シーブック・アノーはフロンティアⅣを脱出の際に受けた銃撃の傷が大分良くなり、多少の引き攣りを感じることはあってもそれなりにスペースアークでの手伝い仕事に支障が無くなってきていた。
コズモ元大佐やナント・ルースの話を聞いた後、彼等は結局スペースアークに残ることにした。勿論、出て行くこともフロンティアⅣに戻ることも考えた。
だが、出て行くとしても同じサイドでは意味が無いし、最も近い月は難民の受け入れを表明していたとはいえ、連邦の醜態を目の当たりにした彼等には信頼出来るものではなかった。
またクロスボーン・バンガードは逃げ出したスペースポートを元の所に収容すれば保護すると通信で返してきたが、元々逃げてきたという事実がある上、アーサーを失ったことや侵略軍への感情がフロンティアⅣに戻るという選択をさせなかった。
「あ、お兄ちゃん、ちょうどいい所に。グルスさんに持って行って」
「休憩に戻ってきたところなんだぞ」
「行ってきている間に御飯用意するから」
メカニックの作業を手伝いモビルスーツデッキの上へ下へ動きまわり、重機動かし左右、ようやく手空きを見つけて昼食をとりにボートへと戻ってきたシーブックは、妹のリィズ・アノーにそんな風に用事を言い渡される。
妹から食事の乗ったトレイを渡された彼は、モビルスーツデッキの奥、連邦の新型モビルスーツに掛かりにきりになっているグルス・エラスの下へと渋々向かうのだった。
「はぁ?なんで俺の持ってきたヘビガンしか真当なのが無いんだよ!」
怒鳴り声に顔を向けるとモビルスーツデッキの下でパイロットスーツを着た男、ビルギット・ピリヨが喚いているのが見えた。
「モビルスーツは今整備してるでしょ。それにパイロットはピチピチに候補生がいるじゃないか!」
「馬鹿言っちゃいけない!」
「第三軍だって、あたしたちと連携してくれるって言ってるんだ。あんたは安心してフロンティアⅠの防衛に専念すりゃいいんだよ」
そう言ってビルギットの相手をしているのは迷彩服を着た恰幅の良い抵抗派を気取っている夫人だった。
「おい、お前らが整備もやってパイロットもやるって、本当か!」
丁度、言い争いの横を通ったのが悪かった。シーブックはビルギットに捕まってしまう。
「パイロットのことは知りません。そりゃ宇宙用工業マシン(プチモビ)は実習とかで乗ったことはありますけど。整備の方はマヌーさんの指示でやってます」
「で、挙げ句の果てにパイロットにされましたじゃ、そんな馬鹿な話があるか」
「動いてないとコズモ大佐に五月蝿いんですよ」
「“元”だろ!元大佐!」
めんどくさいなぁ、と思いつつシーブックは「コレ届けなきゃいけないんで」と告げると早々にその場を立ち去った。
『従来のサイコミュには―――――バイオコンピュータのスウェッセム・セルが―――』
新型モビルスーツが横たわっているモビルスーツベッドの脇でガリガリと頭を掻いて食い入るように一人の整備員がモニターを見ていた。
そのモニターから聞き知った声が聞こえた気がしてシーブックは、ふと気になった。
「グルスさん、飯ここに置きますよ」
「んぁー」
変わらず手元の資料とモニターの映像に意識を奪われたままのグルスと呼ばれた整備員は生返事を返すだけ。
「何です?」
シーブックは先程の声も相まって彼の見ているものを確認するべく覗きこんだ。
「おい―――F91の整備マニュアルだよ。だけどまだ完全じゃないんだよ。クロスボーンが来てサナリィの研究員は皆月に逃げちまっただろ。足りない分はこの映像で補ってるんだけどさ、これが―――」
グルスは最初こそ無遠慮に覗きこんでくるシーブックをたしなめようとしたが、すぐに嘆息すると自分が一体何を見ていたのか話しだした。自分だってハイスクール時代からモビルスーツには興味津々だったのだ。工学科の学生ならば自分と同じようなものに違いないと、そう思ったからだ。
