とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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正体不明編 火種

正体不明編 火種

 

 

 

地下街

 

 

 

「うふ。こんにちは。うふふ。うふふふ」

 

 

錆びた女の声が薄暗い空間に反響した。

 

漆黒のドレスを着た、荒れた金髪にチョコレートみたいな褐色の肌の女が通路の中央に立っている。

 

ドレスのスカートは長く、足首は見えない程だった。

 

随分と長い間引き摺られていたせいか、スカートは汚れ、傷つき、ほころびが生まれている。

 

そして、彼女の盾になるように、石像が立っていた。

 

鉄パイプ、椅子、タイル、土、蛍光灯、その他あらゆるものを強引に押し潰し、練り混ぜ、形を整えたような全長およそ4mの巨人の人形。

 

あまりに背が高いので、石像の頭は天上に押し付けられ斜めに傾いでいた。

 

女、シェリー=クロムウェルは石像と共に銃声と硝煙の渦巻く戦場を優雅に歩く。

 

彼女の前方には学園都市製の最新装備に身を包んだ<警備員>達が待ち構えている。

 

彼らは近くの喫茶店などにあったテーブルやソファなどを通路に集め、バリケードを作り、

 

そこからライフルで連続射撃、尾田信長の3段構えの鉄砲隊みたいに、装塡と射撃を分けて行っていた。

 

 

 

(腕はそこそこだが、品が無いわ)

 

 

石像――<ゴーレム=エリス>が移動型防壁となっているのでシェリーには一切弾丸は飛んできていない。

 

そして、何百発と弾丸がエリスに直撃しようが、磁石に引き寄せられるように周囲の建築物で補修していってしまう。

 

 

「あんなブ厚い盾の前じゃ威嚇にもなんないじゃん」

 

 

<ゴーレム=エリス>は周囲の土と石からの供給を受け本体を構成しているため、周りにそのような建築材がある限り、術者、シェリーの魔力でいくらでも復元する事ができる。

 

だが、そんな化物を前にしても<警備員>は退かない。

 

彼らは訓練を積んでいるものの、その正体は『教員』…つまり、学校の教員でしかない。

 

誰かに強要されている訳ではないし、給料が特別高い訳でもない。

 

市民の安全を守る自衛隊でもないし、警察官でもない。

 

総括すれば、彼らが命懸けのリスクを負う理由はどこにもない。

 

だが、彼らは『教師』、『学校の先生』なのだ。

 

彼らは誰に頼まれるわけでもなく、子供たちを守りたいからここにいる。

 

そう『学校の先生』だから、子供達の身に危険が迫るのを防ぐために立ち向かうのだ。

 

 

カチン、という金属音が鳴り響いた。

 

 

業を煮やした<警備員>の1人が手榴弾のピンを抜いたのだ。

 

彼はエリスの向こうにいるシェリーへダメージを与えようと、エリスの股下をくぐるように投げ―――

 

 

「エリス」

 

 

その直前に、シェリはオイルパステルを、指揮棒のように振るう。

 

その指示に従うようにエリスは大地を踏みならす。

 

ゴトン!! と地下街の床が大波に揺られる小舟のように大きく振動する。

 

折りしも、<警備員>が手榴弾から手を離そうとした瞬間に。

 

タイミングを奪われた彼の手から、ピンの抜けた手榴弾がぽとりと己の足元に落ちる。

 

怒号。

 

そして、爆発。

 

<警備員>の1人、黄泉川は爆発から最も離れた位置にいたので身体を吹き飛ばされ、地面に打ち付けられた程度で済んだ。

 

が、

 

 

「ッ!?」

 

 

シェリーの指揮に従い、<ゴーレム=エリス>が彼女の頭上へ、建設重機を思わせる腕を振り落とした。

 

瞬間――――

 

 

ガゴォン!!

 

 

轟音が地下街に響き渡った。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「!?」

 

 

<ゴーレム=エリス>の腕が黄泉川を押し潰す事はなかった。

 

後方から吹き荒れた烈風、それも衝撃波に近い。

 

それが、エリスの片腕を薙ぎ払ったのだ。

 

黄泉川はその光景に目を奪われる。

 

舞い上がった粉塵が風に追い流され、戦場が晴れていく。

 

そして、気付く。

 

周囲の状況に。

 

 

(負傷者がいない!?)

