エヴァンゲリオンはじめました   作:タクチャン(仮)

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後日談《三歩目》

 

 シイの拉致事件解決から数日が過ぎた。事件はゼーゲンと戦自双方の意向により、公にする事無く内密に処理された為、世界に影響を与える事は無かった。

 事後処理も問題無く進み、シイ達は元の穏やかな日々へと戻っていく。

 

~初出勤~

 

 とある休日の朝、制服姿のマユミは緊張した面持ちで自宅の前に立っていた。落ち着かないのか、しきりに髪や服装を気にしている彼女の前で、黒塗りの車が停車する。

 ゆっくりと運転席から姿を見せたのは、無精髭を生やした男……加持リョウジだった。

「やっ、おはよう。山岸マユミさんだね」

「は、はい……そう……です」

「そんなに緊張する事は無いさ。俺は加持リョウジ。ゼーゲンの職員で、君を迎えに来たんだが……聞いてるかな?」

「はい……その……よろしくお願いします」

 顔を真っ赤にしてお辞儀をするマユミを、加持は苦笑しながら助手席にエスコートする。紳士的な対応だったが、それがマユミの緊張を助長してしまう。

(こいつはまた……手強そうだな)

 助手席で身を固くするマユミに、加持はどう接したものかと悩む。女性の扱いに定評がある事から送迎役に選ばれた加持だが、実はマユミの様なタイプを相手にした事が無い。

 車を走らせながらも話題を考えてはみるが、上手い切り出し方が浮かばず、車内に嫌な沈黙が流れる。と、そんな空気を感じ取ったのか、予想外にマユミから加持に声を掛けた。

「あ、あの……加持さんとお呼びしても……良いですか?」

「ああ。シイ君達もそう呼ぶからな」

「……その、ゼーゲンの職員と言う事は、加持さんも凄い方ですよね?」

「俺か? まあそれなりに長いことこの世界には居るが、そんな大した男じゃ無いぞ」

 質問の意図が読めなかったが、加持はひとまず無難な答えを返す。主席監査官の肩書きこそあるが、ゼーゲンに居並ぶ天才達の様な特出した存在では無いと、本人は自己評価をしていた。

「シイちゃんから……とても頼りになる方だと聞いています。レイさんも鈴原君も同じ事を言っていましたし、あの惣流さんが素直に褒めるなんて……きっと凄い人なんだなと」

「そいつは光栄だな」

 アスカの扱いに内心苦笑しつつも、加持は僅かに頬を緩めて答える。一切の打算無く人から褒められると言うのは、純粋に嬉しい事なのだから。

「だけどな、俺なんかよりも凄い才能や技術を持った職員は沢山居るぞ」

「……ゼーゲンはそうした人達が集まっていると聞きました」

「不安かい?」

「……はい。私は本当に何も出来ない子供なんです。レイさんに大丈夫だと言って貰っても……どうしても怖くて……」

 マユミの手が小さく震えている事に気づき、加持は少し思案してから慎重に口を開く。

 

「俺の勘違いだったら悪いが、君の不安は自分がゼーゲンでやっていけるか、では無くて、ゼーゲンの職員に受け入れて貰えるかだったりするか?」

「……そうです」

「成る程な。確かに君は正規の採用試験を受けていない。あえて悪い言い方をすれば、コネで入職したみたいなもんだ。それを快く思わない奴も居るだろう……普通なら、な」

「普通なら、ですか?」

「そうだ。少なくともゼーゲンの職員で、君の入職に懐疑的な奴は居ない。何せあのレイが直々に推薦をしたんだ。文句が出るはずも無いさ」

 加持の言葉を何処まで信じて良いのか、マユミは横顔から表情を伺う。

「それは……レイさんがリリスさん、神様だからでしょうか?」

「まあ関係無いとは言わないが、それ以上にレイがゼーゲンのみんなに認められているからだ。レイが薦めるならば、と納得してしまう位にな」

「…………」

「そんなレイも最初から信頼を得ていた訳じゃ無い。使徒との戦いでの働きと、日々の触れ合いの積み重ねで、少しずつみんなから認められていったんだ」

 元々レイはゲンドウ子飼いのチルドレンで、謎の多い人形の様な少女として職員達からは、腫れ物に触るような扱いを受けていた。

 それが今ではゼーゲンに欠かせない人材として、職員達に信頼されている。信頼関係の構築は一朝一夕では、決してなしえないものなのだ。

「切っ掛けなんて大した問題じゃ無い。大事なのはその先……分かるか?」

「……何となく、ですけど」

「それで充分だ。自分で言った通り君はまだ子供、誰も始めから完璧な仕事を求めたりはしないし、無理することを望まない。焦らず出来る事からやっていけば良い」

「私に出来る事……」

「必ずある。だから君はここに居るんだ」

 力強く断言する加持の言葉を、マユミは何度も心の中で反芻する。それは自己暗示のように、マユミの不安を少しずつ打ち消していく。

「やれる事をやっていれば誰かが見いてくれる。認めてくれる。そうして信頼を得ていけば、それは君の自信になって、もっと良い仕事が出来るようになるさ。……ちょいと説教臭かったかな」

「いえ……ありがとうございます」

 加持が真摯に助言してくれた事に、マユミは心からの感謝を伝えるのだった。

 

 

 

~ルーキーズ~

 

 ゼーゲン本部に到着した二人を出迎えたのは、シイとマナと言う珍しいコンビだった。まさかマナが居るとは思っていなかったのか、マユミは驚いた様子で声をかける。

「き、霧島さんも……ゼーゲンの人だったの?」

「あはは、まあ色々と訳ありでね。入りたての新米だけど」

「一応マナは俺の直属の部下だ。まだアルバイトみたいなもんだがな」

 ゼーゲン所属となったマナは、加持の部下としてシイの護衛を任されていた。とは言え定時報告の相手がゼーゲンに変わった事と、心を偽らずにシイ達と付き合える様になったと言う違いはあれど、マナの生活に大きな変化は無かったが。

「やっぱ知り合いがいると安心するでしょ?」

「うん……本当に」

「ま~偉そうな事言ってるけど、同じ新人同士よろしくね」

 笑いながら右手を差し出すマナと握手を交わしながら、マユミはマナの変化を感じていた。何処か壁を作っていた様な彼女が、今は本心から笑っているように思えたのだ。

「霧島さん……何かあったの?」

「へ?」

「ご、ごめんなさい。ただ前よりも……暖かい感じがしたから」

 マユミの言葉にマナだけでなく、シイと加持も驚いて彼女を見つめてしまう。確かにあの一件からマナは心に被っていた仮面を外したが、表面的な態度はほとんど変わっていない。