説明を耳にいれながらモニターを見るシーブックは画面が切り替わって映し出された女性の姿に目を見開き、思わず声を上げた。
「ッ!母さん?」
「ッ!」
驚いたのグルスのほうだった。シーブックを凝視する。そして―――
「君、今なんて言った? アノー博士の息子さん?ホントに?この、この人だよ?」
「え、ええ」
画面を指さし、鬼気迫る勢いで何度も何度も問うてくるグルスに少し引き気味にシーブックは答えた。そして画面から聞こえる声、正確には画面に映る母親、モニカ・アノーの声を耳に入れながら睨みつけるように画面を見つめる。
「軍の研究所、サナリィに務めているってのは知ってましたけど、モビルスーツを作っているなんて……」
「じゃ、じゃあさ、えーと、ここ!ここわかんないかなぁ。暗号っていうかさ、言い回し的なもんだと思うんだけど―――」
シーブックの呟きなど聞こえていないのか、グルスは端末を操作して映像を巻き戻したり早送りしたりとあるシーンを見せてくる。そこには理知的な雰囲気を醸し出しながらモニカがモニターを指差し何事かを説明している。
<―――統括する赤いコンピュータブロックとを接続する配線は、お空のお星様に手を伸ばし、八の字開いて吊り橋かけて、神さまの寝床をつくりましょ。となります。この―――>
「この八の字の吊り橋ってのが、さっぱりなんだよ。アノー博士もさらっと流しちゃうし…… ね、なんか知らない?」
期待を込めた目で見てくるグルスにシーブックは無表情に首を横に振る。
「そんな技術的なこと分かるわけ無いじゃないですか。それに母とは此処何年もまともに会話なんてしていませんし」
「いやいや、なんかあるんじゃないか?ほら、この呪文、子供に言い聞かせるような感じだろ?子供の頃に聞いてたりしない?」
少しばかり考えるような仕草をするにはしたが、シーブックはモニカのことを考えるのが嫌で真剣には思い出そうとしていなかった。
フルフルと首を横に振った。
「思い出しませんね。――――あ、それとリィズには、妹にはこの映像(ビデオ)のこと話さないでくださいよ」
「え?妹さんがいたの?」
その反応に、余計なことを教えてしまったか、とシーブックは内心舌打ちした。
「必死に考え無いようにして頑張ってるところに、里心がついたりしたら辛いですから。そんな酷い真似、しませんよね?」
ジロリと射抜くような目で睨んでいるシーブックにグルスが焦りながら口を開く。
「だ、大丈夫だよ。俺だって子供いるし、親と離れ離れになっちまって心細い時に言い寄るような真似はしないから」
「なら安心だ。お願いしましたからね」
そう言うとシーブックは踵を返したが、途中、一瞬だけ振り返り、今もモビルスーツベッドに横たわり続けるモビルスーツを見上げたのだった。母が携わっていたモビルスーツ……、と。
◇
フロンティアⅡとフロンティアⅢにクロスボーン・バンガードの進行が始まったのはフロンティアⅣの陥落が伝えられた三日後のUC0123年3月19日未明のことであった。
しかし、連邦の抵抗、反抗は皆無といってよいほど少ない規模となった。
それはクロスボーン・バンガードの本隊と思しき大軍がフロンティアⅣに駐留したのを知った各コロニーの駐留部隊が、特に権限の強い上層部こそが我先にと矛を交えること無く撤退してしまっていたからだった。
抗戦を命じられ残された部隊は月に撤退する余力もなく、這々の体でその場を放棄しフロンティアⅠに逃げこむことになる。
だが、しかし―――
ディナハンの予言、すなわち彼の持つ『前世の知識』から口にした言葉のとおり、気骨ある連邦の士官はいた。
いや、それは追い詰められた鼠の如しと言ったほうがより正確なのかもしれない。退路を断たれ、それは正に決死の覚悟であっただろう。
