~大切なもの~
シイに呼ばれて司令室へ戻ったゲンドウとユイに、シイスターズは深々と頭を下げて謝罪した。そして自分達を家族として受け入れて欲しいと二人に頼み込む。
そんな彼女達に、ゲンドウ達は幾つかの条件を出す。と言っても意地悪な物では無く、シイスターズを特別扱いしない事と、シイとレイに普通の姉妹として接する等、常識的なルールだった。
「これらを受け入れられるのであれば、私達は新たな家族を喜んで迎え入れよう」
「どうかしら?」
断る理由などあるはずも無く、シイスターズは揃って頷いた。
「はぁ~良かった。お父さんとお母さんが怒ってなくて」
「ふっ、覚えておけシイ。親の愛情は海よりも深いと。あの程度で怒っていては、親は務まらない」
「それにこの子達はキチンと謝れたもの。怒る理由が無いわ」
優しく微笑むゲンドウとユイに、シイは圧倒的な包容力を感じた。そして自分が二人の娘である事を、改めて誇らしく思うのだった。
「……すいません。疑問があります」
「ん、何だ?」
「……お姉様達はお二人を、お父さん・お母さん、司令・ユイさんとお呼びしてますが、私達はどの様に呼称すれば良いのでしょうか」
「あら、そう言えばそうね。貴方達の好きな呼び方で良いのだけど……」
「……パパとママで良い」
ボソッと呟いたゲンドウに、この場に居る全員の視線が集まる。しかしゲンドウは気にした様子も無く、咳払いをしてから更に言葉を紡ぐ。
「お前達はリリスをお母様と呼んでいたな。だとしたら、ユイをお母さんと呼ぶのに抵抗があるかもしれん。だが家族である以上、堅苦しい呼び方は避けたい。妥協案だと思え」
「そんな事言っちゃって、ホントは呼んで欲しいだけだったりして~。ね、パ~パ♪」
「あんまり親をからかうものじゃ無いわ」
「は~い、ごめんなさい。でもパパとママか~。うん、何か良い感じかも」
「貴方達はどうかしら?」
「……問題ありません」
「……以後、パパとママとお呼びします」
「ええ。……その言葉遣いは今後の課題ね」
何はともあれ、家族としての第一歩を踏み出せたことに、ユイは安堵していた。だから隣に立つゲンドウが、とてつもない程上機嫌だった事に、気づく事は無かった。
(……ふっ。良い。全てはこれで良い)
サングラスを軽く直しながら、ゲンドウは緩む頬を必死に隠し続けるのだった。
~名前~
「それではあなた。この子達をみんなに紹介しに行きますか?」
「いや、その前にやっておく事がある」
「……名前、ですね」
レイの言葉にゲンドウは頷いて見せる。少女達は認識番号こそつけられているが、まだそれぞれの名前を持っていない。だからか、シスターズの面々は何処か嬉しそうにゲンドウの言葉を聞き入る。
「そうだ。名は単に個体を区別するだけの記号では無い。全ての存在は名前を与えられる事で、初めて存在を示す事が出来る。命名という行為はそれ程大切なのだ……特にこの子らの場合はな」
「ええ、そうですわね」
家族になる手続きこそ済んでいるが、彼女達の名前は仮のもの。これから家族として暮らしていく少女達に、キチンと名前をつけてあげるのは、大切な儀式でもあった。
「……そこで、だ。こんな事もあろうかと、密かに私が皆の名前を――」
「私、お姉様に名前を決めて欲しい~」
「「……私も」」
「「え゛?」」
まさかの展開に、ゲンドウとシイの言葉が綺麗にハモった。ゲンドウは胸ポケットからメモを取り出そうとした姿勢で硬直し、シイも戸惑いから動きを止めてしまう。
「ねえねえ、良いでしょ?」
「そうね……大体は親が決めるのだけど、貴方達が望むならそれも良いと思うわ」
「やったね。じゃあお姉様、可愛い名前をお願いしま~す」
「「……お願いします」」
