スターダストテイル   作:米俵一俵

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18.呪われた刀剣

 オォーレンジいぃっぱぁい、いーいにーおいー。意味のない節を付けて歌いながら部屋のドアの前に立ったら、まさかの自動ドアだった。何を言っているのかわからねーと思うが以下略。

「本当に機嫌がいい」

 ちょっと笑いをこらえた承太郎が、背後からドアを開けてくれていた。

「ぎゃー!! 居るなら居るって言ってよ!」

 このホテル、廊下の絨毯の毛足が長くて、足音が立たないのである。

「車の中でも歌っているじゃあねえか」

「あれはちゃんと歌だから!」

「ああ。ヘタじゃないぜ」

「でも今のは、今のはちょっと、あー!」

 誰も居ないと思っていたのだ。別に変なことを言ったわけでもないが、こういう時ってなんで無駄に恥ずかしいんだろう。

 抱えた紙袋を恨めしく見下ろしながら、部屋に入ってテーブルへ。

 ベッドに座っていた花京院が、雑誌から顔を上げ、苦笑した。

「どうしたの」

「背後から奇襲された」

「へえ。無事に生きてるきみは凄い」

「何そのフォロー」

 つられて笑いながら、そういえば紙袋を病院で床に置いてしまったことを思い出す。オレンジを取り出して、紙袋はゴミ箱に捨てた。残りはちょうど六個。

「おいおい、僕らの部屋に置いていくつもりか」

「ここがきみらの部屋とは聞いてなくてね。部屋番号しか知らないの」

「珍しく連番で取れて良かったな。隣へどうぞ」

「あ、そうだ」

 つい声を潜める。

「角部屋なら大丈夫だろって、ポルナレフがイギーちゃん奥へ持ってったんだけど。大丈夫なの?」

「さあね。僕ら未成年だから。責任は保護者が取ってくれるだろ」

「わあ…ノリさんが悪いこと言った」

「ハハハ」

 彼はまた雑誌をめくろうとしたが、承太郎に呼びかけられて、すぐに顔を上げた。

「花京院。お前、ディオという男と直接遭ったか」

「え?」

 唐突な問いだった。

 花京院は俄かに眉根を寄せ、雑誌を置いた。

「遭ったよ。何故だい」

「砂漠で襲ってきた水のスタンド使いと、最後に少し話してな」

「きみが杖を墓標に埋葬してきたという敵か」

「そうだ」

 承太郎はもう一つのベッドに浅く腰掛け、花京院と、何故か千時をちらりと見た。

「奴は、俺の帽子を弾き飛ばせるほど強かった。それに、自ら潔く最後を選ぶ程には、誇り高い男だった」

「きみがそこまで言うのなら、その死に敬意を」

「ああ。だがそんな奴が、心底からディオを信奉していたんだ。理解し難い。だから、今更だが話を聞きたくなった」

 花京院は両手を固く握り合わせ、そこに視線を落とした。

 彼が少しばかり黙っていた間、千時は、マズいところに居合わせちゃったな、どのタイミングで出てけばいいんだろ、と冷や汗をかいていたのだが、それを言い出すより先に、花京院が口を開いた。

「情けない話になるが、見下げ果ててくれるなよ」

 彼はあくまでも、冷静な調子を保った。

「僕は、最初からひどく怖ろしいばかりだった。奴はあくまでも優しげで、穏やかな口調だったが、その唇の紡ぐ音が恐怖で耳に入らなかったほどだ。

 肉の芽を植えられたあとの事は、靄掛かるようで、はっきりとしない。だが、圧倒的な陶酔と歓喜の奥底でも、怯える自分を感じ続けていた。その時にはもう日本に居て、エジプトなど遠かったはずなのにね。

 実際の距離の問題じゃあない。奴は恐怖の中に居る。自らそれに打ち勝たない限り、奴は居座り続けるだろう。僕がこの旅に同行したのは、それが理由の一つでもある。…そんなところだ」

