とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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正体不明編 今は亡き友の為に

正体不明編 今は亡き友の為に

 

 

 

病院

 

 

 

「………で、説明はお終いだよ。何か質問ある?」

 

 

枝先と春上、そして、佐天涙子という鈍そうなくせして直感は鋭い、素人運(ビギナーズラック)に恵まれた厄介者を追い払った後、この木原那由他とかいう小学生から『義体』について、軽い訓練も込みでレクチャーを受けた。

 

その外見に合わず、中々理知的な説明を聞けば聞くほど、彼女が普通じゃないということが分かり、ますます厄介なところへ放り込まれたと嘆息する。

 

この自分より幼い少女は自分以上にその肉体を失い、またそれをただ補うだけではなく、自ら志願して武装として改造したのだ。

 

己の肉体を兵器とすることは、骨身を削るように痛感しているので、共感、というより、少し同情する。

 

 

「―――いや、ない」

 

 

と、ショチトルはかぶりを振った。

 

これは『能力開発』の部類に入るものではないと分かって、一先ず安心した。

 

実際に使ってみるまでは分からないが、おそらくこの程度ならば大丈夫だろう。

 

 

「それで、彼女は何者なんだ?」

 

 

「何? 詩歌お姉ちゃんのことが気になるの?」

 

 

那由他の口調にどこか年相応の少女らしく拗ねたような声音が混ざっているような気がする。

 

『さぁって、そろそろ打ち止めさんの様子を診ませんと♪』と仕事を任せて、他の子のところへうきうきと去ったのが、原因なのか。

 

 

「まあな。この街のLevel5よりも恐ろしい天才、と聞いてはいるが」

 

 

「なるほど……その人の見る目は正しいよ。でも、あなたはどう思ったの?」

 

 

組織の中で将来を有望視され、己よりも資質に恵まれたあの男が畏れた、少女。

 

あの佐天と言い、普通の少女達から尊敬され、だけど、そのあり方は身近にある。

 

決して孤立していない。

 

今日、初めて直接話したわけだが……奴の言うような、怖さ、は微塵も感じられなかった。

 

 

「ひょっとすると詩歌お姉ちゃんは<木原>よりも凄い。でも、その才能なんて、彼女の中では付属品の1つでしかない」

 

 

「……」

 

 

「詩歌お姉ちゃんの本質は、優しい人。自分の痛みよりも人の痛みに敏感なほどに。才能があればあるほど人は孤独に陥りやすいけど、誰であろうと自分の苦悩を知ってくれる理解者を敵だとは見たくもないし、側にいてほしいって思うはず。だから、自然とあの人の周りには人の輪ができる。だから、恐ろしい。自分を傷つけようとする相手の痛みすらも詩歌お姉ちゃんは知っちゃうんだよ。そんな相手とはほとんどの人間は戦いたくないね。そして、詩歌お姉ちゃんは、知った上でも、その痛みを自分以上に分かるほど優しいから人を殴れる、本気で理解しようと、全力で受け止めようと、ぶつかってくれる。うん、多分その人もその優しさが分かったから、畏れたんだと思うよ」

 

 

確かに、恐ろしい。

 

その痛みが分かるほど相手を理解するというのなら、その攻撃の意図さえも見抜いてしまう。

 

戦いたくない、と相手にまで思わせるのなら、勝てるはずがない。

 

その優しさはすでに一種の武器として扱えるまでに昇華している。

 

目を細めると、

 

 

「そうか」

 

 

と、ショチトルは認めた。

 

そして、こう付け足す。

 

 

「だとするなら、彼女は―――<死体職人>に最も必要な資質を備わっているな」

 

 

 

 

 

地下街

 

 

 

シェリーが戦う理由。

 

彼女は今は亡き友の為に、いつか起きるであろう世界規模の戦争を失くすためにテロを起こした。

 

だからこそ、当麻は詩歌の望む…いや、自分が望む『皆が笑顔で終わるハッピーエンド』にしたかった。

 

 

(……ああ、そういうことか)

 

 

ようやく気づく。

 

 

『とりあえず、徹底的に護身術を叩き込みますが、逃げられるなら逃げるのが一番。無駄な戦闘はなるべく避ける』

 