「う、うん。頑張ってみるね」
期待の眼差しを浴びながら、シイは目を閉じて真剣に名前を考え出した。
一人立ち尽くしていたゲンドウに、そっとレイが近づく。
「……司令」
「レイ?」
「……私は司令がつけてくれた、レイと言う名前が好きです」
「そ、そうか」
シイはゲンドウとユイの共同命名だったが、レイはゲンドウ独自のネーミング。それを本人に好きだと言われれば、悪い気がする筈も無い。
さっきまでの気落ちした様子も何処へやら、ゲンドウは自信満々の表情でサングラスを直す。
「すまない、レイ。余計な気を遣わせてしまったな」
「……いえ。本心ですから」
「あの子達はシイの行動の成果だ。ならばシイが決めるのが相応しい、か」
「……はい。なので司令が考えたその名前は、この先産まれてくる子供にとっておいて下さい」
「!?」
ボソッと周りに聞こえない声量で告げるレイに、ゲンドウは驚きの表情を露わにする。
「……夜は静かですから」
「す、すまない」
「……司令とユイさんは夫婦なので、謝る必要はありません」
「だが」
「……因みにシイさんは就寝が早いので、気づいていません。安心して下さい」
娘からの優しさ溢れるフォローに、ゲンドウは何とも気まずい表情で頷くしか無かった。
「……希望を言えば、弟が欲しいです」
「ん?」
「……姉と妹、それに……一応兄も居ますから」
少し照れたように視線を逸らすレイの頭を、ゲンドウは苦笑しながら撫でる。自分のエゴが生み出した少女は、心優しく成長しているのだと、嬉しくてたまらなかった。
(名前……あ、確か前にゼーゲンの名前を決めた時、相田君が言ってたっけ)
シイはまだ中学三年だった頃の会話を思い出す。
※
「そうそう、名前って言えばさ、ネルフの人達に意外な共通点があるのを知ってるか?」
「共通点?」
「はん。どーせ下らない事でしょ」
「相変わらず惣流は手厳しいな。まあ確かに大した事じゃ無いけど」
「へぇ、聞かせて欲しいね」
「実はネルフの人は旧日本海軍の船と同じ名前が多いんだ」
「ほ~。そら知らんかったわ」
「……彼以外に気づかないと思う」
「お船って、例えばどんな名前なの?」
「蒼龍級航空母艦「蒼龍」に吹雪級駆逐艦「綾波」だろ。赤城級航空母艦「赤城」と雲龍級航空母艦「葛城」もそうだね」
「ふ~ん、母艦ねぇ……駆逐艦さんはどう思う?」
「……今は碇だもの」
「そんなに一杯お船があるんだね。ねえ相田君、碇は無いの?」
「あ~それは流石に……」
「ふふ、シイさんは彼女達が暴走しないよう引き留める、船の錨を担っているのさ」
「お、上手いこと言いよったな」
「ねえ相田君。他にどんなお船があるのか教えてよ」
「おっ、碇も興味があるのか?」
「ううん。他にも同じ名前の職員さんがいるかも知れないから」
「そっか……同好の士が増えたと思ったんだけど……ま、良いか」
※
(うん、覚えてる。冬月先生も、マヤさんも日向さんも、青葉さんもそうだった)
シイは自分の記憶が確かだと頷くと、わくわくした様子で自分を見つめる少女達と向き直る。そして声高らかに名前を口にした。
「じゃあ行くよ。まず貴方が天城ちゃん。貴方は飛竜ちゃん。貴方は三笠ちゃんで、貴方は時津風ちゃん。常磐ちゃんに、高砂ちゃん」
全員の予想を遙か斜め上に裏切った、シイのネーミングに一同は思わず活動停止してしまう。何と言うべきか、とにかく全ての名前が無骨なのだ。
「…………で、貴方は金剛ちゃん」
「え、えっと……ねえシイ。その名前には何か由来があったりするの?」
「うん。実はね」
引きつった顔で問いかけるユイに、シイは満面の笑みでケンスケとのやり取りを説明する。事情を理解したユイは、娘の記憶力に感心しつつも、やんわりと訂正を申し出た。
