スターダストテイル   作:米俵一俵

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13.孤島戦争

 小島に上陸し、まずその砂浜で、夕暮れの作戦会議と相成った。

「もう買っちゃったんで仕方ないから、分かってる内容で対策しましょう、という事で予言タイムです良く聞くよーに!」

 車座に座って、千時は海を正面に、面々を見た。

「潜水艦は上陸直前あたりで襲われて沈みまーす」

「またか!!」

 ポルナレフがあげた悲鳴に承太郎のやれやれが被って、睨むジョセフ。

「今度は一体、何のスタンドだっての?」

「ハイプリエステス」

「それなら聞いたことがある」

 とはアヴドゥルだ。

「スタンド使いの名はミドラーというやつ。かなり遠隔からでも操れるスタンドだ。上陸直前というなら、本体は海上だろうな」

「どんな能力なんですか」

 花京院は険しい表情を崩さない。そりゃ普通、潜水艦沈むったら深刻になるよね。アヴドゥルも難しそうに腕を組んだ。

「金属やガラスなどの鉱物なら、何にでも化けられる。プラスティックやビニールはもちろんだ。触っても叩いても、攻撃してくるまで見分ける方法は無いという」

「で、潜水艦の一部に化けて乗り込まれる」

 千時が頷くと、アヴドゥルは頭を掻いた。

「対策と言ってもな……。私などは、戦うにしても正直、火災を起こすとそれこそ艦が沈むぞ」

「大丈夫、関係無い。どっちにしたって、化けながら壁とか計器とかを移動するから、視認の意味では、壁に溶けて入って逃げられる、でどっから襲われるか見当つかない、みたいになるのよ。だから真正面からの戦闘より、いかにさっさと逃げるかが問題」

「逃げるだとォ?」

 ポルナレフがまた途方に暮れて身を乗り出した。

「海底の潜水艦から、どこへ逃げろってんだ?」

「外」

 千時はあっさり言って、ジョセフを見た。

「出られる構造なんだよね?」

「ああ。娯楽用だからな、スキューバの道具一式が積んである」

「それそれ。気圧がどーたらで、ゆっくり上がろうとか言ってたの覚えてる。海底っても、それで足りる程度の深度の筈だよ。そうだ、それで…」

 こういう時、やはり付いてきて正解だったと心底思う。今、二つの点を思い出した。

「そのスキューバの…レギュレーターだっけ? くわえるとこ?」

「お、経験者か?」

「妹が。私はウルトラインドア派なのでノーセンキュー」

「なんじゃい。で、それがどうした」

「逃げる時、ポルナレフに噛みつく」

「ハァ?」

「レギュレーターに化けて、口から体内に侵入を…」

「オエエエエ! なんで俺なんだよオォォ!」

 大げさに舌をベーッとやる電柱に、全員ちょっと笑った。

「それからもう一つ、ジョセフさん」

「うん?」

「あなたの義手が手首からすっぱり無かったはず」

「ホーリーシイィーット!! なんでわしの義手なんだよオォォ!」

 義手を抱えて庇う老人にも、全員、ちょっと笑った。当人は何度も壊れて大変だろうが、潜水艦買っちゃう財力考えると、同情すべきかどうか。

「それはなぜなんじゃ。どの時点でやられる?」

「ごめん、覚えてない。ただ、スキューバの装備付ける時に、片手だと大変じゃわい承太郎手伝って、自分でやれ、つう一刀両断ジジマゴコントがあった」

「…オーゥ…孫が冷たい…。承太郎、お前、それくらい手伝えよ」

「自分でやれ」

 承太郎さん分かってらっしゃる。

「まあまあ。私が手伝うじゃないのおじいちゃん」

「おお! 千時よ! そういやあ、女孫も欲しかったなー。お前さんを承太郎と替えっこで孫にしちゃおっかなー」

「残念ながらそこの孫はひとっかけらも妬いてくれてないよ…」

「若者が冷たい! そこを慰めてくれんと!」

「ハイハイ。スキューバの装備の数は?」

 ジョセフはちぇっと唇を尖らせ、そっぽを向いた。ダントツ最高齢のくせにあざとい。

 答えたのはアヴドゥルで、彼は先ほどジョセフから受け取った仕様書をめくっていた。

「五組しか無いな。シュノーケルとゴーグルは余分にあるようだが」

 花京院が思案げに海を眺めた。

「結局、四つでしょう。ポルナレフの使う物がハイプリエステスに破損させられるなら、一つ足りなくなる」

「待って待って、それは私が知ってる物語での事だから、時系列や位置が変われば他の誰かのレギュレーターって可能性もある。それは全員、気を付けて」

「わかった」

 ジョセフが頷いて、全員を見回した。

「そろそろ日が暮れてしまうから、今日はお開きとしよう。明日は、潜水艦に乗り込んだら、まずダイビング講習を行う。では、寝床に案内するぞ。ついて来い」

 ジョセフが腰を上げ、森に入って…道が狭い。気持ちうっすら獣道が有る無し、みたいなところをぞろぞろ、縦一列で進んだ。幸い、すぐに開けた場所へ出て、そこには、小さなロッジがポツンと建っている。

