エヴァンゲリオンはじめました   作:タクチャン(仮)

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後日談《アダムとリリス(11)》

 

~我が儘~

 

「リリス内部のエネルギー反応が、急速に高まっていきます!」

「始まったか」

「……ああ」

 ジオフロントに立ち尽くしていたリリスは、何の前触れも無く活動を再開した。急速に高まるエネルギーに呼応するように、白い身体が少しずつ大きくなっていく。

 このままだとジオフロントの天井にぶつかると思われたが、リリスの肉体は何の障害も無かったかの様にすり抜け、第三新東京市にその姿を現した。

「り、リリスは特殊隔壁を通過。尚も上昇、拡大を続けています」

「特殊隔壁及び第三新東京市に物理的ダメージは認められません」

「そんな……理論上あり得ないのに」

「でも現実に起きているのよ。考えられるとすれば……」

「覚醒したリリスは物理的な制約を受けない存在なのかしら」

 動揺するマヤの後ろで、リツコとユイが頷き合う。始祖という未知の存在は自分達の物差しで測れない。それを理解しているからこそ、二人はこの異常な状況下でも冷静さを保てていた。

「リリス、高度2000を突破」

「何が狙いなの……?」

 発令所の全員が見守る中、リリスは肉体の拡大を続けていった。

 

 

 大破したエヴァからどうにか脱出した二人は、地底湖からリリスを見上げていた。

「一体、何が起こっとるんや」

「……恐らくシイさんが、何らかの選択をしたんだろうね」

「お前の言う希望っちゅう奴か?」

「いや、僕の予想とは少し違う形になってるよ」

 カヲルはシイがレイと別れを告げ、リリスを眠らせた上で帰還すると思っていた。それこそが、この状況下で最も犠牲の少ない選択であり、サードインパクトを防ぐ希望だったからだ。

 しかしリリスは彼の予想とは違う動きを見せている。

(まさかシイさんはレイも救おうとしているのか? だとしたらこの行動は……)

「渚っ!?」

 トウジの叫び声に反応したカヲルは、目の前の光景に戸惑いを隠せない。動くはずの無い大破したエヴァ両機が、まるで何かに導かれる様に空中へと浮かび上がっているのだ。

「これは……」

「どう言う事なんや?」

「……多分リリスがエヴァを引き寄せているんだと思う」

 エヴァ程の質量を保つ物体を浮遊させる力は、現時点でカヲルかリリス以外に使えないだろう。カヲルに心当たりは無いので、リリスが何かをしているのは間違い無い。

 だがその目的は依然として不明なまま、参号機と四号機は大きな縦穴を浮上していき、やがてリリスの白い身体へと吸い込まれていった。

 

 

 謎の力による参号機と四号機の移動を観測した発令所が、状況の把握にざわつく中、ゼーゲン本部を激しい衝撃が襲った。

「何事だ!?」

「零号機と弐号機が本部直上へ引き寄せられています!!」

 青葉が絶叫混じりに報告する間にも、ケージに固定されていた二機のエヴァは磁石で引っ張られる様に、本部の施設を破壊しながら上昇していく。

「エヴァと融合を……いや、吸収しようとしているのか。だが何のために……」

「今のリリスはシイの自我に従っている筈だ。何か考えがあるのだろう」

「……全ては神の、シイ君の望むがままと言うわけか」

 ゲンドウと冬月の視線は、巨大化を続けるリリスから離れる事は無かった。

 

 

 巨大化を続けるリリスの姿は、輸送機で避難中のゼーゲン職員達からも確認できた。

「あらあら、大っきくなったわね~」

「ええ。あの感じからすると、恐らくリリスには質量保存の法則など関係無いのでしょう」

「改めてとんでもないモノに手を出したと思うわ」

 列をなして飛ぶ輸送機のうち、要人輸送用のVOTLに搭乗したキョウコ、時田、そしてナオコの科学者トリオは、取り乱す職員達とは違い、冷静にリリスについて分析を始めていた。

