エヴァンゲリオンはじめました   作:タクチャン(仮)

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後日談《リリンと使徒(鋼鉄の絆)》

~奪われた宝物~

 

 シイの拉致。それは大きな衝撃を持ってゼーゲンに伝えられた。次期総司令、英雄、そうした肩書きなど関係無く、シイは彼らにとって大切な存在なのだから。

 報告を受けたゲンドウと冬月は、全ての業務を止めて発令所へと駆け込んだ。

「一体どうなっている? 詳しい状況を報告しろ!」

「本日の昼前、自宅でシイちゃんが何者かに拉致されました。現場にはシイちゃん他、クラスメイトの霧島マナ、そして加持元三佐が居たようですが、同じく拉致されたと思われます」

「犯行グループは逃走。現在追跡部隊を派遣していますが、足取りは掴めていません」

「……保安諜報部はどうした?」

「マンション周辺の護衛班は全滅。相手はかなりの武装をしていたと想定されます」

 ゼーゲンの保安諜報部は厳しい訓練を受けた手練れ揃い。正体不明の侵入者捜索に人員を割いていたとは言え、シイの周辺は複数の保安諜報部員が常に護衛していた。

 その彼らが異変を本部に伝える暇無く消されたのは、今回の犯行を企てた連中が人を殺す事のプロフェッショナルである事を示していた。

 

「報告のあったテロ組織か」

「……その可能性は高いだろう」

「狙いはシイ君の命、では無いな」

「殺さずに拉致した。奴らにとってシイは、世界を誤った道へと向かわせる鍵なのだろう」

 ゲンドウは己の感情を押し殺して、絞り出すように冬月に答えた。彼の中では、犯行グループの目的が既に予想出来ているのだろう。

 愛する娘がこの先、どの様な扱いを受けるのかも。

「彼女の友人とミサト君を拉致したのも、シイ君を鍵として働かせる為と言う訳か」

「……ああ」

「何としても阻止しなくてはならん。碇、大丈夫だな?」

 自宅を襲撃され、娘とその友人、かつての部下を拉致された。ゲンドウには想像を絶する程の絶望と怒りが渦巻いているだろう。

 だがゲンドウはそんな冬月の心配を一蹴する。

「……問題無い。奴らの目的が我々の予想通りなら、少なくともシイ達はまだ無事の筈だ。事を起こす前に救出すれば、全て片が付く」

「そうか。そうだな」

 奪われた宝物ならば、奪え返せば良い。まだ絶望するには早すぎると冬月は気合いを入れ直し、声を張り上げて部下達に指示を送った。

 この時から、ゼーゲンは第一種戦闘配置へと移行するのだった。

 

 

 

~囚われの姫君~

 

 意識を取り戻したシイの視界には、見知らぬ灰色の天井が広がっていた。無機質な蛍光灯の明かりにまぶしさを感じ、手で顔を覆おうとして、自分が縛られている事に気づく。

「……あれ?」

「おはようシイちゃん」

 事態が把握出来ないシイに、女性が優しく声を掛けた。誰か居るのかと声の方を振り向けば、そこには自分と同じ様に手を腰の後ろで縛られている、ミサトの姿があった。

「ミサトさん、その傷……」

「あはは、あいつらレディーの扱いがなってなくて、ちょっちね」

 何でも無いと笑うミサトだったが、その顔と身体のあちこちには打撲や切り傷が残っており、素人目にも無事では無いと分かる。

「ま、あんな手合いを相手にして、命があるだけ儲けものかしら」

「そ、そう、あの人達って一体……私達はどうなってるんですか?」

「あいつらは多分、テロ組織か傭兵の集まりだと思うわ。明らかに実戦慣れしてたし。で、私達は簡単に言うと、拉致されたのね」

 さらっと恐ろしいことを告げるミサトに、シイは驚きと戸惑いを隠せない。

「拉致……どうして」

「あのねシイちゃん。自覚が無いかも知れないけど、今の貴方は世界中から注目されてるのよ」

「良い意味でも、悪い意味でもね」

「マナ!?」

 背後から聞こえた声に振り返れば、やはり自分達と同じ様に手の自由を奪われたマナが、ゆっくりと身体を起こそうとしていた。

 殴られた左頬は酷く腫れ上がり、その影響からか左目は閉じたままだった。

「女の子に容赦ないわね……大丈夫?」

「平気です。殴られるのは慣れてますから」

「慣れてるって……」

 信じられないとマナを見つめるシイだが、ミサトは納得したように頷く。

「やっぱり貴方、何処かで訓練を受けてたわね?」

「……分かりますか?」

「立ち振る舞いとか纏ってる空気が、ちょっち普通の子とは違ったから」

 思えばあの時ミサトは、マナにシイを連れて逃げる様に頼んだ。普通の女学生ならば竦んで動けない様な状況で、何故そんな事を言い出したのか。

 それはマナを一目見た時から、彼女が普通の高校生で無いと理解していたからだろう。

「私もそれなりに場数踏んでるし、何となくだったけど」

「……その通りです」

 ミサトの言葉にマナは観念したように頷くと、シイの正面に座った。

 

「シイちゃん、私は貴方に隠してた事があります」

「マナ……?」

 まるで壁を作るように敬語で話し出すマナを、シイは不安げに見つめる。

「転校してきたのも、貴方に近づいたのも、全部……任務の為でした。碇シイの情報を集めて報告するのが、私に与えられた任務」

「い、いきなり何を言い出すの?」

「私は…………戦略自衛隊から派遣された、スパイです」

 懺悔のように紡がれるマナの言葉に、シイは何も答える事は出来なかった。

 近い将来、ゼーゲンの次期総司令として世界の中心に立つ少女。その情報を集め、今後のゼーゲンと戦自の関係を円満な物にする為、自分は送り込まれたとマナは話す。

 全てを打ち明けたマナに、沈黙を守っていたミサトが訝しげに眉をひそめる。

「変ね。少なくても私の知る限り、うちと戦自の仲は決して悪く無いわ。なのに関係を拗らせるリスクを冒してまで、貴方を送り込んだ。……何か裏があるのかしら」

「詳しい事情は分かりません。私にはそれを知る権利は無いので」

 ここに至って嘘をつく理由が無い為、恐らく本当にマナは何も知らされていないのだと、ミサトは理解した。

「えっと、マナは戦略自衛隊の人で、任務で第三新東京市に来た。目的は私の事を調べる為。それであってるのかな?」

「うん。騙していてごめんなさい」

 確認する様に言うシイに、マナは深々と頭を下げて謝罪した。

「ん~マナは何も謝る事をしてないと思うんだけど」

「だって私はシイちゃんを、みんなを騙してた」

「戦略自衛隊の人だって言わなかった事? でもそれなら、私もゼーゲンの職員だってマナに言わなかったし、おあいこだよ」

 大した事では無いと笑うシイを、マナは信じられないといった様子で見返す。

「だ、だけど私は、任務の為にシイちゃんに近づいたんだよ?」

「その後は? お友達になって一緒に遊んだのも、全部任務で仕方なく?」

「それは違う! 近づいたのは任務の為だけど、シイちゃん達と一緒に居て凄く楽しかった。本当に友達になりたいって……そう思ってた」

 本心をさらけ出したマナに、シイは満足げに頷く。

「私にとってマナは大切な友達だよ。それはマナが戦略自衛隊の人だからって変わらない」

「……ありがとう」

 シイが自分の行為を正しく理解しているのかは分からない。だがそれでも、全てを知った今も自分を友達だと受け入れてくれるシイが、マナには本当に嬉しかった。

 

