静かだった川辺の道が、俄かにわあわあと騒がしい。
「何だ…?」
ポルナレフが眺めている先で、承太郎と花京院が通行人を捕まえていた。
「ちょっと聞いてくるぜ」
「うん」
ポルナレフは、ターッと走っていって二人と話し、ターッと戻ってきた。あれ? 裏口にアヴドゥルが居ない。
「アヴさんは?」
「もう一度ジョースターさんを呼びに戻って、まだ来てねえってよ。
それより、線路が切られちまったらしい」
「線路?」
「ひでえ事する奴も居るもんだなあ。いったい何の意味があってやってんだあ? バカなのか? 俺は思うんだが、そういう奴は因果応報で、自分も酷い目にあうに決まってるぜ」
ポルナレフは勝手にぶつくさ言って、また数人、一方向へ駆けていくのを眺めた。
「鉄泥棒かな」
千時が言うと、彼はますます呆れ返ったようだった。
「それにしたって、線路なんぞもってくか?」
「マンホールもやられるくらいだし、あるかもよ。今エジプトで鉄の価格上がってたりする?」
「知らん知らん。何、価格で盗むわけ?」
「じゃなきゃ犯罪だもの、割に合わんでしょうよ」
くだらない話を流して、適当なところで仕切直し。
またイギーにこっちを向かせて、スタンドの立ち上げ動作を繰り返す。
砂漠の時よりは砂の量が少ないからか、ザ・フールも最初は小さかった。が、段々と広範囲の砂を集め始めて、立派な大きさになってきている。
「ちょっと一度、チャリオッツお休みね」
「うん?」
「サンド!」
千時はイギーに、合図無しで言ってみた。イギーは片目を丸くして、いかにも不審げな顔をしたが、千時がほら、よし、やって? とテンション高めで促すと、渋々、構えた。
「わー! えらいえらぁい!!」
砂のスタンドが、悠々と立ち上がる。千時はポケットの中のガム全部を出し、まとめてイギーに差し出した。
「アギャギィッ!」
当然! とでも言ったか、ボストンテリアは胸を張って、ガムの束をひったくって行った。
「イギたんマジ賢い! 見た!? ブラボー!?」
最高にハイッてやつで振り返ると、ポルナレフも万歳してウンウン頷いた。
「ブラボー!! 犬ってこうやって躾けんだな! 初めて見ちゃったぜ」
「あとは定着するまで繰り返し。今日はおしまいにして、明日か明後日、また付き合って」
「いいぜ。俺の命令でも出すようになったらいいなァ」
フッフッフ。ちょっと優越感。千時は、いずれポルナレフにもコマンドを出させると約束して、地面に置いていた首輪とリードを拾い上げた。
ホテルの裏口まで戻ると、花京院が見てたよと笑った。
「イギーにスタンドを出させているのか」
「そー。すぐ確実になるはず」
隣の承太郎がしゃがんで、寄ってきたイギーの顎を撫でている。イギーはまだ口をモゴモゴしながらご機嫌だ。
「俺でもきくか?」
「定着したらね。承太郎なら、ポルナレフが指示出すよりちゃんと従うと思う」
「えっ何で!?」
「ポルナレフは初対面がマズかったんだよ…」
「ええーっ!?」
今度は千時が、飼育経験の無い男性陣にちょっとばかり犬を解説したのだが、まあそれはおいといて。
「おッせえなあァ…」
アヴドゥルとジョセフがまだ来ない。
ポルナレフは時計を見て、大きなため息をついた。
「なにやってんだア? 女の身支度より遅いんじゃあないの?」
「あなたの隣に、起きて10分で出てきた女がおりますけど」
「お前ねえ、事実はともかく、もうちょっと色気ってもんを考えた方がいいぜ」
「私が色気なんか出したら全員爆笑するに千ドル賭ける」
「ソレ爆笑しないに誰も賭けねえから成立しねえな」
「また電柱が失礼なこと言った」
「自分で言っといてそりゃ無い」
…ブフハハハ! 二人で笑っている間に、承太郎と花京院も各々、時刻を確かめ、顔を見合わせていた。
「そろそろ9時か…」
声音が重く、笑いが引っ込む。意味は、分かりきっていた。
「敵と遭遇しているかもしれませんね」
「ちょいと見に行ったほうがいいかな」
「ああ」
戦闘員の手を空けるため、手荷物の鞄は千時が持った。
一気に緊迫する三人の空気から少し下がって、イギーの背中を軽く叩く。
「行くよ、イギーちゃん」
「アギ」
飽き飽きした顔だが、ボストンテリアも立ち上がる。彼は歩きだしたポルナレフの足もとへ絡みついて、キャンキャンと不服げな声を上げた。
「あーわかったわかった、腹減ってんだろ。俺もだよォ」
正面に向かう角でイギーに「まて」を指示し、ホテルのロビーを一巡。そのままエスカレーターで上へ戻り、アヴドゥルとジョセフが居るはずの部屋へ向かう。
「ポルナレフ、油断するなよ」
「誰にモノを言ってんだ」
前を歩いていた二人がそのまま部屋へ入り、
「きみは入るな」
