~夏休み開幕~
魔の期末試験を一人の脱落者も出さずに乗り切ったシイ達は、第三新東京市のファミレスで夏休み中に計画していた旅行について打ち合わせをしていた。
「行き先は海で良いとして、場所はどうする?」
「あんま遠くやと予算が掛かるさかい、手頃な場所でええんちゃう?」
「あんた馬鹿ぁ? 折角の旅行なんだから、ケチってどうすんのよ」
「そうは言うけどさ、割と切実な問題だと思うよ」
ケンスケの言葉にヒカリとマユミが頷く。ネルフから給料を貰っていたシイ達はともかく、普通の高校生に旅行費用はかなりの負担である。
「まあ無理する事じゃ無いから、予算と折り合いをつければ良いんじゃ無い?」
「そうだね。えっと……旅行ってどれ位お金が掛かるのかな」
「……試算してあるわ」
レイは鞄から取り出した紙を、みんなに見せる様にテーブルへ置く。そこには幾つかの旅行先と、そこに何泊すればどれ位の費用が掛かるかが、分かりやすい表で纏められていた。
「ふふ、随分と準備が良いじゃ無いか」
「……旅行は事前の準備が大切だと、ユイさんから言われているもの」
「適切なアドバイスだね。さて、リリンのバカンスはどれだけの対価が必要なのかな」
そっとレイの用意したリストに目を通すカヲルだが、彼には記されている金額が容易に支払えてしまう為、それが高いのか安いのかが判断出来ない。
だが真剣な表情で検討しているヒカリ達の様子から、これが普通の高校生にとって安くない出費である事は理解出来た。
「旅行って……大変なんだね」
「わしも正直甘く見とったわ。こら偉い高くつくのぅ」
「ヒカリ、どう?」
「貯めてたお小遣いがこれ位で……」
「ケンスケはどの辺りがラインや?」
「あっちの利益も全部突っ込んだとして、こんな感じかな」
ヒカリとケンスケの予算を考慮しつつ、旅行先と日程を検討する一同は頭を悩ませながら、あーでも無いこーでも無いと案を出し合う。
だが決して苦痛では無い。大人の助けを借りずに自分達だけで何かを成し遂げる。それはシイ達にとってとても楽しい経験なのだから。
子供達の賑やかな会議は、日が暮れるまで続くのだった。
~父親の不安~
「ほぉ、シイ君達は旅行を予定しているのか」
「……ああ。海に行くらしい」
「海、か。……修学旅行には参加させてあげられなかったからな。このところ、次期総司令として拘束してしまっていた事もある。せめて友人達と羽を伸ばしてきて欲しいものだ」
ゼーゲン本部司令室で、冬月は詰め将棋を指しながら優しく微笑む。だがそれとは対照的に執務机に肘を着いたゲンドウは、何故か深刻な表情をしていた。
「ん、どうした碇。何か問題でもあるのか?」
「……今回の旅行はシイと友人達だけで行く」
「心配なのは分かるが、レイと渚が居る限りシイ君の安全確保は万全だろう」
拉致事件の記憶も新しい今、ゲンドウの不安ももっともだが、あの二人とマナが一緒に居れば何も問題無いと冬月が諭す。
「……冬月。シイ達は海に行く。恐らくは皆で泳ぐだろう」
「まあ海に行けば当然だな」
「だがシイもレイも渚も海は初めてだ。もしシイが溺れた時、手を差し伸べる余裕があるか……」
「事故の可能性はゼロに出来無いが、アスカ君達もいる以上無理はしないだろう。それにシイ君なら恐らく浮き輪を使うと思うぞ」
カナヅチを克服したシイだが、泳ぎは決して上手く無い。それを友人達も理解しているので、きっと浮き輪などの道具を用意する筈だと冬月は答える。
「……問題は他にもある。泳ぐと言う事は、シイは水着に着替える」
「それも当然だろう。……ん」
「……そうだ。不特定多数の面前で、シイが水着姿を晒すことになる。夏の海と言えば……」
ゲンドウの言わんとしている事を察したのか、冬月がああ、と頷きながら駒を指す手を止める。彼らの世代で夏の海と言えば、出会いの定番であった。
「ナンパ、か。確かに想定できるアクシデントだが、レイがいれば問題あるまい」
「冬月。親馬鹿と言われるかも知れないが、私はレイの魅力もシイに引けを取らぬと思っている。自分に降りかかる火の粉を払いつつ、シイを守る余裕があるか……」