 ほんの僅かな変化も見逃さないマユミの洞察力に、三人は本気で感心していた。

「あの……私何か変な事言ってしまいましたか?」

「ううん。ありがとうね、山岸さん」

 何に感謝されたのか分からないマユミは首を傾げるが、マナは何も言わずに微笑んでいた。

 

「ところでシイ君。あの二人は一緒じゃないのか?」

「えっと……ですね。使徒のみんなと、シイスターズのみんながちょっと喧嘩しちゃいまして、その仲裁をしてます」

「そいつは穏やかじゃ無いな。原因は何なんだ?」

「抑止力部署の名前を決めようってなったんです」

 マナの言葉が全てなのだろう。恐らく収拾が付かない状況まで行き、カヲルとレイが実力であの面々を黙らせる光景が容易に想像出来てしまい、加持は困ったように頭を掻いた。

「また施設管理部が悲鳴を上げるのか……」

「泣きそうな顔で近づいて来た方々には、先に私とシイちゃんで謝っておきました」

「良い気配りだ。ならあいつらとの対面は最後に回すとして、予定通り碇司令に挨拶に行くか」

 一同は加持の言葉に頷くと、着任の挨拶をする為に司令室へと向かうのだった。

 

 

~着任報告~

 

 司令室でマユミを待っていたのは、執務机に肘をついているゲンドウと、その脇に姿勢正しく立つ冬月だった。

 ゼーゲンの実質トップ二名を前に、緊張するマユミに変わって加持が第一声を発する。

「失礼します。本日着任の山岸マユミを連れてきました」

「は、初めまして。山岸マユミと申します……その、お世話になります」

「話は聞いているよ。私は冬月コウゾウ、ゼーゲン本部の副司令を務めている。君の配属を受理すると共に、今後の活躍に期待しよう」

 穏やかな物腰で語りかける冬月に、マユミは安堵した様に胸をなで下ろす。威圧感たっぷりのゲンドウと並んでいると、冬月が与える安心感は非常に大きなものであった。

「君はゼーゲンの抑止力部署に配属となるが、当面は学業を優先して貰って構わない。まずは少しずつこの環境と仕事に慣れて行くことだな」

「はい……ご指導ご鞭撻の程、よろしくお願いします」

 元教師の冬月はマユミにとって親しみやすい存在なのかも知れない。人見知りをする彼女にしては珍しく、早くも打ち解けつつあった。

「碇。お前からも何か言葉を掛けてやったらどうだ?」

「……山岸マユミ」

「は、はい」

 低く威厳のある声で呼ばれ、マユミはびくっと身体を震わせて返事をした。初対面では無いのだが、司令としてのゲンドウはオフの時とはまるで別人で、自然とマユミの身体に緊張が走る。

「君はこれから使徒と言う、ヒトにあらざる者達と接する事となる。使徒達はそれぞれ強い戦闘能力や、人類に無い特別な能力を有している故に、劣等感や無力感を感じるかもしれん」

「……はい」

「だが我々は君に使徒達と同じ役割を求めてはいない。君は特別な力を持たない人類の代表として、使徒とヒトを繋ぐ架け橋となって欲しい」

「私に……出来るでしょうか?」

「それは君次第だが、成果を焦る必要は無い。責任を感じて無理をする必要も無い。君が諦めない限り、我々も全力で協力する。思う様にやりたまえ」

「はい……ありがとうございます」

 言葉の中に潜む優しさを感じ取り、マユミは深々と頭を下げた。

 

「まあ何にせよ、君が常識人で良かったよ。どうかそのままでいて欲しい」

「え……?」

「言って無かったが、ここは変わり者が多いんだ。使徒達は言わずもがな、職員達も癖の強い奴が揃ってる。そうだな……アスカがゼーゲンでは常識人だと言えば、少しは分かりやすいか」

 加持の言葉にマユミの表情が引きつっていく。彼女が想像していたゼーゲンは、選ばれたエリートが揃うお堅い組織なのだから。

「そ、そうなの?」

「大丈夫だよマユミちゃん。みんな優しくていい人だから」

「あはは、因みにだけどシイちゃんは相当癖が強い部類に入ると思うな~。ううん、寧ろ元凶かも。みんなシイちゃんが絡むとおかしくなるし」

「わ、私は何も変な事してないよ……多分」

 シイを知る者ならば、間違い無くマナの意見に賛同するだろう。彼女は輝かしい戦績とは裏腹に、命令違反、施設の私的使用、エヴァの私的専有、施設破壊の脅迫等、問題を起こす事も多かった。

 またアルコールと薬物の摂取で、本部をある意味で危機的状況下に追い込んだ事例もあり、真面目なトラブルメーカーという極めて厄介な存在である事は否定出来ない。

「……山岸君。君には期待している」

「うむ。色々と大変だとは思うが、よろしく頼むよ」

「後で俺のとっておきの場所に案内する。辛くなったら何時でも来てくれ」

「は、はい……頑張ります……」

 自分はとんでもない所に来てしまったのでは無いか。イメージしていたゼーゲン像が音を立てて崩れ去る中、マユミは顔を引きつらせながら頷くのだった。

 

 

 

~オペレーターズ~

 

 司令室を後にしたマユミ達は、発令所へと足を向けていた。本来ならば使徒達と対面する予定だったのだが、騒ぎの事後処理にまだ時間が掛かるとの連絡があり、先にスタッフ達へ顔見せをしようとなった為だ。

