銀雪のアイラ ~What a Ernest Prayer~   作:ドラケン

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白雪姫 ―Снегурочка―

 

 

 薄暗い機関灯の灯る室内。視覚化される程に濃密な、鋼の如き圧迫感。そこは、このモスクワで最も重厚な威圧感に満ちた一室だ。そこは、このソヴィエトで最も鋼鉄の冷たさに満ちた一室だ。

 そのただ中で、男女が二人。革張の椅子に腰掛けて最新式の機関パイプから紫煙を燻らせながら、窓の外のモスクワ市街を眺めていた男と、その隣で直立不動の姿勢のまま、静かに目を閉じていた金髪の女が二人。

 

 

 見下ろす広場、赤く輝く、五つの塔の頂の星。その煌めきが揺らめいた刹那に。

 

 

「────コーバ。我が親友」

 

 

 女が口を開く。金髪に碧眼の、赤い軍装に身を包む美しい女が静かに、低く、鉄の強度を持って。

 もしこの場に他の人間がいたのなら、それだけでも失神は免れ得ぬほどの威圧と共に。

 

 

「なんだい、モロトシヴィリ。モロトシュティン?」

 

 

 それほどの声を受けても尚、男は揺るがない。色素の薄い灰色の髪に猫めいた黄金の右瞳と、青い左瞳の怜悧な美貌の。同じく、真紅の軍装に身を包む男が。胸元に、()()()()()()を備えた軍装の男が。

 鉄の声を上回るほどの、鋼鉄の強度を持って。男は、小揺るぎもしないまま。もしもこの場に他の人間がいたのなら、それだけでも落命してしまいそうな威圧と共に。

 

 

「モスクワへの《侵入者》を確認した。彼の者の願いは果たされるやもしれぬ」

「だろうね。だが、それもここまでだ。あそこには────()()には、《白騎士》と《黒騎士》が居る」

 

 

 左手のカップから、輪切りにされたレモンの浮いた紅茶を啜る。愉しげに、実に愉快そうに。

 

 

「ドーブリョ・ウートラ。愚昧にして哀れなる《ふるきもの》。《魔女(クローネ)ババ・ヤガー》に仕える、三体の騎士の内の二体。白騎士と黒騎士、朝陽と夜闇の具現。貴様の権能で、どうにかできると思っているのか」

 

 

 自らの視界の先、灰色の雪が降り続くモスクワ市街を眺めながら。子供の悪戯でも見るかのように、嘲笑いながら。

 

 

「……では、()()()傍観に徹するのだな?」

()()()だ、モロトシヴィリ。モロトシュティン。私が出ずとも、あの程度の完成度しかない《玩具の怪物(クリッター)》くらいは、自力でどうにかしてもらわねば」

「了解した、コーバ。我が親友」

 

 

 全てを話終えたとばかりに、女は口をつぐむ。同じく、男も。後には、音もなく降り続ける黒い雪と、時折、排煙を噴くパイプの音だけが残って。

 

 

「だからこそ、私はこう言おう────」

 

 

 もう、そこには、会話はなくて。

 

 

「────『茸と名乗ったからには(ナズバールシャ・グルスデョーム)籠に入れ(ポリザーイ・フ・クーゾ)』、と」

 

 

 最後に、ポツリと。溜め息のような、そんな声が────

 

 

 

 

………………

…………

……

 

 

 

──困った、うん、本当に困ったわ。

──どうしたら良いのやら、ええ、本当にどうしたら。

 

 

 わたしとリュダの借りている、モスクワ大碩学院の学生寮のアパルトメントの一室。暖房機関(ジャラー・ドヴィーガチリ)に暖められた空気が満ちた一室で、わたしは、眉根を寄せている。

 と、言うのも。

 

 

「ほら、白雪(スニェーク)ちゃん、小鳥(プチィーツァ)ちゃん。食べて、ね?」

 

 

 笑顔を心掛けて、古い手拭いを纏めた敷物の上に乗せた、生き物へと。先程、『わたしの顔に落ちてきた』生き物……思わず、息を飲むほどに、目が覚めるほどに()()()の目の前に、匙に乗せた鳥用の餌を差し出しながら。

 

 

『……………………』

 

 

 そして、プイッと。そっぽを向かれながら。

 

 

──駄目、やっぱり食べてくれない。外傷はなかったから、お腹が空いてか疲れ果ててかと思ったんだけれど、違ったのかしら。

──綺麗な、わたし達が生まれる前に失われたという《白い雪》を思わせる、見たことがないくらいに真っ白な鳥。鳥……鳥、よね? 金属の光沢のように虹色に煌めく羽毛の、宝石の光沢みたいに七色に煌めく瞳の。図鑑を調べてみても載っていないけれど……鳥、よね?

