エヴァンゲリオンはじめました   作:タクチャン(仮)

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後日談《アダムとリリス(10)》

 

~神に選ばれた子~

 

「ターミナルドグマに高エネルギー反応が出現!!」

「分析パターン……あ、青」

 発令所に響く青葉の絶叫と、マヤの呟き。それはこの場に居る全員に、事態の把握をさせた。つまりは、リリスの目覚めを阻止出来なかったのだと。

「人類の母が目覚めたか……」

「ああ」

「さて、どう動くと読む? 反ATフィールドの展開は無いと思うが」

「……シイとの融合を果たすつもりだろう」

 冬月の問いかけに、ゲンドウは思考の末に導き出した答えを告げた。

「成る程な。レイの事を考えれば、十分にあり得る事態か」

「だがその後は分からん。人類の未来は全て、リリスに委ねられた」

「神頼み、か。……初号機の反応は?」

 ゲンドウの言葉に頷くと、冬月はオペレーターに状況確認を求める。初号機がシイと謎のシンクロを始めた事は、発令所でも掴んでいた。

「シンクロ状態は維持。脳波からシイちゃんの意識は戻っていないと思われます」

「こちらからアプローチ出来るか?」

「いえ、全てエヴァ側からロックされています」

「精神汚染は?」

「今のところ兆候は見られません」

 マヤの報告を聞いた冬月は、チラリとユイに視線を向けてから首を傾げる。一体シイは誰の魂とシンクロしているのか。それは全員の疑問でもあった。

 

 

「大丈夫かい、トウジ君」

「お、おう。何とか動けるわ」

 地底湖に大の字で倒れていた参号機を立たせ、トウジはカヲルに頷いて見せる。全身に痛みが残っているが、動けない程のダメージでは無い。

「すまん、渚。わしがもうちょい時間を稼げとったら」

「責められるとしたら僕の方さ。……ただ反省は後にするとして」

 カヲルは視線を隔壁の向こうで四つん這いになっている、リリスへと移す。まだ動きを見せていないが、肉体と魂の融合が完全になれば、直ぐにでも行動を開始するだろう。

「もう僕達にリリスを止める事は出来ない。唯一、ロンギヌスの槍だけが始祖を滅ぼせるけど、それはサードインパクトを起こすと同義だからね」

「……リリスは、わしらを滅ぼすんか?」

「始祖はそれ程物騒では無いよ。ただ子供達を見守り、その願いを叶えるだけの存在だからね。変な言い方だけど、こちらが何かしなければ無害なんだ」

 トウジの直接的な言葉に、カヲルは苦笑しながら答えた。

「ちょっかい出した方が危ないっちゅう事かいな……」

「残念だけど、そう言う事だね」

 レイを止められなかった時点で、二人の戦いは終わっていたのだ。友人を止められなかったふがいなさに、トウジは思い切りレバーを叩いた。

 

「……そや。シイは、シイはどないなっとんのや!」

「まだ意識が戻っていないみたいだね」

「なら早うエヴァから出してやらな」

「神経接続中にプラグを抜くことは出来ないよ……」

 カヲルは残念そうに首を横に振る。プラグはエヴァの頚椎に挿入されているので、それを強引に引き抜いたときに、シイが受けるフィードバックダメージは計り知れない。

 今のシイには、誰も手を出す事が出来なかった。

「くそっ! 何でシイが初号機に乗れてるんや」

「僕にも分からない。リリスの魂とシイさんがシンクロ出来る筈が無いのに」

「リリスの魂はレイに影響受けとるんやろ。そんなら……」

「いや、逆だよ。シイさんがリリスの魂を受け入れたのが不思議なんだ」

 どれだけ愛情を注がれても、人は他人に対して壁を作ってしまう。それは兄妹であっても変わらない。唯一自らを生み出した母親だけが、愛情を無条件で受け入れられる存在なのだ。

「レイはユイさんの遺伝子持っとるし、それであかんか?」

「魂と肉体は別物だからね。魂の情報を引き継げば別だけど……」

 その時カヲルの脳裏に一週間前の会話が浮かんだ。

 

 屋上から教室へ向かう途中、カヲルはシイの左手に巻かれた包帯について尋ねた。 

「ところでシイさん。その手はどうしたんだい?」

「あはは……ちょっと包丁で切っちゃって」 

「それは大変だね……もし良ければ僕が――」

「舐めてあげるってのはボツよ。生憎とレイが実行済みだから」

 呆れ顔のアスカが指を指す向こうでは、勝ち誇った顔でレイが頷く。先を越されたかと、カヲルは両手を挙げて降参だと苦笑いするのだった。

 