「身体の方はもう大丈夫ですか?」

「一応手加減してくれたみたいだからね。全く……いきなり当て身をするなんて、油断したわ」

「ははは、彼は女性に手をあげる人ではありませんが、それだけ緊急事態だったのでしょう」

「後でたっぷり仕返しをしなくちゃ」

 加持によって強制的に避難させられたナオコは、時田のフォローにも拗ねた表情を崩さない。大事な娘を現地に残し、自分だけが安全な場所へ逃げる事が、今でも納得出来ないのだろう。

「それにしても……あれが人類の母、リリスですか」

「正確には全ての生命の母ね。魚も虫も動物も、みんなリリスから誕生したのだから」

「うふふ、子だくさんなのね」

 キョウコの言葉に脱力しながらも、時田とナオコは考察を続ける。

「話によると、シイさんがあそこに居るとか」

「あの子は神様に選ばれたのね。世界の運命を決める人類の代表がシイちゃんよ」

「だとすると、あの状態もシイさんが望まれた訳ですな」

「一体何をするつもりなのかしら……」

「……考えるだけ無駄よ。シイとレイ、二人揃って馬鹿なんだから」

 会話に割り込んできた声に、時田とナオコは思わず振り返る。そこには医療用ストレッチャーに寝かされたアスカが、呆れ顔でリリスを見つめていた。

 

「アスカちゃん、目が覚めたのね」

「気分は如何ですか?」

「最悪に決まってんじゃん。……この大事な時に、あたしだけ蚊帳の外なんて」

 アスカの両腕と右足に痛々しく巻かれた包帯。それはレイを足止めする為に、彼女が負った代償だった。薬で抑えてはいるが、気を抜けば再び意識を失いそうな痛みが残っている。

 しかしアスカはそれを表に出さず、親友達の決断を見守ろうと身体を起こす。

「安静にしてなきゃ駄目よ、アスカちゃん」

「この……位、全然平気だってば」

「まあ、じっとしていられない気持ちは分かります。……これでどうです?」

 時田はストレッチャーを操作し、アスカが楽に背中を預けられる様にする。碇姉妹と仲の良いアスカの気持ちが、秘密を共有した仲の彼には痛いほど分かったからだ。

「それで、考えるだけ無駄と言うのは?」

「言葉通りよ。あの二人、特にシイの考えはズレてるの。だから多分今回のも、あたし達からすれば呆れるような理由で動いてるに決まってるわ」

「あら、随分と手厳しいわね」

「伊達に長く付き合って無いわよ。今の会話を聞いてたけど、要はシイがリリスの力を使えるって事でしょ? ならあの子、冗談抜きで全部の生命を幸せにする、とか考えてるわね」

 呆れと諦めが入り交じったアスカの言葉に、時田は表情を歪める。シイを知っている人間なら、それがあり得ないと言い切れないからだ。

「し、シイさんなら……やりかねませんね」

「本気なの?」

「ええ。彼女は何と言いますか、博愛主義的な面がありますので」

「どーせ『みんな幸せな結末じゃ無きゃ嫌だ』とか駄々こねて、変な事をしようとしてるのよ」

 アスカは知るよしも無いが、彼女の予想はシイの考えをほぼ完全に読み当てていた。

「うふふ、シイちゃんらしいわね~」

「しかしそれは……」

「普通に考えれば無理だけど、あの子はやるって決めたらやるわ」

 渋い表情を浮かべる時田に、アスカは確信を持って告げた。どんな困難にも真っ向から立ち向かい、傷つきながらも前に進む。それが碇シイであり、自慢の親友であるのだから。

「ま、あたしとしても、無事にレイと一緒に戻ってきてくれれば、それに超したことは無いわ。乙女を傷物にした事を、たっぷり説教してやるんだから」

「私もレイちゃんに言わなきゃ。娘を傷物にした責任を取れって~」

「キョウコさん、それ違うから」

(……良いわ、シイ。思う存分やってみなさい。あんたが望む未来が夢物語なのか、それとも信じるに足るものなのか、あたしが見届けてあげるから)