動かぬ連邦軍上層部、連邦議会議員達の無見識と保身に走った言動、自分の殻から出てこない各サイドの駐留軍、それらに対して、矢面に立つ将兵の存在と意志の表明として彼等は動いた。動かざるをえなかった。
―――そして今、未だ防空網が完全に整っていないコスモ・バビロンとなったフロンティアⅣへと直径百数十メートルの隕石がゆっくりと近づきつつあった。
◇
「―――ッ!!」
その一瞬、眠りの波間に揺らいでいたディナハン・ロナの意識を強烈な意志の雄叫びが貫いていった。心臓を叩かれたような衝撃に瞬間、眠りの海から覚醒へと一気に吹き飛ばされる。それが何者かの攻撃の意志だということに思い至るとディナハンは包まっていた掛布を剥ぎとり窓辺へと足を早めた。
カーテンを開けるとそこはまだ暗く夜が明けるのにあと少しばかり時間が必要のようだった。彼が振り返り壁の時計に目を向けた時だった。
瞬間、大きな揺れとともに閃光が彼の背を襲い部屋に影を作る。慄き、振り返り見れば、光の奔流が一つ、また一つと大地を突き破り柱となって屹立していく姿がディナハンの目に映っていた。
「……」
カーテンを握り睨みつけるように外を見つめる彼の胸中は如何ばかりか。
彼が自身の持つ特異な知識『前世の記憶』によれば迎賓館前には焼け出された難民がキャンプを作っており、そうと知っても連邦の攻撃が行われ少なからず死傷者が出た。そうなるはずだった。
だが、彼が避難民の移動を進言した結果、少ない人数ながらも無為に命を散らさせる事はなくなった。
人知れず、僅かだが命を救ったのだ。
だがそれは欺瞞にすぎない。彼は自身をそう嘲った。
人を殺して、助けて、殺して殺す。自らの手で多くの人殺したし、また見殺しにするこれから先への言い訳。
知らなければこうまで思い悩むこともない。知らなければただそのようなものと受け入れるだけ。『前世の記憶』のナント厄介なことか。倫理観も知識も、ディナハン・ロナだけであったならどれほど楽だっただろう。
自分がディナハン・ロナでなければ、そうシーブック・アノーであったなら……。トビア・アロナックスであったなら……。この際セシリー・フェアチャイルドでも良い、彼女であったなら、まだここまで悩まなかっただろう。
それでも、ロナ家という、家族という柵を彼は捨てることが出来ないし、しようとは思わない。
連邦のビーム攻撃を目にしながらそんな益体もない考えていた彼の耳に、家内から悲鳴と怒号、複数人がドタバタと走る足音が重なる。その足音が部屋の前で途切れると、バンッ!と先触れもなく戸が開け放たれた。
「ディナハン様!連邦の奇襲です!お早く」
「慌てるな、私は大事ない。職員の皆にこそ早く誘導して避難させてください」
「しかし御曹司を失っては―――」
「お祖父様が挙兵した時から覚悟は出来ているんだよ」
ディナハンの身を護るべく入ってきた武官に、彼は小さく微笑んでそう返した。
武官はそのディナハンの態度に言葉を失う。薄気味の悪さを感じたと言っても良いそれは、ディナハンの年齢に見合わぬ達観にあった。自分が死ぬかもしれない状況を従容と受け入れるその精神の有り様こそ不気味であり畏れを感じた。これがロナ家か、と。
「……でも、お祖父様たちの安否の確認することは必要だな。合流しましょう。それなら君も困らないでしょう?」
沈黙の中でディナハンは護衛の武官が自分に対して動揺しているのを感じ取っては居たが、何に彼が驚いているのかまでは分からなかった。なので彼は勝手に武官が命令に従い自分の身を優先するべきか、それとも自分の発した言葉を優先するべきか迷っているのだろうと踏んで声を掛けた。
すると護衛役の武官は「は、はい。お伴します」と敬礼を返したので、彼は一つ頷くと寝間着の上にナイトガウンを羽織り部屋を後にするのだった。
窓の外の光の柱は、もうすでに立ち昇らなくなっていた。
◇
一人の男が自分の方に近づいてくるのを見つけ、シーブック・アノーは作業の手を止め、一つ溜息を吐いた。
