「いらっしゃいませ」
セシリアの先導に従い、こじゃれた雰囲気の喫茶店に足を踏み入れる。
「2名様ですか」
「いえ、待ち合わせをしている者がいるのですが」
「おい、あれじゃないのか」
客は5人ほどいたが、その中にひとりだけ白人が混じっている。品の良さがにじみ出ているその外人は、俺の視線に気づくとぺこりと一礼してきた。
「ええ、間違いないわ」
店員と二言三言言葉を交わしてから、セシリアは頬を緩ませながら自分のメイドのもとへ歩いていく。俺もその後に続いた。
「お久しぶりです、お嬢様。そしてお初にお目にかかります、織斑一夏様。チェルシー・ブランケットと申します」
席に着くと、メイド――チェルシーさんが流暢な日本語とともに挨拶してきた。事前に言われていた通り、メイド服ではなく黒のスーツを着用している。
「どうも。織斑一夏です」
にこやかな笑顔とともに頭を下げる彼女に合わせて、俺も自己紹介をしながら軽く礼をする。
「ね? 美人でしょう?」
「なんでお前が自慢げなんだ」
「だって私のメイドだもの」
「……一理あるな」
確かに、これは美人だ。それもとびきりの。
容姿だけを見れば、セシリアも負けていないと思われる。だがチェルシーさんからは『大人の女』な雰囲気が感じられ、そういう要素を込みにすればあちらに軍配が上がる。
「久しぶりね、チェルシー。顔が見られてうれしいわ」
「私もです。ひとり異国の地で生活するお嬢様の身を案じておりましたので、お元気そうで何よりです」
お互い微笑みながら言葉を交わす2人を見ていると、ただの主人とメイドの関係以上の何か……気安さというか、そんなものが感じられた。
しばらくぶりの再会なのだし、主従の会話に華を咲かせる時間を用意してやろう。そう思って、俺は手元にあったメニューを読むことにしたのだが。
「なっ……!?」
おかしいな。どうして飲み物含めてすべての品物の値段が4ケタなんだろう。
コーヒーとか、どんなに高くても500円くらいじゃないのか。だってそこらの自販機だと120円だぞ。
「セシリア。俺は水だけでいい。たった今食欲がなくなった」
「……心配しなくても、ここの会計は私が持つわ」
「え、マジで」
「マジよ。わがまま言って来てもらってるわけだし、そのくらい当然。少し値の張るお店を選んだ自覚もあるし」
いや、少しと言えるかどうかは甚だ疑問だが……とにかくありがたい話だ。
「サンキュー。普段こんな高価なもの口にできないから、何頼めばいいか迷うな」
「あまりはしゃがないようにね」
「わかってるって」
この1200円のコーヒーを頼んでしまおうか。コーヒーそんなに好きでもないけど。
「お二人とも、仲がよろしいのですね」
と、ここで俺たちの様子を見ていたチェルシーさんが口を開いた。
「仲がいい。チェルシー、今の私たちのやり取りを見てそう思ったの?」
「はい。お嬢様が、これほど異性の方と自然に接しているのを見て、正直驚いております」
「……セシリアの男嫌いって、そんなにひどいものだったんですか」
いい機会なので、以前から気になっていたことを尋ねてみる。セシリアが俺以外の男と会話している場面は見たことがないし、実際今まではどんな感じだったのか想像できないのだ。
「嫌っているといっても、それがはっきり態度に表れるというわけではありません。必要ならば普通に会話もします。ですがお嬢様は、壁を作っておいででした」
「壁?」
「これ以上踏み込ませないというラインをかなり外に引いていたのよ。単純な距離じゃなくて、心理的な意味でね」
チェルシーさんの言葉を引き継ぎ、セシリア自身が説明を続ける。何食わぬ表情でいるところを見ると、特に話すことに抵抗はないようだ。
「少しでも私の事情に深入りするようなことを言ってきたら、全部当たり障りのない言葉でやんわり拒絶してきた。下手な火種を起こさないようにしながら、男性に近寄られないように努めてきたの。どう? これで答えには十分かしら」
「そうだな……ちょっと具体的な例で試させてくれ」
なんとなく理解できた気はしたが、それを確信に近づけるために質問を重ねてみる。
「たとえば、俺以外の男に胸を触らせてくれと言われたらどうする」
