スターダストテイル   作:米俵一俵

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6.偽者はカブトムシを食べたか

 午後三時の空が、突き抜けるように明るい。

「シンガポールって、あったかいんだなあ」

 年間気温がほとんど変動しないのだそうで、だいたい暖か、ちょっと動くと暑い。

「お前さん、よく寝とったのお。目が溶けちゃおらんか」

「あはは。なんかここまで、自分で思うより緊張してたみたい」

 観光客に紛れて歩く内、ジョセフと繋いだ手が汗ばんだ。

 千時は半日以上乗っていた船で、ほとんど寝ていた。だもんで、他の面々が少し疲れた顔をしている中、一人元気だ。千時にとっては大活躍だった花京院も、寝ているとばかり思っていたが、ジョセフは彼が逆にほとんど起きていたと言った。ということは、このおじいちゃんも起きていたのだろう。

「皆は寝られなかったんだね」

「まあな。戦闘続きで、神経が高ぶっとったんじゃろう」

 港からの車を降りたのが少し手前の繁華街で、目的地はホテル。飛行機でジョセフが、今夜のベッドはふっかふかだぞと言って、一行を励ましていた所だ。

「おーい。ここじゃー」

「うっひょー! マジか!!」

 既にロータリーの前からポルナレフは大喜び。

 ロビーへ入ると、きらびやかで豪奢なそこに千時もちょっとテンションが上がった。ジョセフがフロントへ行った隙、壁に飾られた絵画を見たり、天井のシャンデリアを見上げてポカンと口を開けてみたり。いつの間にか隣に来ていたポルナレフと、柔らかすぎて体の埋まるソファに座って笑ってみたり。

 お開きは、花京院がポルナレフの頭にチョップを入れ、承太郎が千時の襟首を後ろから引っ掴んで連行の上、呆れ返った顔のアヴドゥルによくわからない説教をされながら、ジョセフのところへ持って行かれた。

「あのなあ、遊びに来とるんじゃないんだぞ」

「わーってるってぇ! 固いこと言いなさんな。なーチトキ?」

 ポルナレフは浮かれた調子だが、さすがに千時は謝った。大人げなかったよね、うん。でも超豪華なんだもん。

「部屋はダブルが二部屋とシングル二部屋。とりあえず、ほれ」

「ありがとう」

 これ以上怒られないように、ジョセフが寄越したキーをさっと受け取る。

「わしらは進路の相談があるから、アヴドゥルと一部屋にするが」

「では、学生は学生同士ということで」

「そりゃいいや。俺は一人が良い。やっとまともなベッドにありついたぜ」

 あっさり決まったその会話。

 ふと、千時は胸騒ぎを覚えた。どこかで似た会話を聞いた気がする。

「さ、各自荷物を運びなさい。少ないからポーターは使わないぞ」

 アヴドゥルが言って、一同が動き出す。

「チトキの荷物はこれか」

「ん? うん」

 ショルダーバッグ一つだ。

「運んでやろう」

「えっいいのに…、ありがとう、アヴドゥルさん」

「アヴさん、でかまわんぞ」

「そう?」

 千時は笑って、だが、次の瞬間、

「あーッ!!」

 素っ頓狂な大声をあげた。

「なっ、なんだ!?」

「どうした? まずかったか?」

 ジョセフとアヴドゥルが目を丸くしたがそれどころじゃない、ポルナレフがもうエレベーターの前に居て思わずダッシュ。

「ポルナレフ! ストップストップ!! ウェーイトッ!!」

 ロビー中の注目を浴びてしまったのは分かっていたが、思い出したのだから仕方ない。振り返ったポルナレフの手を掴み、追いかけてくる四人の方へ戻って、反対の手でジョセフの手を掴んだ。…で、なんとなくこう、周囲のお客さんやコンシェルジュが、なんだぁ子供かぁみたいな生温い目で睨んだり微笑んだりするから、顔を真っ赤にするしかなかった。

