ソードアート・オンライン パスト タイムピース   作:楠木時雨

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いつかお前達の命を……

病院というのは、何処もそうだが……暇になってしまう。死の瀬戸際の人間にとってはそうでもないかもしれないが、それなりに健康な人間にとっては退屈な場所だ。つまりは、退屈に思うということは、もう体は健康ってことだと思うんだ。

 

「だからさぁ……もう退院できると思うんだよな」

 

「兄様は大人しくしていてくださいなのです。 沢山血が出ていたって聞きました。 油断は禁物なのです」

 

そう言って俺の方を睨みながら言う我が妹。あの強盗事件の後、俺は気を失い、そのまま病院に担ぎ込まれたのだ。運が良かったのか、身体の中に入っていた弾は綺麗に取り除かれ、少し跡が残ってしまうものの、安静にしていればもう何も心配は要らなくなるという。

 

だがしかし、ボロボロの俺を見たら両親は半分パニック状態になってしまって大騒ぎ、叶恋も色々と聞いて心配してしまったようで、今はこうして俺からは全然離れずに監視という名目で俺の近くにいた。

 

正直、もう自分ひとりで歩けるレベルにまで回復しているのだから、もう全然心配いらないのだが……心配性の妹はそれを許してくれなかった。

 

ちなみに、あの強盗なのだが……俺が男を一人殺したということは情報が漏れないようにしっかりと保護されることになり、正当防衛ということでカタがついたらしい。あの少女の一件もそういう形で片付いたのだが、流石の両親も、あの少女が今何をしているのかは流石に知らないらしい。

 

少し気がかりなものの、今の俺には元気でやっていてくれることを祈ることしか出来なかった。いつかまたどこかで再開できればいいのだが……とそう思わずにはいられなかった。男を殺したことに後悔はなかった、むしろ、後悔なんてしたらあの男に失礼だろう。

 

人を殺したのなら、その命は背負うし……罪も認める……ただし後悔はしない。それは奪った人に対しての侮辱にもなるのだから……

 

 

**

 

 

あれからどうなったのかの説明が済んだところで、やっぱり退屈なことにはなんら代わりはなかった。面会時間ギリギリまで妹はここにいるし、面会時間が終わればもう出来ることなんて限られてくるし、病院のご飯も、噂よりはマシなものの、やはり味気ない。

 

「はぁ……」

 

溜息をついても事態が変わることは無い。こんなにもお昼寝日和だというのに、外に出て昼寝さえもさせてもらえない。正直拷問だ。

 

妹も……変わらず俺を監視……

 

「すぅ……すぅ……」

 

監視……を?

 

「すぅ……すぅ……」

 

いやはや、やっぱり俺の妹は可愛いなぁ……寝顔も素晴らしい。今ここにカメラがないのが残念だぜ。なんてことを考えながら、妹の頬に触れてみる。

 

「ん……にゅ……ぅ」

 

ふむ……これはもうちょっと堪能していたいな……。なんて思ったが、せっかく妹が寝ているのだ。兄としてはおとなしく寝かせてやることも優しさだろう。そう思いながら俺はこっそりとベッドから降りて立つ。べ、別に妹が寝ているから外に出るチャンスだとか、そんなことは思ってないよ? うん、ちょっと長いトイレに行くだけだからな。

 

そう心の中で、誰に対しての言い訳なのかわからない言い訳をして、俺は病室を出たのだった。

 

外はやはり快晴だった。庭に植えてある木の葉が揺れ、シャワシャワっと音を立てている。ひゅ〜っという風の音も聞こえ……目を閉じるとなんだかとても落ち着く。そのまま俺は草原に寝転がり、日向ぼっこへと興じることにした。

 

「ねぇ〜お兄さん」

 

どこかで兄を呼ぶ声が聞こえる。兄妹で外に遊びに出ているのだろうか……そりゃあ、そうだよな……こんなにいい天気なんだ。外で遊ばないのは勿体ない。俺は日向ぼっこの方が好きだが。

 

「ねぇ〜ってば、お兄さんっ」

 

まったくなんだ? 兄と妹は喧嘩でもしてんのか? まったく、兄は兄らしく、妹に呼ばれたら返事してやりゃあいいのによ。まぁ、俺は昼寝をしながら聞いているだけで、赤の他人の俺がそんな兄妹の会話に入るのは無粋だろうし、ここは大人しくしているとするか。

 

「お兄さんってばっ!」

 

「げばっ!?」

 

突然腹に勢いよくなにかが落ちてきたような痛みが走る。油断していたせいもあるが、いきなりの痛みに俺は目を見開いて起き上がった。

 