 ゼーゲンの発令所は戦艦の艦橋の様な、他では見られない独特の構造をしており、マユミはそのスケールの大きさに思わずため息を漏らす。

「凄い……」

「ここが第一発令所だ。かつては対使徒戦の司令部として用いられ、今は世界各国との連携や各地の平和維持が主な役割となってるな」

「何だかここに来るのも久しぶりかも」

「あら?」

 話し声が聞こえたのか、リツコは書類をチェックしていた手を止めて後ろを振り返った。そんな彼女に加持は軽く手を上げて挨拶する。

「やっ、りっちゃん。仕事中に悪いな」

「別に構わないわよ……貴方も仕事中みたいだし」

 加持の背後に立つマユミの姿を見て、リツコは生徒を引率する先生のようだと小さく笑う。

「紹介しておこうか。彼女が山岸マユミ、例の抑止力部署に配属された子だ」

「や、山岸マユミです……よろしくお願いします」

「技術開発部第一課所属の赤木リツコよ」

 リツコは緊張するマユミに大人の余裕を漂わせて自己紹介をする。白衣姿に眼鏡を掛けている彼女は、マユミのイメージする出来る女性そのものであった。

「あの子達がちょいとトラブってるらしくてな、予定を繰り上げさせて貰ったよ」

「ええ、知っているわ。……中々派手にやらかしてくれたからね」

「そんなにか?」

「幸いにも負傷者は出なかったけど、第八区画の実に二割が損壊。今頃碇司令は、修繕費の捻出に頭を悩ませているんじゃないかしら」

「困ったもんだな。ま、この子が来てくれた事で、改善されると良いんだが」

 加持の言葉にリツコも苦笑しながら頷く。

 

「ま、そんな訳で先に挨拶回りをしてるところさ」

「ならここにいるスタッフ達に紹介するわね」

 リツコは真剣な表情で作業をしていた日向達に声を掛け、一人ずつ順に紹介をしていく。

「まずは一番先輩からね。この眼鏡をしているのが、日向マコト二尉よ」

「情報部情報連携室所属の日向マコトだ。主に世界各国の政府や機関との連携を担当している。大変だと思うけど、頑張ってくれ」

「山岸マユミです。よろしくお願いします」

「あれ? 日向さんって戦術作戦部の所属だったんじゃ」

「もう作戦を立てる必要も無くなったからね。作戦部は解体されてそれぞれ違う部署に連続したんだよ。俺は加持監査官の推薦もあって、情報部にお世話になってるんだ」

 元々日向はミサト直属の部下ではあったが、直接作戦の立案に携わる事は無く、情報処理やオペレート業務が主であった。

 その為情報部の所属となった今も、戸惑うこと無く業務を全う出来ている。

 

「この長髪の彼が、青葉シゲル二尉よ」

「よぉ、俺はゼーゲン中央作戦室所属の青葉シゲル。まあ副司令の部下って覚えて貰って構わない。趣味はギター、特技はギター、好きな物はギターだ。よろしくな」

「は、はい……よろしくお願いします」

 軽薄な印象を与える青葉に苦手意識があるのか、マユミは少し緊張した様子で頭を下げる。

「へぇ~青葉さんってギター弾けるんですね」

「おう。バンドも組んでてな。お、そうだ、今度ライブやるから良かったら来てみるか?」

「あら青葉君ったら、シイちゃんから霧島さんに乗り換えたの?」

「か、勘弁して下さいよ」

 リツコの皮肉たっぷりの突っ込みに、青葉は参ったと頭を掻いて苦笑した。

「ライブか~、実はちょっと興味あったりして。二人はどう?」

「わ、私は……その……少し怖いかなって」

「らいぶって、演奏会の事だよね。みんなで行ったら楽しいかも」

 意外と乗り気なマナとシイの様子を見て、加持とリツコは同じ想像をし、表情を歪める。

 シイ達が揃って青葉のライブに行き、そこで柄の悪い連中に絡まれ……レイとカヲルによって処分される未来が、恐ろしい程鮮明に想像出来てしまったのだから。

「……ま、その話は追々するとしよう」

「そうね。そもそも司令が許可するとも思えないし」

 青葉の話を早々に切り上げ、リツコはマヤの紹介へと移る。

 

「この子は伊吹マヤ。私直属の頼りになる部下よ」

「からかわないで下さいよ先輩。……えっと、技術開発局所属の伊吹マヤです。主にシステムの管制を担当しているの。よろしくね」

「はい、よろしくお願いします」

 女性と言う事もあってか、マユミは安心したようにマヤに微笑み返す。

「マヤさんはね、お菓子作りがとっても上手なの」

「そう言えばレシピを貰ってたっけか。シイ君の先生だな」

「シイちゃんは元々料理が出来たから、少しだけコツを教えただけですって。……それに早くも追い抜かれちゃいましたから」

 軽くからかう加持に、マヤは何とも複雑な表情で答える。シイはあれから何度もマヤに手作りのお菓子を評価して貰い、師匠越えを果たしていたのだ。

「好きこそ物の上手なれ、ね」

「山岸君は何か好きな物や趣味はあるのか?」

「わ、私は……本を読む事が」

 恥ずかしそうに俯きながら答えるマユミに、大人達は成る程と頷く。眼鏡にロングヘアーと、マユミは彼らのイメージする文学少女像そのものだったからだ。

「文章を読むことで語学力と、そこに秘められた作者の意図を読み取る洞察力、更には集中力も鍛えられる良い趣味だと思うわ」

「相変わらず堅いな~りっちゃんは。ま、否定はしないけどな」

「私はあんまり読まないけど、シイちゃんは最近何か読んだ?」

「ん~最近だと……あ、聖書を読んだよ」

 事情を知らない一同は、まさかの回答にポカンと口を開けてシイを見つめる。そしてマユミは少しだけ理解した。碇シイが変わり者だと言うのは、あながち間違いでは無いのだと。

 

 

 

~苦労人~

 

 発令所のスタッフ達との顔合わせを終えると、加持は施設を案内がてら各部署にマユミの紹介を行っていく。人脈作りと言うほど大げさな物では無いが、マユミにとって自分の顔を知って貰う事は、今後の仕事においても大きな意味を持つ。

「直接関わることが少ない相手でも、こうして交流を持っておいた方が良い。いざって時に思いがけず助けて貰える事もあるし、何より敵を作らないって意味でもな」

「……はい、頑張ります」

「って言っても、無理をする必要は無い。挨拶をキチンとする事と、苦手だと思う相手にもそれを表に出さずに接する位で充分だ。ま、人付き合いの基本だな」

 人見知りがちなマユミに、加持は優しくアドバイスを送る。と、そんな一同の前から白衣姿の男がゆっくりと近づいて来た。

「おや、皆さんお揃いで」

「時田さん、こんにちは」

「やっ。今日は実験か何かか?」

「ええ。太陽光発電に用いる新素材のテストでしてね。中々良いデータが取れましたよ」

 満足のいく結果が得られたらしく、時田は上機嫌で加持の問いかけに答える。専門分野で力を発揮出来る喜びからか、以前にもまして生き生きとした表情を見せていた。

「ところでそちらのお嬢さんは噂の?」

「ああ。丁度良いから紹介しておこう。本日付で配属された山岸マユミ君だ」

「山岸マユミです……よろしくお願いします」

「これはご丁寧にどうも。私は時田シロウ、技術開発局第七課の課長を務めております。こちらこそよろしくお願いしますよ」

 頭を下げて挨拶するマユミに、時田も穏やかな笑みを浮かべてお辞儀する。中途採用の彼がゼーゲンで今の地位を築けたのは、元々の才能と使徒戦での実績だけで無く、こうした物腰の穏やかさも大きな要因だろう。

