのかよっ!!」

 

 

きっと、今ここでオルソラを見捨てるのが正しいのだろう。

 

当麻もそう思う。

 

でも、それを認めたくなかった。

 

抵抗したいのだ。

 

戦わなければならない理由なんてない。

 

しかし、戦いたい理由はある。

 

 

「助けを借りればいいんです」

 

 

ぶつける先を失った当麻の拳を、詩歌の手が優しく包み込んだ。

 

柔らかくて、小さな手だった。

 

 

「皆が笑顔で終われるように力を合わせれば、きっとハッピーエンドにできます」

 

 

優しく微笑みかけながら、その温かな両手をギュッと握りしめ、弱弱しい拳を力強い拳に変える。

 

 

「さて、皆さんと相談と言っても、実質、ステイルさんにお願いという事になるんでしょうか?」

 

 

と、詩歌はステイルだけを連れて、当麻とインデックスから少し遠くに離れた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「なんだい? あまり、仕事を増やさないでもらいたいんだけど」

 

 

ご指名にステイルは煙草の煙を吐きながら応じる。

 

そして、詩歌は2人に聞こえないように小声で話し掛ける。

 

 

「オルソラ=アクィナスをイギリス清教に入れてください」

 

 

魔術側の問題なら魔術世界の中だけで蹴りをつける。

 

そうすれば、世界規模の戦争する事は防げるはずだ。

 

詩歌の意図を読み取り、ステイルは煙草を吐き捨て、目を細める。

 

 

「僕は君達の行動まで止める権限はないよ。好きな理由で戦っても構わない。だがイギリス清教を慈善事業ではないんだ。だから、もし、無益な戦に巻き込むつもりなら君を焼き殺す」

 

 

<必要悪の教会>はボランティアではない。

 

ステイルだって、命令されて仕方なく、オルソラの救出に関わっている。

 

……それに、もしかしたら、あの子を危険な目に合わせるかもしれない。

 

ステイルの脅しに、しかし、詩歌は大して表情も変えず、

 

 

「ふふふ、イギリス清教に利益が全くない訳ではありません。オルソラさんを仲間に引き入れれば<法の書>の解読法だけでなく、良き人材が手に入れられます。聞けば、オルソラさんは3ヶ国に十字教の教えを広めた優秀な方です」

 

 

「ふん。その程度の人材でローマ正教を敵に回すことなんてできない」

 

 

「では、彼女だけでなく、天草式の方達もどうでしょうか? 先ほどの推測通りなら天草式をイギリス清教に組み込む事は容易です」

 

 

「君は天草式まで助けろというのかい? 冗談じゃない。僕達、<必要悪の教会>を舐めているのか?」

 

 

「おや、ステイルさん。あなたは天草式を仲間にする事でどれほどの利益が出るのか分からないんですか?」

 

 

と、からかうように言われ、ステイルは少しだけ考える。

 

 

「……まあ、地の利があるとはいえ、ここまでローマ正教と渡り合える所を見るとそこそこ使えるんだろうけど、それだけだ」

 

 

プロの魔術師としての戦力分析。

 

5倍以上の相手にも、地の利と戦術を駆使して渡り合っている事から、力だけでなく頭も備わっているのだろう。

 

だが、詩歌が示す天草式の利益は戦力ではなかった。

 

 

「違います。私が言いたいのは神裂火織さんです」

 

 

そこで詩歌は微笑みの質を妖艶なものに変える。

 

 

「先ほど、仰っていましたよね。火織さんが今、消息不明だと。彼女は強大な力を持ち、良質な正義感を持っているが故に、独断専行を起こしかねません。組織としては足枷が欲しいのではないですか?」

 

 

ステイルの表情からふざけた表情が消えた。

 

 

「<天使>と渡り合える<聖人>を暴力で止めるなんて大変です。でも、それなら暴力以外で止めればいい。だから、天草式との“絆”を利用するんです。もし彼らを人質にとれば『神裂火織』は命令を聞くはず。いいえ、『ローマ正教に狙われている天草式を保護する』といえば、きっと『神裂火織』は反乱など起こさず大人しくしてくれるに違いありません。どうです? 世界に20人といない<聖人>をほぼ完全にものにできる足枷、きっと『上』の人は喉から手が出るほど欲しいというはずですよ」

 

 

にっこりと微笑む詩歌に、ステイルは内心でゾッとした寒気に襲われた。

 

おそらく……いや絶対、<最大主教>がここにいれば、この案を呑む。

 

人の心理を利用する巧いやり方だ。

 

だが、『巧い』と『汚い』は似ている。

 

どちらもきっと紙一重なのだ。

 

まさか、こんな少女が……と思いきや、

 

 

「正直に言えば、こんな方法は不愉快です。私だって、インデックスさんを苦しめた人の利益になるよう火織さんに足枷を付ける手伝いなんてしたくない。……でも、そうでないとオルソラさんを助ける事は出来ないんです。それに、天草式の人達だって火織さんを追っかけて行きたいはず……火織さんもきっと彼らが必要です」

 

 