 

~名コンビ~

 

 シイが拉致されたと連絡を受けたアスカは、友人達と別れてゼーゲン本部に急行した。

(あの馬鹿……散々自分の立場を弁えろって言ってたのに)

 アスカは同居していた時から常々、シイの無防備さを指摘していた。不安が現実となった今、不満をぶつけずにはいられない。

 もっともアスカにも、自宅を襲撃されたシイに非が無い事は分かっているのだが。

(白昼堂々自宅を襲撃? ミサト達も一緒に拉致? 舐めた真似してくれるわね)

 シイ達が自分の為にパーティーを開こうとしていた事は、ヒカリ達から教えて貰った。ご馳走を食べながら、気心知れた友人達と楽しく過ごす筈だった時間を、優しい少女の想いを、無粋な連中が奪い去ってしまった。

 襲撃者に強い怒りを抱きながら発令所へと向かうアスカは、その途中の休憩スペースに座る、ユイとレイの姿と出会った。

「アスカちゃん……」

「えっと、この度は何て言うか」

「そんなに気を遣わないで大丈夫よ。……でもありがとう」

 娘を拉致された母親の心境は、アスカには想像出来なかった。だが普段通りに振る舞うユイの姿も、また母親としての強さなのかもしれない。

 

「シイの居場所はまだ?」

「ええ。第三新東京市の外に出たのは間違い無いのだけど、その後の消息は不明のままね」

「そう……ですか」

 何か進展があるかもと期待したアスカだったが、現実はそう甘く無いらしい。

「それでユイお姉さん達はここで何を?」

「レイが捜索に参加すると言って聞かないから、少し落ち着かせていたの」

 困り顔で答えるユイに、アスカは成る程と頷く。ユイの隣に座るレイは落ち着き無く身体を揺すり、今にもここから飛び出して行きたいと言う意思が見て取れた。

「ちっとは落ち着きなさいよ。あんたが焦ったって、状況は好転しないわ」

「……アスカは落ち着いていられるの?」

「少なくともあんたみたいに、闇雲に飛び出していかない位にはね」

「……シイさんが拉致されたのは私のミス。助けようとするのは当然よ」

「だったらまず、その血が上った頭を冷やすのね」

 気が昂ぶっているのか、冷静さを欠いているレイをアスカは突き放す。それを冷たい対応だと受け取ったのか、レイは鋭い視線をアスカに向けた。

 しかしアスカはそれを意にも介さない。

 

「迂闊にシイから離れたあんたが責任を感じるのは構わないわ。なら次にあんたがすべきなのは、シイ達を無事助け出す事でしょ?」

「……だから私は」

「あんた馬鹿ぁ? 闇雲に動いたって意味ないじゃん。良い? 今はシイ達の居場所を突き止める段階なの。迷子を探すのと訳が違うんだから、今はまだあんたの出番じゃ無いわ」

 レイの反論を封じ込めながら、アスカは更に言葉を紡ぐ。

「あんたは強いわ。多分人間相手ならほぼ無敵よ。それはあたしが保証してあげる」

「…………」

「だからこそ、今は待つ時なの。シイ達の居場所が特定できたら、それこそ誰よりも先に現場に急行して、シイ達を救出する為にね」

 アスカが伝えたいのは人の持つ役割だった。比類無い戦闘能力を持つレイは捜索行動では無く、居場所が判明してからの救出作戦に力を発揮すべきであると。

 そして、周りの人間をもう少し信じるべきであるとも。

「シイ達を助けたいって思ってるのは、あんただけじゃ無いわ。ここの奴らがみんなそれなりに有能なのは知ってるでしょ。……ちっとは周りを信じて頼ってみなさいよ」

「…………」

「舞台が準備されてからが役者の出番よ。囚われのお姫様を救い出す騎士の役を、他の奴に演じさせるつもり?」

 黙ってアスカの言葉を聞いていたレイの表情に、落ち着きが戻った。暗い光を宿していた瞳には、強い決意の光が灯る。

 

 やる気を削ぐ事無く、それでいて勝手な行動を防ぐ。暴走気味だったレイのベクトルを、最善と思われる方向にコントロールしたアスカに、ユイは思わず感心してしまう。

 恐らく自分が同じ事を言っても、レイを納得させる事は出来なかっただろう。共に実戦をくぐり抜けてきた信頼関係と、アスカ自身のリーダー資質があってこそだとユイは確信する。

(良いコンビね。……シイは友達に恵まれているわ)

 と、不意にユイの携帯電話が着信を告げる。

「はい碇……え!? ……ええ、直ぐにそちらに」

「何かあったんですか?」

「進展があったそうよ。私はこれから発令所に向かうけど」

 二人も来るか、と聞くまでも無かった。力強い視線を向けるアスカとレイに頷くと、ユイは二人を引き連れて発令所へと急ぎ向かった。

 

 

 

~悪意との対峙~

 

