スターダストテイル   作:米俵一俵

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2.テレビです

「待って待って~! 忘れ物よ!」

 玄関先から、ホリィの声がする。

 ひょいと覗けば、学校へ行く息子に、行ってらっしゃいのキス。千時は感心した。そんなお約束なシーン、これまで現実で見たことが無かった。さっすが、アメリカぁン。あれ? イギリス? イタリア? いやジョースターさんがアメリカに居るんだから米で合ってる? たぶんこの辺、一部と二部もごっちゃだ。

 千時は頭を抱えながら、台所のテーブルに戻った。

「あー…イタリアはなんか、二部だったかな…違うかな…。シーザーさんがイタリア系ナンパ男だったような記憶が…。あ、もしやあの戦車戦はローマのコロッセオ設定だったのか!? …いかん、うろジョジョすぎる、そんなん気にしてなかったし」

 ぶつくさ言いながら、びっしり書き込んだメモの中に、また書き足す。

 昨晩、疲れて一眠りはしたが、神経が高ぶっていたのか数時間で目が覚めた。寝ぼけた分落ち着いた頭で考えた千時は、思い出せるだけのことをメモに書いていったのだった。

 一晩掛かりの割には、あまり無い。本当に何度も言うが、ファンとも名乗れない一視聴者だったのだ。あるわけがない。

 よくあるジョジョちゃんねるネタ的に携帯が繋がるならば、スレもたてるしネタバレも調べる、が、圏外表示は消えなかった。しかも、充電が減っている。充電器なぞ持ってない。このまま、役に立たなくなりそうだ。とりあえず電源を落としておくしかなかった。

 そんなこんなで少し寝不足気味だが、考えはかなり膨らんだ。

 メモの後尾、訪れる死のエピソード。

「花京院と、アヴさんと、イギーちゃん」

 ネタバレを覚えている。後半で何が起きるかを検索して知ったため、比較的最近の記憶だ。

 …回避など、できるものなのだろうか。

 今目の前にあるのは、彼女の元居た世界と同じ、現実らしい現実だ。セル画や二次元、PCの中で作られる立体の3Dでもない。キャラクター達はそれと分かる特徴をあからさまに残しながらも、実存の人間にしか見えないし、景色も普通だ。違和感は無い。

「助けられるとしたら、アレだな」

 どこかのまとめで読んだ、陽のある内に館ごと燃やして終了という、およそ少年マンガにあるまじきif。だが穴もある。実行可能なのかどうか。

「アレってなぁに?」

 いつの間にやら戻ってきていたホリィに、いや何でも、と肩をすくめて、千時はメモをポケットにしまった。

 

 ホリィさんとお昼ご飯を食べ、ホリィさんと庭の手入れをし、ホリィさんの掃除の手伝いをし、ホリィさんの趣味の生け花に付き合い、今、ホリィさんが楽しみにしている連続テレビドラマを見ている。

 緑茶とゼリーと一口饅頭。娘が出来たみたいだわー。深い意味は蚊帳の外、能天気なだけの主婦の台詞。

 …駅まで出てみて、元の世界に帰れないかどうか確かめておくべきだったのかな。テレビを見ているホリィを見ながら、千時は、手の中の暖かい湯呑みの平穏さに肩を落とした。

 ただ、ホリィは空港へ迎えに行こうと言わなかった。それだけ気を遣ってくれているのだと思うと、ありがたく享受するしかない。

 午後四時半。ドラマが終わるのを計ったように、玄関が鳴った。

 すわジョセフ到着か、と思いきや、承太郎である。おかえりなさぁーい! という母親のかわいらしい出迎えを全力スルーで、息子は私室へ向かってしまった。

「あん、もう、愛想の無い子!」

「ははは…。まあ、おじいちゃんが来る時間には帰ってきたんだから、かわいいじゃないですか」

「そうなの! 根は優しくて良い子なのよォ」

 母親が嬉しそうに息子自慢を始めたところで、また玄関が鳴った。

 うおーい、来たぞぉー、みたいな声だろう。響きわたった英語に、ホリィが廊下を飛んでいく。千時は、少し迷ったが、バッグを掴んでおそるおそるホリィの後を追った。

 玄関では、大きな荷物を横手に、大きな背中が上がり框へ腰掛けていた。とても老人とは思えない体躯だ。靴を脱ぎ終えたのか、彼が振り返って、目が合った。アニメで見ていたのと同じ髭をたくわえ、鋭い眼光をジロリとこちらへ差し向ける。

