シイ達が屋上で昼食を食べている頃、松代ではミサトとリツコが米国から輸送されてきた参号機を、遠くから見つめていた。
「遅れる事二時間か。やっぱ米国人って時間にルーズなのかしら」
「あら、ミサトほどじゃ無いんじゃない?」
「ぐっ……」
「慎重に輸送したんでしょ? 相当神経質になっている様だし」
二人の視線の先では、十字架に身体を固定された参号機が、実験場へと降ろされていく。その姿はまるで処刑場へ移動させられた罪人に見えた。
「あれが参号機か……」
「カタログスペックを鵜呑みに出来ないけど、現状では最高の性能を誇っている最新鋭機よ」
弐号機までのデータをフィードバックさせているので、参号機の基本スペックは既存のエヴァを上回っていた。喜ばしい情報なのだが、ミサトの表情は険しさを増していく。
「それを新人に預ける神経を疑うわね」
「技量の未熟さは、性能でカバー出来るわ。一々突っかからないで」
何処か棘のあるミサトの言葉をリツコは相手にしないで受け流す。フォースチルドレン選出以来、ミサトとリツコの間には僅かな溝が出来ていた。
「隠し事をされて、穏やかで居られる訳ないでしょ?」
「何の事?」
「マルドゥック機関……存在しないのよね?」
探る様なミサトの言葉にリツコは眉をひそめる。一瞬自分が失言していたのかと疑ったが、直ぐさま一人の男の存在を思い出して、納得しながら呟く。
「そう……リョウちゃんね」
「第一中学校二年A組の生徒全員が候補者。そりゃ直ぐにチルドレンが選抜出来る訳だわ」
「……こんな場所でする話じゃ無いわね」
二人の周りには本部から同行した技術局のスタッフ達と、松代勤務のスタッフ達が大勢居た。最重要機密の話をおいそれと出来る環境では無い。
「この実験が終わったら話すわ」
「信じて良いんでしょうね?」
「約束は守るわ」
ジッとリツコの顔を見つめるミサト。その視線を真っ直ぐに受け止めるリツコ。暫し無言で見つめ合っていたが、やがてミサトは納得したように小さく頷くと視線を外した。
「場所はあのバーが良いわ。加持も同席させるけど?」
「勿論そのつもりよ。あれだけ忠告しても懲りないリョウちゃんには、少し怒ってやらないと」
「無駄よ無駄。あいつはそう言う男だもの」
まるで夫婦のようなミサトの物言いに、リツコは苦笑を浮かべるのだった。
※
その日の夜、加持はミサトに頼まれて葛城家へとやって来た。不在のミサトに替わって、シイ達の面倒を見て欲しいと言われていたのだが、何故か客として持て成されてしまった。
「いやはや、保護者役とは言ったものの、何もする事が無いな」
「そんな事無いわよ。加持さんが居てくれるだけであたしは嬉しいわ。ね、シイ?」
「え? あ、うん。やっぱり大人の人が居ないと不安ですし」
ミサトの家があるマンションは、万全なセキュリティーが敷かれている。だが、それでも子供二人だけで過ごすと言うのは、シイにとって不安な事だった。
実際ミサトが加持に期待しているのは、いざという時の護衛役なのだから。
「ま、頼りにして貰えるなら、俺としても助かるがな」
「ねえねえ加持さん」
「ん、何だ?」
「ミサトの何処に惚れたの?」
「ごほ、ごほ、ごほ」
いきなりアスカが切り出した問いかけに、加持は食後のお茶で思い切りむせてしまった。
「と、突然何を言い出すんだ」
「え~だって~、ミサトってずぼらでがさつだし、一体何処を好きになったのかなって」
「失礼だよアスカ」
「でもあんただって、そう思ってるでしょ?」
「…………ちょっと」
否定したい流れだったが、シイを持ってしても否定出来なかった。葛城ミサトは仕事を離れてしまえば、ずぼらでがさつと言う言葉が本当にピッタリな女性だからだ。
「ねえ加持さん。ミサトの何処が好きなの?」
