エヴァンゲリオンはじめました   作:タクチャン(仮)

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15話 その3《シイとゲンドウ》

 

 その夜、夕食の席でミサトは翌日結婚式に出席する為、一日家を空けることをシイ達に伝えた。

「結婚式ですか」

「そっ。友達の結婚式に行くから、帰りはちょっち遅くなると思うわ」

「友達ね~。ミサト、結構やばいんじゃない?」

 アスカのからかうような言葉にミサトの顔が引きつる。昼間の話ではないが彼女自身、三十の大台にリーチが掛かっている事もあり、かなり焦りに近い感情を持っていたのだ。

「駄目だよアスカ。ミサトさんは本気で気にしてるんだから」

「……あんたも結構言うわね」

「ふ、ふん。別に焦ってなんか無いもんね。こちとら三十路上等よ」

「その意気ですよ」

 完全に逆効果となっているシイの励ましに、ミサトは怒るに怒れない複雑な顔で頷いた。

 

「アスカは明日、何か予定あるの?」

「デートよ、デート」

 シイの問いかけに素っ気なく答えたアスカだが、ミサトは少し意外そうに目を開く。

「あら意外ね。あなた、気になる男の子いたの?」

「んな訳ないでしょ。ヒカリに頼まれたのよ。お姉さんの友達とデートしてくれって」

 心底嫌そうにアスカは肩をすくめて言った。

「引き受けたの?」

「ま~ね。一応ヒカリの顔も立てなきゃいけないし。てか、何でそんな不思議そうな顔するのよ」

「だって、アスカは加持さんの事好きだと思ってたから。他の人とデートするのが意外で」

「そりゃ加持さんは憧れの人よ。だけど、それは恋愛感情とは別物ね。ま、お子様のあんたには、分からないでしょうけど」

 アスカはやれやれと言った感じにシイに答えた。子供扱いされたシイは頬を膨らませて、大人であるミサトに意見を求める。

「うぅぅ、ミサトさんは分かるの?」

「え、そりゃ一応ね。ほら、シイちゃんだって副司令の事好きだけど、恋愛感情じゃ無いでしょ?」

「はい」

「尊敬や憧憬って気持ちは恋愛感情に似ているけど、それはやっぱ違う感情なのよ。それが分かってるアスカは、まあシイちゃんよりは大人かしらね」

 子供は大人に対して憧れの感情を抱く事が多く、それを恋愛感情と誤解する事も多々ある。自分を認識した上でそれを自覚したアスカは、ミサトの言うとおりシイよりも精神的に成熟していたのだろう。

「そんな訳だから、ミサトは精々頑張りなさい」

「え?」

「結婚式、加持さんも来るんでしょ?」

 ニヤリとアスカはミサトに笑みを向ける。暗に寄りを戻すチャンスだと告げているのだ。

「なっ、わ、私は別にあの馬鹿とは……」

「ふ~ん、あたしはそれでも構わないけど、このままじゃマジで独り身かもよ」

 アスカの言葉に黙り込んでしまうミサト。今彼女の中では、様々な感情が入り交じっていた。

「シイはどう思う? 加持さんとミサト」

「凄くお似合いだと思う。二人とも、一緒にいるのが自然な感じだもん」

「だ、そうよ。昔何があったか知らないけど、あんま意地張っても良いこと無いと思うわ」

 妹の様な少女二人に諭されたミサトは、何も言えずにただビールを一気飲みするのだった。

 

「で、シイは明日墓参りだっけ?」

「うん。でもお昼からだから、一番早く帰ってこれると思うよ」

「……あれ?」

 何気ないアスカとシイのやり取りに、ミサトは違和感を覚える。

「ねえシイちゃん。明日のお墓参り、結構乗り気だったりする?」

「はい。お母さんのお墓参りは久しぶりですし」

 言葉を証明するかのように、シイは明日を心底楽しみにしているようだった。

「碇司令……お父さんと二人きりでも?」

「緊張はしますけど、お話出来る良い機会とも思ってます。お母さんの事も聞きたいですから」

 シイの答えに、ミサトはう~んと唸りながら腕を組む。

「何よミサト。気になる事でもあるの?」

「いやね、てっきり明日のお墓参りの事で、悩んでるのかなって思って」

「どうしてですか?」

「今日のテスト、シイちゃん数値が悪かったのよ。神経パターンにも乱れが出てたから、てっきり明日のお墓参りが気になってるんだと思ってたんだけど」

 ミサトの指摘にシイはギクリと肩を震わせる。確かにテストに集中出来ていなかったが、それは全く別の事が原因だった。だがそれを正直に言うわけにもいかない。

「ここの所どうも落ち込んでたみたいだしね」

「あの……それはですね……」

「そう言えば、今はスッキリした顔してるわね。墓参りは明日だし。となると……」

 ミサトはアゴに手をあてて、じ~っとシイの顔を見つめる。レイの事をぼかして話せば良いのだが、元来嘘が苦手なシイにそれは酷な話だろう。言い訳を探す彼女の顔には冷や汗が流れていく。

