エヴァンゲリオンはじめました   作:タクチャン(仮)

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4話 その4《鳴った電話、繋がる心》

 マンションの一室。そこは部屋の主がいるにもかかわらず、まるで通夜の様な空気だった。

(……こんなに不味いビールは久しぶりね)

 帰宅したミサトは服を着替える事もせずに、リビングに一人座っていた。テーブルの上にはすっかり冷めたレトルト食品が手つかずで置かれており、大好物のビールすら今は身体が受け付けようとしない。

(あの子……今何処にいるのかしら)

 ミサトはリビングの机に突っ伏しながら、先程から同じ事を考え続ける。

 先に戻った筈のシイの姿はここに無かった。玄関の入室履歴から、一度も戻ってこなかった事も分かっている。あのまま姿を消してしまったらしい。自分の言葉によって心を傷つけたままで、だ。

(保安諜報部が付いてるから、身の危険は無いと思うけど……)

 パイロットには必ず保安諜報部の人間が付いている。目的は護衛と監視。その気になれば、シイは何時でもネルフに連れ戻されるだろう。本人の意思とは無関係に。

(もしそうなれば、あの子は心を閉ざすわね。間違いなく)

 次の使徒が現れれば即時、そうでなくても近い内にその時はやって来るだろう。現状、唯一稼働出来るエヴァ初号機。そのパイロットであるシイの存在価値は、本人が思っている以上に大きいのだから。

 ミサトはそっと、テーブルに置いてある携帯に手を伸ばそうとして、直前で止める。これも先程から何度も繰り返している動作だった。

(……何を言うつもり? 私はあの子の言葉に対する答えを持ってないのに)

 もしシイと話せたらミサトは一番に謝罪するつもりだった。だが、それだけでは根本的解決にならない。あの時シイが発した言葉への、ミサトなりの答えを示す必要がある。感情に振り回されたあの時とは違う言葉を。

 それが見つからないミサトは、携帯を手に取る勇気が無かった。

 

 そんな時、不意に携帯が着信を告げた。

(呼び出しかしら?)

 ミサトは気怠げに携帯を手に取ると、ディスプレイに表示された発信者を見て思わず固まった。それは今自分が一番話をしたい相手だったのだから。

 暫しの逡巡の後、ミサトは着信ボタンを押した。

『も、もしもし……ミサトさんですか?』

 受話器から聞こえるシイの声に、ミサトはホッと胸をなで下ろす。少なくとも自分で電話が出来る様な状況にあり、声の様子から怪我等をしている様にも思えなかったからだ。

「ええ、そうよ……シイちゃん」

『あの、その……ごめんなさい』

 色々な気持ちが込められた謝罪がミサトの胸に届く。

『私、家に帰らないで、連絡もしないで、本当にごめんなさい』

「いいのよ。貴方が無事でいてくれたなら」

 ミサトの言葉は本心から出たもの。それがシイに伝わったのか、少しだけ安堵したのが分かる。

「今は何処にいるの?」

『洞木さんの家です。えっと、クラスメートで友達の』

(エヴァに乗ったあの子か)

 これにミサトは更にホッとした。女子生徒の家にいるなら、色々な意味で危険はないだろう。

『今夜は洞木さんの家に泊まりたいんですけど……良いですか?』

「ええ。シイちゃんの手料理が食べられないのは、ちょっち寂しいけどね」

『ごめんなさい。明日からはちゃんと作りますから』

 ミサトは思わず耳を疑った。それはつまりここに、自分の家に戻ってきてくれると言う事だ。あの時のシイからは、絶対に出てこないであろう言葉。空白の時間に一体何があったのだろうか、とミサトは戸惑う。

 そんな空気を察したのか、

『ミサトさん……少しお話、聞いて貰えますか?』

 シイは小さく語りかけた。

 

『私はエヴァに乗って使徒を倒せば、みんなが守れると思ってました』

『でも、そのせいで傷ついた人が居た。だからそんな自分が許せなかったんです』

『人を傷つけてまでエヴァに乗りたくない。そう思いました』

 ミサトはシイの言葉を無言で聞き続ける。ここまでは、あの更衣室でのやり取りで分かっている事。ミサトはその先が、シイが辿り着いた答えを聞きたかった。

『だけど……私がエヴァに乗って、守れた人も居たんです』

『その人が言ってくれたんです。ありがとうって……守ってくれて、ありがとう……って』

 涙声のシイはそれでも言葉を止めない。

『嬉しかった……私は人に感謝される事をやったんだって……初めて思えました』

 ミサトを含めネルフスタッフは、使徒の殲滅が仕事だ。だからシイを褒めることはあれ、感謝する事はしなかった。仕事、役割、義務と言う感覚でシイの行動を捉えていたのだ。

 故に彼女は、犠牲にあった人の言葉に深く傷ついた。しかし今度は、守られた人から感謝の言葉を貰った。それがシイの心にとって、どれだけ大きな支えになったのか、考えなくても分かる。

(私は馬鹿ね。何も分かってなかった)