「いたっ!?」

 

「いった〜っ!?」

 

そして今度はデコが硬いものにぶつかったような痛みを感じた。腹の痛みからデコの痛み。なんでこんなことになったのかはさっぱりだが、踏んだり蹴ったりである。また下手に動いてまた痛い思いをするのは嫌なので、取り敢えずそのままゆっくりと目を開いてみることにした。

 

するとそこには……

 

「いてて〜……」

 

鳩羽色の髪をショートヘアにした少女が、俺の上に乗りながら額を抑えていた。

 

……まず何から言えばいいか正直わからないのだが、取り敢えずはこれを最初に聞くのが普通だろう。

 

「君……誰かな?」

 

俺がそう問うと、少女は額に当てている手を離して俺の方に向き直り、ニコッと笑いながら答えた。

 

「ボクは紺野木綿季っ! よろしくね、お兄さんっ!」

 

確かに見たまま言えば年下だろうし、お兄さんで間違ってはいないのだが、俺には本当の妹がいるわけだし、その妹に浮気をするわけにはいけないわけで、ただ叶恋にバレなければ嫉妬されないかな……なんて邪な感情も男ならば持ち合わせているわけで、ボクっ子なんて珍しいなぁ……なんて感想も出てきたりする。

 

「よ、よろしく、俺は鴻沼蓮夜だ」

 

自分の中の邪な気持ちをどこかへと飛ばし、ひとまず自分も自己紹介をするべきだと思い、名前を名乗る。そういえば今までいろんな奴に会ってきたが、大抵皆自分から自己紹介してきたよな……皆自分の名前を紹介するのが流行っているのだろうか。

 

「蓮夜お兄さんだねっ!」

 

「お、おう」

 

紺野木綿季ちゃん、一言で言えば元気な子だな……という感想がまず第一に出てきた。見知らぬ人に話しかけてくるどころか乗っかってきたりする時点で、元気なだけでなくて、人見知りなことはなさそうな少女だ。

 

「遊ぼうよっ」

 

俺の服をぎゅっと握りながら詰め寄ってくる紺野木綿季。半ば予想していたが、やっぱりこうくるか。正直俺は日向ぼっこをしたい気分なのだが……。よし、ならばこうすればいい……この子が日向ぼっこをしたくなるように誘導しよう……と。小さな子を誘導して自分のやりたいようにするなんて、なんて外道……と言われても仕方ないが……悪いか、俺は外道なんだ。

 

「遊ぶ前に木綿季ちゃんよ……」

 

「ん〜? なにっ?」

 

きょとんとしながら首を傾げる木綿季ちゃん。あぁ、やっぱりこれくらいの年頃の子供が一番可愛いな。もちろん俺の妹の方が可愛いが。

 

「今日は物凄く天気がいい……わかるな?」

 

「もちろんっ!」

 

「実はな、天気がいい日っていうのは神様が日向ぼっこをさせるために俺達に与えてくれてるんだぞ?」

 

「そうなのっ!?」

 

目をキラキラさせながら俺の話に食いつく木綿季ちゃん。そんな姿を見ながら俺は内心ほくそ笑む。魚が餌にかかった……と。

 

「あぁ……だから日向ぼっこをしないと神様から悪い子って思われて、そのままサンタさんに連絡されて、クリスマスのプレゼントが貰えなくなるんだぞ?」

 

「え〜!?」

ここでワンポイント。まったく脈絡のないことでも、子供にとっては痛手になるようなことをさらっといってさらにこちら側に引き込む事も大事なのだ。

 

「だから日向ぼっこをしようじゃないか、木綿季ちゃん!」

 

「うんっ! ボク、神様にいい子だって思われるように日向ぼっこするよっ!」

 

「よしよし、いい子だ」

 

優しく木綿季の頭をなでながら俺は心の中で思った。勝った……計画通り、と。

 

「それじゃあ、目をつぶって……そのままゆっくり横になってごらん?」

 

「うんっ」

 

俺に言われた通り、目をつぶり横になる木綿季ちゃん。そのまま木綿季ちゃんは何回か深呼吸をする。

 

「どう? 日向ぼっこは」

 

「うん、気持ちいい〜」

 

目をつぶったまま、にこっと笑い。そのままゴロゴロする木綿季ちゃん。この子には日向ぼっこの才能があるんじゃないかと思うくらいに順応していた。ただ単に順応するのが早い子なのかもしれないが。

 

「ねぇ……お兄さん」

 