 アスカが見守る中、リリスの身体は地球の外へと突き抜けていった。

 

 

 

~神意~

 

 ジオフロントを起点に拡大を続けたリリスは、半身が宇宙空間に出た時点でようやく動きを止めた。

「……シイさん。準備が出来たわ」

「外の様子を見る事って出来る?」

「貴方が望めば可能よ」

「そうなんだ。……なら」

 シイは目を閉じて頭にあるイメージを浮かべる。するとシイの周囲が黄色の空間から、見覚えのあるエントリープラグのそれへと変化した。

 ただし、何故かパイロットが座るインテリアが二つ並んでいたが。

「えへへ、やっぱりこれが落ち着くよね」

「……どうしてインテリアが二つあるの?」

「隣に居てくれるんだよね?」

 ニッコリ微笑むシイに、レイも少しだけ表情を和らげながらインテリアに腰を下ろす。

 初号機のプラグはリリスとの融合で消滅している為、これはあくまでシイのイメージを具現化しただけ。しかし実際にエヴァへ搭乗したときと同じ様に、リリスの視界を得る事が出来た。

「はぁ~、ここが宇宙なんだね。初めて来たよ」

「……私も」

「それで、これが地球。……凄い綺麗」

 教科書でしか見たことの無い光景に、シイは宝物を見つめる様に目を細めた。青く美しい星、それはシイのモチベーションを一段と高める。

「絶対に成功させなくちゃね」

「……ええ」

「ふふ、何をかな?」

 背後から聞こえた、絶対にあり得ない第三者の声に、シイとレイは同時に振り返る。するとそこには、やはりあり得ない存在、渚カヲルが微笑みを浮かべて立っていた。

 

「え、あ、か、カヲル君?」

「……何で貴方が居るの?」

 混乱するシイの隣で、敵意の籠もった視線を向けるレイ。彼女にしてみれば、これからシイと二人で大一番の望む直前で、待ったを掛けられたのだから当然の反応だろう。

「随分な態度だね。僕をここに引き込んだのは君達なのに」

「だ、だってカヲル君はちゃんと生きてるって、レイさんが……」

「……貴方が魂の一部を四号機に宿していたの忘れてたわ」

 自らの迂闊を悔いるように、レイは唇を噛みしめた。

「どう言う事?」

「ふふ、僕は魂の一部を使って、四号機と融合に近い状態にあったのさ。本体はあくまでゼーゲンの地下に居るけれど、こうして意識を共有する位は出来るよ」

「えっと……」

「携帯電話の様な物だと思って欲しい。僕は離れた場所に居るけど、魂の一部を介して君と会話が出来ている。これならどうだい?」

「うん、よく分かったよ」

 理解を示したシイに頷くと、カヲルはシイの隣へと移動する。

「ところで、シイさんは何をするつもりなんだい?」

「え?」

「僕は君がリリスを消滅させると予想していた。サードインパクトと言う危機を未来に残さない為にね。レイもそれを見込んでシイさんをリリスの自我にした筈。でもシイさんは違う未来を見ているよね?」

 カヲルの問いかけに、シイはレイに視線を送る。

「……大丈夫よ。例え反対されても、貴方が望む限り彼は邪魔出来ないから」

「うん。あのねカヲル君。私はリリスさんを、地球と一つにしちゃおうって思ってるの」

 シイは静かに自らの考えを話し始めた。

 

「元々地球の生き物は全部、リリスさんから生まれたのは知ってる?」

「ああ。リリスの体液が地球の海と反応して生命のスープとなった、と理解しているよ」

 リリスはアダムと違い、子を単体で誕生させなかった。代わりに生命の源である体液、LCLを地球へ流し続け、それが海の水と混ざり合い、生命のスープとなった海から生命が誕生した。