 

 

確かに手榴弾の爆発で地下街はメチャクチャになっていた。

 

だが、重傷者が1人もいなかった。

 

爆発に巻き込まれた、手榴弾を投げようとした<警備員>は負傷している。

 

しかし、それはかすり傷程度の軽傷でとてもじゃないが至近距離で爆発に巻き込まれた人間とは思えない。

 

手榴弾を投げようとした<警備員>は見た。

 

一体何が起こって、避けられない爆発の被害を最小限に食い止めたのか。

 

爆発の威力を殺すには、爆風が伝わる“空間”と燃焼に必要な“酸素”を奪ってやればいい。

 

その条件をなす為に、烈風が、見えざる者の手が、手榴弾を土や砂で一切の隙間なく包み込み、さらにその上をバリケードなどの建築物で覆った。

 

さらに、周囲の空間を限りなく低酸素、真空状態にしていたのだが、彼の目には見えなかったので分からない

 

手榴弾程度ならどんなに高性能な爆薬を使っていてもそれで十分に威力を殺せると踏んでいたのだろう。

 

幸い、手榴弾は爆風よりも破片で傷つけるタイプのものだった。

 

実際、爆発の威力は大幅に削られ、破片もほとんど抑えこまれていた。

 

そう、今まで、舞い上がっていた粉塵は手榴弾の爆発によるものではなく、何者かの見えざる手によるものだったのだ。

 

その何者かの思惑通りに悲劇は防がれた。

 

 

「誰だ! 出てきやがれ!」

 

 

シェリーは叫ぶ。

 

そして、周囲を満遍なく見渡すが、薄暗い地下の戦場には、自分と<警備員>以外、誰もいない。

 

だけど、分かる、感じる。

 

不可視の何かがいる、と。

 

見えざる危機がそこにいると本能が警告を鳴らしている。

 

 

「はぁー、全く、当麻さんは厄介事を引き連れてくれますね。刺激的でいいですが、あー君の能力が無ければ色々と不味かったですよ」

 

 

声がした。

 

しかし、声がする方にその主はいない――違う! 見えないだけだ!

 

 

「エリス!」

 

 

シェリーのオイルパステルが指し示す所を目指して、片腕を復元した<ゴーレム=エリス>が迫り、腕を振り下ろす。

 

 

「ありゃりゃ、ばれちゃいましたか……仕方ありません」

 

 

見えざる何者はそれに合わせ、弓を引くように腕を振りかぶり―――解き放つ。

 

瞬間。

 

周囲の<警備員>は大きく目を開く。

 

空気の壁を貫通し、一瞬で巨人の人形は天上に抉り刺さった。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

(とりあえず、<警備員>が襲われていたので“敵”だと判断したんですが逃げ足が早い。もう、この場から気配が消えている。……まあ、そろそろ力が消える頃だったので助かりましたが)

 

 

シェリーはエリスに自爆するように指示を出した後、この場から消えていた。

 

おそらく、最初から逃げる事前提だったのだろう。

 

幸い、すぐに自爆だと気付いたおかげで巻き込まれてはおらず、周囲には自他共に怪我人は出ていない。

 

 

(さて、失礼かもしれないですけど<警備員>ではあれには敵いません。教師に正体がばれると厄介なのもありますが、怪我人も少なからずいるようですし、ここで大人しくしていてもらいましょうか)

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

地下街を足音が鳴り響く。

 

それは人間が出せるような音ではない。

 

先ほど瓦礫と化したはずの<ゴーレム=エリス>の足音だ。

 

シェリーはその腕に抱かれながら先ほどの戦場から急いで離れている。

 

 

「忌々しい……超能力者め!」

 

 

この街の能力者が忌々しい。

 

このコンクリートの地下が忌々しい。

 

このすえた匂いが忌々しい。

 

この粉っぽいものを含む汚れた空気が忌々しい。

 

こんなものを作りあげた人間が忌々しい。

 

こんなものを作り上げるだけの力がある事が忌々しい。

 

この街の全てが嫌いだ。

 

 

「こんな街があるからいけないんだ! 消えてなくなってしまえばいい!」

 

 

地図から消し、歴史から消し、人の記憶から消し、世界の全てから消し去ってしまいたいと望む。

 

その時、

 

 

「お前は……」

 

 

1人の少年が目の前に現れた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

予想以上に早く、敵だと思える魔術師に遭遇。

 

戦場はまだ先だと思っていたのだが……どうやら、向こうから来てくれたようだ。

 

 

「こいつはラッキーだ! お前は確か<幻想殺し>か。<虚数学区>の鍵が一緒でないのは残念だがテメェをぶち殺したって問題ねぇワケ、だっ!!」

 

 

その言葉に当麻は思わず耳を疑った。

 

突然、ばったりと、出会い頭に投げやりな調子で殺される……

 

 

(どんだけ不幸なんだよ!!?)