花京院が千時の肩を押さえて、何かあれば飛び込めるよう待機する。
中からは承太郎とポルナレフの声しか聞こえず、二人が戻ってきただけで、占星術師と老人は不在だった。
「こりゃあいよいよ、怪しくなってきたぜ」
ポルナレフが廊下を眺め遣り、花京院が頷く。
「周辺を探そう。大した時間は経っていないから、近くに居るはずだ」
「千時、なんか知らねえか」
廊下を歩きながら話を振られ、千時は懸命に記憶を辿った。
なんかあったかなー…!? ピクシブのネタとか見てたりしなかったか…。それともまとめ…感想サイト…。残る敵の情報は何だったか…。
曖昧で朧気で、根拠もへったくれも無いが、千時は言うだけ言ってみた。
「昨日、ジョセフさんがコーラの王冠、三つも付けてた」
「コーラの王冠ン? こんな時に、どうでもいい事言ってんなよな」
「いや、義手も調子悪いって言ってたし、磁石だったか磁力だったか使う敵スタンドが居るはずだから、もしかしたらと思ったけどどうだろ」
「ん」
承太郎が低く呻く。
「そういえば、俺も昨日見たぜ。ジジイの肩にクリップが付いていた。取ってやったら布地に引っかかっていなくて、妙だとは思ったが…」
とにかく歩みは止めずにホテル前の大通りへ戻る。左右を見るが、やはり居ない。
「得策じゃあないが、二手に分かれるしかないか…」
「いや、危険だ」
意外にもポルナレフが首を横に振った。
「昨日も言ったが、エジプトに入って敵は厄介になってきている。千時は頭数に入らねえから、片方が一人になっちまうぜ」
「ポルナレフ…」
「うん?」
「たまにはまともな事を言うじゃあないか!」
「お前その上から目線は何なわけエ!?」
褒めてるだろ、どこがだよ、とコント開始で承太郎が例のやれやれ。おい孫、おじいちゃんピンチかもしれないのに悠長なため息ついてないで止めなさいよ。
「はいはいはいエンタメは後でいいから! 歩く歩く!」
千時は花京院とポルナレフの服の裾を引っ張った。
イギーはちゃんと角で待っていて、途中までは足もとを付いてきていたのだが、しばらく行ってふと見ると姿を消していた。こういう時に首輪とリードを付けておけばなあと思うのだが、初日から付けっぱなしはかわいそうだし、今更言っても仕方がない。人二人を捜す方が急務である。
やがて、広場に面した幅広の交差点へ差しかかった。
花京院とポルナレフはごちゃごちゃやっている間に後ろへ下がっていて、必然、千時は承太郎の隣を歩いている。妙に後ろが静かになり、ああ喧嘩し終わったのかなと横目に振り返った時、
「あれええええ!?」
彼女は悲鳴を上げた。
「居ない!!」
「花京院! ポルナレフ!?」
承太郎も声を張り上げるが、どこを見回しても二人の姿が無い。
「おい! 承太郎! 敵だ! 敵が現れやがった!!」
急に遠くからポルナレフの声が響いた。
「ポルナレフ、どこだ!? ポルナレフ!!」
「承太郎! こっちだ!」
ところがである。
「どっちよ!?」
声が反響していて方向が分からないのだ。広場に面しているため、建物が周囲を丸く囲んでいるせいである。通行人も異国語の怒鳴り合いにびっくりしているが、顔の向きはバラバラだ。
「えええー!? どうしよう、どうする!?」
もう声が聞こえてこない。あたふたと探し続けながら、とりあえずあっちかなあなんて踏み出しかけて、千時は肩を掴まれた。
「闇雲に動くんじゃねえ」
「けど」
「まいったな…」
取り合わず、承太郎は小さなため息をついた。
千時はそれを見て、妙に落ち着いた気持ちになった。いやそらそうだよ、彼、今、私っつーお荷物抱えて異国に一人ぼっちなんだよねこれ。
「ああー…じゃあ、あの電柱頭なら絶対誰か見てるだろうから、どっち行ったか聞き込みしよ」
千時はやっと頭を回してそう言い、承太郎を頷かせた。
しかしここで、二度目の〝ところが〟が起きた。
「こっちです! 大変だ!」
何だか知らないが小っちゃこい子が、日本語で叫びながら全力疾走してきたのである。いや子供と言っても、千時が150センチで目の高さに頭のてっぺんだから、130センチくらいはある。
しッかし格好がひどい。お父さんのを着てきたの? ブカブカのシャツは膝まであるし、ズボンも大きくて脱げそうなのを両手で引っ張りあげて走ってくる。こけそうな事この上ない。なりふり構わず駆けてきたせいで、後方には二つ、これまた大きな靴が放り出されている。
二人が呆気にとられていると、十歳くらいに見える少年は、ゼエハア息を切らして続けた。
「大変です! 敵を見つけました、今…、あれ? 誰だったっけ…、えっと、ポラロイド…違うな…、とにかく! 彼が追いかけてるんです!」
……えっ。何だろう。日本語だし日本人の顔立ちしてるが、いや、うん、え?
