スターダストテイル   作:米俵一俵

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5.海上戦線異状無し

 港に着けられていたのは、大型のクルーザーだった。そばへ寄った承太郎と花京院が楽しそうに見上げ、何か話しながら散策のように船体を見て回る。

 こんな事態でなければ、はしゃいで喜ぶのに。残念無念。千時はジョセフと手を繋ぎ、その後ろ、すぐそばにはアヴドゥルとポルナレフ。

 甲板からこちらに気付いた船長が、クルー数人と共に、船を降りてきた。

「ようこそ、我が船へ」

「うむ」

 ジョセフは硬い表情で応じ、軽く右手を挙げる。

 それが合図だ。

 背後で少し離れて止まっていた乗用車数台から、特殊部隊のような装備の男達が駆けてきた。

「なっ…! 何だッこいつらは! 俺の船に触るんじゃねえ!!」

「さあて。本当にお前さんの船かな?」

 財団で集めた元爆弾処理班のバイト人員は、船長を無視して船へと駆け込んでいく。

「すべて確かめさせてもらおう。やましいところが無ければかまわんじゃろ? んん?」

「てッ…てめぇらアァ…!!」

 一瞬、ぐっと悔しそうな顔をした男は、途端、駆け出そうと踵を返した。

「おっと。そうは行かない」

 背後に回り込んでいた花京院が言う。ゆったりと歩いてきた承太郎が、逃走経路を断ち切るように、足を鳴らして横へ立った。

「見つかりました!!」

 船から怒鳴り声が聞こえ、一気に慌ただしい空気が沸く。

「一つじゃないと思う」

 千時が小声で言うと、ジョセフは、

「他にも無いか徹底的に探せ!!」

 船に怒鳴り返す。

「…ヘッ。知られているとはねェ」

 偽物の船長がニヤリと笑った瞬間、背後の船体がガクンと大きく揺れ、下へと落ちたように見えた。

「何っ!?」

 誰かが驚愕すると同時、一気に海面が吹き上がり、海側に一番近かった巨躯が傾ぐ。

「承太郎!!」

 花京院が腕を伸ばす動作と連動して承太郎の腕が宙へ引き上げられたが、全員の踝を濡らすほどの海水に足を引っ張られていく。

 ジョセフが咄嗟に千時を抱えて後退、と入れ替わりに前へ出たアヴドゥルとポルナレフが、偽船長へ飛びかかった。

 承太郎の姿が岸壁の向こうへ落ちる。

「ぐっ! ぶぅッ!!」

 ポルナレフの拳が数発、偽船長の腹に沈んだ。

「承太郎!! 無事かッ!?」

 追いかけた花京院が下へ叫ぶと、ああ、と冷静な返事が聞こえる。

 手前に倒れ込んだ偽船長は後ろ手になっていて、投げ出した両足も揃っていた。不思議な体勢だが、両手を構えたアヴドゥルの険しい表情から、マジシャンズレッドが拘束の炎で捕まえているのが分かった。

「安心せい。わしらがついとる」

 真上から降ってきたジョセフの声に驚いて、千時は、自分が硬直していた事に気付いた。見上げてようやく、彼が背中から抱き込んでいてくれたことを思い出す始末。

「…びっくりした…」

「そんなに怯えんでも、お前さんが予告した通りじゃったぞ。スタンドが海から飛び上がった」

「へ? ああ…うん…」

 ふらふらしながらジョセフに縋って、アヴドゥル達の方へ向かう。その先の岸壁で、花京院に引き上げられた承太郎が、とうとう帽子を取り、髪の水滴を振り払っていた。

「うわっ!」

 承太郎の手から滴る血にまた驚いて、だが今度は逆に、体に力が入る。

「ケガ!? 大丈夫!?」

 ジョセフから離れて駆け寄ると、制服から落ちる赤い海水で、千時の白いスニーカーが染まった。承太郎の大きな手には、あちこち深く抉れた傷がある。

「フジツボだ。奴のスタンドにスタープラチナが掴まれた時、付いてきやがった」

「あぁあーッ…!! そうだ、そんなシーンあった…!」

 頭を抱えてゴメンゴメン連発していると、承太郎は、やれやれ、と小さく呟いた。

 そうしている間に、次は船が騒がしい。キーキーキャーキャー、甲高い子供の声が騒いでいる。

 あっと気付いて、千時はジョセフのもとへ駆け戻った。

「密航の子?」

「そのようだ」

「じゃあお願いした通りに」

 子供は暴れ回って、両腕を爆弾処理班に掴まえられている。大人しくしろ、うるせぇバーカ、なんだとこの、とお決まりの大騒ぎが繰り広げられていて、手を繋いで言語が解るともう、聞くに堪えない言葉の応酬だった。二人が近付いても、帽子を目深に被った子供は、ペッと唾を吐き捨てた。

