スターダストテイル   作:米俵一俵

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7.赤い車をブッとばせ

 ポルナレフはずっと誰彼の目を盗んで、千時から聞いたチャリオッツの可能性を追求していた。だが、まだ軌道を変える銃弾を切るまでには至らなかった。

 ホル・ホースの二発目の銃弾は、ポルナレフの牽制と背後からの思わぬ邪魔で、折り返しの軌道が狂った。だが、それだけで制御を失うほどではなかった。

 アヴドゥルは、千時が作ったコンマ秒の隙でも一撃を放つだけの戦闘経験を持っていた。だが同時に、戻ってきた二発目の銃弾を完全に避けられるほどのスピードは持ち合わせていなかった。

 結果、ホル・ホースは左腕に火傷を負って逃げたという。

「今回は、私の肩と痛み分けで済んだが」

 アヴドゥルが右肩の包帯を押さえて、そう呻く。

「二度とやるなよ」

 低く、ひどく低く、不機嫌にアヴドゥルは言って、千時を睨み据えた。

 もう何度目の謝罪なんだか、ごめんなさい、と口籠もる。ただ、アヴドゥルが背中に受けるはずだった傷は無い。千時は満足だった。

 他の詳細はまだ分からないが、ハングドマンのスタンドは、承太郎と花京院の拝借してきたジープがポルナレフを拾い、郊外へ追っていった…いや、連れていったと言うべきだろうか。物語なら花京院と二人のところ、承太郎が居る分、彼らはきっちり倒してくるだろう。

 パニック状態で路地を彷徨っていた千時はすぐアヴドゥルが捕まえて、追いついたジョセフと共にホテルへ戻ってきた。

 で、千時はベッドに正座でジョセフと手を繋がされ、お説教タイムだったわけだ。

「偉そうなことを言うんじゃあない!」

 さらにそのアヴドゥルをお説教しているのが、隣のジョースターさん。

「お前もだ! 銃声一発でわしを忘れて行っちまった挙げ句、このザマだぞ! 結果が助かったから良かったものの、一人で行くなとあれほど言っとったろーが!」

「いやそれは…、面目ない」

 歯ぎしりの音がしそうだ。苦虫を噛み潰すとはこの顔か。

 千時はチラチラ二人を見上げつつ、おとなしく黙って、縮こまった。

 だいじょーぶ。どーせすぐ、全員から全力フルボッコくらう人物が居る。

 

 拝借…いやもうハッキリ言おう、盗難車両は、逃走中に大破したそうだ。警察が泣いちゃいそうな字面だが、とにかくそのせいで、三人がホテルまで戻ってこれたのは日付が変わる頃だった。

 朝から動きっぱなし。全員ヘトヘト。

 千時はつまらぬ一般人、ジョセフはこれでもご老体、アヴドゥルは肩に銃創、寝ずに待って帰ってきた三人は満身創痍。

 話し合いは明日の朝、と決めて、その日は皆、ベッドへ倒れ込んだ。

 

 

 目をこすりながら、一段低いゲストベッドに身を起こす。

「…おアようございます」

「オハヨウ」

 千時の挨拶に返事があったのは片方、右のジョセフで、左のアヴドゥルはまだ起きていなかった。道中これまで、いつ寝ているのかと思うほど気配に敏感だった男も、さすがに肩の傷が堪えているのだろう。

「…ジョセフさん、私、あさごはんここへ持ってくるよ…」

「うん?」

「アヴさんの分」

 そうしてくれ、と言った…のだと思う。たぶん。

 千時はちゃっちゃと身支度をしてレストランへ降り、三人の待つテーブルで承太郎に頼んで、モーニングプレートを注文してもらった。待つ間、空きの席に座ると、ポルナレフがソーリーとごちゃごちゃ謝ってきたが、千時は手を振ってそれを遮った。

「誰かこの人に、ジョセフさん来てからねって言ったげて」

 まだ眠たい千時がテーブルに突っ伏すと、花京院の苦笑が聞こえた。

「オラ。来たぞ」

 承太郎に指で小突かれ、プレートを持って上がる途中でジョセフと入れ違った。下で待っていると言われて、頷きながら部屋に入る。

「アヴさん、起きた?」

 ベッドに体を起こしたアヴドゥルは、振り返って笑った。

 センキュー、とプレートを左手で受け取る。少し見ていると、やはり利き手は右のようだった。

「でーすよねーェ」

 スプーンもフォークも取り上げ、隣に座って、はい、あーん、とやると、彼はひどく面食らっていた。

 