「そうだったの……。とっても素敵だと思うけど……貴方が言った人達はみんな名字が同じなのよ。例えば碇金剛とか、碇飛竜ってしてみたらどうかしら?」
「あっ……何だか変かも」
「碇と言う名字を前提に、考えてみると良いわ」
「うん」
シイは少女達にもう少し待ってねと断ってから、再び思考を巡らせる。
(名前……あ、そう言えばミサトさんと加持さんが前に……)
※
「うわぁ~ちっちゃくて可愛い」
「……そうね」
「ねえミサト。この子男の子なんでしょ?」
「ええ。因みに名前はリョウトよん」
「リョウトちゃん……格好いい名前ですね」
「うふふ、ありがと」
「……由来は二人の名前から?」
「そっ。リョウジとミサトでリョウト。良い人に育って欲しいってのもあるけどね」
「何だか素敵ですね。あ、じゃあ女の子だったら……ミサジ?」
「シ~イ~ちゃ~ん。言わなかったかしら。思った事を直ぐ口に出しちゃ駄目よって」
「ひゅ、ひゅひひゃへん。ひゅひひゅひひゃひゅひぇひぇ」
「……すいません。つい口が滑って、と弁解してます」
「それが分かるレイも凄いわね。……って、アスカ?」
「…………十六才差か」
「なっ!? あ、アスカまさか、この子を」
「ち、違うわよ。別に何でも無いって」
「……青田買いね」
「青田買い?」
「……将来有望そうなものに、唾をつけておく事よ。この場合光源氏作戦とも言うわ」
「言わないわよ!!」
「だ、駄目よアスカ。まだこの子は子供。そう言うのはせめて……リョウジに相談した方が良いのかしら」
「あ~も~いい加減にしなさ~い!!」
※
(……そう、ミサトさん達は自分達の名前を、子供につけたんだった。でも私とレイさんは、名前が似てるからそれは無理だし、二十人分もつけられない。じゃあ……)
ミサトの忠告を思い出し、口に出す前に今度はしっかりと頭の中で考えを纏める。そして問題無いと判断してから小さく頷くと、再び少女達へ向き直った。
「待たせてごめんね」
「何か浮かんだのかしら?」
「うん。色々考えたんだけど、やっぱり私達に繋がりがある名前が良いと思うの」
シイの言葉にユイは成る程と頷く。
「でね、私達の名前って、みんな数字が関係してるの。レイさんは数字の零だし、シイは四。お父さんのゲンドウはドウをとうで十。お母さんのユイだけど、ユは百合とかで百って読める。どうかな?」
レイとシイはともかく、ゲンドウと特にユイはかなり苦しいこじつけだが、言いたい事は分かる。だからこそ、ゲンドウ達は突っ込む事無く見守る事にした。
「ええ、良いと思うわ。それでどんな数字を名前にするのかは、決まってるの?」
「うん。……まず貴方はイブキちゃん」
シイは順番に少女達の手を握りながら、命名という儀式を始めた。
「フタバちゃん」
「ミツキちゃん」
「イツワちゃん」
「ムツミちゃん」
「ナミちゃん」
「ヤエちゃん」
「クウちゃん」
「チカちゃん」
「マナちゃん」
「ナユタちゃん」
宣言した通り数字を含む名前を、シイは少女達に伝えていく。先程の名前とは違い、少女達は自分だけの名前を噛みしめるように、満足げに頷いていた。
ここまでで十一人。だがチカで千、マナで万、ナユタで那由多と数を重ねており、この後は一体どうする気かと、ゲンドウ達は固唾を飲んで見守る。
「……貴方はムツキちゃん」
「ヤヨイちゃん」
「サツキちゃん」
「ハヅキちゃん」
(成る程。陰暦を用いたか)
(……後五人。シイさん、頑張って)
「貴方はコヨミちゃん」
「トキちゃん」
「ヒヨリちゃん」
「ツキノちゃん」
(コヨミは暦、トキは時、ヒヨリは日、ツキノは月かしら。よく考えたものね)
