エヴァンゲリオンはじめました   作:タクチャン(仮)

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後日談《リリンと使徒(あるいはこんな世界も)》

~???~

 

 けたたましく鳴り響く目覚ましを手探りで止めると、シイは大きなあくびをしながら上半身を起こした。寝ぼけ眼をこすりながら立ち上がると、手早く着替えを済ませて部屋を出る。

「ふぁ~。おはようお母さん、お父さん」

「ああ、おはようシイ」

「おはよう。随分と眠たそうね」

 ダイニングには朝刊を読んでいるゲンドウと、朝食の支度をしていたユイの姿。いつもと変わらぬ朝の光景に、シイはあくびをしながら加わる。

「……夜更かしをしたのか?」

「ううん。ただ何だか眠たくて」

「そうか。まあ、そう言った時もあるだろう」

「うふふ、貴方も会議中は何時も眠たそうですものね」

「……冬月教授の話は無駄に長いからな」

「あら、でしたら今日の会議は短めに済ませるよう、私から言っておきますわ」

 楽しげに会話をしながら、ユイはテーブルに朝食を並べていく。ゲンドウとユイが並んで座り、その向かいにシイの席がある。

「…………あれ?」

「どうした?」

「家にもう一人居なかった?」

 いつも通りの光景の筈なのだが、シイには何とも言えない違和感があった。しかしそんなシイの言葉に、両親は不思議そうに首を傾げる。

「いや、我が家は私とユイ、そしてお前だけだ」

「そうだけど……」

「家族が増える夢でも見たのか?」

「あらあら、シイは姉妹が欲しいのかしら」

 微笑むユイの横で、ゲンドウが思い切りむせる。

(う~ん……何か忘れてる気が……でも私は一人っ子だし、夢を見たのかな)

 違和感をぬぐい去る事こそ出来なかったが、実際に両親が言うとおり碇家は三人家族なのだから、きっと自分の勘違いなのだと、シイは自分を納得させた。

 

 朝食が済み、ユイと並んで片付けをしていると、来客を告げるチャイムが鳴った。

「お友達が来たみたいね」

「うん。じゃあお母さん、お父さん、行って来ます」

「行ってらっしゃい」

「……車に気をつけろ」

 両親に見送られながら、シイは玄関へと向かう。するとそこでは、アスカ達が笑顔でシイを待ち構えていた。

「おはようみんな」

「グーテンモルゲン、シイ」

「おはよう、シイちゃん」

「はよ~」

「おはよう碇」

 挨拶を交わしてから、五人は揃って学校へ歩いて行く。たわいない雑談をしながら通学路を進んでいると、不意に背後から誰かが走ってくる足音が聞こえてきた。

「あれ、まだ時間は大丈夫だよね?」

「あたしが居るんだから、そんなの当然じゃん。どーせ日直でも忘れてたんでしょ」

 ポケットから取り出した懐中時計で時間を確認するシイに、アスカは呆れたように答える。そんな会話をしている間にも足音は近づいて来て、やがてシイ達を追い越していく。

 その瞬間、彼女達は思わず足を止めて、自分の目を疑った。今通り過ぎていったのは、人と同じサイズではあるものの、明らかに人とは違う存在だったからだ。

 緑色の身体に盛り上がった肩。首から上は無く、顔の代わりなのか胸に仮面の様な物がついている。

「……今の……って」

「どうやら眼鏡の度が合ってないみたいだね。ははは、放課後に眼鏡屋に行かなくちゃ」

 思わず鞄を落とすほど動揺するヒカリとケンスケの後ろで、シイ達は小声で会話を交わす。三人には今の存在に心当たりがあった。

「のう。わしは今の奴を、ごく最近みた記憶があるで」

「奇遇ね、あたしもよ。ねえシイ、あれって確か」

「う、うん。私覚えてる……。第三使徒、サキエルさんだよ」

 未だに事態が飲み込めずにいるが、これだけは全員の共通認識だった。

『この世界は何かがおかしい』

 

 

 どうにか心を落ち着けて、五人は再び学校へと向かう。見間違いだったのかもしれない、と必死で自分を納得させていたのだが、そんな希望は校門でいとも容易く打ち砕かれた。

「「…………」」

 校門の前では、風紀委員による服装チェックが行われていた。それ自体は何もおかしくは無いのだが、風紀委員の中に、明らかにおかしい存在が紛れ込んでいるのだ。

「どう見ても……使徒よね?」

「おう。あいつはわしも直接見たさかい、間違いあらへん」

「第四使徒シャムシエルさんだと思う」

 制服姿の生徒達と共に立つイカを思わせる赤紫色の使徒は、さも当然と言った様子で服装チェックを実施していく。そして更にシイ達の頭を悩ませるのは、自分達以外の生徒達はそれをまるで気にしていない事だ。

「あんな人、うちの高校に居たかしら?」

「委員長も良い感じで混乱してるね。居るわけ無いよ。僕が証明する」

 高校でも変わらず名カメラマンとして活躍しているケンスケは、全校生徒の顔を全て把握していた。そんな彼が居ないと言う以上、それは間違い無いのだろう。

「どないする?」

「今のとこ、何かしでかす感じじゃ無いわね……」

「…………」

 シャムシエルを警戒するトウジとアスカの隣で、シイは少し考える。この世界は何かがおかしい。だが自分は使徒と共に生きる世界を望んでいたのだから、これは神様がくれたチャンスかもしれないと。

 やがて何かを決めたように小さく頷き、シイはシャムシエルの元へと近づいていく。

「おはようございます」

『あら~シイちゃん。おはよう。今日も元気ね』

 予想外のハスキーボイスで、シャムシエルは身体をくねくねさせながら挨拶を返した。見た目とのギャップに戸惑いながらも、自分を知っていて友好的に接してくれる相手に、シイはホッと胸をなで下ろす。