 誕生した生命は進化を続け、人類はその最終形とも言えるだろう。

「だから今度は、リリスさんの身体を全部LCLにして、地球と一つになって貰いたいの」

「言いたい事は分かるよ。けどそれは結局、リリスを消滅させるのと同じじゃ無いかな?」

「ううん、リリスさんは地球と一つになって生き続けるの。始祖さんは身体がバラバラになっても、生きていられるって、レイさんが教えてくれたから」

 生命の実が持つ驚異的な再生能力は、使徒と初号機、そしてアダムで実証されていた。

「確かにシイさんが望めばそれは可能だけど…………そうか、レイの為に」

「うん」

 地球と言う星をリリスの身体と同義にする。そうすれば魂が地球にある限り、肉体と共に存在出来る。あまりに規模の大きいシイのアイディアに、カヲルは苦笑するしか無かった。

 

「まさかレイの為だけに、地球を巻き込むとは思わなかったよ」

「上手く行くかは分からないけど、私にはこれしか思い浮かばなかったの」

「まあ、やってみる価値はあるだろうね。……ん、ならエヴァを取り込んだのは何故だい?」

 今の話を聞く限り、エヴァをリリスに取り込む必要性が見つからない。そんなカヲルの疑問に、シイは少し困ったように頬を掻く。

「実は……エヴァを壊しちゃうって事、まだ納得出来て無かったの。みんなは違うって言ってくれたけど、エヴァを邪魔者扱いしてる気がして」

「実際、リリンの中にはそう思っている者達もいるだろうね」

「平和な世界にエヴァはいらないって言うけど、その世界を私達にくれたのはエヴァなんだよ? だから……せめて自分達が守った平和な世界を、リリスさんと一緒に見ていて欲しいなって思ったの」

 これはシイの完全な我が儘だった。自己満足に他ならないが、それでもカヲルは批判する気持ちを抱く事も無く、心優しき少女の思いに微笑みを浮かべた。

 

「それと……あの子達にも何かしてあげられないかなって」

「あの子達?」

「……私のクローン体」

 レイの言葉を聞いて、カヲルは驚いた様に目を見開く。忘れていた訳では無いが、この状況下で彼女達にまで気を回す余裕なんて、彼には無かったからだ。

「魂を宿さない人形なんてお父さんは言ってたけど、あの子達は生きてるんだもん。だから神様権限で魂を宿せれば、一人の人間として未来を生きられる筈だよね」

「……理論上は可能な筈さ。でもそれだけは反対させて貰うよ」

 シイの気持ちを理解した上で、カヲルはきっぱりとそれを否定した。

 生命の源であるリリスから生まれた生物は、黒き月にある『ガフの部屋』から魂を与えられる。そして生物が死を迎えた時、魂は再びガフの部屋へと還る。それが自然の摂理であり、人工生命体に魂が宿らぬ理由だ。

 シイの希望を叶えるならば、ガフの部屋からレイのクローン達に宿す魂を取り出す必要がある。

「ガフの部屋は通常、ガフの扉によって閉ざされている。それが開くのは始祖が原始への回帰を望み、全ての生命をガフの部屋へと還す時だけだ。君も分かっているんだろ? それを成し遂げるには、死と新生を司るロンギヌスの槍が必要だって」

「うん。レイさんに教えて貰った」

「ロンギヌスの槍はデストルドーの象徴。それは始祖と言えども免れる事が出来ない。そして始祖が死を望めば、反ATフィールドによって全ての生命は滅びる。忘れたとは言わせないよ」

 カヲルはあえて強い口調でシイを責める。シイを想うが故に、安易な考えと決断で彼女が望む未来が壊れる事が、許せなかったのだ。

「シイさんの気持ちはよく分かるし、大切なものだよ。でもそれが他の何かを傷つけてしまう事だってあるんだ。優しさと甘さを間違えないで欲しい」

「貴方にシイさんの何が分かるの」

「全てを肯定するだけが優しさじゃ無い。間違った道を選んだ時は、それを正すのも愛情だよ」

「間違った道と判断するのはシイさん。貴方が勝手に決めつけないで」

「なら君はシイさんの決断が正しいと思っているのか?」

「信じているもの」

「話にならないね。それは盲信だ」

「自分が信じている人の決断を疑うのは、自分に自信が無いから」

「ストーップ!」

 段々とヒートアップしていく二人を、シイは大きな声で食い止めた。

 