直接的な数字では無いが、それでも密接に関わっている名前をつけたシイに、ユイは苦笑しながらも感心してしまう。本気で少女達の事を想っていなければ、ここまで拘れないと。
そして残るは一人、あの快活な少女だけとなった。
「うんうん、さっすがお姉様。これは私も期待しちゃっても良い感じかな?」
「あのね、貴方だけは私じゃ無くて、レイさんに名前をつけて貰おうと思うんだけど」
「……私が?」
「うん。だってこの子は……」
レイの想いを反映させた少女だから、とシイは視線で伝える。
「……話したの?」
「いや~シイお姉様にだって、知る権利はあると思ったりする訳で……許して、お姉様」
両手を合わせてぺろっと舌を出す少女に、レイはため息をつきながらも頷いた。そもそもこの少女の性格は、自分の願望が反映されている為、文句を言うわけにもいかないだろう。
「あ、ひょっとして余計なお世話だったかな?」
「……いえ、問題無いわ」
「じゃあ話もまとまった所で、さあレイお姉様。私に相応しい名前をプリーズ」
両手を大きく広げて待ち構える少女を無視して、レイはあごに手を当てて悩む。名前をつける事など、今まで一度も経験が無かった為、改めて考えるとその難しさを実感する。
暫しの沈黙の後、レイは小さく頷くと口を開いた。
「……決まったわ。貴方は碇金剛ね」
「ちょ、ちょっと待って!? マジでそのネタ……」
「……冗談」
「ま、真顔で冗談は勘弁してよお姉様。笑うに笑えないから」
「……トワ。碇トワ」
改めて告げられた名前に、少女は一瞬驚いた表情を見せたが、直ぐさま嬉しそうな笑みを浮かべる。
「トワ……私の、私だけの名前。えへへ、何か良いね」
「うん。とっても可愛いと思うよ」
「……ありがとう」
自らの零に対して、時間という概念での無限を意味する永久。そこにどんな想いが込められていたのかは、レイの心の内に秘められる。
命名と言う儀式を終え、シイスターズは正真正銘、碇家の一員として迎え入れられる事となった。
~交際は順調です~
高校の休憩時間に、カヲルは教室でシイと携帯電話で通話をしていた。
「……勿論さ。ふふ、こちらこそ楽しみにしているよ。じゃあ放課後に」
「シイは何て言っとったんや?」
「今日の放課後、君と僕に本部へ来て欲しいそうだ。会わせたい人が居るらしい」
「ほ~。そらやっぱり、あいつらやろな」
あの少女達が魂を宿して目覚めたと言うのは、カヲルもトウジも聞き及んでいる。このタイミングで自分達を呼ぶなら、十中八九間違い無いだろう。
「ちゅう事は、レイが鬼の形相で出て行ったんも、それ関連か」
「ふふ、おいたが過ぎたんじゃないかな。まあシイさんの口ぶりから、全て解決済みの様だけどね」
「なら一安心や」
クラス中が凍り付くほどの怒気をまき散らし、無言で早退していったレイ。どの様な経緯でそうなり、解除されたのかは知らないが、胃痛の種が一つ減ったとトウジは安堵する。
「ああ、勝手に約束してしまったけど、放課後は空いているかな?」
「勿論や。わしもあいつらの事が気になっとったし、丁度暇…………」
「トウジ~。今日のお買い物、やっぱり繁華街の方へ行きたいんだけど」
冷や汗を流しながら固まるトウジに、ニコニコとご機嫌なヒカリが近づいていく。その後ろには呆れ顔のケンスケが、何やってんだと言う視線を向けていた。
「おやおや、先約があったみたいだね」
「え? あ……ひょっとしてトウジ、何か急用が出来たの? ならお買い物は今度に」
「お、男が一度した約束を破れるかっ!! いくで、ヒカリ。何処へでも付きおうたるわ」
大声でデートします宣言をしたトウジに、クラスメイト達はまたお前達かと、優しさと嫉妬が入り交じった視線を向ける。クラス中の注目を浴びた二人は、顔を真っ赤にして俯いてしまう。
