スターダストテイル   作:米俵一俵

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15.わんわんパニック!

 何しろエジプトなんて言うと、スフィンクスとピラミッドとミイラと世界不思議発見と、黒柳さん正解率高っけー! くらいしか無い。それも、イメージだけで知識なんかもっと無い。黒柳さんの正解率が実際に高いかどうかの数値的根拠は知らないのである! …どうでもいいな。

 ナイル川沿い以外は砂漠なのかな、だとしたら一日徒歩とかあるかもしれないどーしよう、と思っていたのだ。

「良かった。今度こそ砂漠にポイされちゃうかと思ってた」

「誰も別にそんな事はしないと思うが」

 隣に居た花京院は呆れたようだが、千時としては死活問題。なにしろ、乗り物を駆使してきた今までだって、実はついてくるのに必死だったのだ。これが徒歩なんて言ってみろ、もうリーチからして違うんだぞチビっこナメんなデカブツどもめ。いや隣の日本人はそこまでじゃないけど。

 上陸したバナス岬は、ちょっと難しいが最高のダイビングスポットなのだそうだ。観光客が来るため、すぐそばにそこそこ物の揃った集落があった。六人は今、そこに居る。

 ジョースター家の二人は祖母にフォローの電話をすると言うので、公衆電話のあった雑貨店に置いてきた。

 アヴドゥルとポルナレフは、乗り物を調達しに集落の有力者を訪ねている。カーディーラーなんぞあるわけが無いため、どこかで中古なり何なり、借りるか譲ってもらうかしかないのだ。

 で、残った花京院と千時はその近く、カフェのテラス席でぼんやり待ちぼうけ。

 日差しがきつい。

「さっきから、何を書いているんだい?」

 千時がペンを走らせるメモ帳を覗いて、花京院が目を眇める。太陽が明るすぎて見えないらしい。

「らくがきだよ」

「見せて」

「えー」

「あまりにもヒマなんだ」

「それには同意する」

 千時がペンごと両手を挙げれば、花京院の指がメモ帳を拾い上げた。

「…僕ら?」

「よくわかったね」

「服が」

 いやそこは髪型だろ。

 懐かしき名作、赤僕の作者がどこだかに書いていたが、とにかく小さく描いてしまうというクセ。千時はわりとそれだ。片手に収まるメモ帳サイズにデフォルメ五人をぎゅうぎゅう詰めの、かなり小さなイラストである。