 アヴドゥルと連れ立ってレストランへ降りると、四人が同時に振り返った。それを笑って、千時はもう定位置のジョセフの隣へ。アヴドゥルはその隣。うーん。この二人の真ん中は安心感があるよね、とかどうでも良いことを思いながら、千時はジョセフと手を繋いだ。

「いいか!? これで全員聞いてる!? すまなかったッ!!」

 途端にポルナレフが全力で頭を下げ、まるでコントのようにテーブルへ額を強打した。

「ッてぇー!」

「ふっははは!」

 千時は声を上げて笑ってやった。

「…うわ。もしかしなくても超怒ってるゥ…?」

「超怒ってた」

 即答すると、無い眉を八の字にした涙目のポルナレフは、また頭を下げた。

「本当にすまなかった。俺は、奴を倒せるならそれだけで良いと思っていたんだ。だから一人で行っちまったが、アヴドゥルもチトキも助けに来るし、こいつらには、残される者の気持ちならお前が一番分かってるだろって言われて、俺は…」

「そろそろ聞き飽きてきたぜ」

 少々うんざり気味の様子で、承太郎が帽子の鍔を下げる。花京院ももう苦笑しかしていない。ポルナレフはこの調子で延々、謝り続けていたのだろう。バカだ。純然たるバカだ。…だからアヴドゥルは、助けに行ったのだろうけれども。

 千時は、まだ口を閉じておいた。隣のアヴドゥルが、きっと、説教をし始めるだろうと思ったからだった。

 だが、アヴドゥルは違う切り口を持ち出した。

「すべての元凶が、ディオであることは理解したか」

「えっ? ああ…。おうとも。今は分かってるさ」

「ならば改めて、お前に頼みたいことがある」

「何だ? 何でも言ってくれ!」

 全員の視線がアヴドゥルに集まった。

「ポルナレフ。お前の力を、我々に貸してほしい」

 意外な言葉だった。千時は目を丸くした…だけでなく、他の面々もまた、驚いていた。

 アヴドゥルは淡々と、だが熱を込めて、ポルナレフを見据えていた。

「お前の復讐は終わった。もう命を危険に晒す義理は無いだろう。だが、お前の力が必要だ。少なくとも私は、強く、そう思っている。もしかすると私すら、いずれ、かなわなくなるかも知れない程の力だからな」

「えっ!?」

「何ッ!?」

 花京院とジョセフが驚愕し、承太郎も顔を上げたが、ポルナレフは納得したようにニンマリ笑って頷いた。

「おう! そんな事なら釣りが来るぜ。ディオなんか真っ二つにしてやるから、おにーさんに任せなさいって!」

 アヴドゥルがフンと鼻で笑う。

「どういう事だ」

 承太郎の問いかけに、アヴドゥルは向き直った。

「おそらく、彼女の言っていた時間操作の亜種というやつだ」

「ああ。付け焼き刃だが、どうにか二体までは、別に操作できるようになった」

「なにそれスゴい! てか早い!」

 千時が身を乗り出すと、ポルナレフは同じようにテーブルへ腕を着いた。

「あんたに話を聞いてから、何度か試していたんだよ。これまで俺はチャリオッツの甲冑を外した時、何気なく剣の流れで動作させていた。だが、意識して動かそうとすると、途端に間に合わねえんだ。一体に戻っちまう。何度もやって、そこんとこのギャップを埋めていったのさ。今は二体だが、恐らく、俺がちゃんと認識してやれれば七体とも操れる」

「昨日、こいつはそれをやった」

 アヴドゥルが引き継ぐ。

「初撃を、一体が逸らそうとして躱され、二体目が剣の鍔で受けて後方へ弾き飛ばされた」

「俺はその衝撃でよそ見させられちまってな。二発目の銃弾を、アヴドゥルが飛び込んで助けてくれたってわけだ」

「だが、その二発目の弾が戻ってこようとした時、後ろに居たチャリオッツが鏡を割って、私を刺そうとしていたハングドマンの動きを封じてくれた」

「ま、そこでお嬢ちゃんが飛んできたのさ」

「二度とするなよ」

 途端にアヴドゥルの声が低くなる。

 肩を竦めてみせると、大仰なため息が返ってきた。

「まさか、戦いのさなかに突っ込んだのか?」

「俺の言った通りの大バカだったって事か」

 花京院と承太郎まで咎めるような呆れるような。

「私は悪くない。そもそもは全部ポルナレフが悪い」

 あくまでも冷静に、ジロッとポルナレフを睨む。

「だからごめんてぇー!」

「うっさいよこのバカ電柱!」

「でっ電柱!?」

 大柄な四人が顔を背けて盛大に噴き出すものだから、驚いたウエイターがコップを一つ、落とす始末だった。

 

