時間軸はアスカ来日前となっています。
第三新東京市。使徒迎撃機能を備えた要塞都市と呼ばれる街だが、それはあくまで非常事態の話。普段は他の都市と変わらぬ、いやそれ以上の賑わいを見せる大都市でもあった。
特に繁華街は多種多様の店が建ち並び、休日などには多くの買い物客で一杯になる場所だ。
平日の夕方、繁華街を黒塗りの高級車が進んでいた。鏡のように磨かれたボディーには、NERVの文字が誇らしげに書かれている。
やがて車はある店の前に止まった。運転席から黒服サングラスの男が降り立ち、後部座席のドアを開く。中からゆっくりと姿を現したのは、ネルフ総司令の碇ゲンドウだった。
「お待たせしました」
「……君はここで待て」
「承知しました」
恭しく頭を下げる黒服を車に残してゲンドウは一人、目の前の店を見つめる。明るい色を基調とした可愛らしい看板と外観。ショーケースに飾られるキャラクターグッズの数々。
「ふっ、問題ない」
サングラスをキラリと光らせてゲンドウは目の前の店、ファンシーショップへと単身乗り込んだ。
サングラスをかけた強面の中年親父。顎髭に白い手袋、更に暗い色の制服が良く似合う事から分かる様に、碇ゲンドウと言う男は無意識に周囲を威圧する空気を纏っていた。
そんな彼が明らかに場違いなファンシーショップに姿を見せれば、店員とお客が一斉に目を見開いて距離を取ろうとするのは当然の反応だろう。
(ああ、分かっている。私がこの場に似つかわしく無いと言うことはな)
意外と自己分析が出来ているゲンドウは、自分に集まる視線を気にも留めず一直線にレジへと向かう。
「い、いらっしゃいませ」
無言で近寄るゲンドウに、レジ担当の若い女性店員は震えながらも接客を行う。
「……お薦めはなんだ」
「は、はい?」
「聞こえなかったのか?」
ゲンドウは本気で尋ねているのだが、不機嫌そうな声色のせいで叱責されたと思ったのか、女性店員は顔を真っ青にして必死に謝る。
「す、すいません。その、お薦めと言うのは……」
「何だ?」
チラチラと上目遣いをする相手に、ゲンドウはごく普通に聞き返したつもりだった。だがそれすらも相手を威圧してしまう。
「ひぃ、申し訳ありません」
「謝罪は良い。お薦めを教えろ」
早く用件を済ませようというゲンドウなりの優しさなのだが、端から見ればイジメにしか見えない。
「その、お薦めと申しましても……どの様な物をお求めでしょうか?」
「……プレゼントだ」
少し照れたゲンドウはぶっきらぼうに言い放つ。ただ傍目には気分を害したようにしか見えないのだが。
「あの……贈られる相手は?」
「それは必要な情報か?」
「すいませんすいません、ただお相手が分かりますと、お薦めの品を選びやすいので」
人付き合いが下手と言うレベルでは無かった。女性店員は気の毒なほど怯えながらも、必死で己の責務を果たそうとする。
「……歳は十四、性別は女、学生だ」
「か、畏まりました。只今商品を見繕って参りますので、少々お待ち下さい」
深々と頭を下げると、女性店員は一目散に店の奥へと走り去っていった。
(ふむ、なかなか仕事熱心だな)
バックヤードに逃げ込んだ女性店員が恐怖のあまり泣き出して、同僚達から慰められている事など知るよしも無く、ゲンドウは腕組みの姿勢でレジの前でただ待っていた。
待つこと数分。
「お、お待たせしました」
「……それか」
目を真っ赤に腫らした女性店員に僅かな違和感があったが、ゲンドウの興味は彼女が抱えている大きなぬいぐるみに向かっていた。
「はい、このジャイアントベアぬいぐるみは、お子様から若い女性まで幅広く人気があります」
「……問題ない。直ちにラッピングしろ」
目的を果たすには十分だと判断したゲンドウは、満足げに頷くとサングラスを直しながら指示を下した。ここまで来ると女性店員も慣れたのか、慣れた手つきでクマのぬいぐるみにリボンを巻いていく。
ようやく恐怖から解放される喜びに、思わず笑みが零れる。
「お待たせ致しました。それでお会計ですが」
「ああ、分かっている」
ゲンドウは懐から一枚のカードを取り出し、店員へと手渡した。
第三新東京市ではカードによる取引が一般的となっている。それはクレジットカードとは違い、自分の口座から必要金額を引き落とすデビットカードに近い物だ。
ほぼ全てのお店で利用出来るため、この街に限って言えば硬貨や紙幣と同じ位主要な支払い手段だった。
「……決済は完了です。カードをお返し致します」
「領収書を頼む」
「畏まりました。お宛名とお品書きはどの様にお書きしますか?」
「宛名は特務機関ネルフ経理部、品書きは……福利厚生費だ」
明らかに聞き逃してはいけない単語を耳にして、女性店員の手がぴたりと止まる。そして何かを伺うような視線をゲンドウへと向けた。