「警察でも何でも出しやがれってんだッ! ビチグソがァーッ!」

「私もけっこう口悪いけど、そこまで言わないわよ。お嬢ちゃん」

「おっ、お嬢ちゃんン!?」

 ジョセフが面食らう。そう、子供が乗っているとは言ったが、女の子とは言っていない。このナチュラルな反応のあるほうが、相手を納得させやすそうだと思ったからだった。

 目を丸くした隙に、サイズの合わない帽子を取っぱらうと、長いウェーブの髪がふわっとおりた。

「密航は中止。よく聞きなさい。このお人好しの大富豪が帰り道を手配してくれるから、あなたはまっすぐ家へ帰って」

「フザけんなクソアマッ! テメー何様のつもりだよッ!」

 千時は、空いている片手で少女の前髪を思いきり掴んだ。

「イテェじゃねーか何すんだ…イィイィ痛い痛い痛いッ! ほんとに痛いってば! 離してぇ!!」

「よく聞けっつってんの。別にあんたが命を惜しまないってんなら、今ここで縛り上げて海へ捨てたげる。身元不明の溺死体が増えるだけ。選択肢は二つ。生きるか死ぬか。このおじさんに助けてもらうのと、私に好きにされるの、どっちがいい? 三秒あげる。いーち、にーい、さー」

「わかッわかった! わかったから!!」

「よし。痛くしてごめんね」

 千時はパッと手を離し、少女の頭を撫でた。背など千時と同じほどもあるけれど、呆気に取られたその表情が子供らしい。

「ごめん。話きいてくれなさそうだったから。でも、本当に連れて行けないの。あなたを見つけたこの人達ね、爆弾処理班なのよ。今、船から爆弾を外してくれてる。私達、そういう危険といっしょに海を行くの。死にたくないでしょ。密航したいなら、もっと安全な船になさい」

 それじゃ、と手を振り、千時はジョセフからも離れた。ジョセフまでポカーンと目を丸くしていたのは、ちょっと気恥ずかしい。

 四人のそばへ戻って、はーあ、と一息。

「ああいうの苦手だわー。ダメだね、手が震えちゃって。こけおどしなのバレなくてよかった」

 自分を落ち着かせるために口を動かしつつ、手前にまとめてあった荷物の中からジョセフのナップザックを開ける。今日はちゃんと、救急箱の在処を聞いてきた。

「承太郎さん。手ェ貸して、違う、血の出てるほうだよ」

「ジジイがすぐに治すだろ」

「消毒だけ。悪いけど私が気になる」

 まっすぐ見上げたまま言えば、承太郎はため息をついて、血塗れの手を差し出した。傷口にマキロンをジャバーッとやって、ガーゼで軽く拭う。

「水中の雑菌て怖いんだよ。ちょっと熱帯魚やってたから知ってるんだけど、あれ、水槽洗う時、手に傷口あったらヤバいんだ。珊瑚とかも触って怪我するとすごいらしいよ。知ってる?」

「べらべらとやかましい」

「ごめん、怖くて落ち着かなくて」

 一度ジョセフを振り返ったが、慌ただしい処理班や財団関係者とおぼしき人物らと話し込んでいる。喚くのをやめた家出少女と手を繋いでいるから、その関係もあって長引いているのだろう。

 千時は包帯も出してきて、承太郎の手に巻いた。

「巻き方習っとけばよかったなあ。教習所でレスキュー講習やったけど、腕と足の巻き方しか無かったんだよね。あ、でも内臓出ちゃったらレジ袋に入れとけってのはあったな。びっくりだよね。けどそんなんより人生、手のひらに巻く回数のほうが多そうなのに」