 

 

シェリーがオイルパステルで指揮を振るう。

 

その動きに連動するようにエリスは拳を当麻へ叩き落とす。

 

 

「クソッ!」

 

 

たった今まで、当麻が立っていた地面は、あまりの衝撃に床がめくれあがっていた。

 

さらに、ガゴン!! という強烈な振動が走る。

 

咄嗟に避けたものの、当麻の身体は大きくよろめいてしまう。

 

続けて、今度は足を踏み鳴らすと、当麻は耐えきれずに体勢を崩してしまう。

 

 

「地は我の力。そもそもエリスを前にしたら、誰も地に立つ事などはできはしない。ほらほら、無様に這いつくばれよ。その状態で私に噛みつけるかぁ、負け犬」

 

 

勝ち誇るシェリーを当麻は倒れたまま睨みつける。

 

だが、これは確かに一方的な攻撃を可能とする戦法だろう。

 

実際、見えない何かが来るまではシェリーは一方的に<警備員>達を薙ぎ払っていた。

 

先ほどの忌々しい不愉快な何かにやられた鬱憤を晴らすように、シェリーは3度、指揮を振るう。

 

再び、地は揺れ当麻の体勢は崩れ落ちる。

 

これでは<幻想殺し>で石像を破壊する事は出来ない。

 

 

「お、前……っ!」

 

 

「お前でなくて、シェリー=クロムウェルよ。イギリス清教、<必要悪の教会>の魔術師……って言っても無駄か。あなたはここで死んでしまうんだし」

 

 

なに? と当麻は眉をひそめた。

 

イギリス清教と言えばインデックスと同じ組織の人間だ。

 

なら何故こんな事を……

 

そんな疑問を見抜いたのか、シェリーは薄く笑いかけて、

 

 

「戦争を起こすんだよ。その火種が欲しいの。だからできるだけ多くの人間に、私がイギリス清教の手駒だって事を知ってもらわないと、ね? ――――エリス」

 

 

答えと共に最後の、止めの指揮を振るった。

 

 

 

回想

 

 

 

『当麻さん、私は大抵の事なら見るだけでわかりますし、触れれば取り込んでしまいます。魔術、能力関係なく異能ならば1つの例外を除いて全て……あまり認めたくはないですが、私は化物です』

 

 

三沢塾での戦いが終わった後の事だ。

 

辛い目に遭ったとはいえ、詩歌はあの日、魔術の凄さというものを身を持って体感し、感動し、感激した。

 

凄い、素晴らしい力だと。

 

そして、魔術の力を使えば、多くの人を救えるのではないか。

 

さらに、科学の力とフォローしあえば、より多くの人を救えるのではないか。

 

魔術側と科学側の溝は大きいのかもしれないが、少しずつ交流を深めていけばいつかきっと手を結びあえる。

 

 

『でも、この力を繋ぐ橋に使えば、新たな可能性を見い出せる事ができる』

 

 

そう<幻想投影>を繋ぐ橋にできれば、きっとすぐに。

 

そして、

 

 

『そうすれば、世界を根本的に改革する事ができる。そう、科学だけでは手が足りなかったから、魔術だけでは足が前に進めなかったから、どうしても自分の頭だけでは考えられなかったから、不幸になってしまった人達を幸せにできる世界に』

 

 

両方の良い所や使える所を研究していけば、いつか世界中が豊かで幸せになり、人の身では抗えぬ天災の不幸から救えるのではないのか、と。

 

珍しくも子供のように目を輝かせて語る詩歌の言葉に、自分とインデックスが頷いたのを今でも昨日のことのように思い出せる。

 

 

『ふふふ、甘い理想だとは分かっていますが、でも、一生懸命な皆をより応援できる世界を作りたいんです』

 

 

あの時の未知なる可能性に喜びを隠しきれないでいる詩歌の満面の微笑みを今でも当麻は覚えている。

 

きっと、詩歌は人の力の可能性を誰よりも信じている。

 

だが……

 

 

 

『カミやん……気をつけろ――』

 

 

蝙蝠は、警告した。

 

戦争が起きるかもしれない、と。

 

そして、

 

 