 カルカッタとデリーを直線で繋いだほぼ真ん中に、ベナレスはある。夜7時発で朝5時着予定の寝台バス。約10時間。またぞろ長旅だ。

 乗り込む時、千時はジョセフに腕を引っ張られ、ベッドの奥のほうへ押し込まれた。え、何? と思っていたら、ジョセフが一緒に乗ってくる。

「え? あれ? もしやチケット足りなかった?」

「違う違う。説明するヒマが無かったんじゃが」

 ジョセフは周囲をきょろきょろやって、千時に顔を寄せ、さらに小声で注意した。

「あんまし色々よくないの。じゃからわしとアヴドゥルが、交代でお前さんを寝かすことにした」

「えーと…、見張りってこと? バスで襲われるシーンは無かったはずだけど?」

 千時も小声で聞き返せば、そういうんじゃなくて、と首を横に振る。

「治安の悪さの問題じゃよ。昨日の一件で、皆、朝が遅かったろう。急な手配になったもんで、今日の便は二等が取れなかったんじゃ。本当は女連れで三等なんぞ、危なくて乗れたもんじゃないんだが…」

「そうなの?」

 ふぅん、と周囲を見回したが、…まあキレイとはお世辞にも言えないし、狭いし、ちょっと臭いもアレだけど……、やめとこう。よく分からないなりに、大人しく従うことにする。

 さて、手荷物をどこへ置こうかともぞもぞやっている内に、

「お!」

 ジョセフが声を上げた。

「お嬢さんもベナレスへ?」

「ええ」

 うそ!? おじーちゃんここでナンパ!? 思わず相手の顔を見れば、綺麗な若い女性だ。彼女は、一つとばしてその後ろへ乗った。…わあ。かわいそうに。ポルナレフの後ろだ。

「今の人なに?」

「いや、昨日な。アヴドゥルとはぐれた時、追いかけるのに必死で、ぶつかってしまった人なんじゃよ」

 ジョセフの顔色を伺ったが、何と言うこともない、大した話ではなかった。

「ああ、そういう」

「ん? …何だと思ったんだ?」

「現役か若いなと」

「おッ前…! もー! ポルナレフじゃあるまいし!」

「冗談、ごめんごめん」

 車が発車すると、案の定、ポルナレフが女性に話しかけ始めた。どこに行ってもこの調子だから、一行は慣れたもの。千時もそれをBGMに寝入った。ジョセフが少しでも楽なように、小さく丸まって。

 

 何となく、バスの振動でない揺れを感じて目が覚めた。向かいのベッドだったアヴドゥルが移ってきていて、にこりと笑う。怪我してるのに悪いなあ、と思うが、必要な警戒だというのなら、余計なアクションは単なる邪魔になるだろう。

 カーテンもない車内は、すきま風で寒い。首もとのよれた毛布にくるまろうとして寝返りを打つと、太い指が前髪をよけてくれた。

 安心して、またうとうとし始めた矢先、バスが止まった。

 休憩? 目が覚めてしまって、頭を上げ…ようとして、千時は固まった。アヴドゥルが居ない。え? 何? 慌てて通路側へ顔を出せば、向かいに居たはずのジョセフも居ない。ええー!? 

 アワを食っていると、ちょいちょいと肩をツツかれた。振り返れば、斜め後ろのベッドの承太郎が起きている。

「窃盗未遂だ。今、犯人をバスからおろせと運転手に交渉してる」

「あ、そうなの…」

「テメエの荷物だぜ」

「うそ!」

「やれやれ。とんだ鈍さだな」

 ベッド下のスペースに入れたザックと、斜めがけのバッグ。ちゃんと鍵をかけたはず。そもそも防犯用に鍵のかかるバッグだし、その上、自転車用のぶっといケーブルロックでベッドの足と繋いであるのに。

「うっわー…!」

 そのケーブルロックに、工具だろうか、切ろうとした痕があった。バッグの生地も一部が裂けている。切れ目は小さく、被害はそれだけのようだが、いやこれは、目の当たりにすると血の気が引く怖さだ。海外コワい。

「ジジイが戻るまで、こっちへ来とけ」

 青くなったのを察したのか、承太郎が自分のベッドを叩いた。千時はありがたく移動して、承太郎の隣に座った。

 バスの前方は、狭くてよく分からないが、だいぶモメているようだ。…そりゃなー、窃盗犯だとしても、真夜中にこんなとこで降ろすってわけにはなー…、運転手さんは板挟みか、とあらぬ同情が沸いてくる。