その表情は本当に悔やんでいるようだった。

 

自分の力不足を悔やんで悔やんで悔やみきれない。

 

別に人助けの為だと割り切ればいいのに、それでも彼女は悔やむ。

 

それが上条詩歌の甘さ。

 

冷静に、冷徹に、冷血に『価値観の天秤』となりえる能力があるというのに、その甘さのせいで彼女は『価値観の天秤』になる事ができない。

 

ステイルは彼女は悪人にはなりえない、そうあの子のように血に塗れた地獄に堕ちるのは相応しくない、と断ずる。

 

つまり、ステイルには上条詩歌を敵であると思いたくないのだ。

 

 

「当麻さんやインデックスさんにはこの事は話さないでください。2人には目の前だけを見ていて欲しいんです」

 

 

(あの愚兄め……)

 

 

憎々しげに心の中で呟く。

 

一方的に誰かを助けて、その人生を救ってやった気になる奴が嫌いだ。

 

“誰かを救う事ができる”なんてクソみたいな幻想だ。

 

その幻想を投影するにはそれだけで並々ならぬ代償が必要なのだ。

 

現にオルソラを助ける為に、上条当麻の望みを叶える為に、彼女が心を痛めてしまった。

 

 

(力不足を最も自覚しなければならないのは、貴様だろう……)

 

 

おそらく、『上』の判断は決まっているだろうが、連絡する余裕もなければ、相談する暇もない。

 

だから、この場は自分で判断しなければならない。

 

 

「……今、この場にいるローマ正教はどうするんだい?」

 

 

いくら、イギリス清教がオルソラ達を受け入れるにしても最低、この場を収めなくてはならない。

 

そうしなければ、イギリス清教が彼女達を助ける前に、手遅れになってしまう。

 

 

「痛い目に遭ってもらいます。20億人ならともかく、300人は許容範囲内です。先ほどの発言が虚勢ではない事を教えてあげます。秘密がばれてしまいますが、仕方ないです。でも、ここで力を見せておけば迂闊に私達には手を出し難くなるでしょう」

 

 

『まあ、その前に私が火織さんを倒してしまうかもしれませんが』

 

 

……これが虚勢でないという事は<聖人>かそれ以上の力があるという事。

 

もし、そうだとするならば……

 

彼女はそのデモンストレーションにローマ正教と相対する。

 

それほど自信があるのか……なら、後は……

 

 

「最後に……どうして、あの子を人質に取ると言わなかったんだ」

 

 

ステイル=マグネスは彼女の為に生きて死ぬと誓った。

 

彼女を守る為には、誰でも何があろうと焼き尽くす。

 

そう、彼女を利用すれば、ステイルは無条件で降伏するしかないのだ。

 

そんなこと目の前の少女は気付いているはず……

 

 

「そんなの決まってます。インデックスさんは私にとっても大切な方だからです。そんな事冗談でも言えるはずがありません。インデックスさんを人質にすると言うくらいならローマ正教を相手取った方が全然マシです」

 

 

当たり前の事のように、少女は告げ、

 

 

「それに私は自分がやられて嫌な事は友達にはしませんよ」

 

 

自分に向かって微笑みをかけた。

 

それは、本心から……本当に純粋で、綺麗で、清浄な……あの子のような微笑み……

 

ステイル=マグネスが生涯をかけて守りたかったものと同じ……

 

 

「はぁー、やれやれ……」

 

 

負けた。

 

自分は彼女には絶対に勝てない。

 

 

「……そういえば、だが」

 

 

ステイルは懐から十字教のネックレスを取り出す。

 

 

「ウチの<最大主教>からこの十字架をオルソラの首に掛けろとの命が下っている。……僕の中では優先順位が低い指示だったから後回しにしようと思ったんだけど……どうやら、君が持っていた方が良いみたいだね」

 

 

「ふふふ、ありがとうございます……でも、それは当麻さんの方が適役です。当麻さんはそう言った悪運が非常に強いようですし。きっと、一番に彼女に出会えるでしょう」

 

 

そうして、2人の話は終わった。

 

が、当麻達の所に戻る前に、詩歌はにっこりと笑って、

 

 

「……ああ、そうそう、その<最大主教>に伝えてください。感情面ではあなたの評価は最悪です。もし、火織さん達の扱いが酷いようなら、嫌いになるかもしれない、と」

 

 

 

 

オルソラ教会 婚姻聖堂

 

 

 

「さて、もう一度チャンスをあげます。どうしますか?」

 

 

たった1人の少女が、武器を持った200人以上の魔術師に降参を催促している。

 

普通なら戯言だと思うだろう。

 

だが、それを笑う者は誰もいない。

 

何故ならここにいる全員は一瞬死にかけた。

 

この部屋から逃げる者はいないが少女から遠ざかるように、なるべく遠くへ壁ギリギリまで後ずさる。

 

あの少女は悪魔だ。

 

正真正銘の悪魔だ。

 

誰もが恐怖を感じ怯える。

 

しかし、誰も降参を口にする者はいない。

 

何故ならそれを口にして良いのは……

 