「あ」

「何じゃ」

「何でもない何でもない」

 そこは、アニメでアヴドゥルが父親の振りをしていた家だった。鶏は居ないし、そのための囲いも無いが。……てことはアヴさん、アレか、あの演出のために鶏連れてきて囲い作ったの? 

「千時ィ…」

「何?」

「お前さん、いきなりニヤニヤせんでくれよ。また何かあるのかと怖くなるじゃろうが」

「ごめん!」

 ブフフフフ。まあ、真顔でギャグなのが彼らの良いところだもんね。

 逃げるように一番乗りでロッジへ入ると、中はかなり埃っぽく、がらんとしていた。この島は五年前まで個人所有だったそうで、ロッジはその人物の、かつての休憩所だったそうだ。現在はオーナー不在で宙ぶらりん。不動産屋が下見コミでレンタルに出していて、つまり、ろくすっぽ使う人が居ないのだろう。五年分とは言わないが、埃と砂で足下がジャリジャリ鳴る。千時はとりあえず全ての窓を全開にしてから、荷物の中の、捨ててもよさそうなタオルを引っ張りだした。

「お詫びに掃除したげる! ちょっと待っててねー」

「手伝うよ」

「俺も」

 来てくれたのは花京院とポルナレフ、だが、千時は玄関でグッと親指を立てて見せた。

「だーいじょうぶ。これ全員寝られるの? ってくらい狭いから。それより、荷物の積み替えとかの力仕事をお願いしますですよ」

「大丈夫かあ? 後悔しても知らねーぞ」

「自分のキャパシティくらい把握してるって。ポルナレフじゃないんだからさ」

「こんにゃろ!」

 あっかんべーで応酬し、花京院に苦笑されながら、千時は中へ引っ込んだ。

 

 水道は地下水から取っていて、量は少ないがちゃんと出た。タオル一枚の犠牲で充分拭き掃除ができ、中は小ざっぱりして、今はオニオンスープのコンソメが香っている。

 備え付けのガスコンロには、ジョセフが用意してきたボンベで対応。ちゃんと一通りの事はできるあたり、さすが手配が良い。

 電気だって点いた! というのも、放置されていた発電機が奇跡的に生きていたからである。見つけたアヴドゥルが、まさかなあと言いながらクルーザーの燃料を入れてみたら、ちゃんと点いちゃったのである。

 まあ燃料の残りが大した量ではないため、若干節約モードで、間接照明のランプを一つ部屋の真ん中に置いて、それだけ点けっぱなしにしておこうという事になった。オレンジの明かりは、ちょっとばかりムーディーだ…超級マッチョの男ばっかり五人も詰め込まれていなければ。もう慣れっこだが、一カ所にギチギチだと、やっぱムサい。

 できたスープを火から下ろして、次、チャーハンじゃないよチキンライス作るよ、とAAの猫を思い浮かべながらフライパンを置く。ポルナレフが何故か本土から山ほど卵を積んできたので、今夜はスープとオムライス。

 食材を取りに振り返って、あれ? と千時は首を傾げた。五人とも居たはずなのだが、いつの間にか二人足りない。

 なんとなく外へ探しに出ると、承太郎はロッジの脇の木にもたれかかって一服しているところだった。ならきっと、ポルナレフも煙草休憩でそのへんに居るのだろう。なんだ、と中へ戻ろうとして、ふと用を思い出した千時は、彼の憩いを邪魔させてもらうことにした。

「承太郎」

 声をかけて近寄ると、案の定、ひどく面倒臭そうな視線を落とされる。彼は、仲の良い花京院か煙草仲間のポルナレフ以外に、自分の煙を吸わせたがらない…なんて言うと、まるで他人の健康を気遣っているかのようだが、そんなわけでは全然なく単に気楽かどうかでだ。

「邪魔してごめんね。熱出した時に居てくれてありがとうって、ずっと言いそびれてたのを言いたくて」

 ここまで延びてしまったのは、かなり徹底した団体行動のためだ。二人きりになる瞬間が無かった。千時が熱を出した時は、全員が交代で看病してくれていたと聞いている。他の誰かの前だと、承太郎にだけ別に礼を言うのは、彼本人が納得しないと思ったのだ。