『あなた達兄妹という存在がこの世界のパワーバランスを崩してしまうかもしれないんですよ!』

 

 

偽物は、糾弾した。

 

自分達兄妹のせいで、戦争が始まる、と。

 

自分達兄妹のせいで、周りの者を殺していく、と。

 

そして……そして、

 

 

『戦争を起こすんだよ。その火種が欲しいの』

 

 

魔術師は、宣言した。

 

戦争を起こす、と。

 

自分たちを殺して戦争を起こす、と。

 

 

(クソッたれ……)

 

 

『当麻さん、気をつけてください……―――』

 

 

賢妹は戦争を予言した。

 

しかし、それでもあの賢妹は幻想を抱いていた。

 

だが、あの魔術師は、優しい賢者が、近いうち戦争が起こる知りながらも、甘い愚者のように抱いていた理想を、夢を、想いを踏み躙ろうとしている。

 

これは許していいものなのか?

 

否――――

 

 

「っざけんじゃねぇぞ!!」

 

 

――――絶対に許していいはずがない。

 

 

 

 

 

地下街

 

 

 

「な……エリス?」

 

 

シェリーは息を呑む。

 

当麻の行動に。

 

戦車でも叩き潰せる巨人の右腕を、なんと当麻は生身の右手で迎撃。

 

2種類の風斬り音に続いて、両者の間でお互いの右手が激突。

 

コンクリートと肉……否、鋼鉄の時計がその間に入りこんでいた。

 

当麻の右腕に残るのは心地良い痺れ。

 

そして、受け止めた右手を動かし、エリスの右腕に敗北の証を刻みつける。

 

数瞬後、チョコレートのように脆く罅が、右腕を伝って全身に広がり――――

 

 

「エリス。反応なさい、エリス! くそ、何がどうなってるの?」

 

 

――――ガラガラと崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「エリス……呆けるな、エリス!!」

 

 

怒りを内包する、震えた絶叫。

 

シェリーはオイルパステルを握り潰しかねない勢いで掴むと、抜刀術のような速度で壁に何かを書き殴った。

 

同時、彼女は何事かを早口言葉のようにまくし立てる。

 

コンクリートの壁が乾いた泥のように崩れ落ちた。それは見えない手で粘土を捏ねるように形が整えられ、物の数秒で天上に頭を擦りつける石像が完成する。

 

それを見ながら、当麻はゆっくりと体勢を立て直し、拳を構え、

 

 

「一体何を考えてんだよ、テメェ! 俺には裏方の事情は良く分かんねぇけどよ……今は科学も魔術もバランスが取れてんだろ!! もしかしたら、手を取り合えるかもしれねぇだろ! なのになんでわざわざそれを引っかき回そうとするんだよ!? なんか意味があんのかそれは!!」

 

 

シェリーと同等の怒気を震わす。

 

握り締めた拳からは、いつの間にか血が滴り落ちていた。

 

 

「バランスが取れてる? 手が取り合える? ふざけんな、ガキ。科学と魔術は本質的に相容れないモノなんだよ」

 

 

シェリーは狂ったような笑みを浮かべて告げる。

 

 

「聞いた事ないかしら? 超能力者が魔術を使うとどうなっちまうか」

 

 

「なに?」

 

 

全然質問と違う答えに、当麻は眉を顰めるが、

 

 

「おかしいとは思わなかったの? 一体どうしてそんな事が分かってるかって」

 

 

どういうことだ?

 

詩歌が分析した結果、魔術と能力者は最悪の相性だという事は知っている。

 

だが、それなら……何故、

 

 

『ああ、だから見えない所はボロボロだぜい? もっかい魔術を使ったら死ぬわな』

 

 

土御門は知っていたんだ?

 

詩歌から聞いた……違う。

 

詩歌もあの時初めて土御門が魔術師だと知ったはずだ。

 

なら、何故………

 

シェリーの言葉当麻の胸へと少しずつ突き刺さっていく。

 

 

「試したんだよ、今からざっと20年ぐらい前に。イギリス清教と学園都市が、魔術と科学が手を繋ごうって動きがウチの一部署で生まれてな。私達はお互いの技術は知識を一つの施設に持ち寄って、能力と魔術を組み合わせた新たな術者を生み出そうとした。その結果が……」

 

 

彼女の言葉を最後まで聞かなくても、当麻には結末が読めた。

 

能力者が魔術を使えば破裂する。

 