「見た目は冴えない中年親父だが、ゼーゲンでも屈指の科学者だ。人生経験も豊富だから、何か困ったことがあれば相談するのも良いだろう」

「時田さんには私も一杯助けて貰ったの。エレベーターを細工して貰ったり、病室から抜け出すのを手伝って貰ったり……」

「へぇ~時田さんやる~」

「か、過激な方なんですね……」

「ははは、まあ事実なだけに否定出来ないのが辛いですが……司令には黙って居て下さいね」

 少し引き気味のマユミに、時田はおどけた様子で似合わないウインクをしてみせる。そんなおどけた姿に、マユミも思わずクスリと笑みを零してしまう。

「あっ、すいません……」

「いやいや、とても可愛らしい笑顔が見られて嬉しいですよ。私達が目指すのはみんなが笑顔で居られる世界。率先してどんどん笑ってきましょう」

 時田の言葉は何処までも優しく、マユミの緊張を暖かく解かしていった。

 

 

~天才達との邂逅~

 

 時田と別れた一行は、施設の案内を再開する。利用頻度が高いであろう場所を巡り、やがて食堂へと訪れたシイ達は、思いがけない人物と遭遇した。

「お母さんとナオコさん?」

「あら、シイ。それに……ああ、そう言えば今日だったわね」

「こんにちはシイちゃん。それと加持君もお疲れ様」

 テーブルに書類を広げて何やら話し合っていた二人は、加持に引き連れられる子供達の姿を見て、事情を察したのか笑みを浮かべて挨拶をする。

「お二人とも休憩ですか?」

「ええ。実験が一段落したから、考察を兼ねてね」

「ホントここに居ると退屈しないわ。次から次に興味深い研究対象が現れるんですもの」

「何よりです。休憩中に申し訳無いですが、少しお時間よろしいですか?」

 加持がマユミの紹介をしようとしているのだと察し、二人は直ぐに頷く。

「本日付で配属された、山岸マユミ君です」

「はじめまして、山岸マユミです。よろしくお願いします」

「あの子達のまとめ役って聞いていたから、どんな子かと思っていたけど……普通の子ね」

「そ、その……ごめんなさい」

「ふふ、そんなに素直に受け取らないで。別にガッカリしたとか、そう言う訳じゃ無いの」

 普通と言う言葉をネガティブに受け取る人は、自分に劣等感を持っている事が多い。ナオコはマユミのそんな気質と生真面目な性格を理解し、苦笑しながらフォローを入れた。

「何せ問題児揃いだから、貴方までそうだったらどうしようかと思ってただけだから」

「は、はい……」

「じゃあ改めて。赤木ナオコよ。技術開発部に所属しているけど、引退間際のおばさんよ」

 何処まで本気か分からないナオコの自己紹介に、ユイと加持は困ったように苦笑する。ゼーゲンでも年輩の彼女だが、その頭脳には一辺の陰りも無いのだから。

「赤木さんって……もしかして」

「ああ、さっき会った赤木リツコ博士のお母さんだ」

 マユミの疑問を察して加持が補足説明する。事情のあるユイとキョウコは比較対象にならないが、ナオコも三十を過ぎた子供が居るとは思えない程、若い外見をしていた為、母親と言うイメージが繋がらなかったのだろう。

「あまり似てないかしら?」

「そうでは無くて……ごめんなさい、お姉さんだと思いました」

「あらあら、お世辞が上手ね。……お腹空いてない? 何でも好きな物頼んで良いわよ」

「私もずっとお姉さんじゃ無いのかな~って思ってました!」

「……水でも飲んでなさい」

 便乗しようとしたマナを、ナオコはバッサリと切り捨てる。そんな二人のやり取りに、一同は笑みを浮かべるのだった。

 

「私も改めて自己紹介をしておくわね。ゼーゲン本部司令補佐官の碇ユイです。司令の補佐業務の他に、技術開発部のお手伝いもしているわ」

「はい。よろしくお願いします」

「私のお母さんだよ」

「良く似てるよね~。じゃあシイちゃんが成長したらユイさんみたいに……」

 マナの言葉を聞いてマユミ達は大人になったシイを想像し、同時に挫折した。どれだけ頑張っても、シイがユイの様な女性になっているイメージが出来なかったのだ。

 ただ一人、シイ本人を除いては。

「……こう背がもっと伸びて……胸も大きくなって……うん、良いかも」

「し、シイちゃんの想像力って凄いと思う」

「信じてる事は……素敵な事と思います」

「それにシイちゃんの場合は、神頼みが本気で実現されかねないから、あるいは」

「……レイにはキチンと言っておきますわ」

「ま、答えは時が運んでくれるだろう」

 目を閉じて幸せそうに微笑むシイを、一同は複雑な表情で見守るのだった。

 

 その後暫し談笑していると、レイから後始末が終わったと連絡が入り、シイ達はユイとナオコに別れを告げて食堂を後にした。

 

 

 

~神と天使と人間と~

 

