スターダストテイル   作:米俵一俵

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19.死人の心臓

 二人で一応、止めた。それでも行くってんだから、後でアヴドゥルあたりにしこたま怒られるがよろしい。もう知らない。

 ホテルで警察署までの道を聞き、その途中である。

「そこらへんのお店とか見てきていい?」

「遠くへ行くなよ」

「行かない」

 というより行けない。方向音痴ナメんな、知らないとこだとトイレ入って出てきたらもう右か左かわかんないなんて事もある位で、広い駐車場に止めた車は必ず見失う。てか別の世界の過去にまで迷い込んじゃったレベルってどうなの。まあとにかく、つまりこんなエジプトくんだりに居て、一人で床屋の見えないところまで行くわけがない。

 そう、今、三人は床屋に居る。何故かというと、ポルナレフが寄ると言って聞かなかったからだ。よっぽど置いていこうかと思ったが、単独行動を御法度と認識していないのがポルナレフ当人だけなので、承太郎と二人、待合いの長椅子に座るしかなかった。

 置いてあった雑誌に海洋関連の記事があったようで、承太郎は、見出しに大きくSeaと書かれたところへ読み入ってしまっていた。で、千時は耐え難いほどに暇ンなっちゃったのである。英文なんてお手上げだ。日本語のひらがなカタカナ漢字のちゃんぽんも難読とは思うが、英語のアルファベットしか無い上に綴りが発音と一致しないってのもどうかと思う。

 暇になるとつい、携帯があればなあと考えてしまうのは現代人の悪い癖だ。しかしガラケーでだってまとめサイトくらいは読める。ほんと何でこれジョジョちゃんねる系じゃなかったんだろう。あれだと大抵、スタンドにスマホとかタブレットとかがあるのにね。T・Tには付いていません。別売りをどうぞ。売ってたら買うんだが。

 ため息混じりで外に出る。

 通りに香る甘い匂いは、すぐそこで焼いているエジプシャンパンケーキの店からだ。床屋に入る前、ザラビアという丸い揚げドーナツを少し買って、三人で摘んだ。やはり言い出しっぺはポルナレフ、だったが、まーこれがシロップにべっちゃり浸かってて甘い甘い。早々に男どもがギブアップしたため、千時はだいぶ詰め込んだ。もう結構な時間が経ったというのに口の中がまだ甘く、匂いに胸焼けがする。

 右隣の店は幅広のシャッターが閉まっていた。左隣は小さなレストラン。向かいのT字路を見ると、突き当たりが川だ。そこへ行ったら少しは気が紛れそうだが、少々、床屋から離れすぎる気も。うーん。

 手前に一軒、雑貨屋のような店がある。

 千時はそこへ行ってみた。店番だろうか、奥にいた大柄な中年女性が目を丸くしている。そういえば、一人で動くのはインド以来だったかもしれない。気安い安全神話の横行する日本から、どんどん治安の怪しい方角へと進んできたので、ここのところはホテルの部屋ですら誰かと一緒だ。誰かと言っても、ジョセフ時々トリプルでアヴドゥル、という固定の顔だけれども。

 脱線ついでだが、ホテルまでそうなる理由は、強盗だの強姦だのという物騒極まる犯罪が多いからだった。そこそこ管理の行き届いた綺麗なホテルでも、ボーイですとかホテルマンですとか言ってドアを開けさせ、押し入るケースが後を絶たない。千時は後で知ったのだが、実はこの時代、ちょうど日本は高度経済成長の天井付近でバブル景気真っ直中。海外に不慣れな日本人旅行者が急増し、何しろ金を持っている上、警戒が甘い。しかもチップなどに関するマナーの無さに、嫌われ者もいいところ。犯罪のターゲットの筆頭になりつつあった。これが二十年せずに妖精扱いされる観光客になるのだが、千時はそうなった後しか知らなかったので、おじいちゃんが過保護だなあなんて暢気なものだった。

 さて、雑貨屋に見えたそこは、食料品も置いていた。こっちのパッケージは何だかこう、派手な色なのにデザインはシンプルで、置いてあったポテトチップなんかデデーンとライムに塩の写真だとか、わっかりやすい。もしかすると識字率の問題なんかがあるのでは、なんていうのは勘ぐりすぎか。

