~戻れない過去~
会議室を後にしたシイ達は、揃ってゼーゲン本部の食堂へとやって来ていた。既に夕食の時間を過ぎている事もあり、折角なのでみんなで食事をしようと、シイが提案したからだ。
「惣流の奴は残念やったな」
「うん。でも病院の規則なら仕方ないよね」
「……その代わり、退院したらシイさんの手料理を死ぬほど食べるって」
「おやおや、折角落ちた体重が戻るのも時間の問題かな」
以前と変わらぬ食堂の味に、自然とシイ達の会話も弾む。本部に来る機会が減った子供達は、先程の出来事も相まって、あの苦しくも掛け替えのない日々を思い出していた。
話題は自然と、使徒との戦いや中学校での出来事がメインとなり、シイ達は懐かしみながら、カヲルは自分の知らない彼女達の思い出を、興味深そうに聞く。
そんな時、不意にシイがある事をカヲルに尋ねた。
「ねえカヲル君。前に黒き月は、魂の還る場所だって言ってたよね?」
「そうさ。正確にはその一部、ガフの部屋がそれにあたるね。魂が産まれ、そして帰る場所。輪廻転生を司る魂のゆりかごだよ」
「……何か気になる事があるの?」
「うん。あのね、それなら使徒の魂はどうなっちゃうのかなって」
セカンドインパクトで、南極大陸の白き月のガフの部屋は、機能を失っていた。ならば還る場所を失った使徒の魂は、一体どうなってしまったのだろうか。
「還る場所が無い魂は彷徨い続け、やがて消滅してしまうよ。それが一日なのか、一年なのか、あるいは十年百年と彷徨うのかは、僕には分からないけどね」
「……人も同じ。強い未練を持った魂は、ガフの部屋へ帰らずに彷徨うわ」
「そら、幽霊っちゅう奴か?」
トウジの確認に、レイは小さく頷く。輪廻の輪から外れた魂は、消滅して二度と転生出来ない。幽霊とは何とも悲しい存在なのだ。
「そっか……魂があるなら、もう一度やり直せるかも」
「シイさん。仮に可能だとしても、それがどう言う意味を持つのか、理解しているね?」
「だけど、今度はちゃんとお互いを理解出来るかも知れないし……」
食い下がるシイに、カヲルは大げさに肩をすくめてため息をつく。
「前に言ったはずだよ。使徒とリリンは滅ぼし合うように、『何か』が決めてしまったと」
「でもカヲル君とは」
「僕はリリンの遺伝子を持っているから、そのルールの例外だったんだろう。どちらの味方にも敵にもなりうる存在……ふふ、まるで昔話のコウモリの様にね」
自嘲気味に答えるカヲルの姿に、シイは幼き頃に祖母から教えて貰った話を思い出していた。鳥と獣が敵対する状況で、コウモリは有利な方に仲間だと訴えかけて、裏切りを繰り返す。そして両者が和解した時、コウモリは孤独になり、みんなの前から姿を消したと。
裏切りを除けばカヲルとコウモリは、確かに似ているのかも知れない。
(あれ? でもこのお話、まだ続きがあったよね……確かその後……)
思考を続けるシイだったが、カヲルの言葉によって、答えが出る前にそれを中断させられる。
「リリンと使徒の共存を望む君の気持ちは分かるよ。もし実現出来るのなら、それはとても素晴らしい事だ。でも、理想と現実は違う。……全てが思い通りにはならないのさ」
「それは……分かってるけど」
「ま、この辺にしとこや。そもそも、あない話を聞いたらシイがそう思うても、しゃーないで」
「……なら原因は貴方ね」
「ふふ、可憐な少女の心を惑わせてしまったなら、心から謝罪をしよう」
レイの突っ込みに便乗して、芝居がかった口調でカヲルは頭を下げる。暗くなりかけた空気を変えようとするカヲルの姿に、シイは小さく頷くと、自分でも我が儘だと思っている感情を押し殺した。
だが胸に産まれたしこりは消える事が無かった。
~リリスの不安~
その夜、シイが寝たのを確認してから、レイは碇家をそっと抜け出して、芦ノ湖のほとりへとやって来た。そこには、月の光を浴びて満足げに微笑むカヲルが、一人レイを待っていた。
「月が綺麗だね。そうは思わないかい?」
「……プロポーズ?」
「生憎と妹に手を出す程、節操無しじゃ無いさ」
ならばシイもだろうと言う突っ込みを抑え、レイはカヲルの隣に立つ。二人は視線を合わせること無く、ただ美しい月を見つめながら言葉を交わす。
「君が僕を呼び出すなんて、どう言う風の吹き回しだい?」
「……さっきの話」
「ん? ああ、あの事か」
言葉足らずのレイの発言に、カヲルは一瞬考えたようだったが、直ぐさま察する。食堂でのやり取りについて、何やら物申したい事があるのだと。
「……わざとシイさんに厳しくしたわね?」
「場所が場所だからさ。一部を除いて、今もリリンにとって使徒は敵だ。それを助けたいと思っている事が周囲に漏れるのは、シイさんにとってマイナスでしかないからね」
ゼーゲンの次期総司令にして、人類を使徒から守り抜いた英雄。多くの人にとって、シイは特別な目で見られる存在だ。そんなシイの発言は、本人の意思に関わらず多大な影響を与えてしまう。
ゲンドウがそうであった様に、立場のある人間は己の発言に責任と自覚を持つ必要がある。
「……でも、シイさんは納得してない」
「ふふ、それが彼女の魅力だからね。困難に直面しても、簡単に引き下がるような子では無いさ」
「……器があれば、使徒の魂を宿らせる事は可能だわ」
「だろうね。僕は一度も不可能だとは言っていないよ。……ただ、おすすめもしない」
カヲルは赤い瞳を一瞬揺らめかせ、寂しそうに呟いた。仮に意思疎通が可能となっても、滅ぼし合う様にプログラムされていれば、本能に抗うことは出来ないだろう。