 

詩歌が、自分に“戦闘術”ではなく“護身術”を教えてくれた理由。

 

それは、当麻を戦わせる為ではない。

 

決して、人外の石像を倒す為のものではない。

 

そうだ。

 

“戦闘する術”ではなく、“身を護る術”。

 

そして、詩歌は言った。

 

 

『それから、当麻さん。お願いすれば案外うまくいくかもしれませんよ』

 

 

お願い……つまり、シェリーを説得しろという事だ。

 

きっと、詩歌は当麻に戦いなんて求めていない。

 

護身術を教えたのは、その為に、相手と向き合い、理解しあう時間を稼ぐためだ。

 

誰もが笑顔でいられるように、誰も傷つけられないようにするために…少しでも、皆が笑顔でいられるように。

 

そう全ては自分自身の為に。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「くっ、流石に簡単には潰れないわね……」

 

 

もう何度目だろうか、<ゴーレム=エリス>が<幻想殺し>に喰い殺されたのは。

 

正直、何度か危ない目もあった。

 

しかし、彼我の距離差はおよそ10m強。

 

<幻想殺し>は護りに徹している為、こちらにまで踏み込んでこない。

 

そして、暴虐の象徴たる、エリスは自分からの魔力供給があれば何度でも甦る。

 

だが、右手以外が生身の人間である彼には体力という限界がある。

 

現に、遠目からでも彼から濃い疲労の色が窺える。

 

しかし、彼の瞳に宿る闘志に翳りは見えない。

 

 

「おい! さっさと諦めろ! さっきも言ったが、こっちは戦争を、『火種』を起こさなくっちゃならねぇんだよ。止めるな! 今のこの状況が1番危険なんだって事にどうして気付かないの!? 学園都市はどうもガードが緩くなっている。イギリス清教だってあの<禁書目録>を他所に預けるなんて甘えを見せている。だから、テメェの妹のような悪魔だって産まれてきちまう。まるで、エリスの時の状況と同じなのよ。私達の時でさえ、あれだけの悲劇が起きた。これが学園都市とイギリス清教全体なんて規模になったら! 不用意に互いの領域に踏み込めば、何が起きるかなんて考えるまでもないのに!」

 

 

シェリーの声は暗い地下街を何度も反響し、当麻の耳を多角的に揺るがしていく。

 

彼女の行動原理には、1人の友達の死がある。

 

今の言葉で、当麻はシェリーの本質を見た。

 

それに………

 

もうこれ以上戦う必要はない。

 

当麻は構えを解き、右手に嵌めた時計を元の左腕に付け、つまらなさそうに息を吐く。

 

 

「くっだらねえ。そんな言い分で正当化できると思うな! 風斬が何をした? インデックスがお前に何かやったのか!? そして、お前は詩歌の事を知っているのか!!? 争いたくないなんてご大層な演説してる割に、お前は一体誰を殺そうとしたんだよ!!」

 

 

当麻は胸の内にあるものを吐き出すように叫ぶ。

 

 

「怒るは良い、哀しむのだって止めはしない。けどな、向ける矛先が間違ってんだろうが! そもそも誰に向けるもんでもねぇんだよ、その矛先は! もちろんそれは辛いに決まっている。俺なんかに理解できるはずもねぇってのは分かっている! それでもテメェがその矛先を誰かに向けちまったら、それこそテメェが嫌う争いが起きちまうだろうが!!」

 

 

エリスが死んだのは一部の科学者と魔術師が手を取り合おうとし、それを危険視しようとしたイギリス清教の人間のせいだったらしい。

 

それを知った瞬間、シェリーは何を考えていただろうか?