「二人とも喧嘩しちゃ駄目だってば。……カヲル君が反対するのも良く分かるし」

「いや、僕も少し焦っていたみたいだ。ごめんよ」

「……私は悪く無いわ」

「レイさん?」

「……ごめんなさい」

 ジッとシイに見つめられたレイは、観念したように頭を下げた。どうにか場が治まった事に安堵すると、シイはカヲルに話をする。

「勿論サードインパクトの事は忘れてないよ。私の考えが我が儘だって言うのも分かってる。だから、もし失敗してもみんなを巻き込まない様にするつもりなの」

「……死ぬ気かい?」

 困ったような笑みを浮かべるシイを見て、カヲルは彼女の覚悟を悟った。万が一の時には、反ATフィールドが臨界を迎える前に、リリスと共に宇宙へと散るつもりなのだと。

「君を失う事で、傷つく人達が大勢居る。それを理解した上で言ってるのかい?」

「……私はカヲル君が言うような優しい人間じゃ無いの。臆病で弱虫で卑怯で……それでもみんなが幸せな世界が欲しいって願う我が儘な、ただ自分の望みを押し通すだけの……子供だよ」

「知ってるよ。誰よりも我が儘で、誰よりも寂しがり屋で、誰よりも甘く、誰よりも優しい。最もリリンらしく、最もリリンらしく無い。そんな君だから僕は惹かれているんだ」

 カヲルは今までで見せた事の無い様な、慈愛に満ちた表情でシイの頭を撫でた。

「ふふ、もう野暮は止めよう。全てはシイさんの、リリンの女王の為すがままに」

「ありがとう、カヲル君」

 微笑むシイの前に跪くと、カヲルはシイの右手をそっと取る。そして忠誠を誓う騎士の様に、シイの小さな右手の甲へそっと口づけをした。

 

「……後で手を消毒しましょう」

「おや、焼き餅かい?」

「……良いわ。今ここで決着を――」

「も~二人とも、仲良くしなさい!!」

 シイが両手を挙げて叫んだ瞬間、周囲の光景が再び変化した。二つ並んだインテリアにはレイとカヲルが座り、シイは二人に挟まれる形で前方に現れたもう一つのインテリア着席する。

 それはアダムとリリスと言う翼を得たリリンの王、または両親に守られた子供の様にも見える、三人に相応しい姿だった。

「喧嘩は無し! みんな一緒に頑張るの! 良いよね?」

「……シイさんがそう言うのなら」

「ふふ、仰せのままに」

 二人の答えを聞いたシイは、大きく深呼吸をしてから、意を決して操縦桿を握った。

 

 

 

~絶望を超えて~

 

(ロンギヌスの槍……死と新生を司る、残酷で優しい神の槍。貴方も一緒に……)

 目を閉じて祈るシイの意思に反応したのか、ターミナルドグマに突き刺さっていたロンギヌスの槍が、引き寄せられるようにリリスの元へと飛来した。

「融合を果たした時からデストルドーの侵食が起きるよ。覚悟は良いね?」

「うん」

 カヲルの忠告にシイは頷くと、リリスの胸に血液を連想させる赤黒い槍を取り込む。その瞬間、槍からのデストルドーがシイの表情を苦悶に歪める。

 ロンギヌスの槍を取り込んだ事による変化は、リリスの外部にも起こっていた。地球から飛び出したリリスの上半身、その背中から巨大な羽が現れた。

 十二枚の白い羽は、リリスの身体を遙かに上回る規模で、宇宙へと展開される。この時リリスは『アダム』と自らをも生み出した『神』に、生と死すら意のままに出来る絶対の存在に到達したのだ。

 リリスはそこで動きを止め、自我であるシイが決断を下すその時を、静かに待ち続けていた。

 