「上手いんだな。以前にも思ったが」

「ありがとー。…ああ、そっか、ノリさんも絵ェ描く人か」

「きみに見せた覚えは無いがね」

「ハハハ」

「帰ったら、僕に何か描いてくれないか。こういうのでも、他のでもいいから。もう少し、大きな紙で」

 千時はちょっと驚いて、体を引いた。

「別にいいけど、なんで急に?」

 花京院は不意に目を大通りの先へやって、メモ帳を返してきた。

「二人が戻ってきたぞ」

 何とも目敏い。視線の先から大きなジープが走ってくる。あれに二人が乗っているという事なのだろうが、千時にはフロントグラスの中身など眩しくて見えやしない。

 花京院が席を立つ。千時はぬるくなったジュースを急いで飲み干し、自分も立った。

「承太郎とは、相撲を見に行く約束をしたんだよ」

 見上げると、特徴的な前髪の影になった目が、ひどく遠くを見ていた。

「ジョースターさんとは、来年の正月に日本で会おうって約束だ。まあ、内容は何だっていいんだが」

「…そっか。わかった」

 千時は頷き、隣の男の手を取った。彼は目を丸くして繋がれた手を見おろしたが、やがて、そっと握り返してきた。

「帰ったらみんなを描く。もうちょっと大きな紙で、色も付けて、ちゃんとスプレー吹いたやつあげる。約束する」

「ありがとう」

 彼の声は柔らかい。死を賭してなお、覚悟するのではないのだと、花京院典明はちゃんと思っている。

 死なせるものか。生存院め覚悟しろ。負けじと握り返したからか、彼はジープが止まっても、後部座席に乗り込むまで手を離さなかった。

「何々、仲良しじゃねーの」

 座るなり運転手が振り向いてニヤニヤ。助手席のアヴドゥルが毎度のこと、呆れたため息を一つ。

「寝床へ連れ込んだお前が言うな」

「ちょッ人聞き悪い言い方すんなよ! 悪さしたみたいじゃねーか!」

「おまわりさんこの人でーす」

「千時テメー!! 今度寒くて寝らんなくても知らねーかンな!」

「香水臭くなければ我慢してあげてもよろしくてよ」

「この子ホントかわいくないッ!」

 ジープは砂利道を小刻みに揺れながら、元来た方向へ向かった。大した距離ではなく、5分も行けば通り過ぎてきた雑貨屋が見える。

 花京院が窓を開け、身を乗り出して手を振った。

「おおーい! ジョースターさん、車が調達できましたよ!」

 言う間に公衆電話へ辿り着き、店の日陰から祖父と孫が出てきた。千時はドアを開けてから、後ろの荷台へ移って手を振った。

「あ、僕がそっちへ行こう」

 気付いた花京院はそう言ったが、千時は肩をすくめた。

「いやいやいや全力でお断りします。頼りの戦闘要員が腰痛で戦えないとかいったら、非力なこっちが困るんで」

「いやしかし…、本当に大丈夫か?」

「うん。全然。むしろ広い」

 言い合いの内に乗り込んできた承太郎は、ちょっと驚いたようで、目を瞬かせた。

「お前、とうとう本当に荷物か」

「忘れず持ってってよ」

「やれやれ」

 彼はそのまま大人しく座った。どっちにしたって、後部座席も男三人。どっちがマシかは究極の選択状態である。

「ねえ、気付いてた?」

 承太郎の後頭部に話しかけると、帽子はまたくるりと横へ振り返った。

「何が」

「スージーさん」

 緑がかった目がキロリと光って、丸くなる。

「テメエは…」

「何となく察してたでしょ。なんかそんな場面あったなと思って。大丈夫だった?」

 承太郎はのっそりと腕を上げ、珍しいことに、千時の頭をぐしゃぐしゃとかき回した。そうしてから、何も無かったかのように前へ向き直った。

 助手席をジョセフに譲ったアヴドゥルが後ろへ入ってきて、

「よーし。出すぞー」

 ポルナレフが言い、ドアが閉まる。

「日が暮れぬうちに、次の目的地へ急ぎましょう」

 花京院が頷いて、ジープは今度こそ、走り出した。

 

 

 スフィンクスが旅人にクイズ出した件について小一時間問い詰めたい。なんで老人が必ず杖をつく前提なのかを問い質したい。極東では自転車乗ってる百歳のじーさんがニュースになっている事についてどう思うか訊いてみたい。ていうかスフィンクスに同情する。暑い。暇。そして景色が超退屈。

 千時はうんざりしながら、積んであった毛布を枕に寝ころんでいた。

 まー何しろ360度、砂しかない。前回の砂漠行は駱駝というちょっとしたイベントがあったが、今回はただのジープだ。おもしろくも何ともない。砂の丘を越える度に上り下りと角度が変わるせいで、目を閉じていても上手く眠れない。荷物はすべて潜水艦と沈んでいて、服は塩でガサついている。いいとこ一個も無い。

 とかなんとか考えていたら、ジープが止まった。

「あれ?」

 頭を上げるが、どこにも着いていない。砂漠のド真ん中だ。

「どーした?」

 座席を覗いても、承太郎が首を傾げただけだった。

「ジジイが待ち合わせだとか言ってな」

「へー…」

 何だか知らないが、とにもかくにも休憩という事らしい。

 全員、思い思いにジープを降りて、体を伸ばした。千時はジョセフのところへ行って、こんなところで誰を待つのか訊ねたが、難しい呻きでごまかされてしまった。あまり歓迎したくはないようだ。