「どうした」

 承太郎が壁際へと促し、エレベーターホールの隅に寄ってから、千時は面々を見上げた。

「急にごめん、今思い出した。部屋に変な人形が置きっぱになってたら敵スタンド」

「何っ」

 誰ともつかぬうめきが混じる。

「ここかどうか忘れちゃったんだけど、ちゃんとしたホテルで、ポルナレフが一人部屋の時に襲われる」

 ポルナレフを見上げたが、すぐに目をそらす。例の、恐ろしいような目をしていた。前回のように竦みあがるほどではないが、普段とのギャップのせいか、苦手な顔だ。

「どんな能力で、本体は誰だ」

「忘れた。人形の姿をしたスタンドってだけしか」

「そうか。まあいいさ、それだけでも分かってりゃ、充分警戒できる」

 ガシガシと頭を撫でられ、もう一度見上げたが、そこにはいつものポルナレフが居る。

 ほっとしながら、次に、花京院を見た。

「あと、ポルナレフが襲われるのとどっちが先だかも覚えてないんだけど、どっかでノリさんの偽物が来るよ」

「僕の偽物?」

「そう。敵がノリさんに化けて来る。見た目じゃ見分けはつかない。物語では、承太郎が騙されてたくらいだから」

 フン、と承太郎が息を吐いた。

「でも言動がおかしいから、これ花京院じゃないなと思ったらそれで正解だと思う。…明らかにおかしかったもん」

 一度思い出すと、おかしなもので、ポンポンと出てきた。カブトムシ食べてたけどアレ、リアルにやるんだろうか、なんて笑えてくる。皆が真剣なので、どうにか堪える。

「どっちも細かく覚えてない。順番と場所も覚えてないし、この手前の海上で漂流するはずだった日数を短縮してきてるから、ホテルじゃないところにズレコむかも…。まあ、もう少し遅いはずだったオランウータンが偽船長のあとすぐに現れてるし、何とも言えないけどね。とにかく気をつけて」

「分かった。だが、対策としてはどうするべきでしょうか」

 花京院がジョセフ達を見る。

「まず出来ることは、一人にならんことだな」

「まいったもんだぜ。せっかくゆっくり寝られると思ったのによぉ」

「少なくとも、みんなはお互い、部屋が安全かどうか複数で確かめたほうが良いよ」

 言って千時はアヴドゥルから荷物を受け取り、念のため、別のエレベーターで上がることにした。

「あとでどうだか内線ちょうだい」

「ああ」

 先にどうぞと言われて、閉まるドアから手を振った。

 エレベーターの中も、すれ違う廊下も、周りは外国人ばかり…いや今は千時の方が外国人だ。ちょっと心細い。部屋にさえ着いてしまえばと、絨毯敷きの廊下を早足にたどり着く。

 キーを開け、踏み行ってしまってから、千時は凍り付いた。

 咄嗟に部屋を逃げ出した時、背中を撫でられるような感覚があったが、構う余裕もなく全力で廊下を駆け戻る。背後で誰か女性の、キャーッという悲鳴が聞こえた。エレベーターのボタンを押してから、まだどれもすぐには来ない事に気付き、階段を探して走り出す。ここでようやく、背中の痛みに気付いた。なんだろう、何をされたのか、酷く痛むが分からない。とにかく逃げなければ。たしかジョセフが取った部屋はすべて、上の数階に分散していたはずだ。階段を駆け上がって、だが、エレベーターが来ていないということは、まだ誰も居ないという事だと思い当たる。

「一〇一〇号か一〇一二号…どこだっけどこだっけ…」

 呪文のように独り言を言いながら案内板を確かめ、引き攣れるような痛みをゴマかしゴマかし、必死に走る。

 部屋の番号を見つけてその場に止まり、振り返って廊下を凝視した。他に体勢のとりようも無いからだが、見えるわけではない。人形がスタンドだとしたら、自分には見えないはずだ…違う、正確には、あの人形が客船のように可視タイプのスタンドだったのかどうかが分からない。

 だが、アレが居たのは確かだ。入った瞬間、サイドボードに飲み物や何かが山積みになっていた。たぶん、冷蔵庫の中身が。そんな予兆、すっかり忘れていたのだが、見た瞬間のデジャヴュには総毛立った。

「誰か来て、早く早く…」

 スタンドが追ってきていたなら、きっともうここで死んでいる。そう思い当たった頃、ようやく、血を辿ったのか階段の方から二人が走ってきて、千時はへたり込んだ。

「何があったんじゃ!?」

「血が出ているぞ! どこをやられた!?」

 駆けつけたのはジョセフとアヴドゥルで、千時はまるで荷物のようにひょいと部屋の中へ運び込まれた。

 千時はというと、安心したせいで背中の痛みが増してしまい、少しの間、返事が出来なかった。

「血塗れじゃないか」

「これは…、背中か?」

 ベッドの上でどうにもならなくなった千時を、二人は裏に表にひっくり返し、うつ伏せにしてシャツをめくった。彼女は分かっていなかったが、背中には右肩から左脇腹へ向かって一直線の傷が走り、遮二無二走ったせいでシャツは全面真っ赤に染まっていた。

 アヴドゥルがタオルで傷の血を拭い、ジョセフが背中に手を当てて、治療が始まった。

 