 ところが、すぐにそれどころではなくなった。

 いきなりドカドカと酷い騒音をたてて、五人ほどの男達がバスへ乗り込んできたのだ。当然、ジョセフとアヴドゥルが圧されて退がってきた。

 さすがに乗客達が起き始めると、男達はガーガー喚きながら、なんとナイフを出すではないか。ぎゃー! 千時は慌ててベッドの奥へ転がり込んだ。承太郎が立ち上がる。と、後ろのベッドの花京院が、うるさいなあなんて暢気に呟き、軽く手を振った。

 ギャー、ウワー、なんだか分からない絶叫。

 男達が全員、手を挙げて、引きずられるようにドアの方へ戻っていく。

「…ハイエロさん活躍中?」

「ハーミットパープルと半分ずつ、な。俺の出番は無さそうだ」

 ものすごい大騒ぎの中、承太郎はベッドに座りなおした。代わりに花京院が通路へ出てきて、不機嫌そうに前へ歩いていく。スタンドの見えない千時には、彼が見えない壁で悪漢達を押し戻しているような眺めだ。ちょっとSF映画じみて見える。

「何の騒ぎですか」

 寝ぼけているのか、日本語だ。ジョセフが応じて、前方は英語と現地語が飛び交った。

「何がどーなってんだろね…」

「知らん。だが、バスの停まったタイミングが良すぎる。アヴドゥルに捕まった奴は、盗賊の引き込みだったんじゃあねえのか」

「引き込み! おー、鬼平に出てくるやつじゃん」

 鬼平犯科帳の中によく書かれている。従業員として店に入り込み、中から鍵を開けて盗賊を入れる役。だから引き込み。

 承太郎はちょっと驚いたようだった。

「あんなもん読むのか」

「何でも読むよ。お父さんが集めてた。でもそれよりは自分で集めた耳袋秘帖とか酔いどれ小籐次とかが好きだったかな。八州廻り桑山十兵衛はドラマが良くて…って言いながら思ったんだけど違う世界の未来の小説かもよー…!! これはジェネレーションギャップに入るのか…」

 雑多に本が好きなだけだから、鬼平がかなり古い、くらいしか知らないのだが。

「俺のところも、鬼平は親父が揃えたやつだ」

 珍しく承太郎が食いついた。

「へぇー。花の高校生がいつ読んだの?」

「この間」

「じゃあ超仲間じゃん! 私も高校の時にハマって読んでた」

「そうか」

「そういや、承太郎は相撲好きだったりするもんね。根が渋好みなんだね」

「…お前、何をどこまで知っていやがる」

「さーどうなんだろ。ほんと、実はたいして知らないんだよ」

 千時は両膝を抱えて、低い天井を見上げた。

「未来ではさ、インターネットが…わかる? 知らない? コンピューターの大規模ネットワーク。すごく発達しててさ、その仮想空間に、誰でも編集できる百科事典が作られてて」

 千時が読んだのは、ウィキペディアを始め、まとめブログや小規模ウィキ。そういうところ。だから表面をさらっと触っただけで、断片情報ばかりなのだ。

「そこに、あなた達の物語についてもまとめて書いてあるんだ。原作が百冊近くあるから、情報も多いんだよ。承太郎なんかは主人公だから、かなりいっぱい書いてある」

「薄気味悪ィぜ」

「ふははは! だよねえ、こっち側からしたらねえ。でも、鬼平の事は書いてなかったな」

 ふと、自分は一体、どんな立ち位置なのだろう、と思う。物語の渦中に居るのに、物語には居ない存在。アヴドゥルの離脱を阻止してしまった時点で、物語は大きく変わっている。あちらの世界の物語は変わったのだろうか。それとも。

 考え込んでいる内に、車外へ出ていた三人が戻ってきた。また前を覗くと、運転手が涙目で頬を押さえて入ってきたから、もしかするとバスまるごと、グルだったのかもしれない。ジョセフの言ってた三等ってこれのことか。海外ほんと怖い。

 元のベッドへ戻った千時は、本を読み始めたアヴドゥルの背中に、今度は、くっついて寝た。

 