「それじゃ緊急用にならねえだろうが」

「おお。言われりゃそーだわ」

 何気なく会話してから、はっとする。怖かったと口走ったせいなのか、承太郎は大人しく包帯を巻かせてくれたし、うるさいと言ったのに返事をくれた。

「ありがとう」

「なんだ」

「なんでもないけど」

 不思議そうに眉を顰めているから、無意識なのだろう。物語の通り、一度そばに置いたら優しい。千時はふっと笑ってしまうのを止められなかった。

 手の中、残りの包帯を見おろして、さて次、と振り返る。

「他にケガした人居る?」

 マキロンを振ってみせると、荒縄で偽船長を縛り上げたポルナレフがニカッと笑って軽く手を振る。隣でアヴドゥルも首を横に振った。勘の良い人達で助かる。

「ノリさんは? フジツボくっつかなかった?」

 何気なく訊くと、花京院は目を丸くして千時を見た。

「今、僕に訊いたのか?」

「ほかにノリさんは居ないと思うけどどうなの。むしろ今なんで私はそれを訊かれたの?」

「いや…。てっきり、怒っているだろうと思っていたから」

「あぁ何だ今朝のか。別に全然。私は怒ってない」

 ケガはなさそうで、千時は救急箱をしまった。

 花京院はそれを待ってから、千時の前に立った。

「僕はきみを信用している」

「はぁ。どうも」

「あくまできみだ。この男じゃあない」

「うん。…ああ、うん。そういう話か…」

 アニメで見た限り、ここまでではなかったはずだ。それを千時が、ポルナレフに剣を向けられたことで、頑なにしてしまったのだろう。

「あなたの疑いは分かる」

 千時はできるだけ冷静に頷いた。

「今朝のも、単なる意見の違いでしょ。だから、しばらくその疑念を脇へおいて、様子みてくれればいいよ。そのうち分かることだし」

「なら何故、あの時、きみは僕を叩いたんだ?」

「そりゃ、ポルナレフがブン殴ったらレストラン壊滅しちゃうからでしょーが」

 正直、そんな事を考えていたわけもなく、ただ単に腹を立てて反射的に手を出してしまっただけだが、後で考えてみたらそうだった。スタンド使い同士で喧嘩になれば被害は尋常でないだろうし、仲違いが行き過ぎると旅に支障が出る。

 花京院は視線を逸らして考え込んだ。千時はふと、そうだった、この子達まだ高校生だった、と思い出して、歳より上に見える少年を見上げた。

「私、妹が二人いるの」

「は?」

「お互い喧嘩もするし、バカにすることもあるし、大嫌いどころか死ねって思うような日もある。でも、例えば妹が殺されて犯人が死刑にならなかったら、刑務所出てきた瞬間に殺しに行くと思うし、妹たちも、私が殺されたら犯人を許すことはないと思う。

 ノリさんがポルナレフの身の上話を信じないのは、私が怒る筋合いじゃない。ノリさんが私に謝る筋合いでもない。信じられた時、ポルナレフにごめんねすればいいと思う」

 名前を出したからか、ポルナレフが横合いへ来て、またぺらぺらと何かを話した。早口でよく分からなかったが、大きな手で千時の頭をごしゃごしゃとかきまわし、笑っている。

「ノリさん。この人、ただの妹想いのお兄さんなんだよ」

 花京院は黙ったまま、曖昧に頷いた。

 

 どれくらい作れば足りるだろう? 

 千時は途方に暮れつつ、懸命に手を動かしていた。

 家出少女を財団の車へ押し込んで、クルーザーの安全確認が済んだ昼過ぎ、一行はようやく海へと滑り出した。クルーは船長以下数名の必要最低限。念のためにと千時が頼んで用意してもらっていた、別のグループである。恐らくこの後、海上だというのにゴリラだったかオランウータンだったか、とんだ敵を相手にしなければならないため、極力、人員を減らした。

 だもんで、コックを省いた。省いたのは千時本人で、作るけど非常時だから文句言わないでねと先に言ってある。

 いやしかしこれがもう、大きな鍋も、大きなフライパンも、少ない水も、陸とは勝手が違う。早、くじけそうになっていた。

「いーやいーや。足りなきゃパン出す。余ったら夕飯。ね!」

 一人で勝手にそう決め、クルーを合わせて男性ばかり計九人分の食事を、プレートによそった。シーフードのシチューと、牛肉炒めと、サラダとパン。どうしよう、もう夕飯のメニュー思いつかない。

