エヴァンゲリオンはじめました   作:タクチャン(仮)

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15話 その1《変化》

 

 第一中学校の屋上でいつもの様に昼食を食べるシイ達。だがそこにレイの姿は無かった。

「なあ、碇。綾波は今日も学校に来ないのか?」

「うん……大切な実験があるらしいけど」

 ケンスケの問いにシイは歯切れの悪い返答をする。急に登校してきても大丈夫なように、レイのお弁当を用意しておいたのだが、残念ながら出番は無さそうだ。

「シイが登校してきたら、入れ替わりで綾波が休みかいな。パイロットも大変やな」

「そうだね……」

「何か心配な事があるの?」

 シイの曇った表情を見て、ヒカリが心配そうに声を掛ける。レイは三人の中でも特に任務や実験で登校しない日も多いので、シイもそれに慣れている筈なのだが。

 ヒカリの問いかけに、シイはぽつりと呟くように答えた。

「……最近、綾波さんに避けられてるみたいなの」

「「はぁ!?」」

 シイを除く全員が素っ頓狂な声をあげた。レイがシイを避けるなんて、この場にいた誰もが即座に否定するほどあり得ない事だったからだ。

 

 いの一番に反応したのはアスカが、いつも通りの調子でシイの言葉を否定する。

「あんた馬鹿ぁ? あの子があんたを避けるなんて、あるわけ無いじゃない」

「だよな。綾波って碇に一番懐いてるって言うか、心を開いてる感じだし」

「そやそや。あいつがわしらと仲良ぅなったんも、シイが居たからやろ」

「何かの勘違いじゃないかな?」

 アスカに続いて一斉にシイの言葉を否定するヒカリ達。だがシイの表情は晴れない。

「本部で綾波さんに会ったとき、逃げるように離れて行っちゃったの」

「それは……急いでたのよ、きっと」

「電話を掛けても、出てくれないし」

「出れない事情があるんじゃ無いか? 実験中とか、外部との連絡はNGとかさ」

「声を掛けても、チラッと私を見て気づかないふりをするし」

「そりゃ……あれや。人と話したらあかん実験とか……」

 トウジ達は必死にフォローするのだが話を聞けば聞くほど、本当にレイがシイを避けているとしか思えなくなった。特に声を掛けても無視をするのは擁護のしようが無かった。

「私、綾波さんに嫌われちゃったのかな」

 目に涙を溜めて俯くシイ。下手な慰めは逆効果と悟って、トウジ達は声を掛けられない。漂う暗い空気を破ったのは、やはりアスカだった。

 

「あ~も~じれったいわね。そんなの、本人に直接確かめれば良いでしょ」

「だから、避けられて話すら出来ないんだろ」

「話聞いとったんか」

 ケンスケとトウジの言葉をアスカは一蹴する。

「あんた達馬鹿ぁ? だから避けられない状況で確かめるのよ」

「え?」

 立ち上がるアスカにシイは驚いたように顔を上げる。

「良い、シイ。狩りの基本は獲物の逃げ道を塞ぐ事。外堀を埋めてから仕留めるのよ」

「あ、アスカ。もう少し言葉を選んだ方が……」

「どうすれば良いの?」

 ヒカリのフォローを遮って、シイはアスカのスカートにしがみつく。潤んだ瞳で自分を見上げるシイに、アスカは内心の動揺を悟られないよう、咳払いを一つして話し始める。

「つまり、密室に二人っきりになっちゃえば良いの」

「でも、そんな場所無いよ。綾波さんはずっとネルフ本部に居るし」

「ふふん、あるのよね、これが。入ったら最後、自分の意志で出られない場所が」

 自信満々に告げるアスカだったが、シイには全く心当たりが無い。

「そんな場所……あったかな?」

「お膳立てはあたしがしてあげる。その代わりあんたはしっかりレイと話をつけるのよ」

 ニヤッと笑うアスカの頼もしさに、シイは今日初めて見せる笑顔で頷いた。

 

 