 バタン、とドアの開閉音がして、千時は目を開けた。

「お。気付いたか」

 笑うジョセフを見て青褪める。

「敵は? みんなは? 無事? たぶん人形の…」

「奴は倒した」

 承太郎がベッドに腰掛け、足を組む。

「傷はどうだ」

「…あれ? あんま痛くない。何がどうなった?」

「すまん」

 ジョセフが固い声音でそう言い、ここな、と、直線を指でなぞって教えてくれた。

「幸い、浅い傷じゃったからすぐに塞いだが、痕は…しばらく残るじゃろう」

「そっか。良かった。治してくれてありがとう」

 本当にどうでもよかった。スタンドに一人で遭遇して、生きているだけで奇跡だ。

 …が、承太郎には不満だったらしい。

「続きは紙にでも書いて、日本へ帰れ」

「え」

「そうだな。賛成だ」

 花京院がそばに立つ。その後ろでポルナレフも頷いている。

 否定したのはジョセフだった。

「今はいかん。さっきの敵が外部に連絡を取っていたとしたら、この子が情報を持っている事がバレたかもしれん。わしらから離すのは余計に危険だ」

「ロビーで話して、俺達が倒すまでのこの短時間で、連絡だと?」

 できるわけがない。承太郎が反論する。

「可能性は否定できんぞ。あちらには、魔女と噂の者も荷担しているらしい」

「いやあ、承太郎に賛成だな。俺が廊下へ出てすぐ串刺しだぜ? 生きてるわけもねえしよ」

「そうですよ。あった時間は精々5分だ」

 アヴドゥルとポルナレフが口論になり、花京院が加勢する。

 承太郎とジョセフもやり合いはじめて手が離れ、言葉も分からなくなった。

「待って待ってストップ聞いてプリーズ!!」

 日本語混じりで叫びながら血塗れガビガビのシャツを引き下ろし、

「アイムソーソーリーベリーマッチッ!!」

 カタカナ叫んで土下座。

 なんかめちゃくちゃだったけれども、気持ちが先だ。

 案の定、全員が黙った。その沈黙を確認した瞬間、頭を上げてジョセフの手を引っ掴む。

「足ひっぱってごめん! 心配してくれてありがとう! けど何をどう議論してくれても私、まず帰るとこが無いから!!」

 …うおお…しまった…。

 あまりの空気の重さに、千時はさっそく後悔した。

 

 下の階は結局、封鎖の憂き目となってしまった。

 千時が振りまいた血と、例のスタンドが廊下で惨殺したカップルの遺体があり、さらに承太郎達がスタンドを倒したことで死んだ本体が、冷蔵庫から這いだしたところで転がっていたからである。

 変質者が潜んでいたという事になり、まったくとばっちりのホテル側は何も知らずに平謝り。ジョセフが要求するまま、部屋をもう一つ用意してくれた。

「わーい! ラッキー! 最上階のスイートとか泊まったことない! 寝ちゃうのもったいないよー!」

「相手がおじいちゃんで悪いのお」

「むしろ良いよ! 彼氏なんかだったら気ィ使うじゃん!」

「若いのにドライすぎる!」

 微妙な空気の面々をおいて、千時だけは大喜びとなった。

 

 

 翌日、朝食の席で、その日の打ち合わせがあった。

 財団の連絡役が来るため、ジョセフはホテルに居残り。一人にしないため、アヴドゥルが同席する。

 次に目指す大都市はインドのカルカッタだそうで、まずは隣国マレーシアを通る長距離列車の手配を、花京院が買って出た。なんでも、幼い頃から年に二度は海外旅行に連れ出されていたそうで、英語が通じれば大体わかるとのこと。頼もしい限りである。

 観光じゃないなら切符買いになんて行きたくないとブーたれたポルナレフは、ならホテルで缶詰だとアヴドゥルに言われてさらに文句を言い募ったが、結局、席の近くを通った美人に流し目を貰ったもんだから、鼻の下をのばして黙った。

 最後に、お前さんはこっちで寝とるか、と訊ねられた千時は、笑顔で答えた。

「ヒマだからついてく」

 正直言って、背中の傷は割と痛い。昨日は脳内麻薬でも出ていたのだろうが、一晩寝て落ち着いた途端、ジクジクとしている。

 それでも行くと決めたのは、傷の具合を知っているジョセフと、日本へ追い返そうとまでした承太郎が、同じ表情を浮かべていたからだ。

 そういう時、二人の目は、よく似ている。

 

 景色を見たり、店をひやかしたりしながら、ゆっくり歩いて25分。

「今日の便はもう出発していたよ。明日の午前から先で取ってきた」

 窓口から戻ってきた花京院は、大量のチケットを見せた。あもうこれ絶対わかんない。差し出されても、千時は曖昧に笑って、受け取らなかっ…いや正直に。どれが何だか分からないので、受け取れなかった。いいんだ、歩く荷物としてジョースターさんに付いてくから。

 シンガポール駅からマレーシアのジョホールバル経由で、半島中央を通る高速鉄道を使いコタバル方面を通過する、までは半島の地図を見ながらどうにか千時にも追えた。が、ハジャイ乗り換えトラン下車、プーケットの港から船でミャンマーに寄港するんじゃないかなとか何とか、矢継ぎ早に言われて、ああうんプーケット聞いたことあるな…と目が泳ぐ。ミャンマーって、国か。どこだっけか。たぶん乗り換えで置いて行かれたら、五十日どころか五十年の迷子確定だ。なんかほら、世界が仰天的なニュースバラエティでやってたじゃん、迷子になっておばーちゃんになるまで家がわかんなかった話とか。うわ。ディオにあっさり殺られるより、よっぽど大変かもしれない。