「『ふふ、冗談がきついです』と返すわ」
「そうか。じゃあセシリア、胸触らせろ」
「地獄に堕ちなさいこの変態」
「なるほどよくわかった」
どうやら、俺は彼女が引いたラインの内側に侵入しているらしい。その結果、今現在養豚所の豚を見るような目を向けられているのは、はたしていいことなのか悪いことなのか。
*
「周りに同性の方がいらっしゃらないというのは、やはり辛いものですか?」
「そうっすね。女ってだけである程度気を遣わなきゃならないこともありますし」
それぞれ注文した飲み物を口に運びながら、俺たちは特に着地点の見えない会話を続けていた。
「反対に、女子の方はあまり気を遣ってくれないものね」
「そこなんだよな。ほとんどの人間が女なせいで、たったひとりの男の存在が軽視されすぎだ。夜は部屋着なのかしらんが無防備な格好の人が多いし……この前シャツ1枚で廊下をうろちょろしてるやつを見かけた時はさすがに説教したな」
「いろいろ大変なのですね」
愚痴をたらしてもニコニコ笑っているチェルシーさんを見ていると、なんだか癒される。うちの姉にもこれくらいの愛嬌があればいいのだが……いや、それはもはや千冬姉ではない気がする。
「織斑様のお姉様は、IS学園で教師をなさっているのでしたね」
「鬼ですけどね。少しでもサボったら鉄拳制裁が飛んできます。居眠りなんてした日には……」
「くすっ。お嬢様から話していただいた内容と同じことをおっしゃっています」
「多分100人に聞いたら100人が同じ答えを返すでしょうけど」
脈絡なく移りゆく話題に身を任せながら、1200円のコーヒーをすする。高級な豆の味がするような気がした。本当にそうなのかは知らないけど。
「それじゃあチェルシー、私はそろそろ」
「はい。お願いします」
「ん?」
結構な時間話し込んだあたりで、セシリアが伝票を持って席を立つ。もう帰るのか。
「あなたは残るのよ」
「え」
続いて立ち上がろうとしたら、なぜか止められてしまった。
「私は席を外すから、一夏はチェルシーと2人で話すの」
「……は? いやいや、なんでそうなる」
「申し訳ありません、織斑様。私がお嬢様にお願いしたことなんです」
いきなりの無茶振りに文句を言おうとした矢先、チェルシーさんに言葉を挟まれる。
「どうしても、織斑様と2人きりでお話ししたいことがありまして。先日、お嬢様にはその旨を伝えたのですが」
「あら、言ってなかったかしら」
「聞いてないぞ。そんな話」
すっとぼけるセシリアに非難の目を向けるも、あっちはまったく動じていない。
おそらく、あいつはわざと俺にこのことを伝えなかったのだろう。面倒がって俺が来るのを嫌がる可能性を考慮したのだろうが。
「まったく、いい勘してやがる」
「何か言った?」
「いや、別に」
初対面の人間と2人きりにさせられると事前に知っていれば、俺はそれを拒否していただろう。なので、セシリアの判断は正しかったと言える。
もちろん、今からチェルシーさんの頼みを断ることもできるのだが……
「駄目、でしょうか」
「ま、少しだけなら付き合ってもいいですよ」
「ありがとうございます。織斑様」
受け入れてしまうんだよな。
この人の人当たりのよさに触れて、断るという選択肢を選べなくなってしまった。
「私からもお礼を言うわ」
「礼なんていらないから、さっさと俺のコーヒー代払ってこい」
そう、と頷いて、セシリアは俺たちに背を向ける。
「お前、これからどこで時間潰すつもりだ」
「この前あなたに連れて行ってもらった古本屋よ」
「道、覚えてるか?」
「多分ね。迷ったら連絡するわ」
「ああ」
それだけ聞いて、俺は会計を済ませて店を出ていく彼女の姿を見送った。
「それで、俺と話したいことってなんなんですか」
からんころんと入り口付近のベルが鳴る音を聞きながら、俺はチェルシーさんの方に向き直る。
「お嬢様の前では、少し口にしづらいことです。まずお聞きしたいのですが、学園でのお嬢様はどんなご様子でしょうか」
微笑みを崩さぬまま、けれどある種の緊張感を感じさせる表情で、彼女は俺にそんなことを尋ねてきた。
「どんな様子って、結構アバウトな質問ですね」
「素直に思ったことだけ話してくだされば結構です」