「えっと…あれ? 名前が出てこない、じょ…じぇ…、水っぽい…」
少年はひとしきりブツブツやってから、ハッと顔を上げた。
「僕です! 花京院典明です!」
「はあ?」
「証拠に服があります! 裾が長くて走れなくて、向こうに置いてきました!」
言うなりくるりと振り返り、置いてきた靴に駆け寄る。さらにピョーッと走って行って、曲がり角のあたりで何かを拾うと、アレコレ抱えて戻ってきた。
「これです! 僕の上着です!」
受け取った千時は、目を丸くしながら服を広げた。
「ホントだ…」
裾の長い、緑がかった色の学ラン。こんなもの、エジプトには彼の一着しかあるまい。
「あ。ピアス落っことした」
少年は両耳に手をやって、眉根を寄せた。
「探してきます、ちょっと待ってて」
またテテテーッと走っていく。
千時が承太郎を見上げると、承太郎の目は唖然として少年の背中を追っていた。
「あれは…、攻撃、か…?」
ボソッと呟く。
「そういやあったわ幼児化ネタ…」
千時も唖然としながら答えて、途方に暮れた。
「アレッシー?」
「そう」
ポルナレフを探して路地をさまよい歩きながら、千時は頷いた。
「完全にネタ扱いしてたから、すっかり忘れてた。私あんまりちゃんと調べてなくて、実際に誰が掛かるのか知らないんだけど、このタイミングって事はノリさんじゃなかったはずだから…」
ちらり。学ランの大男を横目に見る。
頭をよぎるのは、例の衝撃的キレイな承りだ。もしかして生で見られるのかな。正直、ちょっと見てみたい。いやそれどころじゃないけども。
視界の端で花京院がうなだれた。
「なんだかすみません。混乱させてしまって」
彼は履きなおした靴をパッカパッカと鳴らしながら、一生懸命歩いている。ちゃんと見れば顔立ちは彼のまま、ただ幼いだけだし、髪の少し赤っぽいところも同じだった。が、あの特徴的な前髪は無い。ピアスホールも無いから、高校デビューだったりするのだろうか。余ってしまうベルトでズボンの腰回りを折り返して間に合わせ、拾ってきたピアスはポケットにしまった。足元は最初、千時が足首まで折り返したのだが、ちょっとすると落ちてくるので、もう膝下まで捲ってある。
長い学ランは子供の手に余るので、畳んで千時が持った。今日の彼女は荷物持ち担当だ。
「ノリさんが謝ることないよ。敵のせいなんだからね」
どう接したものか少々悩みながらも、ついつい口調が子供用に優しくなってしまう。
「それに、混乱なんて。ちょっとびっくりしてるだけ。似たような事は、T・Tもできるんだし」
「ティーティー?」
「うわ…」
きょとんとする花京院に、思わず青褪める。承太郎を見ると、彼の方も千時を見ていた。
「精神も記憶も、戻っちまっているようだな」
「ぽいよねやっぱ…」
とうとう花京院は足を止めた。
「そうかもしれないです。お二人を知っているのに、なぜ知っているのかが分からない…」
打って変わって不安そうな表情だ。千時は慌てて笑いかけた。
「大丈夫! 私達が覚えてる。絶対、敵を倒して元に戻すからね。このおにいさんが」
ビッと承太郎を指させば、少年も大きく頷く。むちゃくちゃ頼りになるという事は覚えているらしい。
承太郎の方は、ため息をついた。
「でも、僕は嬉しいんですよ。だってお二人とも、僕の友達が見えているんですよね!」
少年の心情はころころ変わる。言うなり背後にエメラルドグリーンのスタンドが現れ、陽光を弾くようにキラキラと輝いた。触脚が数本、作りかけのわたあめのように、ふわり、宙に浮いている。
ハイエロファントグリーンもまた、少しばかり等身の足りないサイズだった。
「う、うん。見えるね…」
頷いてやれば、少年は満面の笑顔で、さも嬉しそうに肩を竦める。
かわいいよ、かわいいけどコレ、あたま大丈夫か? いやたぶん大丈夫じゃないんだろうな。一七の花京院典明はこんなに表情豊かではない。こんなに全身で嬉しいと言うようなタイプでもない。
彼はまたコロッと表情を崩し、少し眉根を寄せてみせた。
「とても申し訳ないんですけど、お名前を教えてくださいますか?」
「えっ、ええ、ああ、はい。千時です。池上千時」
「そちらは?」
……ちょ、おい、承太郎お前!!
「こ、こっちは承太郎…」
千時は慌てたが、花京院は気にもせず、こっくり頷いた。
「承太郎おにいさん」
爆弾投下アアアアアア!! おまっ! おっまえ!! 大丈夫かノリさんアンタ、あんまやらかすと元戻った時恥ずか死んじゃうぞ!? 覚えてないといいけどな!?
悶絶しきりで泡を食っていると、今度は承太郎が立ち止まった。
見れば、何やら路地の前で、また子供に掴まっている。今日は縁があるなあ。
「ああっじょ、じょう…いや、ジェイ? ジャッキー!?」
これも小さい子で…いやどうだろう、背が高くガタイの良い承太郎と同時に視界に居るから、サイズ比がおかしく見えているかも。いやいや、花京院より小さいから間違いじゃない。だいぶ小さい。
「おい、坊や」
承太郎は少しマイルドな声音で、おそらく彼にしてみれば可能な限り優しげに、訊ねた。
「今、このへんで、フランス人の男を見なかったか。身長はこのくらいで、シルバーの髪を逆立てた男なんだが」
「そっそれは僕だ! 僕! 僕!」
…なんだろう。なにごっこ? イタズラか? 子供ってのは宇宙人だからなあ。きみの髪は焦げ茶だぜ。せっかくかわいいゆるふわカールなんだから、電柱スタイルはおススメできない。顔にはそばかす、ちょっと出っ歯なのはきっと永久歯への生え変わりの時期…何歳くらいだっけ?