 ミサトは内心後悔していた。

『ミサトさんの言ったとおり、全ての人を守ることは出来ないかも知れません』

『また……傷つく人が出るかも知れません』

『でも、戦えば守れた人を、戦わない事で失うのは……嫌なんです』

『だから、一人でも守ることが出来るのなら、私は戦います』

 シイの言葉には、今までにない強さが込められていた。

 

 

 その後、ミサトも自らの行為を謝罪し、今回は喧嘩両成敗。シイは大好物であるチョコを、ミサトは命のガソリンであるビールをそれぞれ三日我慢する罰を決めた。

「明日の朝一で迎えに行くわね」

『歩いて帰れますよ』

「良いから、それくらいさせて。洞木さんに、妹が世話になったお礼もしたいし」

『え? ミサトさんの歳だとお母さ…………』

 受話器の向こうでシイがどんな顔をしているか、ミサトには手に取るように分かる。

「んふふ、明日の朝迎えに行くから。逃げちゃ駄目よ? それじゃ、お休みなさい」

『は、はぃ……お休みなさい』

 シイの情けない声を最後に、二人の電話は終わった。

 

 携帯をしまうミサトの顔は、先程とは見違えるほどスッキリしていた。シイが無事であったこと。改めてエヴァに乗る決心をしてくれたこと。そして何より今も尚、自分を家族と認めてくれていること。

 全てが嬉しかった。

(だから、私も覚悟を決めなきゃね)

 エヴァ初号機パイロット、サードチルドレンに対する、作戦部長として。中学二年生の女の子、碇シイに対する家族として。ミサトは自分の責任を改めて実感し、それを全うすると心に決めるのだった。

 

 

「転校生、ちょいと付き合って貰えるか?」

 翌日学校に登校したシイは、再びトウジから呼び出しを受けた。連れ出された場所は前回と同じ校舎裏。先日の記憶が蘇り僅かにシイの手が震える。

 同行したヒカリとケンスケが見守る中、無言でシイと向かい合うトウジ。何とも気まずい沈黙が漂うが、やがてトウジは意を決したかのように、拳をぐっと握りしめた。

 反射的に実をすくめるシイ。だがその後に続く行動は、全く予想と逆のものであった。

「転校生、ほんますまんかった!」

 トウジは両膝と両手、額を地面に着けて大きな声で謝罪した。

「「えっ!?」」

 突然の事態にシイとヒカリは驚き戸惑う。テレビや芝居などで見たことはあっても、実際に目の前で土下座をされれば困惑するのも当然と言える。

「わしは……何も知らんかった。転校生が、あんなに辛い思いをしとるのも……わしらの為に命を賭けて戦ってくれとることも。なのにわしは……お前を責めるだけやなく、傷つけてしもうた」

「そ、そんな」

「しかも、あん時お前は、傷つくのを承知でわしらを助けてくれた。ほんますまん!」

「い、良いから……もう良いから、頭を上げてよ」

 頑として頭を上げようとしないトウジに、シイは本気で困ってしまう。助けを求めるかのように周囲を見回すシイに助け船を出したのは、苦笑しているケンスケだった。

「トウジ。碇が困ってるぞ」

「せやけど、こうでもせんと、わしの気が済まんのや」

「謝る相手を困らせてどうするのさ。なあ、碇?」

「え、う、うん。お願いだから立って」

 シイに言われて、ようやくトウジは土下座を止めて立ち上がった。

 

「実はな、わしの妹が昨日の夜に目ぇ覚ましよったんや」

「本当っ!? ……良かった」

 思わぬ朗報にシイはホッとしてつい涙ぐむ。トウジが妹をどれだけ大切にしているかは、あのやり取りだけで十分過ぎる程分かっていたのだから。

「そんで早速面会したんやけど……」

「トウジの奴、妹に説教されたんだよ」

 言いよどむトウジに代わり、ケンスケが言葉を紡ぐ。

「その人が戦ってくれたから、私達は生きてるのよ。それを責めるなんて最低、ってな」

「ちょ、お前……勝手に」

「しかも、女の子の顔を殴るなんてあり得ない、お兄ちゃんなんか大嫌いって……」

「あ~も~少し黙っとれ」

 トウジの叫びに、ケンスケはやれやれと引き下がる。

「妹の事も勿論あるけどな、お前に謝りたいのはわしの本心や。あん時わし等はお前が苦しんで、辛くて、それでも戦ってる姿を見た」

「鈴原君……」

「理解してやるなんて自惚れるつもりは無いで。せやけどな、その姿を知っとる以上、何も知らん奴らには何も言わせへん」

 トウジはグッと拳を握りしめると、シイに向けて真っ直ぐ突きだした。

「もしお前に何か文句付ける奴がおったら、わしがぶちのめしたる。説得力無いのは分かっとるけど、それがわしの気持ちや」

 飾らないストレートな気持ち。それはシイにとって、とても大きく暖かなものだった。

「うん……ありがとう」

 嬉し涙を拭いながら、シイは輝くような笑顔をトウジに向けた。

「……っと、大事な事を忘れとったわ」

 シイの笑顔に見とれていた事を誤魔化すように、トウジはわざと大きな声を発しながら、シイの左頬を指さす。騒ぎにならないよう湿布で隠してはいるが、今もまだ殴られたアザは痛々しく残っている。