 

自分の大切な友達を殺した者に対する復讐か。

 

それとも、もう2度とこんな悲劇を繰り返さないという誓いか。

 

 

「……分かんねえよ」

 

 

ギリ、とシェリーは奥歯を噛み締める。

 

 

「ちくしょう、確かに憎いんだよ! エリスを殺した人間なんてみんな死んでしまえば良いと思ってるわよ! 魔術師も科学者もみんな八つ当たりでぶっ殺したくもなるわよ! だけど、それだけじゃねぇんだよ! 本当に魔術師と超能力者を争わせたくないとも思ってんのよ! 頭の中なんて始めっからぐちゃぐちゃなんだよ!」

 

 

相反する矛盾した絶叫。

 

彼女自身もそれに気付いているのか、余計に自身を引き裂くような声で、

 

 

「信念なんて1つじゃねぇ。星の数ほどあるんだ! たった1つのルールに縛られて、ゼンマイ仕掛けの人形みたいな生き方なんてできないわよ!」

 

 

対して、当麻は一言で、

 

 

「何で気付かねぇんだよ、お前」

 

 

「……何ですって?」

 

 

「確かにお前の言葉は無茶苦茶だ。お前の主張はお前の中でも正反対だし、それは皆の意見が分かるからだろうし、だからこそ、自分の信念なんて簡単に揺らいでしまう…とか何とか思い込んでいるみてぇだけどさ、そんなの違うだろうが。結局テメェの中にある信念なんて、最初から最後まで1つきりしかねぇんだよ」

 

 

彼は言う。

 

彼女自身すら気付いていない、ただ1つの答えを。

 

 

「結局、お前は大切な友達を失いたくなかっただけなんじゃねぇか?」

 

 

そう。

 

シェリー=クロムウェルの中にどれだけの数の“信念”があって、それが全く正反対の矛盾した内容であっても、1番最初の根っこは変わらない。

 

全ての信念は、彼女の友達の一件から始まり、そこから分岐・派生した形にすぎない。

 

例えば、彼女の信念が星の数ほどあったとしても、その友達に対する想いだけは、変わっていなかった。

 

 

「そこを踏まえて考えろ。もう一度考でも何度でも考えろ! テメェは泥の『目』を使って俺達を監視してたよな。テメェの目にはあれがどう映った? 俺とインデックスは、互いの領域を決めて住み分けしなくちゃ争いを起こすような人間に見えたのか!」

 

 

上条当麻は叫ぶ。

 

 

「その星の数ほどある信念の共通部分で考えろよ! 俺やインデックスがお前に何かしたのか!? テメェの目には俺が嫌々インデックスに付き合わされているように見えたのかよ。そんなはずねえだろうが! 住み分けなんかしなくても良いんだよ! そんな風にしなくたって俺たちはずっと一緒にやっていけるんだ!!」

 

 

当麻とインデックスの関係が、本来のシェリーが願っていた姿のはずじゃないのか、とは言わない。

 

ならばこの理想の姿を壊すんじゃないなどと、言えるはずがない。

 

 

「そして、上条詩歌を理解しろよ。テメェは知ってんのか! 詩歌がどんだけ苦悩しながらその道を進んでいるのか! 不幸が嫌いで、他人の“不幸”にさえも涙を流す泣き虫な奴なのか! 知ってるのかよ! 詩歌の力じゃなく、詩歌自身を見ろよ! 化物とか、悪魔とか、そんな言葉で飾り立ててねぇで詩歌自身を理解しろよ!!」

 

 

詩歌の『甘さ』を知れば、誰もが幸せになれるように我が身を尽くす詩歌の強さを知れば、そして、その根幹がシェリーと同じ友の為だと知れば、きっと共感できる、とは言わない。

 

ならば詩歌に夢を諦めさせないでくれなどと、言えるはずがない。

 

だが、それはシェリーが望んでいた、そしてもう二度と叶うはずのない願いはたった一つのはずだ。

 

それは他のもので代えられるはずがない。

 

当麻だって他の誰かを代わりにしろと何者かに言われたら、迷わずそいつの顔を殴り飛ばすに決まっている。

 

だから、そんな事は言わない。

 

上条当麻が告げるのは、たった1つ。

 

 

「お前の手なんて借りたくない。だから、俺から大切な人を奪わないでくれ! 大切な人を泣かせないでくれ!」

 

 

シェリーの肩がビクリと震えた。

 

彼女の願いはもう叶わなくても、それがどれだけ大事な望みだったかは覚えているはずだ。

 

それを奪われたからこそ、その痛みがどれほどのものかを知っているはずだ。

 