いやなに、もう花京院一人でいっぱいいっぱいなのだ。勘弁してほしい。
「やれやれ。子供に聞いたのが間違いだったぜ」
承太郎が帽子の鍔を引き下げ、踵を返す。
「ま、待って…」
「ごめんね、急ぐから」
千時も、追い縋る子供に花京院が掴まらないよう、手を繋いで、ささっと歩き出した。花京院少年の靴がパッパコパッパコうるさい。
「すみません、あの、うまく走れないんです」
「あ、ごめん」
手を離し、承太郎の背中を叩く。
「ゆっくり!」
「おう」
そういやそうだった、みたいな顔で、承太郎は歩調を落とした。やっぱ基本のコンパスがなあ。何とも言えない気持ちで、千時は花京院と並んだ。
年齢操作なんていうのは、二次創作だと萌えしか無い。いや萌えだけで出来ていると言って過言ではない。千時も嫌いじゃないのでカワイイカワイイと見ていたが、こうして現実に起きてみろ、呆気に取られ途方に暮れるばかりだ。萌えてる余裕など微塵も無い。
ああ、こういうのこそ、テレビ画面の向こうで見たかった…。残念無念また来週、なんて伝説的テニス漫画のセリフを思い出したりしつつ、たっぷり二十分。通り掛かる人に訊ねたり、店の中を覗いたり、わざと細い路地を通り抜けたりしたのだが。
「居ないー…居ないわけない、あんな目立つ電柱ウゥー…」
「ゴチャゴチャうるせえ」
「だってジョセフさんもアヴさんも居ない…」
「黙って探せ」
「探してるっつーの」
手がかりが無い、花京院の足が遅い、襲われてる、三人行方不明、ついでに、承太郎からすると連れが役立たずの独り言女。苛立つ要因しか無いのは千時にも分かる。分かるが、言い合いになるたび花京院少年が酷く不安そうな顔をする。独り言くらいスルーしてもらいたい。こっちだって困り果てているのは同じだ。
「こっちの道とかは?」
気分を変えようと、横手の道路を指さしてみる。
「住宅街だぜ」
「戦う時、広い場所とか、人の少ない方へ行かない? 漫画とかではセオリーだと思うんだけど」
承太郎は納得したやらしないやら、のっそりとそちらへ向かった。
人通りは無く、花京院の靴だけがパコポコと賑やかだ。
「足、大丈夫? 靴擦れとかしてない?」
「平気です。実はね」
花京院は内緒話をするように、肩をすくめた。
「もし靴擦れしたら、ハイエロファントを挟めば、痛くないんですよ」
「あっ、そうかあ。そんな便利な使い方もあるんだねえ」
「ふふっ」
得意げに胸を張る。
千時もつられてニコニコしながら、出しっぱなしのハイエロファントを見た。つい先刻やっと思い至ったのだが、彼がやたらに上機嫌なのは、この年齢の頃に友人が居なかったからだ。スタンドの見える相手が居るというだけで、ご機嫌なのである。
「便利なだけじゃないですよ。敵を見つけたら、ボコボコにしてやるんだ。ポ…ポロ…ポリバケツ、じゃないな、とにかく、彼を助けなきゃ」
…仲間の名前がポリバケツに化けてしまった。ああ、うん、いや、バケツね、ひっくり返せば髪型的にはわりと似てないこともなくもないかも…しれないが…。
後で教えてやるべきか悩みつつ、一軒の前を通りがかった時だった。
ガチャーンと凄まじい音が、頭上から響いた。
「危ない!!」
最も俊敏に反応したのは、なんと花京院だった。千時がハイエロファントに肩を引っ張られ、後ろへたたらを踏んでいる間に、降りかかってきた幾つかのガラス片を触脚がキャッチ。承太郎も窓枠のかけらを一つ、腕だけのスタープラチナで掴んでいる。
そうね。きみらの危ないって、見知らぬ人が地面に激突する事じゃあないわけね。
千時は目の前で悶絶している血塗れの男に、ひきつった笑みを送った。
昨日は謎の釘が刺さったおじさん、今度は二階の窓突き破って落ちてきたおじさん…。
「だ、大丈夫ですか…」
つい日本語のまま、またT・Tに頼もうと一歩踏み出しかける。
「やめろ」
承太郎の低い声が制止した。
「窓から血だらけで落ちてくるなんて、普通じゃあねえ」
その通りだが、ちょっと、いや、かなり痛々しい。一番酷いのは切り傷だらけの顔だが、肩と腕も打ってるし、立ち上がったらフラフラしている。
「うああああっ!」
男は、…しかしなんともわざとらしく、悲鳴を上げた。
「この家のご主人様に叱られるぅうう! 窓拭きしてたら足を滑らしてしまったあーッ! どうしようどうしよう、叱られるうう!」
……ああ、うん、お母さんが見ちゃいけませんて子供の目を塞ぐ系かもしれない。古今東西、頭のおかしい人ってのは居るものだし、今はノリさんが子供だ。教育上よろしくないかも。いや教育ってそれも変か。
目の前の事態へ付いていけずに、変な事を考えていると、また頭上から音が降った。今度は子供の声だ。
「待ちやがれえーッ! このクソオヤジ!!」
見上げた二階の窓には、子供が居た。
「ええっ!?」
すっぽんぽん!? いやそこじゃないや、さっきの子!
「あっおにいちゃん!! ……誰だっけ!? 誰だっけえぇー…!?」
そばかすの子供は、承太郎を見るなり頭を捻りだした。承太郎も上を見ている。その瞬間、フラフラとしていた男が、唐突に振り返った。
「隙有りッ!! 承太郎オオォォ!!」
千時が振り向いたときにはもう遅い、路面には目玉の付いたCGのような影が延び、薄気味悪い両手をクロスして、承太郎を捕まえようとしていた。
「ああっ! そいつの影に気をつけて!!」
頭上の子供が叫ぶ。それより早く承太郎は地面から足を離していた、が、
「しまったああ!」
子供が慌てたのと、
「ィやった! 触った! 承太郎の影に触ったぞおおッ!」
男が狂喜したのがほぼ同時、
「テメエら全員ガキにして、なぶり殺してやるうッッ!!」
傷だらけの顔で続けて叫びながら、そばに落ちていた斧を手に取る。影は承太郎を襲ったそのまま、みょん、とおかしな延び方をして、横合いへ時計の針のように動いた。
この間、数秒。
「T・T! ガード!!」
迫り来る影に、千時は思わずそう叫んでしまった。何のスタンドだか知らないが、なにせ自分の後ろに花京院が居る。これ以上はマズい、彼だけでも守らなければと当然思う。
しかし千時は、もう一瞬後には後悔し、ギュッと目を閉じるしかなかった。ガードしたって可視の空間には陽光が射す! 影は消えない!!