「ごはんだよー!!」

 外に向かって大声で叫ぶ。こっちは日本語なので、わかる誰かに拾ってもらうしかない。今回は承太郎が真上に居たらしく、英語で大声を張り上げてくれた。

 狭いキッチン、先に来たのはクルー達で、彼らもやっぱりこの小柄な日本人をひどく若く思っている。プレートを手渡していくと、千時のまわりにはチョコやらアメやら、カラフルなお菓子がポロポロ置かれていった。頭も撫でていったから、たぶん、よく働く子だなあ状態だ。愛想笑いで中の一人に船長の分を渡し、彼らが出て行ってから、ポルナレフと花京院が入ってきた。

 プレートをポルナレフに二枚、花京院に二枚渡して、自分で一枚持って出る。

「はい、どーぞ」

 千時の持ってきたプレートは、甲板で一番近くに居たジョセフへ。ジョセフはニカッと笑って千時の頭を撫で…なんか船乗ったとたんすごい撫でられる…、ふと気付いたように顔を上げた。

 おまえさんの分は? と言ったのは、どうにか聞き取れて、千時は片手に持っていた紙袋を開け、リンゴ一つとゆで卵を出して見せた。

「足りてんのか」

 いきなり影が差したと思えば、後ろから承太郎が覗き込んでいる。

「ジジイが、朝食も残してただろっつってるが」

「残してないもん。食べてもらったんだもん。つーか量が多いんだよ海外のごはんは。前にハワイで食べたパスタも半分いかなかったよ」

「俺は足りてるかどうかを訊いてる」

「足りてる足りてる」

 承太郎は自分の手のプレートを見下ろし、また千時を見た。なんだか不満そうなのは、ホリィにしてももう少し食べるからだろう。だがサイズを考えてほしい。

「私さぁ、ちょっと太り気味だけどさぁ、それでも50キロだよ。私の好きな俳優さんが元ファイターで2メートルの100キロちょい。きみらもそんなもんでしょ? 私、半分だよ。ちょっとは教室の女子のおべんととか見ときなよ」

 承太郎は少し詰まってから、ジョセフに英語を話した。通訳したようで、笑いだしたジョセフは飲んでいたジュースをちょっとばかり噴いた。

 

 甲板の縁に座って手すりから外へ足を投げ出し、海を見ながらリンゴをかじる。贅沢な眺めだなあ、と、やはり観光でないことが悔やまれた。

 男達は食べるのも早い。食事の済んだ学生二人はデッキチェアに寝ころんで、片方など用意周到にも本を読んでいる。千時もたいがい本の虫なのだが、用意も忘れたし、乗り物で読むと酔う。平気な顔がうらやましい。その隣の不良と、デッキの反対側に居るポルナレフは、煙で一服中。

 さらに見回すと、ジョセフは人の良さそうな線の細い船長と話しながら、舵を握っている。

 千時は海へ視線を戻し、半分に割っておけば良かったと後悔したドでかいりんごを食べ終えて、芯を紙袋へ入れた。あとでゴミ箱。男達はきっと海へ捨てろと言うんだろうけれども。

「チトキ」

 船室に居ると思っていたアヴドゥルの声に振り返ると、いつの間にかジョセフを連れて、後ろに立っている。あわてて立とうとしたが、手で肩を押さえられ、年長者二人の方がその場に胡座をかいた。

 ジョセフに手を繋がれる。なあに、と首を傾げると、アヴドゥルが言った。

「一つ訊きたい」

「うん?」

「何故ポルナレフに肩入れしているんだね?」

「わしも気になっとったんじゃが」

「あー…」

 千時は目を泳がせた。

 死の運命の先にある救済など、どう説明すれば伝わるだろう。

「別に、肩入れってほどじゃなくて…、あの人、一番大変な人生送るのよ。ほっとくと。だから、それもキャンセルしてあげたいなあと…、思ってて」

「ほう。だが、人生と言うほどだから、この旅では死なないんだろうな?」

 アヴドゥルは、まるで挑発するかのような事を、静かな優しい口調で言う。この人、もっと大仰な人だったはずだけど、と無関係な感想を抱きながら、褐色の肌を見る。唇はなだらかに弧を描いていた。

