2月5日 深夜 フィンランド湾沿岸部
「……寒いなー」
「…呑気なぼやきだな」
防寒服で着膨れし、完全武装の滝崎と松島宮が呑気そうに会話を交わしている。
なお、2人共、拳銃こそ14年式拳銃だが、滝崎は38式歩兵銃、松島宮は100式機関短銃を装備している。
2人がここに居る理由は、乗艦の朝顔の点検と船底清掃の為にドック入りした為、陸戦隊に同行しているからだ。
「まったく、そんな調子だと、狙撃されるぞ」
「あはは……ごめんなさい」
そんなやり取りを交わしつつ、2人は陸戦隊の司令部になっている哨戒所に向かう。
「あぁ、戻ったか。どうかね、陸上の散歩は?」
2人が姿を現すと大田実大佐が出迎える。
「…巡回をしていただけなのですが」
「その事を『散歩』と言っているんであろう? お前は固いな」
そう言って松島宮は滝崎を肘で小突き、周囲が微笑む。
こんな和やかな雰囲気が、戦闘前の雰囲気と言うのでなければ、だが。
「ところで、現状は?」
「あまり変わらないな。陸さんの各種偵察でカレリア地峡を中心に攻勢の動きあり、と言ってきた以外は航空偵察でレニングラードから部隊が出発した事を除いて変化はない」
そんな場の空気を変えるかの様に滝崎は真剣な表情で大田大佐に訊くと、大田大佐は机の略地図を指しながら答える。
「今のところ、お前の勘働き通りだな」
「取れる手段が限られてるからね。後は空挺部隊による空挺強襲だが…規模と天候の問題で無理だよ。しかも、やれるなら開戦初頭にとっととやってる」
そもそも、第二次大戦期のソ連軍空挺部隊は成功例より失敗例の方が多い…気がする。
「だが、君の推察は筋が通っている。それに山下中将がマンネルヘイム元帥に君の言った懸念を話したら、マンネルヘイム元帥自身もその可能性を考えていたそうじゃないか。しかも、過去にあった事例だったそうだしな」
「えぇ、それについては豊田中将から聞きました。フィンランドがスウェーデン王国領だった時代に凍結したフィンランド湾をコサック騎兵隊で渡らせて、閉じ込められたスウェーデン王国軍艦を燃やしたとか…木造軍艦だったから出来た話ですがね」
「うむ、故に我々にお鉢が回ってきた訳だがな。状況から考えて、ここへの到達は日付が変わるぐらいだろう」
滝崎の言葉に大田大佐が頷きながら答える。
なお、陸戦隊の配置された場所はコトカ、ハミナとフィンランド湾沿いの都市に近く、ここを抑えれば内陸部、または首都ヘルシンキへ向かうルートがある。
「なら、まだ時間がありますね…コーヒーでも飲んで時間を潰します」
そう言って松島宮は別の机にあるポットのコーヒーをカップに注いで飲む。
「…個人的にだが、後学の為に訊いていいかね?」
「はい、なんですか?」
そんな姿を眺めている中、大田大佐が質問を投げかける。
「君の立場、殿下の立場、両方わかっている。だが、先のフィンランド湾海戦はともかく、何故自ら身を危険に晒す必要があるのかね?」
「…けじめ、そして、『そうする必要がある』からです。先の事が見える、と言って傲慢に振る舞えば、現場では誰も話を聞いてはくれないし、信頼もしてくれない。古代の英雄が戦場に身を置き、時に先頭に立って鼓舞したからこそ、戦士達が死を恐れずに戦えた…そう言う事も必要なんです。時代遅れ、と言われても」
真剣な表情で、しかし、最後にはその表情を隠すかの様に鉄帽を深く被り直す滝崎に頷いて納得した大田大佐はそれ以上なにも言わなかった。
……事態が動いたのは数時間後、正に日付が変わろうとする時だった。
滝崎は松島宮と共に既に10を超えてから数えなくなった双眼鏡での周囲確認をしていた時、視界の隅に何かが光るのを見た。
なお、この時の天候は『曇り時々晴れ』の予報だった。
「…松島宮、10時の方向、反射光が見えた」
「ん、10時の方向か。少し待てよ」
隣に居る松島宮に声を掛けると、別方向を見ていた松島宮は滝崎の見ている方向に向け直す。
「……ふむ、反射光は見えんが…微かに人影らしいのは見えるな」
そう言うと松島宮は手近にいる陸戦隊員を手招きする。
「すまないが、哨戒所に居る大田大佐の所に走ってほしい。どうやら、悪さしに来た露助が漸く現れた様だ。たが、騒いで見付かるのも面倒だ。ギリギリまで隠れたい。行ってくれ」
松島宮の指示に陸戦隊員は頷くと音をたてない様に哨戒所に走る。
その間も滝崎、そして、指示を出し終わった松島宮も再び双眼鏡でその方向を見続ける。
「他に何か見えるか?」
「なんとも…人影らしいのが複数ぐらい…こちらからの反射光は?」
「それは大丈夫だと思う。いま、此方に月明かりはない」
滝崎の問いに松島宮は双眼鏡から目を離し、空を見ながら言った。
「歩兵だけ…な訳はないよな?」
「多分、彼らは先遣隊だ。後続が戦車やら火砲やら引っ張って来るよ」
「それは豪勢な事だ。まあ、賭けに等しい作戦なら、戦車も火砲も無しとはいかんな」
そんな会話をしている時、先程の陸戦隊員が大田大佐らを連れて共に戻って来た。
「どうかね?」
「10時の方向、最初は反射光、次に人影らしきもの複数です」
大田大佐の問いに滝崎は報告しながら自らの双眼鏡を渡す。
それで一瞥した大田大佐は直ぐに決断を下した。
「戦闘用意。我々の正念場だ」
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