エヴァンゲリオンはじめました   作:タクチャン(仮)

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14話 その4《刻まれた記憶》

 

 零号機の事故より数時間後、人類補完委員会の会議に出席していたゲンドウが司令室に戻ると、彼の帰りを待っていた冬月が声を掛けてきた。

「老人達はご立腹だったようだな」

「文句を言うのが仕事の下らぬ連中だ。問題は無い」

 執務机に肘を着き、普段通りの口調でゲンドウは答える。応接スペースに腰を掛け、詰め将棋を指していた冬月は、ゲンドウに顔を向けずに話を続けた。

「実験の話は聞いたな?」

「ああ。だがダミーのデータは充分取れている。何も問題は無いよ」

「意識を取り戻したシイ君は、錯乱状態だったそうだ」

 パチン、と強い音を立てて冬月は駒を盤に叩き付ける。口調こそ変わらないが、その音が冬月の心情を無言で示していた。

「……冬月、シイに拘るな」

「大切なパイロットだ。心配するのは当然だろう」

「所詮は駒、計画のための道具に過ぎない」

「碇、その言葉をシイ君の前でも言えるか?」

 冬月の問いかけにゲンドウは答えず、二人の間に無言の気まずい空気が流れる。司令室には冬月が鳴らす駒の音だけが寂しく響く。

「いずれにせよ我々には時間がない。後戻りなど出来ないのだ」

「分かっている。それで、老人達はあしらえたのだな?」

「ああ。切り札は全てこちらにある。彼らには何も出来んよ」

「あまり焦らしすぎるなよ。今ゼーレに動かれるのは厄介だぞ」

「全てはシナリオ通りだ。我々のな。何も問題ない」

 揺るぎないゲンドウの言葉に、冬月は初めて視線をゲンドウに向ける。

「零号機の事故もか? あれは俺のシナリオには無かったぞ」

「……修正の範囲内だ。その後行ったレイと零号機の再シンクロは、問題なく終了している」

「ロンギヌスの槍は?」

「それも問題無い。作業はレイが行っている」

(お前こそレイに拘り過ぎだ。……レイは既に、お前の人形から変わりつつあるのだぞ)

 再び無言で詰め将棋を行う冬月は、胸中に渦巻くゲンドウとシナリオへの不安を告げる事は無かった。

 

 

 同時刻、ネルフ本部の最深部、ターミナルドグマの通路を零号機が歩いている。その手には先端が二又に分かれた、赤黒い槍の様な物が握られていた。

 暗い通路をゆっくりと歩き進む零号機。そのプラグ内ではレイが無表情で零号機を操る。

(……碇さん)

 無感情の顔とは対照的にレイの心は乱れていた。その原因は昼の事故。シイの事が心配だったと言うのも当然あるのだが、それ以上に彼女の気持ちを乱す物があった。

(……多分、碇さんは私を知った。知られてしまった)

 零号機からの浸食。それから考えられる事は、シイへの情報の逆流だ。あの後面会が出来なかった為、実際にシイの身に何が起きたのかは分からない。何も無かったのかもしれない。

 だがシイが目覚めた直後に錯乱していたと言う事実が、レイの予測が正しいことを証明してしまっていた。

(私を知っても、碇さんは私を友達として見てくれるの? それとも……)

 不安を抱えたままレイは無表情の仮面を被り、淡々と作業を続けるのだった。

 

 

 

 翌朝、目覚めたシイが最初に見た物は、すっかり見慣れてしまった病院の天井だった。

「あれ……どうして私ここに」

 寝起きは良い方なのだが、今朝はどうにも頭が重い。鎮静剤の副作用なのだが、記憶の混濁からかそれを思い出せないシイは不思議そうに首を傾げる。

(風邪引いたのかな)

 熱を確かめようと、額に手を当てようとして、シイは自分が置かれている異常な状況に気づいた。

「な、何これぇ!?」

 シイの身体は皮のベルトでベッドに固定され、首から下が動かせないようになっていた。どうにか身体を動かそうともがくが、どうにも外せそうに無い。

(私……誘拐された?)