「グルスさん、そんなに来られても何も思い出しませんよ」
ジトリと視線を送り、鬱陶しいと言う態度を隠しもしない。
一瞬それにたじろいで見せたグルスだったが、タハハと愛想笑いを浮かべ「別にそんなつもりじゃないよ」と韜晦する。
「そんなことよりグルスさんは、自分の家族のことが心配じゃないんですか?」
曲がりなりにも連邦軍の戦艦、しかも血気盛んに抵抗運動をしようとしている“元”大佐が居座り、野戦服に身を包んだ太めかつ妙齢の御夫人が足繁く通ってきているのだ、彼等の耳にもクロスボーン・バンガードが遂にフロンティアⅡとⅢにも進軍を開始したことは入ってきていた。
とにかくリィズに食わせなければと忙しさにかまけ、父レズリーのことをあまり心配しないシーブックは自分を棚に上げて、そんなことをグルスに聞いた。此処数日の世間話で彼の家族がフロンティアⅡにいることを知っていたからでもあった。
「っていってもさ、フロンティアⅡに帰れるわけでも無し、俺が軍人だってのは家族も十分わかってることだから心配してもしょうが無い。それなら今出来る事をやって気を紛らわせるしか無い。それにはF91は面白いし丁度良いのさ」
「……兎に角、そうそう思い出しませんから」
「そう、かい……」
肩を落としたグルスに悪いことをしているような気にはなったが思い出せないものは思い出せないのだ。シーブックはどう声をかけるべきか迷った。
「あのさ、シーブック……そ――――」
なおもグルスが何事か言おうとした時だった。
「おーい、シーブックぅ。お前にお客さーん!おーい」
甲板の向こうから聞こえるドワイト・カムリの呼び声に目を向けると大きく手を振って手招きする姿が見える。
「じゃあ、グルスさん」
「あ、ああ……」
去っていくシーブックを見つめ、小さくグルスを許しを乞うた。「わるい」と。
◇
野戦服に見を包んでいながらもどこか上品さを匂わせた中年女性からセシリー・フェアチャイルドの行方について尋ねられたシーブックは自分が今まで彼女のことを考えないようにしていたことを思い知った。
ドワイト・カムリが言うにはあの中年女性は彼女の実の母親ではないか、ということだった。セシリーの親。そのことが自分を撃った小男のことを思い出させる。
そしてそれは、彼女の現状を確認しなければならないという腹の奥で燻り続けていた欲求を呼び起こすのに十分な出来事だった。漠とした彼女への思慕がそうした欲望を呼び覚ました事実にシーブックは自分の気持ちを認めるしかなかった。ああ、自分は彼女に惚れているんだ。そう自覚した。
―――フロンティアⅣに戻らなきゃいけない
そう彼は考えた。しかし、彼にはリィズが居た。友人が居た。子供たちが居た。
一緒に連れてはいけない。皆で戻るという選択は既に捨てている。ならば一人で行かなければならない。父の安否を自分のためにもリィズのためにも確認しておきたい。言えば反対される。黙って行くか。だが万一があればリィズを一人にしてしまう可能性はある。話さなければならない。あの人にも連絡が取れれば。月のサナリィに連絡は取れないだろうか。グルスさんに聞いてみよう。
シーブックは洋々と考えを巡らしながら戻ってきて、スパースボート付近にいるはずのリィズを気にしたのだが、
「ベルトー、リィズは?」
「リィズなら、ついさっきグルスさんが用事だって。付いていったよ」
リィズの同級生のベルトー・ロドリゲスの答えを聞いてシーブックの顔が変わった。
「――ッ、まさか!あの野郎!」
シーブックは踵を返すと新型モビルスーツが横たわっているモビルスーツベッドのに向かい駆け出した。目指す場所は決まっている。ベッドの上方、モビルスーツの頭部の方にある調整用コンピュータ。
そして聞こえてくる濁声と喜色に満ちた声。
「綾取り!?―――そうか!」