「ん?」

 

「これで神様はお父さんやお母さん、姉ちゃんやボクを助けてくれるかな」

 

「え……?」

 

先程までの元気な声とは裏腹に、とても寂しく悲しい声。こんな声をこの子が出せていることに驚愕し、俺は呆気に取られてしまった。木綿季ちゃんの言葉の真意を、どうしてこんなことを言ったのかは、俺にはわからなかった。

 

そんな木綿季ちゃんの言葉にどう返していいか悩んでいると、隣の方から突然人影が現れた。

 

「あ、木綿季……こんなところでなにしてるの?」

 

「あ、姉ちゃん!」

 

声が聞こえると、木綿季ちゃんは身体を起こして現れた人を見る。俺を木綿季ちゃんが見るのと同時くらいに声のした方を向くと、そこには……木綿季ちゃんと同じような髪色をしていて、背中のあたりまで髪を伸ばしている俺と同じくらいの歳の少女がいた。

 

「あのねっ! お兄さんと日向ぼっこしてたんだ〜!」

 

嬉しそうに語る木綿季ちゃん。その雰囲気からは楽しさ、嬉しさ、信頼……などの色々な感情を感じられた。こんなにも木綿季ちゃんが楽しげに話しかける相手ということは、木綿季ちゃんの言う通り、この子は姉なのだろう。

 

「そうなの? ごめんなさい……わざわざ木綿季と遊んでもらってしまって」

 

木綿季ちゃんの話を聞いて、少し申し訳なさそうに頭を下げる紺野姉(仮)。ちなみにこういう呼び方をした理由は名前を聞いていないからである。

 

「いや、気にしないでくれ。 俺はただ一緒に日向ぼっこをしてただけだからな」

 

「うんっ、とっても気持ちいいんだよ」

 

「そうなの?」

 

「うんっ、姉ちゃんもやってみなよっ!」

 

「でも……」

 

そう言い篭ると、俺の方をちらちら見る紺野姉(仮)。どうやら俺に気を使っているようだ。紺野姉(仮)は木綿季ちゃんよりもお姉さんなせいなのか、それとも性格ゆえなのか、かなりのしっかりものらしい。正直、あまり似てない姉妹だと思った。

 

「気にしなくていいぞ? 日向ぼっこは何人でしてもいいからな。 この気持ちよさを共有できるんだから、大歓迎さ」

 

「そ、そうですか? では失礼しますっ」

 

恐縮そうに座ると、ゆっくり横になる紺野姉(仮)。すると少しピクッと眉を動かすと、安心したかのように顔を綻ばせた。

 

「本当……とっても気持ちいいです」

 

「でしょ〜!」

 

自慢げに胸を張りながら言う木綿季ちゃん。やはり姉よりも最初にこの感覚を味わった先輩としては、自慢したい気分なんだろう。

 

「ボク、喉乾いたからちょっと飲み物もらってくるよ!」

 

先程まで胸を張っていた木綿季ちゃんだったが、喉が乾いたらしく、そう言いながら病棟の中へと走っていった。

 

「転ばないようにねっ」

 

「は〜いっ」

 

こういうやりとりはやはり何処か微笑ましいと思った。俺達もこういう会話はするのだが、見るのと聞くのとじゃ感じ方は違う。自分達がしていることを微笑ましいとは流石に言わない。似たようなことを自分がしていたとしても、他人がしているからこそ微笑ましく感じるのだろう。

 

そして……紺野姉(仮)と俺だけになった。

 

「……そういえば、自己紹介を忘れてましまね、私は紺野藍子といいます」

 

「俺は鴻沼蓮夜だ……木綿季ちゃんとは、今さっきあったばっかりだ」

 

「そうなんですか? てっきり私は木綿季の秘密のお友達かなにかかと思ってました」

 

そういいながら少し驚いたような顔をする紺野藍子。

 

「なんでそう思ったんだ?」

 

「えっと……木綿季がとても仲良さそうにしていたもので」

 

「まぁ、俺は木綿季ちゃんくらいの妹がいるし、木綿季ちゃんは明るい性格してるからかもな」

 

そう言うと、紺野藍子はくすっと笑った後、俺を見つめた。

 

「それだけではない気もしますが……まぁ、いいでしょう」

 

なにか深みのある言い方をする紺野藍子。俺にはさっぱりだが、たぶん聞いても教えるつもりはないだろうし、聞き流すことにした。

 

「そんなことよりも……藍子さん」

「呼び捨てで構いませんよ? もちろん藍子ちゃんでも」

 

