今回はいずれ絡んでくる原作への布石。そんなこんなで第3話。
「コータロー村長おかえりなさい!」
村の入り口で出迎えてくれたのはシロちゃんとお隣のバニーラさん。二人は村と森を隔てる石壁の補修と、這っている蔦の除去をしていたようだ。二人とも汚れても良いように白いエプロンを着用していて、普段のオレなら「さながら荒れ地に舞い降りた天使である」と涙を流し言ったのだろう。——しかし今はそんな余裕など無かった。
二人ともオレの背負っている存在に気がついたようで、和やかな雰囲気は一変。作業道具を放り出して急いで駆け寄ってきた。
「村長、その子は一体……!」
「森の花畑で倒れてたんだ。おそらく森の近くに住んでる子だとは思うんだけど……怪我をしているみたいだから、これから家で手当するよ!」
「わかりました、私も後から村長のお宅に伺います! 薬を貰ってきますので!」
そう言ってシロちゃんは駆け足でこの場を去っていった。
——オレが花畑で見つけ、死体だと勘違いした人はまだ生きていた。
酷く衰弱している様子であるが、森を全力で駆け抜けてきたのだろう、転んで擦りむいた痕や小枝で切ったと思わしき切り傷が多数見られた。思わず死体だと勘違いしてしまったほどに、全身泥だらけで服の所々に血が滲んでいる。
——いつからあの場所で倒れていたのかは分からない。しかし、今日オレが「花を植えよう」と思わなければどうなっていたか。
想像するだけで肝が冷える。
オレはその場に残ったバニーラさんの手を借りて、間借りしている部屋へと怪我人を運び入れた。
ボロボロになった服を傷に触らないよう脱がすと、骨格からしてどうやら10代の人間の少年のようで、見た目は今のオレより若干歳上くらいだろうか。微温湯で濡らしたタオルで泥と血を拭い、体温を下げないように素早くオレの服に着替えさせる。
ベッドに彼を寝かせると、バニーラさんは自宅に彼が起きたときのための食料を取りに出て行った。オレはそれを見送り、ベッドの側においてある椅子に腰掛けた。
それにしても、あんな場所に子供一人。荷物もたった1冊の本の他は何も見当たらなかった。一体何があったというのだろう。
この世界に来て初めて見る人間ということもあって、最初はオレと同じく異世界から来たのではないかと思ってしまった。しかし何だかそれは違う気がしている。
見慣れない模様の入った服を着ていたことから、仮にオレと同じ境遇だとしても日本から来たというわけではなさそうだ。
現在は俺一人でこの子の看病、というか……ぶっちゃけ手持ち無沙汰で寝ている様子を見守っているだけだ。
クロウさんは森の番人をしているため、きっと夜まで戻らない。しかも今日はなんだか神妙な面持ちで、遅くなるかもしれないということを伝えられていた。シロちゃんに人を拾った旨は伝わっているので、今日すぐに戻らなくても伝わるだろう。
正直周りに大人がいないというのは心細い。実年齢はとっくに20を超えているのに、何とも情けない話だ。
今は彼の顔色もだいぶ良くなって、シロちゃんの持ってくる薬を飲めばすぐにでも回復するだろう。
「……それにしてもキレーな顔だな」
もちろんこの少年の話だ。
伏せられた睫毛は長く、唇は桜色、肌は白磁のようで、鼻はつんと高い。金色のさらさらとした髪は、カーテンの隙間から差し込む太陽の光を受けてキラキラと輝いて見える。先ほどの泥んこ具合が嘘のようだ。
「これは大人になったら相当なイケメンになるんじゃないの? どちらかというと美形?」
……オレもこんなぱっとしない顔じゃなくて、この少年のような顔だったら人生変わっただろうか。
あだ名は『王子』でバレンタインのチョコは軽く100個。女の子に甘く微笑んだりして。壁ドンなんかしちゃったりなんかして。
……まぁ、それが無理でも今の容姿に特別不満があるわけじゃない。親父とお袋の顔面クオリティから考えて、オレはまぁ、よくやっている方だ。特徴は無いが、まだマシな容姿だとは自分で思うけどね。親父たち元気かなぁ。
少年の顔を観察していると、突然ベッドで眠っていた少年がぱちりと目を覚ました。どうやら瞳の色は鳶色のようだ。
「お、目は覚さめた? 気がついたようで良か……」
良かった。
——そう言い切る間もないまま、次の瞬間オレのまだマシな顔面に拳がめり込んだ。
…………
「お、お前は、ここは、っ何なんだ!」
「っ!!!」
気がつけばオレは目が覚めた少年によって殴られていた。目覚めたばかりで混乱しているのか、少年は今もなお喚き立てている。
しかしながら当たりどころが悪かったようで、残念だがオレはしばらく少年と口を聞けそうになかった。