 安っぽいビーズのネックレスやら、何を入れるのか分からないガラスの大瓶やらを見て回り、ごめんね、買い物はせずに出る。

 手持ち無沙汰に景色を眺め、通行人に不審げな視線を寄越されながら、ふらふらうろうろ。暇で暇で、結局、床屋の前まで戻ってみる。

 ガラス張りの中を覗くと、学帽の後ろ頭は船を漕いでいた。

「ずるい…」

 しかし千時は眠くない。

 またT字路へ行って、雑貨屋のさらに向こうは何か無いかと散策しだした、その時だった。

 ガラスの割れる独特の音が響き渡り、近くに居合わせた全員が、音源の方へ顔を向けた。遅れて店舗や家の窓からも、人々が顔を出す。

 床屋のショーウィンドウはほとんど路上に散乱し、その上に、血塗れの店主が転がっていた。

「なっ、は…!?」

 ちょっ、おい、あれ!? そのおじさん、普通の人だった気がするけど!? と思ってから、手に握られた剣の存在に息を飲む。あーこれヤバいヤツ。千時は駆け寄ろうとした足を止めた。

 ほぼ枠だけになった窓からは、承太郎とポルナレフが、やはり只事ではない表情を見せていた。

「さすがスタープラチナ…噂通り、素早い動きだ」

 店主が呻き、喉の奥で笑っている。さっきまで分からなかったその異国語が、千時にも分かる。

「しかしその動き、今ので覚えた」

 店主はずるりと立ち上がった。

 隣の店から飛び出してきた太鼓腹の男が、どうやら知り合いらしく、カーンとか何とか呼びかけた。が、床屋は剣を構え直しただけだった。

「近寄るな! そいつは操られてる! 切りつけられたくなかったら、建物の中に隠れてろ!!」

 ポルナレフが叫び、周囲に居合わせた人々がサーッと下がった。操られてるったって何の事だか分からないだろうが、様子がおかしいのは明らかで、店主はニタッと醜悪な笑みを浮かべた。

 承太郎とポルナレフは床屋から出て来ると、何事か低く相談しながら、ゆっくり、歩きだした。目は敵を睨み据えたまま対峙し、ぐるりと位置を代わる。立ち止まったのは、ちょうどT字路の手前あたり。

