「エントリープラグ挿入完了。LCL注水開始」
マヤが告げると、プラグの中に黄色の液体が流れ込んでいく。
『きゃぁぁ、な、何これぇぇ!?』
「落ち着いて。それはLCLと言って……」
『止めて下さい~』
パニックになって叫ぶシイ。
「あのね、それは貴方に害するものじゃないから」
『怖いよ~』
涙目で訴えるシイ。
情けない姿に、ミサトが一喝入れようかとする前に、
「いかん。パイロット保護を最優先。LCLの注水を中断しろ」
「はいっ!」
冬月の指示でマヤがキーボードを素早く操り、プラグへの注水がストップした。
「……へっ?」
信じられない展開にミサトは惚けた視線を冬月へと向ける。だが冬月は素知らぬ顔でシイに語りかけた。
「すまんねシイ君。事前に説明しておくべきだった。申し訳ない」
『そ、そんな、こちらこそすいません。取り乱してしまって』
見知らぬ老人声の謝罪に、シイは恐縮してしまう。
「赤木君、説明を」
「はい。いいシイさん、その液体は……」
リツコは起動が途中で止められたにもかかわらず、嫌な顔一つせずに説明していく。自分の知らない友人の姿に、ミサトは口をあんぐりと開けたまま固まってしまう。
「……簡単だったけど、分かったかしら?」
『はい。この水がエヴァに乗るのに必要なんですね』
「肺を満たすから苦しいとは思うけど……」
『が、頑張ります』
不安げな顔ながら、グッと両拳を胸の前で握るシイ。
((け、健気だ))
男女問わず、少女の姿に心を打たれていた。
「じゃあマヤ、続けて」
「はい。LCL注水再開」
再びプラグ内にLCLが流れ込む。ねっとりとした粘着質の液体に、シイは嫌悪感に必死に耐える。LCLは徐々に水位を増していき、シイの足を飲み込んでいく。
ようやく起動できる、とミサトが胸をなで下ろしていると、
『ちょ、ちょっと待って下さい!!』
シイの切羽詰まった声が響き、ミサトは思い切りずっこけた。
「今度は何!?」
『あの……ですね……』
「あ~じれったい。何かトラブル?」
『その……私の姿って……皆さんから見えてますか?』
モニター越しのシイは、もじもじと顔を赤らめて言いにくそうに尋ねる。
「それがどうしたの?」
『だから……その……スカートが……めくれてしまいそうで』
((ギロッ!!))
発令所スタッフの視線が、一斉にプラグ内のシイへと注がれる。LCLの水位は、現在シイの太股辺りまで達している。粘性の高いLCLがそれよりも水位を上げれば、当然……。
((ゴクリ))
思わず唾を飲むスタッフ達。
『く、下らないことですいません。でも気になって……』
「あのね~」
ミサトが頭痛を堪えながら、事実を伝えようとすると、
「貴方の気持ちは良く分かるわ。でも安心して。プライバシー保護の為、映像は切ってあるから」
「はぁ!?」
しれっと嘘を教えるリツコ。
「だから心配いらないのよ」
『そう、ですか。ごめんなさい、気分を害してしまって』
「気にしてないわ。それじゃあ注水を再開するわよ」
『はい』
とんでも無い大嘘つきがここにいた。
モニターに映るシイの安心しきった顔が、唯一の常識人であるミサトの胸に突き刺さる。
「あんた……何考えてるのよ」
「……(ゴクリ)」
もうリツコにはミサトの声は届いていない。その視線はモニターに映し出されているシイに釘付けだ。
「LCL注水、再開します」
報告するマヤの声色には、何処か嬉しそうな響きが混じっていた。
再開される注水。その瞬間を、固唾を飲んで見守る発令所一同。
「だ、駄目よ! シイちゃん聞いて! 貴方の姿は……」
「青葉!」
「了解! 通信回線遮断します!」
まさに以心伝心とはこの事だろう。冬月の指示に即座に反応した青葉は、ミサトの声が届く前にプラグとの通信を遮断する。コンマ数秒の早業。青葉シゲルの力量の片鱗が垣間見えた瞬間だった。
「ふ、副司令!」
「今はパイロットの精神を動揺させる行為は慎むべきだ」
「こ、この~そんなに女の子の下着が見たいか、変態ども!!」
遂に堪忍袋の緒が切れたミサトは、思い切り叫ぶ。
勿論、ミサトの言葉は正論だ。だが正論を述べる行為が、正しいとは限らない。
「葛城一尉、言葉を慎め。上官への侮辱で今月の給料を10%カットだ」
「了解。経理部への報告終了」
部下である筈の日向マコトが、あっさりと反旗を翻す。
「しょ、しょんな~」
ボコボコのルノーを思い起こし、ミサトは力無く床へと座り込んだ。
もはや邪魔者は居ない。心が一つになった発令所スタッフは、モニターを一心に見つめる。
「LCL、パイロットのスカートに接触」
「浮力有効です」
「コンタクトまで、後五、四、三、二」
マヤ、青葉、日向の三名の報告に、発令所の緊張感が高まる。
そして、
ビー、ビー、ビー、ビー