 指定された会議室へとやって来た一同が目にしたのは、全身ボロボロで着席しているカヲルと使徒達にシイスターズ、そしてただ一人無傷のレイの姿だった。

「こいつは……凄まじいな」

「私達が出て行った時は、こんな酷く無かったよね?」

「うん……ねえレイさん。一体何があったの?」

 戸惑いを隠せない様子で、シイは唯一無事なレイへと問いかける。と、レイが答える前に満身創痍のカヲルが口を開く。

「ふ、ふふ……文字通り神の怒りに触れたのさ……」

「順を追って説明してくれ」

「切っ掛けは……些細な事だったよ。この抑止力部署の名前が味気ないから、何か良い名称は無いかと話し合ってね。単なる雑談……山岸君が来るまでの時間つぶしだった」

 そこまでは加持もシイから聞いていた。恐らくそれがエキサイトして、乱闘まで発展したのだと思っていたのだが、どうやら事はもっと複雑らしい。

「始めは和気藹々としていたのだけど……提案よりも批判が増えてきてね。使徒達とシイスターズの対立がハッキリしてしまったんだよ。どちらが優れているのかと」

「ま、分からない話でも無いな」

 本来は使徒達もシイスターズもリリスの抑止力として、優劣の無い関係なのだが、感情問題として自分が相手よりも優れていると思いたくなるのは無理も無い。

「これから仲間として協力しあう以上、変な遺恨は消しておきたかった。……良い機会だから思う存分腹の内をぶつけ合えば良いと思っていたんだ」

「一度本音でやり合えば、相手の事も分かるからな。それも一つの手だろう」

「前に借りた娯楽書物にも、殴り合って友情を深めるなんてシーンがあったから、気の済むまでやらせるつもりだった。勿論被害が出ないよう、僕とレイがATフィールドで周りをガードしてね」

 カヲルの説明を聞いて、加持はんっと眉をひそめる。施設の損壊は乱闘の結果だと思っていたが、二人がATフィールドで守っていたのなら、あそこまでの被害は出ない筈だからだ。

「……何があった?」

「目論見通りみんな全力でぶつかった。リリスの制限が掛かっているから、使徒とシイスターズの能力はほぼ互角でね、次第に疲れたのか悪口合戦になったんだ」

「……!? おい、まさか……」

「ご明察。何を思ったのか、全員が相手の親を罵倒してしまったんだよ」

 疲れ果てたカヲルの言葉で加持は事情を察し、視線をレイへと移す。ポーカーフェイスを貫いているレイだが、その頬を流れる汗が全てを物語っていた。

「使徒達の親は言わずもがな、リリスだ。そしてシイスターズの親はリリスでありシイさんであり、司令とユイさん。愛すべき両親と姉を罵倒されたレイの怒りと、可愛い子に罵倒されたリリスの嘆きがシンクロしてしまったらしくてね……神の怒りが降り注いだよ」

「神の逆鱗に触れたって訳か……」

「僕もどうにか被害を抑えようとしたけど、流石に本気のリリスには力及ばずさ」

 カヲルの言葉に偽りが無い事は、そのボロボロな姿と、普段なら即座に反論するレイが無言を貫いている事からも明らかであった。

 

「だが、毎度この調子だと困っちまうな」

「……問題無いわ」

「そうだね。その為に彼女がここに来ているのだから」

 加持の呟きにレイとカヲルは揃って視線をマユミに向ける。するとそれにつられたように、使徒とシイスターズ達もまた、あまりの惨事に言葉を失っていたマユミを見つめた。

 突然注目を集め、戸惑うマユミだったが、勇気を振り絞って自己紹介をする。

「や、山岸マユミです……。私には皆さんの様な力はありません。足手まといだと分かっています。でも私に出来る事を探して、精一杯頑張ります。だから……どうぞよろしくお願いします」

「……起立」

 小さなレイの言葉に反応して、使徒とシイスターズ達は一斉に椅子から立ち上がる。

「……山岸さん。私達は貴方を歓迎します」

「ご覧の通り癖の強い子が揃っているけど、よろしく頼むよ」

 事前に打ち合わせをしていたのか、カヲルとレイがマユミに向かって頭を下げると同時に、使徒とシイスターズもまたお辞儀をする。

 神と天使、そして人間が共に手を取り合う事を決めた瞬間であった。

 

 

 その後、レイがシイスターズを、カヲルが使徒達をマユミに紹介していく。合わせて三十名を超える大所帯だったが、マユミは一人一人と真摯に向き合う。

「これだけの人数だ。少しずつ顔と名前を覚えて貰えて行けば良いさ」

「……大丈夫です。もうちゃんと覚えましたから」

「それって名前だけじゃ無くて、顔とも一致してるって事?」

 まさか一度の紹介で、全員を把握出来るとは思わなかったのか、マナは驚きの声を漏らす。

「使徒のみんなは名前が天使の由来なので覚えやすいし、シイスターズのみんなも法則性が、多分数字だと思うけど……それがあったから」

「こいつはまた、驚いたな」

「そうだね。僕も彼女達を完璧に判別するのに、少し手こずったのだけど……ふふ、ならこの子は誰かな?」

 悪戯心が生まれたのか、カヲルはシイスターズの側に歩み寄ると、立ち上がる様に促す。そして立ち位置をシャッフルして再度座らせてから、端の一人を指さした。

「ヤエちゃんです。その隣がハヅキちゃん、ヒヨリちゃん…………」

 流石にこれは無理だろうと誰もが思う中、しかしマユミは迷うこと無く名前を告げていく。答え合わせの必要など、嬉しそうに表情を緩ませるシイスターズを見れば不要だろう。

 見事全員の名前を言い当てたマユミに、カヲルは微笑みながら拍手を送る。

「完敗だよ。でも一つ聞かせて欲しい。容姿の酷似した彼女達をどうやって見分けているんだい?」

「その……ハッキリとは言えませんけど、私は本を読むのが好きで、良く物語の登場人物を想像しているからなのか、人の顔と名前や特徴を覚えるのが得意なんです」

「でもさ、名前はともかくこの子達ってみんな同じ顔だよね?」

「確かに似てるけど……みんな少しずつ違ってるから。視線の動かし方とか雰囲気、何気ない動作もそうだけど、全く同じ人は居ないもの」

 シイスターズが完全に個性を得るには、まだ時間も経験も足りていない。それが分かっているからこそ、彼女達もシイやレイ以外の人が自分達を見分ける事を諦めていた。

 だからそんなシイスターズにとって、マユミの言葉は何よりも嬉しいものだろう。

 名前は個を表す大切な物。それを尊重した事でシイスターズとマユミの距離は一気に縮まり、早くも打ち解けムードに包まれていた。

 