 

「そうか……レイがシイさんの血から魂の情報を取り込んでいたら」

「肉体と魂は別物なんやろ?」

「血液だけは違うよ。血は魂と肉体を結ぶ役割を持っているからね」

 実際にそれが正しいのかは分からない。だがリリスがシイと言う個人に固執した事も、それが関わっていると思えば納得も出来る。

「レイだけじゃない。リリスにとっても、シイさんはただのリリンでは無かったと言う事か」

「……難しい話はよう分からんけど、結局レイは何をしたかったんや?」

「僕の気を逸らすため……だけじゃ無いね。きっとリリスはレイの望み通り、シイさんを取り込むつもりだろう。その為に彼女を初号機に乗せたんだ」

「ん?」

「さっき言ったろ? ただ取り込んでもシイさんは存在を保て無いって。でも初号機とシンクロしているシイさんなら、リリスと融合しても己を保つ事が出来る筈さ」

 群体生命であるリリンだが、単体生命であるエヴァとシンクロする事で、強い心の壁を、ATフィールドを生み出せる。シンクロとは同調、一つになる事なのだから。

 

 

「リリスに取り込まれたら、シイはどないなってしまうんや?」

「そうだね……当然リリスには拒絶されない筈だから、自我を保ったシイさんは……」

 カヲルは不意に言葉を止めると、何かに気づいたように眉をひそめる。

「待てよ。だとすると…………そうか、そう言うことか、レイ」

「ど、どないしたんや?」

「僕達は勘違いをしていたのかも知れない」

 突然態度が変わったカヲルに、トウジは不思議そうに首を傾げる。だがカヲルがそれを説明する時間は、残念ながら与えられなかった様だ。

「……動き出したみたいだね」

「どないする?」

「リリスと初号機の融合で互いのS2機関が共鳴し合った場合、相当のエネルギーが放出されるだろう。僕達の選択肢は二つ。全力で逃げるか……少しでも被害を抑える為にここへ留まるか、だね」

「さよか。なら選択肢は一つしかあらへんな」

 ロンギヌスの槍を地底湖へ突き刺し、参号機はスタンスを広げて足を踏ん張った。トウジの決断にカヲルは嬉しそうに微笑むと、初号機を介抱させていた四号機を呼び寄せる。

 そしてエントリープラグを排出して再搭乗を行った。少しでも生存確率を上げるために、エヴァと言う鎧を纏ったのだ。

「……来る!」

 その呟きと同時に、巨大な白い何かが隔壁をすり抜けて姿を現した。

 

 悠然と姿を見せたリリスは、トウジとカヲルを気にする事も無く、這うような動きで初号機へ一直線に向かっう。そして初号機の元へ辿り着くと、慈しむ様にその身体を抱きしめた。

 ゆっくりと、しかし確実に初号機はリリスとの融合を果たしていく。その余りに常識外れの、しかし何処か神秘的な光景にトウジは目を奪われてしまう。

 リリスが発する無限の母性を、彼は感じ取っていた。

「……あれがリリス……わしらのおかん……」

「融合が終わる。そろそろ始まるよ」

 カヲルの言葉通り、初号機を完全に取り込んだリリスの身体が白く輝き始めた。それは次第に強さを増していき、やがて世界が白一色に染まる程の光を放つ。

「トウジ君、フィールドを!」

「ATフィールド全開!!」

 二機のエヴァがATフィールドを全力で展開するのと同時に、S2機関の解放が起き、地底湖を中心にゼーゲン本部を大爆発が襲った。

 

「ターミナルドグマ最下層で、エネルギー反応が急速に増加しています!!」

「予想臨界点まで、後20」

「S2機関の解放か!? セントラルドグマ、ターミナルドグマの全隔壁を緊急閉鎖。アブソーバーを最大にしつつ、全員衝撃に備えろ。……来るぞ!」

 事態を把握した冬月の指示で、時田が改修した特殊装甲板仕様の隔壁が、一斉に閉鎖される。全ての作業をやり終えた職員達は、身を屈めて衝撃に備える姿勢をとった。

 そして……ターミナルドグマで起きた爆発は、容赦なく本部施設を飲み込んでいった。

 

 

 

~道標~

 