「ふむ」
4月から6月頭にいたるまでのセシリアを見て、素直に思ったこと、か。
「大真面目なやつですよ」
「大真面目、ですか」
「俺が見てる限りですけどね。授業に集中してない時はないし、クラスメイトの質問にも親切に答えてやってることが多いです。放課後にもよく自主訓練をやってるみたいだし」
こうして振り返ると、あいつはとことん優等生だな。これで俺とそれなりに気が合うんだから、人間関係ってのはわからないもんだ。
「あと、なんといってもあのしゃべり方ですかね。事情があるとはいえ、わざわざ外国語のお嬢様言葉を使い続けるってのは結構大変だと思いますよ。頑なというか……そう考えると、大真面目というよりクソ真面目なのか」
「ふふっ。クソ真面目ですか。お嬢様が聞いたらなんとも微妙な顔をしそうです」
「でも反論できないから何も言えないと思いますよ」
「よくわかっておいでですね」
この場にいないお嬢様の反応を思い浮かべて、俺とチェルシーさんはくすりと笑う。
「では、そんなお嬢様を見て、織斑様はどのように感じられましたか?」
「どのように?」
「はい。クソ真面目なお嬢様を見て、好意的に感じたのでしょうか。あるいはその逆なのでしょうか」
「……それ、真剣に答えなきゃ駄目ですか」
「私はただのメイドですので、織斑様に強要はできません」
チェルシーさんが目を伏せる。どういう意図かを完全につかむことはできないが、彼女にとっては重要な質問のようだ。
答えてあげた方が、いいんだろうな。
「セシリアには内緒にしてくださいよ」
今から俺は、こっぱずかしい話をすることになる。その前に、秘密を守ることだけは約束してもらいたい。
「わかりました。誓います」
彼女にとって、セシリアは大切な人なんだろう。だから俺は、素直に心の中身を吐いてしまおうと考えた。
「あいつのことは……正直尊敬してます。憧れの対象なんですよ、俺にとっては」
両親の遺したものを守るため、家を継ぐのにふさわしい人間になるため。
「セシリアは、自分の目指すもののために一直線に努力を続けてる。なんにも先のことが見えない俺とは正反対だ」
目標もなくぐだぐだと過ごす生活は、確かに楽だ。今の俺よりも、あいつの方が確実に苦労している。
「時々ふっと虚しくなることがあるんです。なんで俺には夢らしい夢がないのかって」
「そうなのですか?」
「昔はいろいろ目指してた気がするんですけどね」
「今は違うと」
「ええ、まあ。……なんで俺、初対面の人にここまでぺらぺらしゃべってるんだろう」
普段胸の内にしまっている感情を曝け出しているというのに、思ったよりも抵抗が少ない。
「初対面だからこそ、ではないでしょうか。普段からかかわりのある方たちには、自らの秘めた部分を見せるのが億劫になりがちです。何かしら関係に変化を生む可能性がありますから。その点、私は普段イギリスにいるメイドにすぎません」
「なるほど、そうかもしれませんね」
かといって、あまりつながりを持たない人間に秘め事を話せる機会も普通はない。つまり今は特別なケースだということ。
「子供の頃って、やればなんでもできるような気がするじゃないですか。頑張ればうまくいく、俺はそういう人間なんだって」
「全能感、と呼ばれるものですね」
「そうそう、それです。小学生の頃までは、俺にも将来の夢がたくさんありました。周りにすごい人間が2人ほどいたこともあって、自分もあれくらいでかい人間になりたいとか」
あの頃は、無駄に正義感の強いガキだったなあ。厄介ごとにも積極的に首を突っ込んでいた記憶がある。箒や鈴ともその過程で仲良くなったんだっけか。
「ただ、中学の時にちょっとショッキングな出来事があって。それ以来、何をするにも無力感がつきまとうんですよね」
「そして、夢を持つこともなくなってしまったのですか」
具体的に何があったのか、チェルシーさんは尋ねてこなかった。俺がぼかそうとしたのを察してくれたのだろう。
「そんな感じです。自分の将来ってやつが見えなくなって。俺には何ができるんだろうなって考えるばかりで、行動が伴わないんですよね」