 窓一つ無いコンクリートの部屋。出入り口は鋼鉄製のドアが一つあるだけの、完全な密室。それがシイ達の得た結論だった。

「ん~こりゃちょっち脱出は難しそうね」

「ドアの鍵も外にしかついてませんし、体当たりじゃどうにもならないと思います」

「……そもそもここって何処なんだろう」

 部屋の中央に集まって話し合うシイ達。するとタイミングを見計らったかのように、ガチャガチャとドアの鍵が開く音が聞こえてきた。

 何かが起こる、と三人はゆっくりと開くドアに視線を向ける。そして開いたドアから室内に、一人の男が入ってきた。

 歳は四十代、あるいは五十代だろうか。軍服の様な服を着た小太りの男は、三人を見下したように見つめると、大仰に一礼する。

「この度は手荒なお招きをしてしまい、申し訳無く思っています」

「……全くよ。もう少しレディーの扱い方を勉強して欲しいわ」

「血の気の多い連中ばかりでしてね。ご容赦頂きたい」

 男はミサトの軽口に、慇懃無礼な態度で応じる。碇家を襲撃した彼らの様な肉体は持っていないが、それとは別の怖さを三人は感じ取った。

「で、あんた達は何者なのかしら。シイちゃんが狙いなのよね?」

「おお、流石は元ネルフの作戦部長殿。慧眼をお持ちの様だ」

「そりゃどーも」

 大嫌いなタイプだ、とミサトは嫌悪感を隠さずに相づちを打つ。人を小馬鹿にしたような、口が達者な男は、ミサトが苦手とするタイプだった。

「さて、我々が何者なのか……そうですね、些か語弊はありますが、世間一般でテロリストなどと呼ばれている集団と思って頂ければ結構かと」

「テロリスト……」

「武力で目的を達成しようって言う、ろくでもない連中よ」

「いやいや手厳しい。目的の為に犠牲をいとわず、あらゆる手段を用いる組織。ネルフやゼーゲンと何処が違うのでしょうかね?」

 セカンドインパクトと人類補完計画。人類の為と言いながらも、その人類に大きな犠牲と驚異をもたらした事件を暗に告げながら、男は嫌らしく笑いながら皮肉る。

 

(シイちゃん。こうした奴の言葉を真に受けちゃ駄目よ。自分を強く持って)

(は、はい)

「……で、テロリストが何でシイちゃんを拉致したのかしら?」

 シイに小声でフォローを入れてから、ミサトは男に尋ねる。あえて自分が会話を受け持つ事で、シイ達に冷静さを保たせる為だ。

「え~簡単に言いますと、碇シイさんが邪魔なんですよ」

「!?」

「こんな可愛い子に酷いこと言うわね」

「見た目通りなら良かったのですが、世界は碇シイさんを中心にまとまりつつあります。平和を目指して一致団結し、争いの無い世界へと向かおうとしてるのですよ」

 苦渋の表情を浮かべる男に、シイは首を傾げる。

「みんなが仲良く出来るなら、それが一番だと思います」

「それが一番で無い者も居ると言うことです」

「……要は戦いが無くなったら、自分達が金儲け出来ないってんでしょ?」

「戦場は我々の仕事場です。それを守ろうとするのは当然の権利ですよ。漁師から海を取り上げる様に、我々から戦場を奪おうとしている。流石に見過ごせません」

 傭兵の様に戦いを生業としている者。武器商人の様に戦いによって利益を得る者。彼らにとって世界を平和に導こうとするシイは、邪魔な存在であった。

「現に今回の計画には、世界中から賛同者と協力者が集まっています。世界を在るべき姿に戻す為、我々は一致団結して事を成し遂げる覚悟です」

 男の言葉通り、今回のシイ拉致計画は複数のテロ組織が協力して行った。平和な未来と言う共通の目標で人類が手を取り合った様に、シイの排除と言う利害の一致がテロ組織に手を結ばせた。

 どちらにもシイが深く関わっているのは、皮肉としか言い様が無い。

 

「……で、これから私達をどうするつもりかしら」

「我々の拠点へとご案内しますよ。そこで全世界に向けて、碇シイからメッセージを発信して貰います。使徒は変わらず人類の敵で、平和な未来など所詮は夢物語だと、ね」

「嫌です!」

 男の言葉をシイが即座に拒否する。この状況で徹底拒否の姿勢を貫くシイに、しかし男は全く動じた様子を見せない。

「貴方は臆病の様に見えて、その実自分の意思を押し通す強さを持っている。例え断れば殺されるとしても、素直に従ってはくれないでしょう」

(こいつ、シイちゃんの事を調べ上げてるの?)

 近しい人にしか見せないシイの本質を理解している男に、ミサトは嫌な予感を抱く。それでも計画を実行したのなら、その先の一手を持っている筈だと。

「かといって、貴方を殺すだけでは駄目です。平和を求めた少女が志半ばで、テロ組織によって命を奪われた。我々はその意思を継がなければならない。そんな出来の悪いシナリオで人類が一致団結してしまう可能性がありますから」

 死は終わりであると同時に永遠も意味する。今ここでシイが命を失えば、その名は平和への道を提示した英雄として、歴史に刻まれるだろう。

「なので貴方を殺すにしても、その前にやっておく事があるんですよ」

「……何よ」

「碇シイを英雄から、ただの小娘に引きずり下ろす事です。見苦しく命乞いをして、我が身大事さに自分の理想を否定する。世界が碇シイに幻滅し、象徴と出来なくすれば良い」

「シイちゃんはそんな脅しに屈しないわ」

「そうですかね? 心優しい少女には辛いと思いますよ。大切な人達が自分のせいで傷つき、殺されていく姿を見るのは」

 ニヤリと笑う男の真意に気づき、ミサトは思わず息をのんだ。

 そう、そもそもシイが目的の連中が、何故自分達をも拉致したのか。口封じならその場で殺せば事が済んだ筈なのに。

 自分達はシイを精神的に追い詰めるための、生け贄なのだ。自分よりも他者が傷つく事を恐れるシイにとって、それはあまりに適切で残酷な行為だった。

 チラリと視線を向けると、シイも男の考えを察したのか青い顔で小刻みに震えている。

(最悪ね……でもどうしてこいつらは、シイちゃんの弱点をここまで的確に……)

「少し長居してしまいましたね。拠点へ移動するまでは、ここで大人しくしていて下さい。くれぐれも逃げようなどと考えない方が良いですよ。では」

 ファーストコンタクトで圧倒的優位に立った男は、満足げな表情で一礼すると、部屋の外へと出て行った。

 

 

「シイちゃん大丈夫?」

「はい……」

「ま、いきなりあんなヘビーな話聞かされちゃ、無理も無いわね」

 明らかにショックを受けているシイをミサトは気遣う。明確な敵意を向けられ、暗に自分とマナに危害を加えると宣言されれば、精神的に相当辛いものがあるだろう。

「ごめんなさい……私のせいでミサトさんとマナを」

「それは違うわ。悪いのは全部あいつらよ」

「でもあの人、テロリストにしては、何か変な感じでしたね」

「ああ言った連中は兵隊以外にも、武器の調達とか報酬の交渉とかをする奴が必ず居るわ。そうした事務型なのか、あるいは幹部クラスかもね」

 マナの疑問に答えつつも、ミサトの思考は事態の打開へと向いていた。

(逃げの一手ね。ゼーゲンも動いてるだろうけど、間に合う保証は無いわ。拠点とやらに移される前に、どうにかしてここから脱出しないと)