 とりあえず、今日は残り半日ヒマになったってことだなあ、と現実逃避しておく。

 それを見越したわけでもあるまいが、花京院は旅慣れしていると自分で言うだけあって、さすが、手回しの良い話を拾ってきていた。

「時間がだいぶ余ってしまったから、よければ観光しないか。セントーサという離島に、ケーブルカーが出ているそうだよ」

「へー! そういうの、飛騨の高山でロープウェイに乗ったきりだなー」

「乗る機会があまり無いだろう?」

「無いね。それに、ちょっとアトラクションじみてるよね。景色とか」

「そうそう」

 言い合って、二人同時にもう一人を見る。

 承太郎は、ジジイに言っとけ、と、公衆電話を指さした。

 千時が電話する間に、花京院がチケット売場へもう一度。承太郎は間に立って、二人から目を離さないように。

 ケーブルカーの乗り場へは、電車でハーバーフロントという駅へ向かう。途中で一度乗り換えだが、数駅だからすぐだ。

 改札を出たところで、場所を確認しようと案内図を見ていた時だった。

 ポンと肩を叩かれて、千時は振り返った。

「ポルナレフ!」

 ヘェーイ! ボンジュー! 立っていたのはポルナレフだった。

 ぺらぺらと早口で英語を話しだし、承太郎と花京院が言葉を交わす。見上げていると、花京院が気付いてくれた。

「ホテルの彼女にフられたから、退屈で追いかけてきたってさ」

「あらまあ」

 さもありなん、この男なら。

 一行は苦笑しつつ窓口を探し、もう一枚、ケーブルカーのチケットを買った。

 するとそこで、承太郎が急なことを言い出した。

「ついでに、この駅のあたりも見てまわる」

 返事は聞く気が無いようで、勝手に歩き出す。

「私はいいけど」

「僕もかまわないよ」

 顔を見合わせ、ついていく。勿論、ポルナレフもだ。

 千時はやはりまだ英語が分からない。ジョセフを通じて話すことで学習速度はかなり上がったようなのだが、それも聞き取りばかりで、口からは出ない。つまり、彼らの会話に入れない。

 三人は、何故かひっきりなしに喋っている。承太郎など、英語のほうが日本語より達者なのかと思うほどだ。

 ホーカーと呼ばれる屋台で、名物だというウォーターメロンジュースを買って、飲み歩きながら桟橋を散歩した。遊歩道から上を見上げると、高いビルの上でケーブルが二本、空へ直線を描いて、ゴンドラをトコトコ運んでいく。

 ぐるりと一回りして駅へ戻ったが、三人が会話に忙しそうで、千時は黙ったままくっついて歩いた。そういうのは、別に苦でもなんでもない。むしろ、優柔不断なので、どこがいいとか何がいいとか聞かれずについていくだけなのは、ありがたいくらいだ。困るのは、置いて行かれて迷子のコースだけ。

 いつのまにか駅へと戻り、ケーブルカー乗り場へ入って、順に乗り込む。千時はずっと後ろをついて歩いていたから、最後だった。

 中へ入ろうと、した瞬間、

「ホテルへ帰ってろ」

 承太郎の大きな手が、千時を押し戻した。

 えっ、と聞き返す間も無くゴンドラの扉が閉まる。

「え、ちょっ…帰れってそんな無茶な、一人で!?」

 慌てふためいていると、係員らしき人が来てくれたが、知らない言葉を話されてもパニックに拍車がかかるだけだ。

 遠ざかるゴンドラのガラス越しに、花京院がちらっと振り返って、ようやく、千時はその意味を理解した。散策していたさっきとは打って変わって、花京院の横顔はこの上なく険しい。

「しまったぁー…ッ!!」

 敵だ。

 こちらが花京院と離れる隙を作らなかったせいで、敵は、花京院でなくポルナレフに化けたのだ。千時は英語がBGM状態だから、景色に気を取られていて、何も気付かなかった。彼らが散々しゃべっていたのは、おそらく、正体を確かめていたのだろう。

 敵が、二人を相手取ってもかまわないと判断し、仕掛けてくる技量だとすると。

「電話電話! ウェアイズザフォン!?」

 フォン? テレフォン? ゼア、と簡素な英語くらいならパニック中でもどうにか! 係員の指さしたところは、すぐ背後だった。

 ホテルの番号を回し、部屋番号とジョセフ・ジョースターの名を頼む。繋がるなり、返事も待たずに千時はまくし立てた。

「承太郎と花京院が敵とケーブルカー乗っちゃった!!」

 電話の向こうで少し沈黙があってから、アヴドゥルの、ウェイト、という一言。アヴドゥルは日本語が分からない。

「んあああああーっ! まだるっこしい!!」

 地団太踏んでいる間に、どうした、とジョセフが代わって、千時は同じセリフを繰り返した。

「承太郎と花京院が敵とケーブルカー乗っちゃったの、今ハーバーフロント出ちゃったとこ、どうしよう、誰か来れる? 敵がポルナレフに化けてたの! 花京院と離れなかったから!」

 思わずアニメを見ていた時のノリで呼び捨てたが、些細なことには気付く余裕もなく、彼女は頭を抱えた。

 

 ジョセフ達は車でこちらへ向かうと言ってくれた。が、数駅はある。千時は駅を飛び出し、迷子覚悟でケーブルを見上げながら辿り、水辺まで出た。ちょうど道路に面しているから、いずれジョセフ達が来るはずだ。