 だが、言わないのは、千時の方が納得できなかった。

「夜中の二時から看ててくれたんだって?」

「誰だ、余計な口きいた奴は。ポルナレフか」

「フハハハ。ノリさんだよ」

 電柱、とんだ濡れ衣である。

「全員が看ていた。俺に言うな」

「わかってる。皆にも言った。でも、ホテルで九時間ついててくれたのは承太郎だから」

 交代要員だった花京院は、砂漠の行軍で疲れきったところへデス・サーティーンの襲撃を受けていた。承太郎は悪夢の件を知らないが、とにかく友人が本調子でない事は察したらしい。千時の看病を交代しなかった。それであの時、彼は、千時が目を覚ますと交代するように眠りに行ったのだ。

 彼は彼なりに修羅場だったろう。一人っ子の男子高校生が、一晩中40度の熱にうなされる相手の看病なんて。

「本当にありがとう」

 チッ、と、承太郎は何故かひどく苦々しい舌打ちをした。

「テメエは何故、そうしていられる」

「ん? そうしてって?」

「不自然だ」

「不自然?」

「その強さはどこから来ている?」

 承太郎は至極真剣だったが、千時はきょとんとした。本当に意味が分からなかった。だって、強さて。こんなのに強さて、おま、おい、お茶の間が爆笑しちゃうぜ空条さん。

「いや、それ単純に、承太郎がよっぽど私を見てなかったって事なんじゃない? 見られてても困るけどさ」

 承太郎は煙草を差し向け、千時を指した。

「テメエの弱音を聞いたことが無かった」

 そんなもの高校生に聞かせてどうする。話すとしたらジョセフか、よくてアヴドゥルにしか言えないだけだ。

 …が、千時はちょっと言葉に詰まった。確かに、感情的な問題を他人に話すことは、あまりしない。言ったところで解決しないと思うからである。だが逆に、現実的な問題なら、必要な相手にはほとんど隠さない。それで事は足りる。そういう処世術が、他者から見て奇異に映る事は、あるかもしれない。

「突出した能力も無いチビのアマが、何故そうも平然としていられるのかがまったく分からん。感情の上下に線が引かれていて、その中でしか針が振れねえようになっているようだぜ。はっきり言うが、気味が悪い」

 …うーん…。

 千時は呻いただけで、返事を思いつかなかった。敵でもない相手に彼がこれだけ言うのだから、それは彼にとって余程のことなのだ。でなければ承太郎は大抵、優しい。これまでだって優しかった。一体、どこでそんなふうに思われたんだろう。

 少し考えてから、うん、と頷き、千時は諦めた。

「悪いけど、気味悪いのは我慢してもらうしか…」

「まただ。怒りもしない」

「ええ? 何、怒られたいわけ?」

 困惑しきりで首を傾げる。承太郎は煙草を足下へ落とし、踏み潰した。

「死ぬなよと言ったら、お前はもう嫌だと言った」

「へ?」

「テメエの事を必要ないなんて、一体、誰が言ったんだ?」

「何それ? いつの話? てか何の話なの?」

「やっぱり覚えていねえのか」

 耳からこぼれるんじゃないかと思うほど、頭一杯にクエスチョンマークが詰まってきた。いっそ呆れておしまいにしてくれればと思うが、承太郎は忌々しそうに舌打ちしただけで、もう一本、煙草に火をつけてしまった。

「熱にうなされていた時だ」

 ああ、だから、聞いたことが無かった、と過去形だったのか。ハテナが一つだけ消えた。

「そら40度越えしてたら、うわごとくらい言うんじゃない?」

「テメエは」

 彼はそこまでで言葉を切った。

「…おい、何を考えている?」

「ハア?」

 もーなに寝言連打してんだこの大男? 