4月にISの訓練を頑張ったのも、あくまで他のみんなに後れをとらないため、という側面が強い。巨大メカの存在に心揺れたこともあったが、今となってはその気持ちも冷めかけてしまっている。
「まあ、そういうつまらない人間です」
話をしめくくり、コーヒーの最後の一口を飲み干す。
果たして、彼女にどんな反応をされるのだろうか。主人の最初の男友達がこういう人間だったことに落胆するか、それとも――
「なるほど……よくわかりました。これで私も、安心してお屋敷に戻れます」
「………」
いや。この反応はさすがに予想していなかった。
俺の独り語りを聞いた結果、チェルシーさんはがっかりするどころかこの日一番の笑顔を浮かべていたのだ。
「織斑様とお嬢様。よい組み合わせだと思います」
「……理由、聞いてもいいですか」
「お嬢様は、目標に向かって努力するあまりに無理をしすぎることがあります。そのような時、的確な判断で止めてくださる方がいると安心できるのです」
「俺にそれができると?」
「冷静に自己分析ができる方だとお見受けしました。それなら、周囲の人間の分析にも秀でているのではないかと」
「ハードル上げてきますね」
俺はそんな大層な人間じゃないと声を大にして言いたい。
「あくまで理想のお話です。織斑様にそこまでしてほしいなんて、身勝手もいいところですから」
なら、彼女は俺に何を期待しているのだろう。
「私が安心したのは、織斑様が普通の方だったからです」
「普通だったから、安心した? どういう意味ですか」
「お嬢様は、オルコット家としての高いプライドをお持ちになっています。ですから、そばにあまりに完璧な方がいらっしゃると、少し問題になるかと危惧していたのです」
完璧なやつに刺激されて、無理をしすぎるかもしれないということだろうか。
「実際不安だったのです。お嬢様の心を開かれた殿方となれば、たいそう優れたお方である可能性もあるのではないかと」
「なんか複雑ですね。俺は優れていないからよかったってことですか」
「いえ。優れすぎていないだけで、織斑様は立派なお方です。そうでなければ、お嬢様の心を開くことはできなかったでしょうから」
「あれは、俺があいつの父親に似てたとかなんだとか」
「私は、それだけではないと思いますよ?」
意味ありげに笑うチェルシーさん。今のはどういうことなのだろう。
「貴重な話をお聞かせいただき、ありがとうございました」
答えを聞く前に、話を打ち切られてしまった。
「いえ、別にたいした話でもなかったですし」
「お礼といってはなんですが、今からメイド服に着替えてきましょうか?」
「マジですか!?」
いろいろ悩んでた感情が全部消し飛んだ瞬間であった。
「で、でもメイド服は着てこないって……そもそもどうして俺がメイド服好きだということを」
「昨晩、お嬢様に釘を刺されましたから。織斑様はメイド好きの変態だから、絶対にメイド服で来てはいけない、何をされるかわからないと」
あの野郎、どんだけ誇張して伝えてるんだ。
「ですが、お嬢様には『メイド服を着てくるな』としか命令されていませんので、途中で着替えるのはありです」
「た、確かに。でもいいいんですか」
しまった。興奮と緊張のあまり『い』が1個増えた。
「私にとっては仕事着なのですから、着用することには何の抵抗もありません。それで織斑様へのお礼になるのであればうれしい限りです」
「お、おお……」
ならば。ならばぜひメイド服を拝ませてください!
「じゃ、じゃあ」
お願いします、と言おうとした瞬間。
「メール……?」
ポケットの中の携帯が震えたので、取り出して内容を確認する。
『言い忘れていたけれど、私の見ていない間にチェルシーにメイド服を着させるような真似は禁止! (`Д´)』
「え、なにこれ」
背筋を凍らせて店内を見渡すが、当然セシリアの姿はない。
「残念ですね。私の方にもお嬢様からメールが来ました。織斑様にメイド服姿を見せるなとのことです」
「と、盗聴器でも仕掛けられてるんですか」
いくらなんでもこのタイミングでこのメールを送って来るなんて、普通はあり得ないだろう。
「そうではないと思いますよ。お嬢様は、時々恐ろしいほど勘が鋭くなることがありますので」
そ、そういう問題なのか……?