 

 

「『白雪(スニェーク)ちゃん』はともかくさぁ……アーニャ、どーこが『小鳥(プチーツァ)ちゃん』なのよ、()()の」

 

 

 うーん、と唸っていると、背後の扉が開く。現れたのは、勿論リュダ。部屋着に着替えた姿で、紅茶の香気を立ち上らせるカップを二つ、持って。

 そんなリュダをちら、と一瞬だけ見て。すぐに興味を失ったらしく、《白い鳥》はまた、宝石の視線を虚空に戻した。

 

 

「うわ、可愛いげなー。ふてぶてしいったらありゃしない」

「もう、リュダ。そんなこと言わないで」

「はいはい、アーニャさんは動物好きでいらっしゃいますものねー。博物館のステラーダイカイギュウとかメガネウとかの剥製、果ては革命広場駅(プローシャディ・レヴォリューツィイ)の犬の銅像とか」

 

 

──相変わらず、嫌味なリュダ。薄着になると本当に女性らしい体つきで、同じ女のわたしから見ても羨ましいくらい。

──嫌味なリュダ。素敵なリュダ。でもやっぱり、悔しいから嫌味なリュダ。

 

 

「なによ、悪い?」

「別に悪いとは言ってないけどもさ」

 

 

 紅茶を受け取って、一口含む。甘い、温かな液体が喉を滑り落ちていく、幸福感が身を包む。

 

 

「……美味しい」

「ふふ、当たり前でしょ? このリュダさんが淹れたんだから」

 

 

 なんて、言いつのって。それがなんだかおかしくて、わたしは一つ、息を溢してから。

 

 

「……あの、ありがとうございました。フョードルさん、シャーニナさん」

 

 

 部屋の隅に陣取って、存在しないかのように不動の二人に向き直る。そこに居ないかのように息を潜めて、背嚢の機関の動きさえも最小限に留めている、二人に。

 

 

『『…………貴婦人殿万歳(ウラー・ガスパジャー)』』

 

 

 フョードルさんと、シャーニナさん。クローム鋼の全身鎧に身を包む、《機関化歩兵聯隊(スペツナズ)》のお二人。背嚢に高倍率スコープ装備のドラグノフ狙撃銃を吊り下げたとても艶やかなシャーニナさんと、システマの達人張りな立ち居振る舞いで『武器は自分自身だ』と言わんばかりに筋肉の凄いフョードルさん。

 あの時、わたしの顔に《白い鳥》が落ちてきた後に現れて、移送を手伝って下さった後で。頑なにアパルトメントの外、酷寒のモスクワ市街で待とうとしていたところを何とか中に入ってもらったお二人は、同時に口を開いて。機関音のような声、響かせて。

 

 

 ちなみに、ガガーリン君とオジモフ君はリュダに『あんたら男連中はお断りよ』と、追い返されてたり。

 

 

「お手間を取らせてしまって、本当にごめんなさい。あの、ハヤトさんに怒られたら、わたしから謝りますから……」

『御心配ニハ及ビマセン、貴婦人殿(ガスパジャー)聯隊長殿(ダージェストラージ)ノ許可ハ頂イテイマス』

『故ニ、コレハ聯隊長殿ノ御指示。貴女ガ気ニ病ム事ハアリマセン』

「そう、ですか? じゃあ、ハヤトさんにも御礼を」

『『万歳(ウラー)』』

 

 

 申し訳なくて、頭を下げれば。フョードルさんの後にシャーニナさんがそう言ってくださって、最後に二人で首肯(うなず)いてくれて。

 

 

『……デハ、コレヲ作戦終了トシ、我々ハ撤退致シマス』

『御機嫌ヨウ、御二方』

「はい、さようなら、フョードルさん、シャーニナさん。ハヤトさんにも宜しくお伝えください」

 

 

 それだけを口にして、音も立てずに静かに扉から去っていくお二人を見送って。よほど、暫くしてから。

 

 

「前々から思ってたんだけどさ、アーニャ……あんた、どうやってあの《機関化歩兵聯隊(スペツナズ)》二人の見分けつけてるわけ?」

 

 

 リュダのそんな、不思議な言葉を聞いて────…………

 

 

 

 

………………

…………

……

 

 

 

 

──温かい。この北片の地でありながら、偉大なる《お爺様(ジェド・マロース)》の支配下であった、この地でありながら。

──気候すらも操るか、傲慢なる人間どもは。これも、かの《カダス》からもたらされた《機関》の所業か。忌まわしい。

 

 

 《彼女》の見つめる先には、恨み骨髄たる人間の姿。忌々しくも、瑞々しい。既に失われた『春』を謳歌するかのように若々しい、二体の人間の姿。

 草花の香りのする液体物を啜りながら、笑ったり怒ったり、かと思えばまた笑い合う。

 

 

──くるくると、ころころと。表情を、態度を変える。

──ああ、それは、まるで。

 

 

 思い至るものがある。あの、忌々しい姿。忌まわしき人間どもの中でも、飛び抜けて悍ましい、あの────

 

 

────こんにちは、《白雪姫(ス■■■■■カ)

 

 

 刹那、声が届く。呪われた横笛(フルート)のようにか細く単調な音色で消え入るように、しかし、くぐもった太鼓の放埒な連打の如く芯まで震わし、痺れさせる。

 否、断じて声ではない。それは、脳内に木霊する《数字》の奔流。恐るべき、人間の()()だ。

 

 

目覚めるときだ、そして────

 

 

──黙れ、疎ましき《黒影》。貴様如きが幻想たる《道化師(クラウン)》を気取るか、不敬者め!

──貴様の言葉などで、妾は狂わない。疾く失せるがよい、俗物!

 

 

 それを察した瞬間、《彼女》は強く、視界の端を睨み付けて。宝石の視線、七色に煌めいて────

 

 

────おや、それは残念だ

 

 

────実に、実に

 

 

────残 念 だ っ た よ !

 

 

 後に残るのは、哄笑だけ。空気も、鼓膜も揺らさずに。ただ、特定の人物の脳内だけに木霊して。

 ただ、不快感だけを残して。消えていく────

 


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