「無駄なんだよクソガキ共ォーッッ!!」
勝ち誇った敵の笑い声が聞こえた。
わあああマズい、これまでに無くマズい、花京院は無事に済んだだろうか。…なぜこんな事をゆっくり考える余裕があるんだろう?
「…なっ…、な、何イィ!?」
男の声が、焦燥に変わった。
「へ?」
千時が恐る恐る目を開けると、そこにあったのは、ギョロリと目を剥く真っ黒な壁。
「え、は…」
意味が分からず眺めて数秒。
「ああっ!?」
事態が分かった。T・Tのドームの上に、影のスタンドが乗り上げ、張り付いているのだ。
「何だこりゃああああーッ!?」
アレッシーの絶叫が響いた。
「何で効かねえ!? 俺のセト神は影のスタンドなんだぞーッ!?」
暗くなったT・Tの手の向こう側、二つの目がギョロギョロ慌てている。まるで出来の悪いホラーだ。
「大丈夫ですか!?」
背後の花京院がやっとそう言い、千時は、正面から目を離せないながら、頷いた。
「な、何だか知らないけど、大丈夫みたい…」
「どういうことです!? あなたのスタンドは、相手の能力を消す能力を持っているんですか?」
「違う!」
千時はたまらず敵から目を離し、振り返った。
「T・Tの一番の能力は〝巻き戻し〟だよ! ノリさんが見つけてくれた!」
「え?」
彼は一瞬、きょとんとした。それから、酷く複雑に眉根を寄せ、頭痛でもするかのように両手で頭を抱えた。
「ああっ…、そうですね…。どうやら記憶が、どんどん抜け落ちていくようだ…」
だが、持ち前の冷静さは残っていたらしい。次にはもう、少年らしからぬ知将の片鱗を覗かせた。
「しかし、状況はわかりました。歯車です!」
「歯車?」
「同じ方向に回る歯車が噛み合ったら、拮抗して動かなくなる。巻き戻し同士なんですよ、敵と、…ええと、おねえさんのスタンド能力は!」
あれ? おねえさん? おねえさんて言った? この子?
千時は説明も話半分で、ドバッと冷や汗が吹き出すのを感じた。いや確かに千時はもともと年上だから、彼にそう呼ばれてもおかしくはない。だが。そんな。さっき名乗ったでしょ、何をどれだけ忘れたの?
混乱の中、不意に視界が明るくなる。後退した敵の影の手元が、じわりと形を変えていく。
「何だか知らねえがこんなチビの女、ガキと一緒だ!! ブった斬っちまやいいんだ! ディオ様、俺はやるぜ!! 礼金はたっぷり弾んでもらうからなアーッ!!」
男が錯乱したように斧を振り上げた時、影も同時に斧の影を振り上げた。
宙に、立体の形で。
「うわ! 嘘ォ!?」
影の斧が現実の物と同じほども切れるなら、T・Tの手はあっさりやられて、同時に千時の手がおじゃんになる。
刃の先端は掠り…そうになりつつも、いきなり横手へ吹っ飛んでいった。
「テメエ、子供だからってナメてんじゃあねえぜ」
トーンの高い、子供特有の声音。
けれどその口調は。
「承太郎!?」
うわああああああああ小っちぇえええぇぇぇ!! 身長が背後の花京院より低い! ダメだ! 服がグダッグダだ! うええええ!! ちょっ! もう! 処理が追いつかないんだぜ!? こんな時にテメーどこ行きやがったバカナレフ! 助けてええぇぇ!!
承太郎のタックルで吹っ飛んだらしいスタンド使いは、腹を押さえ、涙目で起きあがった。
「畜生ッ! ぢぐじょおおおおッ!!」
今度は何をと思ったら、意外ッ! それは逃走ッッ!! 出し抜けに走り出した。
「お願いだ! そいつを逃がさないでッ!」
二階の窓の子供が慌てふためいて身を乗り出す。
「時間が無いんだ!!」
何だって!? 時間!? 知らん知らん! けど逃がして困るのは一緒、英語もままならないのに頭フワフワになってく子供二人連れて残り三人探せってのは無茶だ! ここで捕らえる以外に無い! 私にやれってか!!
うあああ勘弁してよおおお!