あの夢を友と一緒に叶えようとしたからこそ、詩歌の理想がどれほど尊いものだと理解できるはずだ。

 

シェリーの顔は、苦痛に耐えるように歪んでいた。

 

当麻の言葉は単純すぎるが故に理解するのは難しくない。

 

それがどれだけ幼稚な台詞であっても、シェリーに届かないはずがない。

 

何故なら、それはかつて彼女自身が放った事があったはずの叫びだった、今や無念となった友との夢だったからだ。

 

 

「―――『我が身の全ては亡き友のために(Intimus 115)』!!」

 

 

しかし、シェリーは拒絶するように絶叫し、<魔法名>を放った。

 

彼女は、当麻の気持ちが痛いほど良く分かっているのだろう。

 

その一方で。

 

シェリー=クロムウェルの信念は1つではない。

 

それが分からない気持ちも理解できるのだろう。

 

当麻の気持ちが納得できるからこそ、かもしれない。

 

今はもう自分にないものを持っている人間を、自分が、自分達が叶えられなかった夢を実現させようとする人間を、自分の手でどん底まで突き落としたい。

 

無数にある信念の中には、そんなものがあってもおかしくはない。

 

 

「エリス! 殺せええええぇぇっ!!」

 

 

シェリーはオイルパステルを振るい、命令文(コマンド)を入力する。

 

たとえ、我が身が傷つこうとも、当麻を、詩歌を殺す。

 

 

「残念だったが―――」

 

 

しかし、当麻は何も構えず、その巨人の一撃を前にして、最後まで目を逸らさなかった。

 

なぜなら、

 

 

「ゲームオーバーです、シェリーさん」

 

 

瞬間、背後から雪崩のように真っ白なナニカが溢れだした。

 

 

 

 

 

陽炎の街

 

 

 

風斬は震える。

 

友を殺してしまったからではない。

 

目の前の光景が信じられなかったからだ。

 

 

「風斬さん、人間を舐めないでください。そんなに人間はか弱くないですよ」

 

 

風斬の拳は、詩歌に触れる直前で停止していた。

 

風斬が止めたのではなく、止めさせられた。

 

<御使堕し>の時と同様。

 

この<正体不明>という暴れ馬の手綱を詩歌が掴み取ったという事。

 

ただし、無傷とはいかなかった。

 

詩歌の身体が風に吹かれたロウソクの火のように揺らいでいる。

 

<正体不明>もまた、敗れてはいないのだ。

 

少しでも手綱を持つ手が緩めば、そのまま五体は莫大な力で打ち砕かれるだろう。

 

詩歌は、目を細めた。

 

 

「大したものです。純度でいえば、<幻想猛獣>より、遙かに勝るでしょう。これほどの力を使って、<虚数学区>が何をしようとしたか興味がありますし……ええ、もう少し時間があれば、私の及ばない所まで進化していたのかもしれません―――ですが、今なら私の手に負える」

 

 

断言した。

 

それは、残滓とは言え、不完全とはいえ、学園都市の全能力者によって創られた<正体不明>の力の程度を、完全に見切ったという事か。

 

風斬の頭上に浮く天使の輪が徐々に罅が入れられていく。

 

 

「風斬さん。自分が化物だと自覚しているなら、まずは、その力に責任を持ちなさい。強大な力を使うには巨大な責任が伴います。間違っても、今のように人に向けては駄目です。たとえ、ナニカに操られていようとも、確固たる自我を持てば抵抗できるはずです」

 

 

厳しい叱責でもあり、優しい激励。

 

 

「その為に私ができる助言は一つ。一つでいいから、答えを見つけておくといいです。実はその一つは日々の積み重ねで、そう思い出から作られます。……ふふふ、私も手伝いますよ、友達ですからね―――あ、インデックスさんとの約束もありますから、内緒にしといてくださいね」

 

 

何も言えずに震える風斬を安心させるように柔らかく微笑む。

 

 

「だから、とっととこの件を片付けて、インデックスさんに会いに行きましょう」

 

 

瞬間、風斬を拘束していた歪な天使の輪が崩壊した。

 

 

 

 