 偽花京院と結びつかなかったのだが、ケーブルカーでのバトルがあった事は思い出した。なぜだか水ボチャして、承太郎が排水口の近くでごちゃごちゃしていたような覚えがある。

「あーもー! なんで覚えてなかったんだよー!!」

 …そりゃ、ぼんやり見てた半年前のアニメだしなあ…。自問に、冷静な自分が自答。

 歩き回って三十分後、ようやく、びしょ濡れの承太郎と花京院を見つけられた。こっちは緊張でガチガチになりながら捜し当てたというのに、水路端で学ランを絞っている姿は、歳相応にふざけて悪ノリで落ちたと言っても通用しそうで、妙にのどかな眺めだった。

「やっかいな相手だったぜ」

 しかし承太郎が言うくらいだから、その足もとにひっくり返った顔ボコボコの何者かは、よっぽどだったのだろう。

「テメェは両右手のJ・ガイルという奴を知っているのか」

「えっ」

 なぜ承太郎がそれを? 逆に問い返そうとしたが、それを花京院が遮り、足もとの男を指さした。

「こいつが吐いたんだ。ポルナレフの妹を殺した犯人だと」

「あー…」

 そんなシーン全然おぼえてない。

 だが、ポルナレフの一件は。

「知ってる…というか覚えてる。わりとこまかく。だから、あなた達からは話さないで」

「何故?」

「えーと…ちょっと待ってねー…」

 目を閉じて考える。どう伝えればいいやら考えがまとまっていないのだ。特に、アヴドゥルが死にかける云々という点が判ってしまうと、そこに重点が移って段取りが狂い、別の誰かが本当に死んだりしかねない。

「私もどう話せばいいか決まってないからアレなんだけど、とりあえず、下手に話したらあの人、一人でとんでっちゃうから。もうちょっと先まで考えて話さないとと思って。私から話したい」

 高校生二人は目を交わし、頷きあった。

「きみに任せるよ」

「ありがとう」

 それから花京院は、唐突にため息をついた。

「彼に話した時には教えてくれ。僕は、謝らなければいけないからね」

「何を?」

「疑ったことをさ」

「あーそこか」

 千時は笑った。本当に高校生かね、この分別ついた子供達。

「よっぽど気になるなら好きに謝ったらいいけど、ノリさんが納得したならそれだけで大丈夫だよ。あの人はそういうの気にしない。よけいなこと蒸し返すよりは、手を貸してあげて」

「そうか。きみの助言には従おう。何度も助けられているからな」

「いや全然。むしろごめんね、偉そうな事言っといて、あんま役に立たなくて」

「役に立たないだと?」

 承太郎が割って入った。

 花京院も大仰に頷く。

「何を謝る。偽物が現れると聞いていたから、すぐに気付けたんだぞ」

「自分を卑下しすぎる奴ぁウゼえ。ついてくるつもりなら、テメエはもっと胸を張れ」

 いやこれ以上ムダに大きな胸を強調したくないんだけど…なんて言ったら、高校生にはかわいそうか。千時は素直に頷いた。

「わかった。ありがとう」

「但し」

 承太郎は例のごとく、帽子の鍔を引き下げた。

「途中でやめたくなった時は、かまわねえから俺のうちへ帰れ。お袋の世話でもしてりゃいい」

 千時は目を丸くした。

 昨日のことを、あんな、口論を止めるために言った言葉を気にしていたのか。この十七歳は。

「…うん。じゃあ、やめたくなったらそうする」

 戻る気などこれっぽっちもないけれど、その言葉は、この上なく心強い。嬉しくて、ふへへ、と、だらしない笑いがこぼれる。

 千時は、結局乗らなかったケーブルカーのチケットの半券を、記念にとっておこうと決めた。

 

 

 翌日の列車でジョセフに、この先はどうなんだ、と訊ねられたが、千時は首を横に振った。鉄道と海路はしばらく敵襲が無い事だけ告げて、他をもう少し待ってほしいと正直に頼んだ。

 通路を挟んで隣に座ったポルナレフの、いっそ芸術的と思えるほどきれいに逆立てられた謎のシルバーブロンド。それを視界の端に入れながら、長い時間、考えることに費やした。

 危険を避けて例の敵を討つには? …いやまあちょっと脱線して、あの電柱どうやって作るんだろうとか、さらに脱線して隣のアヴドゥルの髪型作るの何時間かかるんだろとかも、考えたけれども。

 そのうち寝入ってしまい、気付いたらアヴドゥルのローブで簀巻き状態にされていたのには焦った。ちなみに、エジプトの占星術師は、ものすごくエキゾチックなお香の匂いがする。良い匂いなのだが、電車で嗅ぐとものすごく酔うことが、その日、判明した。

 

 夜にトランへ到着し、そこでリゾートコテージ一つに六人ぎゅうぎゅう詰めで一泊。

 翌早朝、プーケットへと乗り合いバスで移動。これもぎゅうぎゅう。

 このあとの船までぎゅうぎゅうだったらどうしよう、アヴさんのローブより酔うよ、なんて心配をしていたら、これは財団の手配したクルーザーだった。良かった。

 

 

 ああー…。前回のクルーザーでも同じこと思ったなあ…。

 なんて途方に暮れつつ、懸命に手を動かす。

 やはり念のため、敵の強襲を警戒して、クルーが最低限に絞られている。前回、コックを引き受けたからか、今回は訊かれもせず千時が担当にされていた。

 どれくらい作れば足りるだろう? 