拳が当たったのは眉間辺りで、未だに脳が揺れているような錯覚がする。少年がまだ本調子じゃなくて良かったね、としか言えない。
唸るしか出来ないオレを見て、少年もようやく落ち着きを取り戻したようだった。状況を把握したのか、気まずそうに言葉を濁している。
「……その、本当にごめん」
「き……気にしないで……元気そうで、良かったよ……」
目が覚めたら視界には見知らぬ顔。憔悴した少年はオレを不審者かなにかと勘違いし、咄嗟にグーが出たのだろう。殴られたオレにも非はあるため何も文句が言えない。寝てる人間の顔をジロジロ見るなんざあまり良い趣味とは言えないからな。
落ち着いてくれてよかったと安堵しつつ、オレは少年の顔を見た。
——揺れる視界の中、目に映ったのは緋色の輝き。
思わず固まったオレの様子に狼狽えた少年は「違うんだ!」と再び取り乱し、大声を出しながら布団を被った。
そんなとき、タイミングが良いのか悪いのか、部屋のドアをノックをする音が。
「シロエです」と声がしてガチャリとドアが開いた。
——かたや膝をつき額を押さえて唸るオレ。かたや再び喚き散らしながらベッドの上で山を作る少年。
「えっと、村長? これはどういった状況で?」
そんなのオレが知りたい。
…………
シロちゃんが薬を持ってきたことでオレはこの場においてお役御免となった。
正直あの情緒不安定な少年とシロちゃんを一緒にすることに不安しか感じないが、「村長、大丈夫ですから」と微笑むシロちゃんにオレは頷く他無かった。
シロちゃんは獣人だから少年も最初は驚くだろうが、シロちゃんならきっと大丈夫だろう。少なくとも森でクロウさんに遭遇したオレよりは絶対に恵まれていると思う。
オレがいても何の役にもたてそうにない。なのでオレは大人しく少年の食事を作るべくキッチンへと向かった。
バニーラさんからお米と卵を届けてもらったので、おかゆを作ることにする。オレのお昼もそれにしよう。
前の世界で食べていたものは外食かコンビニ弁当、カップ麺くらいなもので自炊とは無縁の生活を送っていたが、この村に来て健康な食事とは何たるかをクロウさんにみっちり叩き込まれている。クロウさんは以外と家庭的。腹筋バッキバキに割れてるけど。
ご飯を炊き、卵、それと村で栽培したネギを使って早速料理を始める。
まず鰹節と昆布でだしをとり、沸騰する前に取り出す。そこでご飯を投入、数分煮込み塩で簡単に味を整え、冷めないうちに解いた卵をかける。器に装いネギを少量トッピングし、デザートにリンゴのゼリーをつけて完成。薄味にしたが、ダシが効いてて中々うまい。ふわふわ卵を絡めながらかっ込むとそれはそれはたまらないだろう。
シロちゃんの分も作ってみたが、気に入ってくれるだろうか。
早速お盆に載せて寝室へ行くと、ドア越しにすすり泣く声が聞こえてきた。
控えめにノックをし「入りますよー?」と声をかけ扉を開くと、そこには布団から出て静かに涙を流す少年の姿が。
——シロちゃんの腕の中で。
「なにこの状況」
…………
——話はコータローが部屋を出ていったときまで遡る。
パタンと部屋のドアが閉まり、コータローの足音がキッチンの方向へと遠ざかっていった。
シロエはベッドの上で布団を被る少年を目の前に暫く沈黙した。少し落ち着くまで待とう。シロエはこの少年の正体を確信しており、
(かわいそうに……)
サイハテ村と同じく、人の目から隠れるように暮らす、小さな部族の悲劇。シロエは他人事とは思えなかった。
落ち着いた少年が布団の隙間から顔を出し、恐る恐るシロエを見た。シロエの姿を確認し、少年は驚きから大きな瞳をこぼれんばかりに見開く。唖然、といった様子だった。
シロエは少年が再び取り乱さないよう、ゆっくりとした口調を心がけ話しかけた。
「こんにちは、私シロエって言います。皆からはシロちゃんっていう愛称で親しまれています」
シロエはサイハテ村の最年少の獣人だった。まだ10歳にも満たない彼女は、年々その数を減らしている獣人たちにとって宝のような存在。それは目の前にいる少年もきっと同じで、今は亡き部族にとっても彼はかけがえのない宝だったのだろう。
シロエの穏やかな雰囲気に少年は若干の警戒を緩め、布団から出ると「……クラピカ、です」と嗄れた声で呟くようにそう言った。
「クラピカ君、驚きましたか? ここは迷いの森の最奥、サイハテ村ですよ」
「サイハテ村……て、あの、秘密の村の、サイハテ村?」
「ええ。私のような獣人たちが隠れ住む、世界で一番安全な場所です」
——数日前、サイハテ村より遠くの森の中で、多くの血が流れた。現在、この家の家主、森の番人のクロウが数人の獣人を連れてクラピカの一族、クルタ族