 ポルナレフの、これまでになく焦った声が聞こえた。

「次の攻撃は、今までのうちで最大の速度と、最大の強さと、最高の技で繰り出されるぞ!!」

 次の瞬間、敵が踏み込み、宙へ踊りあがった。

「どいてろポルナレフ!!」

「逃げろ承太郎!!」

 ほとんど同時に言って承太郎がポルナレフを突き飛ばし、

「死ねえェェーッ!」

 斬り込んだ刃をスタープラチナの両手が取る。

 オラアッ!! と、彼の膂力が、剣を真っ二つにへし折った。

「まさかッ!! 白刃取りをやるとは…!」

 敵は動きを止め、驚愕と苦痛に目を見開きながら、崩れた。

「確かに覚えた、ぞ…」

 店主の体が地に伏して、力の抜けた手からは剣がこぼれた。

 息を荒げた承太郎が、横に膝を着く。

「…死んだのか…?」

 彼が剣を取りかけた時、

「いや! オヤジは気を失っただけだ!」

 いつの間に移動したのか、ポルナレフが床屋から飛び出してきた。

「承太郎、その剣に触るなよ」

 手には、美しい細工と宝石の施された、剣の鞘を持っている。

「ブチ折ったとはいえ、スタンドの魔力が生きているかもしれん。抜いた剣に触った奴が操られるんだ。柄に触らんように、鞘に納めよう」

 千時は正直、私がやる、と言いたかったが、たぶん二人は許すまい。

 ひやひやしながら見守る中、ポルナレフはうまいこと剣に触れず、折れた刃を鞘へ納めた。

 男達からフーッと安堵の息が聞こえて、千時はようやく、駆け寄った。

「大丈夫!? 無事!?」

「いやーあ、ノド掻っ切られて死ぬとこだったぜ」

「ウソ!?」

「この俺様が大人しくやられるわけねえだろー」

「脅かさないでよ!」

 ポルナレフはガハハと笑ってくれたが、承太郎は険しい表情のまま、剣を見つめている。気付いたポルナレフも、眉間を引き締めた。

「千時。もうちょっとだけあっちへ行ってな」

「ええ?」

「いいから」

 手振りでまで追い払われては仕方がない。千時はT字路の方へと戻った。戦いは終わったように見えたが、彼らがそうするのなら、きっと危険が残っているのだ。

 二人はまた話し込んだ。切れぎれに聞こえた部分を継ぎ合わせるに、剣をどうするかという事らしかった。

 不意に右手から、誰かの駆けてくる足音がして、千時はそっちを見た。男が走ってくる。服はシャツにスラックスだが、頭には中東でよく見かけるクーフィーヤという布をしていて、腰のベルトから棒きれが下がっていた。

 彼は、承太郎とポルナレフのもとへ辿り着くなり、指を突きつけて怒鳴り始めた。

「おお! 丁度良い! このオヤジを病院へ…」

 ポルナレフの言葉で、やっとそれが警官だと気付く。言われてみれば制服かもしれない。クーフィーヤのせいで分からなかった。

 だがその警官は、状況を大いに誤解したようで…いやまあそりゃね、そんな珍奇な格好のでっかい外人が、そんな凶器持ってたらねぇー…。ポルナレフの持つ大振りの剣を、乱暴に引っ掴んだ。

「おォい! やめろ! 引っ張るな!」

 揉み合いになって数秒、アッという間も無い。

 鞘がすっぽ抜けた。

「あ!」

 思わず声が出てしまうほど顕著に、ポルナレフの体はガクリと揺れた。

 ゆるゆると上げた顔には、さっきの店主と同じ、恐ろしい形相が浮かんでいる。

 千時は、だが不思議な事に、出会った当初のような恐怖は沸かなかった。釘付けになったまま、どうしてだろうと考えたが、すぐにそれが彼自身の表情ではないからだと思い当たった。あれは、ジャン=ピエール・ポルナレフではない。その殻を被っただけの、違う誰かだ。

 今は承太郎の方が、驚愕と焦燥を露わにしていた。

 その間も鈍感な警官は、鞘を握りしめたまま、やいのやいのと怒鳴り続けている。

 ポルナレフが…敵が、笑った。

「…俺が抜いただと? おい貴様、違うこと言うなよ…。それでもテメエ、法の番人か? ……抜いたのはテメエだろうがああぁッッ!!」

 警官の体が吹っ飛び、シャッターに激突して、直前まで居た場所には二つになった鞘が転がった。

 剣を斬り下ろした体勢のポルナレフと、蹴り上げた足を下ろす承太郎の体勢を見て、ようやく何が起こったのか理解する。

 速い。

 千時の目には、ろくに動きが見えない。

 承太郎は絶句したまま、ポルナレフと対峙した。

 ポルナレフの口からは、フ、フフ、と薄気味悪い笑いが落ちた。

「このアヌビス神、お前のスタープラチナの動きは、もう覚えたのを忘れるな。一度戦った相手には、もう、ぜえぇぇー…ッたいに」

 ふ、と、体が揺らいで、

「負けんのだあッ!!」

 剣撃が見えない。

 スタープラチナがラッシュ状態で食い止めているのは分かるが、どういう動作があるのかはまるで追えない。さっきポルナレフが下がらせてくれなかったら、千時はそのついでレベルで死んでいただろう。

 一瞬、動きが鈍った時にだけ状況が見えた。スタープラチナが右の手甲で剣を止め、左の拳を繰り出して、おっと! 敵がおどける。ポルナレフの左の肩口からチャリオッツの腕だけが現れ、すかさず絡め取っている。

 声高々に嘲笑う敵は、また剣を繰り出し、スタープラチナがジリジリと後退し始めた。

 不意にスタープラチナが首を思い切り左へ、ガッと何かに引っかかる鈍い音、次には二人が同時に吹っ飛んで、道路端にあった消火栓が太い水を吹き上げる。

 ちょ、何、全然分かんない。これがアニメなら、当然の親切仕様で一般人にも分かるよう描写されるが、現実にそんな配慮は一切無い。最速を誇るスタンド同士でやりあって、素人の動体視力が追いついてたまるか。

