エヴァンゲリオンはじめました   作:タクチャン(仮)

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2話 その3《ネルフへようこそ》

 病院を後にしたシイは、ミサトが運転する車でネルフ本部へと向かっていた。先日に比べて大分丁寧な運転だったのは、病み上がりのシイを気遣っての事か、あるいはボロボロの愛車を気遣っての事か。

「すいませんミサトさん」

「ん~何の事かしら?」

「車ボロボロなのに、送って頂いてしまって」

「う゛っ」

 何気ないシイの一言は、ミサトの傷口を容赦なく抉る。応急処置しかしていない車体は、速度を少しでも上げれば悲鳴をあげる程のダメージを残していた。

 現実を思い出したミサトは涙目でシイを見つめるが、悪意の欠片も無い少女に文句を言える訳も無い。

「い、良いのよ気にしないで。これも私の仕事だから」

「…………」

「どうかした?」

「私はこれから、どうなるんでしょうか?」

 ミサトがちらりと視線を向けると、助手席に座っているシイは不安からか顔を強張らせており、膝の上に置いた両手は小さく震えていた。

(そっか。この子は司令に会う為だけに、ここに来たんだっけ)

 ゲンドウは始めから、シイを初号機に乗せるためにネルフへと呼び寄せた。だがそんな事を知らないシイは、純粋に父親に会いに来ただけ。

 その再会があのような形で終わってしまっては、今後を不安に思うのも無理は無いだろう。

「詳しい話は本部に着いてからになるけど、そんなに悪いようにはならないと思うわ」

「……はい」

 シイは俯いたまま、小さく呟くように答えるのだった。

 

 

 ネルフ本部にやってきたシイ達を出迎えたのは、黒いスーツを着た男だった。服越しにも分かる程鍛えられた肉体と、表情を隠すようにかけられたサングラス。

 ひいき目に見ても堅気ではない出で立ちの男に、シイは萎縮してミサトの背後に隠れてしまう。だが黒服の男は気にした様子も無く、事務的な口調でミサトへと声を掛けた。

「お疲れ様です、葛城一尉」

「お疲れ様。準備は出来てる?」

「はい。ご案内します」

 男はくるりと背を向けると、二人を先導する様に歩き始める。その後に続いて歩き始めたミサトは、ふと自分の服の裾をシイが掴んでいるのに気づく。

「シイちゃんどうしたの?」

「ご、ごめんなさい。ちょっと……怖くて」

 シイが恐る恐る視線を向けるのは、前を歩く黒服の男。大きな身体とサングラス、黒スーツに無表情と子供に怖がられる要素を完備しているのだから、それも無理も無いかとミサトは納得してしまう。

「あ~平気よシイちゃん。この人はネルフ保安諜報部のスタッフで、私達の安全を守ってくれるの」

 正確に言えば役割は異なるが、ミサトはシイを安心させるため言葉を選ぶ。

「だから、怖がらなくても良いのよ」

「は、はい。あの~ごめんなさい」

「……気にしておりません」

 シイの謝罪に男は振り返りもせずに答える。それでも返事をしてくれた事で、シイの男に対する苦手意識と恐怖心は大分和らいでいた。

「初めまして、私碇シイと言います。貴方のお名前は?」

「あのねシイちゃん。諜報部って言うのは」

「……鈴木と申します」

 あっさり答えた男に、ミサトは思わずずっこけそうになる。保安諜報部はネルフという組織の中でも、特に規律や規則に厳しく、在籍しているスタッフも一流のエージェントばかり。

 そんな諜報部員が名前だけとは言え、個人情報を簡単に話すとは夢にも思わなかったからだ。

「鈴木さんですね。よろしくお願いします」

「……こちらこそ」

 シイの目線では見えないだろうが、返事をする男の頬は僅かに朱に染まっていた。

(こ、こいつもか~!!)

