スターダストテイル   作:米俵一俵

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29.裏切りの在処

 長い、長い話だった。時折、承太郎に同意を求めながら、彼女は、これまでに分かったすべてを語り続けた。

 いつの間にか日が暮れ、薄暗い部屋には赤ん坊の泣き声が二つ、BGMのように小さく聞こえている。二人は昨日から元気に泣きっぱなしで、シッターは数人の職員と共に、できるだけ外へ連れ出していた。夕刻になって戻ったのだろう。

 ここまで誰もが微動だにしなかった。千時が話し始めてからこっち、部屋の暗さに気付いた花京院が電気を点けに立ったのが、最初のモーションだった。

「それで、ここから先は、承太郎も知らない話になるんだけど」

 紫煙をくゆらし、あらぬ方を見ていた承太郎が、顔を向けた。千時は電灯の煌々とした明るさに目を眇めた。

「その前に、お水ちょうだい」

「え」

 唐突に頼まれたジョセフは、きょとんとしてから、慌てて冷蔵庫を見た。

「ああ…、ああすまん、喋りっぱなしか。おい、取ってくれ、ポルナレフ」

「あ!? ああ…」

 ポルナレフの方もビクッと飛び上がるように返事をし、冷蔵庫から水のボトルを投げて寄越した。キャッチしたジョセフからボトルを受け取った千時は、半分ほども一気に飲み干し、ほっと息をついた。

「喉も乾くし、話してホッとしたらおなか空くのに死んでるって、変な話だよねえ。で、ファミコンわからない人居る?」

「何だって?」

 素っ頓狂な声をあげたジョセフに、

「ファミコンだぁ?」

 聞き返すポルナレフ。

「OSと常駐ソフトより分かりやすいかと思って」

「ファミコンは知っているが、いきなり何の話だ」

 最難関かと思われたアヴドゥルが身を乗り出したところで、千時は頷いた。

「〝私〟と〝巻き戻し〟と〝時止め〟の関係性を説明する。

 この体がファミコン本体で、私とT・Tがそれぞれ別のゲームソフトだと思って。普段は私ってソフトが差し込まれてる。でも、本体のメンテナンスは、ソフトを差し替えなきゃできない。但し、私ってソフトは抜いてる間、少しずつメモリが削れていく」

 彼女は左の袖を捲り、つい先日まで傷があったはずの場所を見せた。右は勿論、左の切り傷も綺麗さっぱり消えている。

「T・Tが巻き戻せる〝生きている〟ものの定義は、必要な全てが揃っている状態。この体の場合、ファミコン本体にT・Tというソフトが差し込まれた時にその条件は満たされて、巻き戻しが可能になる。

 つまり、私が入っている時は、この体が〝生きている〟の範疇に無いという事なの。最初から世界の定義を外れてしまってる。それが時止めの効かない理由」

「なあ」

 花京院が、彼にしては珍しく、自信無さげに割り込んだ。

「おかしい、よな? きみ、自分が死んでいるように言うが、現に今、生きているじゃあないか。T・Tが発症した後、僕はラクダの上できみにずっと触れていたが、呼吸も体温も、脈だってあった。その上で意識がはっきりしている。T・Tもスタンドとして別に機能しているんだ。僕には、きみが生きているようにしか思えない。解釈のほうが間違っている、という事は無いのか?」

「ンンー…。生死は…言葉の問題かな」

 千時は少しだけ首を傾げて答えた。彼女は、花京院の滲ませた僅かな悲哀には気付かないようで、まったく淡々としていた。

「細かく言えば、状態を固定したまま維持している、というのが正しい。私には皆の持ってる拒絶反応が無いから、T・Tが強制的にそれをやって、常に細胞の破損を防いでいるわけ。だから停止と等しくなる。元から時間が止まってる、元から止まってるんじゃ止まりようが無い、だから時止めがきかない。むしろ、現状の私にとっては、停止した世界の方が正常なのかも」