 低く静かな声音が、ゆっくりと途切れた。見るともなく見ていた彼の拳が微かに震えていて、千時は目を逸らした。ホントにもう学生さん達ときたら、聞いちゃって良かったのかオイオイ。

「お前はどうだ」

 承太郎が振り返って、立ったままの千時を見た。

「人を狂信的に操るディオという男…。何を知っている?」

「え…、さあ。何だろ」

 だから承太郎は、自分の居るまま話し始めたのか。今更その意図が分かって、ため息がこぼれる。千時は、逸らした視線そのまま、意味もなくベッドの端を凝視した。

「そもそも心の隙間に入り込むのが上手い、ってのをどこだかで読んだ気がする。人心掌握術っていうやつ?」

「それは、知っている事、か?」

 鋭い。濁した部分を、承太郎は的確に拾い上げた。

「思う事でもいい」

「それはただのテレビの感想だし」

「かまわねえから聞かせろ。何だっていい。どうせ俺は、一番情報を持っていないんだからな」

 言葉こそ自嘲めいていても、承太郎は至って真剣だ。砂漠の敵は、よほどの何かを承太郎に残したらしい。

 千時は仕方なく、1部からの元凶感想まとめを語るはめになった。

「…ノリさんの言うような恐怖の先で、ある種の美を見てしまった人が、魅入られてしまうんじゃないのかな。説明しろったって難しいけど…、そうだな、私みたいなのが肉の芽無しでストンとやられるんだろう、とは思ったかな」

「何?」

「群衆としての人間がって事。生きてんのか死んでんのか分かんないような、ただ生きてるだけの人生に、じゃあ意味をあげるよ! って強烈な一撃で割り込んでくる、という…。ああ、宗教だよ宗教。ある種の救いになっちゃうような」

 承太郎はハッとした顔で、体ごと千時に向き直った。

「奴も言っていた。悪には悪の救世主が必要だと」

「あ、悪の救世主ゥ…」

 厨二病乙ッッ!! と叫びたい。がしかし、全体的に厨二病な現実の真っただ中。何しろラスボスが吸血鬼。あッたまイテエェぇー…!! 千時は顔をぎゅうぎゅうに顰め、皺の寄った眉根を押さえた。

「救世主が必要だってのは、まあ、人によっちゃそうか…。でも、悪ってのは…、条件の定義みたいなもんだからなぁ」

「条件の定義?」

「ああ、いや、数学の…どうでもいいな」

 論旨がズレてる。千時はやめようと思ったが、そうは問屋が卸さない。承太郎が食い下がった。

「どういう意味だ」

「え」

 説明するのオ? 胡乱げに承太郎を見てみたが、彼はただ、帽子の鍔の影から、海の色を差し向けてきた。

「…なんつーか、まあ…私は、ここじゃないけど、だいぶ先の未来を知ってるわけじゃない? 何年経とうが、スラムもマフィアも麻薬も宗教も、戦争も有りっぱなしなわけよ。

 人の社会には受け皿としての社会悪が、必要悪として存在し続ける。それらは根本的に差別や貧困が解消されない限り消えない。つまり、それらが人間社会から消滅することはあり得ない。

 けど、人の世界って多数決でしょ。大多数もしくは武力が、多数決でって決めたから、それで動いているでしょ。例えば、悪とされる受け皿…どこかのマフィアとかが、世界の最大勢力になったとしたら、果たしてそれは悪なの? もっと言うと、ディオがローマ教皇になったとしたらよ、圧倒的な人数の絶対性で、敵対する私達が…」

 不意にノックの音が響いて、三人ともドアを見た。

 顔を出したのはジョセフだった。

「…あら? お取り込み中だったかな?」

「ああ」

 即答したのは承太郎。彼はドアが開いたそのまま、視線を千時に戻してきた。さっさと終わらせるしかなさそうで、彼女は続けた。

「…たぶん悪になるわけよね? 

