エヴァンゲリオンはじめました   作:タクチャン(仮)

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16話 その4《闇からの帰還》

 

 パニックに陥りプラグ内を動き回ったシイだったが、疲れからかいつの間にか眠っていたらしい。インテリアシートに丸まった姿勢でうっすらと目を開けるが、当然ながら状況は全く改善されていなかった。

(……何だか……疲れちゃった……)

 動く体力も気力も失ったシイの目からは輝きが失われていた。生命維持モードも限界に達した為、プラグ内の酸素循環も作動しておらず、軽い酸欠状態に陥ったシイの意識は朦朧としている。

 以前リツコが説明してくれたプラグの温度調節機能も、既にバッテリー切れを起こしており、冷たいLCLがシイの体温を容赦なく奪っていく。

(……綾波さん……アスカ……ミサトさん……みんな……もう一度会いたかったな)

 胎児のように身体を丸めてシイは、親しい人達の顔を思い起こす。ネルフの人達、学校の友人達、彼らの姿が現れては消えていく。

(……私……死ぬんだよね……。そしたら……お母さんに会えるかな……抱きしめてくれるかな)

 微笑む母の姿を思い浮かべながら、シイは静かに瞳を閉じた。

 

 永遠の眠りへと落ちていく最中、シイは不意に頬を撫でる暖かな何かに気が付く。全身が冷え切った彼女にとって、それは無視できない刺激だった。

(……何?)

 残された力を振り絞り、閉じた瞳を半分だけ開く。すると非常灯も消えた真っ暗なプラグに光が満ちあふれ、一人の女性が自分に向かって来るのが見えた。

(貴方は……誰?)

『シイ、もう良いのかしら?』

 頭に直接響く優しい声。それを聞いた瞬間、シイの止まりかけていた心臓が激しく鼓動する。思い出せない記憶の中で母に掛けられた言葉。シイは大きく目を見開いて女性を見つめた。

 眩く輝く女性の姿。あまりに眩しい為、その顔を見ることは叶わない。だが女性が纏っている暖かな雰囲気がシイに確信を与える。

「お母……さん」

 女性は答えない。ただ微笑んでいる様子が伝わってくるだけ。

『もう良いのかしら?』

「……うん、お母さんに会えるなら……」

『本当に?』

 女性は再度問いかけながら、シイの身体を優しい光で包み込む。それは限界を迎えたシイの精神状態を、死に至る病から解放して彼女の本心を引き出す。

「……う、ううん。本当は……死にたくなんかない」

 枯れ果てたはずの涙が再びシイの瞳からこぼれ出る。

「もっとみんなと居たいの。綾波さんと、アスカと、ミサトさんと、リツコさんと、冬月先生と、ヒカリちゃんと、鈴原君と、相田君と、青葉さんと、日向さんと、マヤさんと、ペンペンと……お父さんと、みんなと一緒に居たい。死にたくない……死にたくないよ、お母さん」

 涙を流しながら生への執着をさらけ出すシイ。それは彼女の偽らざる本心だった。

『そう、良かった』

 そんなシイに女性は嬉しそうに答えると、そっと小さな身体を抱きしめる。暖かく優しい抱擁は、シイの忘れ去られた記憶を強く呼び起こす。

「……お母さん、暖かい」

 母の温もりを感じたシイは幸福感に包まれながら、安らかな笑みを浮かべて再び意識を失った。

 

 

 登りかけの朝日が第三新東京市に光をもたらす中、強制サルベージ作戦は秒読み段階に入っていた。影の範囲外ギリギリにエヴァ二機が配置され、その上空をN2爆雷投下用の重航空機が飛行している。

「エヴァ両機、作戦地点到達」

「N2爆雷投下準備完了」

「了解。では六十秒後に作戦を開始します」

 リツコの宣言でカウントダウンが始まる。全員に緊張が走る中、ソレは起こった。

 突如として大地に広がる影が、大きく波打つように動き出し始めたのだ。まるで中で何かが暴れている様に影は激しく歪み、やがて耐えきれなくなったのか影が次々に裂けていく。