 やがて爆発が収まったとき、ターミナルドグマはジオフロントと一直線に繋がっていた。間にあった施設は全て消滅しており、元の面影は無い。

「……と、トウジ君……生きてるかい?」

「なんとか……な……ホンマに……死ぬかと思ったわ」

 廃墟とかした地底湖で、しかしトウジとカヲルは生き延びていた。全身に激しいフィードバックダメージがある為、自力で動くことは難しそうだが。

「君のATフィールドが、いつもより強かったから……命拾いしたよ」

「わしは……何もやってへんで」

「……なら、君のお母さんが力を貸してくれたんだろう」

「おかんが?」

 子供の危機に母親の魂が力を発揮する事は、シイとアスカで実証されていた。それが同じ条件であるトウジに起こっても不思議では無い。 

「……そうやな……おかん、サンキューな」

 全身が焼けただれ、辛うじて原形を留めている状態の参号機だったが、それでもトウジを守り抜いて見せた。幼い記憶にしかない母の姿を想い、トウジは心の底から感謝を告げるのだった。

 

 二機のエヴァは仰向けに倒れており、爆発によって空いた穴からジオフロントの天井が見える。

「みんなは無事やろか」

「見る限り、爆発のエネルギーは真上に放出されたみたいだね。位置関係から考えると、発令所はギリギリ耐えられた筈さ」

「何よりや」

 自分達の行動が無駄では無かったと、トウジは安堵したように大きく息を吐いた。

「リリスはジオフロントへと浮上したみたいだね」

「……なあ、渚」

「何だい?」

「これから……どうなるんやろな」

「今、全ての決定権はリリスにある。僕達が生きるも死ぬも、リリスの思うがままさ」

 半ば諦めたようなトウジの問いかけに、カヲルは普段と変わらぬ様子で答える。そこに今の状況に対しての絶望は、微塵も感じられ無かった。

「その割には余裕があるやないか……さっき言っとった勘違いと関係あるんか?」

「まあね。この状況は一見絶望的だけど……希望はまだ残ってる」

「希望?」

「そう……。希望は残っているんだ。どんな時でもね」

 赤い瞳でジオフロントに浮上したリリスを見つめながら、カヲルはそっと呟いた。

 

 

 電源が落ちて真っ暗な発令所に、冬月の声が響き渡る。

「……状況報告をしろ!」

「第21ブロックから53ブロックまで、完全に消滅!」

「主電源供給ライン断線。副回線にて電力供給を開始」

「有人エリアは消滅を回避しました」

「エヴァ参号機、四号機は大破するも、健在です。両搭乗者の生存を確認」

「MAGIのリカバリー完了。システム復旧します」

 矢継ぎ早にオペレーター達が被害状況を知らせる中、再び電気が供給されて照明が灯り、一時的に停止していた全システムが再起動する。

 あれだけの規模の爆発に対しては、奇跡的とも言える被害の少なさだった。

「……あの二人のお陰か」

「ああ。良く爆発を抑え込んでくれた」

 ターミナルドグマで二機のエヴァが展開したATフィールドが、爆発による被害を最小限に食い止めてくれていた。もし二人がいなければ、恐らく自分達も生きてはいなかっただろう。

 まさに命の恩人であった。

 

「高エネルギー体はジオフロントへ浮上。現在行動を停止しています」

「……目標を以後、リリスと認識する。モニターに出せ」

「了解」

 ゲンドウの指示で、発令所のメインモニターにジオフロントが映し出される。そこには全身真っ白な、レイの姿を模したリリスが悠然と立ち尽くしていた。

 その巨体はエヴァを遙かに上回っており、地表からジオフロントの天井まで届きそうな程だ。

「……シイ君を取り込んだか」

「ああ」

「初号機とシンクロしていた彼女なら、自我を保つ事が出来るだろう。不幸中の幸いと言うべきか」

「……いや。恐らくそれも含めて、シナリオ通りの筈だ」

 思わぬゲンドウの発言に、冬月は眉間のしわを深くする。

「どう言う事だ?」

「……レイはリリスとの融合を目指しながらも、幾つか不可解な行動を取っていた。それが今の状況を作り出す為にレイの意識が干渉した結果なら……全て説明が付く」

「リリスとの融合は『目的』では無く『手段』と言う事か……」

「いずれにせよ、我々は神の選択を受け入れるしかない」

 ゲンドウと冬月は、神々しく佇むリリスを見つめ続けるのだった。

 

 

 

~シイとレイ~

 

