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紫が去ってから途方に暮れていた私は、お茶を入れて桜の木を眺めながら霊力というものについて考えることにした。
一般的に霊力といえば、たぶん超能力を省いた特殊な能力のことだろう。霊感とか除霊だとか、神様のお告げとか、口寄せとかそういうの。
んでそういうのって誰が使えるかとぱっと浮かぶのは、お寺のお坊さんとかイタコとかいうおばあちゃんである。あと、当然巫女さんとか神主さんもそういうイメージだ。
そんな人たちって、修行とかって何をしているんだろう。冷水を被るやつとか、滝に打たれるとか、あと座禅を組んだりすればいいのだろうか。
「やってみれば何かわかるかも……」
とりあえず、正座にしていた足を解いて
……いいや、覚えてない以上は見本がないと考えてもわからない。このまま胡坐でいこう。それで足のところで手を合わせればいいんだよね。親指を合わせて……。
「違う。これやるのはお寺の方だったわ。確か。神社……神社だと、みず? み、みそごり?」
白い和服みたいのを着て、井戸から桶で冷水を汲んで肩からかけるみたいな。あ、思い出したけど、確か
しかし今の季節はおそらく秋。ぼんやり眺めている桜も葉が散ってきてて寒そうである。あんまり厚着していない私ももちろん寒い。
「パスね。一人暮らしで風邪でも引いてみなさい。栄養も食料も不足している今ならそのまま死ねるわ」
そういえば一人暮らしだと独り言が増えるという話があるけど、あれは事実だと知った。
ここ十日ぐらい、たまに思ったことを無意識に喋っている時がある。今のもそうだ。
「はぁ……」
お茶を一啜りしてから胡坐を解いて、足を外へ投げ出してぱたんと仰向けに倒れる。
デザートやらジュースやらがない今、私の無聊を慰めてくれるのはこのお茶だけ。しかし、その唯一の嗜好品も今や三番煎じのお茶なのだ。
まだ多少の余裕はあるとはいえ、お茶は毎日飲んでいるので一回二回程度でお茶っ葉を換えていたらあっという間に底をついてしまう。もはやただのお湯といっていいそれを騙し騙し、自己暗示しながら五番煎じまで頑張っている。
その茶殻もお米と一緒に炊き込んで茶飯にして再利用しているので、あんまり出しすぎても味や香りももちろん栄養がなくなってしまうのでよくないが、毎日の楽しみがなくなるほうがよっぽど深刻である。
一度しか出してない茶殻を畳掃除に使ってしまった時の、(流石私ってば物知りじゃない?)なんてドヤ顔してた私を力いっぱいぶん殴りたい。グーで。
「それにしても、巫女が誰であるかの自覚ねぇ。そんなの『博麗霊夢』に決まっているじゃないの」
まったく、どっかにいってる『博麗霊夢』ちゃんもいつまでも戻ってこないと、いざ戻ろうと思ったら先に身体のほうが餓死してた、なんてことになりかねないっていうのに。
餓死……。そういえば、餓死って一番辛い死に方だって聞いた気がする。まずい! 死ぬことよりも苦しまなきゃならないことのほうが怖い。
流石にそろそろのんびりしている場合じゃないことに今更ながらに気づく。ばっと勢いよく上体を起こして立ち上がった。
「お賽銭がいくらかあるから、ともかくなんとかして人里に辿り着くのが先決だわ。……残ってたお札って霊力なんかが使えなくても効果ありそうね。とりあえず、念の為に書き写して増やしておきましょう」
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――――そうと決まれば動くだけである、のだが、またも忘れていた事実に直面した。
文具屋に売ってるような
硯と墨と水で、磨らなきゃならないのだ。一から墨を磨るなんて、小学校での書道の時間以来である。宿題に出された書初めではボトルの墨汁使ってたし。禁止されてたけど。
筆も墨汁も百円均一でいくらでも売っているというのに。私も知らぬ間に大量生産の恩恵に頼りきりになっていたということか。
「まぁ、でもこういうのも偶にやるなら新鮮ね」
水を足し過ぎて、想定していたよりも大量の墨汁が出来上がってしまったが、まぁよしとしよう。その分コピーする枚数を増やせばいいだけの話。
私の書いたお札が妖怪(何故か狼男だった)にびたっと張り付き「GYAAAAA!」とかいって蹴散らされていくのを思い浮かべながらも筆を走らせた。筆を硯に勢いよく突っ込んだ所為で墨汁が紙に跳ねたが、それもまた些細な問題である。
もう私の気分は書道家だ。なんだか面白くなってきた。
「……よし!」
書き終えた渾身の一筆を、見本と見並べる。しっかりと見ながら書いてみた甲斐あってか……うん。まぁ、実は書いてる途中から薄々気づいていたけど、駄目だった。
まったく似ても似つかない、ミミズがのたくったような字が出来上がった。いや、見本もミミズがのたくった感じだが、あっちはどこか気品のある、時速30kmで地中を進めそうなミミズである。
私の書いたミミズはさしずめ、池に落下してしまって必死にもがいている弱弱しいミミズである。池の住人であるフナのご飯になる刻限は近い。