「はい。服装チェックお疲れ様です」

『うふふ、みんなシイちゃんみたいにキチンとしてくれれば、あたし達も楽なのにね~』

「あはは……あの、ところでシャムシエルさん」

 苦笑しながらシイが呼びかけた瞬間、シャムシエルの空気が変わった。ぴりっと張り詰める緊張感に、慌ててアスカ達も二人? の元へと駆け寄る。

『……シイちゃん。今、何て?』

「え、えっと、シャムシエルさんって……」

 シイの答えと同時に、シャムシエルの特徴とも言える、二本の光る触手がシイ目掛けて大きくしなる。兵装ビルを楽に切り裂いたそれは、無防備なシイの身体を……傷つけず、悲しげに手に絡みついた。

『酷いわシイちゃん。そんな他人行儀な呼び方するなんて~……何時もみたいに、シャムって呼んで?』

「あ、ご、ごめんね。ちょっと寝ぼけてて……シャム」

『も~焦っちゃったじゃないの~。でもそんなシイちゃんも可愛いわ』

 誤解だったのだと喜ぶシャムシエルの心を表す様に、ピンク色の触手が一際強く輝く。かつては初号機の手を焼いたそれは、しかしシイの手に暖かい温もりを与えるだけ。

『さあ、もうHRが始まる時間よ~。遅刻しないようにお行きなさい』

「うん、ありがとう」

 ひらひらと触手を振るシャムシエルに手を振り返し、シイ達一行は教室へと向かった。

 

 廊下には使徒の姿は無く、少しだけ安心して教室のドアを開けた五人は、目の前に広がる光景に絶句する。自分達のクラスに多数の使徒が在籍していると分かれば、それも当然と言えるだろう。

「ここ……よね?」

「流石に自分のクラスを間違えたくは無いけど……委員長の気持ちは分かるよ」

「こいつは、ちょいとした無法地帯やな」

「うん……凄く……個性的だね」

 さっき見たサキエルやシャムシエルがまともに思える程、教室で自分の席に着く使徒の姿はシュールであった。そしてやはり、他のクラスメイトは何の疑問も違和感も無く、普段通りに振る舞っている。

 違和感を確信に変えたアスカが、四人に小さな声で呟く。

「……色々あると思うけど、まずは状況を理解する事が必要よ。ひとまずごく普通に生活しながら、さり気なく情報収集をして、昼休みに屋上で緊急会議を開く。それで良いわね?」

 こうした事態に対して、アスカの対応能力は特筆する物がある。事実を確かめた上で対応を決めると言う彼女の決定に、シイ達は素直に従う事にした。

 

 

 そして昼休み。シイ達は互いに得た情報の交換を始めた。

「じゃあまず僕から。あの使徒に関して、僕達以外の奴らは何もおかしいと思ってないね。……で、まさかと思ってカメラのデータを見てみたら、撮った覚えの無い使徒の写真が、しっかり入ってたよ」

「次は私。職員室で名簿とかを見てみたけど、キチンと名前が載ってたわ。それと他の子達だけど、使徒の事以外は何も変わってなかった。昨日の話も覚えてたから、これは間違い無いと思うの」

「あたしはこの世界について調べて見たけど……この世界はセカンドインパクトが起こって無いの。使徒もエヴァもネルフも無い、まさしく平和な世界ね」

「私はシャムと少しお話したの。あの子は私が倒したのに、そんな事を全く知らなくて、本当の友達みたいに接したくれた」

 集まった情報を整理していく内に、この世界は自分達の知っている世界とは、ある一点のみ違っていると判明した。それは『使徒が敵では無く、人類と手を取り合える存在』である事だ。

「これはひょっとして……」

「夢なのかしら」

「可能性は大ね。まあ妙にリアル過ぎるのが気になるけど、あたしの怪我も治ってるのも、使徒絡みの事は全部無かった事になってるって思えば説明がつくわ」

 納得したように頷きながら言うアスカだったが、首を傾げたシイが問いかける。

「あれ? アスカって何で怪我をしてたんだっけ?」

「あんた馬鹿ぁ? そんなの…………」

「わしも惣流が怪我しとったんは知っとるが、何で怪我してたんかが思い出せんのや」

 ケンスケもヒカリも同じ意見らしく、シイの視線に揃って首を横に振った。

「あたし達の記憶にも、何か干渉されてるって事?」

「にしちゃ、使徒の事は覚えとるし、中途半端過ぎるやろ」

「ひょっとして僕達は、この世界を救うために選ばれた、とかどうかな?」

「ゲームのし過ぎだと思うわ」

「……この世界が夢なのかは分からないけど、私はちょっと嬉しいの」

 思いがけぬシイの発言に、四人は驚いた様に視線を向ける。

「私達の世界だと使徒とは戦うしか無かったけど、この世界は違う。友達になる事が出来るかも知れない。例え夢だとしても……私はこんな世界を望んでたから」

「はぁ。あんたね、博愛主義も程々にしないと……って、もう無駄ね」

「馬の耳に念仏っちゅう奴やな」

「いや、碇の場合は、案外釈迦に説法かも知れないよ」

「シイちゃんだもんね」

 何処までも前向きなシイの姿を、友人達は微笑みを浮かべながら見つめる。どうせ夢ならば、あり得ない体験をするのも良いかと、全員がシイの意思に賛同した。

 

 

~美しき声の天使~

 

 音楽室で合唱の練習が行われる中、ソロパートを担当したイスラフェルが美しい歌声を披露する。正しく天使の歌声と称するに相応しいそれに、思わずシイ達も聞き惚れてしまった。

 授業が終わった後、シイはそっとイスラフェルに歩み寄る。

「凄いねイスラフェルさん。とっても綺麗な歌で、私感動しちゃった」

『えへへ、そう言って貰えると嬉しいよ。まあ本当はソロよりもデュエットの方が得意なんだけどね』

 笑顔で賞賛するシイに、イスラフェルは満更でも無さそうに答えた。

「私は歌が苦手なんだけど、上手に歌うコツとかあるの?」

『そうだな~……シイちゃんは女の子だから、やっぱ女の子に聞いた方が良いね』

「え?」

 言うや否や、イスラフェルはシイの目の前で、肉体を白と燈の二体に分離して見せた。そう言えばこれで痛い目にあったのだと思い出すシイに、ネルフで乙と認識された白色の個体が声を掛ける。

