エヴァンゲリオンはじめました   作:タクチャン(仮)

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10話 その5《灼熱の死闘》

 

 パイプによって引き上げられる弐号機の眼前で、使徒はマグマの中を優雅に泳ぐ。平べったい身体に長い二本の腕が着いた異形の姿は、海の使徒と違い深海魚のイメージをアスカに与えていた。

「ぶっさいくな奴ね。こりゃ煮ても焼いても食えそうに無いわ」

 気を奮い立たせる為に強がりを言うが、圧倒的不利な状況であることをアスカは自覚していた。D型装備は戦闘行動を想定していないことに加え、唯一の武器であるナイフも失っている。今の彼女に攻撃手段は無いのだ。

『アスカ、今初号機がナイフを投下するから受け取って』

『受け取ってぇぇ!』

 ミサトの声と同時に、シイは叫びながらナイフを投げ込んだ。勢いよく火口に飛び込んだナイフだったが、粘性の高いマグマの中では沈降速度は限りなく遅い。

「……来る」

 速度計算をしていたアスカは、使徒が自分に向かってきた事を察し、グッと歯を食いしばる。避ける事も出来ない状態では、使徒の突進を受け入れるしか無かったからだ。

 十分に勢いをつけた使徒は、無防備な弐号機の正面からその身体を思い切りぶつける。

「くぅぅぅ」

 D型装備の装甲が大きく凹み、強い衝撃がプラグ内のアスカにも伝わる。それと同時に弐号機を引き上げているパイプが、三本断ち切られてしまった。

 そのまま使徒は両手で弐号機を抱きしめた。強い力で圧力を掛けられた装甲が悲鳴を上げるが、アスカは視線を上に固定したまま耐える。

「……来たっ!」

 やがて視線の先に、ゆっくりと沈降してきたナイフの影が映った。身をよじって使徒のホールドから弐号機の右腕を外すと、先端のフックでナイフを掴む。

「これで!!」

 ナイフを握った右手を、そのまま使徒の顔と思われる部位に突き立てる。発光する刃が使徒の皮膚と衝突し、激しい火花を散らせるが、使徒の身体を貫くことは出来なかった。

「何よこいつ、硬い……」

『高温高圧の状況下に耐えられる身体……プログナイフじゃ歯が立たないわ』

「だからって、諦めらんないでしょ!!」

 何度も使徒の身体にナイフを突き立てるが、傷つける事すら出来ずに弾かれてしまう。その間にも使徒の両手は、弐号機の身体を容赦なく締め付け続けていった。

 

「こりゃ、外に出るまで持たないかもね……」

 火口まで辿り着ければ、待機しているシイの援護を期待できるのだろう。だが冷却液を供給するパイプが断ち切られたことで、D型装備の装甲強度は低下しており、とても使徒の圧力に耐えられそうになかった。

『アスカ、アスカ、アスカ』

「何度も呼ばなくても、一度で聞こえるわ」

『アスカ逃げて!』

(どうやって逃げろってのよ)