「ポルナレフは半端ないなー」

 バスを降りて、千時が笑う。

「何だよオ、起こしてくれりゃ俺だって」

「あの騒ぎでイビキかいてた奴の言うセリフか」

「ジョースターさぁん!」

 隣のジョセフも嫌味ったらしく笑うものだから、フランス人は何とも情けない顔をしていた。

 千時が何気なく振り返って、後ろから来た花京院と承太郎を見ていると、

「あ」

 ポルナレフが声を上げ、千時の首元を触った。

「うわっ! びっくりした、何?」

「ゴミついてたぜ。取った」

「ありがとうだけど、先に一言言ってよ」

「笑ったお返しですよーだ」

「ぐぬぬ…電柱め」

「電柱言うな!」

 頭のてっぺんをグリグリやられて、…それでなくとも小さいのに縮んだらどうする! …逃げるポルナレフを追いかける。

 で、そのくだらない鬼ごっこの間に、残る四人は行き先を打ち合わせたようで、ジョセフとアヴドゥルが消えていた。

「あれ? 二人は?」

 花京院が呆れた顔をしながら答えてくれた。

「アヴドゥルは次の移動の手配に行った。ジョースターさんはその間に、ちょっと病院へね」

 日本語の通じないポルナレフがハテナとなっているのへ、承太郎が通訳し、ホスピタル? と聞き返したのが解った。

「気付かなかったような小さな傷に、菌が入って腫れたらしい」

「ありゃ。かわいそうに。でも私、いっしょに居たのに気付かなかったな」

「本人も今朝になって見つけたようだよ」

「そっか」

「正午にホテルで待ち合わせだ。僕と承太郎はこのままホテルへ向かうが、きみはどうする?」

「ついてく。…そんで移動式電柱は何しに走ってったの?」

 千時の言いぐさに二人とも噴き出して、笑いが収まるまで、少しかかった。

「奴は女を追っかけてった」

「恋する移動式電柱か…」

 悪意を込めた駄目押しに、二人はとうとう背中を向けて笑いだした。

 

 待てど暮らせど。そんな言葉を思い出す午後一時。暮らしてないけど。

「チャイはさーあ、甘すぎるね。一杯目しかおいしくない」

 千時は二杯目のカップを奥へ押しやり、ため息をついた。

「砂糖抜きにしてくれないかなぁ」

「製法が、全部煮込む、だから、どうだろうね」

 花京院が笑ってブラックコーヒーを注文してくれている間に、千時のカップはアヴドゥルの手元へ。甘い物好き、という、出典不明の情報を思い出す。どこに書いてあったんだっけ? 

 向き直った花京院は、ドライチェリーのクッキーを摘んで言った。

「しかしきみは、甘いものが好きだろう? ケーキや果物は喜んで食べるじゃあないか。チャイはダメだなんて、不思議に思えるが」

「飲み物は甘くないほうが好きなんだ。外では難しいよ。出来合いのコーヒーなんかでも、ミルクは入れたい、けど砂糖は入れたくない、けど大抵ミルク入ってると問答無用で甘いんだなコレが」

「言われてみれば確かにそうだ」

「しかも日本出ちゃうと、水が高価いからジュースばっか飲まされてるというか、余計に甘いの飲みたくないわけで」

「ああ」

「あ、そうだ、予言しよ。二〇一四年前後、我らがジョースターさんのアメリカは、甘い食べ物に甘い飲み物にジャンクフードで肥え太り、人口の三分の一が肥満という大惨事に陥っているッ!」

「本当?」

「炭酸飲料に税金かけるかってギャーギャーしてたよ」

 花京院が笑いだし、聞いていたのか承太郎もフッと唇を歪める。アヴドゥルがそれを訊ねたらしく、三人が英語で喋りだした。

 コーヒーがきて、さらに二十分。

「…ジョセフさん、そんなにひどかったのかな…」

「病院が混んでいるのかも知れない」

「あー…」

 こういう時、千時は携帯電話の有り難さを痛感する。この時代にはまだ存在しない。

「騒がしいな」

 ふと花京院は出入り口を見た。つられて顔を向けると、警察官らしき男が数名、コンシェルジュやウエイターと話し込んでいる。

 と、彼らが一斉に、こちらのテーブルを見た。

 警官がずかずかと近づいてきて、アヴドゥルが席を立つ。現地語でやりとりしている間は、日本人三人、黙って待つしかない。やがてアヴドゥルが、ワッツ!? と驚愕し、慌てた様子で振り返って早口に英語をまくしたてた。ジョースター、と言った気がする。

「な、何てことだ!」

「ジジイ…何をしてやがる」

 苦々しそうに承太郎が吐き捨てた。

「どうしたの?」

「医者を殺して指名手配された、と」

「ハァ!?」

 …席を立って、立ってから、あれ? と違和感。

 なんかこんなの、無かったっけ? 