<御使堕し>の時、血塗れで倒れた土御門の例を挙げれば分かるだろう。

 

 

「その、施設ってのは……」

 

 

シェリーは語る。

 

互いの技術・知識を交流させるという事は『科学』と『神秘』を曝露させるという事。

 

それが戦争になりかねないと危惧したイギリス清教の別の部署、<騎士派>の連中に施設ごと叩き潰された事。

 

 

「エリスは私の友達だった」

 

 

そして、自分を助ける為に、能力者でシェリーの友達だったエリスが彼女が教えた魔術による拒絶反応に身を蝕まれながらも、<騎士派>の連中からシェリーを逃がす為に、棍棒(メイス)で打たれて死んだ事。

 

エリス……それは、ゴーレムに付けられた名前だ。

 

だとすると、彼女は一体どんな想いを込めてその名を呼んでいたのだろう。

 

科学者と魔術師が手を結ぼうとしたのも、それを止めようとしたのも、別に誰かを傷つけようと思ったものではない。

 

でも、彼女の親友は死んだ。

 

暗い地下街に教会のような静寂が張り詰める。

 

シェリーはゆっくりとした口調で、

 

 

「私達は住み分けするべきなのよ。互いにいがみ合うばかりではなく、時には分かり合おうという想いすらも牙を剥く。魔術師は魔術師の、科学者は科学者の、其々の領分を定めておかなければ何度でも同じことが繰り返されちまう」

 

 

その為の戦争。

 

戦争を防ぐために、戦争を起こす。

 

矛盾している………違う。

 

彼女は『戦争が起きそうになった』『危険は目の前まで迫っていた』というだけで十分。

 

魔術師と科学者が、避け合い、相手を理解しようという考えを浮かばせないだけでいい。

 

少なくとも、完全に接点のない相手には行為も憎しみも生まれないのだから。

 

対立するばかりではなく、協力しようとした結果、生まれてしまう摩擦を防ぐために。

 

『魔術師と科学者は距離を置いて住み分けるべきだ』―――確かにシェリーの言葉には一理あるかもしれない。

 

それに対する当麻の反論材料は個人的な理由だ。

 

そうなったら、インデックスと離れ離れになるかもしれない、いや、生贄として、戦争の『火種』として殺されてしまうかもしれない。

 

そして、詩歌に甘い理想を諦めさせたくない。

 

しかし、詩歌の理想の先に僅かでも、犠牲者が出る可能性があるというなら、兄として止めなければならない。

 

そう自分のせいで人が死んだ、と、自分の理想のせいで人が死んだ、だから、自分は人殺しだ、と詩歌が悲しむ前に、心に大きな傷をつける前に、止めてやるのが兄の役目だ。

 

 

「俺は詩歌を信じる」

 

 

だが、それでも当麻に迷いはなかった。

 

 

「俺は、俺の妹は何でもできる奴だって信じている。世界の誰もが否定しようと上条詩歌なら出来ると信じている。あいつなら、二つの世界の掛け橋になって、皆を笑顔にできる」

 

 

本当に駄目な兄だとつくづく思う。

 

こういう時は妹を窘めるのが良い兄なのだろう。

 

だが、上条当麻は自分の妹、上条詩歌は何でもできると信じてしまうどうしようもないほど愚かな兄なのだから。

 

 

「そっかぁ、<幻想投影>はそういう奴なのか。じゃあ、殺すしかねぇな」

 

 

そして、シェリーには正義がある。

 

友の犠牲の果てにできた悲しい正義が。

 

 

「アンタの妹、<幻想投影>は必ず殺す。彼女の存在を聞いた時、驚いたわぁ。魔術も能力も使える化物だってねぇ! テメェの妹は人にまやかしを見せる悪魔なんだよ!」

 

 

シェリーにとったら、詩歌の理想は『悪』で、詩歌の存在自体『悪』だ。

 

シェリーだけではない、きっと『科学』と『神秘』の拒絶反応を知れば、彼女の行動は理解される。

 

そして、彼女の信者から、上条当麻の妹は、異常で異様な異端で、惨劇を起こす『悪』なのだ、と……

 

 

「……殺させねぇ。皆も、詩歌の理想も絶対に殺させてたまるか!」

 

 

 

 

 

地下街 地上 入口前

 

 

 

薄暗い地下とは異なり、地上は真っ白に目が眩むほど炎天下だった。

 

そんな街中に、インデックスと美琴はポツンと残されていた。

 

黒子は今も地下に閉じ込められた学生達を運び出している。

 