 正義と悪は、ただそれだけの差でしかない。つまり、どちらなのかは個人の主観と、その時点における多数派の観点に拠る。だから、救世主はアリかもしれないけど、悪も正義も無いと思う。

 そういうどーでもいい話。そっちが食い下がるからだからね、私は悪くない、訊いた承太郎が悪い」

 ものすごい顔をしている学生二人に言い捨てて、千時はオレンジを四つ、腕に抱えた。

「二個はノルマだから置いてくよ。ジョセフさん、行こ行こ」

「え、ああ、え? いいのか?」

「うん。はいジョセフさんの分」

 義手に一つ渡して、千時は一緒に部屋を出た。

 最高潮に気まずかった。学生相手にバカっぽい! これじゃ自分こそ厨二病乙ッ!! …ううう。

 部屋はツインが並んで三部屋。千時はジョセフと真ん中の部屋で、その奥の角部屋がアヴドゥルとポルナレフだそうだ。

 が、隣の部屋の戸を開けると、アヴドゥルが居た。

「あれ? あ丁度良いや。アヴさんもコレ」

 千時はすかさずオレンジを二個差し出し、ポルナレフとノルマ一個ずつ、と押しつける。アヴドゥルが受け取る間に、ジョセフが自分の分をテーブルへ置いた。

「で、何の話?」

 保護者二人は、真剣に目を見交わした。

 

 

 真ッ…剣極まる顔で一体何の話かと思いきや、インドのバスと似たような話だった。

 アスワンからは、ナイル沿いを下る事になる。移動の手段としては、車でダーッと河沿いを行ってしまうほうが断然速い。が、まだ日数に若干の余裕が有る。なら河を行った方が安全…船上では人目があり襲われにくいだろう、という事で、商船に便乗する手筈を、ジョセフとアヴドゥルは整えてきた。

 その商船というのが大型のもので、千時には、絶対に仲間の誰かと居なさい、という厳命が下ったわけだ。

「大声じゃ言えんけど、人身売買なんかもあるんでな」

「残念ながら、治安の良い国とは言えないのだ。目的は奴隷だったり、営利誘拐だったりするが、中には、捕らえた者を拷問し、金を強請る相手に電話で悲鳴をきかせたりするような、とんでもない奴らも居る。そういう手合いほど組織的だから厄介なんだ」

「じゃから、絶対に誰かと居ること。できれば、どうとでも立ち回れるわしか、現地語のできるアヴドゥルが良い。特に船の中では、密室だからと油断しやすい。コンテナなんかに入れられたら、どこだか分からなくなっちまうぞ。一人になるな。わかったか」

「イエッサー」

 というわけで、翌日昼からの船旅は非常に窮屈な事になった。物理とか空間ではない。場所が余っていてもおてて繋いで行動制限。何ならいっそ子供用のリード付けたらいい、というくらい。なんかこう、海なんかにジジマゴで遊びに行ったら、じーちゃんが心配して浮き輪の紐をどーしても離してくれないみたいなね。まあ実際、爺様の孫は悠々紫煙ふかして女性数人に取り囲まれてますけどね。ていうかむしろ、乗るなりどこかへ姿を消したボストンテリアの方が心配なのだが、男どもは千時のことより放任だ。犬以下の信用度!! …いやそういう事じゃない。

 途中、一行と同じく商船に便乗したバックパッカーの一団が、甲板で声を掛けてきた。ちゃんとジョセフと居たのだが、船室から出てきたアヴドゥルは、気付くなりジョセフの反対側に来て、千時はさながら捕まった宇宙人状態。

「きみ、意外と苦労してるな」

 後ろで見ていた花京院に、苦笑を通りこして同情される始末である。

 

「エジプトは古代から、ナイル河を境に、日の沈む方向に死者を葬ったらしい。だから全ての街は、ナイルの東側に集まっている。西側にある建造物は、すべて墓か、死者にまつわる建物だそうだ」