「それ、痛かったやろ」

「もう気にして無いってば。あの時の鈴原君の気持ちも分かるから」

 しかしトウジは首を横に振る。八つ当たりで女の子の顔を思い切り殴ってしまった。それは彼にとって謝って済む問題では無いのだ。

「転校生、わしを殴れ」

「……へっ?」

 あまりに突然の言葉に、シイは目を丸くする。

「女の顔殴ったのを、こない事でチャラに出来るとは思っとらん。けどな、せめて一発殴られへんとわしの気が済まんのや」

「で、でも……」

「頼むよ碇。こういう不器用な奴なんだ。良くも悪くも真っ直ぐだからさ」

 ケンスケは片手で拝むようにシイへ頼む。見れば隣に立つヒカリも、呆れたような顔で軽く頷いている。

(人をぶった事なんて無いけど……それで鈴原君が満足してくれるなら)

 シイはトウジに頷くと、小さく華奢な拳を握った。それを確認すると、トウジは目を閉じて両手を後ろに組み、殴られるのを待つ。

(鈴原君の顔、思い切り手を伸ばさないと届かないかも)

 シイは腕を伸ばして野球の投手みたいに大きく振りかぶった。筋肉のほとんど無い手は、鞭のようにしなりながら、美しい弧を描く。それでもシイの拳では大したダメージは無いだろう。

 だが、

(あ、でもやっぱりグーでぶつのは酷いよね。パーの方が痛くないかも)

 直撃の瞬間、シイは手の平を開いてしまった。

 つまりはビンタ。

 

 パァァァァン

 

 何とも気持ちの良い乾いた音が、校舎裏に響き渡った。

「ぬぅぅぅぅおぉぉぉ」

 想像していた物とは異なる痛みに、トウジは頬を抑えてうずくまる。ケンスケとヒカリも、予想外の結末に開いた口が塞がらない。張本人のシイですら、自分の手とトウジを交互に見て、困惑の表情を浮かべている。

「え、え、ええ~!?」

「な、何でビンタなんや……?」

「だって、グーじゃ痛いと思ったから」

 本来シイの細腕で殴った所で、体格の良いトウジにはさほど痛手では無かっただろう。だが、平手打ちなら話は別だ。しなったシイの手から繰り出されるビンタは、拳以上に破壊力抜群だった。

 小さな親切余計なお世話、とはよく言ったものだ。

「と、とにかくや……今本気でやったか?」

 トウジは少し涙目になりながらシイに尋ねる。

「う、うん」

「さよか……すまんかったな。わしの我が儘に付き合わせてしもうて」

 トウジはどことなく満足げな笑みを浮かべる。シイやヒカリには理解出来なかったが、これが彼なりのケジメなのだろう。

「鈴原君」

「なんや?」

「私の我が儘にも、付き合って貰って良いかな?」

「勿論や。何でも言うてみい」

「あのね、あの時のやり直しをしたいの」

 シイはそっと右手をトウジに差し出す。

「碇シイと申します。二週間前に転校してきました。もし良ければ、私と友達になって下さい」

 先日と同じ挨拶。悲しいすれ違いから果たせなかった挨拶。

「……鈴原トウジや。わしの方こそ、よろしゅう頼む」

 トウジは爽やかな笑みを浮かべてシイの右手を握った。

 

「う~ん、感動的なシーンだな。たまにはこういうのも良いね」

「そうね」

「あれ、どうしたのさ委員長。涙ぐんだりして。ひょっとしてこう言うのに弱い?」

「ち、違うわよ」

 ケンスケに冷やかされ、ヒカリは慌てて涙を拭う。

「ただ、シイちゃんにとって、凄い嬉しいことだったと思うから」

「あれ? 委員長って碇の事、名字で呼んで無かったっけ?」

 ケンスケが不思議そうにしていると、

「ヒカリちゃん。私、鈴原君と友達になれたよ」

 シイが嬉しそうに駆け寄ってきて、そのままヒカリに抱きついた。

「うん、良かったねシイちゃん」

「ありがとう、ヒカリちゃんのお陰だよ」

 幸せそうなシイを祝福するかのように微笑むヒカリ。それは同い年なのに、どこか母と娘のような印象を与える光景だった。

(何かあったのかな? ま、それよりも……)

 ケンスケは疑問を打ち消し、二人が抱き合う姿をカメラに収める。

(うんうん、絵になるね。これは人気が出るぞ)

 

 そんなケンスケの邪な考えなど知らず、シイは幸せな気分で一杯だった。




長く重苦しかった四話が終わりました。今回の件でシイは勿論、ミサトの心構えにも変化が生まれます。
物語を良い方向に持って行くには、葛城ミサトは重要人物ですので、今後も子供達を包み込んで欲しいですね。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。

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