 芦ノ湖上空を飛行するVTOLの中では、ゲンドウと冬月が向かい合わせに座っていた。搭乗してから無言が続いていたが、やがて冬月が会話を切り出す。

「碇、老人達は相当苛ついているぞ」

「そうか」

「キール議長から直接文句が来た。俺の所にな」

「適当にあしらっておけば問題ない」

 興味なさそうに答えるゲンドウに、冬月は小さくため息をつく。

「少しは俺の身になってくれ。ひたすら嫌味を聞くのは、この老体には少々堪える」

「文句はキール議長に言え。こちらは順調に計画を進めているのに、何が不満なのだ」

 少し皮肉を込めた冬月の小言にも、ゲンドウは全く悪びれた様子を見せない。本気で言っているのか、単に図太いだけなのか。

「肝心の人類補完計画が遅れているからだろう」

「それも修正誤差の範囲内だ。全てがゼーレのシナリオ通りに、進むはずが無いと言うのに」

「馬耳東風か。どうりで俺に文句を言う訳だ」

 この男には嫌味も皮肉も通じないと、冬月は諦めたように肩をすくめた。

 

「ところで、レイの件は聞いているか? シイ君との接触を避けているらしいが」

「……問題ない。我々の計画には寧ろ好都合だ」

 ゲンドウはシイとレイの交流を、不安要素として捉えていた。理由は不明だがそれが勝手に解決されたのなら、追求する必要も無いだろう。

「果たしてそうかな? レイがシイ君を避ける理由、そう多くは無いぞ」

「冬月、何が言いたい?」

 拘りを見せる冬月に、ゲンドウはサングラス越しに鋭い視線を向ける。

「油断していると、足下を掬われると言うことだ」

「ふっ。既に歯車は回っている。それを止める事は誰にも出来んよ」

「だと良いがな」

(取るに足らん小さな石が、巨大な歯車を止めることもある。気づかぬふりをしているのか、それとも……)

 自信に満ちたゲンドウの言葉に冬月は小さな不安を抱いたが、あえて口には出さなかった。変わりにもう一つゲンドウに確認しておきたかった事を尋ねる。

「それと、あの男はどうする?」

「好きにさせておくさ。まだ利用価値がある」

 予想通りの答えだったが、冬月は一応現状報告を付け加える。

「今はマルドゥックを探っているようだぞ」

「無駄な事を……。所詮個人では限界がある。あの男もその内気づくだろう」

 嘲るようなゲンドウの言葉だが、冬月もその点は同意する。ネルフという組織は、個人で挑むにはあまりに大きすぎるのだ。

「特殊監査部主席監査官。確かに切るには勿体ない人材ではあるな」

「利用出来る内は泳がせておけば良い。我々の計画にとって、何の障害にもなり得ないよ」

 ゲンドウは唇を笑みの形に歪め、余裕の態度を崩さずに冬月へ告げた。

 

 

 

 平日の昼下がり、白いジャケットに茶色のズボン姿の加持は一人、京都の町を歩いていた。勤務中である筈の彼が、第三新東京市から遠く離れた京都に居るのは、少々奇妙な光景だ。

(京都……十六年前のここが、全ての始まりか)

 古い町並みを歩きながら加持は思考を巡らせる。シイの実家、つまり碇ユイの実家があり、冬月が教鞭を奮っていた大学もある。そしてゲンドウも当時、ここで生活していたとの情報もあった。

(役者が揃っていた舞台。一体どんな演目だったのやら)

 加持は尾行を警戒しながら入り組んだ路地を何度も曲がり、やがて一軒の廃屋へと辿り着いた。

 長い間人の手が入っていない廃屋は、埃とカビの臭いが充満している。加持はハンカチで口元を隠すと、廃屋を隈無く調べるが何も発見できなかった。

(どうやら、ここもダミーだったか……ん?)

 自分が入った場所とは違う出入り口、そこに人の気配を感じて加持は緊張感を高める。懐に忍ばせた拳銃を握ると、壁沿いにゆっくりとドアへと近づいていく。

 僅かに開いたドアの隙間からは、明かりがうっすらと暗い室内に漏れている。加持は不意の襲撃にも対応できるよう、身体を緊張させながらそっと外の様子を窺った。

「……はぁ、あんたか」

 気配の正体を知り、加持は僅かに安堵したように銃から手を離す。加持が隙間から覗く外には、五十台と思われる女性が石段に腰を下ろして、暇そうに雑誌を読んでいた。

 加持と視線を合わせないまま、女性は気怠げに言葉を発する。

「わざわざこんな場所まで来るとは、ご苦労な事だな」

「って事は、やはり」

「ああ。マルドゥック機関と繋がる企業の本社。だがここは九年前から、この姿のままだよ」

「みたいだな。これで繋がりがあるとされる企業108の内、107がダミーだった訳だ」

 女性の言葉に加持は興味深そうに答える。自分の姿を廃屋の中に隠しているので、外からは女性が独り言を喋っているように見えるだろう。

「マルドゥック機関。エヴァンゲリオン操縦者選出の為に設立された、人類補完委員会直属の諮問機関。だがその実態は不透明。ここまで来ると、実態があるのかすら疑わしいな」