末恐ろしいものを感じながら、俺はセシリアから送られてきたメールの文面を呆然と眺めるのであった。
*
「今日は本当にありがとうございました」
古本屋にいたセシリアと合流し、チェルシーさんに街の案内を適当にやっているうちに、いつの間にか西日が射し込むような時間帯になっていた。
「私がいない間、また屋敷の留守は任せるわ」
「わかりました。綺麗にしておきますね」
「頼んだわ。……それと、これ」
セシリアがおずおずと差し出したものを、チェルシーさんはまじまじと眺める。
「これは……クッキーですか」
「私が焼いたの」
あ、今一瞬チェルシーさんの顔が強張った。
ずっとセシリアの面倒を見てきたのだから、当然彼女の手料理も食したことがあるのだろう。
「大丈夫ですよ。先月から俺が散々しごいて、なんとか食えるレベルにまでは到達しましたから」
「あ……そうなのですか」
ほっ、と安堵の息を漏らすチェルシーさん。今日接した限りではまるで隙の見当たらなかった彼女の感情をここまで乱すとは、恐るべしセシリアの料理。
「ありがとうございます、お嬢様。今ここでいただいてもよろしいでしょうか」
「そ、それはやめてちょうだい。私のいないところで食べて、感想はあとで聞かせて」
「なんでだ。今ここでおいしいですって言ってもらえばいいだろ」
「じ、自信がないのよ」
手をもじもじさせて、セシリアは下を向いてしまう。
変なところでチキンなやつだな。今までが今までだから怖がるのも仕方ないのかもしれないが。
「心配するな。お前のクッキーはまずいなんて絶対言われない。ずっと見てきた俺が保証してやる」
「一夏……」
「大体、多少まずくたってこの人なら優しく『おいしいです』とお世辞を言ってくれるに決まってるだろ?」
「……何か一気に冷めたわ」
感謝される流れのはずだったのに、なぜかセシリアはため息をついて俺から視線を外してしまった。
「チェルシー。今ここで食べてもいいわ」
「よろしいのですか」
「ええ。この馬鹿の馬鹿みたいな話を聞いていたらいろんなことが馬鹿馬鹿しく思えてきたから」
「泣いていいか」
「では、お言葉に甘えていただきます」
俺の訴えは無視され、2人で勝手に話が進められていく。
袋からクッキーひとかけらを取り出したチェルシーさんは、それを口に運んでゆっくりと味わう。
「ど、どうかしら」
緊張した面持ちで尋ねるセシリア。ごくん、とクッキーを飲み込んだチェルシーさんの感想は。
「はい。とてもおいしいです」
「ほ、本当に? 無理して言ってない?」
「心からの感想ですよ。確かに、市販のものと比べればいくらか味は落ちますが」
受け取ったクッキーを掲げて、彼女はにこりと笑う。
「他ならぬセシリアお嬢様の手作りですから。私にとっては、この上なくおいしいクッキーです」
「チェルシー……」
「おいセシリア。お前この人大事にしろよ」
「……あなたに言われなくてもわかってるわよ」
本当、メイドの鑑みたいな人だ。他にメイドを知っているわけじゃないけど、そのくらいはさすがにわかる。
「織斑様」
「はい?」
「お嬢様をよろしくお願いします。それと……織斑様も、頑張ってください」
「……まあ、なんとかやってみますよ」
俺自身も、収穫はあったと思う。
別に、彼女から何かアドバイスをもらったわけじゃない。こういう問題に対する答えは、どのみち自分にしか見つけられないものだ。
ただ、一度口に出して話してみることで、多少は心も整理されたような気がする。今はそれで十二分だろう。
*
その日の夜。
「どうした? なんか用か」
夕食を食べ終わって部屋で宿題をやっていたところ、先ほど廊下で別れたばかりのセシリアが訪ねてきた。何か大きな袋を手に提げている。
「ええ、そうなのですけれど……一夏さん、少しの間部屋を出ていてもらえますか」
「はぁ?」
唐突な頼みごとに、俺は当然疑問の声をあげる。
「なんで俺が自分の部屋を空けなきゃならないんだ」
「で、でしたら後ろを向いていてください。部屋の隅まで行って」
「いや、だからなんで」