 混乱しているのが丸分かりなシイの悲鳴に、アスカは思わず苦笑を漏らす。自分以上に焦っているシイのお陰で、アスカは不思議と落ち着いていられた。

「そんな情けない声出さないでよ。こっちはサウナ気分で居るんだから」

『だって……』

「そっちに戻る頃には、あんたが驚く程スリムになってるかもね。もう冷やせ、何て言わせないわよ」

『アスカは充分スリムだってば! あの時はつい…………あの時』

「……熱膨張……」

「『あぁぁぁ!!』」

 二人は同時に閃いた。これだけの高熱環境下に居る使徒を、冷やしたらどうなるのか。そう思いついてからのアスカの行動は早かった。

 弐号機の左腕で先程切断されたパイプを掴み、弐号機へ絡みつく使徒の口へと突っ込む。

「冷却液を全部このパイプに回して! 早く!!」

『そうか! マヤ、冷却液を四番に集中するのよ』

『はい!』

 マヤが端末を操作し、D型装備を維持させていた冷却液を全て使徒へと流し込む。D型装備が高熱に歪み損傷するが、それ以上に使徒へ与えたダメージは大きかった。

 体組織を急速に冷却された使徒は身体を収縮させる。急激な温度変化に対応出来なかった使徒の身体は、瞬く間に崩壊していった。

「これで、どうよぉぉぉ!!」

 トドメとばかりに弐号機が、使徒の身体にナイフを突き立てる。先程までの強度を失った使徒は、ナイフで身体を切り裂かれ、力無く弐号機を抱きしめていた手を解く。

「ふふん、作戦完りょ……!!」

 勝ち誇ったアスカだったが、その顔が一気に青ざめる。離れ際に振るわれた使徒の腕が、弐号機を引き上げているパイプを切り裂いてしまったのだ。

 残ったパイプは僅かに一本。それも半分が破損し、今にも千切れそうな頼りない物だった。頭上が明るくなり、間もなく帰還というタイミングだが、とても持ちそうにない。

『アスカ!』

 その様子をモニターしていたミサトが、悲痛な叫びをあげるが状況は変わらない。高温高圧に晒されたパイプはみるみる溶解していく。

「……ここまでなの? こんな冴えない終わり方……やだな」

『アスカ! アスカぁぁ!!』

「……結局、あんたを一人にしちゃうわね。まあレイが居るか……」

 泣き叫び自分の名を呼ぶシイに、アスカは諦めたように呟く。あまりに特殊な状況の為か、未だに死への実感が沸かず、取り乱すことは無かった。

 やがて最後の命綱が切れ、アスカは火口目前から灼熱の底へと逆戻りしていく。

 

 身体が沈んでいく感覚に、アスカはそっと目を閉じる。その時、強い衝撃がアスカを襲った。

『アスカぁぁ!!!』

「……シイ?」

 アスカが驚いて目を開けるとそこには、パイプを掴んで弐号機を引き留める初号機の姿がハッキリと見えた。

『アスカ! もうちょっとだから、頑張って!』

「あんた……流石に無茶しすぎじゃないの」

『アスカが居なくなっちゃうのに比べたら、こんなの全然平気だもん!!』

 通常装備の初号機はマグマの熱で、全身の装甲を破損していく。相当のフィードバックダメージがある筈だが、それでもシイは決して弐号機を掴んだ手を離そうとはしない。

『シイちゃん良くやったわ。今引き上げてるから、後少しの辛抱よ』

『はい……』

 ゆっくりとパイプが上昇し、初号機と弐号機は徐々に外へと引き上げられていく。初号機の装甲は半分が融解してしまい、露出した内部素体が熱に焼かれた事でシイに激しい苦痛を与え続ける。

『……ぅぅぅ』

(馬鹿、無理しちゃって……本当に馬鹿なんだから)

 スピーカーから僅かに洩れ聞こえるシイのうめき声に、アスカは自分の情けなさとシイへの申し訳なさ、そして初めてに近い感謝の気持ちを抱くのだった。

 

 

 二機のエヴァがマグマから生還すると、地上の指揮車両は歓喜の叫び声に包まれた。

「初号機の損傷が酷いわね。弐号機と合わせて、直ぐにでも本部で修復作業に入るわ」

「分かったわ。私も同行する?」

「あなたは、パイロットのアフターケアがあるでしょ」

 作戦中にした温泉の約束をリツコはミサトに指摘する。極限状態から戻った彼女たちには、ゆっくりと心を休める時間が必要だった。

「ここから近くの温泉旅館を取ってあるわ。アスカとシイさんの保護者役、よろしくね」

「……そうね。大分無茶させちゃったし、一緒に温泉でも入って心の交流をしようかしら」

 緊張をほぐすように、大きく背伸びをしながらミサトは軽く答えた。が、その瞬間、指揮車両に詰めていた全スタッフから敵意の籠もった視線を受けて思わずたじろぐ。

「え!?」

「ミサト、言葉に気を付けた方が良いわよ。シイさんと一緒に入浴なんて……」

 パキンっと、リツコの手に握られたボールペンが砕ける。ポタポタと床にたれ落ちるインクと微かに震える肩が、リツコの気持ちを充分に代弁していた。

「いや~女同士だし、裸の付き合いってのも……」

「そう……じゃあ私は本部に戻って司令と副司令に事態を報告するから。今月の給料明細が楽しみね」

「保護者として節度ある態度を取り、入浴の強要などは一切行いません」

 理不尽な突き上げに深々と頭を下げるミサト。知らぬ間に減給を受けていた事もあり、彼女のビールライフは予断を許さぬ状況だったのだ。

 どうにか見逃されたミサトは、回収されたシイ達と共に温泉旅館へと向かった。

 

 

 古風な温泉旅館に到着したシイ達は、早速温泉で疲れをとる事になった。美しい夕日を臨める露天風呂は、身体のみならず心の疲労も癒してくれる。

 ミサトとアスカが露天風呂を堪能する中、

「痛いぃぃぃぃ」

 シイは全身を襲う苦痛に悲鳴を上げていた。

 灼熱のマグマに飛び込んだ代償は、初号機の損壊だけでなく搭乗者であるシイの身体にも及んでいた。高熱のフィードバックダメージとして、全身が日焼けの様な状態になっていたのだ。