「はいはい、ご馳走様」
「愛は良いね。リリンの生み出した感情の極みだよ」
「……すまん渚。悪いんやけど」
「ふふ、気にする事は無いさ。シイさん達には僕から説明しておくよ」
恋人達の邪魔をシイも望む筈が無いと、カヲルは優しい微笑みで頷いて見せた。
~天敵VS天敵~
放課後。カヲルは一人、ゼーゲン本部に訪れた。
(さて……僕の予想が正しければ、少し愉快なことになりそうだね)
これから自分を待ち受けているであろう展開を想像し、カヲルの口元に笑みが浮かぶ。だがそれは普段見せる優しい物では無く、腹に一物を抱えたような黒い笑みであった。
本部の中を進み、やがて指定された部屋へと辿り着くと、ノックをしてから入室する。中で彼を待っていたのは、予想通りの光景であった。
「あ、来てくれたんだね、カヲル君。急に呼んじゃってごめんなさい」
「ふふ、君の呼び出しとあらば、僕は地球の何処に居ても駆けつけるさ」
「……なら今度は宇宙に放り出すわ」
「君が言うと洒落にならないから止めて欲しいね」
「……そう」
「ああ、一応言っておこう。あの後先生には緊急招集と伝えて、早退扱いにしておいたよ」
「……ありがとう」
部屋で待っていたシイ達と、カヲルはフレンドリーに会話を交わす。それは三人の様子をジッと見つめている、二十人の少女達への牽制だったのかも知れない。
「それで、僕に会わせたいと言うのは……その子達かな?」
「うん。実はみんな、私とレイさんの妹になったの」
「……名前も決まったわ」
「ふふ、なら紹介して貰おうかな。君達の自慢の妹達を」
カヲルの言葉に頷くと、シイはシイスターズを順番に紹介していく。名前を呼ばれた少女達は、警戒心むき出しの様子で、カヲルに軽く会釈をした。
(やはり僕に対しては、警戒心、あるいは敵対意識を持っているか……)
「それでこの子がトワちゃんだよ」
「は~い、初めましてカヲルさん。碇トワです。今後ともよろしくね」
トワと紹介された、明らかに他とは様子の異なる少女に、カヲルは僅かに眉をひそめる。
「……何か問題があった?」
「いや、とても魅力的な子達だと思ってね。少し戸惑ってしまっただけさ」
「も~お上手なんだから。でもカヲルさんだって、思ってたよりもずっと素敵だよ」
表面上は極めて和やかに会話を交わす両者。現にシイは二人が早速仲良しになったのだと、安堵の笑みさえ浮かべていた。だが……。
(成る程ね。この子は少々厄介な存在になりそうだ)
(渚カヲル。お姉様にとって危険極まりない存在。予感は確信に変わったよ)
(この手のタイプは手段を選ばない。恐らく今この場所で仕掛けてくる筈)
(手強いのは百も承知。でもシイお姉様の貞操を私が奪うためにも、必ず排除する)
穏やかな微笑みの裏では、激しい火花が散っていた。
大きめの会議室にはカヲルの他に、シイとレイ、そしてシイスターズの面々が居るだけ。ゲンドウとユイは手続きのために、席を外しているとの事だった。つまり……この場にカヲルの味方はシイ以外に存在しない。
「ねえシイお姉様」
猫なで声でシイに呼びかけるトワに、カヲルは動いたかと警戒を強める。
「どうしたの、トワちゃん」
「カヲルさんって、お姉様達のお兄さんなんだよね?」
「うん、そうだよ」
「それなら私達のお兄さんって事だよね。……ちょっと遊んで貰っても良いでしょ?」
チラッとカヲルに向けられたトワの視線は、獲物を狙う狩人のそれだった。外堀を埋めてから、獲物の逃げ道を塞いだ上で、確実に仕留める。そんな計算高さをカヲルは本能で理解する。
「ん~カヲル君の迷惑になっちゃうし……」
「ふふ、僕なら大歓迎だよ。こんな可愛い妹達にお願いされたら、断れる筈も無いしね」