 時間を掛けるほど状況は悪くなる。リスクは承知でここからの脱出を図るべきだと、ミサトは自分の考えをシイとマナに伝えた。

 二人も覚悟を決めていたのか、ミサトの提案に即答で賛同する。

「まず手を自由にして、あのドアをどうにかする。後は速やかにここから脱出って感じかしら」

「はい。でもこの縄、中々解けそうに無いです」

「……何とか出来るかも」

 マナはそう呟くと、視線をドアへと向ける。鋼鉄製のドアには小さなのぞき窓があり、そこから大柄な男が背中を向けているのが見えた。

「葛城さん。服を噛ませて貰っても良いですか?」

「へ? そりゃ構わないけど…………まさか貴方」

「大きな声を出すと、あいつに気づかれちゃうんで」

 驚き目を見開くミサトにマナは苦笑しながら頷くと、這いつくばる様な姿勢でミサトのスカートの端を噛む。そしてマナは縄抜けを実行に移した。

 

 

「はぁ~ふぅ~ふぅ~」

 真っ赤な顔に脂汗と涙を流し、荒い呼吸を繰り返すマナ。関節を外して縄の拘束から逃れると言う荒技は、彼女に凄まじい激痛を与え続ける。

 だがその成功報酬は大きく、マナの両手は無事縄から抜け出せた。

「ま、マナ……痛い、よね?」

「正気の沙汰じゃ無いわよ。失神してもおかしく無いし、下手すりゃ障害が残るわ」

「で、でも、これしか無いって……思ったから」

 声を出すのも辛い状態で、しかしマナは二人に笑って見せる。

「初めて、じゃ無いのね?」

「訓練で……何度か……その時は失神しちゃったけど……上手く行って良かった」

(戦自は子供に何を仕込んでるのよ)

 年端もいかない子供が、自分でも躊躇する様な事を実行する。そう出来る様に訓練させた。ネルフともまた違う戦自の底知れぬ闇の一端に、ミサトは触れた気がした。

「……でも今は感謝するしか無いわね。手は大丈夫?」

「はい……少し待てば、感覚が戻ると思うので、二人の縄を外せます」

「OK。ならその間にあのドアを開ける方法を考えましょう」

 思うところはあれど、マナの機転で状況が改善されたのは事実。ミサトは頭を切り換えて、鋼鉄製のドアをどう攻略するか思案する。

「力で壊すのは無理。鍵は外にしか無い。ドアの前には見張りが居る。ちょっち厳しい状況ね」

「あの~ミサトさん」

「どうしたのシイちゃん?」

「ひょっとしたら、あのドアを開けて貰えるかもしれません」

 自信なさげに告げるシイに、ミサトとマナは驚きの視線を向ける。難攻不落のドアを突破する方法が、二人には全く思いつかなかったのだから。

「ほ、本当なのシイちゃん?」

「成功するかは分かりませんけど……」

「聞かせて。例えそれが無理でも、何かヒントがあるかも知れないわ」

「はい。リツコさんから教えて貰ったんですけど、前に……」

 シイの告げる脱出案を、ミサトとマナは真剣な表情で聞き入った。

 

「……どうでしょうか?」

「正直、素直に賛成は出来ないわ。脱出法としては定番だから、相手も疑ってかかる筈。相当のリアリティーが……それこそ血を流す覚悟が無いと」

「覚悟はあります。それに痛い思いをしたのはマナも同じですから」

「私のとはレベルが違うけど……葛城さん、勝算はあると思いますよ」

「……本当の良いのね?」

 念を押すミサトに、力強くシイは頷いた。覚悟が出来ているシイに、これ以上の問いかけは無意味だと、ミサトもまた覚悟を決める。

「私達の命運、貴方に託すわ。……じゃあ、始めるわよ」

 囚われの姫君達の脱出劇は、静かに幕を開けた。

 

 

 

~脱出~

 

「あぁぁぁぁ」

「シイちゃん! 止めなさい!」

 ドアの前に見張りをしていた男は、室内から聞こえてきた大声に慌てて小窓を覗き込む。そこには大事な人質であるシイが、勢いよく壁に頭を打ち付ける姿があった。

「おいっ、何をしている!」

「見て分かるでしょ。シイちゃんがここで死ぬって聞かないの」

「駄目だよシイちゃん。自棄にならないで!」

「どうせ殺されるなら……あいつらの思い通りになんかならないもん!!」

 マナの制止を振り切って、シイは何度も何度もコンクリートの壁に頭突きを繰り返す。二人は止めようとするのだが、手を縛られた状態ではそれもままならない。

(恐怖でとち狂ったか? 自棄になったか? とにかく一度報告をして……!?)

 どう対応するか迷う男だったが、背中を向けて壁に頭を打ち付けるシイの足下に、血が零れているのを見つけ、大いに慌てる。

 彼らの目的を果たすためには、この段階でシイを失う訳にはいかない。報告して指示を仰ぐ間にシイが命を絶つような事があれば、わざわざ拉致した意味が無くなってしまう。

(ちっ、面倒かけさせやがって)

 男は舌打ちをしながら、ドアの鍵を開けて室内へと立ち入った。自分一人でも、拘束された女子供に後れを取るはずが無いと言う油断が、彼の警戒心を緩めてしまう。

「おい、今すぐ止めないとお仲間を殺す…………」

 シイの肩を掴もうとした男の首筋に、ミサトの回し蹴りが直撃した。全く予想していなかった不意打ちに、男は一撃で意識を刈り取られて床に倒れた。

 

「シイちゃん、もう良いわよ!」

「……うぅぅ」

 ミサトの声が届いたのか、シイは頭突きを止めてその場に崩れ落ちた。額は赤黒く変色しており、幾筋もの血が顔を伝って流れ落ちている。

 意識がもうろうとしているのか、目の焦点が合っていないが、それでも自分が役目を無事果たしたと理解して、満足げに笑って見せた。

 仮病を使って看守を誘い込むのは、様々な娯楽小説でも登場する古典的な方法だ。以前シイスターズが同じ様な事をしたと、リツコから教えて貰ったシイは、それをアレンジする事を思いついた。

 応援を呼ばれない様に、頭への自傷行為という一刻を争う事態を生み出す事で、見張りの男一人だけを誘い込もうとしたのだ。

 相手にとって今はまだ、碇シイは五体満足で、最悪言葉を話せる状態で無ければならない。そんな思惑を逆手に取った作戦だったのだが、払った代償は大きい。

「や、やりました……。私だって……演技出来る……」

「良いから喋らないで」

「出血は額からなので直ぐ止まると思いますけど、頭へのダメージが大きいですね」

 マナは破ったスカートの切れ端をシイの額に巻きながら、冷静に状態を分析する。脳が相当激しく揺れたため、自力で立つことすらままならないだろう。

「私が背負っていくわ。シイちゃん、ちょっと我慢しててね」

「はい……」

「もう気づかれててもおかしくありません。急ぎましょう」

 ぐったりしたシイをミサトがおんぶする横で、マナは男の持っていたマシンガンを奪い取る。これで戦えるとは思わないが、無いよりはマシだろうと。

 三人は慎重に急ぎながら、捕らわれていた部屋から抜け出し、外への脱出を目指した。

 

 

 シイ達が捕らわれていたのは、ビルのような建物だった。壁や床はあちこちに亀裂が走っており、放置された廃墟を思わせる。

 あの部屋だけが特別だったのか、通路には一切の明かりは無く、ガラスの無い窓から差し込む明かりだけが、唯一の光源だった。

 窓から外を見渡してみたが、暗闇に覆われていて場所を特定する事は難しい。

(こっから行ける?)