千時は泣きそうになりながら駆け出そうとしたが、その時、
「任せてくださいっ!」
やたらキラキラに張り切った声が響いた。
「ハイエロファントグリーン!!」
触脚が一本、一直線にアレッシー目掛けて延びていく。
「捕まえろっ!!」
花京院が身を乗り出すと、エメラルド色のスタンドは頷いて体勢を低くし、触脚の先を地面スレスレに走らせて、アレッシーの足首に引っかかった。ただ引っかかっただけ。賢い! いや本当に賢い。大の男の胴を捕らえる力が無いなら、相手の走る勢いを利用する。いかにも花京院典明の発想だ。……子供の頃からこうだったら、さぞや親御さん方は扱いに困ったろう。どうだったんだろうなあ…。
ゲエッと低い悲鳴があがり、ドタッと転ける男の体。
承太郎が駆け出し、
「ナメるなと言った筈だぜ! オラオラオラオラァッ!!」
追いつくなり、その小さい拳で超絶連打を炸裂させた。
花京院もイイ笑顔で追いかけていって、ぴょーんと割り込む。
「僕にもやらせてくださいよ! エメラルドスプラーッシュ!!」
ボゴゴゴゴッと鈍い音が重なった。
「いっかい全力でやりたかったんだ! あースッキリした」
「ソレいいな。今の俺には見えねえが…何だったっけ」
「エメラルドスプラッシュ」
「それ」
「誉められるなんて嬉しいです! じゃあもう一回! エェェメラルドッスプラアアーッッシュ!!」
ドゴボボゴキペキャドブッ!! わあ。大サービスぅ。
千時が目を丸くしている内に、バタバタしていたアレッシーの体は、ガクリと動きを止めた。
「気絶しちゃった」
「へっ。つまらねえヤローだぜ」
ゆっくりどいた子供達の真ん中に、原形を留めない顔…。
「やったやったああーッッ!! 凄いぜ! おにいちゃん達ィ!!」
頭上からのエールがこれまた、かわいらしい声。花京院は満面の笑みで手を振っている。
……のどかなだけにエゲツない。子供が寄ってたかって、何この惨状。いや敵だから手加減は要らないんだけど、それにしたって、ああー…。
かける言葉も見つからない内に、敵のスタンド能力が解けてきたらしい。子供達の体がぐんぐん大きく膨れ上がって、見慣れた彼らに戻っていく。
「ぐお!!」
あらぬ悲鳴をあげたのは花京院。すわ何事かと思ったら、
「ベルトがッ…!!」
…ああ、ずり落ちるから一番短くしといたっけね…。
「うッわ! こりゃやべえ!」
二階からは聞き慣れた声。
慌てて見上げると、窓の奥へ引っ込んだ銀色の髪がちらりと光った。
「ええっ!? ポルナレフ!?」
「そーだよッッ! ちょっと待ってろ降りるから!! あーッ服はどこだ服はッ!?」
ドタバタと声が遠ざかる。
…ああ、あっちはマッパなのか…。
「やれやれ。とんだスタンドだったな」
果てしなく疲れた調子の承太郎だけが、精神的にも服とか色々的にも、割と無傷だったようだ。ちょっとシャツの腹を直している程度だった。
ベルトを締め直した花京院に上着を返し、ボタンを留めている間に、ポルナレフが降りてきた。半裸だがとにかくズボンだけ履いて出てきたらしい。寄ってきながらワンショルダーのチューブトップを被った。
「テメーら! なんで三人も居て、俺様に気付かねえのよ!!」
器用にもあの髪型を崩す事無く着終え、腰回りを整える。
「あんな小さくて気付けって方が無理でしょ、髪の色すら違ってて」
「違えよ! いっぺん途中で会った時! 俺うっかりフランス語だったろ! なんで通じるんだって思わなかったのっつー話!!」
「あ」
「ああ…」
「あアァ…」
脱力。そういやそうかも。しかし千時はあの時、全体的にそれどころではなかった。仏語だったか英語だったかも覚えていない始末である。
「…いやいやいや、そもそもジャン=ピエール・ポルナレフですって自分から名乗れば良かったんだよ、ノリさんはそうした」
「だあああーッ! そうか! その手があった!!」
あっちもこっちもパニックだったというオチ。今回ばかりは仕方が無い。
ポルナレフは苦々しい表情で、自分の体のあちこちを、痛そうに確かめた。
「七面倒な敵だったなあ。腹ァ蹴られるわ、手ェ斬られるわ、散々だぜ」
「斬られた? どこ?」
「これ」
「ひゃー!」
手首がやられている。血は止まっているが、だいぶ深そうだ。さっきの斧だろうか。
「だいぶザックリ…。T・T!」
頭上のネコミミマネキンに治すよう頼むと、薄ピンク色の両手が、ポルナレフの手首に押し当てられた。
「まあいいや。無事で良かった」
「おう。だが俺は、これじゃあ気が済まねえよ」
巻き戻しの済んだ腕で両手をボキボキ鳴らし、電柱頭はくるりと向き直った。
気付けば承太郎と花京院も、一方向を見遣っている。
視線の先には、哀れ、すでにボコボコで、さらにボコボコ予定の男が、体を起こしていた。
二次創作界の星、公式幼児化で高名なアレッシー先生、さようなら。
彼は、スティーリー・ダンの三倍くらいクシャクシャにされ、コンパクトに折り畳まれて、路地のどこかへ捨ててこられてしまった。再起不能は間違いない。回復したとしても、あれだけ嬉々とした子供達にボコられたら、もう子供相手でも襲えなくなっているかも。
その間、千時はというと、道に散らばったガラス片が危険なので、そばにあった木の枝を拝借して掃いていた。ここは一応都市部の筈だが、文化なのか貧富の差なのか、通りがかりに見かける現地人の子供が、靴を履いていなかったりするのだ。踏んづけちゃったらとんだ二次災害である。