「へーえ」

「…敵は、西だろうが東だろうが、東西南北お構いなしに襲ってくるがなあ」

 ジョセフの少し疲れた声音を聞いても、ついついテンションが上がるのは、ファンタジックな遺跡があるからだ。

 もうすぐ船が停まる港の、目と鼻の先。

「わー! すごい!」

「コム・オンボ神殿だ」

 ジョセフが言った。

「とても珍しい構造をしとるそうだぞ。何でも、右半分と左半分で違う神の神殿なんだと」

「へー。…そっか、海外は一カ所に一人なのか」

「は?」

「いや、日本の神社はいっぱいだから」

「何?」

「同じ敷地に小っちゃいお社が乱立してても全然珍しくない」

「神まで狭小住宅かッ!!」

「あー、ジョセフさんは日本気に入らないんだっけか。ホリィさん取られちゃったもんね」

「うるさいわい!」

 こと一人娘の問題だと、途端にワガママな子供のようにヘソを曲げる。笑いながらやいやい言っている内に、船は港に停まった。荷の積み下ろしだ。船員によると、二時間ほどで出発し、日暮れ頃にはエドフという都市へ着く予定とのこと。

 船を下りてから、ポルナレフが喚いた。

「コム・オンボぉー!? こんなところに寄り道してる暇あんのかよ!」

 説明を聞いてなかったらしい。ジョセフとアヴドゥルがため息混じりに繰り返した。

「ブツクサ言うな」

「地元商人の船に便乗させてもらっている以上、文句も言えまい」

 ポルナレフは虫の居所が悪いのか、少々不機嫌にそっぽを向いた。

「あー腹減った! じゃメシでも食おうぜ」

 いやだからポルナレフさんよ、それもさっきエドフに着いたらねって話されたじゃん。千時が突っ込む前に、ジョセフが呆れてポケットを探った。

「うるさい奴じゃのう。ほれ、こいつで我慢しとれ」

 出てきたのは、大抵一人一個は携帯している緊急ご機嫌取り用のガムである。

「イギーのじゃねえか!」

「ま、気にせずとっとけ。ところで、トイレはどこだァ?」

 どこ吹く風のジョースターさんは、すぐに振り返ってきょろきょろ。

「探してみますか」

 アヴドゥルに促されて、ぞろぞろ、なんとなく人の多い方へ歩き出す。

 建物を構えた商店もあるが、手前には露天が多い。あまり整備された感は無く、ただ神殿の前だから観光客相手の商売が整っている雰囲気だ。雑多に並ぶ、ジュースの販売車。パンケーキのようなものを焼いている軽食の店。古びて見える紙の露店。パピルスはほとんど偽物だよとジョセフが教えてくれて、遠目に冷やかす。

 一カ所、通りすがりに千時は思わず目を丸くした。

「すごい。マンガみたい」

 ターバン巻いた老人が、道端に座ってでっかいヘビ持って見せている。たぶんコブラ。残念、これで笛の音がしてたらパーフェクトなんだけどなあ。あまりに凝視していたからか、老人はニッと笑って、手にしたヘビを振ってみせてくれた。

「ジジイ。ポルナレフが居ねえ」

 気付いたのは承太郎だった。

「あれっ!? あっイギーちゃんもついてきてない!!」

 千時もあわてて足もとを見回す。

「イギーの奴はまあ、その内出てくるだろうがなあ」

「ポルナレフが心配ですね。迷子とは呆れた」

 なんと! 本気で犬以下の信用度な人が!! 