 ミサトはポーカーフェイスを装う男に、呆れ混じりの視線を送るのだった。

 

 

 ネルフ本部は非常に複雑な構造をしていた。例えスタッフと言えども、不慣れであれば迷うことも仕方ないと思えてしまう程に入り組んでいる。

 だが流石は保安諜報部員。歩くこと数分、彼は一切の迷い無く目的地へと二人を案内していく。やがて三人が辿り着いたのは、小さな会議室だった。

 男が軽くノックをしてから自動ドアを開くと、

「冬月先生?」

「ふ、副司令!?」

 中には椅子に座りながらお茶をすする、冬月が待ちかまえていた。

「おお、来たかね。……君は下がりたまえ」

「はっ。失礼します」

 一礼して黒服の男が退室するのを待ってから、冬月は二人に向き直った。

「葛城一尉。シイ君の付き添い、ご苦労だったね」

「いえ、それは良いんですけど……どうして副司令がこちらに?」

「担当者に急な仕事が入ってね。丁度手の空いていた私が借り出された訳だ」

「は、はぁ」

 ミサトの聞いていた話では、ここには保安諜報部員と事務局の人間が待っている筈であった。これから行う事を考えれば、この場に副司令という立場の人間が居るのは不自然極まりない。

「冬月先生!」

 腑に落ちない表情で首を傾げるミサトを余所に、シイは嬉しそうに冬月に近寄る。

「やあシイ君。久しぶり、でも無いか」

「ふふふ、そうですね」

「え、え、え、シイちゃん、副司令と会ったことあるっけ?」

「はい。ミサトさんが来るちょっと前に、お見舞いに来てくれたんです」

 嬉しそうなシイの言葉を聞いて、ミサトはじ~っと冬月を見る。だが、冬月は全く動じない。

「職務で近くへ寄ったのでな。時間があったので、見舞ったのだ」

「……そう、ですか」

 使徒襲来の翌日に、時間に余裕があるとはとても思えない。だが副司令である冬月にそう言われては、ミサトは引き下がるしかない。

「さて、退院そうそう悪いのだが、幾つかやっておかなければならない事がある。良いかね?」

「はい」

「結構だ。まずは、シイ君にはネルフと契約を結んで貰いたい」

「契約……ですか?」

 首を傾げるシイに、冬月は頷く。

「我々ネルフは国連直属の歴とした国際組織でね、施設に立ち入るのすら許可が必要なのだよ。パイロットである君には、正式にネルフ職員となって貰いたい」

「でも冬月先生。私はまだ中学生ですから、働いちゃ駄目なんじゃ……」

「ネルフには超法規的な権限が与えられているので、それは問題ないよ。無論学業を優先出来るよう、勤務に関しては最大限に配慮するつもりだ」

 冬月は教え子を諭すように優しく説明する。

「どうかね、シイ君」

「あの、一つお聞きしたいんですけど……もし契約をしなかったら、私はどうなるんでしょうか?」

「元の家に……君の場合は京都の実家へ帰って貰う事になる。ただ、最重要機密であるエヴァと関わった君には、申し訳無いが今後、ネルフの監視が付いてしまうがね」

 怖いことをさらりと言ってのける冬月。だがこれは脅しではなく事実だった。望んで得たものでは無いとはいえ、機密情報を持つ一般人を放置するほど、ネルフという組織は甘くない。

「契約は勿論君の意思で決めて構わない。ただ私個人としては、君に残って貰いたいと思っているよ」

「でも副司令、今この場でと言うのはあまりにも……」

「ああ、その点は考慮している。考える時間が必要だろうから、返事は二三日待っても構わない」

「……いえ、決めました。私、ここに残ります」

 悩むと思っていた筈の決断を、予想外にあっさり下したシイに、ミサトは心配そうに声を掛ける。

「良いのシイちゃん? 結構重大な決断だと思うけど」

「はい。こんな私が何かの役に立てるかは分からないですけど、それでも私を必要としてくれる人がいるなら……私にしか出来ない事があるなら、頑張ってみたいんです」

(うぅぅ)

(おぉぉ)

 きらきらと輝く瞳を向けるシイ。冬月とミサトはそのまぶしさに、思わず目を逸らしてしまう。

(な、何というか……この子、純粋に良い子なんだわ)

(正直胸が痛むが……ここは心を鬼にするしかあるまい)

 シイの純粋さは、大人達にこっそりとダメージを与えていた。

 

「で、では、これが契約書だよ。良く目を通して、何か不明な点があれば言ってくれたまえ」

「これ全部ですか?……凄い分厚いですね」

「ま~ね、シイちゃんは重要機密のエヴァパイロットだし、守秘義務やら面倒な決まりが多いのよ」

「うぅぅ、字も細かい……えっと、特務機関ネルフ(以下甲)は碇シイ(以下乙)に対して……」

 たどたどしく契約書を読んでいくシイだったが、始めの数行で早くも理解の限界を迎えていた。国際組織の、しかも重要機密であるエヴァのパイロットに対しての契約は、紙切れ一枚のそれとは比較にならない。