「……あれ、ここは……何処?」

 意識を取り戻したシイは、不思議な浮遊感にそっと目を開ける。そこは自分が居たはずのエントリープラグでは無く、一面オレンジ色が広がる空間だった。

 周囲に自分以外の姿は無く、穏やかに水が流れるような心地よい音だけが聞こえている。

「す~は~す~は~」

 大きく深呼吸をして、シイは心を落ち着かせる。今までの彼女ならパニックになっているケースだが、伊達に数々のピンチを経験しては居ない。

 こうした事態でも冷静さを失わない程に、彼女は精神的に確実に成長していた。

「よし! えっと、まず私はレイさんと初号機に乗ってたよね。それでカヲル君とレイさんが戦ってて、止めようとして、そこからは覚えてないや」

 自分に言い聞かせるように、シイはこれまでの事を口に出して確認する。あの時レイはシイの脳を揺すって気絶させたのだが、流石にそれは記憶していなかった。

「うん。大体分かった。……ここは私が知らない何処かだね」

「……それは分からないと言う事よ」

 突然背後から聞こえた声にシイが振り返ると、そこには彼女が一番会いたいと願っていた少女が、碇レイが何時の間にか姿を現していた。ただ、何故か一糸まとわぬ姿でだが。

 生まれたままの姿でじっと自分を見つめるレイから、シイは照れたように視線を逸らす。

「れ、レイさん。どうして裸なの?」

「……気にしなくて良いわ」

「気になるよ! とにかく服を着て」

 そうシイが声を発した瞬間、レイは学生服の姿へと変わっていた。

「えっ、服……着てる?」

「貴方がそう望んだから」

「それはそうだけど……でも神様じゃ無いんだし、そんな魔法みたいな事出来ないよ」

 困惑しながらも否定するシイに、しかしレイは首を横に振る。

「シイさんは今、神様になっているわ」

「…………え?」

「正確には神様の自我。……でも意味は同じ。貴方の意思が神の意思だもの」

 レイに言われて、シイは自分の身体を何度も見返す。意味も無く手を握って開き、軽くストレッチをしてみるが、自分に特別な変化が起きたようには思えなかった。

 説明を求める視線を向けるシイに、レイは小さく頷いてから口を開いた。

 

「……ここはリリスの中。全ての存在が溶け合う原始の海」

「なら私達は、レイさんを止められなかったんだね?」

「ええ。リリスの魂は目的を果たし、肉体と一つになったわ。そして覚醒したリリスは、貴方を初号機ごと体内に取り込んだの」

 淡々と説明をするレイだが、シイにはある疑問が浮かんでいた。

「ちょっとごめんね。今のレイさんは、リリスさんじゃ無いレイさんだよね?」

「……ええ」

「えっと、レイさんの魂はリリスさんで、でも魂は身体と一つになって、でもレイさんはここに居て……」

 すっかり混乱しているシイを落ち着かせようと、レイは言葉を紡ぐ。

「ここは全てが溶け合う場所。他者との境界線が、心の壁が無い空間。私もシイさんの身体も、全て溶けて一つになっているわ。こうして話している貴方と私は、精神だけの存在」

「前に私が初号機でお母さんと会った時と同じ?」

「そう思って構わないわ」

 かつて初号機に取り込まれた経験のあるシイだからこそ、肉体の消失に対しての理解は早かった。

 

「リリスさんが目覚めたって事は、人類は滅んじゃうのかな?」

「……それを決めるのは貴方」

「そこが良く分からないんだけど……どうして私なの?」

 不思議そうにシイは尋ねた。自分は眠っていただけで、実際に何かをした訳でも無い。神の自我と言うなら、それはリリスの魂であるレイの事では無いのかと。

「始祖は自らが生み出した生命を見守り、その望みを叶える存在よ。だから自分と融合した子供の意思を尊重して、それに従うだけ。自分から子供達に干渉する事は無いわ」

「過保護なんだね」

「…………」

 予想外の突っ込みに、レイは思わず言葉を失い口をぽかんと開ける。

「あ、ごめんなさい」

「……いえ、気にしないで」

「えっと、レイさんじゃ駄目なの?」

「……エヴァに例えるわ。リリスの身体に私という魂が宿っているの。そこに搭乗しているシイさんが、リリスを操縦すると思って」

 分かりやすいレイの説明に、シイは成る程と頷いた。

 

