(司令、最低だな)
(ああ。あんな可愛い娘を泣かせるなんて)
(あの髭には人の心とか無いのかね)
(俺ならもっと優しく声をかけるな)
(ちくしょ~。今すぐあの子に近寄って肩を抱いてあげたい)
シイ達のいる場所、初号機のケージで作業をしているスタッフ達は、全員が一様に非難の視線をゲンドウへと向けていた。
彼らも今が非常事態とは理解しているが、それでもゲンドウの対応はあまりに酷いと感じていたのだ。
そして、それはミサトとリツコも同じ。
(ったくこの髭親父は……本当に親なの)
(精神状態は最悪。例え嘘でも良いから、もう少し上手いこと言えないのかしら、あの人は)
口にこそ出さないが、ジト目をゲンドウへと向ける。だが、当の本人はまるで気にしていない。
変わらぬ姿勢、変わらぬ表情で冷たくシイを見下ろす。
「乗るんだシイ」
「……無理だよ。こんな見たことも無いロボットに乗るなんて、出来ないよ!」
涙が浮かぶ瞳をゲンドウに向け、シイが感情を爆発させた。可憐な少女と涙は最強のタッグ。
(ぬぅぅ、わ、私とて乗せたくは無い……だが……シナリオの為には……)
表情にこそ出さないが、ゲンドウは激しく動揺する。しかしゲンドウにしてみても、ここで譲るわけには行かない。心を鬼にして、更にシイに搭乗を迫ろうとした、その時だった。
グラグラと地震のような振動が、初号機のケージに伝わってきた。
「奴め、ここに気づいたか」
忌々しげに上を見上げるゲンドウ。彼はこの振動が、先程の怪物による攻撃だと気づいていた。
もはや問答の時間すら惜しいと、ゲンドウは右手で通信装置を操作する。
「冬月、レイを起こせ」
「使えるのかね?」
画面に映る白髪の老人……冬月コウゾウは訝しげに問い返す。
「死んでいる訳ではない」
「分かった」
冬月の返事を聞くと、ゲンドウは通信を切った。
その数分後。初号機のケージに、からからと移動用ベッドが運ばれてきた。
医師と数人の看護婦が寄り添うそのベッドには、一人の少女が寝ている。青いショートヘアの少女。年はシイと同じくらいだろうか。病的なまでに白い肌と赤い瞳が印象に残った。
だがそれ以上にシイが気になったのは、
(酷い怪我してる……)
右手、右目、体中に痛々しく包帯が巻かれ、右手には点滴がまだついている。
どう見ても重症患者だった。
「レイ、予備が使えなくなった。出撃しろ」
「はい」
「ちょ、ちょっとお父さん。何言ってるの。この子酷い怪我をしてるのに」
信じられない父親の言葉に、シイは思わず抗議する。
「使徒を倒さぬ限り、我々に未来は無い。お前が乗らぬなら、レイが乗るまでだ」
「そんな……」
シイは言葉を失う。つまりゲンドウはこう言っているのだ。
『お前が乗らないから、怪我をしている少女を代わりに乗せると』
ここまで来ると、もうシイの心に先程までの悲しみは無かった。
代わりに産まれた感情は、激しい怒り。
起きあがることさえ辛いのだろう。青髪の少女は、時々うめき声を上げながら、それでも起きあがろうとしている。ようやく上半身を起こしたその時、再び激しい振動がケージを襲う。
「きゃぁ」
少女はベッドから落ち、床へと身体を打ち付ける。それを見たシイは、思わず少女へと駆け寄った。
「大丈夫ですか!? …………あ」
抱き起こそうとした手に、なま暖かい血が付いた。傷口が開いたのだろう。普通なら絶対安静状態の重症患者。それを無理矢理戦わせようとする父親。
(私は……私は……)
恐怖、怒り、責任感、あらゆる感情がシイの中で葛藤を続け、そして、
「……もう大丈夫。……私が、やるから」
シイは決意した。
少女を優しく床に寝かせると、シイはゲンドウに正面から向き合う。
「お父さん、私が乗ります。だからこの子を早く治療してあげて下さい」
「そ、そうか……」
突然様子が変わったシイに、ゲンドウは僅かに怯みながらも返事をする。
「それともう一つ、言っておきます」
「何だ」
「私はお父さんが……大嫌いです。べーっだ」
それは娘から父への明確な拒絶だった。
が、
((か、可愛い……))
アッカンベーするシイの姿に、その場に居た一同が同じ気持ちを共有していた。
「リツコさん、ミサトさん、これから私はどうすれば良いですか?」
「え、あ~」
「簡単な操縦の説明をするわ。着いてきて」
リツコの言葉に頷き、シイはケージを後にした。
「ふっ、これで良い……全てはシナリオ通りだ」
