エヴァンゲリオンはじめました   作:タクチャン(仮)

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4話 その3《感謝の言葉》

 

 

 あてもなく彷徨い続けるシイ。保安諜報部の活躍によって、身の安全こそ守られていたが、目的地の無い放浪は次第に彼女の精神を摩耗させていた。

 疲れ切ったシイの表情を見て、流石に限界だと判断した保安諜報部員が再度、冬月に保護を申し出ようとしたその時、一人の少女がシイへ近づいていった。

「碇さん?」

 背後から声をかけられたシイが振り返ると、そこには少し驚いた様な表情を浮かべるヒカリが立っていた。買い物帰りなのか、私服姿の彼女の手にはスーパーの袋が握られている。

「洞木さん……」

 少しの間二人は無言のまま見つめ合う。あれからシイと三人は直ぐに引き離された為、言葉を交わすのはこれが最初になる。様々な思いが渦巻き、シイは上手く言葉を紡げない。

「碇さん、身体は平気なの?」

 そんなシイの心中を察したのか、ヒカリは自分から会話を始める。

「あ……うん。私は平気だよ。洞木さん達は? 酷いこととかされなかった?」

「私達は全然。ちょっとお説教されちゃったけどね」

 本当の所はついさっきまでネルフ本部で、厳しい叱責を受けていた。非常事態宣言時の避難命令無視、立ち入り禁止区域への無断侵入等々、子供で無ければ実刑もあり得る重罪なので、それでも軽い罰だろう。

 それでも正直に伝えればシイに余計な気を遣わせてしまうと、ヒカリはあえて明るく振る舞って見せた。

「そっか……良かった」

「……ねえ碇さん。大丈夫じゃ無いよね?」

「そんな事無いよ。ほら、何処も怪我してないし……」

「ううん、身体じゃ無くて……心の方」

 心配そうに顔を覗き込んでくるヒカリに、シイは思わず表情を硬くして言葉に詰まってしまう。大丈夫、何でも無い、そう返せば良いだけなのに、それが出来ない。

 愛想笑いすら浮かべられなかったシイは、そっと視線をヒカリから逸らす。

「碇さん、凄い辛そうな顔してるわ」

「だ、大丈夫。あはは、ちょっと疲れちゃったみたいで」

 安心させようと必死に笑顔を作るシイ。だがその弱々しい笑みに、ヒカリは一つの確信を抱いた。どんな理由があるかは分からないが、絶対に今のシイを一人にしてはいけないと。

「……ねえ碇さん。この後予定ある?」

「え?」

「もし良かったら、家に遊びに来ない?」

 ヒカリは出来る限りの笑顔で、優しくシイを誘うのだった。

 

 

 ヒカリに連れられシイがやってきたのは、住宅街にある二階建ての一軒家だった。明かりがついている事から、他に家族が居るのだろうと推察出来る。

「ここが私の家なの。ちょっと古いんだけどね」

「ううん、素敵な家だと思う。何だか暖かい感じがして」

「ありがとう。さあ上がって」

 ヒカリに誘われるまま、シイは洞木家へと足を踏み入れた。マンションの部屋とは違う柔らかな空気が、シイの心を少しだけ解してくれる。

「ただいま」

「おかえり。あら、お客様?」

 ヒカリが声を掛けると、一人の女性がふすまを開けて出迎える。シャツに短パンというラフな出で立ちの、大人びた雰囲気を纏った女性だ。彼女は予期せぬ来客であるシイを見て、少しだけ驚いた様に尋ねた。