 全く予想していなかった事態に待機してたアスカ達も、リツコ達も呆気にとられてしまう。

「……はっ。状況は?」

「分かりません。全てのメーターは振り切られています」

「まだ何もしていないのよ……」

 呆然とモニターを見つめながらリツコは呟く。

「ひょっとして、シイちゃんが自力で脱出してるんじゃ?」

「あり得ないわ! もう初号機には動けるだけの電源は残っていないのよ」

 ミサトの希望的観測をリツコは即座に否定する。初号機が使徒に飲み込まれてから既に16時間。生命維持モードすら限界だと言うのに動ける筈がないのだ。

 

 リツコ達が状況を掴めずに居る間にも、使徒の異変は続いている。

 切り裂かれていく影に呼応する様に、上空に浮かんでいた球体にも異変が起こった。黒と白の縞々模様が消え去り真っ黒に変色したそれが小さく震えたかと思うと、やがて側面に亀裂が走り赤い体液が零れ出す。

 亀裂は徐々に広がり球体から激しく体液が吹き出す。その中から二本の手が伸びてきたのをモニターが捉えた。

「「初号機!?」」

 吹き上がる血しぶきの中、内側から球体を力任せに引き裂いていく初号機。そして上半身を球体の外へと晒すと、口を大きく開いて獣の様な咆哮を響かせた。

 あまりに暴力的。あまりに残虐。あまりに凶悪な初号機の姿に一同は言葉を失う。

 球体を切り裂いた初号機は、亀裂だらけの影へと着地する。全身に血を纏った初号機が低い唸り声をあげる中、影は徐々に色を失いやがて消え去った。

 朝日が照らす初号機は、悪魔のように禍々しく大地に仁王立ちしている。

「これがエヴァの姿……母さん、私達の行為は正しかったの……?」

 視線を初号機から離す事が出来ず、リツコは怯えたように呟く。それを隣で見ていたミサトは、不信感を隠そうともせずに鋭い目つきを見せる。

(エヴァンゲリオン……第一使徒のコピー、か。……本当に味方なの?)

 険しい表情を変えずに、ミサトはエヴァに対しての恐れと不信感を抱いていた。

 

 

 ネルフ中央病院のベッドでシイはうっすらと目を開く。見慣れた天井と同時に視界に現れたのは、心配そうな顔で自分を見つめるアスカとレイだった。

「綾波さん……とアスカ」

「……碇さん、大丈夫?」

「ちょっとあんた、無事なんでしょうね?」

「……うん。ありがとう」

 全身に強い疲労感があり、思うように身体を動かせなかったが、シイは二人を安心させるように微笑んでみせる。それだけでアスカとレイは安堵のため息をついて脱力した。

「心配掛けてごめんね」

「……良いの。帰ってきてくれたから」

「あんたが居なくちゃ、誰があたしのご飯を作るってのよ」

「ふふ、そうだね」

 不器用な言葉の中にアスカの気持ちを感じたシイは、小さな笑みを漏らす。大切な友人二人と触れ合うことで、自分はみんなの元に戻れたのだと改めて実感することが出来た。

 

「……後の処理は私達が担当するから、碇さんは休んでいて」

「面倒だけど、ちゃちゃっと片づけちゃうわ」

「あ、待って……」

 病室から出ていこうとした二人をシイが呼び止める。アスカとレイは不思議そうな顔をしながらも、再びベッドの側へと近づいてきた。

「……どうしたの?」

「何よ、また一人じゃ寂しいって言うの? 終わったらまた来てあげるから、ちょっとは我慢しなさいよ」

「そうじゃ無くて……私、お母さんに会ったの」

 シイの突然の発言にアスカとレイは顔を見合わせる。シイの母親が亡くなっているのは周知の事実。ひょっとしたら意識の混乱があるのかも知れないと、二人は眉をひそめた。

「シイ、あんた疲れてんのよ。早く休みなさいって」

「違うの! 本当にお母さんと会ったの!」

 気遣うアスカの反応を馬鹿にされたと取ったシイは、少し興奮した様子で反論する。このままでは身体に触ると判断した二人は、ひとまず話を聞く姿勢を取った。

 救出後でまだ意識が落ち着いていないのか、シイの話は要領を得ないものだった。何度も同じ事を繰り返し、話の筋があちこちに飛ぶ。それでもアスカとレイは辛抱強く話を聞き続けた。