「ああああああぁぁぁぁあぁあああーッッ!!」

 椅子を後ろへ蹴倒し、千時は叫んだ。

「ジョセフさん襲われてるわ!! あれ傷じゃない! スタンドが腕にくっついてんの!!」

「何だと!?」

「ポルナレフ! ポルナレフが口説いてる女が本体だった!!」

「何ィーッ!?」

「またあいつか!!」

「探せ!!」

 四人同時に全力ダッシュで、電柱探しが始まった。

 

 結局、ジョセフは自分でスタンドを倒しきり、ポルナレフは目の前で女が爆発するという惨事…皆に言わせりゃ自業自得…に見舞われた。

 全員で落ち合ってから財団に連絡を取り、事後処理を頼んだが、…お国事情だなあ…手配が撤回されるのに少なくとも数日はかかるそうで、ホテルから宿泊を拒否されてしまった。

 町外れまで避難してきて、どうにか一息。

「ごめんなさい、ほんとゴメン、言っとけばよかった…」

 敵スタンドとジョセフが襲われることは、日本で思い出した時にメモしていた。ただ、いつどこで、を全然おぼえておらず、そのまま忘れちゃっていたのだ。

「仕方がないさ。誰もお前さんが万能だなんて思っちゃいない。気にするな」

 ジョセフが、千時を撫でようとして義手が壊れているのを思い出し、引っ込めるのがまた申し訳ない。千時は、落ち込むポルナレフの隣に同じポーズで座って、思う存分、落ち込んだ。アヴドゥルが戻ってきて投げた車のキーがポルナレフの頭に刺さったのには、さすがに笑ったけれども。

 

 

 大型の四輪駆動は、多少の悪路などものともしない。

 指名手配の関係と時刻を考え、デリーには寄らずパキスタンへ直行することとなった。

 もうすぐ国境です、と、助手席の花京院が地図を見ながら言う。

 千時は、知らないはずの英単語がいつの間にかすんなり解るようになっているのが、睡眠学習法みたいだなあと思った。いや実際にそれをやった事はないのだが、方法論としては同じなんじゃないだろうか。

 三列シートの一番後ろで、アヴドゥルが貸してくれたローブにくるまり、そんな事を考える。

 外は風がなければ良い陽気だが、窓の開いた車内は吹き込む風で寒い。正確に言うと、男どもには丁度よく、女子には寒い。どこでも起きる現象で、夏のクーラーの設定温度問題によくある。

 エジプト人は風邪でも引いたかと心配していたが、事情を説明した途端、ああ小動物は体温が下がりやすいと聞いたことがある、などと、全女性に謝れ発言をかましてくれた。ローブ貸してくれるから怒らないけれども。