 ミサトはイヤリングを外して、窓から下に落としてみる。だがその落下音が彼女に教えたのは、ここが少なくとも飛び降りられる高さでは無い事と……窓の下が水で満たされている事実だった。

(水の音……廃墟みたいな建物……まさかここは)

 得られた情報からミサトは、現在位置の予想を立てる。そしてもしその予想が当たっていた場合、脱出は困難を極めるだろうと、苦い表情を浮かべた。

「加持さん?」

「……とにかく、こっから飛び降りるってのは無理ね。下に進むしか無さそうだわ」

「了解しました」

 見つからぬように、極力音を立てずに建物を移動する三人。しかしそんな彼女達の耳に、複数の人間が慌ただしく動く足音が聞こえてきた。

「見つかった!?」

「あそこから逃げ出したのがばれたのね。こうなりゃ多少強引にでも行くしかないわ」

 ミサトは小さく舌打ちすると、マナを伴って下へ進むルートを探す。訓練から離れて久しい身体は、シイを背負っての走行に早くも悲鳴を上げていた。

 だが泣き言を言うつもりは毛頭無い。子供達があれだけの覚悟を見せたのに、最年長の自分が真っ先に脱落するなど許されないと、ミサトは震える膝を一喝して進んだ。

 

 

 

 

~死に至る病と、生に至る薬~

 

 建物の構造を把握していない状況に加え、武装面でも人数面でも圧倒的な差がある中、ミサトはかつての経験を生かし、必死に脱出ルートを模索した。

 だが彼我戦力差を覆す事は遂に出来ず、三人は通路の真ん中で前後を塞がれてしまった。無数の銃口がシイ達を捕らえる中、あの男が姿を見せる。

「全く、面倒を掛けないで欲しいですね」

「随分と大所帯じゃない。一体何人くらい居るのかしら?」

「本隊は拠点に集結しているので、まあ百名程度ですよ」

 あえてミサトの問いに答えたのは、戦力差を自覚させて無駄な抵抗をさせない為だろう。マナの持つマシンガンは、玉砕覚悟で使えば自分達数名を道連れに出来るのだから。

「脱出が無理だと分かりましたか?」

「……そうね。例え突破出来たとしても、周りが海じゃ逃げ切るのは難しいだろうし」

「ほぅ」

「ここ、旧東京でしょ。上層階が水没を免れたビルの一つ、ってとこかしら」

 ミサトの言葉に男は少し驚いた様な表情を浮かべる。

 かつて日本の政治と経済の中心であった東京都は、セカンドインパクトとその後に起きたテロによって大部分が水没。日本政府は再建を放棄した。

 以前ミサトが上空からその荒廃した姿を見た時、完全に水没しなかったビルがあった事を確認している。勿論それらも放棄されていたのだが、隠れ蓑としては利用価値があったのだろう。

 

「名目上は政府直轄地だから、ゼーゲンの目を逃れやすい。周りが海だから人質の脱走は困難で、逆に国外への移動は潜水艦でも使えば容易。こりゃ最高のロケーションって訳ね」

「……どうやら貴方への認識を改める必要がありそうだ」

「そりゃどーも。んで、水没した部分はちゃっかり改修してたりするの?」

「ええ。この国からも武器や物資の援助を受けてますから、その為の輸送拠点です」

 もう隠すつもりもないのか、男はミサトの言葉を全面的に認めた。ミサトがそこまで察した事は予想外だったのだろうが、知られた所で現状は変わらないと判断したからだ。

「さて、時間稼ぎのお喋りはもう良いでしょう。……潜水艦の到着は遅れていますが、それでもゼーゲンがここに気づく前に事は片付く」

「…………」

「女子供だからと、少し甘くしたのが間違いでした。今度は身動きが出来ないよう、手足をへし折っておきましょう」

 銃口を向けながら、じりじりと距離を詰める男達。流石に万策尽きたと、諦めの気持ちがミサトとマナに浮かんだ時、不意にシイが口を開く。

「……諦めちゃ駄目です」

「シイちゃん?」

「諦めたら……全部終わっちゃいます。だから駄目なんです」

 まだ意識がもうろうとしているのか、シイの声は小さくおぼつかない。そんなシイの言葉を男は一笑に伏す。

「楽観思考にも程がありますね。自分で立つことも出来ないのに」

「……そう。私は……弱いから……何時もみんなに支えられて、助けられて……みんなが居たから、みんなと一緒だから……ここまで来られました」

 ミサトの背中越しにうっすらと開いた目で男を見つめ、シイは言葉を紡ぐ。

「……だから、私は最後まで……絶対に諦めない。……それが信じて力を貸してくれたみんなに……私が出来るただ一つの事だから」

「他力本願は結構ですが、それがどうしたと言うんでしょうか」

 シイの言葉を男はバッサリと切り捨てる。どれだけシイが諦めないと宣言しても、この状況が覆る筈も無く、彼にはただの戯れ言としか思えなかった。

「諦めなければ奇跡が起こると、本気で思っているんですか?」

「……諦めたら……奇跡は起こせません。……奇跡は神様の贈り物じゃ無くて……最後まで諦め無かった人が勝ち取った……結果だから」

「下らない夢見事ですね。一つだけ教えてあげましょう。起こらないから奇跡と言うんです」

「ふふ、それはどうかな」

 男の言葉に答えたのは、澄んだ少年の声だった。

 

 

 

~天使の帰還~

 