「いや、だがやはりおかしい」

 花京院は食い下がった。

「固定だか停止だか知らないが、それならきみというソフトが差し込まれている時、どの傷も治らないはずだ。自然治癒というのは体の反応なんだから」

「確かに変だ」

 ポルナレフが頷く。

「こないだの切り傷を看てやってたが、こいつ、普通に治ってきていたぜ。今は消えちまってるけどよ」

 千時は平然と答えた。

「命に関わる傷じゃなければ…というか、私というソフトを抜くほどじゃなければ、だね、T・Tがそこだけ一時的に固定を外して治癒を待つ。普通の速度でしか治らないのは、細胞を固定しないようにウイルスを押さえ込んでしまうからだけど、代わりに、治ったところをまた固定し直せば、もうそれ以上の劣化は起きない。

 けど、これ自体の仕掛けは、逆に、あなた達の怪我の治りがやたら早いのと一緒よ」

「何?」

「細胞に対して何をさせてるかっていう差だけだから。スタンドウイルスは細胞に居る。彼らだって、自分が傷ついたら治ろうとするのは当然。皆だって、普通の人より治りが早いのを疑問に思った事はあったと思うんだけど。

 そういう変化が、スタンド使いの体には起きてる」

「ああダメだ追いつかない。待って」

 口籠もり、目を泳がせて、花京院は首を傾げた。

「なあに?」

「ええと…。何故「固定」なんだ? ウイルスは僕らの場合治ろうとする…なら、きみの体だって同じじゃあないのか? ウイルスに治させないということ?」

「制御可能ったって、万能じゃあないもの。全部いっぺんにやるのは無理だから、秤に掛けて、経年劣化を一番防ぎたいんじゃない?」

「経年劣化?」

「だって、〝私〟が擦り切れて無くなるか、それともT・Tが勉強し終えて御役御免にでもなったら、T・Tが使うんじゃないの? 〝これ〟」

 自らの体を、まるで物のように指さしてみせる。その仕草は落ち着き払っていて、実に奇妙だった。

「どうしてそんな事が分かった?」

 承太郎が、短くなりすぎた煙草を灰皿に置いた。

「なるほど、テメエの説明はそこそこ分かる。その口振りじゃあ、勝手な推測ってわけでもなさそうだ。しかし、T・Tはテメエの口を借りたがらねえんだろうが。誰が語った? 誰の教えた事なんだ?」

 その口調は、まるで敵を前にしているかのようで、恐ろしく不機嫌だった。事情を知らないそこらの人間が聞いていたら、竦み上がって逃げていきそうな声音だ。

 が、彼女は意にも介さず、答えた。

「分かった理由は、時止めされてディオからジョセフさんを遠ざけようとした時に…」

 ジョセフがピクリと身じろぎする。

「違うの。ジョセフさんのせいじゃなくて、私がヘタ打ったせい」

 すぐさま千時は、持っていたボトルをベッドに転がし、今度はこちらが両手でジョセフの手を取った。

「どうもおなかに一撃くらったみたいで、T・Tはそれを巻き戻さざるを得なくなった。それで私というソフトを、一度抜いた。本体のメンテナンスでソフトのメモリが削れて、その分にT・Tが満たされた。だから、何だか分からないけど私、今、いろんな事が理解できるのよ。具体的な理屈じゃなく、感覚というか…彼らが何者なのかを肌で感じてる。食べ物を飲み込む方法や、手足を動かす方法なんて、理屈で教わらないでしょう。そういう、ただ知ってる感じ。

 …ああ大丈夫。皆、そんな顔しないで。少し気持ちが落ち着きやすくなってるくらいで、私自身はそう変わらない。この程度ならすぐ元に戻るって感じがする。たぶんこの変な感覚も、今日一杯くらいで消えてしまうだろうし。…妙だね。変な感じ。まさに奇妙な…ああ、向こうでの物語のタイトルが、奇妙な冒険、だったの。おかしな話」