「うん。今回こそ大丈夫なハズ。夕飯とかにまわせばオケ。な!」

 一人で納得。一人で決める。誰も文句は言わないし、どうせ二度は寄港する。花京院の言っていたミャンマーで、一つはヤンゴン、一つはシトウェというところだそうだ。何でもいい。足りなきゃ積んでもらえばいい。海での敵はあと一人、エジプト上陸直前のミドラーで、これは最終回だからよく覚えている。つまり今は、凪の時間。

「ごはんだよー!」

 今回の叫びは花京院に届いて、全員へ知らされた。

 前の船にはワンプレートにできる食器があったが、今回は盆と、いろんな形のステンレス容器が人数分で置かれている。あれだ、転校前の小学校の給食がコレだった。転校先はワンプレートでびっくりしたんだった。うーん。

 くだらない事を思い出しつつ全員に配り終え、最後に甲板へ出ると、また承太郎が手元を覗き込みに来た。用件は分かっている。千時が今朝、バスに乗るのを知って、絶対酔うから朝食は要らないとオレンジ一個しか食べなかったからだ。

「ご心配無く。私もおなかは空くもんで」

 わざとらしく言ってやると、承太郎はフンと鼻を鳴らし、花京院の方へ戻っていった。いや、トータル食べてる方だと思うんだけどなあ。食べないと動けないタイプですしおすし。

 さて、どこにしようと甲板を見渡す。

 気付いたポルナレフが、手招きをしてくれた。彼の隣のデッキチェアが空いている。千時が座るなり、ポルナレフは、日本語を習った! と楽しそうに言った。フォークにニンジンを刺して、さんはい。

「オイシーソーウ。オイシー?」

「あー」

 うんうん。笑顔で頷いてから、その違いをこの語彙力でどう説明すべきか考える。で、目の前のごはんを指さす。

「オーケー。アイム、おいしそう、ナウ」

「ンーン?」

 次に、フライドポテトにしたジャガイモをぽいと口へ入れてモグモグ。

「アイム、おいしー! ナウ」

「オー!!」

 わかったわかった、とポルナレフが俄然張り切って、ポトフを口へかきこんだ。モグモグ。

「オイシー!」

「ザッツライト!」

 千時はLとRの発音差なんて使い分けられないし、ジェスチャーとテキトーな英語しか無いのだが、このフランス人、粗方ちゃんと拾ってくれるのがすごい。見習いたくなるコミュ力だ。

 日本語講座は食べ物の名前編に突入し、ついでにフランス語講座も始まって、しゃべりっぱなしのお行儀悪い食事となった。ポルナレフが悪い。人を笑わせるのが上手すぎる。

 二人は、食べ終わった後ものんびりと、服や靴、そこらへんにある物の母国語を交換していた。千時が、クルー達全員、食器をキッチンに戻したらしい事に気付いて、洗い物しなきゃと立ち上がるまで。

「お皿洗ってくるね」

 なんということもなく日本語で言うと、ポルナレフが千時の手を掴んで、立ち上がった。

「どうしたの?」

 思わず日本語で見上げたが、ポルナレフは早口に何かを言って歩きだした。食器が置きっぱなしで困ったが、どうも用があるらしく、船室へ降りていく。

 ジョセフが今、中に居るはずだ。

 つまり、と、千時は眉根を寄せた。彼が彼女に訊きたい事など、そう多くはないだろう。

 案の定、奥の…デスクルームとでも言えばいいのか、部屋でジョセフを見つけたポルナレフは、二三の言葉を交わして、掴んでいた千時の手を老人へと預けた。

「すまねえな。だが、やはり聞かなきゃならねえ」

「千時、座りなさい」

 ジョセフはデスクワークを中断し、一つ、余っていたイスを引いた。

 おとなしく座ると、ポルナレフは正面の壁に寄りかかった。

「チトキ、お前、シンガポールからずっと考え込んでただろ」

「うーん…、うん」

 どうしても歯切れの悪い返事になる。

「話せよ。おれらはこんな旅をしているんだぜ? 何が出てこようと、びびりゃしねえ」

「そうだな。千時、あと二日でカルカッタに入る。できる準備をせんといかん」

 千時はじっと床の一点を見つめ、往生際悪くまた悩んだ。二人はそれを、根気よく待った。

「…一つ、約束してほしい。ポルナレフ」

「何だ」

 口を開いた彼女に、ポルナレフが勢い込んで頷く。

 それを見上げた時、千時は、最初に感じた事が間違いだったと悟った。彼に初めて会ったとき、その目を見て、もう大丈夫だと思った。だが違う。

「絶対に一人で行かないで。それを約束して」

「いいぜ」

 あまりに簡単な物言いが、それを裏付けている。彼は、必要とあらば感情を隠すのも上手いのだ、たぶん。

「いいのね。約束よ。私に皆を殺させないでね」

 二人が、はっと息を飲むのが分かった。

「カルカッタで二人組の敵と遭遇する。一人はハングドマンのカード、J・ガイル。スタンドは光を反射するものすべてを移動する。鏡やガラス、人の目、水たまり。何でも。もう一人はホル・ホースという男で、銃と銃弾のスタンドをもってる。銃弾は軌道を自在に変えて追ってくる。