 勝手にマイナス方向に嫌な想像をして青ざめるシイ。何とかベルトの拘束から逃れようと身体をよじっていると、不意に声を掛けられた。

「お、おはよう」

 唯一動く首を必死にあげて声の主を確かめようとすると、そこにはおかしな光景が広がっていた。

 医師と数名の看護師が、自分が寝ているベッドを取り囲むように立っていたのだ。それも全員が腫れ物に触るように、引きつった笑みを浮かべていたのだから、それは異様としか言いようが無い。

「……おはようございます」

 状況を理解出来ないシイは、ひとまず挨拶を返してみる。すると何故か医師達は安堵したように、肩の力を抜いて大きく息を吐いた。

 ますまず理解不能の状況に、シイは首を傾げながら医師達に向けて問いかけてみる。

「あの~どうして私、こんな事になってるんでしょうか?」

「ん、ああすまないね。少々身体の固定が必要な治療だったんだ」

「治療? ……そうだったんですか」

 中年の医師の言葉にシイは少し驚きつつも素直に納得する。どうも記憶がハッキリしないが、病室に居る以上、何らかのトラブルが自分に起きたのだろうと判断したからだ。

「えっと、治療はもう終わったんでしょうか? 出来ればこれを外して貰いたいんですけど……」

「そうだね……うん、大丈夫だろう」

 医師は少し悩んでからベルトを外す許可を出した。するとシイを取り囲んでいた看護師達が、手際よくベルトからシイの身体を解放していく。

「ごめんね、苦しかったでしょ」

「いえ、全然。気づいたのはついさっきでしたから」

 謝罪する看護師にシイは気にしていないと笑顔を向ける。今さっきまで拘束されていると気づいて無く、自分の治療のためなのだから、不満などある筈が無い。

「でも、私は何でここに来たんでしょうか。病気じゃないし、怪我もしてない見たいですけど」

「えっ! 碇さん……憶えていないの?」

 何気ない呟きに病室にいた全員の顔色が変わる。それはシイの不安をかき立てる反応だった。

「憶えてないって、何をですか?」

「貴方は昨日……」

「君! 余計な事を言うんじゃない!」

 何かを話そうとした看護師を、医師が厳しく叱責する。だがその声はシイの耳には届いていなかった。

(昨日? 昨日私は……零号機に乗って………………)

 看護師の言葉を切っ掛けに、頭の奥底に閉じこめられていた記憶が徐々に蘇ってくる。あまりに強烈な記憶。それは激しい動悸と発汗をシイにもたらした。

「そう……私は……」

 震える身体を抱きしめながら、うなされるように呟くシイ。その様子に医師と看護師達は、先日の錯乱が再び起こる事を危惧し、緊張の面もちでシイを見つめる。

 朝日が差し込む病室に、場違いな緊迫した空気が流れる。その中心に居るシイは、やがて何かに納得したように小さく頷くと、顔を上げて医師達を見た。

「私、昨日暴れたんですね。ごめんなさい、ご迷惑をかけてしまって」

「い、いや、気にしないでくれ。それも我々の仕事だからね」

「もう大丈夫です。落ち着きましたから」

 言葉を裏付ける様に、シイの表情には精神の安定が感じられた。ホッと胸をなで下ろした医師は、検査のために今日一日の入院を告げて、看護師と共に病室から去っていった。

 

 

 静寂が包む一人きりの病室で、シイは天井を見つめて物思いに耽る。

(……綾波さんは、ヒトじゃ無かったんだ)

 零号機から逆流してきた情報を整理して、シイは自分なりの結論を出した。自分でも不思議な程落ち着いていられるのは、昨日錯乱という形で感情を爆発させたお陰かも知れない。

(それは良いの。綾波さんが誰であっても、友達には変わらないもん。でも……)

 シイが感じる不安、それはゲンドウの存在だった。

 オレンジ色の液体で満たされた円柱状の水槽。その中に身を委ねるレイと、そんな彼女を見つめるゲンドウの姿を、シイは零号機から見せつけられていた。

(お父さんは綾波さんの事を知ってる。何かをさせようとしてる)

 それが何かは分からない。だがどうしても悪い予感を振り払うことが出来なかった。

(私は綾波さんの事も、お父さんの事も何も知らない。知ろうとしなかった……逃げてたんだ)

 レイが母親であるユイとそっくりな事を、シイは気づいていた。だが気づかないふりをしていた。その先にある真実を知るのが怖かったからだ。

「逃げちゃ駄目、だよね。私は綾波さんの友達でお父さんの娘、碇シイなんだから」

 小さな拳をギュッと握り、シイは逃げずに立ち向かう決意を固めた。

 




レイの正体……と言いますか、ヒトでは無いことをシイは知りました。逃げずに向き合えれば、希望は見えてくるはずです。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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