 隣で聞いていたジョセフは、妙に納得した。それは言われなければ気付かない程度の僅かな違和感だったが、胸のあたりにストンと落ちてくるようだった。

 当人は気付かないようで、ごくフラットな調子のまま、話し続けた。

「話を戻すよ。何があったかってジョセフさんは訊いたね。

 T・Tは〝巻き戻し〟た。

 見たら分かると思うけど、あの二人の赤ん坊は、ディオとジョナサンで間違いない。ディオを巻き戻したせいで、頭と体が別々にああなった」

「そうとしか思えんが、そんなわけがあるまい」

 ジョセフはすぐさま矛盾する事を問い直した。

「確かに一方は承太郎の小さい頃によく似とるし、左肩に例の痣がある。もう一方はお誂えに金髪で、顔立ちも奴そっくりじゃった。しかし二人は、優に百年も昔の人間だぞ。大体、吸血鬼だったってのに…」

「ケガ一つ消すのも数十秒かかるT・Tがあんな短時間で巻き戻せるわけないし、手で覆ってる間ディオがおとなしくしているわけもない。そうその通り」

 千時は平坦に話を引き受け、承太郎へ視線を移した。

「だからT・Tは、スタープラチナの力を借りた」

 あちこちで、何、と呻きがこぼれる。承太郎だけが、忌々しげに眉根を寄せた。

「他人のスタンドの力を借りる、というのは…、もしや、三つ目の能力と言っていた事に関係があるか?」

 アヴドゥルが戸惑いながらもそう訊ね、全員の視線がそちらへ向く。

「何の話じゃ、アヴドゥル」

「いや、実は以前、T・Tに触れられたマジシャンズレッドが、私の制御を離れた事がありまして…」

「シルバーチャリオッツにも一度あった」

 千時が続けて、ポルナレフがぎょっとして目を見張る。

「ジャッジメントと戦った時、チャリオッツがポルナレフに剣を向けた事がある。あれはポルナレフ、あなたが心を乱していたからじゃない。T・Tの手の中だったからなの」

「何だって!?」

「千時、すまんが、まるで話が分からん。T・Tが、お前の体にするように、制御を取ったという事か?」

「違う」

 彼女は首を横に振った。

「実際は能力でもない。ただ、その事の正体ではある」

「正体?」

「スタンドが、本質的には私たちと違う別の生命体だって事は、最初に話したでしょう。この星に適応できず、意識レベルを保てないから、宿主の意志がそのまま通る事になる、って。

 T・Tがマジシャンズレッドとシルバーチャリオッツにやったのは、単純に、直接スタンドへ余分なエネルギーを流し込む事。それでスタンド自身の意識レベルの引き上げが起きたというだけだった。けど、それは特殊な能力じゃあない。本来、すべてのスタンドが持つ放出機能を使う事で起きる、当然の現象の一種」

 理解を促しているのか、わざわざ一息分の間を置き、彼女は続けた。

「エネルギーの放出機能自体は、攻撃の能力として使うスタンドが珍しくない。マジシャンズレッドの炎や、ハイエロファントのエメラルドスプラッシュもそう」

 花京院から、アッと小さな声があがる。

「どういう形で放出するか、能力がどう絡むかで入出力の結果が違う。厳密に言うとザ・フールの集塵能力や、ハーミットパープルの念写も、放出して再回収する紐付きボールみたいな仕掛けでしょう」

 ジョセフも息を飲んだ。

「これらはスタンドの拡張機能にあたるもので、能力すべての土台。そういった具体的な特殊能力として行使可能かどうかに関わらず、全てのスタンドが持っている。勿論、T・Tも例外じゃあない。そしてT・Tの場合、そのためのエネルギー源がこの心臓にあって、それはほとんど、無限と言っていい…分かる? 無数のスタンド使いを生み出せるような、大量のウイルスがここに在るんだもの。T・Tごと死んで心臓が止まらない限り、ウイルスは繰り返し膨張を試み続け、幾らでもエネルギーを生み出すというわけ。