 花京院が一応という様子で人混みを見た。

「旅慣れてはいるようだから、最悪、時間になれば船に戻るんじゃあないですか」

「だが、敵に襲われねえとも限らんぜ」

 珍しく承太郎がそう返す。まあその通り。千時は頷いて加勢した。

「確かにあの人、敵との遭遇率ハンパじゃないよね」

「なら二手に分かれて探すか。途中で落ち合えなければ、それこそ船で待ち合わせよう」

 ジョセフの提案で、五人はバラける事になった。

 アヴドゥルが神殿の方を回ると言うので、ジョセフは、なら一度川沿いに戻ってみると言う。さて、どっちに行こうかなんて決まりきっていた。

「だったら神殿見たい」

 しれっとアヴドゥルの隣へ付いておく。

「正直だなあ」

 花京院が噴き出して笑った。

「僕はジョセフさんと行きます。ここには以前、立ち寄りましたから」

「おっ、そうじゃったか。へーえ。わしねえ、全部済んだらスージーと来ようかと思っとるのよ。今はちょっと複雑な気分だが…」

 やっぱロマンがあるよなあ、なんて言いながら、二人は手を振って歩き出した。

 もう一人の学生はその場に突っ立ったままだったので、神殿に来るらしい。だよねー見たいよねー。

「では二人とも、はぐれないようにな」

 アヴドゥルに先導され、土産物屋の前から階段を上る。

「それから、声をかけられても無視するんだぞ。観光客は兎角、カモにされる」

「観光客じゃないけどね」

「そう見えるって話だ」

 辿り着いた遺跡はとにかく大きく、見上げるばかりだった。重機の無い時代にどうやって作ったのか、本当に不思議になる。

「右がセベク、鰐の神。左がホルス、隼の神の神殿だ」

 なんでそんなの組み合わせちゃったんだろう。鳥がパクリとやられちゃいそうなのに。

 ぽけーっと見上げていると、アヴドゥルはすたすた受付へ行ってしまった。

「早く来い。入るぞ」

「えっ外回るだけじゃなく?」

「奴の事だ。女性とでも連れだって、入ってしまったかもしれんだろ」

「うわ、ありそう…」

 承太郎からもため息が出た。彼は口数こそ多くないが、雄弁だ。

 アヴドゥルはチケットを渡して笑った。

「残念ながら、さっさと回るだけだからな。あまり足を止めないでくれよ。何なら、ジョセフさんじゃないが、後日改めて来ればいい」

「はーい」

 とはいえ、左右どこを見てもファンタジック。ローマの影響を受けたという彫刻はくっきりと深く、あちこちのこまやかな細工が美しい。ただ歩くだけでもうっとりできる。…後ろをついてくる承太郎さんは、通りすがる女性をうっとりさせて回ってるわけだが、それはともかく。

 ちょっと内側に入れば、いかにもなレリーフの彫刻だらけだ。

 本当に、何もかもが大きい。ついつい上を見っぱなしで、首が痛くなってくる。

「アヴさんアヴさん、マジシャンズレッドの親戚だよ、ほら」

 大きなレリーフを見上げて呼び止めると、アヴドゥルはブッと噴き出した。

「親戚か。そりゃいい」

 ハヤブサの神だろう。鳥の頭と人の体をした姿が掘られているのだ。後ろで承太郎が顔を背けていたから、彼も笑っていたのかもしれない。

「見てみろ。あそこ。分かるか?」

 逆にアヴドゥルから呼ばれて、日本人二人、指さす場所を見たりもした。

「えー…あ、色ついてる!」

「ところどころだが、色彩も残っているんだ」

「当時の?」

「そう」

 やばい、時間あったら探すのに。

 先へ進むと、今度は壁一面にびっしりの彫刻が現れた。

「これは最古のカレンダーで、神殿の催事の記録らしい」

「ああ、だから縦横に枠線があるわけか」

 そんな事を言いながら奥へ向かい、幾つかの部屋を抜けると、視界がぱっと開けた。中庭のように元々天井が無いのか。黒曜石の祭壇がポツンとある。あちこちに崩れた巨石と壁が晒され、このまま映画の撮影ができそうだ。

「えーと…。居ないね」

 一応、本来の目的を確認。

 女性ばかりのツアーらしい一団が居て、十数人もが承太郎に黄色い悲鳴をあげたものだから、そこはさらっと通り過ぎ、次の順路へ。

「あの」

 知らぬ声の日本語が聞こえて、アヴドゥルと千時が振り返ると、わざわざ追いかけてきた女性が数人、承太郎を囲んでいた。旅の間に何度もあった事だから、もう珍しいとも思わないが。