 千時が体を強ばらせながらペコリと頭を下げると、ジョセフ・ジョースターはホリィに何か話しかけた。

 二言、三言。

 オーッノーッ!! という例の口癖が飛び出した。

「コドモ!?」

「ハタチは越えてるみたいよ」

「ハァーッ!?」

 そこかよ。途端に体の力が抜けて、千時は少し笑った。

 ドカドカと寄ってきたジョセフは、顎に手をやり、ふぅーむ、などとジロジロ、千時を品定めした。それから、カミン、…と言ったと千時は思った…などと発して手を振り、廊下を歩きだした。

「ついてって」

 ホリィがにこにこ、手を振る。

「あの、でも、言葉が」

「すコしはわかる!」

 ジョースター氏の意外なお返事。若干カタコト発音だが。

 千時が戸惑う内に、ジョセフは、昨日の客間へ入っていった。じゃ電話の通訳は何だったんだと思いながらも、おとなしく後を追い、部屋へ入る。

 ジョセフはぴりぴりとした空気のまま、黙って座っている。どうしたものか、襖の前に立ち尽くしていると、横からヌッと影が差した。

 祖父はパッと顔を明るくし、孫に英語でまくしたて…たが、孫の方はまたもや総スルー。うわ、リアルに見るとマゴひどい。おじいちゃんちょいちょいションボリだよ。それでも四角いテーブル、ジョセフの正面でなく角を挟んだ隣に座るのは、せめてもの表現か。

 ひとしきり二人が英語でやりとりするのを見ながら、千時がジョセフの正面にそーっと座ると、二人の会話のトーンは徐々に堅く、真剣になっていき、やがて承太郎がディオと口にしたあたりでピタリと止まった。

 ギギギと音がしそうな動作で、ジョセフが首を回す。

「おじょーサン、アンタ、ナにモノだ」

「…先に確かめておきたいんですが」

 千時は二人を交互に見た。

「言葉は大丈夫ですか? 私、英語できませんけど」

「きくはもんだいない」

 ジョセフが耳を指すジェスチャーで答えた。

「話すのにむずかしいノは、承太郎にツウヤクする」

「そうですか。なら良かった」

 千時は、さて、と背筋を伸ばした。

「どこからお話ししましょう?」

 すかさずジョセフが問う。

「なぜディオしった?」

「テレビです」

 沈黙。

 ですよねー、今コントみたいな回答でしたよねー、ごめん。千時は心の中で苦笑し、バッグから三つ折りの財布を取り出した。

「じゃあ、それを説明するために、私の事情からお話しします。

 まず、私はたぶん、この世界の住人じゃありません」

 中から一万円札、五千円札、千円札を一枚ずつ。硬貨も五百円から一円まで、テーブルに並べてみせる。

「見てください。これ、日本円です。日本銀行券」

 二人同時に眉根を寄せる表情は、よく似ていた。

「何言ってやがる」

 とは承太郎。ジョセフは早、手を伸ばし、透かしを見たりコインの硬度や材質を確かめている。

「私の世界の、私の居た時間軸のものです」

「ンン?」

 ジョセフが顔を上げる。

「中央の透かしは見えるでしょう? 他にも、水平に近くして見ると浮き出る数字や、虫眼鏡で見なければ分からないような小さなアルファベットが細工されています。日本のお金は大抵、ありったけの技術で出来てるから、世界一偽造されにくい貨幣の一種です。よく見て」

「いや、デザイン、ちがウよ」

 ジョセフはパンツのポケットを探し、財布を出した。中の数枚を引っ張り出し、テーブルに置く。

 千円札と、一万円札。

 千時はぐっと唇を噛んだ。古い。詳細が同じかどうかまでは分からないが、記憶にある古い札と、よく似ている。

「はい。違うのは知ってます。なぜこんな怪しいものを出したかというと、承太郎さんのスタンドでよく見てほしいからなんです」

 押し黙る承太郎の、眉間の皺が深くなった。

「スタープラチナの視力なら、現行の紙幣の技術と遜色無いことが…というか、現行の紙幣より優れた紙幣である事が分かるはずです。もしかすると、それがどれだけくたびれていて、どれぐらい使われてきたかまで、指紋の数や汚れなんかで分かるかもしれません。