 拒絶体質であるあなた達の体は、普段、エネルギー量をかなり低いラインで一定限度に押さえ込んでいる。だから、直接スタンドに余剰なエネルギーを流し込むと、彼らに変化が起こる。その初期段階が意識レベルの上昇で、余分なエネルギーが尽きるまでだけ、彼らは自らの意志で動けた」

「池上さん」

 花京院がたまりかねたように顔を上げた。そこには、困惑と同時に、微かな期待の色が見て取れた。

「すまない、無関係な事を言って悪いんだが、彼らには意志があるってことだよな、それって、まさか、僕が小さい頃に彼が…、ハイエロファントが僕の友達だったのは、彼の意志だったということなのか」

 千時が微笑み、頷くと、彼は両手で顔を覆い、ああ、と呻いた。アヴドゥルからも、複雑なため息がこぼれた。

「幼い頃や、発現当初。本体が体調を崩したり、大怪我をした時。スタンドの制御が効かない時というのは、体の拒絶反応が安定しない時よ。

 彼らの自我は、ちゃんとそこにある。だって同じだけ生きているんだもの。発症した瞬間から…もしかすると発症するよりずっと前から。常に。隣に。精神の具現という解釈が間違いじゃないくらい、一緒に。普段は眠っていると言うのが近いかな。表現するほどの意識が許されていないだけ。マジシャンズレッドがアヴドゥルとの再会を喜んだのも、チャリオッツがポルナレフを戒めたのも、彼らの意志」

 しばらく、彼女は部屋の沈黙を楽しむように、ゆっくりと待った。

 やがて、花京院が潰れたような掠れ声を絞り出した。

「そうか。ありがとう。話の腰を折ってすまなかった。それで…、その放出機能というのをどう使って、何をしたというんだ?」

「スタープラチナに大量のエネルギーを押し込んで、〝巻き戻し〟を  〝加速〟させた。…時間のベクトルまであっちこっちで、分かりにくかったら悪いんだけど」

 千時は心臓のあたりに手を置き、承太郎へと視線を移した。

「覚えてるかな、鏃にはスタンド使いを増やす感染源としての効果と、スタンドを直接傷つけることで変質を起こさせる効果があるのは…、エンヤ婆のホテルで話さなかったっけ?」

「〝レクイエム〟か」

 アヴドゥルが答えた。

「私しか知らないんじゃあないか。お前、内緒にしろと言ったろう」

「そっか、病院だ」

「ああ」

「何の話をしていやがる」

 苦虫を噛み潰したような承太郎に、アヴドゥルが頭を掻いた。

「ポルナレフが名付けたそうだ」

 名指しされたフランス人が目を丸くする。

「は、俺?」

「未来のな」

「知らねえよ」

「千時は、お前が矢の秘密を暴いたのだと言っていた。矢、いや、鏃か、スタンドを直接貫くとある種の進化が起きる、本体が制御できないようなスタンドに変貌する事もある。そういう話だったな」

「うん。まあ、私が話しちゃったから、これでポルナレフが名付けた事になったのかどうか分かんないけど」

「名前なんざどうでもいい」

 承太郎が苛立ちも露わに遮り、先を促す。千時は、そうだねと同意して続けた。

「そのレクイエム化というのは、まあ、簡単に言うとパワーアップよね。自我は勿論、すべての制御を自ら取り、エネルギーとして従える他の素体の能力まで引っ張り出せる。私が元の世界で読んできた文面には、「ある種の進化」と書かれてたけど、まあ方向で言えば、どちらかというと本来の姿に近付くだけかも。普段は本体との兼ね合いで機能制限かかってるわけだし」