「日本の方ですか?」

 承太郎は返事もせず、酷い舌打ちをして早足に追いついてくる。

「さっさと行くぞ」

「モテる男も大変だねえ」

 思わず言えば、ジロリと一睨み。彼としては、これでけっこう冗談じゃない。証拠、女性達は無視されたにも関わらず、きゃあ! なんて言っている。

「ほら承太郎、これも有名なレリーフだぞ」

 アヴドゥルが取りなすように横手の壁を示した。

「医療の事や医療器具、薬の調剤なんかを描いてある」

「ポルナレフ」

 承太郎はいきなりボソッと呟き、一人で肩をすくめて笑いだした。

「何!? どこに居る!」

「…に見せたかったぜ、そこのヤツをよ。ヤツには、こだわりってもんがあるからな」

 気付いた千時も笑いだし、アヴドゥルがきょとんと目を丸くする。

「アハハハ! アヴさん、そこだよソレ! なんでトイレ掘ってあんの」

「トイレ?」

 いやどう見ても。

「ああこれ、いや違う違う、これは出産のレリーフで…」

 慌てて説明しながら、アヴドゥルもちょっと笑いだしてしまって、三人、クスクスしながら進んだ。

 神殿を抜けて外に出ると、巨大な井戸のようなものがある。承太郎が帽子を押さえて、中を覗き込んだ。

「これは?」

「ナイロメーターというんだ。神殿の地下は川と繋がっている。これで水位を計って、課税額を決めていたらしい」

「ええ? 税金?」

 思わず千時も覗き込む。

「それだけ水が貴重だったという事だろう」

「俺達にはピンと来ねえが、砂漠だからか」

「日本で水に不自由するという事はあまり無さそうだな」

 空条家の庭の池に驚いた、とアヴドゥルが話し始め、二人が横並びになったので、今度は千時が後ろをついて歩く。

 あとはもう道なりに戻るだけのようだ。

 と、急に、ドドォ…と重い地響きがした。

「なんだろ…」

 少し立ち止まったが、別段、続くわけでもない。ハテ、工事だろうかと首を傾げながら、神殿を出た。

 丘を下ろうとした時、向こうからジョセフと花京院が上がってきた。

「ジョースターさん。そちらはどうでした」

「おおアヴドゥル。ワニのミイラ見たァ?」

 何のこっちゃと思ったら、神殿の中にあった筈だがと花京院が言う。生憎、それは見ていない。

「てかまず電柱見たア? じゃないの」

「見なかったよ。そちらは」

「トイレのレリーフは見た」

「ああアレ」

 花京院が笑い出して、そばに居た承太郎がつられた時だった。

「あ!」

 全員が一斉に振り返る。奥の方から、もの凄い犬の鳴き声が響いてきた。

「ありゃあイギーだぞ」

 特徴的なそれは、反響していて咄嗟にどこだか分からない。とりあえず駆け足で声の方へ行くと、壁を曲がったすぐそこに、ボストンテリアは居た。こちらの存在を確認すると、何故かサッと向きを変えて走っていく。

「おいおい! どこへ行くんだ!」

「まったく困った犬だな」

 しかし来てくれと言わんばかりの行動に、それを追うしかない。どうやら少し上った先の、巨大な柱が立っている場所に向かっているようだった。

 階段を駆け上がったイギーが止まり、またギャンギャンガウガウとやり始めて、一行は追いついた。

「…さっきの地響き、これかな…」

 千時が唖然として呟くと、ウンとか何とか、花京院が呻いた。何があったやら、数本の柱が倒壊している。元からでないと分かるのは、壊れた断面がバカに綺麗だからだ。古い断面はさっきまで神殿で見ていたので、さすがに分かる。とんだ事故だ。