 とりあえずポルナレフが倒れている。その隙に、消火栓の方へ数メートルも飛んで倒れた承太郎の元へ、千時は走った。

 黒い長ランから赤い色が吹き出したのだけは、目敏く見ていたからだった。

「T・T!」

 上半身を起こしかけた男の、わかりにくい肩の染み。

「とりあえず肩巻き戻して!」

 叫んで指さした場所を、T・Tは片手で覆った。

「ほかは!? 大丈夫!? 打ったとことかは!?」

「いいから離れていろ。厄介なことになりやがった…」

 承太郎はこれまでに無く慌てた声で言い、T・Tの手を払おうとした、が、その前にT・Tは離れた。

「治ってる?」

「ああ」

 頷き、立ち上がる。

 邪魔はしたくない。千時は、敵を刺激しないよう、ゆっくり後ろへ下がった。…本当ならそのまま、少し離れる筈だったのだ。向こうで同じく立ち上がったポルナレフが、謎の驚愕を喚かなければ。

「おお…! おおオッ!!」

 その音には、奇妙な感動があった。

「ようやく現れたか! 我が同胞ッ!!」

 空色の目は狂喜を孕んで、千時の背後を見ていた。

 

 千時は咄嗟に頭上を見上げたが、すぐに肩を竦めて両耳を押さえた。

 T・Tが、ギギギギギギギと凄まじい音をたてたのだ。カメオ戦でも一度、こんな鳴り方をしていたが、それ以上の不快と憤怒が読み取れた。

 しかし敵は、にこやかに笑うばかり。

「何を恐れる? 俺の事か? いや、いいだろう、いいだろう。お前にとっても初めてだろうよ」

 ポルナレフは恍惚として剣を脇へ降ろし、片手を差し伸べて語った。

「このアヌビス神の本体は、五百年前、この剣を作った刀鍛冶。そのスタンドだけが生きている。つまり本体の居ないスタンド。ディオという男が、博物館の倉庫の暗闇から引っ張り出してくれた。ヤツのスタンド、ザ・ワールドはあまりに強い。俺にはかなわぬスタンドだ。だから忠誠を誓った。

 ……だがッッ!!」

 一歩。

 また一歩。

 ポルナレフの体は、千時の…いや、T・Tの方へと近付いた。

「お前が俺を取れば、世界を創り直せる! もう何者を恐れる必要も無い、あのディオですら!! さあ! 俺と共に来い!!」

 …えー、と、こわい。いろんな意味で。てかこの敵スタンド頭おかしい。千時は唖然としたが、実際、いろんな意味で怖かったので、近付かれた分は後ろへ下がった。

 承太郎が数歩動いて、背に庇われる。

 逃げればいいのか、それとも待ったほうがいいか。判断がつかない。これはちょっと、ヘタすると、まったく意味なく死んじゃいそうだ。指示をくれればいいのにと大きな背中を恨めしく見上げても、考えてみたら彼だって十七歳の学生さんである。無茶言うよねー。ごめん。