当麻達が無事に出てこない以上、帰るのは薄情だし、かと言って彼女間に共通の話題も……あるにはあるが、その場合、喧嘩の火種になりそうなので止めておく。

 

さんさんと太陽光の降り注ぐ青空の下に、何か妙な沈黙が下りていた。

 

あまりに暇なので<超電磁砲>で地下街の隔壁を破壊してやろうかと思ったが、それをするとテロリストとやらが外へ逃げる可能性があるから踏み切れないのだ。

 

現に、黒子から聞いた事なのだが、さきほど、ある一か所の隔壁がいきなり破壊されたらしく、<警備員>で混乱が起きている。

 

犯人不明、監視カメラには何も映っていないらしい。

 

しかも、その入口の前には全員気絶している<警備員>の一部隊が放置されていたのだとか。

 

といっても、彼らは、むしろ危機の所を助けてもらった、が、すぐに気絶させられたのだそうだ。

 

そして、その恩人兼犯人は不明。

 

何やら、透明人間とか言う噂まで出てきている。

 

 

(何となく、こういう無茶苦茶な事をしそうな人、1人思い当たるのよね)

 

 

暑さに耐え切れなくなったのか、インデックスの腕の中の三毛猫は暴れ始めた。

 

その様子に釣られて、インデックスはポツリと言った。

 

 

「……あっついね」

 

 

「そうね」

 

 

美琴も頷いた。

 

 

「ていうか、アンタのその服は何なのよ? このクソ暑い中にそんな長袖なんて……あ、ひょっとして日焼けに弱い肌をしてる訳? なんか色素が薄いとすぐひりひりするってテレビで言ってたような気がするけど」

 

 

「別に気にした事はないかも。それにこの服は“しいかが私の為に造ってくれた”からとっても着心地が良いんだよ」

 

 

「なっ!? わ、私だって、詩歌さんに服を造ってもらった事があるわよ!」

 

 

と言っても、美琴が持っているのはほとんど着ぐるみ。

 

今、インデックスの着ている詩歌作、偽<歩く教会>は防弾・防刃繊維が編み込まれ、着心地まで拘った至極の一品。

 

美琴の幼い頃に貰った着ぐるみとは格が違う。

 

といっても、作り手の愛情は全部等しいのだが。

 

それでも、美琴は胸がチクリと痛む。

 

何となくだが、これは嫉妬なのだろうとは気が付いている。

 

自分って面倒だな、と美琴は溜息をつく。

 

 

「にしても遅いわね、あいつら」

 

 

「うん……あの魔術師、ひょうかの事狙ってたみたいだし、本当に何にもなければいいんだけど……」

 

 

魔術師やら何やら、普段あまり聞き慣れない単語に美琴は首を傾げる。

 

でも、ちょっと考えて、まぁ良いかと美琴は切り捨てる。

 

姉―――自分の幼馴染と親しいならそれだけで悪い奴ではない信じられる。

 

 

「ひょうか、ってのは一緒にいた女の子の事?」

 

 

「うん。あ、今回はとうまとしいかが引っ張ってきたんじゃないんだよ。私が先に会ったんだから」

 

 

「……今回は、ねぇ……」

 

 

ひょっとしたら、と思ったのだが、妹と同様、あの愚兄もトラブルに巻き込まれ易い性質なのか。

 

あの2人は変な所で似た者兄妹だな、と若干呆れ気味に笑みを浮かべたが、無邪気なインデックスは気が付いた様子もない。

 

彼女は三毛猫を胸に抱いたまま左右に揺さぶりつつ。

 

 

「うう。心配かも心配かも。あんな所に女の子が置き去りにされているのも心配だけど、薄暗い闇の中で当麻と女の子を2人きりにさせているのも心配かも」

 

 

「……何でかしら。この一点のみアンタとは友達になれそうな気がするわ」

 

 

美琴は少し黙った後、

 

 

「まあ、でも大丈夫なんじゃない。たぶん、詩歌さんがいるだろうし」

 

 

 

 

 

地下街

 

 

 

シェリーと当麻の互いの信念を賭けた激闘は熾烈を極めた。

 

<ゴーレム=エリス>を3体目、4体目……と当麻は<幻想殺し>と詩歌から貰った腕時計を駆使して次々と破壊していく。

 

一方、シェリーも<ゴーレム=エリス>に相手にさせている間、罠型の術式を展開させるも、当麻の咄嗟の機転により防がれてしまう。

 