と、さっきポルナレフが出てきた建物から、女性が一人、飛び出してきた。きょろきょろと周囲を見回し、千時を見つけて駆けてくる。何か訊いているようだが、現地語じゃあ分からない。
「あ、あ、イングリッシュプリーズ?」
分かるかどうか知らないが。遮ると彼女はハッとして、オー、ソーリー、と胸元を押さえた。幸い、できるようで、少し落ち着いてから流暢な英語を話し始めた。子供が通らなかったかと言う。
同じ建物から出てきたのだから、ポルナレフのことだろうか。それとも他の、普通の子供か? 返答に窮していると、路地から三人が戻ってきた。
ポルナレフの表情がパッと変わり、それを見た女性は、訊きやすそうだと思ったのか彼に走り寄った。
二三言を交わし、ポルナレフが言葉に詰まる。
学生二人は少し下がって、口を開かなかった。
ふと、思い切るようにポルナレフは顔を上げた。
「いいえ、子供なんて見ませんでした。行くぜ、皆。ほら、早く」
女性に背を向け、颯爽と歩き出す。
三人を追いかけて彼女の横を通る時、千時は、その細い指の中にブロークンハートの片割れがあるのを、見てしまった。
女性は男の背に、その耳飾りはと問いかけたが、返事は膠も無かった。
「一度も会ったことは無いぜ。会う筈が無い。俺たちは旅人なんだ。初めて来た場所だし、もう出発しなくてはならない。次の町へな」
彼の隣に並んだ時、千時は、よほど残念だったねと言いかけた。けれど、ポルナレフの横顔を見上げて、やめた。
花京院がいつもの調子でからかっちゃわないかと心配したが、そっちはそっちで自分のダメージに手一杯だったようだ。かわいそうに、記憶は鮮明に残っていらっしゃった。承太郎と千時をおにいさんおねえさんと呼んじゃった事だとか、ハイエロファント出しっぱなしではしゃいじゃった事だとか、靴擦れも便利に回避できるなんて要らんことを言っちゃっただとか、色々、消化し辛い微妙な件が思春期男子にのし掛かっているわけだ。中でも、承太郎をおにいさん呼ばわりしたのが致命的だったろう。それは何となく分かる。花京院典明十七歳は、さっきからズーンと黙りこくって、不気味なほど静かだ。ポルナレフにとっては不幸中の幸いとしか言いようが無い。
住宅街を抜けた後は、また街の中を歩きに歩き、とうとうメインストリートを外れてだいぶ行った空き地という辺鄙な場所で、ようやく、ジョセフとアヴドゥルに遭遇できた。どこへ行ってた、そっちがどこへ、と言い合いの間にイギーもひょこりと顔を出し、まあまあ何にせよ、全員が無事の合流。
もう時計は十一時を指していて、一行はとにかく、レストランへと一直線となった。
二階のテラスは、風の通る気持ちの良い席だった。言うこと無しの洋食店だ。
エジプトごはんも悪くはないし、おなかを壊すような店には入らないからいいのだが、なにせスパイスが慣れない。おいしいものと無理なものの両極端になってしまう。少し前、千時はテーブルの中の二皿程度しか手を出せず、アヴドゥルに楽しめなくてごめんねと謝った。しかし当のエジプシャンが、いや全然むしろ私も国外の食事のほうがおいしいと思うよ、なんてガッカリ発言するものだから、全員、おいしいまずいを言うのに遠慮が無くなった。
ここでの食事はおいしかったし、腹ペコも手伝ってか、男達はほとんど無言で食べ続けている。
千時は例によって、だいぶ頑張ったがワンプレートに届かず、一足先にごちそうさまを唱えた。手をつけなかったポテトが、面々に頼んだら一分かからず消えたのには笑ってしまったが、そんな話はさておき。
「みんなってさあ、大変なんだねえ」
紅茶のカップを傾けながら、千時は言った。
「承太郎とポルナレフなんか、標的の筆頭だもんなあ…。今日の敵なんか、すごい危なかったね」
「そうかア?」
行儀悪くモゴモゴしながら、ポルナレフが首を傾げる。
「そりゃ俺も、一時はどうなる事かと思ったけどよ。本体は大したことなかったじゃあねえか」
「何だ、お前達も襲撃されていたのか?」
とはアヴドゥル。
「も、って事は、やっぱそっちも。磁力がどうこうってやつだな?」
「ああ。死ぬかと思った」
「えええー!? アヴさんがそんな事言うほどの敵ッ!?」
「うむ…精神的にな…」
「えっ磁力じゃなく?」
「磁力じゃなく」
…何その微妙な顔。隣のジョセフも、何というかもう、何とも言えない顔をしている。突っ込んでくれるなと禍々しい空気が語ったので、千時は口を閉じた。
「そんで、なんであの変態クソオヤジがヤバいっての?」
ポルナレフが話を戻すと、花京院がフォークを置いた。
「能力の持続性と、効力の範囲かな。池上さん」
「そうそう」
承太郎は納得したらしく、一つ頷く。ポルナレフがもう一度、首を傾げた。
千時は、セト神の能力を、簡単にジョセフとアヴドゥルへ説明してから、ポルナレフに向き直った。
「奴はそっちに張り付いてたわけでしょ? なのに、私達と居たノリさんがそのままだった。て事はよ、本体との距離が遠くても能力が持続する、しかも複数人を同時に若返らせておける。奴がバカじゃなかったら、こっちはジ・エンド」
「なんで」
「もう少し頭を使え、ポルナレフ」
花京院が呆れ返って、テーブルに人差し指を立てた。