 不意に女の声がした。

「その言語は、この星の生命に借り受けたものだろう」

 承太郎が驚いて振り返り、千時はブンブン首と両手を横に振った。

「同じ種族の意志すら読み解くことのできなくなったあなたが目指すべき完成は、その無機物としてこの星の一部となることだ」

 違う、自分が話している、完全に矛盾するが話しているのは千時ではない。口が勝手に、言葉を紡いでいた。

「共存しろと!? バカな事を!」

 ポルナレフの怒号が響いた。

「俺は死蔵されるまでの長きに渡り探してきたが、私とお前だけなんだぞ! この世界を変えられる、本体の居ない…いや、自らが本体であるスタンドは!!」

「そうか。だが、私は〝T・T〟。この人とその友がくれた、〝かわいい名前〟を持つスタンド。今はそれ以外としての存在を望まない」

 泡を食った千時の表情と、平坦極まる淡々とした口調のギャップで、承太郎もさすがにその意味を汲み取ったらしい。千時の頭上のネコミミマネキンを凝視している。

「そうか…」

 小さな落胆が、アヌビスから漏れた。

「…そんな愚か者が居るとは、思いもしなかった…。

 キサマにその意志が無いのなら…、…無いのなら、そうだ、器は不要ではないか。ハハハ。そうさ! 構わん! ちょうど良い!!」

 唐突に哄笑したアヌビス神は、一呼吸おいて、剣を構えた。

「その体、俺が貰い受けてやる」

 いやいやいや何ブッこんじゃってんのポルナレフがそこのおまわりさんに連行されちゃうだろやめてえええ!! 声が出ればツッコむのだが、口、喉、呼吸のあたりがままならない。

 あらためて向けられた剣に、承太郎も向き直る。

「承太郎。取引をしないか」

 アヌビスは嘲笑混じりにそう吐いた。

「そこの女を渡せば、お前の命など狙わない。それどころか、ディオも俺が倒してやる。どうだ。良い取引だろう」

「…フザけた事を抜かしてんじゃあねえぜ」

 ザリ、と、革靴が音を立てた。

「しかもそんな寝言を、よりによって俺の仲間の口から言わせるとは。テメエ、許されねえ事をやってのけたな」

 声音が低い。

 先ほどまでの焦りや戸惑いは跡形もなく、ただ怒りだけが残っている。

「ふぅむ。なら、まずはキサマが死にたいのだな。いいだろう」

 アヌビスがそれを気にも留めない様子なのは、ポルナレフを操っているからなのか。

「しかし、失敗した白刃取りを頭突きでかわすとはなァ…。後もうちょっとで仕留められたのに、惜しかったぜ。

 しかしそれももう、覚えた。

 …承太郎、ポルナレフを殺さなければ自分が負けると考えているな…? それは甘い考えだ。甘い、甘い。なぜならここらでトドメの、とっておきのダメ押しというやつを出すからだ」

 奥の手的な事? どーしよ、逃げる? 逃げたらいい? 動かないのは口だけ、手足は問題無い、しかしそれを承太郎に質問する方法が無い!! 

 まごついている内に、事態はあっさり悪化した。

「これには勝てるかな!? 承太郎ッ!!」

 銀の甲冑が煌めき、右に妖刀、左にレイピアを翻す。

 承太郎は咄嗟に前へ出、怒濤のラッシュでシルバーチャリオッツの攻撃を凌ぎながら、通りをジリジリと移動していった。庇う余裕どころか、近場に人が居るだけで邪魔なのだ。それは千時にも分かる。

 しかし、承太郎がこの程度の時間で動きを鈍らせる訳が無い。スタープラチナは原作者が最強だと言ったスタンドのはず。なのにどんどん承太郎の傷が増え、あちこちから血が出て、酷くなっていく。

 どうしたの。どういうことなの。

 スタープラチナが後退するのと一緒に、恐怖と混乱が足もとから這い上がり始めた。

 その瞬間。

 

 景色が止まった。

 

 千時はただポカンとして、それを見ていた。

 たったの一秒足らずだ。が、風でめくれた服の端も、軽く地を蹴って宙に居るポルナレフの足も、消火栓からこぼれる水も、全てがそのまま録画のコマ送りか何かのように止まった。

 承太郎一人だけが後ろへ下がりながら、スタンドの拳で敵の刃を叩き割る。

「何イィィッ!?」

 アヌビスの絶叫と共にコマ送りは終わり、風景は動き出した。

 画面が承太郎に一拍遅れたような、奇妙な数秒だった。

「キサマ、まさかそのスタンド能力は…!!」

 …うん? あれ? 時止めって見えるモンだったっけ? 