「ハハハッ、そうか!綾取りのことだったのかこの呪文は!流石親子だ!うんうん!」
「そっか!それで!その!どんな綾取りなんだい!?」
シーブックの目に妹の後ろ姿とグルスとコズモの姿が映った。
間違いなくリィズは“あの人”の姿と声が写った映像を見てしまっていた。
「リィズ!―――グルス!あんたって人は!」
「お兄ちゃん?!」
「シーブッ―――」
リィズとグルスが目を見開き驚きの声を上げるもそのままに、シーブックは勢い込んでグルスへと掴みかかる。しかし―――
「おぉうら!何やっとる!」
「ッ?!――――――グフッ」
コズモに襟首を掴まれ、ポイッといともあっさりと投げ飛ばされてしまいそのまま地面に叩きつけられた。
樽のような体形に加え“元”大佐という将校であるにもかかわらずコズモの動きは堂に入ったものだった。抵抗運動をしようとするだけはあるというものだった。
「お兄ちゃん!」
「ウッ、グ―――それが子供を持つ親のやることか!」
治りたての左腕に痛みが走ったがそんなことには構わずにシーブックはグルスを睨みつけた。
その言葉にウッ、と言葉を詰まらせたグルスは、やがて―――すっ、と姿勢を正すとそのまま両膝を地面に着くとその頭を床へと擦り付けた。トウキョウグルッペが用いる最大級の謝罪方法、土下座であった。
「すまない、シーブック。酷いことをしているという自覚はある。コイツを見せればリィズちゃんがアノー博士に会いたくなるだろうっての分かっててビデオを見せた。何かヒントが出て来るんじゃないかって」
「―――そこまで分かっていながらどうしてこんなことをするんだよ」
「罵ってくれて構わない、殴りたければ殴ってもいい。でも!だから!頼む、シーブック!リィズちゃんに綾取りを教わることを許してくれ」
「ッ!」
ギリッとシーブックの歯が鳴った。グルスのF91に対する執着と開き直りが自分の研究のために家族を捨てた母の姿に重なり、沸々と怒りが込み上げ続ける。ぐぐ、と拳が握られた。
握った拳が上がっていくのに縋りつくような待ったが掛かった。
「お兄ちゃん!――お兄ちゃん、私は大丈夫!大丈夫……平気なんだから。……お母さんがちゃんとお仕事してたって分かって嬉しいんだよ」
「――リィズ」
辛さを押し殺して気丈に明るく振る舞う妹を目にして、彼女を気遣うとともに目の前の大人たちと、そして何より子供を放ったらかしにして兵器なんてものを作っていたモニカへの怒りが沸き立つ。
だからシーブックは無思慮にも思いを吐き出してしまう。
「平気なわけ……平気なわけないだろう!大事なときに、一番側にいなくちゃいけないときにどこにもいなくて!家族を捨ててまでしたかったことが人殺しの手伝いだなんて!そんなのが母親だなんて」
子供の心からすればシーブックが口にした言葉は真実であったろう。だが、それは口にするべきことではなかった。況や聞かせる言葉ではなかった。しかし―――
「――あんな人、母親じゃない!」
兄の放った怒りの言葉の刃が妹の心を傷つける。
リィズは堪らなかった。堪らなく嫌だった。兄が母親を嫌っていることは重々承知していた。でも、それでも母は彼女にとって大切な母親で、兄は大事な兄で、家族が離れ離れになってて、お父さんとも連絡が取れなくて、お母さんとも連絡が取れなくて……
彼女の心は千々に乱れ、今まで押さえていた不安や苛立ち、心の中に凝った澱、それが嗚咽となって吹き出てきた。
「――ぅ、ぅ、っひ、ひっく」
「リィズ!」
泣くな!と意味を込めた呼ばわりは逆効果にしかならなかった。リィズの目に溜まった涙が盛大に決壊する。
「うぁあああー!」
耳に届く鳴き声に居たたまれなくなってシーブックは視線を逸らした。心が痛むように重い。
「シーブック」
濁声に名を呼ばれ嫌そうな顔でその主を見る。ずん、とした怖い顔がそこにあった。
