~不器用な男~
ゲンドウ達が去り、レイも退室した司令室で、大人達は困り顔でため息をついていた。
「全く碇め。もう少し上手く出来ないのか」
「不器用にも程があります」
「ごめんなさい。あの人なりに頑張ったつもりだと思うのですけど……」
彼らの話題は、ゲンドウがシイ達を連れて行く際の事だ。事情を知っている為、レイを連れて行けないのは分かる。だがそれならそれで、何か適当な理由をでっち上げる位はするべきだった。
「レイちゃん、すっごい不満そうだったわね~」
「ま、自分だけ仲間はずれにされたら無理も無い」
「……家に帰るまでに、何かレイが納得出来そうな理由を考えておきますわ」
レイの精神状態が大きく乱れるのは避けたい。冬月達はユイの言葉に頼むと頷いた。
「さて、そろそろ仕事に戻るとしよう。やることが山積みだからな」
「そうですわね。エヴァの破棄はリツコさんに任せてしまっても?」
「ええ。ユイさん達はレイの方をお願いします」
「正直苦戦中だけど、やるしかないわね」
「大丈夫よ。ナオコさんとユイが一緒なら、出来ない事なんて無いもの」
女神の微笑みを見せるキョウコに、一同は苦笑しながら頷く。ユイ、ナオコ、そしてキョウコと言う、人類最高峰の頭脳を持つ三人が揃っているのだから、きっと活路を見いだせると。
「それじゃあ俺はこれで。レイの監視について、信頼できる奴と打ち合わせますんで」
「ああ、頼むよ」
加持の退室を機に、大人達はそれぞれの職場へと戻っていく。サードインパクトの阻止と、レイと言う存在を守る。その為に自分が出来る事を、全力でやろうと心に誓って。
~レイの疑惑~
司令室を後にしたレイは、一人本部の中を歩いていた。大人達への追求は諦めたが、それでも自分が知らないところで、何かが行われているのは分かる。
(……モヤモヤする)
以前なら気にもしなかった疎外感が、今のレイには耐えがたい苦痛だった。
「あれ、レイじゃないか」
「久しぶりだな」
沈んだ表情で歩くレイに、聞き慣れた声が掛けられる。そっと視線を声の方へ移すと、そこには休憩スペースでくつろぐ、日向と青葉の姿があった。
「……こんにちは」
「ん、何か元気ないな」
「……いえ、問題ありません」
「そう言われても、俺達に分かるって事は相当だぞ」
以前に比べて人らしくなったレイだが、それでも表情で気持ちを読み取る事はほぼ不可能だった。しかし今、日向達ですら一目で分かる程、レイのテンションは低い。
「あっ! ひょっとして……さっきのあれかな」
「……あれとは?」
「いや、さっきここを司令が通ったんだけど、シイちゃん達も一緒だったんだよ。だけどレイが居ないな~と思ってたら、丁度今来たからさ」
「おい、青葉」
デリカシーに欠ける発言をする青葉に、日向が脇腹を小突いて叱責する。
「……構いません。それで司令達は何処に行きましたか?」
「何処かは分からないけど、そこのエレベーターで下に降りてったよ」
「……ありがとう」
レイはペコリと頭を下げると、日向の指さしたエレベーターに乗り込んだ。
「……レイ、変わったっすね」
「ああ。初めて会った時には、あの子がお礼を言う姿なんて、想像出来なかったからな」
「人は変われる、か」
ベンチに腰掛けながら、青葉はまるで自分に言い聞かせる様に呟いた。
「変わろうとすればだよ。自分から動かなくちゃ、何も始まらないさ」
「そうっすね」
「だからお前も、後悔しないようにすれば良い。俺は応援するよ」
「ありがとうございます、日向さん」
優しい先輩オペレーターの言葉に、青葉は笑みを浮かべながら感謝した。
碇ゲンドウと言う人間はとにかく目立つ。外見もさることながら、身に纏っている独特の威圧感が、周囲にその存在を印象づけるからだ。そんな彼がシイ達を引き連れて歩けば、人目に付かない訳が無い。
そのお陰で、彼らが通ったルートを探る事は容易だった。
「……ありがとう」
目撃情報を貰った女性職員にお礼を告げ、レイは本部の中を進んでいく。そしてある場所へ辿り着いた時、レイはゲンドウ達の行き先を悟った。
職員が普段出入りしない区画に設置された黒いゲート。それはターミナルドグマへの入り口であり、チルドレンで唯一彼女だけが立ち入る事を許された場所である。
(……そう。司令はあそこに連れて行ったのね)
先程聞いた予算縮小の件と、自分が除外された意味を加味して導き出された結論は、シイ達にあのプラントを見せて真実を伝える事だった。
恐らくゲンドウは、予算削減の為にあそこを放棄するつもりだが、その前にシイ達に全てを話すのだろう。自分を同行させなかったのは、彼なりの配慮だとレイは推察する。
(……でも、行かなくては)
例えあれを見られたとしても、シイ達なら変わらずに自分を受け入れてくれる。レイはそう信じていたが、同時にクローン達を破棄する事を躊躇ってしまうとも分かっていた。
自分の事でシイ達を困らせたくない。そんな思いから、レイは自らのIDでゲートを開け、ターミナルドグマへと足を踏み入れるのだった。
~誤算~
ターミナルドグマの通路は薄暗く、初めて立ち入った者はほぼ確実に迷うだろう。だがレイにとっては、数え切れない程通った道であり、躊躇いなくプラントへの最短距離を進む。
(……居た)
通路を歩くレイの耳に、シイ達とゲンドウの声が聞こえてきた。他に物音の無いこの地下では、離れた場所に居るレイにも鮮明に会話の内容が届く。
急ぎ合流しようとしたレイだったが、ある単語を聞いた瞬間その足が止まる。
(……私が……リリス?)