『あのね、シイちゃんはお腹から声を出す練習をした方が良いと思うの』

『腹式呼吸って聞いたこと無いかな?』

「えっと……名前だけは前にちょっとだけ」

『そんなに難しい事じゃ無いから、少しやってみようよ』

 戸惑うシイの手を引いて、イスラフェル達はピアノに近づくと、即席のレッスンを始めた。音楽に精通しているらしき二人の指導は的確で分かりやすく、シイも次第にのめり込んでいく。

『うんうん、良い感じだよ』

「はぁ、はぁ……本当?」

『音楽に関する事で嘘はつかないよ。あ、そうだ。折角だし三人で歌でも……』

『盛り上がっている所悪いけど、もう教室に戻る時間だよ』

 休憩時間と言う事を忘れていた三人に、サキエルが歩み寄りながら声を掛けた。

『え~折角テンション上がってるのに~』

『ねえサキエル。ちょっとだけ、ちょっとだけ見逃してよ』

『授業をサボるのは見逃せないな。……どうせなら昼休みとか放課後に、たっぷりやると良いさ』

 食い下がるイスラフェル達を、サキエルはやんわりと窘める。

「う~ん、仕方ないね。また今度教えてくれる?」

『勿論大歓迎だよ』

『何時でも声を掛けてくれ』

 休憩時間という短い間だったが、シイとイスラフェル達はすっかり仲良しになっていた。カヲルの言うとおり、音楽には国や人種、あるいは種の壁を越えて心を繋ぐ力があるのかも知れない。

(サキエルっちゅうんは、何や兄貴的な立場なんかな)

(第三使徒だから、ある意味で長兄なんじゃ無い?)

 真っ先にリリスへの接触を試みたサキエルは、責任感の強いお兄さん。二体で一つのイスラフェルは、名前の由来通り音楽を愛する双子。

 そう考えていくと、使徒をこれまでとは違った視線で見る事が出来た。

 

 

~水を司る心優しき者~

 

 体育の授業でプールへにやって来たシイ達だったが、そこには何故か水の張られていないプールと、サキエルの姿があるだけ。

「あれ?」

「何よこれ、水が無いじゃない」

『おっと、シイちゃんに惣流さんか。悪いけど少し待っていて貰えるかな』

 二人の存在に気づいたサキエルは、そう断ってからプールに両手を向ける。すると空っぽだったプールに、みるみる水が溜まっていった。

「え、え、えぇぇ!?」

「あんた、一体何したの?」

『何って……プールに水を張ってるんだよ』

「そうじゃなくて、どうして水が勝手に増えてるのかって聞いてんの」

『空気中の水分を凝縮してるだけさ。これは僕の役割だからね』

 得意になる様子も無く、サキエルは淡々とプールに水を供給していく。この光景もお馴染みらしく、他の生徒達は気にした素振りも見せずに準備運動を始めていた。

「サキエルさんって凄いんだね」

『はは、ありがとう。でも大した事じゃ無いよ。こうして水を操る位しか取り柄が無いから』

「ううん。だってそれは私には出来ないし、他の人にも同じだと思うよ。ならそれが出来るサキエルさんは、やっぱり凄いんだもん」

『……そう言って貰えると、僕も嬉しいよ。ありがとう、シイちゃん』

 少し照れたように頷くサキエル。心なしか水の勢いが先程よりも増したように感じられた。

 

 

~海原とマグマの王者~

 

 満水となったプールで水泳の授業に挑むシイとアスカは、使徒の圧倒的な力を再確認する事となった。

「ぜ~は~ぜ~は~」

「アスカ、大丈夫?」

「ど、どう考えても……あいつらは反則よ」

 荒い呼吸を繰り返しながら、アスカは今さっきまで競争をしていた二体の使徒を指さす。ガギエルとサンダルフォン。どちらもアスカとの戦いに敗れた使徒なのだが、この場では見事にリベンジを果たした。

『ふふん、口ほどにも無いね』

『アスカちゃん弱~い』

「うっさい! 息継ぎ無しで五十メートル泳ぐのは、非常識だっつ~の」

 ガギエルは言わずもがな、サンダルフォンも水中での行動に適正を持っていたらしく、アスカがターンをする前に両者は既にゴールを決めていた。

 圧倒的な泳力の差に加え、相手が呼吸不要とあらば、アスカに勝ち目が無くても当然だろう。

『お、負け惜しみだ』

『アスカちゃん情けな~い』

「むき~。良いわ、今度こそ叩き潰してやるんだから」

『OK。何度でも返り討ちにしてあげるよ』

『わ~い。勝負勝負~』

 あっさりと徴発に乗ったアスカは、ガギエルとサンダルフォンに再び戦いを挑む。演技なのかもしれないが、シイにはそれが仲の良い友人の姿にしか見えなかった。

 

 

~霧の勇者と雨の苦労人~

 

 翌朝、教室に昨日は姿の見えなかったマトリエルが現れた。何故か身体のあちこちに包帯を巻いている彼に、クラスメイト達が心配そうな顔で駆け寄っていく。

「あれって確か……停電の時に来た奴よね?」

「うん。マトリエルさんだけど、怪我をしてるみたい」

『嫌な事件だったね』

 ひそひそと会話を交わしていたシイ達に、そっとサキエルが加わる。どうやら自分達の知らない何かがあったのだと察したアスカは、さり気なく情報を引き出す。

「らしいわね。生憎あたしは直接それを見てないんだけど、本当の所はどうなの?」

『本当も何も……登校中に空から落ちて来たサハクィエルと衝突して、全治一週間の重傷ってだけだよ。まあ全面的に悪いのはサハクィエルなんだけど、マトリエルも運が無いと言うか……』