 待つこと五分。

「なっなんだ!? こいつは!?」

 ポルナレフの大声に釣られて、全員がその視線を辿った。空だ。なるほど。

「来たな」

 ジョセフが少しばかりニヤッとする。

 電柱と前髪は、

「ヘリコプターだ!!」

「言わなくても見りゃあわかる」

 一言コント。吉本行ったらいいんじゃないか二人とも。

 その頭上では、ヘリが大きく旋回していた。

「財団のヘリだ。降りられる場所を探している」

「おい、まさか今度はあのヘリに乗るんじゃあねえだろうな」

 ジョセフの隣に承太郎が並び、帽子を押さえた。

「いいや。できることなら乗りたいが、彼らはスタンド使いではない。攻撃にあったら巻き込むことになる」

「それじゃあ何故、あのヘリはやってきたのですか!」

 機体が降下を始め、そろそろ爆音がひどくなってきて、花京院の張り上げた声が大きくなる。ジョセフも叫んだ。

「助っ人を連れてきてくれたのだ!」

「何だって!? 助っ人!?」

 千時はその正体に気付いたが、口なんか開かなかった。ヘリに背を向け、パーカーのフードをかぶってその場にしゃがむ。いやもう何しろ砂がバチバチ飛んできて痛いのなんの。閉じているのに口の中がジャリジャリなんですけど。

 爆風が収まったところで、立ち上がって砂を払うと、ジョセフが言った。

「ちと性格に問題があってな、今まで連れてくるのに時間がかかった」

「ジョースターさん!」

 弾かれたようにアヴドゥルが驚愕し、ジョセフへ詰め寄った。

「あいつがこの旅に同行するのは不可能です!! とても助っ人なんて無理です!」

 千時は少々、驚いた。彼女が知っているのはスタンド能力と、ちゃんと味方になってくれるらしいという事だけだ。その他には、まあ…まとめると暴れんぼでポルナレフの天敵? というような…。いや、正直言って、予備情報は多くない。ここから先、手持ちの情報は斜め読みしたスタンド一覧と、ウィキの簡単なまとめだけ。キャラクター数が多すぎた。助っ人ちゃんの事は、まだ知っているほうですらある。

「知っているのか、アヴドゥル」

「ああ。よぉく、な」

 花京院の問いに、アヴドゥルが眉根を寄せて答えた。

「ちょっと待て。助っ人ってことは、当然、スタンド使いってことか」

 承太郎には、ジョセフが頷く。

「愚者、ザ・フールのカードの暗示を持つスタンド使いだ」

「ザ・フールぅ? …うふ、ふへへ、何か頭の悪そうなカードだなあ」

 ポルナレフが笑った。千時は、ポルナレフあんた随分気に入られるみたいだよ、と言いかけて、やめた。助っ人が問題児である事は知っている。こういう場合、どの程度ヤバイか見極めてからでないと、いきなり噛まれる事がある。いいかい皆さん、飼われてようが野良だろうが、かわいいからって不用意に近付いちゃあいけないんだよ。と、犬経験者は思うわけである。

 アヴドゥルが腕を組み、本気の声音で言った。

「敵でなくてよかった、って思うぞ。お前には勝てん」

 何だとこの野郎、口に気をつけろ! 本当のことだ、何だこの手は! 

 いい大人が二人して突っかかり合い始め、

「もうやめないか。ヘリが着陸したぞ」

 学生さんが通り過ぎる。オーケーわかった、三人で吉本行ってこい。

「千時、ちょっとおいで」

 ジョセフに呼ばれて、千時は彼に駆け寄った。

「お前さん、まだ英語は分からんか?」

「大体は聞き取れてるけど」

「なら手を貸しなさい。相手は財団の人間だ、話を聞けた方が良いだろう」

「わかった」

 おとなしく頷いて、手を繋ぐ。が、こういう時は妙な気がした。財団は味方なのに言葉が分からず、いっそ敵なら意志が通じるわけだ。なんとなく納得いかない、というのは贅沢か。