 千時はポカンとしたが、両肩の横から、ぬっと半透明の手が前へと飛び出して、今の一言の意味は分かった。

「私はハテナ以外考えてないけどねえ、どーしたT・T」

 頭上を見上げたが、T・Tは千時を見ず、顔ごと承太郎を見据えている。身長差の都合、T・Tはほとんど真正面に承太郎を捉えていた。

 謎のリーチの腕がひょいと伸び、薄ピンクの手が承太郎の肩…いや二の腕あたりを緩く掴む。

 途端、承太郎の目が見開かれ、顔色がザッと青褪めた。

「うおおおおおッ!!」

 唐突に現れたスタープラチナの拳が空を切る。T・Tはもう居ない。

 一瞬の出来事で、千時は動くことも声を出すこともできなかった。

 千時が動くより先に、ロッジからこぼれる明かりへ影が差した。

「承太郎!? どうした!?」

 今の怒鳴り声が聞こえたのか、花京院が顔を出し、ぎょっとして駆けてくる。客観的に見ると、上背2メートルが殴りかかる寸前に見えたのだろう。

「何かあったのか?」

 花京院に肩を叩かれた承太郎は、気まずそうに帽子を引き下げて視線を隠した。

「いや。何でもねえ」

「ならいいが…。あまり恐ろしい声をあげないでくれよ」

 言いながら、花京院は不審げに千時を見た。が、こっちだって知るわけがない。肩をすくめるくらいの返事しか、しようがなかった。

「やれやれ。喧嘩するんじゃあないぞ、池上さん」

「なんで私に言うかな」

「さあね」

 花京院が変えてくれた空気にほっとしながら、千時は何気ないふりで承太郎から離れた。今更、さっきの鬼気迫る表情と、正面から間近に殴りかかってきたスタープラチナが、怖くなっていた。

「ノリさんこそ、いつもポルナレフと喧嘩してるし」

「アレは別問題だ」

「とうとうアレ扱い!」

「で、アレは一緒じゃなかったのかい?」

「ポルナレフ? 居なかったよ。あれ? そういや、一緒に煙草休憩じゃなかったの?」

 二人で承太郎を見上げると、彼は、いいや、と低く答えた。

「池上さんが料理を始めてすぐに出ていったんだ。まだ戻っていないんだな。随分経っているんだが…。迷子にでもなったか」

 にわかに不穏なものがよぎった。

「…まさか」

 元の物語でアヴドゥルが潜水艦を買って戻った時、何があった? 

「待って待って待って…」

 すでにストーリーは狂っている。アヴドゥルはずっと居て、だからこの小島には寄らないと、今度こそ違うところへズレ込む筈だと思いこんでいたのに、潜水艦をジョセフが買ってしまっていて…

「カメオ!!」

 何のカードだったか知らないが、とにかく、願いを叶えると持ちかけるあのスタンド! 

「ポルナレフを探さなきゃ!!」

「何?」

「やばい!! 日程も展開も潜水艦も違うと思いこんでてアタマっから抜かしてた! またあの人襲われてるかも!!」

「何だって!?」

 間髪入れずに承太郎がロッジへ走り込み、ジョセフとアヴドゥルを連れて出、千時が説明している隙に裏手の荷物から何かを取ってきた。

「ジジイとテメエはこれを持って行け」

 渡されたのは細長い棒のような物で、千時は、ジョセフが

「発煙筒か」

 と言うまで分からなかった。そういや免許取る時に、車にデフォで積んどくやつだよと…違うっけ? 煙じゃなくて炎の方か? 使い方分かるかなあ、と不安だが、訊く暇はなさそうだ。

「テメエらは見つけたらそれを使え。アヴドゥルと花京院はスタンドで上空にサインを出せるな」

「ああ」

「問題無い」

「承太郎は?」

「どうにかする。ジジイとアヴドゥルは島の内側を探せ。テメエは思い出せる限り、景色を辿るんだ。花京院、島の外周を半分回ってくれるか」

「かまわんよ」

「俺が逆から半周して落ち合う」

「分かった」

 距離の問題で若手二人が担当するという配分だろう。異議も無し、有ろうが唱える時間も勿体無い。

 散開してすぐに、千時は島の奥へ入ろうとロッジの裏手へ回った。

 場所は特定できない。一つ目の願いは忘れてしまった。二つ目はあまりに凄惨で口にできず、三つ目の願いは千時自身が無かったことにしてしまったから言うわけにいかない。ポルナレフが物語と違う事を願っていたら、対戦の場所があのボロカスにやられていた草地ではなくなっているかもしれなかった。

 が、そこで千時は今更、あポルナレフランドとかアホな事言ってたな、と思い出し、踵を返して浜辺へ出た。ランドおっ立てどーたらこーたら、金塊だったか財宝だったかを出させるのが最初の願いだった事を思い出したのだ。しまった。

 千時は足下の砂に目を凝らしながらしばらく歩き、星明かりの中に一カ所、暴れて抉って蹴散らかしたような跡を見つけた。その背後の茂みを探して、金色をきらめかせる穴も見つけた。金貨は、半分ほども土に埋もれている。

 …いや。

「違う、これ…」

 視界の真ん中にあった一枚の金貨が、ゆっくりと端から壊れて、土くれになっていった。埋もれているのではない、戻っているのだ。こんな描写は見た覚えが無い。けれど、もし時間の経過や、これを作り出したスタンドとの距離が関係しているのならマズい。