 

「え~つまり、初号機の電源が切れて、あんたがもう駄目だって思った時に」

「……碇さんのお母さんが現れたのね」

 二人は苦心しながらも、シイが伝えたいキーワードを拾うことに成功した。まだ興奮が収まらないのか、シイは上気した顔で何度も頷いてみせる。

「うん。それで抱きしめてくれて、それで声を掛けてくれて、それで……」

「慌てなくても、別に疑っちゃ居ないわよ」

 人間は死の淵に陥ると、危機を脱する術を過去の記憶から探そうとする。それが過去の記憶を一気に蘇らせる、走馬燈と呼ばれる現象だ。シイが会ったと主張する母親も、記憶の産物ならば説明がつく。

 本人は母親に助けられたと言っているが、実際は火事場の馬鹿力を発揮して、自力で使徒の空間から脱出したのだろうとアスカは口に出さずに結論づけた。

 

「……碇さんはお母さんと会った後の事、憶えてる?」

「ううん。安心したら、そのまま気を失っちゃったみたい」

「ま、無理もないわよ。結構ギリギリの状況だったんでしょ?」

「うん。初号機もスーツも電源が無くなっちゃって、凄い寒くて……息苦しくて……身体が動かなかったの。本当に死んじゃうんだって思った……」

 経験したことのない極限状態は、シイの心に深い爪痕を残していた。話していてそれを思い出したのか、上気していたシイの顔色はみるみる青ざめていき、身体が小刻みに震える。

「……大丈夫。貴方は生きているわ」

 ベッドに上半身を起こしているシイをレイはそっと抱きしめる。暖かな温もりが生の実感を与え、死の恐怖からシイを呼び戻す。

「ありがとう、綾波さん。……でも何だか不思議」

「何がよ?」

「綾波さん、まるでお母さんみたい。暖かくて、凄い落ち着くの」

「……そう、良かった」

「えっ!?」

 ドクンっとシイの心臓が跳ね上がる。あの時母に掛けて貰った言葉と同じ。レイの言葉なのに、まるで母親に言われたのかと錯覚してしまう。

「……レイ、任務の時間よ。じゃあシイ。終わったらまた来るから」

「あ……うん」

「……また」

 名残惜しそうなシイを残して、アスカとレイは病室を後にした。

 

 明るい日差しが差し込む病院の廊下をアスカは難しい顔で歩く。強引にシイとの話を打ち切ったのは、この顔を見せて余計な心配を掛けたくなかったからだ。

「あんたとシイのお母さん。何か関係ありそうね」

「……分からない。でも碇さんは私とお母さんを重ねて見ていた」

 容姿の酷似に娘であるシイの反応。レイとユイに何かしらの関係があるのは明らかだ。そしてそれはリツコならば知っている筈。

「はぁ~。こりゃ、何が何でもリツコに白状させるしか無いわね」

「……そうね」

 並んで歩く二人の会話は、周囲に聞こえない小さな声で行われていた。これから自分達がやろうとしている事が、どれだけのリスクを抱えているかを自覚しているのだろう。

「活動限界のエヴァが動いた事も含めて、徹底的に問い詰めてやるんだから」

「……異論は無いわ」

「OK。じゃ、シイが退院したら予定通りやるわよ」

 アスカは隣を歩くレイに向かって、ニヤリと不敵な笑みを浮かべるのだった。

 




レリエルって、凄い厄介な使徒だと思うわけです。イロウルとは別の意味で、対抗手段がありませんので。もし初号機が覚醒しなければ……想像するに恐ろしいですね。

次は使徒に邪魔されたリツコとの対決です。果たして彼女はどの様な結論を出すのか。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。

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