 プロペラが止まりきるより早く、前方のドアが開いた。作業着の男が二人、降りてきて、軽く手を挙げる。

「ミスター・ジョースター! ご無事で!」

「わざわざありがとう、感謝する」

「で? どっちの男だ、スタンド使いは」

 承太郎が気忙しく歩み寄って、二人を鋭く睨んだ。

「…どっちの男かと聞いているんだ。あんたか」

「いいえ、我々ではありません。後ろの座席に居ます」

 トーク担当が慌てて首を振る間に、もう一人が後部のドアを開け放った。が、そこに見えたのは、毛布の固まりだけだ。シートは空。

「後ろの座席? …居ないようだが」

「いや、居ます」

 そう告げる職員の声が、少しばかり緊張した。

 千時はジョセフと共に少し後ろへ下がり、さらにその影に隠れるようにして一歩下がった。ややこしい犬の大変さはよく知っている。ええ。知っていますとも。

「おいおいおいィ! 居るってェ? どこによ? 千時よりもチビな野郎か? 出ぇて来い! こら!」

 ポルナレフ…バカめ…。電柱は犠牲になったのだ、ってのは出典を知らないが、まったく便利な定形だ。

 毛布をバンバン叩くポルナレフに、職員は大慌てだった。

「あああ危ない! 気をつけてください! ヘリが揺れたんでご機嫌ナナメなんですッ!!」

「近付くな! 性格に問題があると言ったろう!!」

 ジョセフも加勢し…たが、彼も被害に遭いたくないのか、前には出ない。言うだけ。

 アヴドゥルが念押しとばかり繰り返した。

「ポルナレフ、お前には勝てん」

「いやあ、だからそいつがどこに居るって…」

 言葉の途中で、ご機嫌ナナメの助っ人は、文字通り飛び出した。

「うぎゃあああッ!!」

 ポルナレフは近距離から顔面に張り付かれて、こっちも飛び上がった。

 アグアガウガウガウ!! と凄まじい唸り方で、ボストンテリアは電柱に頭を突っ込んでいる。

「こっこいつはぁぁ!?」

「犬!?」

「まさかこの犬が!?」

「うむ…。あれが、ザ・フールのカードのスタンド使いだ」

 ぅおわああアやめろおおオォ、をBGMに、ジョセフは顎髭を撫でた。

「名前はイギー。人間の髪の毛を大量にむしり抜くのが大好きで、どこで生まれたのかは知らないが、ニューヨークの野良犬狩りにも捕まらなかったのを、アヴドゥルが見つけて、やっとの思いで捕まえたのだ。

 ああ、そうだ、思い出した…」

 ジョセフが何とも言えない微妙な顔をすると同時に、アヴドゥルが顔を手で覆った。…彼もやられたんだろうか。

「髪の毛をむしる時、人間の顔の前で」

 ぷーう。

「屁をするのが趣味の、下品な奴だった」

 はっはあ。こりゃひどい。

 のたうち回ってバーンと倒れたポルナレフに、全員が苦笑いだ。

「のわあああッ! こンのドちくしょおお!」

 やっとイギーが飛び離れ、チャッと足音をたてて着地すると、ポルナレフは立ち上がって思い切り手を構えた。

「こらしめてやるッ!! おンどりゃあ! チャリオォォーッツ!!」

 騎士のレイピアが一閃。途端、何かがボストンテリアの周囲に円を描き、大量の砂を巻き上げた。ゾザザザザ、異様な轟音と共に立ち上がる砂が、ギシギシときつく固まり合い、光沢を放って、自らを形作っていく。