紺野藍子がわざとらしくニコッと笑うので、俺は少し意地悪してやることにした。

 

「それじゃあ、お言葉に甘えて……藍子ちゃ〜ん」

 

「うっ……」

 

困った顔をする紺野藍子。冗談のつもりだったらしいが、俺はそれを放っておくほど優しくはない。ここは攻めるところだろう。

 

「藍子ちゃんよ、頭に葉っぱがついてるぞ?」

 

「あ、あの……って、そ、そうですか? ど、どこに」

 

髪の毛を手でときながら葉っぱを落とそうとする紺野藍子。もちろん葉っぱがついているなんて嘘なのだが、そうやって慌てている姿を見るのは面白いのでこのままにしておく。

 

「違う違う、そのじゃないって……もっと毛先の方」

 

「け、毛先?」

 

すぅっと毛先の方までとく紺野藍子。葉っぱなんてついていないのだから、ついてない葉っぱはまず落ちない。でも、落ちないなぁ、落ちないなぁ、とオロオロしてるのは凄く見ていて滑稽だった。

 

「もぉ〜、だめだなぁ、藍子ちゃんは」

 

「じゃあ、取ってくださいよっ! そ、それにその呼び方は……」

 

「ん〜? 最初に呼んでくれって言ったのは藍子ちゃんだったよね?」

 

「そ、それはそうですけど……」

 

より困った顔をする紺野藍子。これからが面白いことなのだが、聞きたいこともあるし、そろそろ可哀想なので、やめて教えてあげるべきか。

 

「残念だが、藍子……葉っぱなんて最初から頭にはついてないぞ?」

 

「へ……?」

 

ポカーンとしながら俺のことを見る紺野藍子。するとすぐに俺のことを睨みながら言った。

 

「だ、騙してたんですねっ! その呼び方もわざとっ」

 

「うん」

 

「悪びれないんですね!?」

 

「騙されたのが悪いんだよ」

 

「どんな考え方ですか……」

 

がっくりと肩を落とす藍子。俺は別にこんな逆みたいなやりとりをしたいわけではなかったのだが、まぁ、面白いのでよしとしよう。

 

「そんなことよりも……藍子。 あんたらの家族はなにか病気でも抱えてんのか?」

 

「っ……」

 

俺がそう問うと、藍子はビクッと体を震わせ……ゆっくりと俺の顔を見た。最初は驚いた顔をしていたが、その後すぐに真剣な表情へと変わり、先程までの面影はどこかに消えてしまった。

 

「誰かから聞いたんですか……」

 

「いや……木綿季ちゃんがほぞっと気になることを言ったんでな」

 

「気になること?」

 

俺は俺がどうしてそう思うことに至ったかの経緯を話した。日向ぼっこに誘うためについた嘘のこと、それを信じた木綿季ちゃんが言った言葉。その全てを。

 

「そう……ですか、木綿季がそんなことを……」

 

「あぁ……だから気になったんだが……言いたくないことだったら言わなくていいんだぞ?」

 

「いえ……木綿季が貴方に言ったのなら、言わないといけないことだと思いますから……実は私達の家計は皆、HIVに感染しているんです」

 

「HIV……」

 

HIV……死ぬ前にどこかで習ったことがある。正式名称はHuman Immunodeficiency Virus日本語で、ヒト免疫不全ウイルス。HIVにかかることによって免疫に大切な細胞がどんどん減っていき、普段は感染しない病原体にも感染しやすくなり、さまざまな病気を発症するようになるって……。

 

「はい……これは木綿季には言っていないのですが……この前、父がAIDSを発症してしまったらしいんです……お医者様の話によると……もう、長くない……と」

 

藍子は顔を俯けたまま、身体を震わしている。それは恐怖なのか、怒りなのか、悲しみなのか……俺にはわからなかったが、今の俺には、この藍子という人間が、とても不安定に感じてならなかった。

 

「木綿季は私達が全員、元気になれるようにって……いつも笑顔でいてくれます。 それに答えようと私達も笑ってはいるのですが……父がAIDSにかかった時から……私は思うようになったんです」

 

そして藍子は口にする。自分の本音を漏らす。父でも母でも、妹でもない。ついさっき出会った俺だからこそ言えた言葉を。

 

「私達の命は儚いもので……私達はもう、なにも生み出すことも、与えることも出来ない。そんな私達が……私が、生きている意味はなんなんだろうって……」

 

「藍子……」

 

「それならいっそ……死んだ方がいいんじゃないかって……」

 

