ご冥福をお祈りします。
陸軍の試練、ノモンハンの戦い!
5月12日 哈爾浜 関東軍司令部
「ふむ…つまり、以前から国境付近で外蒙古(モンゴル)軍騎兵隊による越境行動を含めた挑発行為はあった、と」
「はい。此方は警告のみに留めていましたが、遂に向こうが発砲、更に続けて複数発発砲した為、警備の満州軍騎兵隊も応射した、との事です」
石原少将の質問に士官が答える。
なお、部屋には『対ソ連戦考察部』の小畑中将も居る。
「どう思うかね、石原くん?」
士官が退出した後、小畑中将が石原少将に訊いた。
「『歴史通り』と言ったところですな。しかし…」
「やはり、気になるかね? 今回の動きが?」
「小畑閣下もお気付きでしたか? ソ連の動きに落ち着きがない。何か慌てている様な動きですな」
「ふむ、駐独大使館からは『ソ連が頻繁にドイツ政府に接触している』と言っているから、例の『独ソ不可侵条約』締結に動いている様だが…ドイツ側の態度があやふやだからな。まあ、ここまでは滝崎君が話してくれた『歴史通り』だから、『納得』は出来る」
「だが、ソ連は『それ』を知らない。ヒトラーや英仏の態度、更に先月終結したスペイン内戦もフランコ派が勝利した事もあって、ソ連内部、特にスターリンが焦っている。だから、この後の事を考えると、『日本を押さえ付けておく必要がある』から焦っている、と?」
「うむ。無論、その焦りの理由にゾルゲ・スパイ網の喪失もあるだろう。なにせ、対日本の情報収集と情報操作が出来なくなったのは、想像以上に痛いだろう。『敵の事が解らない』のは人間心理的に影響が大きい、と滝崎君も言っていたからね」
「ならば、今まで同様、向こうからの挑発は極力無視しつつ、『準備』を進めましょう。東條さんも異動するまで色々と進めてくれたみたいですし」
互いに頷きあいながら、2人は今後の事を話し合った。
数日後の5月15日、関東軍からの増加派遣部隊を出動させたところ、外蒙古軍騎兵隊はそそくさとモンゴル側のハルハ河西岸へと撤収した。
これに対し、満州帝国・関東軍は罠の可能性もあり、追撃せずにその撤収を見送り、引き上げた。
その後も外蒙古軍からの挑発行為(越境等)があったものの、あえて無視していた。
6月に入ってからは外蒙古軍の中にソ連軍兵士が混じる様になり、そして、6月中旬からは露骨に航空偵察も実施する様になった。
航空偵察を実施して直ぐの6月17日、満州側のハルハ河東岸に満州・日本軍陣地構築中の報告を受けた。
ウランバートルのソ連軍司令部(軍事顧問団を兼ねる)は地上偵察による確認の後、モスクワのスターリンにお伺いをたてた。
これに対して、スターリンは『軍事行動の認可』を下した。
7月1日、ソ連・外蒙古軍はハルハ河を渡河し、ハルハ河西岸に進出、構築された陣地群を攻撃した……。
7月1日 ハルハ河西岸
「……なんだ、あれは?」
とあるソ連軍兵士は目の前の光景に呟いた。
ハルハ河を渡河し、構築された陣地群を攻撃、奪取した両軍。
そもそも、奪取自体は拍子抜けするぐらい簡単であった。何故なら、陣地群は彼らが来た時点でもぬけの殻だったからだ。
しかし、その陣地群を占領した後、彼らの目に入った光景は驚くべきものだった。
それは……自分達がいま占領した陣地群なんて比較にもならない『重厚な防衛陣地群とそれで構成された防衛線』だった。
「何をしている! 攻撃だ! 攻撃!!」
呆然としている兵士を見て、指揮官が怒鳴る。
この時点で、最低限、司令部へお伺いすればよかったのだが、『ハルハ河東岸の陣地を占領せよ』の命令を『生真面目』に実行してしまった。
これがどうなるかは………予想出来る人は出来たかもしれない。
7月7日 ウランバートル ソ連軍司令部
「……で、結果はこれか」
担当の士官から報告を受けたゲオルギー・ジューコフ中将は苦い顔で呟いた。
報告書には1日から6日までの攻撃での膨大な損失が書かれていた。
確かに彼は『ハルハ河東岸の陣地を占領せよ』と命じた。しかし、『その後方にある新手の陣地も攻撃しろ』とは一言も言っていない。
明らかに現場指揮官が命令を拡大解釈した行動だと思うし、そうでなければ、ハルハ河東岸の陣地群を占領した時点で、詳細を報告し、次の指示を仰ぐべきだった。
だが、俗に言う『赤軍大粛清』で経験豊富なベテラン指揮官クラスが軒並み排除され、一部を除けば『演習や教本しか物を知らない』者が指揮を執っているのが現状なのだ。
「その『真の陣地群』の詳細は?」
「わかりません。地上は人も車輌も一歩でも敵の『キルゾーン』に入った瞬間、銃火砲の一斉大量射撃で殺られ、陣地を観察する事すら出来ないそうです。航空偵察も、護衛を付け、囮を出すなどして実行しましたが、野戦飛行場があるらしく、次々にやってくる敵戦闘機の迎撃と対空砲火の妨害で、偵察をするどころか、無駄に人員と機体を失う事になっています」
「うむ…火砲の損失も、敵の空爆によるものか?」
「はい。敵は対砲兵戦を挑まず、此方の支援砲撃を単発機、双発機の空爆で破壊しています。此方も空爆による敵砲兵撃滅を実施しましたが、陣地攻撃も兼ねてる上に、偵察機同様の妨害と敵の居所が解らない為、空振りに終わっています」
「わかった。制空権の確保に関しては敵戦闘機の排除が最優先だ。腕利きを派遣してくれる様にモスクワへ打診する。現場は戦力の回復と増強に努めつつ、敵陣地群並びに防衛線の実態を掴む様に…難しいだろうが、そう指示を出してくれ」
「は、わかりました。失礼します」
そう言って担当の士官が退出した後、ジューコフは困惑顔で思案する。
「……日本の手際が良すぎる。例のクーデター未遂から軍も政府も統一された意思の下に連携して動いている。張皷峰での一件から言っても……これは苦戦するだろ」
そう呟くジューコフ。
動き出した以上、止められるのはモスクワのスターリンだけなのだ。
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