「うん、碇シイさん。学校の友達なの」

「そうなんだ。初めまして、ヒカリの姉のコダマです」

「碇シイと申します。夜分にすみません」

 恐縮して頭を下げるシイに、コダマは興味津々と近づいていく。そして、何の前触れも無くシイの小さな身体を思い切り抱きしめた。

「可愛い~」

「ん~ん~」

「うふふ、小さくて可愛いわね~。お肌もすべすべだし」

 ミサトに勝るとも劣らない豊満な胸に圧迫され、シイは呼吸が出来ずに苦しそうにもがく。だが体格差は覆しがたく、ばたつく手がむなしく空を切った。

「ちょ、ちょっとコダマお姉ちゃん。碇さんが困ってるでしょ」

「良いじゃないちょっとくらい。最近ノゾミも抱かせてくれないし」

「ん~ん~」

「そう言う問題じゃ無いでしょ。大体お姉ちゃんは何時も……」

(洞木……さん。お説教の前に……助け……て)

 次第に意識は薄れていき、真っ白な世界が目の前に広がっていく。その後ぐったりしたシイの危機的状況に気づいたヒカリによって、シイは酸欠寸前でどうにか解放されたのだった。

 

 

「ごめんね碇さん。お姉ちゃんにはきつく言っておくから」

「い、いいの。綺麗な花畑と川が見えただけだから」

 割と危険な状態だったらしかったが、それでもシイの表情は先程と比べて幾分和らいでいた。

 二人はコダマと別れると、二階にあるヒカリの部屋へと移動した。部屋の中は彼女の几帳面な性格をそのまま現すかのように、綺麗に片付けられていた。

 用意されたお茶に口を付けながら、二人は暫く無言で向き合う。お互い話したい事はあるが、そのきっかけが掴めない。時計の針が時を刻む音だけが部屋の中に響く。

「……どうして、私を誘ってくれたの?」

 沈黙を破ったのはシイの小さな呟きだった。

「碇さんが辛そうだったから」

「それだけで?」

「うん。友達があんな顔をしてたら、ほっとけないもの」

 それが当然だと優しく微笑みながら答えるヒカリに、シイは驚きの表情を浮かべる。ヒカリはネルフからお説教を受けた後。普通なら他人に気を遣う余裕など無い筈なのに、それでもシイを気遣った。

 戸惑いから言葉が上手く出てこないシイへ、ヒカリは柔らかな口調で告げる。

「何か悩みがあるなら私で良ければ聞かせて。力になれないかも知れないけど、話すだけでも楽になることもあるわ。勿論碇さんが話したくないなら言わなくて良いから」

 それは母性とも言える包容力だった。無条件でシイを受け止めようとするヒカリの態度は、シイの心を優しく暖める。負の感情を受け続けていたシイの瞳からは、無意識に涙が零れだした。

「ご、ごめんね……」

 突然流れ出した涙に気づき、慌てて涙を拭うシイをヒカリはそっと抱きしめた。

「泣くのを我慢しなくて良いの。辛い時に流れる涙は、心を守るために流れる物だから」

「う……うう……うわぁぁぁん」

 その言葉が切っ掛けとなり、シイの心に張り詰めていた糸が切れた。押し込めていた感情を涙に変えて、シイはヒカリの胸の中で声を上げて泣き続けるのだった。

 

 心に溜まっていた感情を涙と共にはき出したシイは、大分落ち着きを取り戻していた。目の周りが真っ赤に腫れているが、表情にも生気が宿る。

「ごめんね、今日はずっと甘えちゃって」

 昼にもヒカリの胸を借りて泣いたことを思い出し、シイは申し訳なさそうに言う。

「良いの。それだけ辛いことがあったんだよね」

「うん…………」

 シイは静かに話し始めた。第三新東京市に来たことから、ミサトとのやり取りまでの全てを。機密事項が多分に含まれていたが、シイは気にせずに洗いざらいヒカリにうち明けた。