「ふむ、だが友人達と一緒に行動していれば、そうそう声を掛ける輩も居ないだろう。それでも不安なら、シイ君に前もって知らない人に着いていくなと注意しておけば良い」
冬月の冷静な回答に、ゲンドウは不機嫌そうに黙り込んでしまう。
「はぁ……。碇、結局お前は何が言いたいんだ?」
「……ここに麦わら帽子と釣り竿がある。私の有給休暇も溜まっている。そこで、だ」
「駄目だぞ」
「な、何故だ!」
こっそり着いていって、子供達を見守りたいと言うゲンドウの希望を、冬月は即座に却下する。そして麦わら帽子を被ったゲンドウに、真剣な眼差しを向けた。
「お前が有給をどう使おうかは勝手だが、シイ君達の旅行に介入する事は許されないよ。子供達が自分達で企画立案し、実現させた旅行……大人が邪魔をしては何の意味も無い」
「…………」
「もうあの子達も高校生、大人への階段を上っている年頃だ。私達の役割は、間違った道に進もうとした時に正してやる事と、壁にぶつかった時に支えてやる事だよ」
「そう……だな。すまない冬月」
「子を思う気持ちを恥じる事は無い。何、あの子達ならきっと大丈夫だ」
ゲンドウが冷静さを取り戻した事を確認してから、冬月は再び詰め将棋を指し始めた。この時ゲンドウは違和感に気づく事が出来無かった。
普段はシイに過保護な愛情を注いでいる冬月が、今回に限っては妙に素っ気ない事に。
(海、か。……さて、どんな一手が効果的かな)
~母親の気持ち~
シグマユニットで実験を行っていたナオコは、ユイからシイの旅行について聞かされ、少し驚いた様に眉をひそめた。
「シイちゃん達が海に旅行?」
「ええ。お友達と一緒に沖縄へ行くそうですわ」
「私も行きたいって言ったのに、アスカちゃんに駄目って言われたの~」
「今回は子供達だけで、と言ってたからね。また別の機会に行けば良いと思うわ」
頬を膨らませて不満を露わにするキョウコに、ユイは苦笑しつつもフォローを入れる。恐らく自分やゲンドウが同行を希望しても、今回に限っては拒否されてしまうだろう。
大人の監視も手助けも無く、自分達の力だけで旅行に行く事は、あの年頃の子供達にとって憧れなのだろう。そして親離れの第一歩にもなる。
「むぅ~だってアスカちゃんったら、私がドイツから帰ってきても全然相手してくれないんだもの。反抗期って言うのかしら」
「……単にキョウコが戻って来たのが、期末試験の前だっただけよ」
「アスカちゃんが不良になっちゃったらどうしましょう」
「あれだけ良い子に育ってて、今更何を言うのよ」
本気で心配するキョウコにユイは呆れ混じりのため息を返す。母親を大切にし、社交的で大勢の友人を作り、文武両道のアスカが、どうやったら不良になるのかを逆に聞いてみたい位だった。
「仕事が忙しかった私に愛想尽かしたのかも……」
「それはあり得ないと思うけど。はぁ、ナオコさんからも何か言って……ナオコさん?」
フォローを求めたユイだが、先程から沈黙を守っていたナオコは、顎に手を当てた姿勢で難しい顔をしていた。
「何かありましたか?」
「……シイちゃん、子供だけで海に行くのよね?」
「え、ええ。そうですわ」
「参加メンバーに、渚カヲルは含まれているのよね?」
「そう聞いていますけど」
自分の中で何かを確認する様に、ナオコはユイの言葉を聞いて何度も頷く。そのただならぬ様子にユイも自然と緊張した面持ちに変わって、彼女の言葉を待つ。
「も~どうして怖い顔してるの?」
「……私の予想が正しければ……シイちゃんの貞操が危ないわ」
「!?」
いきなりとんでもない事を言い放つナオコに、ユイは思わず立ち上がってしまう。
「な、何を言い出すんですか」
「別におかしな理論じゃ無いわ。統計的に見ても、男女で泊まりがけの旅行へ行けば事が行われるケースは多いの。日常から離れた事で精神は開放的になるし、遊びで昂ぶった気持ちは恋愛感情を生み出しやすくなるものよ」
「あらあら~、ならシイちゃんは大人の階段を上っちゃうのね~」
「……あ、あり得ませんわ。旅行にはレイも着いていきますから」