 同じ技術があるのに、こんな意味の無い紙幣、作りませんよね。にも関わらずこの紙幣が本物で、実際に流通した形跡がある、ということを確かめてほしいんです。

 よく似た別の世界の、未来の紙幣だから」

 ウェイト、と、ジョセフが遮った。

「もいちど言って」

「平行世界ってご存じですか?」

 パラレルユニバース? これは聞き取れた。

 千時は頷き、バッグからメモ帳を出すと、ページをめくって見せた。

「左の線が私の世界の時間軸。右の線がこの世界。私は、左の二〇一四年から…」

 書いておいた二本の線の中央、斜めに繋ぐ線を辿る。

「右の世界の一九八八年に迷い込んだようです。それでそのお札の出所が、別の世界の未来、って事になります」

「ただの過去じゃなく、か?」

 突然、承太郎が口を挟んだ。千時は待ちかまえていたように頷き、バッグに手を入れると、今度は、ホリィからもらった地図を出した。

「仙台の、杜王町」

 ジョセフがぎょっとして身じろぎするのを視界の端で見ながら、指さす。

「私の世界に、その地名が存在しないから」

 仙台の載った地図は大きな冊子だったから、ここには持ってこなかったが、他も大きな区域の名前はだいたい同じだった。今広げたのは東京都周辺、やはり、大まかなところは同じ。だが、小さめの駅などにいくつかの差異がある。

「杜王町は何年も後であなた達に関わる場所だから、私は地名を知っていたけど、それは私の世界では架空のものだった。それから、この東京周辺も、山の手沿線なんかの有名なところはだいたい同じだけど、そこを外れると、微妙に違う。たとえばこれ、北千住駅が北万住駅になってる。船橋競馬場駅が、船橋競輪場駅になってる。そういうちょっとの差ですけど、私の世界とは違う」

 と言っても、二人にとっては「北万住」が正しいのだから、何の事やら分からないだろう。

「私も最初は、新聞の日付だけで途方に暮れて、タイムスリップってやつかしらと思いました。でも、この空条さんの家があって、あなた達が存在していて、杜王町という地名があるなら、そういうことなんだなと考えるしかないんです」

 千時はそのまま淡々と、だが一気にまくしたてた。

「向こうの世界で、あなた達の冒険譚は、本としてヒットしました。架空の物語。ファンタジーです。それがテレビアニメで放送されたのを、私は見ていた。ジョナサン・ジョースターの物語が第一部。ジョセフさんの戦いが第二部。そしてこの後、承太郎さんがディオを倒す第三部。物語はまだ続きますが…」

「フム。スタンドない、ほんとうだ」

「はい?」

 唐突なジョセフに顔をあげると、テーブルの上からこちらへ片腕を伸ばしている。

「…あれ? もしや私、ハーミットパープルで何かされてます?」

「ノー。…、あー」

 承太郎に英語で話しかける。応じた承太郎も何かを話してから、千時を見た。

「寸止め、だ。目の前3センチ、だがテメェはまったくジジイのツタを見ていない。もう一つ」

 承太郎は帽子の鍔を引き下げ、視線をはずした。

「昨日、ブン殴ってやろうと部屋を覗いたが、この拳で寸止めした時もグースカ寝てやがった。これで何か見えていたり、訓練されているんだとしたら相当だが、……そのプヨプヨの腹じゃあな」

「んなッ!! 腹は余計だよ!!」

「余計なのは脂肪だろ」

「うああああ! リアル承太郎セーカク悪いッ!! イケメン爆発しろ!!」

 千時は両手で腹を押さえた。プヨプヨで悪かったな。ぶつくさ。

「いい!? 私の世界には吸血鬼もスタンド使いも居ない!! そんなのはマンガ!! 一般市民にも劣る私が持ってるわけないでしょ!!」

 いや知らんて。内心セルフツッコミ。

「…とにかく、私が私を証明できそうなものは、そのお金くらい。でもそこは、信じないなら信じないでも良いや。説明はしたし。ただまあ、真偽に関係なく、承太郎さんはスタンドの操作練習と思って見てみたら良いと思う。そういう細かい物。