「興味を持つのは勝手だが、自分の仕事は分かっているのか?」

 咎めるような女性の言葉に、加持は苦笑しながら頷く。

「ネルフの内偵、だろ。まあそっちはそれなりにやってるよ」

「貴様は優秀だが、それでもマルドゥックに首を突っ込むのは不味いぞ」

 自分の身を案じてくれている女性に、加持は感謝したが引くつもりは無かった。彼は目的の為なら、既に命を捨てる覚悟をしているのだから。

「真実を知りたいだけさ。その為には、自分の目で見るのが一番確実なんでね」

「……政府内に、貴様の動きを問題視する動きがある。気を付けろ」

「忠告感謝するよ。じゃ、他にも回りたい所があるから、これで」

 加持はそのままドアから離れると、反対側の出口から廃屋を後にした。

 

(さて、どうするか。折角だし、碇家を見ておきたい所だが……少し厳しそうだな)

 シイの実家である碇家は、強い影響力を持つ名家だった。それも表の世界だけでなく裏の世界にも、あのゼーレにすら発言力があると言われている。

(ここでリスクを負うのは好手では無いな。となると、あそこに行ってみるか)

 碇家との接触を諦めた加持は、その足で京都大学へと向かった。

 

「冬月教授、ですか?」

「ええ。既に退職されていますが、何か資料が残っていれば見せて頂きたいと思いまして」

 大学の事務室にやって来た加持は事務員の女性に尋ねてみる。女性は突然現れた加持に、疑いの眼差しを向けて言葉を止めてしまう。

「ああ、失礼。私はこういう者です」

 加持は軽く微笑みながら、懐から取り出した名刺を女性に手渡す。そこにはネルフの監査官ではなく、日本政府の調査員と言う身分が記されていた。

「日本政府の方が、一体どの様なご用件でしょうか」

「いえ、これは個人的な事ですよ。実は以前冬月教授にお世話になりましてね。是非お会いしたいと思ったのですが現在も行方が知れず、こうして少しでも手がかりを探していたのです」

 加持の似合わない丁寧口調の説明に女性は警戒を解いたが、すまなそうに首を横に振る。

「そうでしたか。ですが申し訳ありません。こちらにはデータが残っていないようです」

「……お手間を取らせました」

 加持は一礼すると、事務室の窓口から離れて外へと歩き出した。

 

(やれやれ、無駄足だったか)

 空振りに終わった調査に、加持が自虐的な笑みを浮かべながら歩いていると、

「ちょいとお待ち」

 不意に背後から声を掛けられた。

 警戒を怠らずに静かに振り返るとそこには、清掃員の制服を着た老女が立っていた。

「私、ですか?」

「そう、あんただよ。あんたさっき、冬月センセの事聞いてたよね?」

「ええ」

 老女の意図が読めず、加持は緊張したまま小さく頷いた。

「行方を調べるには役に立たないだろうが、昔話で良かったら聞かせてあげるよ」

「失礼ですが、貴方は?」

「あたしはここで、もう四十年以上働いてるのさ。冬月センセにも、当然会ったことがあるよ」

 ニヤッと笑う老女に加持は一瞬迷う。だが直ぐさま頷き、話を聞くことにした。例え無駄であろうとも、今は少しでも多く情報が欲しかったのだ。

 