 そんな状態で温泉に入ろうとすれば、かなりの痛みがあるのは当然と言える。

「あんたね、マグマに比べれば全然楽勝でしょ」

「うぅぅ、身体中がひりひりするよ~」

「リツコが咄嗟にシンクロを半分カットしてなければ、今頃は病院直行よ。後でお礼言って置きなさいね」

「はい……」

 シイは肌を針で突き刺される様な痛みに耐えながら、ようやく身体を温泉へと沈める。少しでも動くたびに痛みが走るが、それでも徐々に慣れてきた。

 

「本当に良くやってくれたわね」

「楽勝よ、楽勝。最初から捕獲なんて言わないで、殲滅の方が良かったんじゃない?」

「碇司令の判断よ。生きた使徒のサンプルが、余程貴重なんでしょうね」

 表にこそ出さないが、ミサトはゲンドウに対して強い不満と疑問を抱いていた。今回の命令は取りようによってはアスカの命よりも、サンプルの方が大切だと取れるからだ。

「ふ~ん、じゃあ今頃碇司令はお冠?」

「大丈夫よ。使徒の殲滅がネルフの使命であることは、変わらないんだから」

「なら良いわ。戻って直ぐ小言貰うなんて、冗談じゃ無いもの」

 アスカとミサトが会話する様子を、シイは羨望の視線で見つめていた。

(……アスカも凄いけど、ミサトさんはもっと凄い……はぁ)

 自分との圧倒的戦力差に思わずため息が零れる。これから成長すると強がってはいるが、正直二人を前にしてその自信は大きく揺らいでいた。

「ん、どうしたのシイちゃん」

「はっは~ん。さては温泉で暖めて熱膨張を期待してるのね」

「ち、違うもん。別に羨ましいとか思ってないから」

 語るに落ちるとは正にこの事だろう。ニヤニヤと笑みを浮かべるアスカに、ミサトも事情を理解して苦笑を浮かべている。

「大丈夫よシイちゃん。貴方はこれから成長するんだから」

「本当ですか!?」

「……きっとね」

「…………」

「……多分」

「…………」

「……覚悟はしといて」

 そっと目を背けるミサトに、シイは泣きたくなった。

 

 三人は岩で出来た温泉の淵に腰掛け、火照った体を冷ます。そこでシイは初めて、ミサトの胸に大きな傷痕があるのに気づいた。

(何の傷痕だろ……手術とかかな)

「ねえミサト、その胸の傷」

「ああ、これ?」

 アスカに指摘されたミサトは、胸の傷を指差し苦笑する。服を着ていれば見えない位置にあるのだが、決して小さな傷跡では無い。

「セカンドインパクトの時にちょっち、ね」

「加持さんからも聞いたけど、やっぱ大変だったんだ」

「そうね。だからもう二度と、あんな悲劇を起こすわけには行かないの」

「だからネルフに入ったんですか?」

「ま、色々とね。流石に素面じゃ語れない話よ」

 シイの問いかけをミサトは冗談交じりにさらりと流す。それっきりミサトはその話を語ることは無かった。

 

 のぼせかけたシイが一足先に温泉から出ていき、アスカとミサトは二人並んで空を見上げる。

「……ねえミサト」

「ん、どうしたの?」

「あの子、父親に捨てられたって……本当?」

 アスカは以前から気になっていた事を尋ねてみる。

「シイちゃんから聞いたのね。私も詳しくは知らないけど、碇司令が幼いシイちゃんを奥さんの実家に預けて、十年近く音信不通だったのは確かみたい」

「母親は?」

「その前に亡くなったそうよ。そして直後に父親も居なくなった……」

 ミサトが知っている情報はネルフが行った簡単な身辺調査データと、シイから聞いた話だけだが少なくとも、幼い彼女が両親の元から離れて育ったのは間違いない。

「そう……なんだ」

「気になる?」

「べ、別に。ただ一人になるのを異常な位怖がってたから」

 そう呟くアスカの表情は何処か寂しげに見えた。

「……あたしの事も、ミサトは知ってるのよね」

「ま、ね。貴方とシイちゃんは似てるわ。大切な人が自分から離れていく怖さを知ってる」

「あたしは違うわ。自分の力で……え!?」

 反論しようとしたアスカは、不意にミサトに抱きしめられ言葉を失う。

「アスカ、これだけは覚えておいて。私はネルフ作戦部長であると同時に、アスカの家族でもあるわ。だから……少しは弱さを見せても良いのよ」

「……余計なお世話よ」

 突き放すような言葉とは裏腹に、ミサトの胸に隠れたアスカの顔には、少しだけ穏やかな笑みが浮かんでいたのだった。

 




少しずつですがミサトとアスカ、そしてシイの関係が深まっていきます。エヴァの物語がシリアスなのかコメディなのか、原作でもこの三人の関係が表現していたと思いますので、この家族が崩壊しないことが、ハッピーエンドの条件だと思っています。
TSの影響が大きく出る部分でもありますね。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。

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