藍子の頬を、涙がつたっていく。ずっと思っていた、でも逸らし続けていた自分の気持ち、子供なのにも関わらず、人知れず苦しんでいた少女。きっと、この苦しみは……木綿季ちゃんも……そした二人の両親も……きっと感じていたことだろう。

 

俺は命を奪った人間だ。あの時の父親と、強盗犯の男……二人の命を葬った人間。そんな俺が……苦しんでいる藍子に言ってあげられる言葉なんてあるのか……。生きる事に必死になっていて、それに疲れている少女に、俺が言ってあげられることは……

 

「ば〜っかじゃねぇの?」

 

「え……?」

 

「生きている意味はなにか? 死んだ方がいい? それを決めるのは自分自身だろ? 周りのことなんてどうでもいいんだよ、結局は、自分がどうしたいかだ。 自分が……どう生きたいか、だ」

 

「っ……でも、わからないんです。 自分がどうしたいのか」

 

「家族と生きていたくないのか? 両親と木綿季ちゃんと、ずっと一緒にいたくないのか?」

 

「いたいです……いたいですけど!」

 

「けど……?」

 

「不安で……押しつぶされそうになるんです……自分でそう思っても……迷ってしまうんです。 まるで、ゴールのない迷路に置いていかれたみたいに……」

 

紺野藍子は口にする。自分は迷っているのだと……人生という名の、病気という名の……。不安になるのだと、自分の選択に……自分の願ったことに。

 

「なら……俺が取り敢えずの道を示してやるよ」

 

「え……?」

 

俺は立ち上がり、藍子に指を指しながら言う。

 

「藍子……お前は俺が殺す」

 

「っ……」

 

藍子は怯えた表情をする。当然といえば当然だが、俺が言いたいことはまだある。おれはまだ……本当に言いたいことを、全部伝えきれてはいない。

 

「いつか木綿季ちゃんにも言っとけっ、俺がいつか……お前らを殺すから、それまでは勝手に病気に殺されたりすんなってな」

 

「……ぷっ」

 

「ん……?」

 

「あ……あはははははっ!」

 

突然先程までの表情が嘘のように大笑いする藍子。

 

「お、おい……そんなに笑うことねぇだろ」

 

「だって……なにを言われるのかと思ってましたから……いきりなり殺す、なんて」

 

まだ笑いが収まっていないのか。息が少し粗い。話しながら深呼吸をする藍子は、息を整えながら俺の方を向いた。

 

「でも……ありがとうございます。鴻沼君のおかげで……元気が出ました」

 

そういう彼女の顔には、先程までの恐怖や、悲しみの影はなく、そこには……太陽の光のように優しい笑顔だけがあった。

「あぁ……それならよかった」

 

これで……少しは紺野姉妹の悲しみや苦しみを軽くしてあげられただろうか……いや、きっとこれは気休め程度だ……なぜなら俺には、それを取り払うことが出来るほど、立派な人間ではないからだ……俺に出来ることなんて……人の悲しみを、苦しみを、ほんの少しだけでも減らすことぐらいしかできない。

 

俺はまた、自分の無力さを実感することになった。

 

そんなことを思っていると……

 

「に〜い〜さ〜ま〜!!」

 

「げっ!?」

 

遠くから聞きなれた声が聞こえた。そう……今一番聞きたくなかった声が……、声が聞こえた方を向くと、病棟の窓から顔を出して、後ろに般若が見えるんじゃないかと錯覚するほどに怒っている叶恋が見えた。

 

「鴻沼君……あの子は……」

 

「す、すまない藍子っ! もうここでもたもたはしてられそうにないっ」

 

「あ……ちょっ」

 

「またな藍子っ! 木綿季ちゃんにもよろしく伝えておいてくれっ!」

 

ここにいたらどんなおしおきをされるかわかったものではないので、とりあえず逃げる事にした。一秒でも早く、一メートルでも遠くに。そして俺は走り出した。

 

「鴻沼く〜ん!」

 

「なんだ〜?」

 

走っている途中に後ろから藍子に名前を呼ばれる。足を止めるわけにもいかない俺は走りながら転ばないように後ろを向く。

 

「また、会えますよねっ?」

 

「……はっ、当然だろ? お前達を絶対に殺すんだからなっ!」

 

普通ではない約束。けれど……この約束は大事な約束だ。大人から見れば、とんでもない……野蛮だ。乱暴だと責められるかもしれない……けれど、例えどんなにも野蛮で危険な約束でも……誰かを救うことが出来るのならば、俺はしたいと思う。命を奪い、失った俺が思う……

 

人生の教訓だ。


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