 中庭のベンチに並んで座ると、老女は昔を懐かしむ様に語り始めた。

「冬月センセはね、いい人だったよ。教授ってのは変な人が多かったけど、あの人は別だね」

「確かに、人間が出来てらっしゃった」

 社交辞令では無く加持は本当にそう思っている。アクの強いゲンドウがネルフの司令で居られるのは、間違い無く副司令である冬月の人柄と能力によるところが大きい。

「生徒さんにも好かれててね、良く飲みに誘われてたよ」

「なるほど。冬月教授がどんな研究をされていたかは、分かりますか?」

「前にちょっと聞いたけど、難しい言葉が並んでたね。あたしにはさっぱりだったよ」

 老女は楽しそうに笑う。京都大学は日本でも一二を争う程の難関大学で、そこの教授の研究ともあれば一般人に理解出来なくても無理は無いだろう。

「でも、冬月センセもセカンドインパクトの調査隊に参加してから、帰ってこなかった」

「一度も?」

「そうさ。生徒さんたちは悲しんでたね。人望のある人だったから」

(情報通りだな。セカンドインパクト以降、副司令は表向き消息を絶っている)

 加持は自分の持つ情報と照らし合わせ、納得したように頷く。

「冬月教授は、何故調査隊に参加されたのでしょう」

「さぁね。正義感の強い人だったから、ジッとしてられなかったんじゃ無いかね」

「なるほど」

「あ~そう言えば、冬月センセの生徒さんも一人、あれ以来来なくなった子が居たね」

 誰だったか、と老女が頭に手をあてて思い出そうとする隣で、加持は一枚の写真を取り出すと、それを老女の前に差し出した。

「もしかして、碇ユイさんでは?」

「そうそう、ユイちゃん。この子は美人で良い子だったから、良く憶えてたんだよ」

 嬉しそうに笑う老女に、今忘れてただろと突っ込むのは無粋だろう。加持は自分が求めている情報に近づいた手応えを感じ、更に話を聞き出そうとする。

「彼女は冬月教授の生徒だったのですか?」

「お気に入りだったみたいだよ。久しぶりに優秀な生徒が入ったって、冬月センセが嬉しそうに話していたから。でもね……」

 そこまで喋ると老女は顔を曇らせる。

「質の悪い破落戸に引っかかったって話を聞いたよ。ユイちゃんはお嬢様な所があったから、冬月センセも心配してたんだけど」

「そうでしたか。その男を見たことはありますか?」

「あたしは無いけど、冬月センセは会ったらしいね。ブツブツ文句言ってたから」

「教授は潔癖な方ですからね、余計でしょう」

「はっはっは、そうそう」

 加持の言葉に老女は楽しそうにまた笑う。自分の知っている人の話題を共有する事で、気持ちはセカンドインパクト前に戻っているのかもしれない。

「良く愚痴ってたよ。『六分儀が……』とかね。ま、大切な生徒を取られた嫉妬もあったかもね」

「六分儀……。なるほど」

 その老女の言葉で、加持は役者が揃ったことを確信した。

「はぁ~今頃何をしてるのかね~」

「……お忙しい中、ありがとうございました」

 当時を懐かしむように、空を見上げる老女。これ以上情報を得る事は出来ないだろうと、加持はお礼を告げるとベンチから立ち上がる。

「もし冬月センセに会えたら、一度は顔を出すように言っといてね」

「ええ、必ず」

 加持は老女に約束すると、京都大学を後にした。

 

 

(碇ユイと碇司令、それを結びつけたのが副司令か)

 京都の町を歩きながら、加持は思考を続ける。当初の予定とは大分違った形だったが、想像以上の収穫を事が出来た。

(恐らくこの時、ゼーレとの繋がりも持った筈だ。いや、それが狙いだったのか)

 碇ゲンドウという男は、目的の為には手段を選ばないと加持は認識している。大きな組織と接触するために、世間知らずのお嬢様に手を出したと考えるのが自然だった。

(妻の面影を残す娘を、捨てたくらいだ。愛情は無かったんだろう)

 加持は脳内で推論を組み立てていく。

(だとすると、碇ユイに酷似している綾波レイを大切に扱うのは、何か別の理由があるって事か)

 ゲンドウがレイに対してだけ甘い、と言うのは加持も耳にしていた。愛した妻に似ているならそれは理由になり得るが、妻への愛情が無いのならば、それ以外の理由があるはず。

(碇ユイと綾波レイの関係。綾波レイの正体。鍵はそこにある筈だ)

 加持は小さく頷くと、第三新東京市への帰路についた。

 

 




あの事故を切っ掛けに話が動き出しました。レイを巡ってシイとアスカが、謎を巡って加持がそれぞれアクションを起こしています。
果たして彼らの行動が、未来を変える一手になるのか。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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