 契約書に触れる機会の少ない十四才の子供には、あまりにも難しすぎる内容だった。

「ミサトさ~ん」

「そ、そんな助けを求める子犬みたいな目で見ないでよ」

「ふむ、ならば私が要約してあげよう」

 冬月はそっと契約書を手に取ると、要点だけをかみ砕いてシイに説明した。機密情報の取扱や守秘義務。勤務態勢に非常時の行動等。そして、給料などお金について。

 流石は元教師だけあって、冬月の説明はシイにも理解出来る程分かりやすいものだった。

 

「大まかな説明だったが、どうかね?」

「凄い分かりやすかったです。ありがとうございます」

 嬉しそうに礼を述べるシイを見て、冬月は忘れていた教師の血がたぎるのを感じていた。

「え~取り敢えず、契約はOKって事で良いかしら?」

「はい」

 シイは慣れない手つきで契約書にサインをし、晴れてネルフスタッフの一員となった。

 

 

「さて、今日中に行うべき手続きは後一つ、シイ君の住居だ」

「え、碇司令と親子で住むのでは?」

「嫌です」

 ミサトの言葉に、シイは即刻拒否を明言する。あまりに分かりやすい父親への感情に、ミサトと冬月は一瞬困ったように顔を見合わせた。

「……こほん、まあ碇の方も不在がちでな。あまり良い選択ではない」

「では?」

「居住区に部屋を用意してある。そちらで暮らして貰おうと思っているが」

「ちょ、ちょっと副司令。シイちゃんはまだ十四才ですよ。一人暮らしなんて」

「良いんです、ミサトさん」

「え?」

 思わず抗議を止めてシイを見るミサト。

「我が儘言うと、皆さんに迷惑掛けちゃうし……一人は寂しいですけど……我慢しますから」

 シイは微笑んでみせるが、無理をしているのは直ぐに分かる。スカートを掴む手が、小さく震えていたからだ。

 それを見たミサトは、カッと目を見開いて冬月に向き直る。

「副司令、これでも――」

「一人暮らしは却下だな」

 ミサトの言葉にかぶせて、冬月は前言を撤回した。

 

「となると、誰かと同居という事になるな。ふむ……おおそうだ、私の家に来ると良い」

「はぁ?」

 突然何か言い出した冬月に、ミサトは上官と言うことも忘れて声をあげる。

「幸い空き部屋もあるし、碇ほど不在がちでもない。勿論、シイ君が望めば、だが」

「し、しかし副司令。シイちゃんは女の子ですし……」

「孫の様なものだ。問題あるまい?」

「ですが……」

 上手い反論が浮かばず、ミサトは言葉に詰まる。別に冬月と同居でも、問題はないのだろう。だが、何故かミサトはそれを許してはいけない気がしていた。

「どうするね、シイ君」

(不味いわ。シイちゃんは何故か副司令に好印象を抱いてる。このままじゃ)

「あの、それじゃあ……」

「「ちょっと待ったぁぁぁ!!」」

 シイが了承の意を告げるその瞬間、昔懐かしいかけ声と共に会議室のドアが開かれる。同時に飛び込んできたのは、リツコを始めとするスタッフ達だった。

「り、リツコさん?」

「それにみんなも……」

「……ちっ」

 戸惑う二人に聞こえないよう、冬月は小さく舌打ちをする。

「副司令、ちょっと宜しいでしょうか?」

「……むぅ、やむを得まい」

「シイちゃん、少し待っていてくれるかしら?」

「は、はい」

 笑顔のリツコに、シイは戸惑いの返事をする。

「ミサト、貴方も来て」

「ちょっと何なのよ」

「いいから。ほら」

 リツコに引っ張られ、ミサトも一緒に会議室の外へと連れ出されてしまった。残されたのは、状況が理解できずに佇むシイ一人。

(……私、邪魔者なのかな)

 シイの不安は、ミサト達が戻ってくるまで消える事はなかった。




原作ではほんの僅かなやり取りでしたが、エヴァのパイロットはネルフの職員ですので、きっと裏では契約等をやっていたのかな~と、妄想してみました。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。

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