「何度も割り込んですまないが」

 花京院が不思議そうに顎を撫でた。

「スタンドの暴走と言われてきた症状は、エネルギー過多で細胞が壊れ、死に至るという事だった。合ってるね」

「うん」

「なら、そのレクイエム化の過剰なエネルギーは、本体に影響を及ぼさないのか?」

「ぜんぜん無関係。細胞の損壊は、浸潤したウイルスが内部で膨れちゃうのが問題なんだもの」

「ああそうか」

「もし何らかの事情で影響が及んだって、レクイエム状態ならスタンド側がコントロールして死なせないし。宿主が無事でなきゃ自分が存在できないんだから」

「待て待て」

 ポルナレフが眉間に皺を寄せた。

「それだとよ、アヌビスの剣はどうなってたんだ? 宿主というが、アレは、本体が死んだままスタンドだけで残っていやがったんだぜ。当人が言うには五百年もだ」

「あれは単なるスタンドじゃなく、適合種だったんだと思う」

「適合種?」

「この星に適応した単独で存在できるスタンド、って意味。T・Tもそんなふうに言ってた。同じ種族の意志すら読み解くことのできなくなったあなたが目指すべき完成は、その無機物としてこの星の一部となることだ、って」

 承太郎が驚いて目を見張ったのは、一言一句、あの時T・Tが語った言葉だったからだ。レコーダーを再生したかのように、声音も、抑揚も、恐ろしく似ていた。

 当の彼女は何ということもなさそうにベッドへ座り直し、体ごとポルナレフの方に向き直っただけだった。

「当人が消えてしまったから、もう真実は永遠に闇の中よ。ここからは私個人の推測に過ぎないけど、もともとのアヌビスには、無機物へ移動できる能力があっただけだと思う。物質を一時的に加工する能力なら、ほら、オランウータンが小舟を大型船舶に仕立てて来たりとか、赤い車のスタンドも居たじゃない。ああいう類の能力。だから物自体は斧でも槍でも、それこそそこらのコップでも良かったんだと思うわ。ただ、それだけじゃあスタンド単体が残れる理由にならない。そこでね、本体が刀鍛冶だったと言っていたでしょ? もしかして、鏃と同じものを剣の素材に混ぜちゃってたんじゃあないかと」

「ええ!?」

 驚くポルナレフの隣で、

「確かに」

 花京院が膝を打つ。

「でもなければ、エネルギー源が見あたらないな」

「そうなのよ。五百年てのが本当かどうかはともかくとしても、本体が居ないどころか自我を持ち、他者を操り、相手の技や力量をたった一度の交戦で蓄積し続ける能力がある。おかしいでしょ。だから多分、刀鍛冶にアヌビスを発症させた石があって、それが刀に仕立てあげられて、なんて言うの、逆輸入みたいな事になったんじゃないかと思う。

 承太郎、欠片は全部、川に捨ててきちゃったんだよね?」

「ああ」

「じゃあやっぱり真相は確かめようがないけど。…どう? ポルナレフ」

「え、ああ、分かった。…へーぇ…」

 分かったとは言いつつ、ポルナレフは首を傾げている。花京院はいつものように、本当に分かってるかと言いたげな顔だったが、言い合いを避けたのか千時へ視線を戻した。

「もう一つ訊いても?」

「なあに?」

「元の話に戻るが、放出機能の事だ。能力との関係性は理解したが、きみは、T・Tが機能を使っただけだと言ったろう? 能力じゃあない、と。エネルギーを他者に押し込む能力というなら分かるんだが、ただ放出するだけで、どうしてレクイエム化が起きるんだ?」

「さすがノリさん」

 千時はにこりとして頷いた。

「スタンドって、こちらからは触れられないでしょ」

「それは彼らがきみの言う〝エネルギー体〟だからだろう?」

「そうそう。実体が無い。個々の姿はあっても、私たちの皮膚のような物質的境界線は持ってない。だから本当は、全く純粋なエネルギーなら行き来できるの。熱量が移動するだけというか。水に水を継ぎ足すようなもの。