 

「アニェーゼさん、聞こえますか?」

 

 

この場にいる全員がアニェーゼ=サンクティスに集中する。

 

ビクッ、とまるで捕食者に見つかったの兎のようにアニェーゼの肩が震える。

 

その恐怖に触発され、封印されたはずの記憶の断片を緩やかに浮上させる。

 

 

(ぎ、ぁ……ま、さか)

 

 

アニェーゼは必死にそれを封じようとしても、腹の奥からマグマのように湧きだす吐き気がそれを邪魔してしまう。

 

 

(戻、るのか)

 

 

思い出されるのはミラノの裏通り。

 

陽の光を全て表の観光地へ奪い取られ、レンガの地面に人とネズミとナメクジは一緒になって蹲る、希望の消えた小さな集まり。

 

 

(もう一度、あそこへ)

 

 

記憶が破裂する。

 

断片が心に刺さる。

 

レストランの裏手、ゴミ箱の中、捨てられた肉の残りから、這い出るナメクジを落とし、ネズミの死骸の抜け毛を落とし、ゴキブリのもげた羽を落とし、ぐちゃぐちゃと、ぐちゃぐちゃと、噛み潰して、噛み潰すだけの日々に。

 

 

(い、やだ)

 

 

白く裏返りかけた意識が、己の言葉によって回復する。

 

体はまだ恐怖に震えている。

 

あの死に触れる瞬間を覚えている。

 

しかし、

 

 

(いや、だ! 戻って、溜まる、か。絶対に……ッ!!)

 

 

立ち上がる。

 

彼女は戦う意思を取り戻す。

 

それに答えるように、

 

 

バンッ!!

 

 

 

「―――私はローマ正教一三騎士団の1人、『ランスロット』のビットリオ=カゼラである」

 

 

 

教会の裏口から50人もの完全武装した騎士、ローマ正教一三騎士団が現れた。

 

 

「賊よ。いや悪魔よ! 聞こえていたぞ! よくも我々、ローマ正教を愚弄したな! その罪、死をもって償わせてやる」

 

 

 

 

 

オルソラ教会前

 

 

 

「ふぅー……残念。あと少しだったんだけどね。値切りは失敗した」

 

 

詩歌の背中に貼り付けた通信用の護符から音声を拾い、赤髪の神父は周囲にいる人間全員に苦々しく告げる。

 

 

「―――ッ!!」

 

 

瞬間。

 

1人のツンツン頭の少年が飛び出した。

 

抑えていた男共を吹き飛ばし、1人で目の前にそびえ立つ建設中の教会へ突貫。

 

 

「とうま!!」

 

 

それにつられるように銀髪シスターも突撃。

 

あまりの形相に、周囲の人間が驚く中、赤髪の神父だけは落ち着いていた。

 

なんせ一度三沢塾で同じように、入れ込み過ぎているのを見ている。

 

今の彼を止めるなんて、はっきり言って不可能だ。

 

1人の方が説得しやすい、と彼女が言うから堪えていたが、正直いつ飛び出すかたまったもんじゃない。

 

実際、勝手に飛び出そうとしていたし……

 

 

「折角、楽して帰れるかと思ったのに」

 

 

「おい、イギリス清教の神父様よ。ウチらもそろそろ動き始めた方が良いんじゃねぇか」

 

 

「ふん。今回の作戦を考えたのは彼女だけれど。あまり素人に出しゃばられてはこちらのプライドが多いに傷つく」

 

 

 

 

 

オルソラ教会 婚姻聖堂

 

 

 

ローマ正教一三騎士団。

 

彼らはイギリス清教の<騎士派>を模したものと言われ、施術鎧による加護と天弓のレプリカを装備している。

 

50人だが単純な戦闘力なら250人のシスター部隊をも上回る彼らが援軍に来た事によって、士気が下がりきったアニェーゼ達の目に怯えの色が消え、生き返った。

 

 

「総員、前へ―――!」

 

 

号令があがった。

 

腹の底から響くような、騎士達のときの声が応じた。

 

数十の足音が整然と、波濤のように押し寄せてきた。

 

人間の壁が世界の果てであるかのように迫ってくる。

 

大気そのものが、痺れるように微かに振動していた。

 

騎士達の方囲がせばまるにつれ、銀の鎧の檻も狭くなる。

 

こうして自由を奪って、標的を蹂躙する。

 

近づいてくる圧力を肌に感じていると、この先どうなるか戦闘に疎いオルソラにも呑み込めた。

 

そして、今、彼らの標的の少女は自分がいるから逃げられないという事を。

 

 

「混成、<菖蒲>!」

 

 

再び、彼女は不可視の強力な結界を形成。

 

騎士達の数十の剣と雨のような天弓を見事防ぎきる。

 

 

(……<菖蒲>は強力ですけど、その分発動に結構集中力を使うんですよね。……大気操作しなくちゃ自滅しちゃいますし、身動きが取れないし、全く欠点が多い色です)

 

 

しかも、先ほどこの部屋一帯を覆う<菖蒲>を展開したため、集中力を大幅に消費している。

 