「さて、それじゃあちょいと仕事の話をさせて貰おうかな」

 少しだけ声色が低くなった加持の言葉に、会議室の空気が自然と引き締まる。全員が自分を注目している事を確認してから、加持は業務的な説明を始めた。

 説明自体はそれ程難しい物では無く、普段はどんな活動をして、非常時にはどういった行動を取れば良いのかを具体的に示していく。

「……まあこんな所だ。と、最後になっちまったが、一応リーダーを決めておくか」

「それは今更聞くまでも無いだろ?」

「……ええ」

「OK。なら抑止力部署の代表は山岸マユミ君にやって貰う。これで良いな?」

 確認の意味も込めて告げる加持に、当たり前だと一同は頷く。ただ一人、選ばれた当人だけが驚きの表情を浮かべたまま絶句していた。

「おや、どうしたんだい?」

「む、む、無理です! 私なんかがリーダーなんて……」

「……貴方以外に居ないわ」

「だけど……」

 ここに集まっている面々が特別な存在だと理解している。だからこそマユミは、自分がそんなみんなを率いるに値しないと思っていた。

 俯いてしまうマユミに、顎に指をあてながらアラエルが不思議そうに声を掛ける。

「ん~ねえマユミちゃん。私達は別に強かったり、頼れるリーダーが欲しいんじゃ無いよ」

「え?」

「ずっと自分は相応しく無いって思ってるけど……それは私達が決める事じゃ無いかな?」

 心を読めるが故にアラエルの言葉は核心を突き、マユミの心を強く揺さぶる。

「そりゃそうだよね~。正直このメンツに勝てるのって、レイお姉様かカヲルさん位だし」

「うん。だから僕達のまとめ役に必要なのは、力では無いんですよ」

 アラエルの言葉に、トワとサキエルが頷きながら肯定を示す。

「僭越ながら、貴方はご自身を過小評価されていると見受けられます」

「だな。まず俺達を見て全くびびらない時点で、結構度胸が据わってると思うぜ」

「そして、使徒である僕達を偏見無く、一個人として認識してくれました」

「……私達を分かってくれた」

「……とても嬉しかった」

 使徒達とシイスターズからの言葉に、マユミは顔を赤くして戸惑う。ここまで素直に自分を評価される事に、慣れていないからだ。

「この子達を理解し、愛し、共に成長していける。それがリーダーになる唯一の条件さ。そしてそれを君は十二分に満たしているよ」

「…………」

 一同が見つめる中、マユミは車中での加持とのやり取りを、ゲンドウと冬月から掛けられた言葉を、何度も心の中で反芻する。

(……これは切っ掛け。私に出来るか分からないけど、やる前から諦めるのは駄目。だって私は……自分の意思でここに来たのだから)

 やがてマユミは小さく頷くと、決心したように顔を上げた。

「……自信はありません。みんなの期待に応えられないかも知れません。けど、全力で頑張りますから……やらせて下さい」

 吹っ切れた表情で深く一礼するマユミに、会議室中に響き渡る様な大きな拍手が送られた。

 

 国際機関ゼーゲン特殊部門抑止力部署。数々の問題と苦難を乗り越えた末に誕生したチームは、正しく平和への道標となるべく、第一歩を踏み出すのだった。

 

 

 

~真なる決着~

 

 その日の夕方、シイはゼーゲン本部から家に帰らず、加持とマナと共に戦略自衛隊の本部を訪れていた。あの一件に本当の意味でケリをつける為に。

 受付で手続きを済ませると、かつてのマナの上官が姿を見せる。

「今回は無理を言ってしまってすまない」

「いや、こちらもシイ君が是非にと言っていたからな」

「そう言って貰えると助かる。何の気まぐれか知らんが、碇シイと面会させろと言い出してな。本来なら聞き入れる必要は無かったのだが……」

 罪人からの要望は通常却下される。だが男は独断で非公式に加持へとシイとの面会を要請した。越権行為を承知で男を動かしたのは、事件を真に決着させたかったからだ。

「気持ちは分かる。確かに彼の罪を暴いて事件は解決したが、どうにもすっきりしないからな」

「本人を同行させなかったのは碇司令の配慮だろう。事件の解決という意味でそれは正しい判断だと思うが、決着にはやはり直接言葉を交わす必要があると私は思っている」

「だから彼の要望を受け入れた、か」

 事件は既に幕を降ろしている以上、この行動は蛇足かも知れない。だが例え蛇足であったとしても、最後までやりきる事に意味があると男は考えていた。

 

 男は三人を戦自本部の特別隔離施設へと案内した。罪を犯した戦自隊員は一時的にここで身柄を拘束され、刑が下された後は軍事刑務所へと収監される。

「……ここが面会室だ」

「彼はもう?」

「ああ。無論手錠はつけているし、部屋の様子は別室のモニターで監視している。万が一の時は直ぐに駆けつける事が出来るが……くれぐれも油断しないように」

「じゃあシイ君。俺達は監視モニターで部屋の様子を見ているよ」

「はい……ありがとうございます」

「気をつけてね、シイちゃん」

「うん、ありがとう。それじゃあ行って来ます」

 三人に見送られながら、シイはノックをして部屋の中へと足を踏み入れた。

 

 面会室と名前こそあるが、実際には椅子が二つ置かれているだけの小さな部屋。窓は無く、二つのドア以外には出入りは出来ない構造になっている。

 無骨なカメラが天井から吊され、室内の様子はモニタールームで監視されていた。

「……来たか」

「初めまして。碇シイと申します」

「……ふん。座れ」

 ドアを閉めてから、シイは椅子に腰掛けている壮年の男に一礼する。ねずみ色の服を着た男は鋭い視線を向けると、シイにも座るよう促す。

 自分から呼び出したとは思えない態度の男だが、シイは気にする事も無く椅子に腰を下ろした。

「事の顛末は知っているな?」

「はい」

「ならば何故、自分の命を狙った相手の呼び出しに応じた?」

「私も貴方とお話したいと思ったからです」

 即答するシイの目を男は観察する様に見つめる。黒と赤の特異な瞳はどちらも澄み切っており、嘘や偽りを言っているとは思えない。

「余程図太いのか、あるいは単なる馬鹿か……いずれにせよ愚か者だな」

「あはは……」

「そんな愚か者が目指す世界、果たして本当に目指す価値があるのか?」

 男から口火を切って、シイと元高官との対話は始まった。

 