「あの……宜しいのですか?」
「どうした、早くしろ」
「は、はひぃ、失礼しました」
やぶ蛇だと女性店員は大慌てで領収書を書き上げ、ゲンドウへと手渡す。それを受け取るとゲンドウは何事もなかったかのように、クマのぬいぐるみを抱いて店の外へと出て行く。
彼が去った後のファンシーショップは、嵐が過ぎた後のような脱力感に包まれるのだった。
(問題ない、全て計画通りだ。後は如何にしてシイに贈るかだが……)
今回の目的は、シイとの関係改善のためのプレゼントを贈ることであった。冬月に同行を断られた彼は、無謀にも単身ファンシーショップに乗り込み、計画の第一段階をクリアしてみせた。
残る問題はシイへどの様にこのぬいぐるみを渡すか。ありとあらゆるシチュエーションを脳内に描き、ゲンドウは待たせている車へ向かい、いざ乗り込もうとした時だった。
「お父……さん?」
今一番聞きたくない声が、ゲンドウの耳に届いた。ギリギリと油の切れたロボットのように、ゲンドウがゆっくりと振り返ってみると、そこには学校帰りと思われるシイが立っていた。
夕日が照らす第三新東京市で、父と娘が向かい合う。
「……何をしている」
「えっ、あ、その、私は学校から帰るところで……その、寄り道を」
突然の問いかけに、シイは申し訳なさそうにもじもじと答える。真面目な彼女は、寄り道を父に咎められると思っていた。
「そうか……気を付けて帰れ」
「えっ? あ、うん」
思いがけず掛けられた優しい言葉に、シイは戸惑いながらも頷く。父親から初めてに近い気遣いを受け、その頬は僅かに赤く染まった。
「お、お父さんは……どうしてここに?」
「…………それは」
ゲンドウは言葉に詰まる。流石にシイへのプレゼントを買いに来たと言うわけにも行かず、かといって他に適当な理由も思い浮かばなかった。
(いや、待て。この場でこれを渡してしまえば、何も問題ない。後はどう切り出すかだが)
再び脳内で掛けるべき言葉をシミュレートする。だが、世界はそれほど優しく出来ていなかった。
「あ、お父さん。そのぬいぐるみ」
「……こ、これはだな」
「…………うん、大丈夫。私誰にも言わないから」
「ど、どういう事だ?」
「お父さん、偉い人だもんね。みんなに知られると困るんでしょ」
優しい、本当に優しい微笑みをゲンドウへと向けるシイ。その顔に妻の面影を見たゲンドウは、一瞬心が癒されるのだが、直ぐさま現実に気づく。
(誤解しているのか。これが私の趣味だと、そう誤解しているのか)
「ま、待てシイ。私は別に……」
「それに、嬉しいの。私が好きな物を、お父さんも好きだって分かって」
こう言われてしまうと、非常に否定しづらい物があった。それでもゲンドウはどうにか、これがシイへのプレゼントだと告げようとするのだが。
「そのクマちゃん可愛いよね。私も今一緒に寝てるんだ」
「……お前はこれを持っているのか?」
「うん。この間ミサトさんと一緒に買い物に行った時、プレゼントしてくれたの」
嬉しそうに話すシイに、ゲンドウはもう何も言えなかった。彼に出来ることは一刻も早く、この気まずい空間から逃げることだけだった。
「そうか……悪いが時間がない、本部に戻るぞ」
「あ、うん。お仕事頑張ってね」
シイに見送られ、ゲンドウを乗せた車は繁華街から走り去っていった。
ネルフ本部司令室に戻ったゲンドウは、遠い目で窓からジオフロントを眺めていた。その背中は普段よりも一回り小さく見え、何処か哀愁が漂っている。
「碇、あのぬいぐるみは何だ?」
「……問題ない」
冬月の視線が向けられる司令室の執務机には、主に替わってクマのぬいぐるみが鎮座していた。身体に巻かれたラッピング用のリボンを見て、冬月は事情を察する。
「失敗したのか」
「……冬月、葛城一尉の給料を30%カットしろ」
「何を言い出すかと思えば、いきなり何だ」
「クマのぬいぐるみなど買う余裕が無くなるまで、減給を継続させる」
「やれやれ、難儀な男だな」
子供のような八つ当たりをする目の前の不器用な男に、冬月は深いため息をつくのだった。
意図せぬ形だったが、シイとゲンドウの距離は確実に縮まった。
ただ当の本人が気づいていない為、それは大変壊れやすく危ういものであったのだが。
様々な評価を受けているゲンドウですが、個人的には好きなキャラです。裏事情を知ってから見直すと、本当に人間味のある人物だと思います。
この小説では子供が、最愛の妻の面影を強く残す娘と言う事で、色々と苦労していますね。
彼もまた、TSによって大きく影響を受けている一人です。
小話ですので、本日は本編も投稿いたします。
次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。