「まだよ! もしかしたら私のミミズは水泳が得意なミミズかもしれないじゃない! フナになんか食べられてたまるものですか! えーっと、ここが違うわね。ちょいちょいっと。……ん、二度書きって駄目なんだっけ? まぁいいわ」
おかしなところをささっと修正していく。なんかそれっぽくなった気がする。
「とりあえず一枚書き上がったわね。この勢いのままもう十枚いってみよう!」
そうして私は、書道の先生がいたら怒られることを更に十回繰り返すことになった。
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この博麗神社において、資源は有限であり無駄こそが忌むべきものである。
であるからして、おそらく投げて使うのであろう『針』に、私は少々の細工を施すことにした。
「落っこちてどっかにいっちゃったら、いくら大きいとはいえ見つけづらいのは困るものね」
耳掻きぐらいの長さがある恐ろしいこの針は、私の手元に十と六本ある。今や、結構な存在感を出すようになった。
朱色の墨があったので、ついでとばかりに塗りたくっておいたのである。三本は針先まで全部塗っちゃったから針の刺さりが悪くなったようだけれど、それに気づいてからの十三本はちゃんと針先以外を塗るようにしてある。
これが『先見の明』というやつだ。そもそもあのまま投げていたらどこに飛んでいったかも見えづらくってしょうがない。これなら投げてもどこを飛んでいるかすぐわかるだろう。
本当はあの黒白の不思議ボールもなくなったら困るから朱色に塗ってやろうかと思ったのだけれど、投げたら勝手に手元に戻ってくるブーメラン機能がついてるようなのでやめておいた。
朱墨がもったいないものね。
「後片付けが大変だった所為で夜になっちゃったから、明日の昼の出発に変更しよっと」
筆の墨を落としたり、汚れた机を掃除したりしていたら太陽が沈み始めてしまった。さて人里へと出発するべきか、とうんうんと唸って悩んでいるうちに日が完全に暮れてしまう。
夜は幽霊やら妖怪やらの力が増しそうな感じだし、仕方ない。街灯もないと真っ暗で危ないしね。日の出ているうちじゃないと、きっとお店もやっていないだろうし。
「明日には食材も手に入ることだし、今日の夕飯はちょっと豪勢に、おかずをもう一品つけちゃおう! いざという時に栄養不足で動けないんじゃ元も子もないもの」
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翌日の夕方。私は、神社にいた。人里に買い物? まだ行ってねーわよ。
出発予定にしていた正午。掃除を全て終わらせて、お茶(気合を入れるため、古いのと新しいのを継ぎ足しして誤魔化したものではなく全部一番煎じである)を啜り、完全武装で「いざ出陣!」というところで、私はぴたりと足を止めた。
――なんと情報が不足していたことに気がついたのだ。
考えてみれば、流石の私も敵の妖怪のことを知らないとあっては不覚をとるかもしれない。一応、念の為、この近辺に出てきそうな妖怪の情報が眠ってないかと書物を漁っていたのである。
その甲斐あって、アリスという少女の姿をした魔法使いの妖怪がいることを知った。魔法の森を根城にしているらしいので会うことはないだろうし、会っても友好的らしいから危険はないそうだけど、欠かす事の出来ない貴重な情報といえる。
それ以外の妖怪についての記述は見つからなかったが、そう都合よくいく筈もない。これで満足するしかない。
そうして気がついたらまた、日が暮れていたのだ。まぁ、日が暮れてしまったものは仕方ない。
予定は明日へ繰り下げとなる。夕食は昨夜に引き続き、明日の出発に備えて、精をつけるために豪勢になった。神社の敷地内から一歩も出ないまま、翌日を迎える。
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さて、翌日。いつもどおりブランチを流し込み(ちょっと贅沢に漬け物の量1.3倍増しと二番煎じのお茶を使ったお茶漬けである。とても美味しかった)、掃除まで完璧に終えた私は正午を迎える。
そこで、ふと思い当たることがあった。
――神社から歩いて、人里はどれぐらいの距離があるのだろうか?
もしや、昼に出発していたら間に合わないのではないか。これは念の為午前に出発し、お弁当におにぎりでも持っていったほうがいいのかもしれない。
いや、初めて歩く道だ。不測の事態を考えたらそうして然るべきだろう。あー、今日はもう午後になっちゃったし今からご飯炊いたら炊き上がりがおやつ時になっちゃうから、明日にしよう。迷ったら危ないし。
そうして夜を迎え、夕食を作る段になって驚愕の事実が発覚する。
「こ、こんなの、絶対おかしいじゃない! いったいどういうことなのよ!?」
……なんと。ついに、食材が尽きてしまったのである。
お茶っ葉もあと僅か。お米も明日の昼に作ろうと思っていたおにぎりの分までしかない。台所に残っていた漬け物も、切干大根もすっかりなくなっている。
計算ではあと三日分は残っている筈なのに、何故こんなに減りが激しくなったのか。
正に、由々しき事態である。あまりの逆境に、絶望が私の身体を包み込んでいた。
偶然にも避けられない不幸が積み重なったばかりに、私の退路は無慈悲にも断たれてしまったのだ。