 長い話、しかも時折理解出来ぬ固有名詞が登場してきたが、それでもヒカリはシイから目を逸らさずにじっと聞き続ける。シイの心の悲鳴を聞き逃さぬ様に。

 シイが話し終えた時には、すっかり夜が更けていた。一方的な独白だったが、思いを言葉にして発したシイは、少しだけ気持ちが軽くなるのを感じた。

「……ごめんね、変な話を聞かせちゃって」

「ううん、話してくれてありがとう。それと、私もごめんなさい」

 突然頭を下げて謝罪するヒカリに、シイは戸惑ってしまい返事が出来なかった。

「私……碇さんがそんなに悩んでること知らなかった。あのロボットに乗っている事も、凄いなって位にしか思ってなかった。戦ってくれてるのが、当たり前だと思ってた……」

「洞木さん……」

 自分を責めるように言葉を絞り出すヒカリ。

「ずっと怖かったのに、辛かったのに、我慢して戦ってくれたんだよね。私達を守ってくれたんだよね」

「でも私は……もうエヴァには」

「うん。碇さんがそう決めたのなら、私は何も言えないわ」

「…………」

「だから、これだけは言わせて」

 ヒカリは姿勢を正して、シイの目を真っ直ぐに見る。そして、深々と頭を下げた。

「碇さん……守ってくれてありがとう。私を、私の家族を、私の友達を、私の大切な人達を、守ってくれて本当にありがとう」

 ヒカリの口から発せられたのは純粋な感謝の言葉。今までミサトやネルフのスタッフに褒められたことはあったが、感謝された事は無かった。

 だからこれが初めて聞く感謝の言葉。ヒカリが本心から伝えた『ありがとう』は、まるで魔法のようにシイの胸を苛む棘を引き抜いた。

 再びシイの瞳から涙が溢れる。だがそれは、先程までとは異なる暖かい涙だった。

 

 

 シイが完全に落ち着きを取り戻した時には、既に日付が変わろうかと言う時間になっていた。流石に今から夜道を歩いて帰るわけには行かず、まだミサトと直接顔を合わせる事に躊躇いがあるシイにとって、泊まっていってと言うヒカリの提案は渡りに船であった。

 洞木家で一晩過ごす事になったシイは、ヒカリに勧められてお風呂で疲れを癒やす。激動の一日を過ごした身体は疲労の限界であり、眠って溺れる前に早々とあがることにした。

「もうあがったの?」

「うん、気持ち良すぎて寝ちゃいそうだったから」

 タオルで髪を拭きながら、シイは苦笑を浮かべる。

「パジャマありがとうね」

「サイズが合って良かったわ」

「そう言えば……これ洞木さんの?」

 シイは水色のパジャマを指さして尋ねる。ヒカリも特別大きな訳では無いが、それでも小柄なシイとは比べるまでも無い。先程会ったコダマも同様だ。

 そんなシイの疑問に、ヒカリは何故か困ったような顔で答える。

「それ、妹のパジャマなの。今は着てないやつだから、遠慮しないでね」

「妹さんも居たんだ~。幾つなの?」

「小学校六年生……」

 申し訳なさそうに告げるヒカリの言葉に、シイはガックリと肩を落とした。つまり自分は、小学生と同じくらいの体型だと言うわけだ。丈だけじゃなく、胸回りも含めて……。

 落ち込むシイを見て、ヒカリは慌ててフォローを入れる。

「い、妹は年の割に大きい方だから」

「うぅぅ、いいもん。私だってこれから成長するんだもん」

「そ、その意気よ。じゃあ私はお風呂に入ってくるから、くつろいでてね」

 逃げるようにヒカリは部屋から出て行った。残されたシイは暫し恨めしそうにパジャマを見つめていたが、やがて真剣な表情でとある事を決意する。

(……やっぱり、ちゃんと言わないと)

 シイはすっと立ち上がると、壁に掛けてある制服へと近づくのだった。

 




原作では放浪中にケンスケと交友を深めましたが、この小説ではヒカリと出会いました。
ヒカリの精神年齢を少々高めに設定しています。母親がおらず、姉と妹の面倒を見ている彼女は、同世代と比べて大人だと思うので。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。

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