 

(それに彼らは全身に鎧を付けているので電磁波はあまり効果ない。もう1度、二重に<菖蒲>を張るのは時間が掛かり過ぎる。……なるべくあまり怪我はさせたくなかったのですが……)

 

 

だが、何十もの騎士に肉薄され、オルソラを守るには<菖蒲>が切れる前に全員を無力化しなくてはならない。

 

 

「仕方ないです。オルソラさん、しばらく呼吸を抑えてもらえますか?」

 

 

「は、はい」

 

 

大気操作に割っていた思考を停止させ、<山吹>の演算・制御に割り当てる。

 

そして、詩歌は指先を騎士団に合わせ、

 

 

「混成、<山吹>!」

 

 

<山吹>は光を操作するのに特化した『(ちから)』。

 

<原子崩し>とまではいかないが、光を収束させる事で単純に放つだけでコンクリートも容易く貫通する高威力のレーザーを発生する事も可能である。

 

殺せば手っ取り早いものの詩歌は急所に当たらないよう、慎重に足や腕に狙いをつけながら1人1人ずつ無力化していく。

 

だが、呼吸を抑えなければならない空間で、その極限までに神経をすり減らす作業は詩歌の集中力をガリガリと削り取っていく。

 

相手を殺していけば、オルソラを見捨てれば……

 

 

「恐れるな! 立ち向かえ――――!」

 

 

オルソラもそれは分かっていた。

 

彼女は見ず知らずの自分のため、そして、彼らのために不利な状況でも屈せず、戦っている。

 

そんな人間がいると知り得た幸福を、神様に感謝しよう。

 

もう、満足だ。

 

もう、十分だ。

 

だから、神様に祈る。

 

どうかこの子を――――

 

 

 

「―――残念、私に神様の助けはいりません」

 

 

 

オルソラの心の声を聞いたように詩歌は、

 

 

 

「―――私を守ってくれるのはただ1人」

 

 

 

気高く、朗々と、上条詩歌は天に向かって吠えた。

 

しかし、敵に情けはない。

 

統率であり、誇り高き騎士である『ランスロット』ビットリオ=カゼラは単体で、しかも異教の少女をローマ正教一三騎士団が蹂躙できないのが気に喰わなかった。

 

それどころか、殺さぬように部下達を無力化し、止めを刺さそうとしない詩歌の“甘さ”は彼にとっての騎士の誇りを侮辱していた。

 

もうそれが我慢の限界だった。

 

 

「ぐおおぉっ! 舐めるな小娘!」

 

 

雄叫びを上げながら、ビットリオは真っ直ぐ詩歌へ突撃する。

 

巨大な鉄の塊。

 

巨大な鉄の塊が突っ込んでくる。

 

それを詩歌は待っていた。

 

 

「オルソラさん、目を瞑って!」

 

 

瞬間。

 

眩い閃光が騎士達全員の視界を真っ白に染め上げる。

 

そして、相手が怯んだ隙に、

 

 

「混成、<暗緑>!」

 

 

全思考を肉体強化に集中。

 

<聖人>並に強化された運動神経でビットリオを、

 

 

「ふう―――」

 

 

力づく。

 

相手が大きく重かろうが力づくで足元から腕と脚の力だけで持ち上げ、それを棍棒のように武器にして、

 

 

「―――おおおおおおおおおおっ!」

 

 

嵐のようにローマ正教一三騎士団を薙ぎ払う。

 

さらに、吹っ飛ばされた騎士達は後ろで天弓を構えていた騎士達へ衝突し、ボウリングのピンのように跳ね飛ばしてく。

 

人間を遥かに超越した動きで、ローマ正教一三騎士団を鎧袖一触で蹴散らす。

 

強すぎる。

 

オルソラはあまりの凄さに感心するよりも呆れてしまう。

 

 

「逃げます、オルソラさん!」

 

 

そして、この隙に詩歌はオルソラを連れて―――

 

 

「逃がしません!」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

騎士達を倒しても、シスター達がまだ残っていた。

 

逸早く、ルチアとアンジェレネが、詩歌とオルソラへ襲いかかる。

 

だが、詩歌は振り向かず、オルソラを引き連れて正面入口へ急ぐ。

 

その詩歌の背後を狙い、2人は其々、<聖カテリナの車輪>と<十二使途マタイの硬貨袋>を攻撃を仕掛ける。

 

 

「残念ですが、扉には<アエギディウスの加護>が張られてま―――え!?」

 

 

扉が開いていた。

 

いつの間に個人レベルでは破壊不可能な結界が消し飛ばされていた。

 

さらに、

 

 

ゴガンッ!!