口元に笑みを浮かべながら、自分もケージから姿を消すゲンドウ。
娘にあそこまで言われても、全く動じないその姿に、作業員達は流石に鬼だ、と感心する。
だが、
(し、シイに嫌いって言われた……大嫌いって言われた……)
ゲンドウの心中は乱れに乱れていた。
エヴァンゲリオンは、エントリープラグと呼ばれる円柱状のコクピットを、首の後ろから挿入することで起動する。リツコから簡単なレクチャーを受けたシイは、エントリープラグに乗り込んだ。
細長い空間には、レバーの付いたマッサージチェアの様な椅子一つ。シイはその椅子に身体を預ける。
『パイロット搭乗完了』
『エントリープラグ挿入準備』
「え、あの、大丈夫なんでしょうか?」
慌ただしく響くアナウンスに、シイは不安になってリツコに呼びかける。
『ええ。準備は全てこちらでやるから、貴方は心を落ち着かせて待っていて』
スピーカー越しにリツコの声が聞こえる。
(落ち着けって言われても……)
プラグの中は、黄土色の金属壁で包まれているため、外の様子が分からない。
時折伝わる振動が、シイの心を不安にさせる。
(早く終わって……)
シイは祈るように瞳を閉じた。
※
((う、守ってあげたい……))
プラグ内の映像を見ていた発令所のスタッフは、猛烈な庇護欲に駆られていた。
ネルフ本部第一発令所。まるで戦艦の環境の様な造りをした巨大なフロアには、司令であるゲンドウを始めとする主要スタッフが集結していた。
「ん~あの子閉所恐怖症かしら」
「いえ、あれが普通の反応っすよ」
困ったように呟くミサトに、長髪の男性職員……青葉シゲルが即座に反論する。
「ですよね。彼女は何も知らずに来たわけですし」
同調するのは、ショートカットの女性職員……伊吹マヤ。
「みんながミサトみたいに、神経が太い訳じゃ無いのよ」
さらりと毒を吐くリツコに、ミサト以外の職員が一斉に頷く。
「な、何よみんなして……私が図太い女みたいじゃない」
ミサトの言葉に、職員達は無言のままジト目を向ける。完全アウェーを悟ったミサトは押し黙ってしまう。
「そうだ。みんなで彼女を応援しましょう」
ミサトの沈黙を確認すると、眼鏡の職員……日向マコトが提案する。
「応援って……まだエヴァにすら乗ってないのに」
「「賛成!!」」
ミサトの言葉は、発令所スタッフの統制の取れた声にかき消されてしまった。
「な、何よこの空気は……」
普段と様子の違うスタッフ達に、ミサトは呆然と立ち尽くす。
「副司令、宜しいですね?」
「構わん。パイロットにベストな状態で戦って貰えるなら、あらゆる手段を許可する」
冬月の許可を得た発令所スタッフは、声を揃えてシイにエールを送った。
※
『『シイちゃん頑張れ~。フレーフレー、シ・イ・ちゃ・ん、フレー!!』』
突如プラグ内に響き渡る大声援に、シイはびくっと身体を震わせる。まあ、普通はそう言う反応だろう。
「あ、あの……今のは……」
『シイさん。貴方は一人じゃないわ。沢山の味方が応援してるの』
「えっと……」
『不安だと思うけど頑張って。みんな応援してるから』
声はすれど、姿は見えない。だがリツコの声は、シイの心に安心感を与えた。
「その……皆さん、ありがとうございます」
シイは少し照れながら、そっと頭を下げてお礼を言った。
※
「「うぉぉぉぉ」」
「「きゃぁぁぁ」」
モニター越しに見ていたスタッフ達は、歓喜の雄叫びをあげた。
まだ敵との戦いはおろか、エヴァにすら搭乗していない。なのに発令所のテンションは最高潮だった。
「ホント……何なのよ」
唯一の常識人であるミサトは、本領を前に疲れ果てていた。
エヴァンゲリオン初号機は、既にスタンバイが完了していた。
紫を基調としたそのボディは、各部に突起がある以外は人間のそれと酷似している。
勿論、比較にならないほど巨大ではあるのだが。
『エントリープラグ固定完了』
アナウンスと共に、シイの乗ったプラグがエヴァの首筋へと挿入されていく。プラグ全てが初号機の内部へ挿入されると同時に、プラグを保護するように首筋の装甲が稼働して穴を塞ぐ。
この瞬間、シイはエヴァンゲリオン初号機への初搭乗を果たした。
ついに初号機への搭乗を果たしました。が、発進には至らず……。
サキエルも待ちくたびれていると思うので、次こそは対峙して貰いましょう。
次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。