 千時は、ゆっくりと、目を上げた。

「満足でなくても、覚悟の上の死なら苦痛は終わる。だけど、その死を抱えて生きぬく事を課された人は、強ければ強いほど、苦痛を手放せない…ってことじゃないかな。死んだ人の分も、自分の分も」

 だから死なないでね。そう言いかけて口を噤む。

 見上げてかち合う目は、彼のスタンドじゃないが火花が爆ぜそうだ。

「お前さん、見た目の割に言うよなあ」

 ジョセフのあっけらかんとした一言が、薄ら暗い空気を消し飛ばした。

 

 

 ベッドから落ちる夢を見た。…のだと、千時はその時、思った。

「いィィッつ…!!」

 転げ落ちたどころか、向かいのベッドの足に二の腕を強打している。慌てて身を起こしたが安定しないのは、世界が、かなりの傾斜で斜めになっているからだった。誰ともわからない男達の怒声がする。

 ふわっと内臓の浮くような感覚の次に、世界の傾きが反対側へと勢いよく戻る。ベッド同士の隙間が狭かったのは幸いで、両手を突っ張って転がるのを避けられた。

 だがもう一度、ぐわっと船が揺れて、今度はもう耐えられない。何しろ、床が天井になってしまった。千時は悲鳴も上げられずに、上下逆さになったベッドルームで、掛け布団とシーツに埋もれた。

 どうにか這いだす頃には、足もとが濡れてきた。

「池上さん!! 居るかッ!?」

 駆け込んできたのは花京院だった。捜し物はハイエロファントに限る。

「よかった、ノリさん、皆は?」

「今は自分を先にしろッ!!」

 花京院は怒鳴りながら千時の腕を掴み、寝具の中から引っ張り出した。埋まっていた足元からも持ち上げられるような感覚があったから、スタンド併用で助けてくれたらしい。

「ありがと、で、コレは転覆しちゃったのかな!?」

「その通り。皆はまだ甲板に居たはずだ。海へ投げ出されていると思う」

「何があったんだろ」

「分からない。僕も中に居た」

 部屋を出ると、クルーが二人、取り残されていた。彼らと天井を進み、階段まで来る。あるのは出口でなく、真っ暗な水面。

「潜って外へ出るぞ。離れるなよ」

「うん」

 花京院に手を差し出され、その手を握ると、繋ぐというより最大握力で潰されるような掴まれ方で、千時からでは離しようがなさそうだ。

 懐中電灯を持ったクルーに続き、水中へ入る。灯りを頼りに少し行ったところで、手が引き寄せられた。体に何かが巻き付く感触と共に、花京院の隣へ、ぴったり張り付かされる。

 そのまま船を抜け、もう息が限界! というところで、浮上できた。

「ぶっは! …ありがと、助かった…!」

 荒い息づかいからは、返事が無い。おそらく返事の余裕が無いのだ。素人が着衣のまま、人ひとり抱えて暗い海中を泳ぐなど、スタンドの助けがあっても並大抵ではない。

 海面にぽっかり突き出た船底の周囲には、クルー達と、こまごました物が散乱している。だが、あまりに暗くて、他には何がどうなっているのか、よくわからない。

「花京院!」

 承太郎の声と同時、ザバッと派手な飛沫が立った。千時を抱えた花京院が、見えない何かに引っ張られる。

「スタープラチナ?」

 ああ、と、ようやく花京院が返事をした気がするが、飛沫がかかってうめいただけかもしれない。移動はすぐに終わり、微かな星灯りで、その場に他の四人が見えた。

「よかった、みんな無事だ」

 胸をなで下ろし、はたと気が付く。

「ノリさん、ありがとう、もう離して大丈夫だよ」

「そうか」

 ようやく花京院は手を離した。ハイエロファントと思われる体への支えもいきなりスッと消えて、ざぶんと頭まで水を被る。ゲホゲホ噎せているのはお構いなし、今度はジョセフに手を取られた。

「千時、次の敵はコレで正解か?」

「コレ?」

 海水しょっぱいで涙目になりながら聞き返すと、全員が一斉に、同じ方向を見る。視線を辿って、壁…ではない。

「…そーそー。コレだよ」

 一般人にまで姿を見せる、巨大なスタンド。

「類人猿の幽霊船」

 

