エヴァンゲリオンはじめました   作:タクチャン(仮)

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16話 その1《水面下》

 

 葛城家のダイニングには、穏やかな朝の空気が流れていた。

「あら、シイちゃん。味噌汁の味変わった?」

「分かります? リツコさんからお土産に鰹節を貰ったから、早速使ってみたんです」

「へぇ~。それだけで、こんなに味が変わるもんなのね」

 ミサトは感心したように、手にした味噌汁をしげしげと見つめる。料理をしない彼女にとって、ダシなんてどれも一緒だと思っていたから驚きも大きい。

「おダシは料理の基本ですよ。ミサトさんも料理の勉強してみませんか?」

「いや~、あたしにはちょっち向いてないみたいで」

「でもミサトさん。結婚したら加持さんの料理作るんですよね?」

「ぶぅぅぅぅ」

 不意打ちの一言にミサトは盛大に味噌汁を吐き出した。ゲホゲホと苦しげに咳をしながら、恨みがましい視線をシイに向ける。

「い、いきなり何を言うのよ」

「変な事言いました? ミサトさんは加持さんと結婚するって、聞いたんですけど」

「誰からよ!?」

「あたしよ」

 動揺するミサトの叫びに答えたのはアスカだった。朝にシャワーを浴びる習慣のある彼女は、バスタオルを巻いただけの姿で、脱衣所から顔を覗かせる。

「アスカ、あんたね~」

「良いじゃない。まるっきり嘘って訳じゃないし」

「だ、だからって」

「よりが戻ったんだから、素直に喜びなさいよ」

 悪びれる様子など欠片もないアスカに、ミサトは二の句が紡げない。結婚は言い過ぎにせよ、加持と復縁したのは事実なのだから。

「ま、意地を張るのは止めろって事よ。それよりシイ。ボディーソープが無いんだけど」

「あれ? 洗面台の上の棚に、まだ買い置きが残ってたと思うけど」

「色々あり過ぎて探すのが面倒なのよ。あんた買いすぎじゃないの?」

「うぅぅ、だって特売の時に買い溜めした方がお得なんだもん」

 今やシイは料理だけで無く、備品や消耗品の買い出しも担当しており、実質的に葛城家の家計を握っていた。締めるところは締めるシイのお陰で、ミサトのビールライフも守れているのだ。

「とにかく早く出してよ。このままじゃ風邪引いちゃうわ」

「うん。えっと脚立は……」

 シイは台所の隅に置かれた脚立を持つと、脱衣所へと入って行く。背の低い彼女にとって、三段の小さな脚立は生活の必需品だった。

「……小さなお母さん、か」

 ミサトは味噌汁を飲み干すと、誰に向けるでもなくそっと呟いた。

 

 

 その日の夕方、ネルフ本部実験室では定期シンクロテストが行われていた。シイはプラグの中で目を閉じ、いつものようにエヴァへ語りかける。

(この間はごめんね。貴方の事を無視しちゃって)

 前回のテストではレイの事を気にするあまり、初号機をないがしろにしてしまった。シイはまずそれを詫びると、以前の様に意識を初号機へと近づけていく。

(色々あったけど……綾波さんともっと仲良くなれたの)

 微笑みを浮かべながら、初号機に近況報告を続けていく。

(それとね、お父さんとキチンとお話出来たんだ。私の事嫌いじゃ無いって言ってくれたの)

 話がゲンドウの事へ及ぶと、僅かに初号機の今までとは違う反応を感じた。シイに向かって何かを言いたい、そんな意思が伝わってくる。

(えっ、何? 何を言いたいの?)

 心を深く集中して初号機へ意識を向ける。そうしていると徐々に自分以外の存在が、シイが初号機だと思っている存在がハッキリと感じられていった。

(……不思議。貴方は暖かいね。それに……懐かしい感じがする)

 エヴァと自分が繋がる感覚。それは零号機の時みたいな、冷たく一方的なものではない。優しくシイを包み込むような暖かさと優しさを持ったものだった。

 

「どうやら、あれは一時のものだったようね」

 管制室でテストを見守っていたリツコは、表示されるデータを見て安堵のため息をつく。調子を落としていたレイの数値は以前と同等に、シイはそれ以上に高い数値をたたき出していた。

 ただそれはシイが再び、精神汚染の危険を抱えた事を意味する。

「シイちゃんのプラグ深度、限界域です。セーフティーの作動を確認」

「んで、シイちゃんは前みたいに、危ない状態って訳か」

「あの子が如何に前回のテストの時に、集中していなかったかが分かるわね」

 リツコは何時も通りのシイに、安心して良いやら困って良いやら、複雑な表情を見せた。

「レイの数値も戻ってますし、一安心ですね」

「……二人同時に、か」

 同時に復調したシイとレイに、リツコは訝しむ様に眉をひそめる。

「ひょっとして喧嘩でもしたのかしらね?」

「さあ。ただ結果が出ている以上、余計な干渉は控えるべきだわ」

 軽口を叩くミサトにリツコは冷静な意見を述べた。

(ひょっとして……)

 数値が落ちた時期とそれが二人同時と言う事実。リツコの脳裏には、ある可能性が浮かんでいた。

 

 

 実験終了後、シイ達三人は第三新東京市のファミレスに集まっていた。時田から本部内には音声を拾える監視カメラが多数設置されていると聞き、大事な話は外で行う事に決めたのだ。