 千時は、そこから真っ直ぐ、島の中央と思われる方向を目指すことにした。走ろうとしたが、一カ所、木の枝が折れているのを見て歩くことに決める。やみくもに行くより、ちゃんと痕跡を辿る方が確実だ。あーあ、こんなことならリアルチャッカマンを連れて来るんだったと思うが、後の祭り。

 木々と背の高いブッシュに夜空の明かりは閉ざされ、影の隙間から微かに覗く薄明かりを頼りに進む。途中、足を木の根に取られかけ、やはり歩いて正解だったと思う先に、また折れた枝。鬱蒼とした森を抜け、上方はバッと広い夜空に出くわしたが、正面は目の高さまで、大きな葉が生い茂っている。

 こりゃあ痕跡とか無理だな。泳ぐように草をかき分けて先へ進み、時々、ジャンプして誰か居ないか確認していく。

 かなり行ってからようやく、遠くで微かに、シェリー、と叫ぶ声が聞こえた気がした。

「ポルナレフ!?」

 こちらも思わず叫んで駆けだす。視界には草しか無いが、声が近付いていく。こちらに対しては反応が無い。妹の名を呼んでいるということは、やはり既に、土くれの人形を作らせてしまったのだ。

「ポルナレフーッ!! 返事してーッッ!!」

 気付いていないのか、ポルナレフは土くれの名を連呼しながら、また遠ざかった。とにかくこの近くである事は間違いない。手に折れそうなほど握りしめていた発煙筒のキャップを引き抜き、目を凝らして説明の絵を読みとって、どうにか着火させる。さてそれをどうしたらいいやら、少し迷うが、これを渡された時、承太郎が上空にサインと言っていたのを思い出した。で、仕方がないから思い切り、夜空に向けて、投げた。弧を描いて少し遠くへ落ちた頃には、もの凄い量の煙が上っていた。

 それで良いのかは分からなかったが、とにかく捜索続行。また耳を澄まし、足を動かすことに専念する。草を分ける音は自分がたてているから分からない。とにかく真っ直ぐ、ポルナレフの声の方向を目指す。

「あッそうだった! T・T!」

 なんで最初から思いつかなかったのか…いやまあアレだ、この旅で一番の予定外だもんねテンパってたら忘れるわ。そんなもんです。

「ポルナレフ見える!?」

 呼びかけられたネコミミマネキンは、我が意を得たとばかり現れて、ピンクの指をまっすぐ前へ指し延ばした。

 千時が、走りながらもう一度声をあげようとした瞬間、頭上のT・Tからギリリリリリリリと金属のこすれ合わさるような酷い音が、それも轟音と言っていいほどの音量で響きわたった。びっくりして耳を塞ぎながら、体で正面の草を薙ぎ倒すと、そこに、驚いてこちらを見ているポルナレフが…いや、彼とチャリオッツ、そして、宙に浮く大きな、機械仕掛けの甲虫のようなスタンドが居る。

「千時…!?」

 彼女は息を飲んだ。もうボロボロだ。草を下敷きに倒れたポルナレフの体は血塗れで、首を押さえた手からは、だくだくと新しい赤が流れ出している。

「おンやァー? 小さなお客が来たものだ」

 スタンドは笑った。ポルナレフの上方でチャリオッツを羽交い締めにしながら、表情の形を作ることのない目がこちらを見た。

「変なおまけが付いているという噂は本当だったようだな。やあ、お嬢ちゃん。このジャッジメントはご存じかい? アブラカタブラー」

 挨拶のつもりか、チャリオッツから片手すら放してみせ、ひらひらと振る。千時が呆気に取られた次の瞬間、横合いの茂みから人影が飛び上がった。女の奇声と男の悲鳴が同時で、押さえ込まれていたその場からチャリオッツが消失する。ダメだ今ポルナレフは使い物にならないどうしたらいいか、よし、上空の敵は無視! 

「T・Tお願い!!」

 叫んでポルナレフの元へ走り込み、彼に食らいついている頭を渾身の力で引っ剥がすと、人形は代わりに千時の腕へ噛みつこうとした、が、すかさずT・Tの伸ばした指が格子のように割って入る。千時は手へのフィードバックも意識する暇が無いまま、目に付いた人形の腹を思いきり蹴飛ばした。

 ギャッと異様な悲鳴を上げ、草の向こうへ逃げ込んで行く。

 T・Tはふわりと手を広げ、千時がポルナレフに覆い被さったそのまま、場所ごと包み込んだ。

 風のそよぎすら入らない静寂に包まれ、千時が顔を上げると、宙に浮いたジャッジメントが何事かジェスチャーしていた。笑うような動作があって、きっとこちらをバカにしているのだと分かる。