「…………ぅぅぅぅぅぅ」

「始まったね」

「……私達は?」

「槍が生命の自我に作用する以上、構成パーツに過ぎない僕達に干渉する事は無いさ」

「……見守る事しか出来ないのね」

 荒い呼吸を繰り返しながら両手で顔を覆い隠し、必死にデストルドーに抗うシイの姿から、レイとカヲルは目を逸らすことは無かった。

 博愛主義と揶揄される程、他者に愛情を向けて繋がりを求めるシイだが、その根底には孤独という恐怖から逃れたいという、自己防衛的な想いがあった。

 それは程度の差こそあれ、人間ならば誰もが持っている心。群体生命である人類は、単独で生きてく事が出来ないと本能で理解しているが故に、他者の存在を望むのだから。

、精神的な成長を遂げたシイは、以前の様に闇雲に孤独を恐れたりはしない。だがロンギヌスの槍から与えられるデストルドーは、彼女の脆い部分に容赦なく襲いかかる。

 

 親しい人達が全員血だまりに倒れる中、一人立ち尽くす世界。

 一人、また一人と自分の前から消えていき、最後には自分だけが残る世界。

 真っ暗な世界に自分だけが取り残されている世界。

 全ての人達から拒絶され、一人きりで生きていく世界。

 孤独を恐れるシイにとって、他者の存在が無い世界は絶望そのもの。槍が与えるデストルドーによって、シイは最も拒絶したい未来をイメージさせられる。

 そして『原始の状態へ還り一つになる』と言う想いがシイの思考を支配していく。激しく抵抗していたシイだったが、抗いがたい甘美な誘惑に次第にリビドーを失っていった。

 

 高まるシイのデストルドーを受け、リリスは全身を淡く発光させ、反ATフィールドを展開する。まだ体内に留められているそれが解放されれば、サードインパクトが起こるだろう。

「ここからが勝負だね」

「……ええ」

 死と新生を司るロンギヌスの槍は、いわばガフの扉を開く鍵。それを取り込んだリリスは、ガフの部屋に自らの意思で干渉する事が許された。

 残された問題は、シイがデストルドーを乗り越えられるか否かだ。

「このまま反ATフィールドが強くなれば、僕達も姿を保っていられないよ」

「分かっているわ」

「もう僕達の声は届かない。後はシイさんが一人で頑張るしか……」

「……ならそうすれば」

 カヲルの言葉に冷たく返事をすると、レイはシイの元へと近づく。そしてデストルドーの影響で、ぐったりと俯いているシイの身体を優しく抱きしめた。

「……声が届かなくても、気持ちを伝える方法はあるもの」

「ふふ、そうかもね」

「……貴方も早く」

「どう言う風の吹き回しかな?」

 自分にもシイを抱きしめろというレイに、カヲルは驚いた様に問い返す。

「一人よりも二人の方が、シイさんは暖かいと思うから」

「……やれやれ。寂しがり屋の女王様だね」

 言葉とは裏腹に、カヲルは嬉しそうに微笑みを浮かべながら、レイと同じ様にシイの小さな身体を包み込む。他者との触れ合いは、消えかけていたシイのリビドーを、ギリギリのところでつなぎ止めた。

 