 呆れと同情の籠もったため息をつくサキエル。シイ達に置き換えると、登校中に暴走した車と交通事故に遭うような感覚なのかも知れない。

『ま、サハクィエルにはたっぷりお灸を据えたし、マトリエルもこうして大事に至らなかったんだ。もう昔の話をするのはよしとこうや』

「お、おまっ!?」

 不意に現れたエヴァ参号機に、トウジは思わず立ち上がって指さしてしまった。この世界にエヴァは存在しない。ならば漆黒の身体を持つ彼は、参号機に寄生したバルディエルと言う事になる。

 トウジにとっては因縁の相手。失礼な反応も仕方なしだろう。

『おいおい兄弟、随分な挨拶だな。怖い夢でもみたのか?』

「あ、ああ、すまん。ちょいと寝ぼけとったみたいや」

『しっかりしてくれよ。まあ、しっかりしてるトウジってのも、不気味だけどな』

「確かに」

 快活に笑い飛ばすバルディエルに、こっそり便乗するケンスケ。そんな三人のやり取りに、思わずシイ達も笑みを零してしまう。

(何だかバルディエルさんって、鈴原君に似てるね)

(あいつが寄生した参号機とシンクロしたんだし、影響あったんじゃ無い?)

 粗雑そうだが無礼者でも無い。それがアスカのバルディエル評だった。

 

『やあみんな。久しぶり』

 談笑するシイ達の元に、蜘蛛のように細い足を引きずるようにして、マトリエルが近づいてくる。

『もう大丈夫なのかい?』

『どうにかね』

『あん時は驚いたぜ。ぺっしゃんこに潰れてたから、ああこりゃ死んだってマジで思った位だ』

『元々平面だから助かったのかもね』

 皮肉に冗談で返し、使徒三人は笑い合う。この組み合わせは相性が良いのだなとシイ達が感じる程、仲の良さがにじみ出ていた。

『大体お前は動きが鈍いんだよ。俺なら軽々と避けてみせるね』

『無茶言わないでくれよ。普通に登校してたら、いきなり上から……』

『――遅刻遅刻~』

『そうそう、こんな声が聞こえてきて……え゛!?』

 苦笑いしながら話していたマトリエルだったが、不意に聞こえてきた声に身体を強張らせる。それは他の面々も同じで、互いに真剣な表情で顔を見合わせた。

「今の声、空から聞こえてきたよね?」

『あの馬鹿……まさか』

『否定したい所だけど、残念ながら相手が彼女ならあり得るね』

 頷き合いながらサキエルとバルディエルは窓際へと動く。シイ達もそれに続き、窓から空を見上げると、自らの身体を使い落下攻撃を仕掛けた使徒、サハクィエルが学校目掛けて急降下してきていた。

 

 

~天空の支配者VS夜の女王~

 

「ななな、何よあれ!」

「こ、こっちに落ちて来よるで!!」

『はぁ~。本当に懲りないというか、何と言うか……』

『気を遣う必要は無いぜ。あいつは単に何も考えてないだけだ』

 そんな会話をしている間にも、サハクィエルの姿はみるみる大きくなってくる。人間サイズになっている為、以前の様な迫力こそ無いが、それでもあの速度でここに激突すればタダでは済まないだろう。

『あ~も~、停学明けで遅刻なんて、マジやばい感じだよね~』

「停学?」

『マトリエルの件で、一週間の停学だったんだよ。今日が停学明けなんだけど』

『ったく、流石に今度は見逃せねえな』

 バルディエルは面倒くさそうに言い放つと、急接近してくるサハクィエル目掛けて、両腕を思い切り伸ばした。ゴムのように伸びる腕は、落下中のサハクィエルの身体を見事に捕らえる。

 激しい衝撃が校舎を襲うが、バルディエルは意にも介さずにサハクィエルを受け止めて見せた。

『くぅ~。痺れるぜ~』

『ん? あ、バルディエル。おっは~』

 事態を理解したサハクィエルは、教室の窓から身を乗り出しているバルディエルに、何ともお気軽な挨拶を送る。その脳天気な態度に、呆れたようなため息があちこちから聞こえてきた。

『おっは~、じゃねぇ。お前、自分が何で停学になったのか、ちっとは考えろ!』

『だって遅刻しそうだったんだもん』

『マトリエルを怪我させたこと、もう忘れたのかよ』

『それはそれ。これはこれって事で』

 反省の色が全く見えないサハクィエルに、バルディエルが本気でお灸を据えようと思い始めたその時、全校生徒の背筋が凍るような冷たい声が聞こえてきた。

『……バルディエル、ご苦労様でしたね。後は私が引き受けましょう』

『れ、レリエルの姉御……』

 思わずバルディエルですら震える程、怒りに満ちた声。それはかつて初号機ごとシイを飲み込んだ、ディラックの海を操るレリエルのものであった。

 見ればサハクィエルの直上に、しましま模様の球体が何時の間にか浮かんでいる。そしてその下には、漆黒の影が大口を開けて待ち構えていた。

「うぅぅ、こ、怖い……」

「洒落になんないわよ、これ」

「僕はホラーとか平気な口だけど……うん、これは無理だ」

 本能的な恐怖に身を強張らせるシイ達を余所に、事態は収束に向かって動いていく。

『ま、待ってよレリエル。私別に悪いことしてないってば』

『……成層圏からの落下による登校は禁止。校則違反は悪いことよね?』

『それは、だから、えっと……そう。ルールは破るためにあるって偉い人が言ってたから』

『…………バルディエル』

 もはや擁護の余地すら残されていなかった。レリエルの言葉にバルディエルは頷くと、捕縛したサハクィエルの身体を、ディラックの海目掛けて放り投げる。

『う、裏切り者~!!』

 捨て台詞を叫びながら、サハクィエルはディラックの海へと消えていった。後には心地よい風と、何とも言えぬ後味の悪さだけが残った。

 

 

~光り輝く鳥~

 