 視線をT・Tに移したが、ネコミミマネキンは珍しく反応しなかった。

「T・T、ありがと。襲われたら手を開いて、あなたもちゃんと逃げてよ」

 頷かない。いつものように笑いもせず、じっと敵を凝視している。

 このピンクドームは二度目。前回はゾンビ相手だったため、上空のT・T…頭からデコルテまでとハートのプレート、肩肘手首に浮いた球体は、攻撃を受ける位置に無かった。だが今度は逆に、敵が空中に浮いている。T・T自体が最も狙われやすい位置になっているのだ。外のことは任せるしかないが、千時は思わず無事を祈った。

「なん、で、テメーが…」

 不意にポルナレフがうめき、慌てて向き直る。落ち着いて見ると、首腕腹足とあちこちから出血し、露出した肌は酷い引っ掻き傷だらけ。

 …けれど体の事よりも、千時は、その表情に打ちのめされた気がした。

 呆然として見つめる内に、彼は起きあがろうとした。だが体はよろめき、膝と両手を着いて、ボタボタと血をこぼしながらがっくりと項垂れた。

「動いちゃダメだよ! 血が!」

「触るなッ!!」

 凄まじい剣幕で怒鳴られ、千時は手を引っ込めた。

 彼は少しの間、肩で息をつき、やがて怒鳴って悪かったと小さく呟いた。

「出してくれ…」

「へ!?」

「ここから出せと、言っているんだ」

「ダメダメダメ!」

 千時は両手と首を振って否定し、さらにハッとして続けた。

「それにコレT・Tのだもん! こっちじゃ解除できな…」

「チャリオオォォッッツ!!」

 絶叫と同時、彼の背中から羽化するように起きあがった甲冑は、鋭くレイピアをしならせる。千時は、ただ足止めしようとしただけの言葉がまさか戦車のスタンドを呼ぶとは思わず、硬直した。

 だが、チャリオッツはその剣の切っ先を、あろう事か、項垂れたポルナレフの頭蓋の横へと切り下ろしたのだ。

「なッ…!?」

 地面に着いた手すれすれに突き立つ刃。

 ポルナレフが愕然として振り返った。

 甲冑を纏う騎士は、透き通るような青の目を、ただ静かに注いでいる。その色は空虚で、哀れみさえ含んでいるようだった。

 …わかっているんだろう。

 銀の騎士が確かにそう告げるのを、千時は、聞いたと思った。

 だがそれは、ポルナレフに届かなかったらしい。

「何故だ!! どうしたチャリオッツ!? なぜ操れない!? どうなっていやがる!!」

 剣をかき消そうと腕を振るって、ポルナレフは後退った。

「クソッ! クソクソクソおおぉぉおッ!! 開けろ! ここから出せ!! 俺は今度こそシェリーを救わなくちゃならねえんだッッ!!」

 ポルナレフはチャリオッツを見上げたまま、背後の障壁に拳を叩きつけた。それはT・Tの小指の付け根あたりで、千時の手の同じ場所に、爪楊枝で突いたような鈍痛が走った。

 銀の甲冑が剣を手元へと引き上げ、そっと脇へ下ろす。自らの主を見据えていたスタンドから、ふと、ほんの少し寄越された視線。彼はとても悲しんでいる。その感情が背筋を這い上がってくる。消えていく澄み切った青い目の奥で、彼は、主人を悲しんでいた。どうしてか、それが、千時には分かった。

「こっち見なさい!!」

 両手でポルナレフの顔を引き寄せ、真正面にして、千時は怒鳴った。

「シェリーさんが何て言うか考えろって言ったでしょ!? 紛い物に騙されてお兄ちゃんが怪我したら、妹は何て言うと思うのよ!?」

 青い瞳から、みるみるうちに涙がこぼれて、場違いにも綺麗な色だと思う。彼はちょっとバカだけれども、その分、純粋でまっすぐなのだ。それを千時は知っている。

 土に戻る金貨のように脆く壊れそうな男の、厚い肩に腕を回して抱きつけば、ポルナレフはあっさり崩れ落ちた。千時はそのまま、電柱頭を自分の肩へしっかりと抱き寄せてやった。

「今は目も耳も塞いでいればいい。大丈夫。みんなが探してくれてる。あなたは一人じゃない。辛い時には助けてって言えばいいんだから」

 震える男を力の限り抱きしめ、千時は、T・Tを見上げた。いつの間にかこちらを見ていたトパーズの目は、薄ピンク色の向こう側でキラキラと頷いた。まるで、安心しろとでも言うように。

 その目の動いていく先を辿って、納得。

 敵スタンドの背後に、間違いようのないシルエットがある。あの髪型ときたら、なんて滑稽で頼もしい! 

