銀雪のアイラ ~What a Ernest Prayer~ 作:ドラケン
遠い、遠い。果てしなく遠い。暗く、長い長い
届かないものを思う。見た事はないけど、水鏡に煌めく満月であるとか、蒼穹に輝く太陽であるとか。
そして、ふと、足元に目を向けた。
隧道の天井から漏れる、僅かばかりの『光』を湛えた石畳に。そこに芽を出した、ほんの些細な命を。雑草と、一括りにされるもの達だ。だが、確かに命の輝きだ。
一休みしよう、この命を眺めて。背後から吹く風に揺れる、小さな彼等を眺めて。
辺りに佇む、セピア色の、皆と共に。
『──オブジェクト記録を参照:三国戦争とは』
その時、声が。声、声? いいや、違う。心を震わせる『思い』が、流れ込んできた。
『三国戦争とは、ロシア革命前夜に起きた帝政ロシアとフィンランド王国、オスマン機関帝国、そして極東帝国との三正面戦争である。北辺のロシアにとっての悲願である不凍港を目指した南進先のオスマン機関帝国との戦争に乗じて、大陸進出を目指した極東帝国の横槍と、ロシアからの独立を目指したフィンランド王国の反乱が重なった結果であった
その結果についてはここで語ることはないだろう。全ては《緑色秘本》に記された通りであるのだから。そして、国力を減じた帝政ロシアは《赤錆の男》率いるボリシェヴィキによる革命に斃れ、ソヴィエト機関連邦となったのだ』
見上げても、暗く霞んだ天井から吊り下げられた、仮面が口走る言葉。その全てを囁いて、色を失った仮面は霧のように消える。
『────
次に、吊り下げられた左腕。鋼鉄の、
『帝政ロシア末期に研究されていた機関兵器の試作品群。代表的な例を上げれば、三国戦争で各戦線に送り込まれてその侵攻を盡く挫きフィンランド軍から《街道上の怪物》と呼ばれた要塞が如き
そして、試作から制式となったその虎の子の機関兵器群もオスマン機関帝国伝統の《
そして、消えていく。やはり、霧か霞のように。
「わたしの、過去────」
色を得て、語り出したのは少女。白く、輝くような銀色の髪の。携帯型篆刻写真機を抱く、白い兎のような。
「過去────過去。わたしの、過去は……紅い、燃え盛るように紅くて……大嫌いな、零れ落ちるような紅……それしか、思い出せなくて……」
煌めくように、そう口にして。色を失って、代わりに。
Q、夢とは?
「俺の、夢か────」
色を得て、語り出したのは。背の高い金髪の、海色の瞳の青年だ。頑健な獅子の如く、それでいて人懐こい子犬のような。
「行きたいんだ、彼方へ。知りたいんだ、そこに何が在るのか────それとも、何も無いのか」
陰るように、そう口にして。色を失ったの代わりに。再び色を得て、少女が口を開く。
「思い出したくないと思う。でも、思い出したいとも思う。そこに、何があるのか……それとも、なにもないのかも、しれないけれど──それでも、わたしは……」
彼の陰りに釣られたように、俯いて。全てを語り終えて色を失い、霧か霞か、或いは雪のように消えていくのだ。
Q、叶えるべき願いは?
「────知りたいんだ、知りたいんだ。そのためなら、俺は……この命を賭けても────賭けてでも、辿り着いて見せる」
彼も、また。全てを語り終えて、得たはずの色を失って。霧か霞か、或いは雪か────若しくは紫煙のように、消えてしまった。
後に残されたのは、ただ、この日溜まりだけ。ああ、もう十分に休んだ。さあ、歩き出そう。最後に、僅かな名残を残して。
風に揺れる草を、華を。有りもしない瞳に焼き付けて────
………………
…………
……
そうして帰り着いたホテルでは、これまた騒動が起きていて。わたしは、息を呑んで。
「ど──どうしたの?」
──そう、リュダに問い掛ける。
──だって、ガガーリン君とオジモフ君は。
「どうもこうも──突然政府赤軍からとんでもないプレゼントが届いたのよ」
──とっても忙しそうにしていたから、声、掛けにくくて。
「ユーリィ!早速明日
「バカ言ってんなよイサアーク、んなもん当の昔に百まで叩き込んであらァな!そっちこそ調整しくじんなよ!」
リュダとわたしが見つめる先では、慌ただしく計算機関に数値を叩き込み続けているオジモフ君に、仕様書を部屋中に広げているガガーリン君の姿があって。
正に足の踏み場も声をかける余地もないくらいの鉄火場、といった雰囲気で。正直、意味が分からないったら──
「ああ──簡単な話さ、
「えっ──ひ、飛空艇をですか?!」
──本当に何でもなさげに。悪戯が成功したようにくつくつと笑いながらそんなことを仰ったジュガシヴィリさんに、心からびっくりして。だって飛空艇、飛空艇?!