「誰も居ない……一人は嫌だよ……」

『孤独が怖いのね』

「みんなと居ると安心なの。暖かいの。だから一人は嫌」

『一度覚えた温もりを忘れられないのね』

「必要として欲しかったの。一緒に居ても良いって言って欲しいの。一人になっちゃうから」

『そうして他者に依存しているのね』

 自分の姿すら確認できない真っ暗な空間で、シイは誰とも知れぬ相手と問答を繰り返す。

「だからみんなと居られないなら…………」

『……ではその手は何の為にあるの?』

「手?」

 何も存在しない筈の空間に、ふっと淡い光を放つ自分の手が浮かび上がる。自他共に認める小さく弱い手だが、多くの人との絆を育んでくれた大切な手。

「……みんなと触れ合う為に。心を伝える為に……仲良くしようって握手をする為だよ」

『……ではその身体は何の為にあるの?』

 声の問いかけと共に、シイの全身が淡い光に包まれながら現れる。こちらもコンプレックスを抱くほど小さく華奢な身体だが、自分が碇シイである事の何よりの証。

「……みんなと触れ合う為に。心を伝える為に……大好きだよって抱きしめ合う為だよ」

『……ではその心は何の為にあるの?』

 シイの心の変化を表すように、真っ黒な空間は光りに満ちあふれた。先程までの絶望感から解き放たれたシイは、声の問いかけに微笑みながら答える。

「大切な思い出を、大切な気持ちを、大切な宝物を無くさない為だよ」

『……では貴方は何故ここに居るの?』

「みんなと一緒に生きられる未来を作るため、だよね。えへへ……」

 諦めかけていた自分を思い出したのか、シイは照れた様に頬を掻いた。

 

「ありがとうございます。貴方が居てくれたから、私は諦めずに前を向く勇気を貰えました」

『……もう良いの?』

「はい」

『……そう、良かったわね』

「えへへ……出来の悪い子供だけど、これからも見守ってくれますか? リリスさん」

 答えは無い。だが眩しい光の中で、暖かい何かがシイの身体を優しく包み込む。それは言葉では伝えきれなかった、母からの想いだったのかも知れない。

 

 

 

~全ての生命に福音を~

 

「レイさん? カヲル君?」

「……気づいたのね」

「ふふ、どうやら無事乗り越えてくれたみたいだね」

 力なく俯き、意識を失っていたシイが、再び活力を取り戻した事に、レイとカヲルは安堵する。そして痛いくらいに抱きしめていた身体をそっと離した。

「……ありがとう」

 二人の行動があの声を届けてくれたのだと、シイは深く感謝する。

「お礼はいらないよ。寧ろ僕がお礼を言いたいくらいさ」

「……戻ったら覚悟して」

「ふふ、そうだね。そろそろ戻るとしよう、僕達の日常へ」

「うん」

 レイとカヲルに頷ずいたシイが大きく深呼吸をして操縦桿を握ると、リリスは神々しく広げた十二枚の巨大な羽で、地球を包み込んだ。

「さあシイさん。彼女達に魂を宿すんだ」

「あ、でも……どうすれば良いんだろう?」

「君が望めば良い。今の君は絶対の存在なのだから」

「えっと、それじゃあ……」

 シイは水槽の中で泳ぐ少女達を強く思い浮かべ、彼女達と共に生きたいと願った。神の望みは世界の法則を踏み越え、人工生命体に魂を宿すと言う奇跡を起こした。

 

「これで残すはリリスを地球と融合させるだけだね」

「何だか緊張するよ」

「……声を出した方がリラックス出来るわ」

「声? それって、ATフィールド全開! みたいな?」

 首を傾げるシイに、レイは自信満々に頷いて見せる。レイがこうした態度を見せるときは、的外れなアドバイスである事が多いのだが、シイはそれを真面目に受け止めてしまう。

「かけ声って事だよね……う~ん」

「……『カヲル君なんか大嫌い』でも良いと思う」

「はは、こんな時に冗談でも止めて欲しいね」

「……冗談に聞こえた?」

「なら『レイさんなんて顔も見たく無い』と叫んで貰うと良い」

「……止めましょう」

 勝手に想像して勝手に凹んだレイは、カヲルと頷き合った。そんな二人のやり取りの間も、何かを必死で考えていたシイは、不意にカヲルへ声を掛ける。

「……前にカヲル君が教えてくれたよね。エヴァには二つの意味があるって」

「ん、ああ、アダムとリリスの話をしたときだね」

 予想していなかったシイの言葉に、カヲルはゼーゲン本部の食堂での事を思い出して答えた。

 