「ポルナレフ、そこにいたのか」

 声をかけた承太郎の向こうに、うずくまる大柄な体が、ビクリと不自然に肩を揺らした。

 ジョセフが一歩、近付いて覗き込む。

「一人で居なくなるから心配したぞ。敵に襲われたらどうする」

「あ、うああ…」

 ポルナレフは、妙にぼんやりとした顔で額に手をやり、顔を顰めた。

「…あ…ああ、ジョースターさんか…」

 ようやく認識したような、おかしな言動で、何かを追い払うように頭を振っている。

 千時は、何気なく見たポルナレフの足もとの細長い影が何なのか、アヴドゥルの言葉を聞くまで分からなかった。

「なんだ、刀を持っているな。何かあったのか」

「刀ァ!?」

 慌てて承太郎とジョセフを掻き分け、千時はポルナレフの肩をド突いた。

「刃物触るなっつったじゃん!」

「あ、そうだった」

「そーだったじゃない!!」

 しかし正直、剣の敵スタンドふーんポルナレフ乙、くらいの読み流しだったため、やはり詳細不明である。あと覚えている事と言ったら、ピクシブで見かけた、何だか知らないが剣が二本のポルナレフと戦う承太郎の、迫力のイラストだとかそんなところ。なので、どんな事情だろうが持たなきゃいいんじゃないかと思ったのだが。

「どうしてそんな物…」

「ああ、たった今、くそったれの敵に襲われたのさ」

「何っ!? 敵だと!?」

 一瞬、警戒で緊張が走ったが、ポルナレフは軽く手を振った。

「もう終わったがな。アヌビス神の暗示のスタンド使いと言ってたぜ。剣の達人で、物体をすり抜けて物を切断できるスタンド使いだった。強敵だったぜ。この剣で、やつは襲ってきて…」

 後ろ手に剣を取ろうとし、

「あれ? 無い」

 振り返る、と、数メートルも動いている。なんと鼠が数匹で隊列を組み、背に負って持っていこうとしていた。

「ネズミだ! ネズミが剣を持っていこうとしているぞ! こらあァ!」

 怒鳴りつければサッと散って、剣がガタンと落ちる。ポルナレフは、本当に何気ない様子で剣を拾い上げた。

「まったく気色悪いぜ。手癖のわるいネズミが住んでんのかア? ここは。どーせならチーズを盗め、チーズを!」

「ポおぉルナレフうううぅぅぅッ!!」

「うおおッ!」

 千時は思い切りタックルをかまして、ビッと床を指さした。

「置きなさい!!」

「ご、ごめんなさい…」

 ポルナレフは慌てて剣から手を離した。

「けどよ、このまま置いていくわけにもいかねえぜ」

「ごもっとも、分かってる、けど鼠が運ぶとか怪しすぎるでしょ、どうしよどうしよえっとー…アヴさんと承太郎!」

「何だ。私達が持てばいいのか?」

 進み出た二人を、千時は両手を広げて押し止めた。

「上着貸して!」

 

 どうして承太郎が上着を脱ぎたがらないのかが分かった。

 どこの言語だか知らないが、雑多な言葉であちこちから降り掛かる声、声、声。ぜえええぇぇんぶ女性。多分、逞しい腕と彫像のような胸板が晒されるからだ。…夏のプールとか行けないね。かわいそうに。

 しかし背に腹は代えられない。怪しすぎる刀剣は、直接触れないよう彼らの上着でぐるぐる巻きにして、花京院が持った。

 運び手が花京院である理由は、最も剣に遠いから、である。花京院はスタンドのタイプからしても剣を使うには適さないし、言っちゃなんだが、男性陣の中では最も非力な筈だ。誰も口には出さないが。

 ちなみに千時は、最初、自分なら振り回したってたかが知れているはずなので持っていくと言ったのだが、全員からやめろと怒られた。ポルナレフが言うには、切れ味が半端じゃないらしい。ちょっと鞘から外れて落ちたら、千時の腕なんかぽろっと取れちまう、との事だった。いやそれノリさんでも一緒じゃないのと思うのだが、まあ長刀は相当な重量もあるし、腕の太さもさすがに違う。そこらへんの安心感が男女で違うのは仕方がない。

 船までの道と、エドフに着いた船からホテルが決まるまで、黄色い悲鳴の嵐の渦中を、一行はてくてく歩いた。

 

 