 ジョセフさん、私が物語としてあなたの事を知ってるっていう証明は、電話で伝えた。どう?」

 ノットイナフ、これはたぶん聞き取れた。

「不十分?」

「そう」

 ジョセフは微妙な表情だったが、信じ難いのは分かる。千時はメモを手繰り、一晩で思い出せただけの第二部を語った。

「ストレイツォが育てたリサリサさんは、夫であるジョージ・ジョースターさんを、吸血鬼だったか何かの上司に殺され、復讐し、指名手配される。だからあなたをエリナさんに預けて潜伏。

 で、後年になってトチ狂ったストレイツォにあなたが襲撃を受けて、撃退するとこから話は始まる」

 ジョセフの目が、驚愕に見開かれていく。それに気付いた承太郎もまた、ほんの微かに肩を揺らした。

「問題は、ディオを吸血鬼にした石仮面。リサリサさんは、その石仮面を完全なものにしないために、エイジャノセキセキってのを守ってた」

 ちなみに、アニメだったから用語の字を知らない。変な名前、と思ったから音で覚えているだけだ。

「カーズとワムウと誰だったか、三人か四人、柱の男が、ドイツ軍の実験か何かをキッカケに目覚めちゃう。奴らは古代の種族で人間じゃなく、唯一の弱点が紫外線。石仮面を完成させて被っちゃったら、進化して太陽の下に出てこれちゃうから、人類終了のお知らせ。倒さなきゃならない」

 そういえば全然関係ない話だが、以前、スージーQのQって何なんだという記事があった。日本ドイツイタリアの枢軸なんじゃないの、と思った事を思い出す。脱線。

「で、途中、ジョセフさんは致死毒の出る指輪を埋め込まれて大ピンチ。リサリサさんに波紋の修行を付けてもらって、そのへんでたしかスージーQさんも巻き添えくいましたよね、で、…えっと、シーザーさんの事は、その」

 本人を前にすると、そこは言い辛い。シーザーの名で、ジョセフは、ウッとうめいていた。

「…とても、残念でした。それから、あなたが戦車戦でワムウに勝つ。けどカーズがリサリサさんを人質に取ってセキセキゲット、生き物の寄せ集めみたいなのに進化して万事休す、あわやってところで、あなたが火山に誘い込み、宇宙へフッとばした。どう? 合ってる?」

 ジョセフはしばらくポカンと口を開けていたが、どうにかこうにか、合ってる、と一言を絞り出した。

 よっしゃ、なんて思う余裕は無い。

「承太郎さん」

 彼らが呆気に取られている今の内に、畳みかける。

「今話したジョセフさんの物語のラスボス、カーズっての、そいつが石仮面てものを作ってた。太陽の下へ出るためにね。その石仮面は、人が被ると吸血鬼になっちゃうもので、たまたま運悪くジョースター家にあったのが、因縁の大元。

 当時のジョースター家のご主人が、ディオという少年を引き取った。馬車の事故の時、ディオの父親がご主人を助けたから、だったと思う。本当はただの物取りだったんだけど、まあいいや、その恩を返そうとして、ご主人はディオを引き取っちゃったの。息子のジョナサンと兄弟みたいに育てようとした。

 で、簡単に言うと、極貧毒親で性格歪んでたディオは、おぼっちゃんで優しくて賢い紳士なジョナサンをメッチャ妬んで、人間やめた。石仮面を被って、吸血鬼になっちゃった。

 それをジョナサンが必死こいて追って、船上で倒して、いっしょに海へ沈んだ、…はずだった。のを、トレジャーハンターか何かが引き上げちゃったのよね? 違う? 漁船だったっけ? ジョセフさん聞いてる?」