「さっすがカヲルさん、話がわっかる~。じゃあ、プロレスごっこしようよ」
(そう来たか……)
(これならお姉様に叱られずに、数で圧倒できる)
(でもまだ甘いね)
「分かったよ」
「オッケー。みんな、カヲルさんに突撃~!」
「「……了解」」
こうして表向きは兄妹のじゃれ合い、実際にはシイを巡る真剣勝負のゴングが打ち鳴らされた。
機敏な動きでシイスターズはカヲルを包囲し、有利な陣形を築いていく。一方カヲルはポケットに手を入れたまま、少女達の好きなようにさせる。
その無防備さが気味悪く、シイスターズは中々飛びかかる切っ掛けを掴めない。
「ふふ、どうしたのかな? さあ、兄の胸に飛び込んでおいで」
「……やるしかないわ」
「……ええ」
「……カウントお願い」
「……スリー」
「……ツー」
「……ワン」
「……ステーンバイ、ステーンバイ……ゴー」
カヲルの挑発を受け、シイスターズは意を決してカヲルに飛びかかる。圧倒的な彼我戦力差は、カヲルに抵抗すら許さないと思われたが……光の壁が戦力差をひっくり返した。
全方位に展開されたATフィールドに、少女達は為す術無く弾き飛ばされる。
「……ATフィールド」
「……忘れてたわ」
「残念だけど、君達では役者不足さ」
シイスターズは人の魂を宿しているので、ATフィールドを展開出来ない。今地球上でカヲルと対等に戦えるのは、碇レイただ一人なのだ。
「とは言え、まさか君も僕と遊びたいなんて言うはずがないね」
「……ええ」
「ならこの遊びはお開きかな」
「……いえ。貴方は私達の妹を、あまり侮らない方が良いと思う」
レイの言葉にカヲルはすっと目を細める。ATフィールドがある限り、自分に負けが無いのは確実な筈。ではレイの自信は一体何処から来るのかと、思考を巡らせていた。
そんなカヲルの思考を終わらせたのは、沈黙を守っていたトワだった。
「さっすがカヲルさん。アダムの器、タブリスってのは伊達じゃ無いね」
「お褒めに預かり光栄だよ」
「ATフィールドがある限り、私達に勝ち目は無いね。でもさ、もしそれが無くなったら……果たしてカヲルさんは私達を捌ききれるのかな?」
意味深な事を告げるトワに、カヲルは言いようのない不安を感じた。そう、自分がATフィールドを持っている事を、この少女達は知っている筈なのだ。ならばその攻略法すらも考えているのでは、と。
「面白い意見だね。でも心の壁はそう簡単には失わないよ」
「モチのロン。そんなの百も承知だってば」
赤い瞳で見つめ合う両者。プロレスごっこは最終ステージへと突入した。
~世界で一番優しい天敵~
カヲルからの視線を受けながら、トワは事態を見守っていたシイの元へと歩み寄る。そしてポケットから取り出したメモを手渡し、そっと耳打ちをした。
「シイお姉様。お願いがあるんだけど……ごにょごにょ」
「?? 別に構わないけど、どうして?」
「カヲルさんと、もっと仲良くなる為に必要なの。ね、良いでしょ?」
「うん。よく分からないけど、そう言うことなら」
イマイチ理解出来ていないシイだったが、仲良くなる為と言われれば断れない。渡されたメモに目を通し、不思議そうに首を傾げたが、それでも真剣に内容を確認していく。
「……何が書いてあるのかな?」
「あっれ~? ひょっとして焦ってたりする?」
「僕がこの世で恐れているのは、暴走したレイと……予想出来ないシイさんの行動だからね」
「ATフィールドってさ、生きようとする意志、つまりリビドーが原動力なんだって。って事はだよ、もしそれを失ったらどうなっちゃうんだろうね~」
「……まさかっ!?」