「私がお前を狙った理由……聞いているな?」

「はい」

「俗物的な考えだと、自分が大切なだけだとお前達は蔑むだろうが、私にとってはお前という存在を消してでも、守るに値する物だ。それは今も変わらない」

「……人にはそれぞれ譲れない物があって、それを守ろうとするのは当然です」

 先の一件を肯定する様なシイの発言に、男は僅かに眉をひそめる。

「では碇シイ。私がお前の殺害を試みた事もまた、当然だと認めるのか?」

「私は私の望む世界を目指し、貴方はそれに反対だった。自分の譲れない物を守る為に、衝突するのは必然ですから。でも……」

「ん?」

「貴方がその手段に暴力を選んだ事は、間違いだと思います」

 シイの言葉に男の視線が鋭さを増す。だが憎しみと怒りが籠もった視線を受けても、シイは目を逸らさない。

「……貴方は自分の意見を表に出しましたか?」

「出来るわけが無い。世界がお前を支持している以上、私は裏で動くしか無かった」

「いえ、戦自の高官という貴方の立場なら、少なくとも私に直接意見をぶつける事は出来た筈です。自分はお前の意見に反対だ。それはこう言う理由からだ、と」

「…………」

「なのに貴方は自分の思いを隠して、話し合いよりも先に暴力を選んでしまった。……戦う事から逃げたのに勝とうとした、卑怯者です」

「小娘が……」

 シイの言葉は本心からの物であり、それ故に男の心に容赦なく突き刺さる。自分の半分も生きていない子供からの叱責に、男は苛立ちを露わにした。

「貴様のような子供に何が分かる! 大人の世界は貴様が考えている程単純でも、優しくも無い。貴様が言っているのはただの綺麗事だ」

「自分の思っている事を言わないのに、分かって貰えるなんて思っちゃ駄目ですよ。そんなのただの駄々っ子と同じ……余程子供じゃ無いですか」

「なら私が正面から貴様に意見を言って、それで何かが変わったと言うのか? 変わる筈が無い。少数の意見は押し殺されるのが世の常だろう!」

「諦めたらその瞬間、可能性は無くなります。暴力に訴える前に貴方にはやれる事が、やらなきゃいけない事があったのに、それから逃げたんです」

 今にも飛びかかってきそうな男にも、シイは怯える素振りを見せずに意見を述べ続ける。普段は臆病な彼女だが、一度覚悟を決めてしまえば引くことは無い。

 一触即発の空気の中、両者は暫し無言で視線をぶつけ合った。

 

「貴方はもっと……自分がこれまでやって来た事に誇りを持つべきだったと思います」

「何?」

「戦略自衛隊の皆さんが頑張ったから、こうして平和な世界へと踏み出す事が出来る。自分達が未来への磯を築いたんだと、もっと胸を張って誇って良かったんです」

「ふん。その誇りを奪おうとしている貴様が何を言う……これまでこの国を守ってきた者を切り捨て、使徒などと言う存在に頼って平和を維持する。そんな未来は願い下げだ」

「頼るつもりはありません。使徒のみんなは私達の友達として新生しました。平和な世界は私達が自分達で築いていくんです」

 予想外なシイの発言に男は眉をひそめる。

「どう言う事だ?」

「抑止力で無理矢理に戦いを無くすだけじゃ、根本的には何も変わりません。人類が自分達で戦いは必要無いんだと気づける様に成長する。その為に使徒のみんなが居るんです」

「…………」

「確かに使徒のみんなは強い力を持ってますけど、それに頼っちゃ駄目なんです。抑止力部署は補助輪……私達がキチンと自分の力で前へと漕ぎ出す為の補助輪なんですから」

 平和な世界を生きるには人類はまだ幼い。初めて自転車に乗った子供の様に前へ進むのもおぼつかず、ちょっとした事で直ぐに転んでしまうだろう。

 だからリリスは我が子に使徒と言う補助輪を与えた。人類が成長して真っ直ぐ進める様になるまで、抑止力という形で転ばぬよう支えさせる為に。

 そしていつの日か、補助輪の役割を終えた使徒は、人類の隣で共に平和な世界を進むだろう。正しく友人として。

 

「誇って下さい、貴方達が守ってきた世界が平和への道を歩み始めた事を。信じて下さい、人類はもっと優しくなれると……使徒とだって友達になれると」

「それはお前の理想だ。世界中の人間が同じ事を望んでいると思うか?」

「いいえ、これは私の我が儘ですから」

「……それを知ってなお、お前は自分の意思を押し通すのか?」

「はい、だって私は我が儘ですから」

 ギロッと眼光鋭く睨む男にも、シイは怯まずに頷いて見せた。世界中に笑顔が溢れ、生まれる命全てが祝福される世界。それは多くの人の賛同を得たが、元々はシイ個人の望みなのだから。

「本気で実現出来ると信じているのか?」

「はい。私一人では絶対に出来ない事ですけど、支えてくれる多くの人がいます。共に歩んでくれる人達がいます。使徒のみんなが助けてくれます。だからどれだけ時間が掛かっても、必ずゴールに辿り着けると信じています」

「…………」

「今はまだ理想です。けどそれが実現出来たら……きっと素敵な事だと思いませんか?」

 シイの問いかけに男は無言のまま腕を組んで、何かを思案する様に瞳を閉じる。その脳裏に何が浮かんでいるのかは、本人以外に知る事は叶わない。

 

「……私が軍に入隊したのは十五の時だった」

 沈黙を破って男はポツリと呟いた。そのまま男は少年時代から今に至るまで、自分が経験した事を淡々とシイに語っていく。

「生き残る為に戦った。守る為に敵を殺した。友を、仲間を、部下を失った。味方同士での昇進争いも蹴落とし合いにも勝ち抜き、地位と権力を得た。それが目的になっていた事は否定しないが、純粋に平和を求めていたのも確かだ」

「…………」

「…………そう、私は悔しかったんだろう。何も知らないお前の様な小娘が、人類を平和へと導こうとしている事に」

 シイとの対話を通して男が気づいた自分の本心。戦争経験も無い子供が平和な世界を目指すと宣言して、それが世界に受け入れられた事が、男の自尊心を傷つけていたのだろう。

 自分の地位を守りたい。使徒を受け入れたく無い。それも確かに男の動機だったが、根底にあるのは嫉妬に似た感情だ。

「私がどれだけ手を尽くしても動かせなかった世界が、お前が一声掛けただけで動く。神に認められたからと言う理由だけで、お前は特別な存在に上り詰めた。……世界は不公平だな」