 一人でしゃべり続けてちょっと疲れてきた千時が、正面に手を振ってみせる。ジョセフは、アアとかウウとか言いながら首を振って肯定した。

「昨日話したでしょ、ディオはジョナサンの体を奪って生き延びた、って。それのこと。確かもうジョセフさんは、その事件の調べまでは付けてますね?」

「ォウ…、ハイ」

 ハイ!? あらちょっと急に情報出しすぎたかしら。とは思うが、残り僅かだ、千時は続けた。

「ハーミットパープルでディオを念写していくと、どれかにハエが写り込みます。生息域からエジプトと分かるはず」

 何だか、ジョセフのワッツ!? をものすごい聞いている気がする。無理もない。

「たしかねぇ、そのハエを見つけるのが、スタープラチナさんだったと思うんだ」

「何だと」

 今度は承太郎。

「あなたのスタンド、目が良いって言ったでしょ。たしかそれでエジプトが発覚するんだよ。どの写真も背景が陰になってて、手掛かりが無かったのを、スタープラチナが見てハエを見つける。で、アヴドゥルさんがそのハエを」

「アヴドゥルしりあいか!?」

 ジョセフに遮られ、千時は首を横に振った。

「いいえ。でもテレビで見てた。褐色の肌の占い師さん。違う?」

 オーノー…、と、途方に暮れたような呟きがこぼれている。

「…承太郎さん。そんな顔しなくてもよろしくてよ。アヴドゥルさんはジョセフさんの友達で、徹頭徹尾味方の人です。

 とにかく、その人がハエの出所を突き止めて、エジプトだって判明するんだ」

 ここまできて、千時は、目を泳がせた。

 ホリィの事を警告し、医療を手配しておくよう進言すべきか。

 だが、この情報量では、彼らの混乱に拍車をかけるだろうし、それどころか刺客と疑われるかもしれない。まだどうすべきかが分からない。

 メモを眺め、決めて、沈黙を破る。

「一旦、私は席を外します。お二人で、情報を確認してください。特にジョセフさん、承太郎さんはスタンドの事ですごく悩んでるし、困ってる。フォローしてあげてください」

 立ち上がると右足が少し痺れていて、千時はフラフラしながら部屋を出た。早速、英語が飛び交っている。

 低く響く声を背に、千時は台所へと向かった。良い匂いにつられて覗くと、ホリィが鼻歌を歌いながら料理をしている。ひどくホッとしてから、ああ彼女に憧れた花京院はきっとこんな気持ち、なんて考える。

 味方の居ない世界で、彼女だけがわけも聞かずに笑いかけてくれているのだから。

「あ、おはなし済んだ?」

「はい、いえ、まだいろいろあるんですけど…。とりあえず私だけ、一旦休憩です」

「そう。もう少ししたら、お夕飯にしますからね」

 あわてて時計を見上げると、もう五時半になっている。一時間半も、ほとんど自分一人でしゃべっていたのか。

 …そりゃおなかもすくわ。と思った途端、グーと鳴りそうな腹具合がして、咄嗟に体をひねってみたり。音は阻止した。

「カレーにしたの。承太郎は和食が好きなんだけど、お父さんたら、味が薄くてかなわん! とか言うのよー。カレーならみんな好きでしょ」

「あはは。三種の神器ですね。カレー、ラーメン、ハンバーグ」

「そうそう!」

 唐揚げ焼き肉ステーキなんてのもあるが、ごめん、今言った6種類全部、あんまり好きじゃない。千時は心の中で謝りつつ、違う世界でも神器は同じなんだなあと変に感心した。

 食卓の準備がすべて済み、待ちくたびれたホリィが男性二人を呼びに行くのは、六時半頃になった。

 

 ナチュラルに泊めてもらってしまっている…。

 少しばかりは気マズいが、神様仏様ホリィ様状態。この、サイズの合わないパジャマも、ホリィのものを貸してくれているのだ。ちなみに、外人さんの足の長さときたらもう。ボトムの裾は三重に折ってまくらないと引きずる。

 この家の中としては小さめの…しかし十分広い…和室。せめてやらせてくれと頼んで自分で敷いた布団に座り、ひたすらメモを眺める。昨日書いたばかりなのに、めくりすぎて端が曲がってきていた。

「おじょーサン、居るか?」

 唐突に襖の向こうから届いたのは、ジョセフの呼びかけだった。

「はい?」

 驚いて、パジャマだなんて一瞬で頭からすっぽ抜けている。何の用か訊く間も置かず、ジョセフは襖を開けて中へ入ってきた。

 手に、なぜか濡らしたハンドタオルを持っている。

 滴る雫。うわ! 濡れる濡れる! 布団が!! と慌てて風呂上がりのまま持ってきてしまったバスタオルを広げたが、ジョセフは妙な顔をしただけでお構いなし、どっかと布団の横にあぐらをかいた。