「まさか体当たりで転覆させてくるとはねえ」

「しかし考えてみれば、他に我々を乗せる手もあるまいよ」

 ジョセフに連れられ、甲板へ上がる。全員ずぶ濡れ。体が重い。

 大きな客船は、はやりビンゴ。無人だ。

「この船は得体が知れん! 全員一緒に行動しよう!」

 手を繋いだ先で、打ち合わせ通り、ジョセフがそう指揮を取った。

 船長だけは寄ってきて、小声で多少の抗議をしてきた。

「我々クルーは船の構造がわかります。分かれて操舵室や機関室を探した方が、早いかと思いますが」

「ああ、だから我々が同行させてもらう。先頭はキャプテンが進んでくれ」

 こういう時、あっさりと人を使う心得は、さすが大会社を取り仕切る男だ。千時はここまでの短い期間でも既に、3部までのジョジョの中で…フェイトから言葉を借りるが…最優なのは、最強の承太郎ではなく、このジョセフ・ジョースターだと感じていた。

 さて、何となく周囲に集まってきた面々へ、小声で告げる。

「ちょっと急だったから説明足りてないけど、落ち着いて聞いて。敵本体は操舵室のすぐそば。でも檻の中に居る間は手を出さないで。ガードがどれだけか分からない」

「檻から出せばいいのか」

 とは承太郎。

「隙間があるなら、チャリオッツで串刺しにしてやるぜ?」

 ポルナレフも手で宙を突く。

 どちらも力任せというわけだが。

「ううん。船自体を変形させられるくらいだから、不用意にかかったら、檻を壁なりシャッターなりにして防がれちゃうかもしれないし。おびき出せる…と思うから待ってて。私が途中で皆と離れる」

「囮になると?」

 言外の非難をこめる花京院には、ごめん、と素直に頭を下げた。さっき助けたばかりの相手が自ら危険に踏み入ろうというのだから、腹も立つだろう。が、主張を引っ込めている場合じゃない。ここは、いうなれば、敵スタンドの内部だ。

「だからノリさんかアヴドゥルさん、探査能力あるでしょ、スタンドで船を調べるフリしながら私を確認していてくれる?」

「よかろう」

「止めても無駄なら、仕方がない」

「よろしく。やつが檻から出たら、承太郎さん、遠慮なくボコッていいからね」

「おい」

 唐突に、承太郎が咎めるような低い声音を発した。

 びっくりして見上げると、帽子の鍔を、珍しくも、ちょいと上げる。

「さん付けはよせ。呼ぶのには、長ェからな」

「…え、あ、はい…」

 目をぱちくりする内、承太郎は学ランの裾を翻して、クルー達のほうへ向かってしまった。…日本でさん付けしないと言ったのはこっちだが、いや、えーと。

「…今の何? デレ? ツンデレのデレか?」

「何語を喋っとるんじゃ」

「未来の現代用語なんでもないですわーいお孫さんが仲良くしてくれそうだよおじいちゃん!!」

「おう良かったのう。何じゃそりゃ」

「私もわかんない」

 顔を見合わせハテナマーク。隣でアヴドゥルが笑った。

 

 事は簡単だ。敵の所在も、だいたい覚えている。…そりゃあれだけインパクトあったら、さすがに忘れないよね。

 問題は、いかに一撃で沈めるか。

 記憶の通り、操舵室の奥に部屋があり、檻には大人しそうなオランウータンが居た。それを確認した後、千時は一行を離れた。

「…うーん…ああは言ったけど、私で釣れるかなあ…」

 典型的日本人なお尻のあたりを撫でつつ、果てしなく情けない気分で廊下を歩く。人間の男性ですらそんな誘惑したことないのに、まさか初回が猿だとは、もう、なんというかもう、もうね。

 港で置いてきた家出少女が、本来なら囮役だ。が、知っていて危険に晒すわけにもいかない。代わりのものも用意していたのだが、ショルダーバッグごと海のどこかへ消えてしまった。表紙しか見たことの無かった、過激な男性向け雑誌。