「こっこれは…!?」

「あれがザ・フールか!」

 シルバーチャリオッツの眼前に現れたスタンドは、大型の車輪を備えた、機械仕掛けの犬のような姿をしていた。

 誰知らず、息を飲む。

「シンガポール沖でオランウータンのスタンド使いに出会ったが…」

「犬のくせに生意気な! てめえ、本当にぶったぎるぞ!!」

 本気でポルナレフが怒鳴り、チャリオッツが切りかかる。と、意外にもあっさりザ・フールは真っ二つに割れ、切断面から大量の砂を吹いた。

 …が。

「す、砂のようになって斬れない!?」

 さもありなん。砂のよう、ではなく、相手は砂だ。ザーッとノイズのような音をたてながら再び盛り上がり、チャリオッツの腕を巻き込んでいく。

「今度は固まって俺の剣を取り込みやがった!!」

 アヴドゥルが緊張しきった声音で告げた。

「あれは、簡単に言えば砂のスタンドなのだ」

「シンプルなやつほど強い。俺にも殴れるかどうか」

 承太郎の同意にも、警戒がある。そりゃそうだろう、非戦闘員の千時ですら、これは敵なら厄介だと思うくらいだ。弱点あるのかなあ。精々、砂の無いところだと材料に困る、くらいだろうか。

 さて、自らのスタンドを攻略されてしまったフランス人は、またもや顔に突撃されたようだ。

「おおおい! 助けてくれ! この犬をどけてくれええぇ!」

 うーん。とうとうちょっぴり泣きが入ってますよ、皆さん。千時はぐるりと全員を見上げたが、進み出ようとする者は無い。

「すまんポルナレフ、僕も髪の毛をむしられるのは御免だ」

「薄情者おぉぉーッ!!」

 花京院が前髪を撫でるものだから、千時はつい噴き出した。

「今笑ったの誰だよおおお!!」

「まったく。言わんこっちゃない」

 ため息と共に助け船を出したのは、アヴドゥルだった。

「例の大好物を持ってるか?」

「持ってなきゃ、連れてこれませんよ」

 職員は疲れきった素振りで、ポケットから箱を取り出した。

 その瞬間、倒れたポルナレフに乗っかっていたイギーの耳が、ぴょこたん、と動いた。更に、職員がその箱をアヴドゥルに手渡した時には、バッと振り向き、全力で駆けて来た。

 アワオワオグワグワ! みたいな、興奮しすぎてよくわからない事になっている時の声が出ている。

「なんてものすごく鼻の良い奴だ…」

 呆れるアヴドゥルに、花京院が首を傾げた。

「それは?」

「コーヒー味のチューインガムだ。イギーの大好物でな」

 中から一枚を引っ張り出すと、目の前の犬はますます興奮して、大変な感じになっていく。

「こいつに目がない…」

「アヴドゥルさん!」

 慌てた職員の大声が会話を遮り、

「箱の方は奴に見えないところに隠して…!!」

 その職員の注意を遮り、イギーの身軽な跳躍があっさり箱を奪っていった。

「ああっ! しまった箱のほうを取られた!!」

 一瞬。本当に一瞬である。動物達の能力を侮ってはいけない。足腰強い子はものすごい飛び上がる。

 千時はここでジョセフの手を離し、ガムを箱ごと大惨事にしているイギーに駆け寄った。

「千時!?」

「ノーッ!!」

 毛艶の良い首根っこを容赦なく思い切り押さえ込み、口に手を突っ込んでガム回収。もちろんイギーは大暴れだが、ぶっちゃけ小さい。千時にとって、小型犬と中型犬は全部まとめて小さい犬、である。触った感じ筋肉質で、サイズの割に力のある犬種らしいが、失敗さえしなければどうとでもなる。幸い、噛みかかりの抑制も利いている。口に手を突っ込んでも本気で噛んではこなかった。