 

 

と、突如、車輪が真横に弾かれた。

 

詩歌とオルソラが何かした訳でも、術者のルチアの手元が狂った訳でもない。

 

硬貨袋。

 

2人の頭を狙っていたはずの赤い六翼の硬貨袋が横から凄まじい速度で車輪に激突したのだ。

 

あまりの速度にルチアの手から車輪が離れ、バウンドしながら転がっていき、硬貨袋は衝撃が強かったのか、袋が破れて中に入っていたコインが飛び出した。

 

 

「シスター・アンジェレネ、貴様は―――ッ!!」

 

 

「ち、ちがいます………あたしじゃ」

 

 

ルチアは距離を取りながらアンジェレネを睨みつけ、アンジェレネは弁解しようとしたが、

 

 

残る三対を一点に集約(C T R T T O P)一つの塊となれ(A O)

 

 

どこかから透き通るような少女の声が割りこんだ。

 

瞬間。

 

 

キュゴガッ!!

 

という金属をすり潰す轟音が鳴り響く。

 

 

詩歌とオルソラの2人を狙っていた青、黄、緑の硬貨袋が術者であるはずのアンジェレネに襲い掛かったのだ。

 

3つの袋はアンジェレネの鼻先2cmの所でぶつかり合って動きを停止、1つの金塊となって彼女の足元に落ちた。

 

あまりの事にアンジェレネは尻餅をついてしまい、顔は恐怖と困惑がごちゃ混ぜになって笑っているような表情をしていた。

 

そこでようやく入口に、白い修道服を着た銀髪碧眼のシスターがいるのに気付いた。

 

 

「二匹の火龍を十字と祈りのみで倒した十二使徒マタイ。その象徴(エンブレム)である金貨袋に<天使の力>を通せば、確かにこんな追尾型の飛び道具を作れるだろうけど、杜撰だね。詠唱も長くて暗号化もおざなりで、内側の術式を安定させるのに精一杯で、外側に対して気が回っていない。だから、簡単に制御に割り込まれるんだよ」

 

 

魔術の叡智を詰め込んだ<禁書目録>。

 

銀髪碧眼のシスター、インデックスは酷評しながら歩いてくる。

 

強制詠唱(スペルインターセプト)>。

 

魔術を使う事の出来ないインデックスの対魔術師戦法。

 

<禁書目録>から引用されるノタリコンという魔術サイドの暗号的な発声によって、敵の魔術詠唱に割り込みその発動を止める。

 

相手の魔術の誤作動を誘発させることも可能。

 

それで、<十二使途マタイの硬貨袋>の誤作動を起こさせたのだ。

 

 

「………なるほど、自爆、誤爆。魔術の失敗によるペナルティを逆手にとりましたか……」

 

 

ルチアはそのトリックを見破り、すぐさまその元凶であるインデックスに―――

 

 

「―――おっと、僕の目の前で、この子にそれを向けるなんて、正気かい?」

 

 

轟!!

 

瞬間、炎が酸素を吸い込む音と共にオレンジ色の爆発が彼女を薙ぎ払った。

 

 

その爆発を起こした赤髪の神父、ステイル=マグネスは煙草を咥えながら悠然と婚姻聖堂へと足を踏み入れる。

 

ルチアとアンジェレネの後方からアニェーゼはそれを見て、呆然と、

 

 

「イギ、リス清教? 馬鹿な……これはローマ正教内だけの問題なんですよ! あなたが関わるというなら、それは内政干渉とみなされちまうのが分かんないんですか!?」

 

 

「ああ、それなら彼女が説明した通りだ。オルソラは僕達イギリス清教の十字架を付けている。つまり、今のオルソラ=アクィナスはローマ正教ではなく、僕達イギリス清教のメンバーでもあるという訳さ」

 

 

アニェーゼは顔を真っ赤にして口をパクパクと動かした後、

 

 

「そ、そんな詭弁が通じると思ってんですか!?」

 

 

「思っちゃいないね。イギリス清教の神父の手で、イギリス清教の様式に則って行われたものでもないし」

 

 

ステイルは煙草の煙を揺らし、

 

 

「だから、そこにいる上条詩歌の言う通り、時間をかけてでも審議すべきだと僕は思う。君達ローマ正教の一存のみで審問にかけるというなら、イギリス清教はこれを黙って見過ごすわけにはいかないんだよ」

 

 

そこでアニェーゼ達の後ろで無様に転がっているローマ正教一三騎士団を視界に入れ、ステイルはフッ、と小馬鹿にするように笑い、

 

 

「にしても、たった1人にこんなに振り回されてしまうとは滑稽だね。……ちょっとローマ正教を買いかぶり過ぎたのかな」

 

 

その発言に、騎士、ビットリオは激昂し、

 

 

「くっ、意気がるなよ、イギリス清教! 貴様ら『対十字教黒魔術(アンチゴットブラックアート)』が1人や2人に増えた所で―――」

 

 

「2人で済むと思ってんじゃねぇのよ」

 

 

 

 

 

パラレルスウィーツパーク

 

 

 

天草式十字凄教教皇代理、建宮斎字。

 

背の高い痩身で、サイズの合わない大きなTシャツとジーンズを穿いた20代中盤の男。

 

Tシャツの柄は白地の上に、右胸辺りを中心に赤いクロスが走っている。

 

ジェルか何かを使って意図的に毛先を尖らせた髪形をしていて、その色は圧倒的に黒い。

 