 皆の場合はスタンド自身がそれを制御できず、出力に能力が絡まざるをえないから、結果として水と油になっちゃうだけ。どう? 説明できてる?」

「できているよ。分かった。僕は理解できた。隣がどうだかは知らないが」

「うるへー! 大体のとこは分かってるっつの」

「いいよ。あとでゆっくり教えてやる」

「何だってエ!? …なんか今日のおまえ気ッ持ちわりィ」

「失礼な。怪我人だから気を遣っているのに」

「失礼はどっちだ! 頭見ながら言うな!!」

「似たようなもんだろ?」

「おまえ実は俺のこと嫌いなんじゃあないのオ!?」

 言い合いに、くすくすと忍び笑いがこぼれた。その事にハッとした五人が同時に彼女を見、見られた事に気付いた千時は口元を押さえて目を伏せた。

「…ともかく、T・Tは、レクイエム化とほぼ同じ事を、意図的に起こせるわけでね。スタープラチナにありったけのエネルギーを流し込み、発生する現象の最終段階であるレクイエム化まで、強制的に引っ張り上げた。

 スタープラチナの時止めって、時間にすら干渉するほどの行き過ぎた加速によって起きてるでしょう。だから、レクイエム化がそれ以上の加速を可能にした。たぶん、元々のスタープラチナにとっては、時間停止は加速と同義で…うーん…、すごく説明し辛いんだけど、原因と結果が一緒に起きるから区別が無いというか…、停止と加速が一緒ってのもおかしいんだけど…。

 ともかくT・Tは、それをスタープラチナに頼んだ。ディオの反撃を時止めで殺し、百年だか二百年だかを巻き戻すのにかかる時間は、手の中の空間を加速させ帳消しにした」

「スタープラチナが必要だったか?」

「え?」

 訝しげに言ったのは承太郎だった。

「遠回りしねえでも、T・T自身がレクイエム化とやらを使えばいいだろうが」

「情報過多でごめん。T・Tは最初からレクイエムで、それ以上の上限一杯」

「何?」

「巻き戻しに時間がかかったり、亜空間作れても手がペラかったりで、能力おっとりしてるからそう見えないけど」

「条件を満たしている、という事だよ。承太郎」

 花京院が承太郎を見た。

「彼らにとって最大の問題はエネルギーの総量だ。T・Tはそれをクリアし、自我と複数の能力を持っている。ただし、池上さん」

「ん?」

 また視線を戻した彼は、険しい表情を浮かべた。

「僕らからすれば、〝そう見えない〟最大の原因は、能力が云々ではない。池上さんが〝残っている〟からだ」

「ああ。そうだね。それはあるかも」

 あっけらかんと頷いた千時に、花京院は眉根を寄せ、悲壮な色を見せた。だが千時はそれにも気付かず、承太郎へ視線を戻した。

「その上で、T・Tはこの星に生物として適応してる。私を消してこの体に入りさえすれば、完璧な融合個体になって、単独でこの星に生きていられる。アヌビスと同じスタンドアローン…ていうとジョークみたいだけど、無機物としての適応を果たした彼が失われた今、恐らく、唯一になった適合種。彼らの種族の〝可能性〟そのもの。

 だからアヌビスが欲しがった。スタープラチナさえ従った。

 考えてもみてよ。スタープラチナは、承太郎、あなたのスタンドでしょ。ホリィさんを助けたい気持ちは同じ。なら何故、レクイエムの力を与えられた瞬間に、ディオを消しとばさなかったのか。

 その理由が、T・Tの優位性なの。

 彼らは、種の未来のためにT・Tを失えない。そもそも感情が未発達なんだもの。理知、理性で思考したら、どう考えても天秤はT・Tに傾く」

「ちょっと…、いいか」

 首を傾げたポルナレフが、あからさまに考え込みながら、視線を泳がせた。

「よー分からんが、T・Tは、力を押し込んだスタンドを従えられるって事か?」

「語弊があるけど、まあそんなところ。少なくとも攻撃はされない。相手が従いたくなくても、T・Tが自分自身を人質にしたら、理性的思考の勝る彼らとすれば従うしかなくなるんだと思う」