 その後、レイはシイに彼女が意識を失っていた間に起きた事と、現在の状況を説明した。本部の破壊はショックだったが、発令所の面々とカヲル達の生存は、彼女にとって何よりの朗報だった。

 状況を理解して落ち着いたシイに対して、レイは本題へと入ることにする。

 

 

~少女の決意~

 

「……世界は今、進むべき未来を選ぶ岐路に立っているわ。シイさんの意思は道標。どんな未来へ向かうかを決める、神の意志よ」

「実感は無いけど……私が見たいと思っている未来は、ずっと変わらないよ」

 シイは自らの確固たる意思を告げた。

 人類が互いの存在を尊重し合い、世界中の人々が笑顔で生きられる世界。そして、そこで自分もみんなと生きていきたい。それがシイの望みだった。

「……他者の存在は、貴方を傷つける事もあるわ」

「うん。でもみんなが居れば、それ以上に楽しい事や嬉しい事がきっとあるから」

「……一つになれば、不安や恐怖から解放されるわ」

「うん。でも人の温もりも優しさも感じられ無くなっちゃうから」

「……シイさんは、私と一つになりたくない?」

「うん。だって……一つになっちゃったら、好きって気持ちも無くなっちゃうから」

 シイはそっとレイの元へ近寄ると、自分よりも背の高い少女を優しく抱きしめた。友人として、姉妹として、レイはシイから伝わる純粋な好意を確かに感じていた。

「私は大好きなみんなと一つになるんじゃ無くて、一緒に居たいの」

「……それが、貴方の望む世界なのね」

 レイは少し嬉しそうに、しかし何処か寂しげに頷いた。

 

「……お別れね」

「え?」

 そっと身体を離して別れを告げるレイに、シイは驚きの表情を浮かべる。彼女はこのままレイと共に、ここから出られると思っていたからだ。

「……さよなら。貴方に会えて嬉しかった」

「ちょ、ちょっと待って。レイさんも一緒に――」

「私はこのままリリスと眠りに就くわ。何時までも、シイさんの望む未来を見守って居るから」

「駄目だよ。そんなの駄目」

 諦めた様子のレイを、シイは首を横に振って強く否定する。

「レイさんも一緒に行くの。一緒に居てくれるって言ったよね」

「……私の魂はリリスの魂。身体から離れれば、また回帰衝動が起きるわ。……ごめんなさい」

「むぅ~」

 子供を宥めるように頭を撫でるレイに、シイは何か無いかと必死で思考を巡らせる。

「神様命令で、とかは駄目?」

「……ええ」

「ん~ならリリスさんの身体を壊しちゃうとか」

「シイさん。もう良いの」

 諦めきれないシイに、レイは満足げな微笑みを浮かべて告げた。

 

「……私はもう、満足してるから」

「嘘だよ!」

「……いえ、本当よ。こうして最後に貴方と会えて、約束していたお別れも直接言えたわ」

 黙って居なくならない、それがレイとシイの間に結ばれた約束。手紙をゲンドウに預けていたが、直接伝えられなかった事が、ずっと心残りだった。

 そしてリリスが目覚めた時、シイを含むみんなを滅ぼしてしまう事を恐れた。一つになりたいと言う自分の願望がシイとの強引な融合へ繋がり、彼女の存在を消失してしまう事を恐れた。

 だからこそ回帰衝動にギリギリの干渉を続け、シイの自我を保ったまま融合を果たし、神の自我となったシイに未来を選んで貰おうとしたのだ。

 それこそが、リリスの魂に目覚めたレイが唯一出来る抵抗であり、彼女のシナリオであった。

 果たしてそれは叶えられた。一つになりたいと言う願望に対し、明確な回答を得られた。そして直接別れを告げる事が出来た。 

 もうこれ以上は望まない、と満足げなレイに、しかしシイは真っ向から反論する。

「そんなの嘘! レイさん嘘ついてる!」

「……そんな事は無いわ」

「だってレイさん、嘘をつくとき鼻がピクピク動くもん」

「…………あっ」

 思わず鼻を触ってしまってから、レイは自分が文化祭の時と同じミスをしたと気づいた。まさかシイに引っかけられるとは思わず、レイは何ともばつの悪そうな顔をする。

 