 窓の外から聞こえてきた少年の声に、男達は目を見開いてその方向を凝視する。そこには月を背にして銀髪の少年が、彼らにとって最悪の敵である渚カヲルの姿があった。

「ば、馬鹿な!?」

「な、な、渚カヲル……!? 本物の……使徒」

 予想外の人物の登場に戸惑う男達を尻目に、カヲルは優雅にシイ達の元へと舞い降りる。その姿はまるで天使が降臨するかの様な神々しさに満ちていた。

「えへへ……おかえり……カヲル君」

「シイさん、遅くなってすまない」

「……ううん……来てくれて……ありがとう」

 痛々しいシイの姿を見て、辛そうに詫びるカヲルにシイは首を横に振る。

「少し待っていてくれ。直ぐに終わらせるから」

「……うん」

 カヲルは優しくシイの頭を撫でると、スッと赤い瞳を細めて男を睨んだ。

「さて……覚悟は良いかな?」

 普段は聞くことの出来ない、本気で怒ったカヲルの冷たい声。そこには大切な存在を傷つけられた事に対する、激しい怒りに溢れていた。

 

「ま、待て。何故お前がここに……ソ連に居た筈だ」

「姫の危機に騎士が駆けつけるのは当然さ。それがどれだけ離れていたとしても、例え地球の裏側だとしてもね」

「あり得ない……お前の動向は常に監視していた。ソ連から出た報告など無かった!」

「ふふ、そこは想像にお任せするよ。……僕は早くシイさんに治療を受けて欲しいんだ。無駄話にこれ以上付き合うつもりは無い」

「くっ、全員一斉射! こいつを殺せ!!」

 男のヒステリックな叫びと同時に、カヲルに向けて無数の銃弾が降り注ぐ。だがそれらは全て、ATフィールドによってあっさりと防がれてしまった。

 響き続ける銃声。しかし男達が全ての銃弾を撃ち尽くした後も、カヲルはポケットに手を入れた余裕の姿勢を崩さず、冷たい視線で彼らを見下す。

 たった一人の援軍によって、戦況は完全に覆った。

 

「ば、化け物め……」

「否定はしないよ。僕が人にあらざる存在であるのは事実だからね」

「ふん……どうせお前のような化け物が、人類に受け入れられる筈が無い。いずれ気づくだろうよ、使徒は危険な存在で、共存など決して出来ないと。そしてまた世界は戦いを始める」

「それもまたリリンが選ぶ事さ。ただ僕は可能だと信じているけどね」

 男の挑発にカヲルは動じる事無く、チラリとシイに視線を向ける。

「ただ一人でも信じてくれれば、希望は生まれる。ただ一人でも諦めずにいてくれれば、希望は決して消えない。例えそれが奇跡と呼ばれる程儚いものであってもね」

「……カヲル君……」

「シイさんは何も特別な事をした訳じゃ無い。ただ彼女が信じてくれた事で希望が生まれた。そして小さな希望は今、リリンの意思と言う大きな力となって世界を動かしているのさ」

 この場に居る全員に語りかけたカヲルは、ポケットから黒い通信機を取り出す。

「……こちら渚カヲル。シイさん他二名を無事確保。始めて構わないよ」

 カヲルが通信機に向けてそう告げた瞬間、建物の下層から爆発音が響き渡った。何事かと戸惑う一同の耳に、続いてけたたましい発砲音が届く。

「何だ、何が起こった!?」

「これってまさか」

「ふふ、ゼーゲンと戦略自衛隊の人質救出部隊さ。君達の安全を確保するまで待って貰ったけど、もう遠慮はいらないからね。張り切っている様だ」

 激しい戦闘音が響く中、カヲルはミサトに笑って見せた。

 

 

 

~獅子奮迅~

 

 世界でも屈指の戦力を保有する戦略自衛隊は、ゼーゲンと違い対人間戦に長けている。完璧に統制の取れた屈強な兵士達は、テロリストと交戦しながら次々に建物を制圧していく。

 一方のゼーゲンは加持を筆頭に、保安諜報部と特殊監査部から選りすぐられた精鋭部隊が、伏兵や隠し通路などの探索を担当し、戦略自衛隊の戦闘行動をサポートする。

 そんな中、先陣に立って突破口を開く二人の少女が居た。

「……邪魔」

 一人はレイ。姫を守れなかった騎士は、その奪還に燃えていた。ATフィールドを攻守にフル活用して、問答無用で相手をなぎ倒していく。

「雑魚は引っ込んでなさい!!」

 そしてもう一人は、真っ赤なスーツに全身を包んだアスカであった。かつてJA事件でミサトが着ていたスーツと形状こそ似ているが、性能はまるで別物。

 恐るべき防御力を誇るスーツを得たアスカは、銃を持ったテロリストを白兵戦で倒していく。レイの様な攻撃力こそ無いが、突破するだけならば充分であった。

 

 通路を駆け抜けながら、アスカはカヲルへ通信を繋ぐ。

「変態! シイ達は全員無事なのね?」

『久しぶりの挨拶がそれとは……君は変わらないね』

「良いから、こっちの質問に答えなさい」

『……加持さんは暴行を受けたらしく、全身を負傷しているよ。シイさんは額から血が出ている。頭部にダメージがあるかも知れない』

 カヲルの答えを聞いた瞬間、アスカの全身に怒りが満ちあふれた。共同生活を送った二人は、アスカにとって家族同然の存在。傷つけられて黙って居られる筈が無い。

「……殺してやる……殺してやる。殺してやる」

『……アスカ……私は大丈夫』

「シイ!?」

 弱々しくもハッキリと聞こえたシイの声に、危険な思考に陥りかけたアスカを踏み留める。

『……来てくれてありがとう……でも無理しないで……』

「ったく、それはあんたに言う台詞よ。あたしが行くまで大人しくしてなさい。良いわね?」

『うん……待ってる』

 短いやり取りだったが、シイとの会話はアスカの頭を冷静にし、それでいて戦いへのモチベーションを最大限に高めた。

「レイ! 一直線にシイのとこに行くわよ。……邪魔すんなゴラァ!!」

 立ちはだかる障害をなぎ倒し、アスカとレイはシイの元へと突き進んだ。

 

 

 

~決着~

 

「やれやれ。暫く会っていなかったけど、変わらないね、彼女は」

「……アスカだもん」

「相変わらずシイちゃんもさり気なく酷いわね。ま、その通りなんだけど」

「ふふ、下の方もじき片付くだろうし、これで幕が下ろせそうだ」

 カヲルは通路に折り重なる様に倒れる男達を一瞥し、小さく息を吐いた。窓の外にはゼーゲンと戦自の輸送ヘリが飛び回り、ビルの周辺には小型の艦艇が待機している。

 テロリストを取り逃がす心配は無い無いだろう。

「一安心ね。……渚君、本当にありがとう。貴方が来てくれなかったら今頃は……」

「ふふ、麗しの姫君を守れるのは騎士の名誉さ」

「…………」

「おっと済まない。君とは初対面だったね。僕は渚カヲル。シイさんのクラスメイトにして兄、そして一生を添い遂げる者さ」

 自分をジッと見つめるマナに気づき、カヲルは爽やかに微笑みながら自己紹介をした。

「霧島マナです。……聞いていた通りで安心しました」

「口の悪い友人が多くてね。話半分で聞いておいてくれると助かるかな」

 主にアスカとレイが吹き込んだであろう、自分の評価を想像してカヲルは苦笑を浮かべる。と、マナが手首を気にする仕草をしている事に、スッと目を細めた。

「……君も負傷していたのか」

「私のは自分でやったので」

「霧島さんは関節を外して、縛られていた縄から抜けたの。そのお陰で脱走出来たのよ」

 ミサトは捕まってから今に至るまでの出来事を、順序立ててカヲルに説明する。それを全て聞いたカヲルは、何かを考え込む様に眉をひそめた。

 