「テストしたい。ハモン」

 あっ、と千時は口元を押さえた。

 疑われているのか。

 詳細を覚えていない。吸血鬼の成りそこないで半端な屍人もどこかに登場していたと思うが、太陽光は大丈夫だったろうか。たしか吸血鬼に波紋が効くのは、太陽と同じエネルギーだからだったはず。

「…何のために? 私、太陽は大丈夫だったでしょ?」

 吸血鬼ではないから、もう了承する事は決めている。ただ、やはり怖い。いきなり殺される可能性だって、無きにしもあらず。

 ジョセフは、あー、と天井を見上げ、ハンドタオルを振った。

「シーザーがむかし、やった。あやつる。それ使ってコトバ、テストしたい」

 何のこっちゃ。

 これも覚えていない。ぶっちゃけ、1期2期は放送時期がだいぶ前だ。実を言うと、シーザーについて覚えているのは、その壮絶な死がほとんどで、最後は瓦礫の下敷きになった事、リサリサに憧れていたナンパ男子、程度だった。あとシャボン玉? 

 しかしまあ冷静に考えれば、彼らが殺すつもりなら、もう千時は死んでいる。波紋もスタンドも要らない。その太い腕で、鍛えてもいない一般市民の首をちょっと捻ればいい。

「まあよく分かんないですけど、良いですよ。どうぞ」

 千時は大人しく頷いた。

 ジョセフは千時の手を取ると、自分の手と一緒にハンドタオルでくるんだ。

「さいしょアウチ、ちょっとね」

「はい」

 予告したジョセフの手に、ふっと明かりが灯った…ように見えた。繋いだ手のあたりから、小さな光の粒がパッパッと散って、見ている分には綺麗だ。…が、ピリピリと連続して静電気が来るような、奇妙な感覚が腕を上ってくる。

 その感覚は頬を伝い、頭の方まで這っていった。

「うっ…」

 ガン、と頭が痛んでそのまま、鈍痛を残す。思わず目を瞑り、体が崩れる。前かがみになった千時の肩を、大きな手が支えた。

 何分かかったのか、数秒だったのか、痛みがゆっくりと引いていった。ピリピリする静電気は相変わらず走っているが、耐えられない程ではない。

 その時だった。

「わしの言葉が分かるかね?」

 さっきまで聞き取れなかった、流暢な英語。その意味が、理解できている。

「わ、…わかります、え、何これ?」

 慌てて身を起こし、つい手を離す、と、ベラベラ、何を言っているのか分からない。ジョセフは落としたタオルをそのままにして、もう一度、手を繋いだ。

 静電気の感覚が上ってきた途端、また言葉が理解できる。

「分かったか?」

「いや全然!? 何ですかコレ!? 波紋て通訳までできるの!?」

「日本語ではやはり不便でな。上手くいったぞ、お前さんは今、英語を喋っている」

「ホントだ!! …波紋万能説は本当だったのか…」

「うん?」

「いえこっちの話です。あの、これ、どういう…?」

「シーザーが以前、女性に波紋を流し込んで行動を操ったことがあったんじゃ。それを応用できないかと思ってな。お前さんとわしの言語野をリンクさせる経路を作った。今は、お前さんにわしの言葉を使わせている」

「ジョセフさんを自動翻訳機にしたってこと!?」

「そんなところだ」

「…波紋意味分からん…」

 実は原作の連載が波紋バトルからスタンドバトルに移行したのは、波紋が万能すぎて展開に窮したからだとか、そんな説をネットで読んだことがある。また、波紋とスタンドを両方使えたのは、ジョセフ・ジョースターただ一人だった、なんて事も書いてあった。