『風紀の乱れは心の乱れ。皆さんもどうか、自らを律して下さいね』

 何事も無かったかの様に語りかけるレリエルに、全校生徒は揃って頷いた。今のやり取りを見て、逆らおうとする愚か者など居るはずが無い……と誰もが思っていたのだが。

『遅刻遅刻~』

 空高くから再び声が響いてきた。一体何事かと全員が空を見上げ、声の正体を認める。全身を発光させた鳥、アラエルであった。

 まるでサハクィエルの行動を真似るかのように、アラエルは急降下を続ける。

『ほらほら~、激突しちゃうよ~。早く捕まえないと大変だよ~』

「あれは、フリなんか?」

「何だか捕まえて欲しいみたいだけど……」

『はぁ~。あいつも相変わらず馬鹿って言うか、アホって言うか』

「今度は手を出さないの?」

 何故か傍観を決め込むバルディエルに、アスカは訝しげに眉をひそめる。同じ行動をしているのに、対応がまるで違う事に違和感を覚えたのだ。

『どうせアラエルだからな。心配するだけ無駄だ』

「でも危ないのよね?」

『大丈夫だよ洞木さん。サハクィエルと違って、アラエルがぶつかってもそんなに危なく無いから』

『そもそも彼女は飛べるんだよ』

 マトリエル達の言うように、アラエルに対しては誰も危機感を抱いていない。窓際に張り付いていた生徒達も席に戻り、授業の準備を始める位だ。

 その間にもアラエルはみるみる地面へと近づいていき……何処か寂しげに空中で制止した。

『何で? 何で誰も慌てないの? サハクィエルばっかり構ってずるいよ!』

 ふて腐れたように叫ぶアラエルを見て、シイ達は悟った。単純に構って欲しかっただけなのだと。

『……アラエル』

『あ、ほらほらレリエル。私も校則違反だよ? ちゃんと成層圏から落下してきたよ?』

『……貴方は飛べるでしょう。ならば落下では無く急降下。飛行による登校は認められているので、私が咎める理由はありません。遅刻する前に教室に行きなさい』

 必死のアピール空しく、レリエルは気にもとめずにその場を離れてしまった。残されたアラエルは暫くの間寂しそうにその背中を見送っていたが、やがて力なく校舎へ向かう。

 

「なんだか……寂しそう」

『もうすぐ始業時間だから仕方ないさ。時間がある時は、レリエルだって相手をしてるからね』

『何だかんだで仲良いもんな。アラエルがあの性格以外は優等生ってのもあるけど』

「そうなんか?」

『うん。毎回あんな感じだけど無遅刻無欠席。よく授業をサボろうとするけど、結局全部出席して成績は優秀。校則違反して目立とうとするけど、一度も指導された事が無い模範生徒だよ』

「つまりは寂しがり屋の小心者って事ね」

 アスカにとっては精神攻撃を受けた天敵だったのだが、あの姿を見ては怒りが沸く事も無かった。相手の心の動きに敏感で、自分に興味を持たれない事を恐れる。

 変な言い方をすれば、実に人間くさい使徒であった。

 

 

~恐怖を司る天使?~

 

 昼休み、シイ達は何時もの屋上では無く、教室で昼食を食べる事にした。折角の機会だと言う事で、使徒との交流を深める為だ。特異的な外見にもようやく慣れ始めた為か、昨日に比べて会話が弾む。

 そんな中、意気投合する使徒とリリンの姿があった。  

「へぇ~、そんな裏技があったのか」

『意外と知られてないけど、割と便利なんだよ』

「ならこっちのプログラムはどうかな? レスポンスが気になるんだけど」

『ふむふむ、ここの部分をこうしたら……』

 カメラとミリタリー、そしてパソコンをこよなく愛するケンスケは、JAの身体に宿っているイロウルと熱く意見を交わし合っていた。

 ケンスケにしてもイロウルにしても、自分と同じ趣味を持つ友人が周囲に居ない為、遠慮無く自分の知識を語れる相手を、心の底で求めていたのかも知れない。

「……ねえアスカ。二人が何を言ってるのか分かる?」

「少しだけね。正直リツコとかでも無ければ、全部は理解出来ないと思うわ」

「相田君、楽しそうね」

「まあケンスケには自分と対等に語り合える奴なんか、おらんかったからのぅ」

『それはイロウルも同じだよ』

『うんうん、こんな上機嫌なイロウルなんて久しぶりだね』

『俺にはパソコンなんて何処が良いか分からないな。ま、人の趣味に口出しはしないけどよ』

 完全に自分達の世界に入っている二人を、シイ達は微笑ましく見守っていた。

「ならこれはどうかな? 自慢のファイアーウォールなんだよ」

『う~ん、こいつは堅いね。でもここから侵入出来ちゃうかな?』

「おっと、盲点だった」

『今日の放課後は空いてる? パソコン部で一緒に修正しようよ』

「おぉ、心の友よ。勿論OKさ」

 がっしりと握手を交わすケンスケとイロウル。これもまた、相互理解の一つの形であった。

 

 

~神の言葉と雷の管理者~

 

 昼休みも中盤に差し掛かった頃、不意に教室のスピーカーから音楽が流れ始めた。放送委員によるお昼の放送が始まる合図なのだが、何故か音楽が終わってからも声が聞こえてこない。

 不思議そうにスピーカーへ視線を送るシイ達。するとほんの僅か、耳を澄まさなければ分からない程の大きさではあるが、女性の声が流れて来た。

『……皆さん……こんにちは…………お昼の……放送です……』

「な、何よこの、今にも消えそうな放送は」

『ん~ラミエルは相変わらずだね』

「ラミエルさん?」

『おいおい、幾らまともに仕事しないからって、仮にも放送委員長なんだぜ?』

 首を傾げたシイに、バルディエルが肩をすくめながら答えた。どうやらこの小さな声の主は、かつてシイを危機的状況に追い込み、ヤシマ作戦の末に殲滅したラミエルらしい。

「とっても綺麗な声だけど……少し小さすぎるかも」

『これでも大分ましになった方だよね。最初の頃なんて、本当に無言放送だったんだから』

 サキエルのフォロー通り、ラミエルは小さな声ながらも放送を続けて行く。行事の予定や連絡事項、アンケート結果の発表など、ボリューム以外では立派に役割を果たしていた。

『……では……お天気……予報です……』

『全校生徒の皆さんこんにちは。一週間ぶりの天気予報、担当のマトリエルです』

 先程教室から出て行ったマトリエルの声がスピーカーから響く。どうやらお馴染みのコーナーらしく、生徒達は話を止めて放送に耳を傾けている。

『今日の天気ですが、午後三時から十一時まで雨が降ります。傘は購買で購入出来る他、貸し出し用の物もあるので、お気軽にクラス委員の人に声を掛けて下さいね。因みに明日は一日雨は降りません』