「……霧島さん。一つ聞いても良いかな?」

「はい」

「君に与えられた任務は、シイさんの情報を集める事だけかい? 例えば……エヴァやゼーゲン本部についての機密、あるいは使徒の新生についてはどうだったのか、聞かせて欲しい」

「目的は将来ゼーゲンとの関係を良好に保つため、シイちゃんの人となりを知る事です。交友関係のある人もある程度は情報収集しましたけど、機密情報に関しては指示されていません」

 マナの答えを聞いて、カヲルはある疑惑を抱いた。

「何か気になる事でもあったの?」

「貴方も気づいてる筈だよ。そんな目的ならば、わざわざ極秘裏に潜入させる必要は無いってね。適当な名目をつけて、公に彼女を派遣すれば良いのだから」

「そりゃ……確かに私も変だと思ったけど」

 戦自とゼーゲンは現在協力関係にあり、交流を妨げる要因は無い。なのにマナは身分を隠して、シイとの接触を命じられた。裏が無いと疑わない方がおかしいだろう。

「他に目的があると考えるのが妥当だろうね」

「私は嘘なんかついてません」

「ああ、言い方が悪かったかな。別に君が嘘を言っていると疑っているのでは無いよ。ただ君も知らされていない、別の狙いがあると思っただけさ」

「……貴方はそれの見当がついてる感じね」

「ええ。この件については僕に任せて貰おう。適任者を知っているからね」

 カヲルはミサトにそう告げると、それっきりこの話を追求する事をしなかった。

 

 

~エンジェルズ~

 

 頭部を負傷しているシイを、カヲルは一刻も早く本部へ連れて行き、治療と精密検査を受けさせたかった。だがレイとアスカがここに来るまで待つと、シイは聞き入れない。

 結局状態が急変したら問答無用で連れて行くと約束をして、カヲル達はシイの意思を尊重する事に決めた。

「全くこの子は……頑固と言うか意地っ張りと言うか」

「アスカに待っていると約束していたからね。それを守りたいんだろう」

「でもアスカはきっとこう言うわよ。あんた馬鹿ぁ? 良いからさっさと病院行きなさいよ、って」

「ふふ、間違い無いね」

 壁に背中を預けて座るミサト。その膝を枕にして横になるシイは、緊張が一気に解けた反動からか安らかな寝息を立てていた。

「あいつらは、私達を拠点に連れて行くつもりだったわ。ここの連中は氷山の一角。何時また今回みたいな事が起こるか分からない。……いえ、今度は始めからシイちゃんの命を狙うかも」

「リリンがリリンであり続ける以上、それは避けられない宿命だろうね。ただ少なくても、今回シイさんを狙った連中は、完全に処理してしまうつもりだよ」

「どう言う事?」

「ふふ……二人とも入って来なよ」

 ミサトの問いかけには答えず、カヲルは窓の外に向かって呼びかける。すると先程のカヲルの様に、二つの人影が空から静かにミサト達の前に舞い降りた。

 

 ゼーゲンの制服を纏った二人の子供。どちらもカヲルと同じ銀髪と真紅の瞳を持ち、何者であるかを瞬時にミサトに悟らせる。

「使徒……」

「その通りだよ。この子がサハクィエル、こっちがアラエル。二人ともシイさん達とリリスによって、新たな命を宿した使徒さ」

「も~カヲル兄さんってば待たせ過ぎ」

「うん。シイちゃんは寝てるし、紹介のタイミング悪いと思うな」

「ふふ、正式な紹介は後日するさ。……そもそも君達がキチンと働いていれば、こんな事にはならなかっただろ?」

 拗ねたように突っかかる二人だったが、カヲルの一言で気まずそうに押し黙ってしまう。

「……女の子?」

「僕達に性別の概念は無いよ。ただ魂の在り方に肉体は影響を受けるから、この子達の様に身体的に女性となった使徒も居るね」

 見ればサハクィエルとアラエルは、顔の作りなどはカヲルによく似ているが、全体的に女性的な印象をミサトに抱かせる。

「何でもありね……で、この子達とさっきの話はどう繋がるの?」

「ふっふ~ん。聞いて驚いて下さい」

「私達以外のみんなは、テロリストの拠点を襲撃してます」

「……は?」

 あっけらかんと言い放つ二人に、ミサトは間の抜けた声を出すしか無かった。

 

 

 カヲルがシイ達の元に駆けつけたのとほぼ同時刻、テロリスト達の拠点を突き止めた使徒達は、襲撃の機会を伺っていた。

 周囲を森に囲まれたテロリスト達の拠点。表向きは正式な研究所として登録されているが、自衛にしては物騒過ぎる装備をした男達が巡回している時点で、それが仮初めのものだと分かる。

「カヲル兄さんはもう?」

「ええ、ちゃんと送り届けたわ。あちらは問題無いでしょう」

「……じゃあ僕達も役目を果たすとしよう」

 拠点から数キロ離れた森で、使徒達は最後の打ち合わせを行う。カヲルと共に居るサハクィエルとアラエル他、何人かが欠けているが、その穴埋めとばかりに二十名の少女が同席していた。

「ただその前に……初めまして。リーダーを務めているサキエルです」

「シイスターズリーダーのトワよ」

 使徒達の中で最もカヲルに近い容姿をしたサキエルと、トワは握手を交わす。と、トワの背後から不満の声が続々と上がる。

「……リーダー?」

「……決めた?」

「……自称だと思う」

「……言った者勝ちね」

「……なら私は隊長をやるわ」

「……キャプテン」

「……ボスで我慢する」

「……リーダには責任だけ押しつければ良い」

「「……賛成」」

「うるさ~い! あんた達、いきなり舐められちゃったらどうすんの!!」

 全く協調性の無い……ある意味で協調性のあり過ぎる他の面々に、トワは声を荒げる。

「あ~この子達の言う事は気にしないで、話を進めましょう」

「う、うん。今回は急に呼び出してしまってすまない」

「瞬間移動は流石に驚いたけど、気にする事は無いわ。私達も貴方達と一緒、リリスお母様から抑止力としての役目を受けたんだから」

「そう言って貰えると助かるよ。……じゃあ襲撃作戦を始めるけど、準備は良いね?」

 サキエルの言葉に、緩んでいた場の空気が一気に引き締まる。これから始まるのは遊びでは無く、命がけの戦いだと全員が理解していたからだ。

 