突然けたたましい警報が鳴り響いたかと思うと、シイの姿を映し出していたモニターは、砂嵐へと切り替わってしまった。
「馬鹿な!」
冬月は焦った声を出す。
「これは……エヴァ初号機が通信回線を遮断しています」
「副回線、予備回線も繋がりません!」
絶望的な報告に、発令所は混乱に陥る。
「碇、まさか」
「……私を否定するのか」
いつものポーズを決めるゲンドウだが、声には明らかに落胆の色が見える。
「モニター復旧急いで」
「駄目です。MAGIによる接触も拒否されています!」
「マヤ、LCLの注水を中断して!」
「駄目です。注水止まりません」
「まさか……暴走!?」
驚愕に目を見開くリツコ。
砂嵐のモニターが戻ることはなく、時間だけが無情にも過ぎていく。
そして、
「……LCL……注水完了しました」
マヤが震える声で告げると同時に、モニターも復旧した。そこには、LCL注水前と何も変わらぬ姿のシイが映し出されてる。
絶望が、発令所全体を包み込んだ。
『あの~リツコさん、リツコさん』
通信回線も復活したらしく、シイからの声が発令所に聞こえる。
「な、何かしら?」
『ああ良かった。急に声が聞こえなくなったので不安で』
「……ぷ、プライバシー保護のため、音声も切って置いたのよ」
『そうだったんですか』
勿論大嘘だ。だがシイは全く疑う事無くそれを信じる。
「それじゃあシイちゃん、シンクロを始めるわよ」
『私はどうすれば良いんですか?』
「何もしなくて良いわ。ただ心を落ち着けて、リラックスして頂戴」
シイが頷くのを確認すると、リツコはエヴァの起動プロセスを開始させる。
エヴァンゲリオンは現存する他の兵器と異なり、ただ操縦すれば動く訳ではない。
パイロットとエヴァの神経を接続し、両者をシンクロさせる事で初めて起動できるのだ。
落ち着きを取り戻したスタッフにより、作業はスムーズに進む。
ネルフは超エリート集団。
能力は一流なのだ。能力は。
※
(変な感じ……呼吸は出来てるけど……気持ち悪い)
LCLを肺に取り込んでいるため、肺が自動的に酸素を取り込んでくれる。だが普通の生活をしていれば、肺に液体が入ることは滅多に無い。
耐えられない訳では無いが、強い違和感が体内に残っていた。
(それにこの水……血の臭いがする)
LCL独特の臭気にシイは顔を歪ませる。生臭い液体に全身が漬かっていて、しかもそれを肺に取り込んでいる為、鼻を塞いでも臭いは容赦なく伝わってくる。
(でも我慢しなきゃ。みんな応援してくれてるんだもん)
大人達の邪なたくらみなど知るよしもないシイは、拳を握って気持ちを奮い立たせていた。
※
「第二次コンタクト開始」
「インターフェイス接続」
「A10神経接続問題なし」
「LCL電化状態正常」
「初期コンタクト全て問題なし」
次々に起動プロセスを終えていく初号機。
「コミュニケーション回線開きます……シンクロ率41.3%。ハーモニクス全て正常」
「凄いわ。プラグスーツの補助無しでこの数値」
マヤの報告に、リツコは感嘆の声を挙げる。
「行けるわミサト」
「え、あ、そうね……」
「何を惚けているの。作戦部長の貴方がこの事態にそれじゃ困るわよ」
「あ~ごめん」
急にシリアスへ突入し、切り替えが出来ないミサト。
(じゃあ、さっきのは何だったのよ……)
愚痴りたい気持ちで一杯だったが、それを言ったらどうなるかは、身をもって知った。
(そうよ……何やってるの葛城ミサト。ようやく敵討ちが出来るんじゃない)
パンと両頬を張り、気合いを入れ直す。
射出カタパルトへ運ばれていく初号機。出撃の準備は整った。
ミサトは振り返り、ゲンドウに向き直る。
「碇司令、宜しいですね」
「勿論だ。使徒を倒さぬ限り、我々に未来はない」
威厳に満ちたゲンドウの言葉に頷くと、
「エヴァンゲリオン初号機、発進!」
ミサトは力強く発進命令を下した。
初号機は身体を固定されたまま、勢いよく地上へ向けて射出されていく。
「う……うぅ~」
シイは強烈なGに、歯を食いしばって耐える。
そして、
「きゃっ」
初号機は開かれた射出口より、地上へと姿を現した。
シイの視界には、いつの間にか日が落ちて暗闇に包まれた街と、
「い、居た……」
緑色の怪物、使徒と呼ばれる敵がハッキリと映っていた。
暗闇の中対峙するエヴァと使徒。
人類の存亡を掛けた戦いは、今ここに幕を上げるのだった。
紆余曲折を経て、ついにエヴァ初号機は使徒と対峙しました。たっぷり待たされたサキエルの活躍に、こうご期待下さい。
これからもTV版の1話相当を、3~6のセンテンスに分けて投稿致します。今回の5で第一話相当が終了しました。
次は第2話かと思いきや、箸休め的な話を入れさせて頂きます。
次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。