わざわざ黒の網染めで染め直したであろう髪は、クワガタみたいに妙な光沢すら放っている。

 

足元のバスケットシューズは靴紐が異様に長く、1m以上もあった。

 

あれでは間違って踏みつけられても、余裕があり過ぎて転ぶ事はないだろう。

 

首には革紐のような素材のネックレスが掛けてあって、そこには直径10cmぐらいの小型の扇風機が4つも5つもぶら下げてあった。

 

何を狙っているのかいまいち良く分からないセンス――――が、強い。

 

さらに、彼は『魔術師の中でも魔術を過信しない』、最も厄介な魔術師で、魔術だけでなく、近戦格闘であっても強い。

 

フランベルジュ。

 

全長180cm強もの長さを誇る17世紀フランスの両手剣。

 

刃の表面が波打っているのが特徴的で、その波型刃によって傷を広げるように作られている。

 

本来は鉄か、儀礼的ならさらにその上に金箔が使われるものだが、刀身が真っ白だった。

 

完成まであと一歩のプラモデルのようだった。

 

素材は恐竜の骨でも削ったのか、それとも特殊な炭素の塊か、はたまた航空素材か。

 

少なくても金属ではないと思う。

 

彼はその2m近くの長物を片手で軽々と振っていた。

 

 

「なぁにやっとんのよ、イギリス清教の神父様。おら、英国紳士の誇りはどこへ行った。この建宮斎字に見せてみろ。いかんよなぁ、そんなんじゃ女の1人も守れんぞ」

 

 

不利な状況ではあるが、傷一つ負わずに、<必要悪の教会>の魔術師、ステイル=マグネスを一方的に追い詰めていた。

 

粉塵で視界が覆われる中、建宮が氷の上を滑るような動きで煙の左側から出現、カーブを描くような動きでステイルに斬りかかる。

 

間一髪、ステイルはその攻撃を避けたが、

 

 

「ぐっ………―――なッ!?」

 

 

脇腹にサッカーボールほどの大きさの透明な氷のボールが体にめり込んでいた。

 

気づいた直後には氷のボールは消えていた。

 

ステイルはその勢いに吹っ飛ばされながらも、すぐに体勢を立て直し、

 

 

原初の炎(T O F F)その意味は光(T M I L)優しき温もりを(P D A G G)守り厳しき裁きを与える剣を(W A T S T D A S J T M)!」

 

 

ステイルの叫びと同時、ドン!! と酸素を吸い込んで炎が爆発する音が響く。

 

彼の握る炎剣が夜の闇を引き裂き、それを腰だめに構えたまま駆け出す。

 

この炎剣は斬撃ではなく爆破のための武器。

 

もし対応を間違えれば死の危険がある。

 

だが、建宮はフランベルジュを水平に構えて盾にし、

 

 

シュウウウゥ……

 

 

呆気なく炎剣が消えた。

 

フランベルジュは刀身の揺らめきが炎のように見えるため、フランス語の『炎』を意味するフワンブランにちなんでこの名前がついた。

 

つまり、建宮はフランベルジュという『炎のような形の剣』から火属性を、水平という構えから『鎮める』という記号をそれぞれ合わせて、『炎を静める』術式を即興で作り上げたのだ。

 

 

(よし、もらった)

 

 

建宮斎字は口から太い下を出し、べろりと蠢いて貪欲に舌を舐めずりする。

 

そして、そのまま反撃しようとした瞬間、

 

 

「―――ストップです」

 

 

ステイルと建宮の間、その何もない空間から突然、1人のメイドが現れた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

あまりにも見事に、その少女は立っていた。

 

背筋をしゃんと伸ばした彼女の、姿勢が建宮の目を奪った。

 

生物は、危険を感じると、体を前傾するか後ろにのけぞるかする。なのに彼女は真っ直ぐ立っていた。

 

そう、ただ1人の幼い夢を守るために山を呑み込む悪竜の前に立ちはだかったあの方のように……

 

その一瞬の空白を突かれ、

 

 

「混成、<菖蒲>―――拘束パターン」

 

 

如何なる衝撃も無にする事で法王級の防御力を誇る空圧の結界。

 

それを相手の周囲に張り巡らせれば、防壁ではなく監獄になる。

 

建宮は一体何をされたのかも分からず、全身の自由を奪われてしまった。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「しいか!」

 

 

今まで建宮とステイルの戦いを後ろから見ていたインデックスは乱入者、上条詩歌の姿を見て、思わず大声を出してしまう。

 

 

「インデックスさん、お待たせしました」

 

 

それに応えるように微笑みながら手を振る詩歌を見て、ステイルはしばらく言葉を失う。

 

初めて間近に見た詩歌の実力。

 

最小限の力で、あっさりと自分を追い詰めていた建宮を怪我させずに封じてしまうその自分の物差しでは測りきれない実力があるというのに、インデックスに向かって微笑む様はから全くごく普通の少女のように見える。

 

静かな強さ……それを目の当たりにした。

 