 

地下街

 

 

 

「ゲームオーバーです、シェリーさん」

 

 

そこには、いつの間にヘッドホンを装着した少女がいた。

 

その眠り姫、上条詩歌が目覚めていた。

 

そう、当麻が構えを解いた時点で実は詩歌は起きており、事態を先読みし準備を進めていた。

 

 

「混成、<玉虫>」

 

 

詩歌の周りの空間が陽炎の如く揺らめく。

 

猫が、いや、白い猫の影が生まれていく。

 

1,2匹ではない、少なくとも両手では数え切れないほどの猫を模した白い影が詩歌の周りを埋めていく。

 

 

「これらは私の手であり、目であり、耳であり、鼻であり、舌であり、そして、私自身でもあります」

 

 

風斬氷華……その正体は、AIM拡散力場が人の形を取ったもの。

 

体温は発火能力者が、生体電気は発電能力者が、肌の感触は念動能力者が、声は音波能力者が……という風に、力の集まりが一人の少女を作り出してしまった。

 

その原理を、色を、詩歌は<幻想猛獣>から、そして風斬氷華から掴み取った。

 

<玉虫>とは、各系統の能力のAIM拡散力場を全て同時に発生させ、凝縮させた感知・分析能力に特化した組み合わせ。

 

この白い猫の影は<調色板>の<多重能力>によって一人で生み出された<幻想猛獣>のようなもの。

 

言うなれば、詩歌の意思が宿りし、実体のある幻想。

 

 

「―――行きなさい」

 

 

半袖の制服からのびる白い右手を一閃、空を切る。

 

同時に数え切れない猫の大群が、一斉に襲いかかる。

 

 

「<神の如き者(ミカエル)>、<神の薬(ラファエル)>、<神の力(ガブリエル)>、<神の火(ウリエル)>! 四界を示す四天の象徴、正しき力を正しき方向へ正しく配置し正しく導け!!」

 

 

オイルパステルによって歪んだ十字架が空気中に走り書きされていく。

 

これは<ゴーレム=エリス>に無理矢理限界以上の働きをさせる命令文。

 

しかし、雪崩は止められない。

 

どんなにエリスが腕を振るっても、叩き潰しても、壁になろうとも、即座に再生し、僅かにできた空隙から突破していく。

 

引き摺り倒されのしかかられ、腕と言わず、足と言わず、胴、頭部、首筋にと猫がシェリーとエリスを埋め尽くす。

 

 

「……繋げ」

 

 

まるでそこにオルガンの鍵盤でもあるように、詩歌は伸ばしきった右手の指を空に一流れ、弾いた。

 

刹那、包み込んでいた猫の群れが、その形に擬態していた<玉虫>が、一斉に解けて糸になっていく。

 

そのまま、無数乱舞し、雁字搦めにし、周囲一帯の空間を占拠する。

 

そして、輝く糸が1本、2本、3本……操り人形のように詩歌の手元に繋がり、

 

 

「性能・構成・歴史…解析…把握…投影…干渉……――――」

 

 

<玉虫>は上条詩歌の手であり、目であり、耳であり、鼻であり、舌であり、そして、彼女自身でもある。

 

つまり、この陽炎の猫が触れただけで、詩歌は、その熱、光、電気、磁場、質量、重量など、そして、その者の異能でさえも察知し、<幻想投影>で、取り込んでしまう。

 

<幻想投影>の弱点の1つを克服した組み合わせでもある。

 

 

「――――強制停止(ねむりなさい)

 

 

瞬間、<ゴーレム=エリス>は糸が切れた人形のように崩れ落ちた。

 

魔力の供給がある限り、エリスは何度壊されようが復元する。

 

だから、詩歌は壊さないようにそのまま機能を停止させた。

 

 

「くそっ! どうなってやがる!?」

 

 

シェリーはこの現状を理解はできない。

 

だが、彼女が何かをした事だけは把握した。

 

最初は誤作動を起こさせて、動かなくなったと思った。

 

しかし、命令操作から自動制御に変更してもエリスは動かない。

 

ようやく気づく。

 

彼女は、上条詩歌は、己からエリスを侵食し、奪ったのだ。

 