「……言葉で伝えるのは無理さ。男女の仲ってのは理屈じゃ無いからな」
「それって、運命の相手とかそう言う事?」
「どうだろうな……。ま、俺は葛城だから好きになったんであって、葛城の何処が好きとかじゃ無いよ」
「ぶ~。何か上手く誤魔化された気がするわね」
大人びているアスカだが実は恋愛経験が無い。加持は珍しく本心で答えたのだが、それを素直に理解する程、彼女は成熟してはいなかった。
「……ふぁぁ」
「あんた、眠いんでしょ?」
夕食とお風呂を済ませリビングでくつろいでいた三人。そんな中シイの瞼がうとうとし始め、控えめな欠伸をしているのをアスカは見逃さなかった。
「おっと、もうこんな時間か」
時計の針は既に夜の十時を回っている。普段のシイならもう眠る時間なのだが、今日は加持が居るためになかなか眠たいと言い出せずにいた。
「でも加持さんが……」
「俺は葛城の替わりだよ。客じゃ無いから、気にする事は無いさ」
シイが遠慮しているのを察して、加持は優しく声を掛ける。
「そう言う事よ。さっさと寝ちゃいなさい」
「うん……じゃあ、お休みなさい」
シイは二人に挨拶をして自分の部屋へ戻っていった。
「はぁ、全く世話が焼けるんだから」
「葛城が彼女の事を、小さなお母さんと言っていたよ」
「……まあ家事の腕は認めてあげるけど、見ての通りまだまだ子供よ」
やれやれと、アスカは肩をすくめる仕草を見せる。高い家事能力と比べて精神的に幼いシイは、母親と言うにはあまりにアンバランスな存在だった。
「だが人の痛みを分かってやれる子でもある。彼の事を大分悩んでいた様だよ」
「誰彼構わず優しくするから、色々悩む事になるのよ」
余計な苦労を背負い込むシイに対して、アスカは少しだけ苛立ちを覚えていた。ただそれはシイを心配しているからこその感情なのだが。
「他人に傷つけられる辛さを知っているからさ。そう言う人は、他人に優しく出来るものだ」
「貴方に優しくします。だから私にも優しくして下さいって?」
「悪いことじゃ無い。傷つけられる事を恐れて他人を遠ざけたり、逆に傷つけるよりはな」
加持は煙草を吸おうとするが、アスカにジト目で睨まれて渋々手を引っ込めた。そして苦笑しながら立ち上がると、窓からベランダに出て星空の元で一服する。
「ふぅ~。俺もリッちゃんも吸うのに、葛城はどれだけ勧められてもこいつはやらなかったな」
「その点だけは、ミサトを尊敬するわ。加持さんも、煙草吸わなきゃもっと素敵なのに」
「薬みたいなものさ。嫌な事を一時忘れさせてくれるし……頭も冴える」
ビールの空き缶を灰皿代わりにして、加持は煙草の灰を落とす。開いた窓を挟んで、加持とアスカは無言で向き合った。
「……綾波レイはシイ君の母親、碇ユイのクローンだ」
「魂をエヴァに取り込まれた後、サルベージされた遺伝情報を元に造られた、でしょ?」
スラスラと答えるアスカに、加持は思わず煙草を口から落としてしまう。自分が手に入れた極秘情報を、目の前の少女が既に知っていたことに内心動揺していた。
「アスカ。誰から何を聞いた?」
「大した事じゃないわ。あたし達も真実を求めていて、リツコがそれに協力してるだけ」
「リッちゃんか……」
自分には警告をしたリツコが、アスカ達に情報を与えたことに加持は小さく苦笑する。
「多分あたしは、加持さんの知らない情報を持ってる」
「聞かせてくれるのかな?」
「加持さんが味方になってくれるなら、喜んで話すわ」
「おいおい、俺はアスカの味方のつもりだぞ」
戯ける様に加持は両手を上げるが、アスカは違うと言った様子で首を横に振る。
「あたしのじゃ無くて、あたし達の味方になって欲しいの」
「…………」
「どんな事があっても、真実が何であってもシイとレイを見捨てない。約束してくれる?」