ショックを受けた様子のユイだったが、もう一人の娘が最後の砦となって彼女を支える。レイがいる限り、シイは絶対安全だと言う信頼がユイにはあった。
「確かにレイは頼りになるわ。でも……本当に渚君を抑えられるのかしら?」
「どう言う事でしょう」
「彼と一度直接話をした事があるけど、私好みのとても面白い子だったわ。悪知恵が働くって言うのかしら……多分レイとは相性が悪いタイプでしょうね」
真っ向から直接対決をすれば、今のレイにカヲルは及ばないだろう。だがそれを理解しているからこそ、カヲルはあらゆる策略を駆使して直接対決を避け、目的を達成する筈だ。
「でも渚君って、シイちゃんに手を出すイメージが無いけど」
「ええ。これはあくまで私の勝手な想像よ。ただ……私がもし渚君だったら、この機会を逃す事はしないわね。どんな手段を用いても、既成事実を作ってしまうわ」
「…………」
「だってシイちゃんには知識が無いもの。どれだけアプローチをしても、無知が故に通用しない。だけど裏を返せば、それだけ既成事実を作りやすいのよ。そして作ってしまえばこっちのものね」
「っっ、ちょっと失礼します」
ユイは引きつった表情で足早に実験室から出て行ってしまった。恐らくは司令室へ行き、ゲンドウと相談をするのだろう。
「……ふふ、少し脅かしすぎたかしら」
「ナオコさんったら悪い子ね~」
悪戯っ子の様な笑みを浮かべるナオコに、キョウコもまた和やかに笑う。
「シイちゃんの教育を疎かにしてるみたいだから、ちょっと背中を押しただけよ」
「やっぱりわざと大げさに言ってたのね」
「可能性はゼロじゃ無いけど、多分渚君はシイちゃんに手を出さないわ。シイちゃんから望めば話は別だけど、それはあり得ないもの。ただ」
「ただ?」
「何かするとは思うわ。だってこんな面白い機会に、何もしないなんて考えられないじゃない」
ニヤリと悪い笑みを見せるナオコ。それは本来相反する子供の様な無邪気さと、魔女の様な邪悪さを併せ持つ、彼女特有の表情だった。
娘からも困った人と表現される程、一般的なリリンの思考からずれたナオコ。そんな彼女だからこそ、ゼーゲンで一番カヲルを理解出来ているのかも知れない。
~???~
「ふふ、計画は完璧。後は時を待つだけだね」
「渚も懲りないよな~。成功しても失敗しても、レイ達に制裁されるって分かってるのにさ」
「それを言うなや、ケンスケ。男には譲ったらあかんモノもあんねん」
「ま、付き合ってる僕も同じ、か」
眼鏡を直しながらニヤリと笑うケンスケに、カヲルとトウジもまた良い笑顔で頷き合う。数々の苦難を共に味わってきた三人には、言葉は必要無かった。
「ただ碇にはレイがべったりだし、惣流だって居る。計画通りに行くのか?」
「……トロイの木馬を知っているかい?」
「神話の奴? まあ概要くらいなら知ってるけど……って、まさか」
カヲルが言わんとしている事を察し、ケンスケは驚きの表情を浮かべる。そんな彼にカヲルは滅多に見せない、邪悪な笑みで無言の肯定を示した。
「……今回は本気って訳か」
「やられっぱなしでは情けないからね。たまには良いだろ?」
「悪い顔しとるのぅ。お前や無かったら絶対に信用出来へんで」
「確かにね。渚だからってのはあるかも」
渚カヲルは大切な人を決して傷つけない。トウジとケンスケはそんな信頼を持っているからこそ彼に協力し、カヲルもまたその信頼を裏切る事は無い。
「ふふ、ありがとう」
「その台詞は計画が成功してから、だろ?」
「今回はわしらに勝ち目がある。気張りや」
三人の少年達は右拳をくっつけ合い、決意を固めるのだった。
様々な思いが交錯する中、シイ達は旅行の日を迎える。
シリアスに別れを告げて、日常編をそろそろ本格的に再開します。
前々からちらほら話題に出ていた子供達の旅行。色々な出来事が続いた事もあり、今回は平和に楽しく過ごして貰いたいのですが、何かを企てている面々も居る様で……。
次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。