まだ、両者とも一撃をいれていない。

 

しかし、戦いが始まったのも突然なら、戦いが終わったのも突然だった。

 

 

カツン、と。

 

唐突に、当麻の後方から小さな足音が聞こえた。

 

 

シェリーとの戦いに全神経を集中させている当麻だったが、その弱弱しい足音は何故か当麻の耳元に残った。

 

まるでお化け屋敷の中をおっかなびっくり歩いているような、そんな頼りない、びくびくとした足音。

 

当麻の胸の中に、とてつもなく嫌な予感が湧き上がる。

 

そんな彼の不安に応えるように、

 

 

「……あ、あの……」

 

 

聞こえたのは、少女の声だった。

 

闇の中から赤い非常灯の下へ、声の主のシルエットが浮かび上がる。

 

当麻の見慣れた少女のものだった。

 

太股に届く長いストレートにゴムで束ねた髪が横から一房飛び出し、線の細い眼鏡をかけた―――風斬氷華が、通路の真ん中を歩いてきた。

 

 

「馬鹿野郎!! 何で白井を待ってなかった!?」

 

 

叫び声が響き渡る。

 

それと同時に、

 

 

「エリス!!」

 

 

シェリーがオイルパステルを振るう。

 

即座に、人を容易く潰せる石像が標的を当麻から風斬へと変更される。

 

対して、風斬は状況が掴めていないのか、

 

 

「……あ。だって……」

 

 

その場で立ち往生してしまう。

 

 

「ふせろ! 風斬!」

 

 

当麻は走る。

 

足元が爆発するような踏み込みから全力で走る。

 

しかし、

 

 

ゴガ!! と。

 

 

地が揺れる。

 

エリスが巨大な拳を地面に叩きつけたのだ。

 

その衝撃に当麻は体勢を崩し、

 

 

「……かっ」

 

 

舞い上がった破片が風斬の頭に直撃し、その身体を大きく後ろへ跳ね退けさせた。

 

 

「かざきりィィィィ!!」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

舞い上がった瓦礫が1人の少女の頭に直撃した。

 

なにか、肌色のものが飛び散り、メガネのフレームが千切れ、吹き飛ぶ。

 

戦いはいつの間に止まっていた。

 

当麻の頭が極度の混乱のせいで真っ白に飛びかける。

 

シェリーは己のターゲットが突然やって来て、思わぬ形で排除できてしまった急な展開に、若干ながら眉を顰める。

 

そんな中で……風斬は大きくブリッジを描くように後方へ仰け反り、そのまま何の抵抗もなく、人形のように倒れ込んだ。

 

彼女の顔を構成するパーツが壊れる音が聞こえた。

 

 

バラバラ、と。

 

長い髪の毛が付いたまま頭の体表面らしきものが床に飛び散る。

 

 

瓦礫は頭の右側に直撃したみたいだが、頭蓋骨の形が変わったかのような破壊だった。

 

砕けたメガネのフレームが地面に転がり、フレームの端には、千切れた耳の片方、そのままくっついていた。

 

当麻の顔が驚愕の一色に塗り潰される。

 

そのあまりの惨状に、ではない。

 

確かに、風斬はノンフィクションに出てくるような非現実的な圧倒的な破壊で頭の右半分が根こそぎ吹き飛ばされている。

 

しかし、問題なのはそこではない。

 

それほどの出来事さえも現実的に見えるほどの非現実的な問題が立ち塞がっている。

 

当麻は改めて風斬の傷口を見る。

 

頭の半分を吹き飛ばすほどメチャクチャな傷――――だが、その中身はただの空洞だった。

 

肉も、骨も、脳髄もない、ただの空洞。

 

傷口からは一滴の血も流れていない。

 

まるで紙で作ったハリボテのような、ポリゴンで作った3Dモデルのような、そんな感じだ。

 

表から見ると精巧な人の皮膚であるのに対し、空洞から裏を見ると、それは淡い紫色ののっぺりとしたプラスチックのような板でしかなかった。

 

そして、空洞となった頭部の中心に、小さな物体――肌色の、底は一辺が2cm弱の正三角形で高さが5cm弱の三角柱が浮いている。

 

それはその場に固定されたまま、ひとりでにくるくると浮いている

 

その側面には、超小型のキーボードのような縦1mm横1mmの長方形の物体がびっしりと収められており、カチャカチャと見えない指が走るように忙しなく長方形のキーは進退している。