そんなステイルの心情を知ってか知らずか詩歌はくるっと彼へと視線を移し、

 

 

「お待たせしました。ステイルさん、ここから先は私に任せて後方へお下がりください」

 

 

と、暢気な言葉に戦場であるにも拘らず、ステイルは肩の力が抜けてしまう。

 

兄、当麻もそうだが、この兄弟に関わっていると、どうも調子が崩される。

 

 

「……で、助けてもらったのは礼を言うけどコイツはどうするんだい? それからオルソラ=アクィナスは?」

 

 

「オルソラさんは当麻さんが見つけてくれました。今は一緒に行動しているようです―――と、来ましたか」

 

 

その時、建物の隙間からぞろぞろと武器を持った若者達が現れる。

 

彼ら、天草式は武器をそれぞれ手に持っているが、敵意はない。

 

それを見て、詩歌はフッ、と建宮を拘束していた不可視の檻を解除する。

 

建宮はいきなりの事態に困惑を隠しきれず、詩歌を見て、次に天草式の仲間達を見て、ステイルを見て、最後にもう一度詩歌を見る。

 

 

「彼らから天草式の事情は聞きました。天草式十字凄教・教皇代理、建宮斎字さん」

 

 

そこで、詩歌は真っ直ぐ建宮を見据え、

 

 

「救われぬ者を救う為に天草式の力を貸してください」

 

 

 

 

 

オルソラ教会 婚姻聖堂

 

 

 

何故自分達があんなにも簡単に彼女の言う事が信じられたのか分からない。

 

いや、逆だ。何故彼女が自分達を信じられたのか分からない。

 

 

『私はオルソラさんや建宮さん達だけではなくだけでなく、アニェーゼさん達にも1度で良いから手を差し伸べてあげたいんです』

 

 

甘い。

 

本当に甘い。

 

敵でさえも救おうとする彼女はなんて甘いのだろう。

 

実際、それは失敗に終わった。

 

だが、それでも彼女がやった事には変わりない。

 

そして、今、彼女はたった1人の修道女を助けるために300人もの魔術師に立ち向かった。

 

なんて、愚か者なのだろう。

 

下手すれば、命を失うかもしれないというのに……

 

だが、そんな愚か者だからこそ我らは天草式は彼女の背中にあの方を見た。

 

そして、互いに支え合うあの兄妹の姿に我らの理想を見た。

 

だからこそ、我ら天草式は彼女の、いや、あの兄妹の味方につくと決めた。

 

 

 

 

 

 

 

「いやー、お嬢さん、残念だったなぁ。でも、あんたやっぱり想像以上の馬鹿だよな。ま、あんたみたいな馬鹿は嫌いじゃねぇが」

 

 

天草式十字凄教・教皇代理、建宮斎字が大剣を振るいながら歩いてくる。

 

その後ろには、別の場所に監禁されていたはずの天草式の面々が揃っている。

 

先ほどのアニェーゼの予想は正しく、詩歌に気を取られている隙に天草式の連中を助けだしたのだ。

 

その数は50程度、おそらく監禁されていた全員だ。

 

そして、先頭に彼がいた。

 

彼はプロの魔術師ではない、ごくごく普通の平凡な男子高校生。

 

だが、誰よりも早く、誰よりも先に暗闇に塗り潰された教会へと踏み込んだ。

 

一番に妹を信頼し、一番に妹を心配した兄がそこにいた。

 

 

「オルソラ。それに、詩歌。助けに、お前らの背負っている荷物を手伝いに来たぞ」

 

 

 

 

 

 

 

そんな彼らの姿を見て、アニェーゼ=サンクティスとビットリオ=カゼラは爆発した。

 

殺せ、というただ一言の命令の下、闇に染まる数百のシスターと騎士団が地響きを立てながら襲い掛かってくる。

 

最後の交渉は失敗に終わり、そして、最後の戦いは始まった。

 

 

 

 

 

ビルの屋上

 

 

 

神裂火織は深夜のビルの屋上にいた。

 

目の前に広がる夜景の中に、建設途中のオルソラ教会がある。

 

その建物は教会という印象からほど遠く、静寂の概念など一切なく、人が暴れる音や何かが壊される音で満たされていた。

 

彼女は問く離れた場所に立っていたようだが、それでも鋭敏な耳は彼らの言葉を聞いていた。

 

たった1人の少女のために立ち上がった人々の言葉を聞いていた。

 

神裂は、天草式の味方をするつもりも、彼らを敵対するローマ正教を斬るつもりも、最初からなかった。

 

そんな暴力を振るう為に事件直後に失踪した訳ではなかった。

 

ただ、真意を見届けたかった。

 

彼女が抜けても天草式はやはり天草式のまま、何も変わらずそこにあるという事を、見届けたかった。

 

そして彼女は今、信じていた通りの真意を見せてもらった。

 

自然と、彼女は昔を懐かしいものでも眺めるように、優しげに目を細めてしまう。

 

もう帰れない場所。

 

しかし、それ故にいつまでもいつまでも大切にしておきたい場所がそこにあった。

 