 ジャッジメントの背後から、揺らめく明かりが射して、炎を撒く鳥人が躍り上がった。二、三度組み合い、バッと離れて、立ち上がったアヴドゥルがジャッジメントと対峙する。何事か言葉を交わし、すぐにマジシャンズレッドが滑空した。蹴りが入った、ように見えて、次の瞬間その足をジャッジメントが取る。勢いのまま半回転でブン投げられ、マジシャンズレッドはしたたか木にぶつかった。

 見ていると、ジャッジメントからは大した攻撃が出ていなさそうだ。とにかく防御力が高いらしい。もしかすると、チャリオッツと同じようなフィードバックの少ない外殻なのかもしれない。

 マジシャンズレッドは一旦、姿を消した。そこに暗がりから姿を現したのは女の姿の土人形で、ジャッジメントはその頭を掴んだ。

 千時は一連のそれを見つめながら、この場に音が入らなくて良かったと、心から思った。妹の…いや、妹とよく似た声の悲鳴を聞けばきっと、千時の肩で声を殺して泣く兄は、また狂乱したに違いない。

掴まれた土人形はバタバタと暴れたが、ジャッジメントは全く構わず、それをアヴドゥルに向けて投げつけた。アヴドゥルは前方にスタンドを発現させ、それを防ぐ。あっけなく、人形は壊れた。取れた手足は四散し、胴と首も飛び離れた。切り口からこぼれるのは、血の赤でなく、土の黒。

 そうしてその頭が落ちてきたのは、T・Tのドームのすぐそばだった。

 …何かを感じ取ったのか、それとも単に千時の手が強張ったからか。

 ポルナレフは顔を上げ、落ちた首を見た。

 目が合うと、彼の妹と良く似た人形は穏やかに…本当に穏やかに微笑み、唇を動かした。

 

 おにいちゃん。

 

 そうして、さも嬉しそうに、目を閉じたのだ。

 土くれは崩れ、消え果てて、兄の願いは叶わなかった。

 千時はポルナレフを見上げたが、涙はもう落ちなかった。そこには、千時の知るジャン=ピエール・ポルナレフだけが居た。

「…すまなかったな、千時」

 彼は無惨な土の塊を見下ろしたまま、静かに言った。

「今度こそ、ここから出してくれ。俺はこの手で、奴を倒さなきゃあならねえ」

 千時が頭上を見るより早く、ピンク色のドームは指を開いた。

 彼は苦笑して立ち上がり、ネコミミマネキンを見上げて手を振った。

「ありがとよ」

 T・Tはトパーズをキラリキラリと揺らし、頷き返す。ポルナレフは普段通りの顔で、今度は千時を見おろした。

「お前はこの中に残れ。奴はスピードもあるし、何より、かなりのパワータイプだ」

 千時は首をブンブン縦に振った。

「じゃまにならないようにがんばるよ!」

「おう、がんばれ!」

 軽く笑ったポルナレフが数歩出て、ドームは元の通りに閉じた。但し今度は、どこかが開いているらしく、微かに夜風が吹き込んで葉擦れの音が聞こえる。

「助かったぜ、アヴドゥル! あんたには助けられっぱなしだ!」

「その調子なら、まだ戦えるな」

 ポルナレフはジャッジメントに向かって走り出した。同時にマジシャンズレッドが舞い上がる。赤い色を銀の甲冑が照り返し、場違いにも美しい舞台照明のような輝きが散った。が、とにかく向こうもとんだ馬力だ。二体のスタンドを相手取り、ひょいひょいと避けて掴んで、あらぬ方向へ投げつける。

 アヴドゥルとポルナレフは一カ所に落ち合って、肩で息をついた。

「チャリオッツの動きが鈍いようだが」

「すまねえ。ちィとばかり、俺がダメージ食っててよ」

「やけに素直じゃあないか。虚勢も張れないほどの傷なら、大人しく引っ込んでいろ」

「おいこら、バカにすんじゃあねえ。あんただって今、変な動きで隙を作っちまってただろうが」

「ああ、それについては面目無い」

 ジャッジメントはフワフワとその場で笑った。

「勝負は決まったなあ。その程度じゃあ、一人増えた所でこのカメオにはかなわんぞ。フフ…。そうだ。アヴドゥル、三つの望みを言ってみろ。叶えてやろう。さあ、試しに言ってみろ。願いを、三つな」