「ねえカヲル君。アダムさんとリリスさんが居るのに、イブさんは居ないの?」

「ふふ、勿論居るよ。イブは伝えられる書物によっては、エヴァと記されているんだ」

「ほ~。そら知らんかったわ」

「あんた馬鹿ぁ? エヴァはアダムのコピーでしょ? アダムの肋骨から生まれたイブそのものじゃん」

「……でも零号機と初号機はリリスのコピーよ」

「う゛っ、それは……どうなのよ、変態」

「ふふ、僕も人から聞いた話だけど、エヴァと言う名前はもう一つ意味があるらしい」

「それって何かな?」

「英語で福音を意味する『EVANGEL』をもじったそうだよ。名付け親がゼーレなのか、それとも当時のゲヒルンなのかは知らないけど、彼らにとってエヴァは人類に福音をもたらす存在と信じていたんだろう」

「福音……」

「一応言っておくけど、良い知らせとかそう言う意味だから」

「も~それくらい知ってるってば~」

 

 

「エヴァに込められた想いを、世界中に伝えたいなって思うの」

「……良いと思うわ」

「全ては女王様の意のままに」

「うん」

 シイは両手を操縦桿から離し、大きく上へ手を広げる。

 

「優しい神様に感謝を。そして全ての生命に――――福音よ、届いて!!」

 

 シイの叫びに応えるように、リリスの身体が金色の光を放つ。そしてそれはみるみる輝きを増していき、やがてリリスの肉体を金色の液体へと変化させ、地球へと降り注いでいく。

 少しずつリリスが肉体を失い、生命の輝きを地球に宿す光景を、シイ達は満足げに見つめていた。

「ふふ、お疲れ様」

「これで……終わったのかな?」

「……いえ、ここから始まるのよ」

「そうだね」

 地球との融合が進む中、シイとレイは決意も新たに頷き合う。

「ところで、君達はいつまでここに居るつもりなのかな?」

「「え?」」

「もう直ぐここも崩壊するよ。僕は問題無いけど、君達は早く肉体を再構築しないと」

「あ゛~忘れてた~。どどど、どうしよう!?」

 カヲルは魂の一部だが、シイとレイは身体ごとリリスと融合している。このままだと、リリスと運命を共にする結末が待っていた。

「……落ち着いて。シイさんが望めば、私達は元の世界へ戻れるから」

「う、うん。どうすれば良いの?」

「………………」

 シイの視線を受けたレイは、チラッとカヲルを見る。

「ふぅ、やれやれ。肝心な所で抜けているのは姉妹揃ってかな」

「……良いから早く教えて」

「まあ本気で時間が無いからね。このエントリープラグごと再構築した方が良さそうだ」

 初号機からのサルベージとは違い、リリスにはシイ達以外の魂等が混ざり合っている。細かなイメージをする余裕が無いと判断したカヲルは、冷静にアドバイスを送った。

「今の状態を維持したまま、リリスから生まれ落ちるイメージを持つんだ」

「イメージ……イメージ……うぅぅ」

「っっ! 僕は一足先に時間切れみたいだね。でもまた直ぐに会える……そう祈っているよ」

 魂を一部分しか融合しなかったカヲルは、リリスへと溶け消えてしまった。

 

「カヲル君!!」

「……彼の魂は、元の身体へと戻れる筈よ。今はそれよりも」

「う、うん」

 必死に自分達の姿をイメージするが、焦りからか上手くまとまらない。レイも表情こそ変えないが、内心相当焦りを感じていた。

「……私は後回しで良いから、シイさんだけでも」

「碇シイ、碇レイ、えっとえっと、……ちょっとだけ背を伸ばして、胸も大きく……」

「……捏造は良くないわ」

「あ~も~駄目~! お願い!! 私とレイさんを産んで!!!」

『……ふふ』

 出来野悪い子供の最後の願いに、何処か嬉しそうな笑い声が応えた。

 

 やがてリリスの肉体は全て生命の液体となり、地球との融合を果たす。新たな未来の始まりを告げる福音は、何とも賑やかで慌ただしく幕を閉じるのだった。

 




決着……したのかな。
え~この後の話については、次に回したいと思います。
あんまり長くするのもアレなので。

経緯はどうであれ、結末自体は予想通りと言う方も多いかと。
今のレイが生き続けられる、第四の選択肢でした。

アダムとリリス編は、次回で完結します。
と言っても、大分アホタイムチックな感じですが……。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。

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