……エリスはもう使えない。

 

 

―――なら、

 

 

「詩歌!?」

 

 

シェリーが、オイルパステルを突き出しながら、弾丸のような勢いで詩歌の懐へと踏み込む。

 

あのオイルパステルに落書きされたものは、コンクリートだろうが何でもエリスの材料にしてしまう。

 

何でも、というなら、人の肉だって例外ではないのかもしれない。

 

 

「死んでしまえ、超能力者!」

 

 

鬼のような罵声を放つ彼女の顔は、しかし泣きだす寸前の子供のようにも見えた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

『シェリー、この絵、ってどういう意味を表わそうとしてるの? もしかして、魔方陣!?』

 

 

『ん? これは紋章だな。得体の知れない技術(オカルト)的なマークに使われるのもあるにはあるけど、たいていは家紋に使われる奴だ。これもその部類に入るな』

 

 

『なーんだ。折角、見つけたのにちょっぴり残念だなぁ』

 

 

『……まぁ、大抵の紋章はいくつかの部品を組み合わせて作られているし、そこから作者が伝えようとしたメッセージを読み取ることができるのよ。例えば、この………』

 

 

『魔術ってすごい。私にはよく分からないけど、シェリーには分かるんだ。まるで読心能力者(サイコメトラー)みたい』

 

 

『はぁ? 何よ、そのサイコメトラーって……? というか、エリスも教えなさいよ。私、科学の技術(サイエンス)については何も知らないのよ。不公平じゃない』

 

 

『えっと、ね。読心能力者って言うのは、物品や動物から情報を得ることができる能力を持つ人のことで………』

 

 

1人がページを捲っては、もう1人がページを押さえる。

 

1人が質問すれば、もう1人が教えて。

 

1人が語れば、もう1人が話を聴く。

 

その体ほど大きな本を2人は一緒に読み進める。

 

まだ、悲劇が始まる前。

 

彼女らは互いに互いの持つ知識を伝え合っていた。

 

子供同士の他愛のないお喋りにすぎない小さなものかもしれないが、それは2つの世界の交流だった。

 

そう、その未来は明るかったはずだ。

 

この2つの世界の均衡という壁を崩してまでも『科学』と『魔術』が共存しようとしたのは、何も不幸になりたかった、させようと思ったからではなく、より幸福な先を望んだはず。

 

きっとそれは彼女たちのように手を結べる………

 

 

 

 

 

 

 

伝わった。

 

この今は亡き友の名を刻んだ石像と己の分身体が接続した時、この『均衡の破壊者(バランス・デストロイヤー)』のシェリー=クロムウェルの背景が見えた。

 

木山春生の時のように、彼女の魔術の根幹にまで刻まれるほど強い想い、そして、それを通して、その友の幻想になってまで残る思念を投影し―――それを拳に乗せる。

 

 

(彼女を、あなたの友を止めます)

 

 

この人を殴る覚悟を、決める。

 

もしここにショチトルというアステカの魔術師がいれば、それは<死体職人>の仕事だと言うだろう。

 

遺留品を読み取り、それに残された望みを叶え、正しく供養しようとする者。

 

詩歌は、<死体職人>ではないが―――もうそれを書いた筆者さえもこの世に去った<原典>さえも理解し、死者の思念すら生かす<幻想投影>は、それを本能的に行っている。

 

 

(ああ、そういうことですか)

 

 

詩歌はゆったりと無形の構えを取りながら、ふと思った。

 

これはおそらく、彼女の切り札ではない。

 

シェリー=クロムウェルの信念は星の数ほどあるという。

 

無数の考えが納得できるからこそ苦しいんだ、と彼女は叫んでいた。

 

ならば、

 

 

「自分を止めて欲しいって気持ちも、理解できるという訳ですか」

 

 

もしかすると<石像>――『エリス』が止まった時、シェリーは友が『これ以上戦いたくない』、と思ったのかもしれない。

 

空を切る手刀がオイルパステルを持つ手を払い上げ、兄、上条当麻のような愚直な拳がシェリー=クロムウェルの顔面を殴り飛ばした。

 

 

 

つづく


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