 なぜ私がその二人をよく覚えているかというと、J・ガイルが両右手の男で、そのコンビにこっちが一人、殺されたから」

 最後のは嘘だ。アヴドゥルは死んでおらず、潜水艦を買って戻る。それは知っている。だが大怪我を負う危険は確かで、それを避けるなら、死ぬと言った方が警戒するだろうと思ったのだ。

 ここまでの経緯からして、千時は物語の時系列を確信していた。オランウータンが現れた時、こちらが漂流していなくても、記憶にある通りの状況に陥るよう仕掛けられた。日数の短縮が起きていても、敵はシンガポールへ間に合っている。ということは、エジプト上陸への潜水艦を省き、船舶で向かっても恐らく結果は同じで、沈められるなり何なり水中で対戦することになる。

 つまり、アヴドゥルを離脱させて潜水艦を買わせる必要は無い。千時はそう結論付けて、こう話すと決めたのだった。

「誰が死ぬんだ」

 ポルナレフの地を這うような声で、千時は首を横に振った。

「今回のバトルに限っては、細かい流れはどうでもいいの。重要なのは、あなたが勝手に動くせいで死人が出るって事。だから絶対に一人で行かないで。もう誰も、死なせたくないでしょ」

 長い沈黙の帳が落ちた。

 破ったのはジョセフで、この事を皆に伝えてくる、と、席を立った。

 千時はジョセフが出ていくのを見送ってから立ち上がり、ポルナレフの前に立った。

「誰も死なせたくないし、それを誰にも背負わせたくない」

 呟きは、日本語だから通じない。独り言だ。それでもポルナレフは、わかるよとでも言うように、千時の頭を撫でた。

 

 それから陸へ上がるまで、ポルナレフは何もかも忘れたように普段通りだった。千時はそれを恐れ、危惧し、時間の許す限りくっついてまわった。

「そんなに心配しねえでも、ちゃんと約束しただろ?」

 ポルナレフはそう笑った。そう言われるたび、千時も頷いた。

 だが結局、カルカッタ上陸後、彼は中心街の雑踏にふらりと消えてそのまま、戻らなかった。

 

 

「あのバカめ…!」

「ええ。本物のバカですからね。だが、これが彼の目的だ」

 歯噛みするアヴドゥルを、花京院が冷めた口調で宥める。

 カルカッタに到着し、部屋を確保したホテルのレストランへ入って、一行はテーブルを囲んでいた。移動続きなところへ悪路のバスは体力を削ぐ。着くなりアヴドゥルが探しに行くと飛び出しかけたのを、ジョセフが、一度落ち着かなければロクな判断はつくまい、と押し留めたのだった。

「ジョースターさん、私はやはり探しに行きます。一人で敵と遭遇する前に見つけるしかありません」

「まあ待て、わしも探すのには賛成だが、カッとなって慌てるな」

「ごめんなさい…。完全に裏目に出ちゃって…」

 宥めるジョセフの隣で、千時は項垂れていた。といっても、落ち込んでいるのではなく、怒鳴り散らしたくなるのを我慢してのことだ。あの電柱、こっちが気ィ使って張り付いて、バスも隣に座ってたっつーのにバカあほオタンコナス電柱!! ちなみにこの場合、電柱は愛称であると同時に珍妙さをバカにした悪口でもある。…どうでもいいな。