「わしはお前らの家族の事情など知らん。アノー博士のことも知らん。だがな、お前は今、リィズちゃんに言ってはならんことを言ったぞ」
「何をぅ!」
「分からんのか? 妹さんはアノー博士の、母親の仕事の成果を知って嬉しいと言っただろうが。そして、わし等に教えてくれたのはアノー博士との繋がりそのものだった。家族でないと分かりえないものだ」
「……」
「離れていたとは言え母親は母親であったと知れた。母親との繋がりを感じられた。そんな心を兄のお前が傷つけるような真似をするんじゃない」
「うっ……」
シーブックには言い返すことが出来なかった。
「例え、お前が母親のことを嫌っていようが憎んでいようが、だ。アノー博士がリィズちゃんの母親だと言うことだ。つまり兄であるお前の母親もアノー博士だ。それはどうしようもない事実じゃないのか?ん?」
「ッ―――」
正論―――いや、正しいとか、間違っているとかそういうことではない。
モニカ・アノーはシーブック・アノーの世界でただ一人の母親である。それは事実だ。動かしようのない事実の指摘。図星。
そんなことは分かっている。分かりすぎるほどに分かっている。だから、だからこそシーブックは、モニカのことを許し難いのだ。
「いつまで甘えてるつもりだ、小僧」
シーブックの頬がパシッ!と小気味良い音を立てて弾けた。コズモが叩いたのだ。
「てめぇ!」
シーブックは弾けたように、コズモへと殴りかかった。
だが、コズモ元大佐はそれを鼻で笑うとシーブックの拳をパシリと片手で受け止め、あっというまにその腕を取って背中に回すと逃げられないようにシーブックを壁際へと押し込めた。
「いっ!―――ぐぅっ」
逃げ場を失ったシーブックは右手の関節が上げる痛みに顔をしかめながらも、首をひねり後ろの中年親爺を睨みつけた。
スッと脂ぎった顔が近づいてタバコのヤニ臭い息が吐き出される。
「分かっているだろう」
シーブックは何も言えなかった。もう何年も、母が家を出て行ってからずっと分かっていたことだった。
母親だから、母親だからこそ怒りがこみ上げる。赤の他人なら、侮蔑して記憶から削除するだけの取るに足らない存在であったろう。
だが、どうしようもない繋がりがあるのだ。親子だから。家族だから。
憎んでいるし、恨んでいるし、疎んでもいる。だが、死んで欲しいわけでも、消えて欲しいわけでも、父の他に男を作ってもう二度と関わらないで欲しいわけでもない。
ただ、普通に
――――母として、家族として、そこにいて欲しかっただけ。
だが、それは甘えなんかじゃない。――――と思いたい。それは家族のあり方として、親子のあり方として自然であると感じているから、だ。
「止めて!お兄ちゃんに乱暴しないで!これ以上お兄ちゃんに何かしたら何も教えてあげないんだから!」
「リィズちゃん、これは暴力じゃないんだよ。ふてくされて大事なことを忘れてるお兄ちゃんにその大事なことを思い出させてるだけなんだ」
「コズモ大佐っ」
グルスの静止にクルーの視線が集まっているのを見て取ったコズモは、ふん、と鼻を鳴らすとシーブックの腕を固めていた腕を放した。
押された格好でつんのめり、よろけた兄を心配したリィズがシーブックに駆け寄った。
「お兄ちゃん……」
「大丈夫、大丈夫さ……」
シーブックはそんなふうに自分を気遣う妹に心苦しくなった。
自分がリィズに対して放った言葉をどう謝ったらいいのか、言葉を探し、うまい言葉が見つからず、それでも何かを口に出そうとした時、それを遮るようにコズモ元大佐の声が頭上から響く。
「シーブック、お前がコイツのパイロットをしろ」
「―――なぁ?!」
唐突な言葉に目を剥いた。
「コイツのバイオコンピュータがアノー博士の作ったもんなら、だ。考え様によっちゃ、コイツはアノー博士の子供だ。息子のお前なら上手くフィットするだろ」
「そんな!」