 なんて千時が考えている内に、アヌビスが踵を返して走り出す。

 おいポルナレフ置いてけええええッ!! そう内心で叫ぶと、何故か体から力が抜けた。

 突風が吹き抜ける。

 エレベーターの浮遊感。

 体から力が抜けたのではない。それは単なる勘違いで、すぐに自分の五感が、視覚と聴覚を残して失われたのだと分かった。

 視界が少し下げられ、両手のひらが翳される。それは一瞬ノイズのようにブレて、半透明のピンク色を手袋のように纏う。ああ、と、何となくすぐに理解したのは、それがさっきまで口を動かしていたからだろう。手は、握られ、開かれた。しかし千時にその感覚は無く、ただ見て、聞いているだけだ。自分の口が喋っていながら、それを認識できなかったのと同じ。

 どうやら、俗に言う〝乗っ取られた〟ような状態らしかった。

「あなたを借りる」

 呟くように言うのは、千時に聞かせるためなのか。

 彼女は何気ないような様子で突然走り出した。速い。いやぶっちゃけ千時自身は足が遅い。体育は基本ビリだ。それが、ポルナレフにぐんぐん追いつく。T・Tはあっという間に数メートルの背後へ近付き、ポルナレフの背に手を向けた。広げた指先から五本、鞭のようなしなやかさでビビッドピンクが弧を描き、目の前を縫い上げていく。まるでジョセフ・ジョースターの使うハーミットパープルように、それは男を縫い止めた。

「キサマアアアアアッッ!!」

 アヌビスの絶叫の中、彼女はスタスタ向かって行った。

「あなたは興味深い。既に〝感情〟を有している」

「テメエェェ…!! ワケの分からん事をォォオッ!!」

「あなた自身か。単なる模倣か。それとも主人の複製か」

「うおおおおッ! 離せ! 私を逃がさぬつもりなら、その体を寄越すのだ!! それが我々の未来を切り拓くッ!!」

「その点については、そうかもしれない」

 アヌビスの背後に立ったT・Tは、承太郎へ首を向けた。

「この剣は、この星と相入れなかった。あなたもこれを逃がすわけにいくまい。さあ、スタープラチナ」

 応えたのが、追いかけてきた承太郎なのか、そのスタンドなのかは分からない。ただ、突き出された刃を固い拳が細かく砕いて、アヌビスの悲鳴が響いた。

 ピンク色の拘束がするりと解け、ポルナレフが倒れ込む。

 千時としてはしゃがんで彼を見てほしかったのだが、T・Tはその前に少し道を戻り、最初に折れた刃の先を指さした。

「こちらもだ。まだ再起する」

 おかしな虹色の光が刃を走り抜けた。それがアヌビスの断末魔だという事が、千時には何故か分かった。

 スタープラチナの拳が路面ごと一撃に粉砕し、今度こそアヌビスの気配は、消えた。

 

 視界が、気絶する男の横に降りる。体のあちらこちらと順に手を触れていくと、千時には、しびれるような感覚が伝わってきた。何とも形容し難い断続的なそれが、〝巻き戻し〟ている瞬間なのだろう。

「あなたに怪我はあるか」

 言いながら視界が上へ。

「彼女が怪我を治せと言うのが、巻き戻すのと同義である事を、今しがた理解した」

 千時の視界には、世にも恐ろしいものを見たような表情の承太郎が居た。

 彼はゆっくり首を横に振り、はっと弾かれたように膝を折った。

「お前、T・Tなのか」

「そうだ。あなたに治癒が必要無いなら、脳の制御を彼女に戻そう」

「待て!!」

 承太郎は怒鳴り、一瞬言葉に詰まってから、長い息を吐いた。

「まだだ、どういう事か説明しろ、…クソッ、どうなっていやがる」

 彼も混乱しているようで、調子がぐちゃぐちゃだ。千時は、しかし、混乱ごと代弁してくれてありがとうと言いたかった。

「スタンドが本体を乗っ取るなんざ…」

 そう! そこ! つか脳の制御てなんぞ!? 怖ッ!! 