この情報は遅かれ早かれ、いずれ世界中を駆け巡るだろう。だからこそ、今クラピカには伝えないものの、シロエは安全な場所でクラピカを匿う必要があると考えていた。
生き残った、世界にたった一人のクルタ族。そんな少年が幼いうちにその正体を暴かれ、そこからどんな人生を送ることになるのか、想像に難くない。
200年前、人間達に使役された獣人の末路をシロエは思い出していた。
「ここはあなたにとっても、安全な場所ですよ。少しだけ落ち着いて、今は心を休めましょう」
そう言うとクラピカは俯き、やがて顔をくしゃくしゃにして涙をこぼしはじめた。
「オレ、分かんないよ……何で、どうして……?」
今は悲しさが募るばかり。しかしいずれ、クラピカは瞳に怒りを宿すのだろう。シロエは涙を流すクラピカをそっと腕に抱いた。
クラピカは涙ながらに今までの出来事を語り始めた。
一族を離れ旅に出て、僅か数日。突然一通のメールが携帯電話に届いたそうだ。「お前は隠れろ」たったそれだけの短いメール。
……そしてクラピカは見てしまったのだろう。
異端とはなんなのだろうか。シロエは箱庭のような村で常々思う。
滅びを待つばかりだったサイハテ村。
隠れて住むことを200年も余儀なくされた住人達。
しかしそんな村にある日訪れた、異世界の青年。死すら覚悟していた自分たちに光をもたらした青年。
シロエはコータローに言葉に言い表せない程の感謝を抱いていた。
——あの日、一族の長を決める儀式での出来事が全てを変えた。
この2週間の日々が、シロエにとって信じられない出来事の連続だった。
——しかし、この村の村長となった彼も、いずれ思い知ることになるのだろうか。
「入りますよー?」
ドアの方からコンコンと控えめなノックの音がした。ドアが開くと、ふんわりと良い匂いが漂ってきた。
今は10代の少年へと姿を変えてしまった彼が、お盆を手に驚愕した様子で立っている。
「なにこの状況」
コータローは暫く呆然と立ち尽くしていたが、確かに真実を知らないコータローにとって今の状況は理解しがたいとシロエは思い至る。シロエは今はすっかり落ち着いたクラピカを見遣った。
「クラピカ君、コータロー村長が君を見つけてここまで運んできてくれたの」
「……そうなの?」
クラピカは気まずそうにシロエの腕を離れ、コータローに向き合った。
「その……さっきは本当に悪かった、です。オレ、クラピカです」
「お、おぅ……さっきのことは気にしてないよ、全面的にオレが悪いし……」
コータローはクラピカの様子に面食らったようであった。
「えっと……オレはコータロー。この村で人間はオレ一人なんだけど、2週間くらい前からここでお世話になってる」
「……コータロー殿、助けていただき感謝します」
「呼び捨てでいいよ。オレたち歳も近いだろ?」
「あ……うん……」
言葉は続かず、クラピカはうつむいてしまった。コータローもクラピカに聞きたいことは色々あったのだが、今はやめておこうと思い至る。コータローはようやく部屋の入り口から移動し、持っていたお盆をテーブルの上へと置いた。
ふんわりとした香りがクラピカにも届いた。
「起き上がれるか? おかゆ作ったから皆でお昼にしようぜ。あとクラピカは食後にお薬な」
「ありがとう……でも、オレは風邪をひいてないけど」
「そっか、初めてだと違和感あるよな。うちの村の薬ってさ、風邪も切り傷も虫さされも全部飲み薬なんだよね。体中傷だらけだしこれ飲んで治しとけ」
コータローはこの薬がものすごく苦いことは黙っておいた。
大抵の傷を瞬く間に直してしまうこの薬。コータローは『村に伝わる不思議な薬』としか認識していないが、実のところ、この薬が作られはじめたのはつい最近のことだった。それもコータローがもたらした恩恵なのだが、当の本人は知る由もないことだ。
シロエはコータローがサイハテ村に対し、どこか大きな勘違いをしているという認識が薄らとあった。そして、それを素直に告白してしまうのは彼にとって随分と酷なような気もしていた。
しかしいずれは全て分かること。
シロエには恩人に対し、このような判断しかできないことを歯痒く思うしか出来ない。
3人が席につき、遅い昼食が始まる。
温かい食事に再び涙腺が緩むクラピカ。それをまるで弟にするかのように宥める優しい青年の姿を見て、シロエは微笑んだ。
村長がいれば大丈夫。
いつか全てが分かったとき、どんなに辛いことがあってもこの人なら——。
願いにも似た感情だったが、シロエはその確信を既に得ている気がした。
サイハテ村、実はルクソ地方にあると判明。
そしてまだ「なのだよ」とは言わないクラピカ登場です。
後半シリアスでしたが、コータローと介さないと実際こうなる。
次回から再び森でのスローライフが始まります。