 ひどく暴れるため、足を乗せて膝で押さえてもう一度。

「だめ! いけない!!」

 周囲がしーんとするのも無理はない。千時が出しているのは、限界まで低く、限界までドスを効かせた、限界まで怖い声である。

 イギーは少しして、動きを止めた。諦めたのか隙を狙ったのかは知らない、がどうでもいい、唸るのをやめたらすかさず掴んだ首を引き寄せ、

「おすわり!!」

 で無理矢理座らせて一秒。

「よぉーし! いい子ー!」

 いきなり声を裏返して高くし、手を離して、くちゃくちゃのガムの箱から一部をちぎり取り、差し出す。

 イギーはそれをバッと取って、バッと飛び下がった。

「うーん…好物があるのはいいけど、食べきるのに時間かかるのは難点だな…。てか、紙ぐらい取ってから食べろっつーの」

 呆れてイギーを眺めながら立ち上がる。

 ぽかーんとしているアヴドゥルに、クチャックチャのヨダッヨダになった触りたくない箱を押しつけるように返して、千時は言った。

「このての犬に油断しちゃいけませんぜ、旦那」

 ぼんやり口を開けたまま、アヴドゥルはおぼつかない手つきで箱を受け取った。

「ちなみに、犬というのは総じて大柄な男性が苦手。って日本人トレーナーは言ってた。この子背が低いから、慣れるまではしゃがんであげたほうがいいかもよ。あと、前かがみで近寄らないこと。威嚇してると思われる。なんかこのイギーちゃんは、スタンドのせいでやたらに頭良いらしいから、犬ルールが全部通用するかは分からないけどさー」

「…千時サン?」

「はい?」

 横から顔を出したミスター・ジョースター、だいぶ混乱中でいらっしゃる模様。なんでさん付けしたし。

「お前さん、随分とこう、…手慣れて…?」

「うん。はい、犬飼ったことある人ォー」

 五人を見回す。

 ジョセフが手を挙げたが、

「こいつよりもうちっと大きい雑種を一度飼ったぞ。あとスージーが小さいのを何匹も」

「後半ダウト、それはスージーさんの犬でしょ。ジョセフさん自身で世話とか躾は?」

「せ、専属トレーナーを付けて…」

「自分で経験?」

「してません」

「では物の数に入りません。セレブめ! てかまた犬だよ! もー!! 猫派なんですよ私は!! しかも動物には好かれないたちなんですよ!! なんでよりによって犬ばっか!! 知ってたけど! いいけど! かわいいけどッ!!」

 フラストレーション大爆発。千時は言うだけ全部言ってから、肩で息をついた。呆気に取られた面々で、正気に返るのが一番早かったのは、なんと、ここまで喋らなかった方の職員さんだった。

「こういう犬の経験が、おありなんですか?」

 千時が驚いたのは、それが流暢な日本語だったからだ。

「ええ、はい。家族に押しつけられた子との戦闘経験が」

「戦闘とはまた」

「ドーベルマンとシェパードですよ。家族以外の他人には、攻撃以外のコマンド選択が無い犬たちで。それぞれ二年はすごい激戦。何度転んで死にかけたことか」

「それは大変でしたね。私はゴールデンレトリーバーを飼っていたので今回の任務に就かされたんですが、まるで役に立ちませんでした」

「あ、レトリバー一緒一緒! ラブとゴールデンも居ましたから」

「羨ましい! 飼う時に迷ったんですよ、ラブとどっちにするか」

「レトリバーはどっちも良いですよねぇ! 犬としては性格が別枠というか何というか」

 話している内に、千時はやっと、彼の事を思い出した。

「あの、最初の電話で通訳してくださった方でした?」

「ええ」

 彼はニコリと笑った。目つきは鋭く、おっかない印象を受ける男だが、四角い顔に浮かぶ表情は柔和だ。なんとなく通訳というとスーツ姿を思い浮かべていたため、第一声で思い出せなかった。