「ならどうしてザ・ワールドにそれをしなかったんだ。奴のスタンドさえ抑えちまえば、それこそ、スタープラチナで太陽の下に引っ張ってってジエンドといけた筈だぜ。T・Tは何を考えてンだよ。アア?」

 言っている内に沸き上がる感情があったようで、声音はトーンを落としていった。ポルナレフは千時を睨み据え、拳を固く握り込んだ。

「赤ん坊をハイそうですかで殺せる奴なんざ、この中には居ねえんだ。赤眼や牙の一つも残っていりゃあいいものを、どう引っくり返したってただの赤ん坊になっちまってるなんてよ。ジョースターさんがどんだけ頭抱えてると思う? やるとなりゃあ、俺が一思いに殺してやるが」

「ポルナレフ」

「よせ、花京院。俺なら、悪党相手とはいえ既に手は汚している。そういう事はできる奴に任せりゃいい」

「なら私もだ」

 遮ったのはアヴドゥルだった。

「それよりお前、また一人で勝手にどうのこうのと。何度言えば分かるんだ。始末が済むまでは一蓮托生と思え」

「そうかい。ありがとよ、アヴドゥル」

「なあ、おい」

 慌てた様子で、ジョセフが取りなした。

「まだ殺すとは決めとらんじゃろう。ホリィの具合は良くなったんだ。元がアレでも、今のところはただの赤ん坊にしか見えん」

「このままとは限りません。事態の急変を恐れているのですよ、ジョースターさん」

「確かに」

 花京院が深く頷く。

「本当に人間に戻ったのか、記憶も無いのか、外部からでは分かりませんからね。吸血鬼に成り果てた男だ。何があっても不思議じゃない」

 加勢を得たからか、ポルナレフは厳しい口調で言い募った。

「スタンドが理性的だの言うんなら、こっちが困る事くらい想像つくんじゃあねえのかよ。え? どうなんだ千時。それとも、たまたま運悪く、T・Tがスタンドの中でも無類のバカだったとでも言うのか?」

「バカなのはT・Tじゃない。私」

 千時は即答し、驚く彼らと一人ずつ、順に視線を合わせながら告げた。

「ごめんなさい。私がそう望んでしまっていたからなの。本当にごめんなさい」

 数瞬、彼らは絶句した。ポルナレフは驚愕に目を見開き、迷う言葉を泳がせた。

「の、望んだって? お前が!? この、こんな事態をか!?」

「救済を、よ」

 千時はといえば、落ち込んだ様子ではあったが、それでもあまり複雑な感情は滲ませずに、ただ事実を並べるだけのような調子で答えた。

「私は〝救いたい〟というだけで動いてきた。ディオに対しても、倒さなきゃという意志はあっても、直接的な憎しみが無かった。私は彼の…ディオ・ブランドーの物語さえ知っている。彼の生い立ちと理由を。あなた達を助けようとは思っていたけど、ディオを殺したいとは思っていなかった…意識的にそう思っていたわけじゃあなくても、きっと心の底で、殺したくなかったんだわ」

「同情してたってのか…!? あの悪党にッ!!」

「たぶんね。少なくともT・Tはそれを知っていた。…私が」

 ようやく彼女に、落胆と憔悴でない、激怒のようなものが走った。

「この手を汚したくない卑怯者の大馬鹿だって事をッッ!!」

 叫びは、小さく響き続ける赤ん坊の泣き声を掻き消し、けれど長くは続かずに、蝋燭の火のようにふっと落ちた。この日、彼女が見せた極端な感情は、ただこの一度だけだった。

「だから戦いの最中、T・Tはあまり積極的じゃなかったし、攻撃的じゃなかった。日の出の間際、タイムリミットに気付いて〝救った〟だけ。私の、〝意志〟でなく〝望み〟通りに。

 …今後の処遇は、皆の決定に従う。あの赤ん坊については勿論、私自身についても、あなた達の言うとおりにする。責任を取れと一任されるなら、私がちゃんと殺す。私だって、ディオをこの世から消し去るのを目的にここまで来たんだもの。何も気にしないで決めて。あなた達にとって一番良いように。そうしてくれるのが私も一番嬉しい」