──古いものと言ってもそんな、西享では未だに軍事的にはかなりの貴重品な筈なのに。飽きた玩具みたいに取引されるようなものじゃない……わよね……?
少し自分自身の常識に自信を失ったけれど、間違ってはいないはずだと叱咤しながら。言葉もなく、その光景を眺めているしかなくて。
「ああ、そしてこれは君に──受け取っていただけるかな?」
「あっ、はい──あ、ありがとうございます……って、これ──」
受け取った大きめの浅い箱は、綺麗に包装されていて。まるで、そう。値の張る服飾店で買った──
「ドレ、ス──」
──そう、ドレス。わたしのお財布では何年も働かなきゃ手に入らないくらいにしっかりとした、息を呑むほどに見事な縫製の。
──そう、ドレス。
「あーららコイツは中々のナイスアプローチ、金持ちならではのね。俺ちゃんらには真似できねーな
そう戯けながら口にしたエルネストさん。葉巻を蒸してがははと豪快に笑いながら気安くハヤトさんの肩に手を回して、まるでというか事実、虚仮にしながらのその台詞に──
「黙れ
「おっと──へぇ……ふーん分かりやすっ」
たった一言と共に回されたエルネストさんの腕を跳ね除けた、ハヤトさんの姿があって。
それに酷く意外そうに、でもすぐに余裕の表情を取り戻したエルネストさんが訳知り顔で頷いて。
「──何にせよ、これで問題は解決というわけだ。君は安心して今宵の晩餐会に参加できるね」
「──あ──」
そんな様子すら意識に潜り込まないくらい身を竦ませていたわたしの耳に届いたジュガシヴィリさんの言葉は、いつもどおりに冷たくて息を呑む。
機械のように正確に、機械のように精密に。誰一人、反抗することを赦さないと告げる青と金の左右異色瞳の凍えた輝き。
人ではないものを思う。もしも鮫が笑ったのならば、こういう笑顔なのだろうと思うような笑顔で。
わたしの心、凍えて冷えて。震えてしまう、止め処もなく──
「──心配せずとも俺が連れて行くとも、イオセブ・ジュガシヴィリ。貴様はいつも通り、大仰に構えていればいい」
「あっ──ハヤト、さん……」
──そう、狼が唸るように。ハヤトさんがわたしとジュガシヴィリさんの間に立った。まるでわたしを庇うように。大きな背中で、ジュガシヴィリさんを遮って。
──機関刀を抜かんばかりに腰溜めに、だけど自然体に。緋色の瞳を真っ直ぐと、機関式煙管から万色の紫煙を燻らせながら。
「──ハヤト・ナイトウ。貴様……!」
「何だ、モロトフ──フィンランド戦の時のように
あからさまな挑発に色めき立ったのはジュガシヴィリさんの側に控えていた女性。麗貌に殺意を滲ませながら、綺麗なモロトフさん。いつの間にかコートの内側に含ませた手を、抜き放つ──
「止せ、モロトシヴィリ──モロトシュティン」
「──了解した、コーバ。我が親友」
──よりも早く放たれたその言葉に、ゆるりとモロトフさんは構えを解いた。一触即発の空気はただ、それだけで失せて。
──最新式の機関パイプから黒色の煙を濛々と立ち昇らせながら、ジュガシヴィリさんは穏やかな口調と仕草のまま。
「さて、実は別の用事があってね。悪いがこのあたりでお暇させて頂こう。ではね、ハヤト」
「…………」
重い言葉と沈黙の余韻だけを残して、ジュガシヴィリさんとモロトフさんは去っていく。ただ、ハヤトさんとモロトフさんの睨めつけるような視線と。
「────《
そんな、吐き捨てるようなモロトフさんの言葉を残して。
「……なに、アーニャ?修羅場?」
最後に残ったのはそんな、困惑したリュダの疑念だけで──……
あまり話が進まず申し訳ありません
現在ティルヒアをプレイしております