「大丈夫。心配することはないよ、リィズちゃん。お兄ちゃんは立派なパイロットになってフロンティアサイドを守ってくれるさ。お母さんが作ったモビルスーツでね」
「ふっざ――― むちゃくちゃだ!」
「男ならだれでも憧れるモビルスーツのパイロットにしてやると言うんだ。感謝されこそすれ、文句を言われる筋合いはない!」
俺が法律だとばかりの傲岸な態度でコズモはシーブックに命令を出した。そんな時、
「おいおい、そりゃ無茶ってもんだろ……」
口を挟んだのは騒ぎを聞きつけて近寄ってきていたビルギット・ピリヨだった。
「ふん。まともに動くかどうかも分からんのだ。なら丁度いいってもんだ。グルス!クロスボーン・バンガードは待っちゃくれないぞ、急いでコイツを使えるようにしておけ」
だがコズモ元大佐はその当然の忠告にも聞く耳を持たなかった。リィズに言った言葉との矛盾など気にもせず適当なことを言う。
そして、決定事項だと言わんばかりにグルスへと指示を言うだけ言うと、のしのしとその場から去っていった。
「乗せられんなよ……っても、まぁ、ガンダムってさ、パイロットの親が製造に関わってたってのが多いからな。案外いいかも知れん。」
「ガン……ダム?」
モビルスーツにそれほど関心のないシーブックにも聞き覚えのある単語だった。
―――ガンダム
それは、この数十年間、モビルスーツの原点と称賛され、連邦のエースの乗る連邦軍最強のモビルスーツ。と、同時に正規軍から少し外れた部隊で運用されていることの多い不遇の機体。
「ああ、見たことなかったのか?こいつの顔見りゃ分かるさ。どうみてもガンダムタイプだよ、こいつは」
「母さんが……ガンダムを」
シーブックは、そう呟いて未だベッドに横たわるモビルスーツを見上げた。
コズモのリィズの心を無視した言葉に対する叱責は当を得たものに違いなかった。それは重々理解していたし、自身が口にしたことの愚かしさもシーブックには分かっていた。しかし、だからと言って母への反感が消えるわけではなかった。
「お兄ちゃん……どう、するの?」
「やるしか、ないんだろうさ。――――なら、やってやるさ」
「……死んじゃ厭だからね。もう、これ以上みんな。お父さんもお母さんも居なくて。お兄ちゃんまでなんて、そんなの……」
「そんなの当たり前だ。父さんにも無事を知らせなきゃいけないし、母《・》さ《・》ん《・》にだって面と向かって文句言わなきゃいけないし、な」
努めてそういう言い回しをシーブックは選び、
「―――だいたい、こいつは母さんが作ったんだ。なら他の人よりも家族である僕が、ってのはあながち間違いじゃないと思う。きっと僕やリィズを守ってくれるさ」
妹を安心させるように彼女の頭を撫でる。
「そうなんだ……そうだよね、これ、お母ちゃんが作ったんだものね」
シーブックの言葉にリィズの顔が輝く。
あの兄がモニカのことを母と口にしたのだ。それは嬉しいことだった。
彼女が見上げる視線の先には巨大な人型――モビルスーツ。ガンダム。
それが母の手によるものなら、きっと大丈夫。彼女にはそんな確信があった。
そんな妹の母への信頼を見て取って、シーブックは複雑な顔でリィズとガンダムを交互に見やるのだった。
【独自解釈&俺が考えた設定】
○スウェッセム・セル
サイコミュはニュートリノに似た粒子スウェッセムで感知能力を高める。らしい
体液中にスウェッセム・セルと言った酵素がある。らしい
(小説 機動戦士ガンダムF91よりカロッゾ・ビゲンゾン談)
ミノフスキー粒子みたく有名ではないが、サイコミュに関する数少ない記述に出てくる謎の粒子。
ちなみにサイコミュは生身の人間にニュートリノ的な直撃を与えて、記憶因子を破壊する携行があった(モニカ・アノー博士談)
○原作沿い。同一シーン
もう、原作小説買って読んだほうが良いんじゃなかろうか。てか、絶対ソッチのほうが良い。そうするべき。