 目の前の精悍な老人が、その人。まー便利…。

 千時は思わず、碧い目を凝視した。ジョセフはそれに気付くと、得意げにフフンと笑って見せた。

「んんー? わしの魅力に惚れちまったかなァー!?」

 ……これはヒドい。アニメやマンガじゃないので、これはカッコ悪い。

「浮気は一人にしときなさい」

「ゲッ!! 何故ソレをッッ!?」

「テレビで見てたのと同時に、いろいろ情報を拾い読みしてたんですよ」

「杜王町と言われてまさかと思ったが、こんなにハッキリ弱みを握られておるとはな…。恐ろしい…!」

「今は黙っておくことです。これ以上余計な事実が出てきたら、お孫さんがパンクします」

「お、おぅ…」

 沈黙。

 ジョセフと手を繋いでいなければならないが、言葉の問題が解決したのは本当に助かる。千時は小さく息を吐いた。この後、少なくとも花京院とアヴドゥルには会っておかなければならない。一緒に行く事ができなかったら、死の運命だけは警告しておかないと後味が悪すぎる。

 ゴホン、と、ジョセフがわざとらしい咳払いをし、真剣な表情で切り出した。

「お前さん、助けてくれと言ってたな」

「あ、はい」

「頭から詳しく話せ」

 目的はこれか。納得して素直に頷き、千時は話した。

 ここへ迷い込んだ経緯。別の世界と知るに至った事柄。ホリィや承太郎と話して分かった、物語との合致。

 そして。

「百巻も出てる原作を買うほどのファンではなかったから、第三部の前半までしか知りません。年明けから続きが放送される事になっていて、ちょうど、エジプトに上陸するまでです。しかも、2クールだから最初の方は半年以上前なの。けっこうあやふやで…。逆に上陸直前のエピソードは、けっこうはっきりしてるけど」

「…うーむ。テレビの事はともかく…」

 ジョセフは少し目を泳がせながら、

「お前さんはこの世界にとっての幽霊なんじゃな」

「幽霊か…。そうですね…」

 千時は一度手を離すと、鞄から財布を取り出した。

「ペーパードライバーでしたけど」

 手を繋ぎなおし、ジョセフへと差し出した免許証。

 小さなカードは義手へ渡り、裏、表、と検分された。個人的な色合いが強い証明書であるため、公的な紙幣より偽造を疑われそうだと思って、ここまで出さなかったものだ。

「ホリィはイケガミチトキと言っとったが、本名じゃないのか」

 ローマ字表記を読んだのだろう。そう、本名は似ても似つかない。

 だが、しばらく考え込んで、応える。

「どうなんでしょう。この免許証は、この世界のものじゃない。時代も違う。あなたの言うとおり今は幽霊状態だから、本名なんて無いかも」

「偽名には何か意味があるのかね」

「無いですよ。本名を名乗っていいか判断が付かなかっただけです。池袋駅で降りたらここに来ちゃったから、池を使って、千時にいたっては飼い犬の名前」

「犬か。そりゃいい」

 ジョセフは笑った。つられて笑おう…としたが、千時は、うまく笑えなかった。あからさまにひきつった事が自分で分かって、顔を逸らす。

「どうした」

 老人は、握る手に少し力を込めた。

「なんか…ちょっと、今更ドキッとして…。名前、秘密にしてください。偽名を名乗ったのは咄嗟のことだったけど、今はそれ、本名、呼ばれたら崩れちゃいそうだから。池上千時に、しといてください」

「…ああ。いいよ」

 ジョセフの義手が、ふんわりと頭を撫でていって、だからそういうの泣いちゃうからやめて! なんて心の中で喚く。

 伝わってしまったのかどうか、義手は撫でるのをやめた。

 代わりに、コネの多い不動産王が、ニカリと明るい笑顔を作った。

「身分証明と、当座の金。未来の予言と引き替えるには、あと何が要るかな?」

「あー…、贅沢言うなら、働き口?」

 ボフッと噴くジョセフ。

「いやに現実的じゃな!」

「大問題ですよぉ! いつまでこっちに居続けなのかわかんないし、そもそも向こうに帰れるのかどうかが全く不明なんだから」

「すまんすまん」

 ジョセフは顔を押さえて笑いを堪え、頷いた。

「でもねえ、ジョセフさん」

 笑い終えたあたりで、千時は告げた。

「今、この時点であなた方のところへ来ちゃったって事には、意味があると思うんです。だからとりあえず、これから五十日間は一緒に居させてください。物語をハッピーエンドに変えなきゃ」