「てめえェェッ!」

 ポルナレフが激昂した。

「フザケやがって!! アヴドゥル、無視しろ! 願いなんか言う必要ねえッ!!」

「ふぅむ」

 アヴドゥルは思案げに顎を撫でている。

「アヴドゥル! 聞いてんのか!?」

 慌てる仲間の隣で、褐色のスタンド使いは指を四本、構えて見せた。

「いいや。四つにしてくれ」

 フランス人の「ハァ!?」と、敵スタンドの「何ィ…?」が被る。アヴドゥルは飄々として、指をひらひら揺らして見せた。

「願いだよ、願い。三つの願いを四つにしてくれ、というのが願いだ」

 マンガだったら、ぐぬぬぬ、と描かれたに違いない。ジャッジメントは表情の無い顔で歯噛みするように絞り出した。

「キサマぁ…。そういう冗談は」

「いやだというのかカメオォッッ!!」

 脅しかけのタイミングをよく分かった男だ。ジャッジメントが怯んで、身じろぎしたのが、千時からも見えた。

「きさまが言い出したのだ! 約束は守ってもらうぞッ!!」

 マジシャンズレッドが炎を翻し、飛びかかる。

「まだ無駄なパワー比べをしようというのか!」

 咄嗟に嘲笑うジャッジメントの側頭部へ、さっきと同じ蹴りを入れ、

「ヒャハハハ! やわな蹴りだぜ!」

 と同じように腕で防がれ、た、が、

「なっなにぃぃ!?」

ガードした左手が、手甲ごと粉々に損壊した。

悲鳴を上げる隙も無い、背後から銀の甲冑が覗き、欠け落ちた肩口から一閃、刃を思い切り差し込む。

「ギャアアアァァアッッ!!」

「妹を利用されたのは俺の弱さのせいだ…」

 ポルナレフは歯軋りと共に、押し出すように言った。

「だが、そういう心を利用するような卑怯さを、許すわけにはいかねえ!!」

「ぐっグウゥッ…!!」

 ジャッジメントは無事な片手を回して剣を押さえ込み、宙を滑って飛び離れた。心臓にまでは達していなかったのか、姿を消すには至らない。

「チッ…外したか」

 チャリオッツを手前へ引き戻し、次に備えるポルナレフ。それを更に庇うように、アヴドゥルが一歩、前へ出た。

「第一の願いは、キサマに痛みの叫びを出させること。叶ったな」

「ばっ、馬鹿な…! 強い! さっきより断然強いぞ!?」

 エジプトの占星術師はニヤリと笑い、左手で右肩をトントンと叩いてみせた。

「エンペラーに撃たれた所が、まだ完全に治っていなくてな。さっきはその傷をかばったせいで、パワーを出し切っていなかったのよ」

「なっ…!」

「肩をまわせるようになってきたのも、つい三日前。正面の敵なら充分なのだが、角度の違う敵では少々、身構えてしまった」

「さすがだぜ、アヴドゥル!」

「キサマもな、ポルナレフ。今のタイミングは抜群だった。さて…第二の願いはッ!!」

 マジシャンズレッドの炎が大きく膨れ上がり、そこから鞭のように赤く眩しい輝きが四方へ伸びた。

「恐怖の悲鳴を上げさせること!!」

 レッドバインドに首を締め上げられ、ジャッジメント…いや、おそらくカメオが、絶叫する。

「さらに第三の願いは、後悔の泣き声だ!!」

 アヴドゥルの願いを叶えるように、ポルナレフのレイピアが敵の体の中へと吸い込まれた。

「ギャアアアアァァァァァァアアアアアアッッ!!」

 締め上げられて上がった首の付け根から、ロボットの外殻の内側、胴体へ、まっすぐ縦に、チャリオッツの剣が貫いている。

「チャリオッツと同じ事なら、中身はヤワいだろうさ!!」

 そこから脇へ刃を切り上げる間に、ジャッジメントは姿を消した。

「野郎! 逃げたな!!」

 追い縋ろうと左右を探すポルナレフを、アヴドゥルが止めた。

 小声で何か話し出し、二人とも背の高い草の中へと身を屈める。

 本体を探しているのだ。

「はー…。良かったー…」

 千時はようやく安心して座り込んだ。T・Tはと見上げると、一生懸命身を乗り出し、キョロキョロしている。こっちは草むらに隠れてしまった二人を探しているらしい。

 もう心配する事は無いのだが、T・Tの気が済むまではどうでもいいか、と手を戻させずにのんびり待っていると、やがて、二人の爆笑が聞こえてきた。

「ハッ! まさかッッ!!」

 見上げたネコミミマネキンは不思議そうにその方向を見ていて、

「ダメダメ! 見ないで!! 見ちゃダメ! 女の子でしょ…女の子!? いやいーから! T・T! 見ないでえええッ!!」

 千時は、別に自分が見えちゃうわけじゃあないのだが、とにかく、ドームの天井を叩いて懇願するハメになった。

 


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