「えらいアバウトやのに、具体的な内容やな」

「そうね。普通は降水確率とかで表現するんだけど……」

「あたるのかしら?」

『おいおい、マトリエルの異名を忘れた訳じゃ無いだろ? 歩く天気予報士は伊達じゃねえって』

『まあ天気予報士はみんな歩くけど、雨に関しての彼の予報は信頼できるよ』

「へぇ~。凄いんだね」

 周囲を見回せば、クラスメイト達は今の放送を聞いて、傘の有無を確かめ合っている。雨を司る天使というのは伊達では無く、マトリエルの天気予報は生徒達に絶大の信頼を得ていたのだった。

 

 昼休み終了間際、放送を終えて教室に戻ってきたラミエルに、シイはそっと歩み寄る。直接話をしてみたいと思ったのだが、何故かラミエルはビクリと身体を震わせ、シイから距離を取った。

「ラミエルさん。とっても素敵な放送だったよ」

『!? ……あ、ありが……とう』

 まさか褒められると思っていなかったのか、ラミエルは一瞬驚いてから恥ずかしそうにお礼を述べる。だが依然としてシイとの距離を詰めようとはしない。

「放送委員なんだよね? 綺麗な声だからピッタリかも」

『……そんな事……無い……私……口べただから』

「ん~勿体ないな~。私はラミエルさんの声が好きだから、もっと聞きたいと思うんだけど」

『っっっ~~~』

 シイの褒め言葉で恥ずかしさの限界を超えたのか、ラミエルは高エネルギーを体内で収束させると、ノーモーションで加粒子砲を放った。シイの僅か数センチ横を突き抜けた光は、彼女の髪を軽く焦がす。

「……え?」

『ご、ごめん……なさい』

『あはは、相変わらずラミエルは恥ずかしがり屋だな~。シイちゃん、大丈夫だったかい?』

 申し訳無さそうに正八面体を傾けるラミエルに、サキエルが笑いながら近づく。このラミエルの行動も日常茶飯事らしく、シイ達以外のクラスメイトはまたか、と苦笑を浮かべていた。

「う、うん。私は平気……」

『ラミエルも悪気がある訳じゃ無いんだ。ただ何て言うか、対人恐怖症の気があってね……今みたいに褒められるとつい暴走しちゃうんだよ』

「そうだったんだ……ごめんねラミエルさん」

『……ううん……私こそ……ごめんなさい』

「でも、私はもっとラミエルさんと仲良くなりたいの。迷惑じゃ無ければ、これからもお話して貰える?」

『!? ……うん……とっても……嬉しい』

 満面の笑みと共に差し出されたシイの手に、ラミエルは恐る恐る自らの身体を触れた。サキエルは自分の知るラミエルではあり得ない行動に驚きつつも、確かな成長への手応えを感じて頷く。

 

 そんな二人の姿に教室中の視線が集まる。だから彼らは気づく事が出来なかった。今の加粒子砲は窓を突き抜けて、のんびりと空中散歩を楽しんで居たアラエルを直撃していた事に。

『……誰か……私を見てって言うか……助けて』

 願い空しく、アラエルは誰にも注目されずに、力なく校庭へと墜落していくのだった。

 

 

 

~R18を司る天使~

 

 放課後、マトリエルの予報通り外は雨が降っていた。ケンスケはイロウルと共にパソコン部へ、シイはイスラフェルと一緒に音楽室へ向かった為、教室に残ったアスカ達は窓から降り続く雨を見つめる。

「帰るにしても、この雨はうっとうしいわね」

「けど、あの天気予報だと夜まで止まないって言ってたし」

「傘でも借りて帰るしかあらへんな」

『あらあら~、それってやっぱり相合い傘かしら?』

 背後から会話に割り込んできた声に、三人は揃って振り返る。そこには光りの紐と表現するのがぴったりの使徒、アルミサエルがくねくねと身体を蠢かしていた。

「えっと……アルミサエルだっけ? 何か用?」

『うふふ、とっても素敵な会話が聞こえてきたから、ちょっとね』

「傘を借りて帰るだけや。何もおもろいことあらへんやろ」

 そんなトウジの言葉に、アルミサエルはチッチッチと舌を鳴らす。

『分かって無いわね。良い? この雨は横殴りなの。なら傘があっても、身体が濡れちゃうわ』

「まあ、そうかも知れへんな」

『一つの傘に男と女が身を寄せ合う。冷たい雨を避けようと触れ合う身体がお互いの体温を伝え合う。ちょっと意識して視線を向ければ、雨で濡れた服から肌が透けて見える……はぁ~良いわ』

 うっとりと身もだえするアルミサエルに、アスカ達は呆れたような視線を送る。だがアルミサエルは意に返さず、ますます妄想を悪化させていく。

『一度意識したらもう止まらないわ。若い二人は異性への興味と関心を抑えきれないで……』

 

「ヒカリ、うちで雨宿りして行かへんか?」

「え?」

「濡れたままやと、風邪引いてしまう。わしの家はここから近いさかい……な」

「でも、お家の人に迷惑じゃ」

「あんな……今日は夜まで誰もおらへんのや」

「トウジ、それって……」

 

『うんうん。ヒカリちゃんはやっぱり少し悩むわよね。でもトウジ君の意図を理解した上で、その誘いを受ける事にするの。それでトウジ君の家に着いたら、ヒカリちゃんはシャワーを浴びて……』

 