そんな神裂の背後で、隠そうともしない足音が聞こえた。

 

 

「にゃっはー。感謝感激感動の極みってトコですかい神裂ねーちん。いやー良かったじゃん。かつての仲間達が私欲で<法の書>を使うためにオルソラを誘拐した訳じゃないって分かって」

 

 

「土御門」

 

 

神裂は慌てて表情を消してから、振り返った。

 

しかし土御門のニヤニヤとした笑い顔を見る限り、表情を消す事などできなかったようだ。

 

彼女は照れを隠すために、敢えて硬い口調で、

 

 

「そちらは、終わったのですか。確かこの機に乗じて<法の書>の<原典>を横から掠め取ろうというお話でしたが」

 

 

「さあってねー。成功したのか失敗したのか」

 

 

「……、」

 

 

「冗談だぜい。そんな目で見るんじゃねーぜよ。大体、事の顛末は知ってんだろ。天草式は<法の書>なんて盗んじゃいなかった。それはローマ正教が仕組んだ冤罪だった。なら、そもそも日本に本物の<法の書>を持ち込む必要なんてねーですたい。日本に持ち込んだ<法の書>は偽物だろうよ。原典は今もバチカン図書館の奥の奥さ」

 

 

土御門は失敗の報告をするが、その声はやけに明るかった。

 

仕事に対してそれほど熱意がないのか、あるいは語った内容は嘘で、やはり<法の書>を奪うのに成功したのか。

 

神裂はいまいち、どう受け取るべきか判断がつかない。

 

彼は神裂の隣まで歩いてくる。

 

金属でできた落下防止用の手すりに両手を置いて、神裂は見ていたものを静かに眺めてから、

 

 

「んで、満足できたのかい?」

 

 

「……、ええ。予想以上の結果です」

 

 

神裂はもう一度教会を見る。

 

 

「彼らがいるから、私がいなくても天草式は正しき道を進めるでしょう。彼らはとても強くなりました」

 

 

「うむむ。おそらく苦戦してるだろうけど、助けに行かんでいいのかにゃー?」

 

 

「私には、彼らの前に立つ資格などありません。それに、今の彼らには私の力はもう必要ないでしょう。私は自転車の補助輪のようなもんなんですよ」

 

 

神裂はわずかに寂しそうに、しかし誇らしげに言った。

 

だけれども思う。

 

もしあの兄妹のように互いが互いの補助輪であったなら、と。

 

 

(しっかし、残念だぜい。今回の件で詩歌ちゃんはちょーっとハデにやり過ぎちゃってるようだにゃー)

 

 

確かに今回、詩歌はやり過ぎたのだろう。

 

たった1人で250人の修道女と50人の騎士団を圧倒させた。

 

これで上条勢力はますます危険視されるだろう。

 

そして、これがきっかけとなり、やがて詩歌の存在は世界へと知られるだろう。

 

隠す事は不可能だと思っていたが、こんなにも早くなろうとは。

 

予測以上に成長していく進化の天才を見て、土御門はその兄である当麻に対して少し同情をする。

 

……もしかすると、今隣にいる神裂のように当麻の下から去ってしまうかもしれない。

 

 

(まっ、頭を切り替えポジティブ思考。よし、見方によっては逆にこれで詩歌ちゃんには手が出し難くなったと考えるべきだにゃー。とにかく、カミやん。離れたくなかったら、全力で妹の手を掴んでおくんだぜい)

 

 

と、土御門はシリアスな雰囲気を切り替えて、

 

 

「そういや、ねーちんさあ。何でも良いけど、あの兄妹を巻き込んでしまったトコまでは予想できてなかったろ。大体、結局この前の<御使堕し>も、それにカミやん関しては禁書目録争奪戦についても礼を言ってないようだし。そんな状況でさらに自分の問題にまで関わらせちまって、実はあとでどうお詫びしようかビクビクしてたんじゃないのかにゃー?」

 

 

「い、いいえ。別にあなたが想像している事など何もありません」

 

 

神裂は極めて真面目な顔で返したが、何を思ったのか土御門はついに爆笑した。

 

眼下のオルソラ教会にまで届くのではと心配になるほど巨大な声でひとしきり笑い続けると、土御門は笑いの涙を目元に浮かべながら、

 

 

「ところでさー、その手にある包帯はなーんなーのさー? まさか戦いが終わった後に気絶した仲間達にこっそり手当でもしてやるつもりだったとか? 手当が終わった後にそっと頭を撫でて小さく微笑んでから静かに立ち去ろうとか考えてんの? ぷっ、くくっ! もう、ねーちんってばベッタベタの王道なんだからっ! よくそんな恥ずかしい事を真顔でやろうと思えるよなホントに!」

 

 

「…………ッ!?」

 

 

「ん? おお、どうしたねーちん、無表情のままコメカミを器用にピクピク動かして……って待て待て待て待て! こっちは素手ですよ、<七天七刀>は流石に洒落にならんぜい! ってかヤツらよりも先に包帯巻かれるのはオレの方なのかにゃーっ!?」

 

 

 

つづく


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