 道が狭くなってきたな、とポルナレフがボヤき始めた頃だった。

 ふと見た前方から、赤い車が下がってくる。…ように見えた。そうではなく、赤い車のスピードが遅くて、こちらが追いついてしまったのだ。

 遅いくせに立つ砂煙が、開けていたこちらの窓に吹き込む。

「ここか…?」

 千時は呟いて前の座席へ身を乗り出した。

「どうした」

「んー、ちょっと」

 訝しげな承太郎に、まだ答えず、目を凝らす。間違えて教えたら、一般人がケチョンケチョンにされてしまうかもしれないからだ。

 と、ポルナレフが早口に何かまくし立て、車がグンと加速した。

「うわ!」

 バランスを崩して反対側のジョセフの上に倒れ込んだ拍子、手が触れた。

「ポルナレフ、荒っぽいぞ!」

「へへへへ! さすが四輪駆動よのう!」

 腹立たしげな花京院と、ご機嫌なポルナレフの会話が聞こえ、疑念が濃くなる。

「おい、大丈夫か」

 ジョセフに覗き込まれて、千時は、ちょっと迷ったが、そのまま座席の間にしゃがんだ。

「ちょっと手、繋いでてくれる?」

「ああ、そりゃかまわんが、そんなところで…。おじーちゃんのお膝に座るか?」

「隣の孫に言ってあげたら?」

「冗談じゃねえ」

 ちゃんと答える承太郎に笑いながらも、頭はきょろきょろ、後ろと前を確認する。

「おい、今、小石はねとばしてぶつけたんじゃあないのか」

 ジョセフは、運転席のポルナレフに声をかけた。

「さー。かもな」

「事故やトラブルは今、困るぞ。ベナレスの一件で、追われる身だからのう。無事国境を越えたいわい」

「だーいじょうぶだってぇ」

 軽い調子のポルナレフだが、今のように余計な事が無ければ、普通の運転だ。しばらくそのまま、千時は後ろを見ていた。

「後ろが気になるのか?」

 何かを察したのか、アヴドゥルが、リアグラスが見えるよう体をよける。

「ちょっとね」

 追いついてきて、煽ってきて、仕掛けてきたらヤツだ。少しそのまま待っていると、やはり、急に赤い車が追いついてきた。気付いた承太郎が、不審げに見遣る。

「さっき追い越した車だ。急いでいるようだぜ」

「先に行かせてやりなさい」

 ジョセフが運転席に言うと、ポルナレフは窓を開けてハンドサインを出した。赤い車が前へ出る。

「おいおい! どういうつもりだ」

 ポルナレフがボヤくのも無理はない。赤い車は速度を落とし、こちらを邪魔するように、下がってくる。

「譲ってやったんだから、どんどん先行けよ!」

「きみがさっき荒っぽいことをやったから、怒ったんじゃあないですか」

 花京院はすっかり呆れた様子だ。

 が、承太郎のほうは、運転席へ身を乗り出した。

「ポルナレフ、運転していた奴の顔は見たか」

「いや、窓が埃まみれのせいか、見えなかったぜ」

「お前もか。…まさか」

「はいそのまさか」

 千時はポルナレフに倣って軽い調子で言った。

 全員が一斉に千時を見る。

「おいおいおい! ポルナレフは前見てなさいよ!」

「おっと、悪ィ悪ィ。急に変なこと言うから」

「変なこっちゃない。あの赤い車は敵スタンド。今の会話がデジャビュだった」

 ニンマリしながら、確信を告げる。承太郎が返すようにニヤリとした。

「テメエの様子がおかしいから、もしやと思えば」

「さっすが主人公」

「どんなスタンドだ」

 千時は全員をぐるりと見回した。

「このエピソードはよく覚えてる。説明するから今はこのまま、挑発に乗らないで。仕掛けると一般車両を巻き込んじゃう。相手は車自体がスタンドで、本体は中に乗ってる。この先、休憩できるお店があるから、そこで一旦停まって」

「分かった」

 ポルナレフは速度を落とし、車間距離を空けた。前の車は焦れたように何度か挑発してきたが、全員、黙って凝視していると、やがて先へ行った。直後、カーブで大型トラックとすれ違う。誰かが安堵のため息をこぼす中、赤い車を充分に見送って、スピードを戻す。

 しばらくのろのろと進んだ先で、ポルナレフが前方を覗いた。

「これかぁ?」

「多分そうじゃな。小さい茶屋がある」

 駐車場なんてものは無い。手前のスペースで適当に車を停め、全員、その場で集まる。千時は例によってジョセフと手を繋ぎ、一行を見上げた。

「とりあえず、私とアヴさんはここでお留守番」

「えっ」

 アヴドゥルが目を丸くする。千時は、空いた方の手を、褐色の手と繋いだ。

「珍しくアヴさんの天敵なんだよ。ガソリン飛ばして抉ってくんの。うっかりマジシャンズレッドかましたら、こっちが引火する」

「そりゃおっかねえな。味方に火だるまにされちゃたまんねえ」

 ふざけるポルナレフをアヴドゥルが睨む。千時は首を横に振った。

「アヴさんが居なくても、自分の電気系統ショートさせて着火してくるよ。ポルナレフ、あんた、ふざけてたら二度目の火だるまだからね」

 これは嘘。たしか火だるまになりかけたのは承太郎。

「わ、分かった分かった、気をつけるって」

「皆もね。一番気をつけてほしいのはそこだから。さてジョセフさん、この車、ワイヤー付いてる?」

「ん? 付いとるぞ」

「じゃ、ハイエロファントで敵にワイヤー引っかけて、ポルナレフがブレーキ一杯踏んばって、スタープラチナでひっくり返して腹にパンチでいけると思う。もし失敗しても、フック外して崖から落とせば、敵が勝手にボディ変えてトゲでのぼってくる。とにかく腹出す瞬間待ってブチこめばオーケー」

「チトキは怖ェなあ。なんだよ、このショカツリョーコーメー!」

 ポルナレフが、あながち冗談でもなさそうに、自分の両腕をさすった。

「お前が敵だったら、勝てる気がしねえわ」

「ぬはははは! 安心せい、チャリオッツの弱点は知らん!」

「そ、そうか」

「でもポルナレフの弱点はわりと分かる」

「うええぇぇー!? やめてくれよォー!!」

「いやさぁ、このスタンド、正体だけ解ってたらすごい簡単だったろーなと思ったから覚えてたんだよね。車と一体化してるからワイヤーかかるし、本体は慢心しててあんまし頭良くなさそーだし」

