大逆転! 大東亜戦争を勝利せよ!!   作:休日ぐーたら暇人

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今年最後…になるかも解りませんが、投稿致します。


35 北樺太攻略作戦

7月30日 満州 哈爾浜(ハルピン) 関東軍司令部

 

 

 

「上手い具合に進んでいるな」

 

 

「はい、前線はソ連軍を抑えています。特に空は此方の圧倒的有利。そして、現状がソ連の限界である、と」

 

報告書を読みながら、互いにウンウンと頷きあう小畑中将と石原少将。

 

 

「いや、ホントに滝崎君の助言には助かる…多分、間違いなく、ソ連側の動きや意図も解らず、後手後手に回っていただろう。そして、冷静な観察も出来ず、損害の多さと世界情勢の変化に振り回され、最悪な結果を生んでいたな」

 

 

「まったくです。そして、それがわかっていたから、また、彼が我々を理解していたから、こうしてスムーズに対応出来ている訳ですが」

 

 

「うむ。故に此方も新たな手札を切る事が出来る。しかも、余裕を持ってな」

 

 

「その件ですが…ソ連側はなんと?」

 

 

「外務省によると、重光大使が『無意味に戦火を拡げるのか?』と訊いても、向こうは大した反応を示さなかったそうだ。故に『ならば、此方も新たな実力行使の手段に出る』と間接的に警告したが、気にも止めていないようだな」

 

 

「なるほど……では、此方は大手をふって動けますな」

 

 

「あぁ、何せ、これはソ連が招いた『自業自得』なんだからな」

 

悪人の様な笑みを2人は見せながら話していた。

 

 

 

 

翌8月1日 樺太 日ソ国境線

 

 

日本の南樺太、ソ連の北樺太を分ける国境線を早朝から日本陸軍の戦車、トラック、ユニバーサルキャリアーの集団が陸軍航空隊の援護の下、何の抵抗もなく、突っ走っていた。

 

 

 

「やれやれ、満州で戦っているのにも関わらず、これ程簡単に国境を突破出来るとは…無防備過ぎるな」

 

移動司令部のトラック(荷台部改装)の中で『北樺太攻略軍司令官』となった東久邇宮殿下が幕僚達を前に言った。

(なお、階級は大将である。念のため)

 

 

「今回は表向き『紛争終結の為、北樺太を攻略し、ソ連政府に圧力を加える事』と言うのは理解出来ますが、真の目的たる『石油油田の確保』と言うのは本当ですか?」

 

 

「うむ、莫大な量ではないが、樺太北端のオハに採掘可能な場所があるそうだ。まあ、南樺太の安全確保の為に北樺太を確保し、樺太全体の安全を確保する、と言うのは利に叶っているからな」

 

東久邇宮殿下の言葉に幕僚達は頷く。

 

 

「ところで、海軍さんはどうかな?」

 

 

「そろそろ、各種支援の為に攻撃を開始する時間です」

 

幕僚の1人が自身の腕時計を見ながら答えた。

 

 

 

 

その頃 オホーツク海海上

 

 

冬とは違い、まだ比較的穏やかなオホーツク海海域を堂々と進む艦隊があった。

旗艦の戦艦金剛を初め、姉妹艦の榛名、第二航空戦隊の蒼龍、飛龍を中心とした艦隊は合流した陸軍特殊船神州丸を中心とした陸軍輸送船団とその護衛と共に北樺太北部に向かっていた。

 

 

「蒼龍より入電。『攻撃隊準備よし』との事」

 

 

「うむ、予定通り、第二航空戦隊の指揮で攻撃隊を発進させよ。艦隊は対地砲撃準備。陸軍の上陸を支援する」

 

将旗を掲げる旗艦金剛で士官の報告に応える古賀峯一中将。

この『北樺太攻略支援艦隊』の指揮を金剛で執っている。

 

 

(……彼と会って2年か……海軍内はゆったりだったが、それ以外は激動だったな)

 

一通りの指示を出した後、古賀中将は窓からオホーツク海を観ながら心中で呟く。

実際、陸軍や国内外情勢に比べれば海軍内の動きは比較的穏やかである。(部署によっては違う。特に航空隊や技術開発研究部門等)

また、滝崎・松島宮との遠洋航海後、軍令部次長となり、海軍次官付きとなった2人とも業務連絡等の仕事での付き合いもあった中、2人の人事異動に重なる様に今回の『北樺太攻略支援艦隊』の艦隊司令のポストと10月に『第二艦隊司令官』への異動が決まっていた。

 

 

(久々に海に出て、『勘を取り戻せ』と言うのか? 或いは『実戦経験』なのか? 或いはポストの為の実績作りか?)

 

俗に言う、『艦隊派』の中でも、『海軍左派三羽鴉』や堀悌吉とも親交がある古賀中将で有るため、頑冥に物事を固持するタイプではない。

 

 

(…まあ、いい。これから海軍も忙しくなる。高松宮殿下にはぐらかされたが、滝崎君が私を押したと言う話もあるし、それは信頼してくれている、と言う事だろう)

 

今頃、自分以上にてんてこ舞いしているであろう、滝崎と松島宮を思い浮かべながら、笑みを溢す。

 

 

「さて、陸軍さんの脚を引っ張らん様にせんとな」

 

気を引き締めるかの様に幕僚達に向かって言った。

 

 

 

 

この突然とも言える『北樺太進攻』にソ連側は現地もその近隣も、ウラジオストク、そして、モスクワも対応出来なかった。

日本側の事前・直前偵察(陸軍の97司偵、海軍の98式偵察機による航空偵察等)の下、陸海軍航空隊による飛行場や拠点、陣地等の攻撃に続き、間髪入れずに南樺太からの陸軍部隊の進攻、北樺太北部からの陸軍部隊の上陸進攻の報に現地部隊自身が混乱し、その報告そのままがウラジオストク、更に上のモスクワに届いた為、ウラジオストクやモスクワは『誤報』とすら受け取った程だった。

 

しかし、時間の経過と共に状況がハッキリするも、ソ連側は何も出来なかった。

 

樺太近隣もウラジオストクも『下手に動いて、モスクワに目を付けられる(そして、責任問題を背負いなくない)』のを嫌い、よくて『様子見の偵察機』を飛ばすのが関の山だった。

モスクワはモスクワで『ノモンハンで手一杯で対処不可能』であり、また、今更になって、『北樺太攻略が陽動で、ウラジオストク等への進攻もありえる』として、『防御を固めろ』としか指示出来なかった。(そして、内部で責任転嫁の内輪揉めをやっていた)

 

この様な状況では北樺太は『孤立した』と同意義であり、しかも、辺境の様な北樺太と言う事で、国境警備隊や守備隊に戦意はなく、日本軍を見て、さっさと降伏する部隊もあった。

故に北樺太攻略は日本側の想定よりもスピーディーに攻略が完了した。

 

進攻側の日本軍は国境から進攻した本隊、オハに上陸した挟撃隊は中央部のアレクサンドロフスク・サハリンスキーの街へ向かい、それぞれ約200キロの道のりを陸海軍航空隊と艦隊の支援を受けながら爆走し、進攻開始5日目の8月6日、双方の合流とアレクサンドロフスク・サハリンスキーの残余部隊が降伏した事により、北樺太攻略作戦は大成功の下、終了した。

 

 

 

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