「なんでもいいからお願いしますわ」
「なんだってんだ、まったく……」
さっぱり狙いがわからないが、向こうも退く気がないようなので渋々指示に従う。
「そのままこちらを見ないでいてください」
「わかったから、何かやるんなら早くしてくれ」
部屋の隅っこに目をやると、意外に埃がたまっていることに気づいた。そろそろ掃除しないとな。
「……ん?」
気のせいだろうか。衣類がこすれるような音が後ろから聞こえてくる。
「おい。お前何してる」
「きゃっ! み、見ないでくださいですわ!」
「見てねえよ音で判断したんだ! その反応だとやっぱり脱いでるみたいだな」
しゃべり方も動揺しておかしくなってるし、間違いない。いったい何を考えて男の部屋で服を脱いでいるのか、さっぱり理解できない。
「ちょ、ちょっと着替えてますの。もう少しだけ待ってください」
「……早くしろ」
そう言いながら、俺はなんとか考えが背後で行われていることに向けられないように努力する。間違っても興奮などしてはいけない。
「い、いいですわよ」
どのくらい経ったかわからないが、セシリアからこちらを向いていいとの許可が下った。
「やれやれ」
ほっと一息ついて、体をくるりと彼女の方へ向ける。着替えると言っていたが、いったいどんな格好を――
「………!?」
「ど、どうでしょうか……似合っています?」
白と黒のアンサンブル。
エプロンについたフリフリ。
胸のあたりの大きな赤いリボン
頭につけられた白いカチューシャ。
「こ、これは……!」
正真正銘、メイド服だ。
「お、お前、なんで」
「今日、無理を言ってチェルシーと2人きりにさせたことと……あと、口論になってしまったことを謝りたくて」
「口論?」
「喫茶店に着く前のことです。一夏さんが、自分の価値を落としているとわたくしは言いました」
ああ、あの時のことか。その後いろいろあったせいで完全に忘れていた。
「あの後、ひとりで考えてみて……まだ出会って2ヶ月なのに、わかったようなことを言ってしまったと反省したのです。一夏さんには、一夏さんの考えがあるというのに」
「気にするなよ。大したことじゃない」
「それではわたくしの気が収まりません。ですから、ごめんなさい」
頭を下げるセシリア。謝りたいというのなら、素直に受け入れるのが正しいか。
「で、なんでメイド服なんだ」
「お詫びを形にしようと思いまして……お昼にひとりで行動している間に買っておきましたの」
えらくでかい包みを持っていると思ったら、これが入っていたのか。
「他の人に見られたくないので、やむをえずこの部屋で着替えたのですわ。……それで、どうでしょうか」
どうでしょうかって、見栄えのことを聞いてるんだよな。そんなもの決まってるだろう。
「100点だ。本場イギリスの人間のメイド服姿だぞ? 似合ってないわけがない」
特に、こいつほど容姿が整っていればそれこそ文句のつけようがない。
正直感動していたが、そこまで言うと引かれかねないので胸の内にしまっておく。
「そ、そうですか。褒められて、悪い気はいたしませんわね」
頬をちょっぴり朱に染めて、うれしそうに笑うセシリア。まんざらでもないらしい。
「だがセシリア。お前わかってるのか」
「え? 何がですの?」
「俺の前でメイド服を着ることの意味だ」
きょとんとしているセシリアに対して、俺はにやりと笑みを浮かべる。
「メイドはご主人様の命令に従わなければならない。つまりお前は俺の言うことをなんでも聞かなきゃいけないということだ」
「え、ええっ!? わ、わたくしはメイド服を着ただけで、別に心までメイドになるとは一言も」
「問答無用だ。俺がお前にあんなことやこんなことをさせても、お前は文句ひとつ言うことを許されない。どんな恥ずかしい思いをしてもな」
自分でも結構めちゃくちゃなこと言ってるなと思いつつ、俺の口の動きは止まらなかった。それだけテンションが上がっていたということだ。
「あ、あんなことやこんなこと……恥ずかしい思い……じょ、冗談ですわよね」
「本気だ。いかなる羞恥にまみれようと絶対服従だからな」