 

 そして、襲撃作戦が幕を開けた。

 口火を切ったのはラミエルの加粒子砲。闇夜を切り裂きながら、桃色の閃光がテロリストの拠点を一撃で崩壊寸前まで追い込む。

 敵襲かと、武装して屋外に姿を見せるテロリスト達。そんな彼らを待っていたのは、サキエルが降らせた雨とバルディエルの雷という感電コンボだった。

 奇襲と呼ぶにはあまりに強烈な攻撃を受け、テロリスト達はその数を大幅に減らす。そして統制を完全に失いながら、姿の見えぬ襲撃者を探した。

 まとまりを欠いたテロリストに、イスラフェルが音で追い打ちを掛ける。爪で黒板を引っ掻くような不快音を大音量で奏で、彼らがまともな精神状態でいる事を許さない。

 それでも使徒達は攻撃の手を緩めない。シャムシエルが光の鞭で、マトリエルが溶解液で、ゼルエルが強力なATフィールドで直接攻撃を仕掛け、テロリストを各個撃破していく。

 敗勢を悟ったテロリストの一部は、基地の外に広がる森へと逃げ出す。だがそこにはシイスターズが配置されており、ATフィールドによって彼らを無力化する。

 

 新生使徒とシイスターズの前に、テロ組織は一時間と持たずに全滅した。リリスの抑止力は、その圧倒的な力を誇示してデビュー戦を終えた。

 

 

 

~ひとまずの終焉~

 

「し、襲撃って……マジなの?」

「嘘をつく理由は無いさ。っと、噂をすればだね」

 カヲルが呟くと同時に、彼の隣に黒い影の様な物が出現する。そしてそこから、長い銀髪の少女がゆっくりと姿を見せた。

「な、な、な……」

「お帰りレリエル。君が来たと言う事は、片付いたのかな?」

「はい。そのご報告と、ご友人が万が一負傷していた場合に備えて、コレを連れてきました」

 レリエルと呼ばれた少女は、しゃがんで影に手を突っ込むと、そこからもう一人の少女を引っ張り出した。

「……もう何でもありね」

「加持さん。私夢を見てるんでしょうか?」

「深く考えない方が良いわ。頭が痛くなるから」

 呆然とするマナに、もう理解を諦めたミサトがやけっぱち気味に答える。そんな二人を余所に、カヲルは少女達と言葉を交わす。

「良い判断だよ。アルミサエル、彼女達の治療を頼めるかな?」

「は~い。うふふ~、貴方お名前は?」

「き、霧島マナです」

「可愛い名前ね~。そんなに緊張しなくても平気よ~。痛くない、ううん、寧ろ気持ちいいから」

 妖艶な雰囲気を漂わせるアルミサエルは、獲物を狙う目でマナを見つめる。そこに込められた何かにマナが気づいた時には、既に遅かった。

 アルミサエルは獣の様な俊敏さで、いきなりマナと唇を合わせ……つまりキスをした。

「ん~ん~」

「……うふふ~ご馳走様」

 満足げに舌で唇をなぞるアルミサエル。一方のマナは自分の唇が奪われたショックに、涙目になりながらガックリと肩を落とした。

「ちょ、ちょっと渚君。この子いきなり何してるのよ!!」

「……アルミサエルは対象と融合を果たす事で、傷を癒やすことが出来るのさ。ただその為には今のような肉体的接触、一番効率的な粘液同士の接触が必要だけどね」

 カヲルの言葉が真実である証明として、うなだれるマナの手首はすっかり元通りになっていた。払った犠牲はあまりに大きかったが。

 

「さ~て、次は貴方ね」

「……私は大丈夫。こんなのほっとけば治るから」

「傷跡が残ったら大変でしょ? ほらほら遠慮しないで」

 逃げようとするミサトだったが、シイに膝枕をしている状態では動きようが無く、マナに続いてアルミサエルの毒牙に掛かってしまった。

 精神的には猛毒だが、肉体的には特効薬。ミサトが全身に負っていた打撲や切り傷は、魔法のように消失した。

「大人のキスね。また今度続きをしたいわ」

「……二度とごめんよ」

 満足げなアルミサエルとは対照的に、ミサトは傍目にも分かる程落ち込んでいた。夫のある身で唇を奪われたのだから、それも無理ないだろう。

「ねえアラエル。大人のキスってどんなのかな?」

「きっと大人の人とキスをする事ね」

「……お兄様?」

「ふふ、その時が来れば自ずと悟るさ。あえて真実を教える必要は無いよ」

 同じ使徒でありながらも、精神的成熟度には大きな差があり、アルミサエルと比べてサハクィエル達はまだお子様であった。

 

「……ご苦労アルミサエル。もう充分だよ」

「え? だってまだメインディ……もとい一番やばそうなシイちゃんが」

「アルミサエル。再び殲滅されたく無ければ、お兄様の言う事を聞きなさい」

 窘めるカヲルとレリエルに、しかしアルミサエルは不満顔。邪な気持ちがあるかもしれないが、実際にシイにこそ自分の力が必要だと思ったからだ。……多分。

 だがカヲルがちょいちょいと指さす方を見て、何故二人が自分を止めたのかを理解する。

「…………うん、無理」

 アルミサエルの視界に映ったのは、真っ赤な全身スーツの人物と並んで立っている、碇レイの姿だった。もしシイへの治療行為を行えば、問答無用で殲滅されていただろう。

「もう少し周りへの注意を払いなさい。……お兄様、皆様は私が本部へお連れしても?」

「そうしてくれると助かるかな」

「畏まりました。お二方――」

 シイの元へ駆け寄るアスカとレイに声を掛けるレリエル。冷や汗を掻きながらそれを見つめるアルミサエルと、まだ大人のキスについて議論しているサハクィエルとアラエル。

(これにて一段落かな。ただ、大団円にはもう少しやることがありそうだ)

 カヲルは窓の外から月を眺め、小さくため息をつくのだった。




最大の危機を迎えたシイでしたが、無事それを乗り越えました。

出番が先延ばしになっていた使徒達も、ようやく登場させる事が出来ました。投稿間隔が空いていたせいで、かなり昔の話になっちゃいましたが……。

次の話で今回説明出来なかった部分の補足、そして残されている問題を解決出来れば、使徒救済編は完結となります。

役者が全て登場し、舞台は終幕へと進んでいきます。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。

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