 三人は飲み物だけを注文すると隅の席で向かい合う。

「あんた達ね、もう少し上手くやりなさいよ」

 開口一番、アスカはシイ達に駄目出しをした。何のことか分からないシイとレイが、互いに顔を見合わせ首を傾げる様子を見て、呆れたように肩をすくめる。

「あのね、二人同時に数値落ちて同時に戻ったんじゃ、幾ら何でも怪しすぎるでしょ」

「そうかな?」

「あったり前でしょ。現にリツコの奴、明らかに疑ってたわよ」

 幼い頃からパイロットとしてネルフに居たアスカは、人の顔色を読むことに長けている。だからこそ実験終了後のリツコが、シイとレイに不審の目を向けて事も察することが出来た。

「今日は適当に流して徐々に数値を戻すとか、ちっとは気を遣いなさいよ」

「うぅぅ、そんな事言われても……」

「……碇さんにそんな器用な事が出来ると思う?」

「ごめんシイ。あたしが悪かったわ」

「うぅぅ……」

 珍しく素直に頭を下げるアスカに、シイは恨みがましい視線を送った。

 

「とにかく、リツコは何か感づいたかも知れないわね」

「どうしよう……」

「そうね……。レイ、リツコってどんな奴?」

 敵を知ることから始めようとしたアスカは、オレンジジュースをストローで啜るレイに尋ねてみる。彼女はレイの保護責任者でもあるので、自分の知らない情報が得られるかもと少し期待していた。

「……赤木リツコ。ネルフ技術開発部技術局第一課所属のE計画担当責任者。同時にエヴァンゲリオン開発総責任者でもあり、MAGIの管理運営の担当者」

「リツコさん凄いね。やること沢山だ……」

「他には? 何か弱点とか、つけ込めそうな所は無いの?」

 レイの説明はアスカも知っているプロフィールに過ぎない。今はより深い情報が、今後の展開を有利に出来る切り札が欲しかった。

「……嫌いな物はだらしがない人間と言っていたわ」

「リツコさんらしいね」

「それでよくミサトと一緒に仕事出来てるわね……」

 仮にも保護者に酷い言いようだったが、シイも否定出来ずに苦笑するだけだった。

「……好きな物は猫」

「うん。猫可愛いもんね。リツコさん携帯のストラップも、猫だったし」

「ん~どれも役に立たない情報ね」

 脳天気なシイを完全に無視して、アスカはソーダを飲みながら頭を悩ませる。もっと決定的な弱み、下世話な話だが例えば男女関係などが分かれば、交渉材料になり得たのだが。

「……それと、碇さん」

 そんなアスカの心を読んだかのように、ポツリとレイは呟いた。

「どういう事?」

「赤木博士は、碇さんの事がお気に入り」

「えぇぇぇ!!」

 突然明かされた衝撃の事実に、シイは思わず大声を出して立ち上がってしまう。店内に居たまばらな客が、何事かと視線を向けている事に気づき、シイは謝りながら顔を真っ赤にして席に着いた。

「オーバーね」

「だ、だって……」

「それよりもレイ。確かな情報なんでしょうね?」

 アスカは真剣な顔でレイに確認をとる。もしその話が真実ならば、シイの存在はリツコに対しての切り札になり得るからだ。

「……ええ。白衣の内ポケットに、碇さんの写真を忍ばせて居たわ」

「なるほど、そりゃ間違いなさそうね」

 納得するアスカの正面で、シイはトマトのように顔を赤くして俯いてしまう。人には自分の好意を伝えて繋がりを求めるのに、人から好意を伝えられる事にはとことん慣れてなかったのだ。

 

「まあ、なら話は簡単ね」

「……ええ」

「え、どういう事?」

 頷きあうアスカとレイに、一人理解出来ていないシイは首を傾げる。

「あんた馬鹿ぁ? リツコにこっちから仕掛けるのよ」

「えぇぇ!?」

「良い? あんたがリツコと二人きりで話がしたいとか言えば、きっとホイホイ着いてくるに決まってるわ」

「……そこで私の事を知っていると、こちらから伝えてしまうのね」

 レイの補足にアスカは満足げに頷いた。

「で、でも、そんなに上手く行くのかな……」

「腹括りなさいよ。あんた決めたんでしょ。レイを碇司令から守るって」

「……うん」

「なら、決まりね」

 何かを企んでいるゲンドウからレイを守る。それがシイの原動力になっていた。

 

「後はどのタイミングでやるかだけど……準備もあるし、次のテストの後が良いかしら」

「準備?」

「そっ。折角だし、リツコが猫好きなのも利用しなきゃ、勿体ないじゃない」

 ニヤリと笑うアスカに、シイの背筋に嫌な予感が走った。そしてそれが間違いで無い事と直ぐに知る。

「確かファンシーショップに猫耳バンドがあったから、明日の放課後に買いに行くわよ」

「ちょ、ちょっと待って。それって、私がつけるの?」

「他に誰が居るってーの。良いじゃない。あんた似合いそうだし。レイもそう思うでしょ?」

 同意を求めるアスカの視線と否定して欲しいシイの視線が、無言のレイに集まる。レイは閉じていた瞳をそっと開くと、軽く頷いてアスカに賛同した。

「……そうね、行きましょう」

「綾波さん~」

 まさかの裏切りにシイは情けない声をあげる。

「OK。じゃあ明日作戦決行するわよ。ま、大船に乗ったつもりで居なさいって」

「うぅぅ」

 流れを止める事は叶わず、シイはリツコとの直接対決に臨むことになってしまった。

 




小話でのステップを経て、いよいよリツコへ真実の追究を……。
しかしそう簡単に話が進む筈もありませんよね。

ハッピーエンドの花の種を植えて、これまで水をまいてきました。そろそろ芽が出てくる頃です。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。

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