じりじりとセシリアとの距離を詰める。
「い、イヤ……だって、そんないきなり……!」
後退するセシリアだが、やがて壁際に追い込まれて逃げ場を失う。
「さあ!」
「ひっ」
「諦めて俺の肩を揉んでもらおうか!」
「そ、そんなことできるわけ……え?」
怯えていたセシリアが、一転して呆然とした表情になる。
「ん、どうかしたか」
「肩もみ……え、それだけですの」
「まさか。その後いろんなポーズで写真撮らせてもらうぞ。恥ずかしいとか言っても無駄だからな。まあ、ネットに流したりはしないから安心しろ」
本当はちゃんとしたカメラを使うのが望ましいが、あいにく持っていないので携帯のカメラ機能で我慢するとしよう。
「そ、そうでしたの……はあ」
力が抜けたようにぺたんと床に座り込むセシリア。どうも様子がおかしい。
「お前、何されると思ってたんだ」
「えっ!? い、いえ、それはその……一夏さんがあんなことやこんなことなどと言うから」
「あんなことやこんなことって……あっ、まさかお前、俺がなんかエロいことしようとしてると思ったのか!」
「い、一夏さんが悪いんですのよ!」
顔を真っ赤にしてわめく彼女を見ていると、どうにも面白くてたまらなくなってきた。
「お前、プッ……そんなことあるわけないだろ。俺がお前にあのエロ本にあったようなことをする? ぷっくくく……あー駄目だ、ツボ入った。はははははっ!」
腹を抱えて笑う俺に対して、セシリアはぷるぷると体全体を震わせる。真っ赤な顔がさらに紅潮し、もはやゆでだこみたいになっていた。
「い……」
「い?」
「一夏さんに、辱められましたわーーー!!」
大声で叫びながら、全速力で部屋を飛び出すセシリア。
「一夏さんに、辱められましたわーーー!!」
「って、廊下でとんでもないこと叫んでんじゃねえよ!?」
やばいと気づいた俺は、彼女の後を追って廊下に出た。
「ねえねえ、今の聞いた?」
「セシリアだったよね。織斑くんに辱められたって」
「しかもメイド服だったよ」
「え!? それって織斑くんが無理やり……」
なんてことだ。すでに手遅れ一歩手前の状態になっている。このままでは俺は学園内で変態認定され、迫害される地獄のような日々を送ることになってしまう。
「ま、待ってくれみんな――」
とりあえず事態を鎮静化させるため、近くの女子に声をかけようとした矢先。
「ほう。ついにやってしまったか、織斑」
背後から、聞きなれた女性の声が耳に入ってきた。
圧倒的な威圧感に押し潰されそうになりながらも、俺は後ろを振り向く。
「お、織斑先生……」
「私はお前のことを信じていたのだが……残念だ」
そこには鬼がいた。
「ち、違います違います誤解です! だからその出席簿をしまってください!」
目前に迫った死を回避するために、俺は死に物狂いで千冬姉に向かって弁解の言葉を並べたてた。
あとから正気に戻ったセシリアの擁護も加わって、なんとか無罪放免を認められたのであった。
……本当に、こいつといると退屈しなくてすむ。
皮肉半分に、そんなことを思った夜だった。
本編27000字、番外編17000字。うーん……
というわけで番外編(チェルシー編)完結です。思ったより長くなりました。なので前編と後編の比率がちょっとおかしいです。お付き合いいただきありがとうございました。
時系列的には6月の頭の日曜日。原作だと2巻冒頭の弾の家に遊びに行った日に該当します。なのでゴーレム事件はすでに終わっていて、翌日にはシャルとラウラが転校してきます。
この番外編の構想を練っている際に原作2巻以降の内容もある程度思いつきはしたのですが、それを形にするかはまだわかりません。最低限自信の持てるストーリーラインが用意できてからですね。
とりあえずは、忘れたころに番外編が投下される謎の作品という位置づけにしたいと思います。多分次の話を書いたら本編よりも番外編の合計の方が長くなりそうですが……
感想などあれば、気軽に送ってくださると喜びます。
では、また次回を投稿した際には読んでもらえるとうれしいです。