「ふふ~ん。私だって何時までも、騙されてばかりじゃ無いんだから」

「……そうね」

 誇らしげに胸を張るシイに、レイは参ったと頷いた。

「大体レイさんには、戻ってからやる事が一杯あるの。ここに残るなんて駄目だよ」

「やる事?」

「色んな人に、一杯迷惑かけちゃったでしょ? 本部の人とか、カヲル君に鈴原君、それにアスカにも……。だからちゃんとごめんなさいって謝らなきゃ」

 自分も一緒に謝るからと微笑むシイに、レイはもう何も言えなかった。

「だからレイさんも一緒に帰るの」

「……でも回帰衝動がある限り、私はまた同じ事を繰り返すわ」

「ならそれを解決してから帰ろうよ。それなら大丈夫だよね?」

「え、ええ……」

 レイも本心では勿論シイと共に帰る事を望んでいるのだから、提案を否定する理由は無い。

「……でもどうやって?」

「リリスさんの身体を壊しちゃうのは、多分駄目なんだよね?」

 シイの確認にレイは小さく頷く。受け皿である肉体を失えば、魂の消滅は免れない。カヲルがアダムの肉体を失っても存在出来ているのは、彼の魂がアダムの子『タブリス』でもあるからだ。

 しかしレイの魂はリリスのものであり、リリスの滅びはレイの死を意味する。だからこそレイは自らの生存を諦め、リリスと運命を共にすると決めていた。

 自分の生存を諦めれば、シイ達を含めた全てを守る事が出来るのだから。

 

「ん~それなら…………あ」

 腕組みをして真剣に考え込んでいたシイだが、何かに気づいたのか小さく声を漏らす。

「リリスさんの身体があれば、レイさんは大丈夫なんだよね?」

「……ええ」

「それで、身体と一緒に居れば、回帰衝動は起こらないんだよね?」

「……そうね」

「じゃあ最後に。私がお願いすれば、リリスさんは何でも手伝ってくれるのかな?」

「……貴方の意思がリリスの意思よ」

 レイの答えを聞いて、シイは自信に満ちた表情で何度も頷く。何かの確信を得たようなシイの態度に、レイは戸惑いと同時に期待を抱いていた。

 この少女ならば、自分の諦めを吹き飛ばす可能性を見せてくれるのでは無いか、と。

「うん、決めた!」

「……聞かせてくれる?」

 レイの問いかけに、シイは自分の考えを伝える。それはレイの予想の遙か上、いや、正確には斜め上を行く突拍子も無いものだった。

 

 開いた口がふさがらないと、ぽかんとした表情を浮かべるレイ。彼女にしては珍しく、と言うよりも初めて見せるであろう姿に、シイは急に不安になった。

「えっと……駄目、かな?」

「……本気なの?」

「うん。これが多分、唯一の方法だから」

 困惑するレイに、シイはさらに言葉を続ける。

「私はレイさんを救うために、みんなを犠牲にしても良いなんて思わないよ。私のわがままでみんなの幸せを壊しちゃうなんて許さないし、レイさんもきっと喜ばないから」

「……ええ」

「でも、みんなの為にレイさんを犠牲にするのも絶対に駄目。誰かの犠牲が必要な未来なんて、私は望んでない。みんなが笑顔でいられる世界に、レイさんは必要なんだから」

「……時田博士が言っていたわ。どちらかしか選べない時は天秤にかけて、より大切な物を選ぶって。人類の命と私の命では、とても釣り合わない」

「だからどっちも選ぶの。……きっと出来る。だって私は今、神様なんでしょ?」

 かつてシイはエヴァの戦闘で犠牲を出した事について、ミサトと衝突した事があった。全てを守りたいと言うシイを、『人が出来る事は限られている』『神様にでもなったつもりか』とミサトは突き放した。

 その後、シイは一人でも守れるのならば戦うと決意したが、全てを守りたいと言う気持ちは変わっていない。そして今、彼女は人に出来ない事を可能とする、神の力を使う事が許されている。

 

「……失敗する可能性もあるわ」

「うん。その時はちゃんと責任を取るよ。レイさんを巻き込んじゃうけど……付き合ってくれる?」

「……貴方は死なないわ。最後まで……私が居るもの」

「ありがとう。よ~し、じゃあ行くよ!」

 複雑に絡み合った歯車が紡ぐ物語は、一つの結末を迎えようとしていた。

 




すいません、決着してません。
長くなりましたので、次回まで延長させて下さい。


このエピソードでほとんど活躍しなかった主人公が、満を持して登場です。美味しいとこ取り感がありますが、この役割だけはシイ以外には許されないと思います。

これまでの経験を全て踏まえた上で、シイはどんな未来を選ぶのか。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。

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