アスカの知る加持は現実主義者だった。もしゲンドウの企みが分かり、それを阻止すると決意したのならば、企みを潰すためにはどんな手段も厭わないだろう。例えシイやレイの命を奪う事さえも。
だからこそアスカはここで、加持に約束させる必要があった。彼女にとって二人の存在は、無視できない程大きなものになっているのだから。
「……良いだろう。約束する」
「なら話すわ。あたしが知った全てを」
加持の真剣な表情に、アスカも顔を引き締めて話し始めた。
アスカの話を聞き終えた加持は、もう何本目になるか分からない煙草に火を点けた。
「……なるほど。全ての鍵は碇司令が握っている、か」
「リツコも司令の考えは知らなかったわ。加持さんは何か知らない?」
「表向きの目的は知っている。だが碇司令にはそれ以外に、何か目的がありそうだ」
人類補完計画。その実現の為にゲンドウは動いている筈だった。だがゼーレのスパイとして見れば、ゲンドウの行動には不審な点が多い。
今思えばそれこそが、彼が本当の目的を果たすための行動なのだろう。
「表向きの目的って何?」
「人類補完計画と呼ばれる極秘計画だ。俺にも詳細は分からないが、使徒殲滅はこの目的を果たす為の手段に過ぎないらしい」
「何よそれ……」
自分達が命懸けで戦っている事が他の計画の手段に過ぎない。そう言われてアスカはやり場のない怒りを感じていた。
「……アスカ。一度状況の整理をしないか?」
「え?」
「俺達と同じく真実を求める者。誰が味方で誰が敵なのか。ハッキリさせた方が良い」
「そりゃそうだけど」
「アスカとシイ君、レイのチルドレン全員。俺と葛城、そしてリッちゃん。この六人は互いに情報を共有する味方と言う認識で良いだろう」
名前を挙げていく加持にアスカは頷いて答える。
「そして全てを知っている碇司令と、恐らく同等の情報を持っている副司令。この二人に対して、俺達は迫らなければならない」
「……そうね」
「攻めるとしたら副司令が良いだろう。副司令はシイ君の母親に、少なからぬ好意を抱いていた様だからな。シイ君が居るなら上手くやれば味方に出来るかもしれない」
京都で得た情報等を元に加持は話を進めていく。
「ただ危険な事に変わりはない。本気で命を賭ける覚悟が無いなら、ここで引くのも……」
「冗談言わないで。ここまで知って、今更何も無かった事になんて出来ないわ」
全く引くつもりの無いアスカに、加持は小さく頷くと真剣な声色で忠告する。
「ならくれぐれも慎重に行動するんだ。本部内では余計な事を一切喋るな」
「そんなの分かってるって。時田の奴に散々言われたんだから」
「時田?」
不意に告げられた名前に、加持は思わず問い返す。
「あ、忘れてたわ。一応時田ってのもあたし達の味方だから」
「確か……技術局第七課の課長だったな。元JA開発責任者の」
「そこそこ役に立つ奴よ。冴えない中年って感じだけど、シイのファンみたいだし」
(真に恐るべきはシイ君か……。彼女が居ればあるいはネルフすらも……)
本人に自覚が無いままに周囲に味方を作っていく。加持はあどけない少女を思い浮かべ、うっすらと冷や汗を掻いた。
「全ては、参号機の起動実験が終わってからだな。リッちゃん達とも情報交換をしたい」
「そうね。あの馬鹿にも、事情は説明しなきゃならないだろうし」
「明日……無事に終わると良いが」
加持は満点の星空を見上げ、誰に向けるでもなく小さく呟いた。
ミサトはリツコ、加持はアスカを介して、謎に迫る面々に繋がりが産まれつつあります。まあ、時田は置いておきますが。
もう待ったなし。次はフォースチルドレンの登場です。
次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。