「…バッドエンド、なのか?」

「ある意味でね。だから全面的にハッピーエンドにしたいんです。池上千時のパスポートを作ってください。私も行く」

 ジョセフが目を見張った。

 千時には、歴とした理由がある。今は思い出せない事でも、現場に突き当たれば思い出せる事があるかもしれないからだ。例えば、敵のスタンドに襲われてしまってからでも、そのエピソードを思い出せれば撃退の役に立つ。エジプト上陸までをスムースにできるかもしれない。怪我を減らせるかもしれないし、日数を短縮できるかもしれない。エジプトから先は中途の敵をほとんど知らないが、ディオとその直前を攻略するヒントは持っている。それらも、現場で確かめた方が良い。

「双方にとって危険すぎる」

 ジョセフが言った。

「出所の怪しいお前さんが、実は味方でなかった場合、わしらが危ない。逆に、敵でなくとも、ハッキリ言って女子供は足手まといだ。命の保証ができん。分かることだけわしらに伝えて、日本に残るのが、双方にとって最良だろう」

「死人が出ます」

「何?」

「それがバッドエンドの意味。第三部は、承太郎さんがディオを倒す物語だと言ったでしょ。それ自体はハッピーエンドなのかもしれません。でも、仲間が死ぬの。ハッピー?」

「いいや。しかしな」

「完璧な詳細を知ってたら、こんなこと言わない。ノートにでも書いて渡しますよ。足手まといは分かりきってるし、たぶんすごく怖い旅だし。でも、肝心のところはエジプト以降だから、断片的な情報しか無い。死因は知ってるけど、経緯やタイミングが全く分からない、とか」

「それじゃお前さんが居たってどうにもならんだろう」

「ヒントはあるから、ある時点から割り出せると思うんです。でも、ズレたら計れなくなるかもしれない。だから今は誰にも話せない。だから自分で行くしかない」

「そこまでする理由は何だ」

「ハッピーエンドに変えたいって言ったじゃないですか」

「ファンでもなかったと言ったじゃあないか」

 押し問答に苛立ったそのまま、千時はまっすぐジョセフを睨みつけた。

「何人のシーザーを死なせれば、私を連れて行く気になる?」

 

 

「…うー…。ごめんけど納得してよぅ…」

「え? なあに?」

「えっ! いえ! 何でも! 独り言です!」

 振り返ったホリィに、笑顔で手を振る。廊下をトコトコ。お買い物に行きましょうってんで、付いていくところだ。

 今の呻きは、ジョセフに対する独り言だった。あれから二日、ジョセフは口をきいてくれていない。不用意にシーザーの名を出したのはマズかった。そりゃそうだよね、ごめん。

 だが告げた事は本当で、本心だ。実のところ、彼らの死の先にもう一つ目的があって、それは話していない。生死より重大かと言われると、主観の問題なので即答できないからだ。けれどつまりそれは、死の回避が重要なポイント、という結論で十分なはず。それで納得してもらうしかない。

 気まずい以外には、波風のない昨日今日だった。何かと傍にいてくれるホリィにくっついてムニャムニャ時間をやり過ごし、時々、思い出したことをメモする。

 台所に差し掛かった時だった。

 あっ、と一瞬足を止めかけ、あわてて歩調を戻す。

 大柄な老人の背中が電話をしていて、よく分からない英語の中に、アヴドゥルの名前を確かに聞き取ったからだった。

 うまくスタート地点が分かれば、承太郎に、少なくとも予言は本当だと理解させることができる。その事は当初から考えていた。花京院典明の事なら、名前もスタンドも、襲われる場所も予告できる。

 但し、承太郎は留置場に行かない。そこを変えてしまったから、花京院の現れるタイミングが分からなくなった。

 とすると、残るスタートは、アヴドゥルの来日かもしれない。それをずっと、考えていた。

 

 さて、余談。夕飯の買い出しは、いやぁもう荷物が多いのなんの、そりゃあの体躯の男二人を食わせるんだもんねコレ、アヴさんと花京院まで加わったらどんだけ作らなきゃなんないんだろう、という感じだった。

 帰り道でホリィに、給食用の寸胴が要りますね、なんて言ったら、よく似たパスタ茹でる大きいのがあるわよとあっさり返事があって、そうかあ、男の子の居る家って大変なんだなあと、姉妹しか居ない家の子としては感心させられた。

 


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