「ヒカリ。すまんが女物の服、サクラのしかあらへんのや。……乾くまでわしのシャツでええか?」

「う、うん。ありがとう」

「ここに置いておくさかい、ゆっくり暖まれや」

「でもそれじゃあトウジが風邪を引いちゃう……」

「気にすることあらへん。自分の女に風邪を引かせんで済むなら、喜んで熱でも出したるわ」

「……ねえトウジ。それなら……一緒に入ろう?」

 

『くぅ~。普段は大人しくて清楚なヒカリちゃんからの誘いに、トウジ君は驚きつつもゴクリと唾を飲んで覚悟を決めるの。小さなお風呂に年頃の男女が入れば……』

 

「あ、あんまり見ないでね」

「おう、分かっとる……」

「……アスカみたいにスタイル良く無いから」

「何言ってるんや! わしはヒカリみたいな綺麗な身体、今まで見たことあらへん!!」

「~~~! ほ、本当?」

「こない事、冗談や嘘で言わへん。……ホンマに綺麗や」

 

『むふふ、お互いの愛情を確かめ合いつつも、そこでは何もしないの。でもお風呂から上がった二人は、乾燥機に入れた服が乾くまでの間、気まずい空気の中無言で隣に座って……』

 

「……ねえトウジ」

「何や?」

「どうして私と付き合ってくれたの? 料理くらいしか得意な事も無いし、それだってシイちゃんには叶わない。アスカみたいに魅力的でも無いし……口うるさくて、可愛くも無いのに」

「……お前がヒカリやから。そんだけや」

「え?」

「料理が得意で魅力的で、わしを何時も気にしとってくれて、最高に可愛い。……そない女に惚れない理由なんかあらへんやろ」

「トウジ……」

「ヒカリ……」

 

『でへへへ~。そして二人は生まれたままの姿で重なり合って……』

「いい加減にしなさい! このエロ大王がぁ!!」

 堪忍袋の緒が切れたアスカは、アルミサエルの身体を掴むと、ジャイアントスイングを仕掛けて思い切り教室の壁へと叩き付けた。

 ATフィールドによってダメージを免れたアルミサエルは、不満そうに再び三人の元へと近づく。

『も~酷いじゃ無い! ここからが一番盛り上がるのに』

「それはこっちの台詞だって~の。妄想なら口に出さないで、一人でやってなさいよ」

『ふふ、妄想、ね。果たして本当にそうかしら?』

 怒りをぶつけるアスカに、しかしアルミサエルは意味深な言葉を呟くと、顔を真っ赤にして俯いているトウジの耳元に身を寄せる。

『……女の子の身体は柔らかいわよ~。絹のようになめらかで、甘い香りがするの。ヒカリちゃんはとっても綺麗な肌をしてるのに、それを知らない何て彼氏失格かもね~』

「そ、そうなんか?」

『ええ。だってヒカリちゃんはトウジ君の事が好きなのに、デートだけで満足出来ると思う? 女はね、好きな男の人と一緒になるのが一番幸せなのよ』

「…………」

 黙り込んでしまったトウジに頷くと、今度は同じく赤面しているヒカリの耳元へ。

『男の子は浮気者よ。一途なトウジ君だって、何時他の子に心移りするか分からないわ。でもそれは仕方ないの。種を残すために、男はそう造られているんだから』

「そ、そうなのかな……」

『うふふ、でもヒカリちゃんは魅力的だから、ちゃんとトウジ君の想いを受け止めてあげれば大丈夫よ。年頃の男の子はどうしても、性的な事に興味があるの。それは分かってあげてね』

「トウジも……?」

『勿論そうよ。だって大好きな女の子を前にして、我慢出来る男の子なんて居ないもの。それがヒカリちゃんの様に魅力的な子ならなおさら、ね』

 言葉巧みに二人の心理を揺さぶったアルミサエルは、身体の先端に結びつけた一本の傘をヒカリとトウジの前に差し出す。

 最後の後押しを受けた二人は、無言でそれを受け取ると教室を後にするのだった。

 

『うふふ、これで良し』

「じゃ無~い!! あんた一体何考えてんのよ」

『奥手な恋人の後押し、かな?』

「あ~も~。とにかくヒカリを止めないと……」

 話していても意味が無いと判断したアスカは、二人を止めようと駆け出す。だがそんな彼女の行く手を、アルミサエルが塞いだ。

『恋路の邪魔をすると馬に蹴られるわよ。良いじゃ無い。あの二人は恋人同士なんだから』

「まだ早いって~の。そういうのは……ごにょごにょ」

『あらあら、ひょっとしてアスカちゃんって、まだお子様なのかしら?』

「あ、あんた馬鹿ぁ? このあたしが子供な訳ないじゃん」

 アルミサエルの挑発に思わず乗ってしまったアスカ。それが彼女にとって、最悪の展開を招く。色恋の方面に初心だと確信したアルミサエルは、とっておきの猥談を披露し始めたのだ。

 大見得を切ってしまった手前、それを聞かざるを得なかったアスカは、ある種の精神的陵辱を無抵抗で受ける羽目になる。

 

 十分後、真っ赤な顔で体育座りをするアスカと、満足げに身体を螺旋状にして輝くアルミサエルの姿があった。

「加持さん……私、汚されちゃったよ……」

『うふふ、やっぱり性教育って大切ね~。あの二人は大丈夫そうだし、ケンスケ君は耳年増っぽいから、やっぱり次はシイちゃんに……!?』

 更なる獲物を求めたアルミサエルだが、不意に身体をビクリと震わせる。

『……分かってるってば。冗談よ。そんなに怒らないで』

「ママ……私、悪い子になっちゃった……」

 何処か怯えたようなアルミサエルの様子に、しかしアスカは気づく事が出来なかった。

 子宮を司る天使。その圧倒的な知識量と情感豊かな語り口によって紡がれる猥談は、健全な少年少女にとって刺激が強すぎるのだった。

 新たな生命の誕生を心から望む優しき天使。ただその想いは時に暴走する。

 

 

 

~力を持つ者の想い~

 