「言うねえ」

「言うよ。みんなガソリンて分かんないで、結構ケガしてたもん」

 気をつけて、を再々繰り返している内に、ひょいとよそ見をしたジョセフが声を上げた。

「おい! 言ってるそばから向こうに停まっとるぞ!」

 赤い車の運転席からは、太い腕が覗いて、チョイチョイとこちらを呼んでいる。

 花京院がフッと鼻で笑った。

「バレている事も知らずに、哀れなヤツだ」

「カモがネギ背負って来てんだ。存分に料理してやるってもんさ」

 機嫌良く言うのは承太郎。

「よーっしゃ! ブレーキ一杯な!」

 ポルナレフは肩を回して運転席へ。承太郎は、おそらく射程距離が短いことを考慮したのだろう、助手席に乗り込む。花京院は一度、車のボンネット下を見てフックの位置を確認してから、後部座席に。

「千時、わしは?」

「今回はどっちでも。アニメじゃイイトコ無しだった」

「オーッノーッ! このベテランに見せ場無しじゃと!? スタッフに苦情を入れてやらねば!」

 千時はケラケラ笑って、繋いだ手を揺らした。

 戦闘チームはそもそもジョセフを乗せる気が無かったようで、そのまま走り出し、赤い車を追っていく。

「そういうことなら、のんびり待ちましょう」

 アヴドゥルに促され、三人、手を繋いだまま小さな店へ入った。

 人の良さそうな店主が、ひょろ長い植物を手回しのジューサーにかけていて、ジョセフが覗き込む。

「それは何だね?」

「サトウキビジュースだよ。飲んでみるかい?」

「ああ。それじゃ三つ頼む」

 ティータイムならぬジュースタイム。

 千時がジョセフからコップを渡された時、店主は彼女に気付くとニコニコして、おまけにキャンディをくれた。あやっぱ子供連れとか思われてる。余計な事は言わずに、センキュー、と笑っておいた。

 

「パキスタン方面へ向かう道かと思ったら、真逆の方向へ誘導されました。地図では鉄道と平行して走るはずなのに、吊り橋の掛かった崖で行き止まりになっていて」

「そうそう。そこで戦ってた」

「ほら、これだ。へし折られた看板。帰りに直そうとしたんだが、中ほどでボキッといってしまってね」

「あーあー…」

 だいぶ背の低くなった看板を見下ろしながら、Y字路をパキスタン方面へ。

 無事、元の車で戻ってきた三人を出迎え、休憩を挟んでから出発した。延々と悪路を進み、やがてまた、崖沿いの道になる。

 千時は窓から覗いた道幅にヒヤリとして、できるだけ車内の方へ視線をやった。小さく小さく、鼻歌なんか歌ってごまかす。

「急にどうした」

 承太郎が振り返ってしまって、へへへと所在無く笑う。

「ほんのちょびーっ…と、高所恐怖症気味で。こういう、ガードレールとか安全柵が無い高いとこ、足がソワソワすんだよねえ」

 こればっかりは特に打つ手が無い。バレたので音量を気にせず歌いだしたら、花京院が一緒に歌い出すから驚いた。まあでも、スカボローフェアは有名か。ポルナレフも、ソレ知ってるタイトル何だっけ、なんて言い出して歌談義が始まり、古今東西、有名歌曲が列挙されたが、最終的に全員が知っていたのはユーアーマイサンシャインのサビ、という安直なところに落ち着いた。

「ひどい霧だな」

 ふと花京院が言って、全員、外を見る。千時はフロントグラス越しに前方を覗いた。同じ崖でも、遠ければ怖くない。

「…ほんとだ…。谷から吹き出してるみたい…」

 ひどい濃霧は陽光さえ遮っているのか、段々とあたりが薄暗くなっていった。

 千時は十年も前にしたトレッキングで、山の谷間から雲が押し寄せてくる光景を見たことがある。陽も陰ったが、あれはこんなに不気味な色をしていなかった。

 ジョセフが腕時計を見、千時の手を掴んで丁度、運転席のポルナレフがうめいた。

「こりゃちょっと危険だぜ。道が見え辛くなってきやがる」

「うむ。まだ3時だが、大事を取って下の町に降りよう。…どうした、承太郎」

「いや」

 承太郎は窓の外を、まるで射抜こうとでもするように凝視している。

 誰とも無く黙ったまま、車は崖沿いの道をゆっくりと下った。

 千時はアヴドゥルにローブを返し、バッグの奥に詰め込んでいたパーカーを、四苦八苦で引っ張りだした。

 何となく、嫌な予感がした。

 


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