「くっそー…買うのもすごい苦労したのに!! なんだこの訳分からん苦労はッ!!」

 苦労のいろいろは、長すぎるので割愛しよう。

 シャワールームに入って、薄気味悪いながらも服を脱ぐ。事の次第がわかっていたから、下着代わりに水着を着っぱなしだったのは本当に幸いだ。……だって言いたくないけどハイエロさんてその気になったら覗けるよね。 助けてもらった恩はあれども、そこまでサービスする義理はない。

 シャワーはちゃんと温かく、冷えた体に心地良かった。得体の知れなさと、敵の内部で一人になる不安は纏わりついて流れないが、それでも少しは落ち着く。

 わざと鼻歌なんかも歌ってみた。少し大きめに。

 髪の塩を流し…いやどうせすぐまた海にポチャンだろうけれども…十分はかけて全身を温める。……いやどうせすぐまた海にポチャンだろうけれどもね!! 

 シャワーを止めたその時、ガサッと背後で音がした。

 これでも神経は尖らせていたはずで、だから恐らく、歩いてきたのではない。壁を抜けてきたのだろう。

 おそるおそる、カーテンを少し引くと、やはり正面にあのオランウータンが居た。

「…ハロー?」

 ハイエロファントかマジシャンズレッドは、気付いただろうか。

 シンと静まったままの廊下が怖い。

「どうやって檻から出たの? …頭がいいのね」

 時間を稼ぐ以外に無く、震える喉から絞り出す。

 オランウータンはおもむろに後ろへ手をやり、どこに持っていたのか、煙草の箱を出した。あっけにとられる千時の目の前で、火を点け、悠々と煙をふかす。

 ……船に…いやこの巨大なスタンドに、全員、捕まっているとしたら? 

 頭の中で、ぶわっと嫌な妄想が広がった。

 たしかあのエピソードは、甲板にいたジョセフ達が船体に取り込まれて捕まり、身動きをとれなかった。一人、少女についていた承太郎だけが動けて、この猿を倒す。まさか。いや、だが甲板には戻らないよう言った。操舵室付近に居るなら、ここからは遠くない。

 焦りを見抜いたように、オランウータンが動物らしからぬ微妙な笑みを浮かべた。

「ああああああぁぁぁぁあああぁぁーッ!!」

 絶叫。恐怖ではなく、誰かに届くように。後ろへ下がらず、廊下へ向けて。

 敵の指先が千時の肩に届こうとしたその瞬間、その巨体が真横へ吹っ飛んでいった。灼熱が吹き付け、咄嗟に背後、奥の壁まで退がる。

 ゆっくりとした足取りの五人が、横切っていった。

 へなへなとそこへ座り込み、ギャン! ドガーン! ボコバキドグシャアァァ! メキッ! みたいな騒音にハッとして、大慌てでズボンを履いた、が、シャツを頭にかぶったところで残念、床が抜けた。

「ふぎゃああーっ!」

 今になって悲鳴を…しっかし間抜けな悲鳴を上げて、真っ逆さまに落ちていく。シャツで視界がないから、どれほどの高さかも分からない。チトキ、と、誰かに呼ばれたのは聞こえた。体に何かが巻き付いて、あちこちに刺さるような痛みが走り、そうして、普通なら起こり得ない横への移動が起きる。

 覚悟していた海ポチャは、それでも、ジョセフに抱き込まれて痛くはなかった。

 次に目を開けた時、そこは、小さな救命ボートの中だった。

 

 

 翌朝は寒かった。気温はそんなに低くなく、男達は平気な顔をしていたが、何しろ濡れている。アヴドゥルならすぐに乾かせるのだろうが、それでなくとも奇妙な体験をしたクルー達の手前、おおっぴらに超能力を使うわけにもいかず、千時だけ歯の根も合わなくなりそうだった。こっそりアヴドゥルが背中に手を置いて、乾くまで温めてくれた時は、このひと神様なんじゃないのと思ったほどだ。

 昼前に救助の船が到着し、全員無事に回収された。この素早さはお察しの通り、クルー達には内緒で、出発前からしてきた準備である。ベトナム、ニャチャンからの手配で、シンガポールへの直行便。クルー達とは予定通り、シンガポールの港でお別れだ。

 千時は、また服のポケットがガムとキャンディとチョコで一杯になってしまって、ちょっと困った航海だった。

 


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