トワの意図を察し、カヲルは赤い瞳を大きく見開く。だが時既に遅く、シイはメモに書かれている言葉を、大きな声で言い放ってしまった。
「あのね、私、好きな人が出来たの」
何て事は無い言葉。だがそれをシイが口にした事で、とてつもない破壊力を持って周囲に伝わる。
「ぐっっ!」
予期せぬ強烈な一言に、カヲルの身体がぐらりと揺れる。しかし真剣にメモを見ているシイはそれに気づかず、更に次の言葉を紡いでいく。
「ごめんなさい。これからもお友達でいてね」
「……うぅぅ、何だか歩きづらいよ」
「虫刺され? あ、これは違うの」
「……来ないの」
「来月式をあげるの。来てくれるかな?」
「大きくなってきたでしょ。もう四ヶ月なんだよ」
「ほら、この子の目元。あの人に良く似てて……えへへ」
当の本人は、自分が何を言っているのかを理解していないだろう。巧妙に直接的な表現を避けた、トワの台本はシイに不信感を抱かせず、しかし絶大な効果を上げた。
「……ぐふっ」
リビドーを根こそぎ奪われ、デストルドーを与えられ続けたカヲルは、力なく膝をついた。ATフィールドはとっくの昔に失われており、まさしく抜け殻の様な状態で動きを止める。
トワの策は大成功。これで数による蹂躙が可能かと思われたが……彼女はある失態を犯した。シイの言葉を自分達も聞いてしまったのだ。
「「………………」」
結果としてシイ以外に無事なものはおらず、シイスターズ全員とレイも、生きる気力を失った様に力なく床へと座り込み、負のオーラが室内に充満していた。
※
そして、シイ達の様子を監視モニターで見ていた発令所もまた、同じ末路を迎えていた。
「あ、アンチATフィールドの発生を……確認」
「個体生命の形を維持……しなくても良いっすよね」
「……み、みんなのATフィールドが……消えていく」
「これが罰なの?……神様に手を出した人類の……罰」
デストルドーに支配された面々は、抜け殻の様に光の宿らぬ瞳で、ただモニターを見つけるだけ。このまま補完されてしまいそうな彼らを、
『み、みんな! お願いだから返事をしてよ』
シイの声が蘇らせた。
※
「変な事を言っちゃってたら謝るから……私を一人にしないで!」
「……し、シイさん……」
「……僕は……まだ、終われない」
涙混じりに叫ぶシイの声に、レイとカヲルがふらつきながらも応える。アダムとリリス、始祖としての絶大な精神力と、シイへの限り無い愛情が二人の身体を突き動かしていた。
「……私は何時までも、貴方と居るわ」
「君が望む限り、僕はそれを裏切らないよ。約束する」
微笑む二人を見てシイは心底安心したように頷くと、温もりを求めるようにレイに抱きつく。そんな二人の姿を満足げに見ながら、カヲルは首謀者の元へと歩み寄る。
「さて……何か言いたいことはあるかい?」
「こ、今回は……引き分けにしてあげる………………マジでごめんなさい」
「くれぐれも頼むよ。世界を終わらせたくは無いからね」
謝罪を受け入れたカヲルは、苦笑しながらトワの頭を軽く撫でた。
その後、カヲルとシイスターズの間に紳士協定が結ばれ、天敵同士の対面は幕を閉じた。
投げっぱなし気味ですが、シイスターズメイン回は一応終了です。
今後もちょいちょいと出てくるかも知れませんが……。
次からは日常編……の予定だったのですが、使徒復活編もやりたいなと思っています。
諦めていたのですが、良いアイディアを頂戴したので。
どのタイミングかは分かりませんが、可能なら投稿したいなと。
ただ『アダムとリリス』の様に長いシリアスには、ならないと思います。
五月は投稿ペースが少々不規則になるかも知れません。
次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。