「テストが終わってから、今までの間に何かあったって事?」

「うぅぅ……それは……」

「あ、そうそう。ねえミサト、さっき持ってたのって、結婚式に着ていく服でしょ?」

 陥落寸前のシイを、アスカが強引な話題転換でフォローする。

「え? そうだけど」

「ねえ見せてよ。ミサトのセンス、あたしが確かめてあげるわ」

「良いわよ。伊達に数多くの結婚式に出てないって所を、見せてあげる」

「次こそは主役になれると良いけど」

 軽口を叩きながら、ミサトとアスカはリビングから離れ、ミサトの部屋へと向かう。去り際にアスカはシイに、『貸しだからね』と目で合図し、シイは両手を合わせて感謝の意を伝えた。

 

 

 翌朝の葛城家は慌ただしさに満ちていた。全員出かける予定が入っているので、準備のために朝から忙しなく家の中を駆け回っている。

「えっと、ハンカチ持った、ちり紙持った……あれ、ご祝儀はどこだっけ?」

「テーブルの上に置いてありますよ」

「あっ、そうだ! これ忘れちゃ洒落になんないって」

 新調したばかりの赤いブレザーとカットソーを着たミサトが、バタバタと家の中を駆け回り結婚式出席の準備を整えていく。

「ちょっとシイ。あたしの洗顔フォーム知らない?」

「無いの? 買え置きが洗面台の下に入ってると思うけど」

「……あった!」

 朝早くからデートの準備に余念の無いアスカ。普段はあまり着ない緑色の外出着を身に纏うあたり、それなりに気合いが入っているようだ。

「本気じゃ無いなら、そんなにおめかししなくても良いのに」

「あんた馬鹿ぁ? どんな時でも、最高の自分を見せるのが女ってもんでしょ」

「……そうなの?」

「はぁ~。帰ってきたら、あんたにも教えてあげるわ。ちょっとはマシになるでしょうし」

 呆れたようにアスカはシイに告げると再び洗面所へと戻っていった。

 ただ一人準備の必要がないシイは既に出かけられる態勢を整えており、制服姿で黙々と朝食の洗い物を片づけていく。

「おめかし……していった方が良いのかな?」

「くえぇぇ」

 シイの呟きにペンペンは、否定とも肯定とも取れぬ言葉を返すのだった。

 

「行ってくるね。お昼は作ってあるから、それを食べて」

「しっかり留守番しなさいよ」

「私が一番遅くなると思うけど、シイちゃんの言うことを良く聞いてね」

「くえぇぇぇ」

 見送りのペンペンに声を掛けると、三人はそれぞれの目的地へと向かった。

 

 

 

 第三新東京市の郊外の広大な大地には、無数の石柱が整然と並んでいる場所がある。そこはセカンドインパクトで亡くなった死者が眠る、集合墓地だった。

『YUI IKARI』

 そう刻まれた石柱の前に、シイとゲンドウの姿があった。花束を墓石の前に添えて、暫し無言で亡き母と妻を想う。長い沈黙を破ったのはゲンドウだった。

「二人でここに来るのは……初めてか」

「うん。私は三年前にお爺ちゃん達に連れて来て貰って、それからは来れなかったの」

「そうか……」

 ゲンドウはシイの後ろに立っているため、その表情は伺い知れない。だがその言葉からは、僅かに寂しさのような物が感じられた。

「お父さんは毎年来てるの?」

「ああ。確認の為にな」

「確認?」

 シイは振り返り、ゲンドウと向き合った。

「人は思い出を忘れる事で生きていける。だが決して忘れてはならない事もある。ユイが教えてくれた事だ。私はそれを確認するため、ここに来ている」

「お母さんの事、聞いても良い?」

「……ユイは、強く優しい女性だった。私はユイ以上の女性を知らない。知ることも無いだろう」

「愛してたの?」

「……ああ」

 シイの問いかけに素直に答えるゲンドウからは、普段の威圧的な空気は感じられなかった。司令という仮面を外したゲンドウの目は、優しく寂しげだった。

 