「基本の戦法。ヒットアンドアウェイ。影を交差するだけでいいなら、それだけしにきて逃走する、を繰り返せば、どうだ? こちらは全員子供にされて、試合終了じゃないか」
「あー」
「あーじゃない。奴が底抜けのバカだった事に感謝すべきだぞ」
「そうかねえ」
ワシワシ頭を掻いて、ポルナレフは笑った。
「あんな小っちぇー承太郎のタックルでひっくり返ってたんだぜ? どうにかなったさ」
「えっ承太郎も若返ってたの!?」
食いついたのはジョセフ。
「いくつくらいじゃった!? 背丈どれくらいの頃!?」
「え、俺は上から見てたからわかんねーや。千時がすぐそこで見てたろ」
「んー…。たぶん七、八歳だと思うけど…」
今となっては不明だが、承太郎さんは背が高いので、実際はもうちょっと幼かったのかもしれない。
「うおーっ! 見たかったなあ!! その敵、もう一度連れてこれない?」
「ふざけんなジジイ」
「だってえ!!」
いやまあ、気持ちは分かる。実は千時も、後ろ姿しか見ていない。そこはちょっぴり残念だ。味方に同じ能力の人がいたらいいのにね。
「T・Tじゃできんかのう」
「おじいちゃん自重」
「いやいや、しろってんじゃあない。能力の拡張性のことだ」
「…もし同じように解除で元に戻るなら、ノリさんの目とアヴさんの首がメシャアアッて」
「わしが悪かった!!」
「ハハハ。いや、でも正味な話、たぶんアレとは同じじゃない」
千時はちょっとまじめに解説した。
「逆の事とか解除はってのは訊いたの。できない…っていうか、無関係なんだって。T・Tができるのはあくまで〝巻き戻し〟。それ自体は能力によって起こるけど、能力の解除は巻き戻しが終了するだけ。対象の状態を繋ぎ留めているわけじゃない。
セト神の方は解除が効くわけだから、能力で繋ぎ留めている事になるんだと思う。じゃなかったら今、ここに子供が三人居たはずぅわああ怖い! ディオ倒すどころじゃなくなる…!」
「確かになあ…」
全員がちょっと想像してしまったようで、テーブルは沈黙した。
…いやヤバいよホントに。解除式で良かったねコレ。子供連れで吸血鬼退治とか何の罰ゲームよ。
ここまで無事で本当に良かった、あの時はアレが、この時はコレがヤバかったと一頻り話に花が咲く。
全員の食事が終わると、ジョセフが険しい表情で、場を仕切り直した。
「そろそろカイロも近い。ディオの潜伏先を特定せねばならん。千時、鞄の中のカメラをくれ」
「ヤーサー」
背凭れに挟んでいた鞄が、小さいくせやたら固かったのはそのせいだったか。ポラロイドカメラを取り出すと、鞄は途端にペシャンコだ。
ポルナレフが眉を上げた。
「お、念写か」
「写るのか」
いちいち祖父に懐疑的な承太郎へ、しかしジョセフも首を横に振る。
「分からん。だが、距離が近付いているから、精度は上がるはずじゃ。では、いくぞ」
思い切り降り上げた腕に、バリバリッと音がしそううな紫色の光を散らして蔦が幾重にも巻き付く。
「うおりゃあああーッ!!」
バッキャアアアアーッ!! わあああ店員さんもお客さんもスマン! つーかジョセフさんオーバーアクション過ぎないィ!?
そういえば、千時はカメラ粉砕をリアルに見たのは初めてだった。日本でやっていた筈だが、一度も居合わせなかったのである。
皿を下げてくれたウエイターが慌てて飛んできたのを、アヴドゥルが手で払いのけた。
「何でもない。向こうへ行け」
あれ? これアニメしょっぱなの方で見た気がするよ?
ホリィと承太郎、アヴドゥル、ジョセフの四人が、カフェでカメラでバッキャーで、どうしましたあっち行け、なシーンを見た気がしたのだが、ハテ、どうだったろうか。
くだらないデジャビュに首をひねっていると、珍しく待ちきれないらしい承太郎が、テーブルへ身を乗り出した。
「ジジイ、どうだ。見えたか」
「もうちょいじゃ…。出るぞ…出るぞォ…」
粉々のカメラから取り出された一枚のフィルムを、ジョセフは睨み据えた。
「出たぞ! 我々はこの場所を探さねばならんッ!!」
バン、と音をたててテーブルに叩きつけられた写真には、丸屋根の建物が写っている。どこともつかない。この地によくある、薄茶色い屋敷の一角だ。
「見覚えは」
静かな問いは承太郎。彼が見たのは千時、花京院、それにポルナレフである。
「僕には無い。残念だが」
花京院が即答した。
その隣で、ポルナレフも苦く呻いた。
「すまねえ、承太郎。俺も分からん。俺は、奴に出くわしたのも、おそらくカイロじゃあねえんだ」
「何?」
「あんたらに助けられた日の夜、パスポートの記録と、荷物に残っていたレシートや何かは確かめた。自分がどこに立ち寄ったのか、できるだけは辿ったんだ。一年前のエジプト入りは、ギリシャ、トルコと船で来て、アレクサンドリアへ入った。肉の芽にやられる以前だから覚えもあるし、記録も一致する。そっから先が曖昧なんだが、どうもそのまま、船で国を出ちまってたらしい」
「そうか」
「そもそもさ」
千時は軽く手を挙げ、割り込んだ。
「ヘリの職員さん達の話が確かなら、過去の情報は意味無くない? これまで見張ってた屋敷が空っぽって言うんだから、ディオは別の拠点へ動いたんでしょう」
「テメエは知らねえのか」
「ごめん。全然。中の敵なら、少し分かるんだけど…」
涼しい風が吹き込んで、承太郎から目を外す。足もとに寝そべるイギーのあくびが、妙に平穏で、愛おしい。
千時は小さなため息をついた。