再び戦いの歴史が繰り返されるだけ、と半ば諦めているようだった。
「さて、それだけで僕を呼び出す訳が無いし……本題は何かな?」
「……相談があるの」
「明日は雨かな。傘を用意しなくては」
「……降るなら今夜よ」
血の雨がね、と凄むレイにカヲルは両手を挙げて降参の意を示した。
「すまない。僕にと言う事は、リリス絡みだね?」
「……そう」
「お義母さんは何だって? シイさんの願いを叶えてやると、過保護ぶりを発揮するのかい?」
「……不安に思っているわ」
思いがけないレイの発言に、カヲルは眉をひそめた。どうやら自分の想像以上に深刻な話なのだと理解し、話を聞く姿勢をとって先を促す。
「……リリスは、地球と融合する事でその歴史を自らの物にしたわ。そして、自分の子供達が築いてきた歴史が、戦いに彩られた物だと知った」
「否定は出来ないだろうね。リリンの歴史は戦いの歴史でもあるのだから」
「……ええ。だからリリスは不安を抱いたわ。今は落ち着きを見せていても、いずれ人類が同じ過ちを繰り返してしまい、滅んでしまうのではないかと」
使徒と言う共通の敵が現れてもなお、人類は完全に協力しあえなかった。表向きは手を組みながらも、水面下では様々な思惑が交差し、足の引っ張り合いすら起こる始末。
そんな人類が使徒と言う分かりやすい敵を失った世界で、果たして平和を築けるのかは疑問だ。
「成る程ね。その為のゼーゲンだけど、既に他の干渉を受けている以上、盤石とは言いがたい。シイさんの魅力に期待しようにも……リリンである彼女には限界がある」
「……意図的に平和を崩そうとする人も居るわ」
「ふふ、戦いが起こる事で得をする連中か」
戦争が起これば兵器などによって莫大な金が動く。歴史を紐解いても、戦争や紛争の影には、常にそれによって利益を得る者達が存在している。
彼らにはシイの唱える平和など、邪魔以外の何者でも無いだろう。
「……人が死ねば、そこに必ず負の感情が生まれてしまう。小さな火種もやがて大きな戦火へと繋がり、世界は憎しみに包まれる。それはシイさんの望む未来では無いわ」
「だけどリリスは積極的に子供へ干渉出来ない。例え滅亡の道を進んでいると分かっていても、指をくわえて見ているしか無い、か。不安に思うのも当然かな」
カヲルはリリスへ同意するように、ため息をつきながら頷いた。
「それで話題が元に戻る、と」
「……ええ」
「リリンの意識改革の為か、それとも抑止力として利用するつもりか。……いずれにせよ、リリスは使徒をこの世界に存在させたいんだね?」
確認を求めるカヲルの視線に、レイは小さく頷いて答える。
「……でも、その為には魂の受け皿が必要だわ」
「ふふ、君が僕に声を掛けた理由がやっと分かったよ」
「……量産機のダミープラグは貴方のデータだった。なら」
「察しの通り、ソ連支部には僕のダミープラントが存在してる。キールに聞かなければ確かな事は言えないけど、恐らくまだ残っているだろう」
カヲルもレイと同じ様に、クローンが製造されていた。だがそれはスペアとしてではなく、あくまで量産機に搭載するダミープラグの為だったが。
「僕の身体も完全な使徒では無いけど、彼らの魂を受け入れる事は出来るかもね」
「……ええ」
「だけどリリスは、子供達が望まなければ手を出せない。違うかな?」
「……ええ」
シイスターズの時は子供であるシイが自我だった為、魂を宿す手助けが出来た。だが今のリリスは決定権を持つ自我を持たない為、リリンが使徒の復活を望む、あるいは受け入れると意思表示する必要がある。
「シイさんは望んでいるけど……今回に関しては、他のリリンの意思も必要か」
群体生命であるリリンは、個々で異なる意見や意思を持つ。だからこそ人類は繁栄する事が出来たし、だからこそ戦いが無くならないのだろう。
全人類が一致団結して使徒の復活を望めば、リリスも喜んで手を貸すだろうが、それはまずあり得ない。
「……だからリリスは試す事にしたわ」
「試す?」
「……ええ」
一連の流れに違和感を覚えたカヲルだったが、あえて突っ込む事をせずに先を促す。
「……その結果次第で、リリスは判断する」
「リリンは使徒を受け入れる事が出来るか否かを、か」
「……そう」
「話は分かったよ。それで結果は何時出るのかな?」
「……今夜中に」
予想外のレイの返答にカヲルは少し驚くも、リリスが何を持って人類を試すのかを理解し、納得したように軽く頷いて見せた。
人の本心を知るには、心の壁を除かなければならないのだから。
(リリスも随分としたたかだな。まあそれも当然か)
「了解だ。なら明日、もう一度ここで会おう」
「……ええ」
「ふふ、また君から電話を貰えると思うと、今から楽しみで仕方ないよ」
「……次はメールにするわ」
からかうカヲルに素っ気なく返事をすると、レイは自宅へと足早に戻っていった。その背中を見送りながら、カヲルは一人月を見上げる。
(リリスの子供達……どうか良い夢を)
少しではありますが、物語が動きました。
使徒の復活、思っていた以上に障害が多そうです。
まあ一般の感覚からすれば、『何で苦労して倒した使徒を復活させんのよ』でしょうから。
シイは純粋に、リリスは自らの望みの為に、それぞれ使徒の復活を願っています。
果たしてどの様な展開を見せるのか。
次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。