「お母さんの事、もっと教えて欲しいな」

「……全ては心の中だ。今はそれで良い」

「かかあ天下だったって、ホント?」

「ごふっ、ごふっ」

 シイから突然発せられた予想外の質問に、ゲンドウは思わずむせ込んでしまう。必死に動揺を押さえ込んだゲンドウは、驚いたような視線をシイに向ける。

「だ、誰から聞いた?」

「え? 冬月先生から」

(冬月ぃぃ!!)

 この場にいない冬月に、ゲンドウは恨みの念を飛ばした。

「本当なの?」

「い、いや……それは……」

「冬月先生は、お父さんはお母さんに頭が上がらないって言ってたけど」

「……それは誤解だ」

 ゲンドウはサングラスを直すと、平静を装って答えた。

「ユイは不思議な女性だった。居るだけで周囲を元気にさせるような、そんな魅力があった。時には周りの人間を巻き込んで、大きな事を為し遂げる事もあった。そのイメージが強いのだろう」

「そうなんだ……じゃあ、亭主関白だったの?」

「……ああ」

 大量の冷や汗と、サングラス越しにキョロキョロと落ち着き無く動く目が、ゲンドウの嘘をありありと語っていた。鈍いと言われるシイでも、流石にそれが分からぬ程ではない。

(やっぱり、冬月先生の言ってた事は本当なんだ。お母さん、凄い人だったんだな~)

 シイの中では、この父親よりも強いユイの株が急上昇していった。

 

「お父さんは幸せだったの? お母さんと一緒になれて」

「ああ」

「お母さんは……幸せだったのかな?」

「それはユイにしか分からない。だが、ユイは何時も笑顔で居てくれた」

「……私が産まれても?」

 自分という存在は両親に愛されていたのか。シイが恐れていても聞きたかった事だった。

「ああ。ユイはお前を愛していた。それは私が保証する」

 ゲンドウの答えを聞いて、シイの心には喜びと同時に不安が沸き上がる。母が自分を愛してくれていたのはとても嬉しい。だが『ユイは』と言う言葉が、ゲンドウは自分を愛していないと聞こえてしまうのだ。

 聞きたい。でも怖い。シイはジレンマから身体を震わせるだけで、言葉を紡げなかった。

 

 二人の間に流れる沈黙を破ったのは、上空から舞い降りてきたVTOLの爆音だった。

「……時間だ。悪いが予定がある。先に戻るぞ」

 ゲンドウは一方的に告げ、シイに背を向けてVTOLへ向かって歩き出す。

(今聞けなかったら、もうずっと駄目だよ……っっ!!)

「お、お父さん!!」

 爆音に負けない様にシイは声を張り上げた。その声が届いたのか、ゲンドウはゆっくり振り返る。

「何だ?」

「その…………お父さんは、お父さんは……私の事を嫌い?」

 シイの叫びにゲンドウは驚いたように目を見開く。それは全く予想していない問いかけだったのか、暫し口を開けて言葉を失う。

 そんな父を真っ直ぐに見つめ、シイはただ答えを待つ。

「……嫌い、では無い」

 絞り出すようなゲンドウの答えにシイの顔が輝く。自分は父に拒絶されなかった。喜びが全身に満ちあふれ、それは涙となって目から零れ出す。

「私も、私もお父さんの事、好きだよ!」

「…………そ、そうか」

 小さく頷くとゲンドウは再びシイに背を向け、そそくさとVTOLへ乗り込んだ。その顔は照れからか真っ赤に染まっていたのだが、幸いにして娘にそれを見られる事は無かった。

 

 ゲンドウを乗せたVTOLが空へと舞い上がる。その窓から同乗していたレイが微笑みを、冬月が嬉しそうに何度も頷いているのを見たシイは、満面の笑みで手を振って喜びを伝えるのだった。

 




15話山場の一つ、シイとゲンドウの墓参りです。ユイが鎹となって、二人の距離は大きく縮まりました。元々両思いですしね。
ただこの親子、距離が縮まる度に何かしらの切っ掛けで、再び距離が遠ざかってしまう困りもの。まだまだ安心は出来ません。

次はもう一組のペアがメインの話となります。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。

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