「…………」

「そんな顔をするな。お前が何もせずに今日まで生きてきたとは、私も思っていない。エヴァの搭乗者として戦い抜き、ゼーレとやらの悪巧みを打ち破ったのはお前自身の功績だ。……ただ素直に認めるには私は歳をとりすぎている」

 本心を吐露する男はどこか疲れた様にシイへ告げた。

「……碇シイ。私はお前の目指す未来をまだ信じていない。出来る筈が無いと思っている。もし私を認めさせたかったら結果を残して見せろ」

「はい」

「話は終わりだ。もう行け」

 男の言葉にシイは頷くと、椅子から立ち上がって一礼し、静かに部屋を後にした。

 

 

 部屋から出たシイは、ドアを背にその場にへたり込んでしまう。そんな彼女の元へ、別室で監視していた加持達が駆け寄ってくる。

「大丈夫、シイちゃん」

「あはは……気が抜けたら力も抜けちゃって」

「立派だったと思うよ」

 シイの手を握りながら告げるマナに、加持と副官もまた同意する様に頷く。今回の対話が何かを変える訳では無いが、それでも互いの本心をぶつけ合った事に意味はあるだろう。

「これにて決着だな」

「ああ。自己満足かも知れないが、それでも私は二人を会わせて良かったと思う」

「シイ君にとっても良い経験になっただろう。ただちょいと疑問なんだが……そもそも何で奴はシイ君との面会を望んだんだろうな?」

「……地位や権力で目が曇っていたが、元々は純粋に平和を望んでいた男なんだろう。だから全てを失った今、碇シイが希望を託すに相応しい存在か否か、直接確かめたかったのかも知れない」

 あくまで推測に過ぎないが、と副官は付け加える。そして歴史にifは禁物だが、もしも事前にシイと男が対話をしていたら、違う結末があったのでは無いかとも。

「相互理解、その為の対話か。……言葉など所詮は武力の前では無力だと思っていたが、その認識を改めなくてはなるまい」

「シイ君の言うとおり、人類は少しずつそれを理解していくべきなんだろう。やがて全ての人間がそれを真に理解した時、正真正銘の平和が訪れるのだから」

「今回の一件は私にとっても貴重な経験となった。……感謝する」

「こちらこそ」

 差し出された副官の右手を、加持は微笑みながら握り返した。

 

 

~自覚~

 

 戦略自衛隊の本部を後にしたシイは、加持の運転する車で直接自宅へと向かっていた。無事に決着が着いた安堵感からか、車内の空気は行きに比べて大分柔らかい。

「で、どうだった? サシでああ言った手合いとやり合った感想は」

「まだどきどきしてますけど、勉強になりました。色々な考えを持つ人が居るって改めて分かりましたし、教科書でしか知らなかった戦争のお話とかは特に」

「セカンドインパクトの後は、まあ確かに酷い状況だった。ガキだった俺ですらこの世界が地獄に思えてな……生き残る為に手段を選んで居られなかったよ」

 加持は視線を前から逸らさずに言葉を続ける。

「民間人の俺ですらそんな気持ちだったんだ。軍人として戦っていたあの男は、それ以上の地獄を経験しているだろう。同じ人間同士で殺し合わなければ平和が守れない。そんな矛盾の中で生きていく内に少しずつ心が摩耗したのかもしれないな」

「……歪んでいった、と言う事ですか?」

「ああ。だからこそ地位や権力にも固執したんだろう。無数の犠牲の上に得たそれは、奴にとって自分の行動が正しかったと証明する誇りであり……目を曇らせる呪いでもあった訳だ」

「頑張れば頑張るほど、本来目指していた物を忘れてしまった……」

「割と良くある話さ。人間ってのは忘れる生き物だからな。ま、だから人は生きていけるんだろうし、人生は面白いんだろう」

 夕日が差し込む車内に沈黙が流れる。だがそれは決して気まずいものでは無く、それぞれが何かを感じて思案する心地よい時間だった。

 

 その後、シイを自宅まで送ってから加持とマナは本部へと向かう。恐らくは知っていて見逃したであろうゲンドウ達に、謝罪と報告を行う為だ。

「どうせなら、ちゃんと許可をとってから行けば良かったんじゃ無いですか?」

「それだと色々面倒だからな。あくまで俺の独断でシイ君を連れ出した事にして、それを事後報告した方が今回の場合はスムーズなんだ」

 大人の事情なのだろうと、マナはそれ以上の追求をしない。

「はぁ~主席監査官への道のりは、まだまだ遠いって感じです」

「なに、これから徹底的にこき使って鍛えてやるさ」

「……お手柔らかにお願いしますね」

 何処まで本気か分からない加持の発言に、マナは引きつった笑みで答えた。加持が自分を補佐につけているのも、恐らくは自分をみっちりと鍛える為なのだから。

「でもこれで一件落着。やっと平穏な日々が送れるますね」

「ん? もうすぐ期末試験らしいが、その様子だと余裕みたいだな」

「……あ゛」

「シイ君達は海に行く計画を立てているらしいぞ。当然護衛として同行して貰うが、赤点で補習なんて事態になったらどうするかと心配していたが……安心したよ」

「……あの、加持さん。お願いが……」

「ふぅ。勉強なら俺よりもレイや渚、アスカに教えて貰うと良いさ」

「そうじゃ無くて……特殊監査部仕込みのカンニング術を伝授して欲しいな~って」

 両手を合わせて可愛らしくお願いするマナに、加持は呆れながらどう説教したものかと、無言でアクセルを踏み込んだ。

 

 二人を乗せた車を照らす夕日はゆっくりと沈み、人類と使徒が共に手を取り合い未来への一歩を踏み出した日が、静かに終わりを告げる。

 遙かな未来を目指す翼は、見事に大空を羽ばたくのか。あるいは失意に飲まれて墜ちていくのか。それはまだ誰にも分からない。

 ただ、その鍵を握る少女は困難を乗り越え、また一つ成長した。

 

  




アダムとリリス編から続いていたシリアス部門、これにて完結です。

山岸マユミ、霧島マナは作者の妄想が多分に入っている為、ゲームファンの方にはお叱りを受けるレベルのキャラ崩壊ですが、暖かく見守って頂けると嬉しいです。

シイ達だけで無く、ようやく全てのベクトルが前へと向きました。
ここからは比較的穏やかなエピソードや、アホタイムを展開しつつ、物語の完結へ向かいます。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。

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