 

 

(何だ、これ……)

 

 

あまりに非現実的過ぎて、『痛そう』とか『苦しそう』とかそういう一般的な思考が麻痺する。

 

これが、<正体不明>なのか…

 

だが、それは単に能力者と呼ぶにはイレギュラーすぎる。

 

能力者達の頂点、Level5にしたって、その肉体のベースは人体である事に変わりない。

 

それに対して、風斬は、すでに根本の部分が人間からズレてしまっているように見える。

 

 

「う……」

 

 

思考が停止している当麻の前で、風斬は小さな呻き声をあげた。

 

意識が戻った事に反応してか、頭部の中心の三角柱の動きが活発になる―――

 

 

(いや……)

 

 

当麻はここにきて、ようやく現実的な寒気を覚え始めた。

 

 

―――『これ、逆じゃないのか』、と。

 

―――『三角柱が活発になったから、風斬が目覚めたのではないのか』、と。

 

―――『もしかしたら、風斬の本体は―――

 

 

あのシェリーですら攻撃の手を止め、その光景に注視する中、顔の欠けた少女―――風斬の片方しかない目がぼんやりと当麻の顔を見る。

 

まるで寝起きのような仕草で、痛みを訴えているような気配はない。

 

彼女はゆっくりとした動作で、上体だけ地面から起こすと、

 

 

「あ…れ? ……めがね。眼鏡は、どこ、です…か」

 

 

自分が眼鏡をかけていた辺りを指で触れようとして――――気づく。

 

一度、熱湯に触れたかのように手を引っ込めると、今度は恐る恐る自分の顔に指を近づけていく。

 

 

「な、に……これ?」

 

 

彼女の指が、ゆっくりと、空洞の縁をなぞる……

 

 

「い、や……」

 

 

すぐ側にある喫茶店のウィンドウが視界に入る。

 

ウィンドウに映った己の、壊れかけの己の姿が視界に入った。

 

認めたくない。

 

上条当麻と同様に風斬氷華は、今の自分の姿を正しく認識した。

 

認めたくない。

 

自分の正体が“人間”でない事に気付いてしまった。

 

認めたくない。

 

そう、自分は“化物”だという事を知ってしまった。

 

 

「いや…ァ! …な、に…これ!? いやぁ!!」

 

 

抑えていたものが爆発したような感じで風斬は髪を振り乱して思い切り叫んだ。

 

当麻の息が詰まる。

 

風斬はまるでバランス感覚を失ってしまったかのような危うい動作で立ち上がると、ガラスに映る自分の姿から逃げるように走り出す。

 

よほど混乱しているのか、あろう事か<ゴーレム=エリス>のいる方向へ。

 

彼女の動きにシェリーは我に返るとオイルパステルを横に一閃する。

 

エリスの巨人の腕が唸り、羽虫を振り払うような裏拳気味の拳が、風斬の腕と脇腹を巻き込むように直撃。

 

前に進んでいた風斬りを強制的に真横へ吹き飛ばし、そのままノーバウンドで3m近く宙を舞うと、その華奢な体が勢い良く支柱へ激突。

 

そして……今の一撃で風斬の左腕と脇腹は“欠けて”しまった。

 

そう壊れかけの人形のように風斬の体は壊れている。

 

 

「あ……」

 

 

それでも。

 

それでも、風斬氷華の体は、もぞりと蠢いた。

 

 

「あ、あ、ア、ぁ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!???」

 

 

壊れかけのその細い体から迸る絶叫。

 

風斬は無我夢中で、欠けた腕の中が空虚な空洞である事を知ると、まるで体についた虫を振り払おうとするような動きで手足を振り回して、そのまま通路の奥に広がる闇の中へと逃げるように走り去っていく。

 

 

「エリス」

 

 

シェリーが指示を出すと、エリスは支柱を破壊し、天上から降り注ぐ建材と土砂で道を封鎖する。

 

 

「ふん、面白い。行くぞ、エリス。無様で滑稽な狐を狩り出しましょう」

 

 

封鎖された向こうで呆然としている当麻に目も向けず、シェリーはオイルパステルの指揮棒をくるくる振り回しながら、エリスを操りつつ闇の奥へと引き返す。

 

おそらくは、風斬を追う為に。

 

 

(かざ、きり……)

 

 

当麻は未だに呆然と立ち尽くしていた。

 

今見た光景が、あまりにも鮮明に焼き付いていた。

 

 

 

つづく


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