 イスラフェルとの楽しい歌声教室を終えたシイは、傘を差しながら一人帰路に就いていた。するとその途中である使徒の姿を見かけ、思わず足を止める。

(……ゼルエルさん)

 かつてネルフ本部を壊滅寸前まで追い詰めた、力を司る最強の使徒。シイ自身が彼と対峙した時間は短いが、強烈な印象が残っていた。

 この世界においても、他の使徒より大きく無口な彼は、何処か近寄りがたい空気を纏っており、今まで会話を交わす事が叶わなかった。

 道ばたで何かをしている彼の背中を見て、シイは小さく頷くと自分から声を掛けることにした。

「あの~、ゼルエルさん」

『ん? ……ああ、シイか』

 のっそりとした動作で振り返ったゼルエルは、シイの姿を認めて小さく呟いた。大柄なゼルエルは正面で見るとかなりの威圧感だったが、それでもシイは怯まずに言葉を紡ぐ。

「何をしてるの?」

『こいつが雨に打たれてたから、家に連れ帰る』

「……猫さん?」

 ゼルエルの両手には、小さな猫が抱かれていた。長い時間雨に打たれていたのか、身体を小さく震わせており、大分弱っているようにも見える。

『……朝からここに居た。恐らく捨て猫だろう』

「助けてあげるの?」

『そんなつもりは無い。ただ……丁度猫と居たい気分だったから、こいつに付き合って貰うだけだ』

 素っ気なく言い放つゼルエルだが、その仮面の様な顔が赤く染まっているのをシイは見逃さなかった。

「ゼルエルさん……優しいんだね」

『違う。俺はただ、自分の為にこいつを利用するだけだ』

「そうなんだ~。あ、ゼルエルさんのお家って、動物が何匹くらい居るの?」

『犬が十二匹、猫が八匹、それにウサギが……むっ!?』

 つい素直に答えてしまったゼルエルは、ニコニコしているシイに自分が乗せられたと気づく。

『……おかしいか?』

「どうして?」

『こんなでかい身体で、番長なんて呼ばれてる俺が、動物を好きなんて……おかしいだろ?』

「ううん。とっても素敵だと思うよ」

 自嘲気味に問いかけたゼルエルに、シイは首を横に振ってそれを否定する。慰めでは無く本心から、シイはゼルエルに対して好意的な感情を抱いていた。

「動物を飼うのって大変なのは、私も知ってるよ。それだけ大勢の子達の面倒を見てるゼルエルさんは、本当に動物が好きで優しい心を持ってるんだから、おかしいなんて思う必要は無いよ」

『……そうか』

「今度、ゼルエルさんの飼ってる子達と遊んでも良い?」

『好きにしろ。……シイならあいつらとも、仲良くなっちまうだろうからな』

「うん。じゃあ約束だよ」

 シイは右手を差し出し、ゼルエルは帯状の手を伸ばして握手を交わす。冷たい雨の降る中だったが、シイの心は暖かな気持ちに包まれるのだった。

 

 

 

~可能性~

 

 この不可思議な世界で幾日も過ごすうちに、シイ達は使徒と言う存在を少しずつ受け入れていった。外見こそ自分達とは異なっているが、会話を重ね、同級生として接していく内に、ある事を想い始める。

 人間と違うのは見た目……それだけでは無いのかと

(……人は自分と違う存在を怖いと思っちゃうんだよね。弱くて臆病だから、自分を守ろうとして、遠ざけて傷つけて、無くしてしまおうとする)

 自室の布団に横になったシイは、蛍光灯の明かりを見つめながら思考を続ける。

(だから戦争が起こるのかな? 同じ人間でも、産まれた国とか言葉が違うから。信じているものや価値観が違うから、それを否定したくて)

 静かな夜には、シイの思考を妨げるものは存在しない。心ゆくまでシイは自分の中で考えを巡らせ、手を取り合うと言う意味を追い求める。

(なら少しずつでも、お互いを理解する事が出来れば……みんな仲良くなれるかも知れない。人も使徒も一緒に笑い合えるかも知れない)

 知らないから怖い。なら知れば良い。理解出来ないから恐ろしい。なら理解すれば良い。最もシンプルにして困難な結論にシイは到達した。

 

「……うん。私は使徒も人間もみんな仲良く生きる世界が良い。だからその為のお手伝いが出来る様に頑張る」

『でもそれには長い時間が必要よ?』

「私が生きている間に無理でも、バトンを繋ぐ事は出来るから。何年、何十年、何百年掛かったとしても、ゴールに辿り着ければ良いと思う」

『リリン同士は手を取り合えても、使徒を拒絶するかも知れないわ?』

「人も使徒も、みんな同じ地球で生きてる。少しの間だけど一緒に過ごして分かったの。お互いに戦う事しか出来なかったけど、次はきっとわかり合えるって」

『本当にそう思える?』

「難しいのは私も分かってる。けど信じられなければ、何も出来ないよ。きっと出来るって信じ続けて、その為に精一杯頑張るの。何もしないで後悔するのだけは、絶対に嫌だから」

 脳内に聞こえてきた声とのやり取りで、シイは己の意思と覚悟をハッキリと宣言した。子供の夢物語と受け取られるかもしれない。だが、飛行機で空を飛ぶ。宇宙へ進出する。そうした不可能と思われていた事を、人類は決して諦めない不屈の意志で成し遂げてきた。

 人類と使徒の共存も、諦めなければきっと出来る。少女が抱く決意は、今はまだ小さな灯火に過ぎない。しかし人類の歴史を知った声の主にとって、確かな希望を与えるのだった。

 

 




使徒さんいらっしゃい、とばかりに全員集合しちゃいました(例外あり)。
久しぶりに後日談っぽい話だな、と思っていたりします。

意思疎通可能な使徒と、共存の可能性を示したシイ達。
ただ使徒の復活を果たす為には、それを他の人類に認めさせなければなりません。
使徒救済編、いよいよ大詰めです。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


※誤字を修正しました。ご指摘感謝です。

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