 それからまた少し、沈黙が通り過ぎた。

 誰もが、口を開こうとしては、押し黙った。

 千時は眩しそうに何度か瞬きをし、やがてまた、ごめんなさいと小さな声で謝った。途端、ジョセフが彼女の頭を抱き込んで、胸元へ押しつけた。まるで何かから守ろうとでもするかのように、彼は、太い両腕で彼女を覆い隠し、絞り出すように言った。

「すまん。わしが悪かった。お前を連れてこなければ…、巻き込むべきじゃあなかった。謝るのはわしのほうだ。ごめんなあ」

「なんでジョセフさんが謝るの」

 千時は、ほんの少し笑った。

「私がついてくって言い張って、それで喧嘩したじゃない。二日も口きいてくれなかったくせに、もう忘れちゃったの? 最初から私のしでかした事で、ジョセフさんはワガママきいてくれただけよ。

 …でも、本当にありがとう。本当に、ごめんなさい」

 彼女は目を閉じ、ジョセフの腕を掻き抱いた。

 

 五人は千時に、一時間後の夕食の席へ必ず来るよう約束させてから、部屋を出た。廊下はあまり広くなく、彼らの体躯では二人並ぶのが精々である。ドアのそばにいて最初に部屋を出たポルナレフがその場をどかなかったため、部屋の前は少しばかり混雑した。

 ポルナレフは最後の一人が出てくるのを待っていたらしい。ジョセフがドアを閉めるなり、その肩を捕まえ、小声でまくしたてた。

「ジョースターさん。焼け跡から大勢の死体が出たって、言ってやりゃあいいんじゃねえのか。ディオはそれだけの事をしてきたんだと突きつけて、殺すのが一番良いと教えてやろうぜ。あんなド腐れ野郎なんざ、誰が気に病むこともねえんだよ。そうだろ?」

「ポルナレフ」

 ジョセフは困惑げに仲間を見つめ、眉根を寄せた。肉体ではない疲労が色濃く映る瞳には互いにそっくり同じ、どうしようもない哀しみがあった。

「お前さんは覚悟の仕方を知っている。その若さで見上げたものだ。わしも若い頃なら、お前に倣ったろうと思う。

 だが、今はもう無理だ。そうするには長く生きすぎた」

 ジョセフは長いため息を、ゆっくりと吐き出した。

「あの子は、もう一人のホリィなんじゃよ。闘争心が無く、スタンドを暴走させて死んだ…。千時はわしらと一緒に、自分自身すら騙してきたのだ。戦いとは無縁の、ごく普通の子が、戦えるフリをして戦ってくれた。ただ我々を救うためだけに。

 この上まだ背負わせようなど、わしにはできん」

 帽子の鍔を引き下げる仕草は、常なら孫のやる事だったが、ジョセフは同じようにして目元を隠した。

「真夜中に、膝を抱えて震えとったことがあってなあ。かわいそうなことをしてしまった」

「…嘘つくの巧えからな。アイツ」

 ポルナレフは、ぽつりとこぼした。

 

 

 一時間後、一階の小さなレストランには約束通りの六人と、足元に一匹が集まった。ただ、待ちかまえていたのは夕食でなく、大挙して押し寄せた地元警察だった。ずっと上階に居た六人は知らなかったが、財団のサポーターはこの時までずっと、爆破事件への関与を疑う警察と、迷惑がるホテルを相手に、交渉と調整を続けていたのである。

 この時代のエジプトは比較的安定していたが、それでも、治安が良いとは言えなかったし、宗教における周辺国との軋轢や領土の係争があった。大規模な爆破事件など、真っ先に組織犯罪が疑われるのは当然で、既に財団員が順に事情聴取を受けている真っ最中だったそうだ。

 その場でアヴドゥルも交渉に参加し、現地語の言い争いで三十分は粘ったのだが、結局、全員が連行されることとなった。

 


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