「そんなことはしていない」

 T・Tは事も無げに答えた。

「平常、この体が私のものでないのは、私がそれを認めていないからに過ぎない。なぜなら彼女は死んだからだ」

「何ッ…!?」

 千時も驚愕した。が、それは声にも動作にもならず、ただ彼女の意識が慄いただけだった。

 T・Tは淡々と口を動かした。

「私が心臓を動かしている。だから、心臓を有する生物の構造からして、この体の主導権は、本来、私にあると言える」

 千時は、今、意識しか無いため何ともできないが、顔が付いていたらさぞや間抜けだろうと思った。きょとん、というやつだ。

 それは承太郎も同じだった。

「つまり、こいつは…」

 千時は…T・Tは、じっと承太郎を見ていた。

「いや、T・T、テメエは、だ。何者なんだ。スタンドじゃあねえのか」

「あなたたちが「スタンド」と呼ぶ私たちは、昔、他の星に存在していた、実体を持たない生命だ」

 あっさりと、そして平静に、荒唐無稽な物語は紡がれた。

「純然たるエネルギー体でありながら、私たちは確固として存在していた。星が壊れる時、半数はそのまま宇宙へ旅立った。半数は自らを限界まで凝縮して半実体となり、星の消滅のエネルギーに乗った。

 この世界へ辿り着いた星の欠片に付着しているものを、彼女はウイルスと呼んだが、それが凝縮した半実体、私たちの素体だ。

 この星の構造に、私たちは適応できない。自らのみで膨脹して元に戻る事も、エネルギー体のみで存在を維持する事もできない。

 だが、この星の生き物の体は、私達を受容しやすかった。素体は全身に行き渡り、適合する細胞群に浸潤する。

 ただ、そこから先ではほとんどの場合、不具合が起きる。素体のエネルギーの膨張に、実存在である細胞の肥大が間に合わないのだ。結果、細胞が損壊し、死に至る。

 あなたたち「スタンド使い」は、私たちから見た場合、むしろ適合していない。素体を細胞に浸潤させながら、エネルギーを一定以上に膨張させない拒絶体質だ。だから大抵の場合、スタンドの意識レベルは非常に低いところで停止し、あなたたちの意志を自らのものとして受け入れる。それがあなたたちの言う「本体」と「スタンド」の関係性だ。

 彼女は」

 T・Tは自らの胸…千時の体に、手を当てた。

「極端な受容体質だった。

 素体は普通、最適な者が最大範囲を確保した時点で、他の素体を単純なエネルギーとして従え、制御下におく。だから素体の過不足に関わらず、一つの生き物には一つのスタンドしか現れない。

 だが、この体は取り込んだ複数の素体を、全て統合した。私は複数の集合でありながら、一つのスタンドとして完成されている。さらに、大量の素体とエネルギーによって、私は、意識レベルの停止限界を持たなかった。だから彼女の全てを受け取った時、あなたたちの持つ、感情という複雑な機構の存在を知った。

 今の私を多少の例外としても、私たちはその分野において、非常に未発達だ。あなたたちに比べると、基本的には、〝考える〟ことしかできず、〝思う〟ことができない種族だと言っていい。生存本能が必要とする最低限の喜怒哀楽を、論理的に理解し、利用できるだけで、曖昧なことや抽象的なことを理解しきらない。

 その複雑な機構を理解したい、というのが、私が初めて〝思った〟ことだった。そのためにすべき事が、私には可能だった。私は私が発症した瞬間、この体を可能な限り元に戻した。心臓の石を抜くことはできなかったが、心臓を動かすことはできた。回復は間に合い、彼女は保たれている」

 ……ごめんよくわかんない。つまり何なの? 死んでるの生きてるの? 

 千時は無い両手で頭を抱えた。

 承太郎が呟く。

「生き返らせたってのか。わざわざ」

「そうだ」

「感情を理解するために」

「そうだ」

「…聞きたいことがある」

 何でも質問してください!! 千時は全力でそう思った、が、承太郎はT・Tを掘り下げるのではなく、若干、明後日の方へ向いた。

「わざわざ生き返らせ、自分の意志で動いていたクセに、何故また殺そうとした?」

 そんな事はどーでもいいからちょっと他に! 他に!! しかし具体的に何をというと咄嗟に思いつかな…違う違う! T・Tにできる事だとか、能力だとか! 目下の事態に役立ちそうな事をだな!! しかし思っても、口は相変わらず動かない。T・Tの思考が読めるでもなし、こちらの意志が伝わるわけでもなさそうだ。