「あの時はお世話になりました」

「いえ、たまたま居合わせただけです。あなたも無事に生きておられて良かった」

「ありがとうございます」

「わっわっ! やめろ!」

 アヴドゥルの悲鳴が割り込んで、何事かとそちらを見ればローブの裾に白黒のアクセサリー状態。両手で掲げた箱を、思いあまってポルナレフにぽーいと投げた。

「ちょ! なんで俺うわあああぁぁ来るなあああぁアァァア!!」

 だからなんで律儀に持って逃げるんだ。また噴き出してしまったが、ポルナレフは逃げるのに必死で、さすがに気付かなかった。

「コーヒー味のチューインガムは大好きだけれど、けして誰にも心は許さないんじゃ。あいつは」

 ジョセフがこぼす間も追い回され続けたポルナレフは、結局追いつかれて、また髪を毟られ始めた。

「あんな奴が助っ人になれるわけない…」

 花京院さんごもっとも。そもそも相手は犬である。過剰な要求をするほうがおかしい。スタンドの影響で知能が高いにしてもだ。

 イギーは、襲った相手の手にガムを見つけてようやく、大人しく座った。

 ガムを食べている間にと職員から促され、手空きの全員、ヘリから荷物を運び出しにかかった。ジョセフだけは、新しい義手を受け取り、カチャカチャと動きを確かめている。

 千時もご機嫌で鞄を一つ手伝った。水や食料、医薬品に、何より着替えが入っている! 今すぐには無理でも、服を着替えられると思うとたまらない。

 すべて運び終え、ジープに固まっていると、ジョセフの声がかかった。

「おい! お前ら! こっちへ来い」

 高く上げた手には、カメラがある。

「皆、並べ並べ」

 ジョセフはカメラを職員に渡し、自分はイギーのそばへ駆け寄った。口一杯にガムをクチャクチャやっているボストンテリアを、ツツいて確かめ、大丈夫そうだと頷いて抱き上げる。

「よーしよし、上手くいったぞ」

 ジョセフは急いでポルナレフの隣へ割り込んだ。

「こいつの機嫌の良いうちに、早く早く!」

 千時は何となくアヴドゥルの隣に突っ立っていたのだが、ハッと思いついて、前方の職員の方へ駆け出した。

「おい、千時!」

「私が撮る!」

 驚く職員からポラロイドカメラを引ったくり、千時は振り返って構えた。

「この一枚は私が撮る! 旅が終わった時、さよならの前にもう一枚撮ろう。その時は私も入れて。だから全員でもう一枚撮るって約束しよ!」

 ファインダーの向こうで、スターダストクルセイダーズが頷く。

 その笑顔を一つ一つ確かめてから、千時は笑った。

「はい、チーズ!」

 

「ありがとう。嬉しかったよ」

 ひとしきり写真を見てから、花京院が輪を抜けて来た。千時は肩を竦めて、いやいやと首を振った。

「ナイスアイデアをパクっただけだから」

「おっと。盗作で訴えるべきだったか」

「賠償は例のお絵かきで」

「ナイスアイデア」

 花京院は千時の肩をポンと叩いた。

 そのあたりで、またもや騒音がし始め、振り返ると写真が承太郎のポケットにしまわれるところ。その向こうではサンドめの正直、電柱が全力疾走中。アヴドゥルウゥゥウ! 早くガムをおおお! と情けない悲鳴をあげている。

「…犬は電柱大好きだからな…」

 隣でブホッと花京院がむせて撃沈。

 助けを求められたアヴドゥルはというと、

「早速、仲が良くなってきたんじゃあないか、ポルナレフ!」

 なんて言いながら、荷物のガムを探してくれている。

 千時は笑って見ていたが、おい、と横から承太郎の声がかかった。

「ジジイが呼んでるぞ」

「あらハイハイ、何でしょう」

 ヘリのそばで職員と話し込んでいたジョセフのそばへ行くと、また手を繋がれた。

「承太郎」

 ジョセフはまず、後ろに付いてきていた孫を見た。

「ホリィの容態じゃが、緩やかに悪化している、といったところのようだ。やはり五十日のリミット通り、長くて残り一ヶ月、だな」

「…そうか」

 短く答え、承太郎が頷く。ジョセフは、視線を下げて千時を見た。

「千時、お前さんに聞かせたいのは、財団の掴んだ情報の事だ」

 ジョセフが職員に向き直ると、彼は頷き、口を開いた。

「報告によると、二日前、謎の九人の男女が、ディオが潜伏している建物に集まって、そして、何処かへ旅だった…と。何者かは分かりません」

 いつの間にか、残る三人も後ろに来ていて、緊迫した空気が漂った。

「報告した者はその直後に殺され、屋敷も既に空っぽとの事です。九人の男女の行方も掴めませんでした。それ以上の追跡は、スタンド使いでない我々には不可能なことです」

「新手のスタンド使いか!」

 意気込むポルナレフを、花京院が制する。

「いや待て。タロットカードに暗示されるスタンドは、ホル・ホースのエンペラーを除けば、残すはワールドのカード、唯一枚。このワールドのカードがディオのスタンドかと思っていましたが…。アヴドゥル?」