「千時、場所についての手掛かりは無いか」

 ジョセフはことさら落ち着いた調子だった。言外に全員のクールダウンを促していて、千時も、できるだけトーンを抑えた。

「えーと…細い路地とかじゃない。そこそこ幅広の道路…ってだけ」

「では大通りからか」

「あっ違う違う、敵と遭遇してたのがって。そうだ、たしか先に聞き込みしてたと思うから…」

「なら路地から探して大通りへ向かえ、という事だな」

「あと、一人にならないで。全員」

 どうにも冷え症な自分の、温度の低い手に、ジョセフの手の高い体温が移ってきて、少し冷静さを取り戻す。

「物語では、たまたまポルナレフを見つけた人が、一人で助けに入って死んでるから。絶対、二人以上で動いて」

「きみの意見は分かるんだが」

 花京院が頬杖をついた。

「発見率が落ちることで、誰も間に合わないという可能性は無いのか」

「どういうこと?」

「きみの語る物語には、本来、きみがいない。ならば僕らは全員バラバラに探しに出ただろうから、捜索隊は四組のはずだ。しかし二人以上で行くなら、最大三組に減る」

「三組? 二組じゃろう」

 ジョセフが首を傾げる。

「いいえ。彼女です。スタンドを持たず、助けに入れない彼女なら、できるのは位置を確認することだけだ。一人で行かせても無関係でしょう」

「そうだね」

 千時は素直に頷いたが、他の三人は驚いたようで、身じろぎをした。

「花京院、何を言いだすんじゃ」

「万が一狙われでもしたらどうする」

 年長二人が言い募る。もっともなご意見。

「承太郎。きみはどうだ」

 花京院は、同い年の友人に水を向けた。学生らしからぬ少年は、悠々と煙草に火を点け、紫煙を吐き出してから答えた。

「俺も、ホテルにしまっとくのが正解だとは思う。こいつは多分、ポルナレフの事に限らず、危険を見つけりゃ飛び込むタイプの大バカだ」

「そんなことないよ」

 千時は眉根を寄せたが、承太郎は、いいや、と煙草を突きつけた。

「普通の神経した奴は、まずエジプトくんだりまでついて来ないね」

 あー…でもほら状況が特殊で…なんて事は説明しても仕方がない。

「だがな、ジジイ、アヴドゥル」

 ふー、と、ため息のような煙がテーブルを這った。

「だからこいつは、止めても無駄だろうぜ」

「だろう? だから三組なんですよ、ジョースターさん」

 花京院が呆れ返ったような声を出した。

「彼女にはハイエロファントを付けておきます。捜索範囲は多少狭まるが、こちらが届く範囲に居るよう動けば、何かあっても駆けつけられる。それから、目立たないようにこの国の服を着せましょう。少しはマシだ」

「さすがノリさん」

「ホテルに置いていっても逃げ出すだろうから、先手を打つしかないんだよ。自覚しろ、ポルナレフと同じだぞ」

「アレと一緒にしないでよ!」

「まあいい。それで?」

「ん?」

「捜索隊を減らした時、どんな影響が出そうか、考えくらいは聞かせてくれ」

「ああ、はい、影響…。影響か…。……ああッ! ある! あった!!」

 穴を埋める情報!! 

「服! ホルホースの服おぼえてる! ポルナレフには言ってない!」

「でかした!!」

 やっとジョセフのテンションが上がった。

 千時は思い出せる限り、あのテンガロンハットやらカウボーイスタイルやらを、詳細に話した。

 まあ、あんな洋風時代劇、インドの街には二人と居るまい。

 

 背の小ささも善し悪しで、人のごった返す街を進むのにはわりと便利だった。千時が探しに出るというなら、路地はこっちが行くから大通りに居ろとジョセフにきつく言い含められ、ひたすら切れ目の無い雑踏をうろうろしている最中だ。これまで着ていたパーカーの代わりに、バンジャビというインドの派手なチュニックドレスを着て、変な相手に絡まれないよう早足競歩。

 あちこちに動物も居て、よけるのになかなか骨が折れる。牛はいい。牛は大抵寝ているだけだから、大回りでよければいい。でっかいオウムや猿も見かけたが、これは紐付きか檻に入っているからいい。とにかく犬猫が困る。野良猫の爪にやられて雑菌に感染したら大惨事になるし、犬は狂犬病の致死率たるや、自分ではどうしようもない。何しろバタバタで出てきて予防接種してないし! 下手なスタンドよりよっぽど怖い!! 

 あれやこれやと疲れるが、花京院を通して承太郎まで付いていてくれると思えば、慣れてますよという顔で歩くのもどうにかなる。

 途中、雨が降り出し、優しそうなおばちゃんの雑貨店で雨宿り。千時が日本人と分かると散々おみやげを勧めてきたが、素直に一つ買ったらやたらめったらおまけが付いて、袋いっぱいの荷物になってしまった。

 雨が上がってすぐにまた、とりあえず表通りを先へ行き、太い道を曲がって戻って、もう迷子。どこだかも判らない。日本時間のままの腕時計を見ると、ホテルを出てから五時間は経っている。

 迷子はあとでどうにかする、というか花京院がついている。が、言葉はどうにもならないし、食品は不用意に食べると絶対におなか壊す。断言できる。世界一清潔な国の現代人の腹の弱さだ。ナメんなよ。

 だもんで、おなかすいたなあ、などと思い始めた頃だった。

 人々の喧噪に紛れて甲高く、澄んだ銃声が一つ。

 左。

 咄嗟に路地へ駆け込む。ジョセフに入るなと言われた細い道だが、そんなことはすっかり忘れて、ただ自分の耳を信じた。

 二つ目の銃声。同じ方向。合ってる。

 ゴミやら何やらとっ散らかった道をどうにか転ばず駆け抜け、反射的に大通りの人だかりへ、身を低くして突っ込む。足もとをすり抜けたそのまま、目に入ったカウボーイの後ろ姿に無言で突撃。ンナッ!? と間抜けな声を上げてホル・ホースがたたらを踏む、その背中へダメ押しの一発、雑貨店でおばちゃんに持たされた陶器入りの袋を、思い切りぶち込んでやった。

「ゴーゴーゴーゴーッ!!」

 ようやく向こうに倒れ込んでいた二人を視認し、行けと叫んで自分も走る。

 背中に高温の爆風を感じながら、千時は、また細い路地へと滑り込んだ。

 


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