「布から出すと途端にコレだよ」

 呆れ返るポルナレフの声は、イギーのワンワンギャンギャンに掻き消されそうだ。

 千時はガムをちぎって、しゃがまずに翳した。

「ダメ!」

「ウグウゥーッ…」

「おすわり!」

 短いながら背中の毛を逆立てて、今にも噛みかかりそうだが、イギーはどうにか一足分下がって座った。

「いいこいいこ」

 なるべく優しく言って、ガムを差し出す。彼は不満げだが、とにかく黙った。

 昨晩の到着はもう暗い頃だったため、ホテルをとってそのまま、中のレストランで済ませ、部屋へ散って寝てしまった。今朝になってから、ポルナレフと花京院のツインに、上着を返せと二人が顔を出しに来て包みを解き、イギーの喚き声で何だ何だとジョセフに千時も起きてきて、また1部屋でギュウギュウになっているわけだ。

 余談だが、イギーは大抵、ポルナレフのところで寝ている。ポルナレフは、クソ犬だけど俺様になついちゃってんのよねェー、なんてニヤニヤしていた。皆、そうだなとしか返さないが、多分、何だかんだ一番怒らず好きにさせてくれる相手だと、イギーが知っているだけだ。ポルナレフにならワガママ放題してオーケー。で、そんな感じがどうも、花京院と似ているなあと、千時は思うわけである。口が裂けても言えない。どっちにも。

「ホテルには悪いけど、とりあえずシーツ一枚使わせてもらおうよ」

「そうだな」

「ポルナレフどいて」

「えー。俺の方の取んの」

「年下に残してやんなさいよ」

 問答無用。千時はポルナレフをベッドからどかし、シーツを剥がした。半分に折り畳んでサイズを合わせ、向かいのテーブルへ立てかけられた剣に被せる。

 触らないように注意しながらやっていると、花京院が気抜けた声を出した。

「ラッピングみたいに包むね」

「ああ、クセかな。一年くらいやってたから」

「ラッピングを?」

「プレゼント用品だらけの店に居たもんで」

「ワケが分からないよ」

 ヤバい。この人、無事にいって生存院になったらきっと立派なヲタに成長しちゃうよどうしよう。ファンにドヤされそうである。

「ポルナレフ。ところでその剣、どうするつもりだ」

 窓際に居た承太郎が、包み終えて床に置かれた長細い荷物を見おろした。

「警察に届けようぜ。他に無いだろ。どうみても凶器だからな」

「うむ。それが良い。あの遺跡に捨てておいたら、誰が拾うかわからん」

「高価そうにも見えますしね」

 ジョセフとアヴドゥルも頷く。千時は何となく賛成したくなかったが、かといって代案も無い。ガムの味が無くなってしまったのか、イギーもまたグルルルとやり始めてしまった。

「こらイギー。静かにしろ!」

「宿を追い出されたらどうする」

 アヴドゥルとジョセフが、ポイポイとそれぞれガムを投げたが、イギーは珍しく気に入らなかったらしい。さらにしつこく唸っている。

「なんなんだよ、さっきからよお。チェッ。クソ犬はうるせえし、さっさとこいつを届けに行くか」

 ポルナレフがウーンと伸びを一つ。包みを掴もうとして、千時に睨まれ肩を竦める。

「誰か一緒に来てくれる人ー」

「おや」

 ジョセフが心配そうに眉根を寄せた。

「お前さんも行くのか?」

「うん。イギーちゃんの首輪とリード探したい」

「ええっ!? コイツにィ!?」

「千時、それは無理というか、無駄になると思うぞ…」

 ジョセフとアヴドゥルが目を剥いたが、千時はウンと適当な返事でごまかした。ジョセフはフムと顎髭を撫で、孫を見た。

「わし、ちょっと疲れてるから遠慮したいんだけど」

 承太郎はやれやれと呟いて、帽子の鍔を下げた。

「行ってくる」

「なら花京院、すまんが荷物の整理を手伝ってくれないか」

 すかさずアヴドゥルに言われ、腰を上げかけた花京院がハイと引っ込む。

 千時は、あれ? なんかちょっとメンツが…とは思ったが、思った時にはもう、承太郎が包みを掴んで部屋を出るところだった。

 


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