「分からん。私にも分からない。九人だと…!?」

「ディオのやつ…自分の首が、新しい肉体にまだ馴染んでいないらしいな…」

 ジョセフが思案げに顎髭を撫でた。

「ディオはプライドの高いやつだから、けしてカイロからは脱出したりしない。とにかく我々のカイロ入りを拒むつもりらしい。

 千時、この九人について、心当たりは無いか」

「九栄神てやつだと思う」

 全員の視線が、一斉に集まった。すっかり慣れてしまったが、今回は職員二人がとんでもなく驚愕していて、ちょっと気恥ずかしい。

「エジプトの神様の名前のスタンドだったはず」

「トトやオシリスといった神話の神々のことか?」

 さすがアヴドゥル、エジプシャン。しかし、

「肝心のそこらへんを知らないんだよなー…! ごめん!」

 千時はぎゅっと眉根を寄せ、空いている片手で額を押さえた。

「そうか。思い出せることがあれば、いつでも教えてくれ」

 ジョセフが頷くと、職員二人は軽く手を振った。

「では、我々はこれで。旅のご無事を」

「ありがとう。ホリィを頼む」

 一行がその場を下がると、ヘリは速やかに舞い上がり、空の青に溶けていった。

「よし。我々も出発だ」

 ジョセフは帽子を被りなおして、……イギーを見た。

「…食べ終わっちゃった?」

「アギッ」

 ボストンテリアは得意満面で、口の周りをペロペロやっている。千時は手を挙げた。

「ガムちょーだい」

 途端にアギャグウガウワッと謎の奇声を発し、イギーは尻ごと尻尾を振りだした。この犬、モノを知っている。

 アヴドゥルが、新しいガムの箱をローブの中に隠してきてくれた。イギーから見えないように、数枚を引っ張り出し、千時は全員に告げた。

「ガムって単語禁止ね」

「何?」

「物の名前が分かってるから。匂いだけでもすごいのに、興奮しすぎる」

「分かった。アレとか好物とか言えばいいんだな?」

「うん」

 話しながら紙を剥き、一枚を三つにちぎって手の中へ握り込む。それでなくとも犬の体には毒だろうに、毎回あんなに食べてたら戦う前に死んじゃうぜ。

「じゃ、イギーちゃん。おいで」

 ひとかけらを摘んで見せ、ジープの荷台に乗り込むと、

「ぐッふ…! こいつやりおる…」

 イギーは思い切り背中にタックルをかましてきた。が、その程度は想定内。

「おすわり!」

 日本語なので、まだ通じるわけが無い。何度か怒鳴って、暴れるイギーの鼻先にガムを揺らし、後ろへ下げ、たまたまふと座った瞬間、

「よーしよしよしよし」

 ガムを与えて褒めまくる。

「とりあえず、しばらくは犬ルールでやって様子みよう…」

 だいぶ荷物が増えたため、スペースは狭い。千時はちょっと迷ったが、まだイギーが口をモゴモゴやっているので、膝には抱かずに待ってやった。次は膝まで誘導だ。

「おいおい、千時」

 ジョセフが運転席から身を乗り出して、呆れ顔を見せた。

「うん?」

「くれぐれも気をつけろよ。噛まれんようにな」

「はいよー」

 とはいえ、スタンドの力を除けばただの犬。40キロオーバーの超大型ドーベルマン達に比べたら。かわいいかわいい。

 千時はひっそり笑った。

 


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