 T・Tは首を横に振った。

「そんな事はしていない」

「いいや。テメエはそいつを殺そうとした。しかも、俺にわざわさ助けさせるような真似をした。おかしなことをしやがった意味を教えろ」

「あなたの助けも求めていない」

「じゃあ何故、海底に留まった」

 承太郎の目が、ひどく無表情になっている。

 彼は千時がなにか絶望的な事を思っていたから、無意識にT・Tで死のうとしたと結論付けたはずだった。千時もよくは分からないなりに、そうかもしれないという事で無理でも決着させておいた事だ。それが全く違うとなると、確かに千時は彼の言う通り、殺されかかったのかもしれない。

 T・Tは平然と答えた。

「彼女は極端な感情や、理解を求める事に疲れ果てている。

 あなたに分かりやすく言えば、あなたが死にたいのかと問いかけた時、確かに彼女は生存本能から意識的に逸脱していたが、しかし他者の生存のためには自分の生存を望んでいた。また、あなたが彼女の希望になると言った時、彼女は無理だと即断したにも関わらず、同時にあなたの傲慢を喜んだ。あなたはこれらの感情を知らない。彼女が理解を求めないからだ。もしこれらを伝えてあなたが理解しない時、彼女は自分が疲労すると感じている。そういった可能性を、彼女は、すべての他者に対して回避したがっている。

 海中であれば他者は居ない。私には、費えぬ平穏を与えられる能力がある。だから、あの場に留まれば、彼女を守れると考えた」

 …なんかまあ、なんだ、ものすごい言われようだ。いやT・Tちゃんよ、そんな小難しい話ではない。単にメンドくせえだけですけど…。

 しかし、そういう能力というと、巻き戻し続けるとでもいうのだろうか。想像してみて、もしそれを承太郎が感じ取っていたなら、恐怖にも頷けた。アレだね、宇宙で考えるのやめたカーズ様だね。冗談のように思い出すが、実際にそうされたとしたら、人間などいとも容易く壊れてしまうだろう。ある意味で、殺されかかっていたわけだ。

 ああそうか。千時は妙に納得した。確かにT・Tは、感情が理解できていない。守る手だては考えつくが、そうした時に人間がどうなるかまでは想像できない。想像するには、人と同じかそれに類似したものを持っていなければ無理なのだ。

「俺の助けを求めたわけじゃないってのは」

 T・Tは承太郎を、穴が開きそうなほど見つめた。

「あなたが彼女を強いと言い、その理由をきいた。私は、彼女が強くなく、故に理由など無い事を、あなたに解答した。あなたが何をもって彼女を強いと誤解したかは分からないが、明示しておかなければ、彼女を何らかの危険に晒しかねない」

 視界が暗く閉じて、T・Tが目を瞑ったのだと気付く。

 暗闇の中、自分の手が胸元にそっと置かれたのを、千時は感じた。

「すべての私たちは、強さしか持っていない。だから私は、この小さく柔く弱いものが欲しい」

 そうして、T・Tは目を開き、また承太郎を見上げた。

「ただ、それ故に私と彼女は、同一のものになれない。同じ細胞を同時に使うと、私の意識が彼女を潰し、消してしまう。こうして入れ替わる時に一瞬交わるだけでも、私は彼女を削いでしまっている。

 彼女と同じものを得るには、観察と模倣しかないという結論に至った。それを保存するために…ああ、シルバーチャリオッツが目を覚ます」

 だしぬけにT・Tは視線を下げ、手をポルナレフの額へ置いた。

「過去に、こういった事は彼に聞かれないほうがいいと、彼女が考えていた。終わろう。だが、これ以降、少なくとも私が良しとするまで、この体を使うことは無い。話せて良かった。スタープラチナ」

 承太郎へと視線を戻し、T・Tは、微かに目を細めた。

「共に生きられることを祈る。あなたたちにも祈ってほしい。願いの総量の多い方が、勝つのだそうだから」

 次の瞬間、千時の体からT・Tがふわりと虚空に浮き上がり、消えた。

 見つめあったまま、二人とも、どういう顔をしたものやら。

「……えぇー……」

 千時の第一声は、非常に間抜けて聞こえた。

 


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