『よろしくお願いします』
俺たち三船ドルフィンズと今回の練習試合相手のチームはお互い向かい合って頭を下げる。その対戦チームとは横浜リトル。神奈川の全国大会の常連チームだ。最初はいつものチームメイトはともかく、監督もこの練習試合を反対していたが、なにより吾郎のためだと説得し、急遽にこの練習試合が行われることになった。ドルフィンズは守りでのスタートだ。
「大丈夫か吾郎のやつ?」
「試合前のアップでは真ん中に投げれてたぞ」
「そうかよ。というかお前もキャッチャーできたのな」
「顔面にボールが向かってくるのはマスク越しとはいえ恐いし、咄嗟の判断も難しいから本来ならゴメンさ。でも今回は別だからな」
「おい、それはどういう……」
「ほら、走れ。もう皆ポジションに着いてるぞ」
「やべっ」
沢村は慌てて自分が守るポジションに向かって走っていく。今回俺はキャッチャーなので動かなくていい。そして今回の試合、俺がやること、出来ることは限られている。バカの調子を治すにはやっぱりバカなことをしなくちゃいけないということだ。
俺はマスクを被り、決められた位置に着いてミットを構える。俺の視線の先には投球ホームを確認している吾郎の姿があった。
俺は準備完了の合図を送ると彼は首を縦に振る。そのまま彼は何度かミットにボールを投げた。コントロールはそれなりでやはりバッターボックスに人がいなければインコースに投げれるようだ。
……さて、荒療治の始まりだ。
審判である、向こうの横浜リトルの監督が大きな声で宣言する。
「プレイボール!!」
こうして俺が思うに歴代最低な練習試合が幕をあげるのであった。
俺は審判の声を聞きつつ、視界に写るピッチャーである吾郎の様子を見る。吾郎は特に変わった様子もなく、いつもと変わらないフォーム、表情。俺が構えるミットの位置はもちろんインコースだ。吾郎は振りかぶりボールを投げる。しかしその瞬間、彼の体は無意識にボールのコースを変えた。そのコースは俺の構えたインコースとは真逆のアウトコース。本来、キャッチャーはこの場合に反射的に反応しなくてはいけないが俺は反応しなかった。しかし相手の一番のバットがそれをとらえる。ボールはファーストの真横を通りヒット。ランナーは一塁で止まった。
そして第二球。吾郎はまたしてもボールを無意識にアウトコースに向かって投げる。そして俺はミットを……
一ミリもミットを動かさなかった
「はっ?」
「ボール!……ほう」
ピッチャーである吾郎は俺のおかしな行動に気が抜けたような声を出す。バッターも予想外の展開に固まっていた。唯一、審判であるおっさんがカウントを言いながら関心したような声を出す。彼は気付いているのだろう、俺がわざとボールを捕らなかったことに。
俺はミットをインコースに構えたまま、その場から一歩も動かない。そう、動かないのだ。
そんな俺を見た吾郎は俺の後ろにあるボールを取るべく走り出す。そして彼はボールがあるところにたどり着いてボールを拾い、セカンドに投げようとする。しかし、一塁にいたランナーは既に二塁を通り過ぎており、彼は慌てて三塁に投げる。サードはボールを受けとるがそれよりもランナーが三塁にたどり着くのが速かった。
「セーフ」
審判の声が鳴り響く。
そんな中、吾郎は俺に近づき俺の肩につかみかかってきた。
「おい、ふざけんな!どこの世界にピッチャーのボールを取らず、あまつさえボーッとするキャッチャーがいるんだよ!!」
吾郎は俺に怒鳴り続ける。真面目にやれだの、キャッチャーに向いてないだの、やっぱり小森にキャッチャーやってもらうだの。
まったく……
この男はこの試合の意味をまったく理解していない。
俺は溜め息を吐くと、掴みかかってくる吾郎を押し離す。
「ばっかじゃねぇの」
「あぁ!!」
「俺は言ったはずだぜ。インコースにしか構えないってな」
「なっ」
吾郎が驚くのは分かる、思っていなかったんだろうそのままの意味だなんて。
「投げれば済む話だろ」
「ふざけんな、ピッチャーはインコースだけじゃねぇ!」
「はっ!」
俺は思わず笑いがこぼれる。
「前にも沢村が言ったと思うけどよ、いらないんだよ。似たコースにしか投げれないバッティングセンターのピッチングマシンみたいなピッチャーなんて」
「くっ」
するとベンチから監督が慌ててこちらに駆け足で向かってくる。この騒ぎはまずいと思ったのだろう。
「とっとりあえず、落ち着いて」
「おっさん、キャッチャー交代だ!」
「それは認めん」
「なに!」
「彼をキャッチャーから下げるのであれば、残念だがこの試合はやめさせてもらう」
「ふざけんな、どうして」
「……」
「……ちっ」
吾郎は渋々グラウンドに戻っていく。監督もハラハラしながらベンチに戻っていた。無論、俺も元のポジションに戻りミットを構える。構えたところはもちろんインコース。
しかしこの後も吾郎はインコースに投げれず、何度もボールは俺の後ろに行く。そしてそれを吾郎は何度でも取りにいく。さらに審判のおっさんも明らかにストライクのボールもボールにカウントする。当然、彼は文句を言ったが審判は相手にせず彼のイライラは最高点まで到達し、ついにがむしゃらにボールを投げてしまう。そのボールは俺の顔面に直撃した。彼のボールは小学生の中でも速いものであり、さすがにマスク越しでも痛みや衝撃を感じる。
「なっ!」
さすがの吾郎もこれには顔に動揺が走る。他の皆からも心配の声が上がった。
それでも俺は倒れたりせず、ミットをインコースに構えたままだった。
名付けてキール戦法
※7/22 キャッチャーがボールを取らなかったときバッターが走るというのを修正しました。