得も言われぬ不安が心に広がり、一度止まってしまった足は動こうとはしない。立ち聞きのような状態のレイに、ゲンドウとシイ達のやり取りが次々に聞こえてくる。
リリスの魂とその覚醒。サードインパクト。魂の抽出と移植。そして新たなレイ。
知らなかった。知りたくなかった。知ってはいけなかった。だが今、自分はそれを知ってしまった。レイはふらふらとおぼつかない足取りで、シイ達に気づかれる前にその場を離れる。
そうして気づいた時には、レイは本部の休憩スペースでベンチに腰掛けていた。どうやってここに来たのかさえ覚えていないが、それを考えるのも億劫だった。
(……リリス。あの白い巨人)
かつてレイは、ゲンドウの指示でリリスにロンギヌスの槍を突き刺した。その時に対面している筈だが、ほとんど印象に残ってはいない。
あの時のレイは、シイに出生の秘密を知られたと動揺しており、他の事に意識を回す余裕が無かったからだ。
(……第二使徒。人類の母。始祖。……私)
一度意識してしまえばもう止まらない。月が闇に食われてその姿を消していく様に、自分という存在を何かが包もうとしていると、レイの心を乱していく。
こうして思考している自分が、本当に自分なのか。それとも既にリリスの意識が目覚めているのか。答えの出ない迷宮に迷い込んだレイに、予想外の人物が声を掛けた。
「おやレイさん。こんなところで会うとは、奇遇ですね」
「…………」
「はは、忘れてしまいましたか? 私です。時田シロウですよ」
気怠そうに顔を上げたレイの前には、時田が爽やかな笑みを浮かべて立っていた。
「……何か用ですか?」
「いえいえ。丁度出張から戻ってきたばかりでしてね。そしたらレイさんを見かけたので、ちょっと声を掛けてみたんですが……ふむ」
時田はレイの表情を見て一瞬眉をひそめたが、何も言わずに自販機でジュースとコーヒーを買う。そしてレイの隣に腰掛けると、缶ジュースをそっと差し出した。
「……いらない」
「コーヒーを買おうとしたら、間違ってしまいましてね。飲んで頂けると助かります」
半ば強引に時田はレイにジュースを押しつける。手にした缶ジュースを見つめていたレイだが、やがて諦めたようにそっと口をつけた。
冷たい水分が身体に染み渡り、さっきまでの不快感が和らいだ気がした。
「……ありがとう」
「私も二本飲まずに済んでほっとしてますよ」
レイが少しだけ落ち着いたのを見て、時田は満足げに頷く。先程までのレイは顔面蒼白で、とてもまともな状態では無かったからだ。
だが、何があったとは聞かない。ただ事で無いのは察したが、それは自分が踏み込んではいけない領域だと理解している時田は、黙ってレイの隣に居続ける。
顔見知りである大人。そんな距離感である自分が出来るのは、レイに歩み寄る事では無く、もしレイが必要としているならば力になる事なのだから。
「……時田博士には、大切な人が居ますか?」
「ええ、居ますよ」
「……大切な人に危機が迫っていて、自分が犠牲になれば助けられる時、どうしますか?」
「勿論、喜んで犠牲になりますとも……なんて格好いい事は言えませんね。状況にもよるのでしょうが、生憎と私は臆病者ですから。可能な限り、どっちも助かる方法を模索しますよ」
「……では、その方法が見つからなかったら?」
「ん~そうですね……」
レイの問いかけに、時田はあごに手を当てて真剣に考え込む。
「天秤に掛けると思いますよ」
「……天秤?」
「はい。自分の命と大切な人の命を秤にかけ、失いたく無い方を選びます。まあ自分の命を捨ててでも、と決断するのは難しいでしょうけどね」
きれい事で誤魔化す事も出来たが、時田は本心でレイの問いに答えた。
「……ありがとう」
時田の言葉がレイの助けになったのかは分からない。だが少なくとも、お礼を言ってから立ち去れる程度には、レイの精神状態は落ち着いていた。
去って行ったレイを見送ると、時田は珍しく険しい表情を浮かべる。
「どうやら、何かが起きている様ですね」
久しく感じていなかった胸騒ぎに、時田は事情の把握をしようと友人の元へ向かうのだった。
~迷える心~
ゼーゲン本部を後にしたレイは、マンション近くの公園でブランコに乗っていた。夕暮れの公園には既に子供達の姿は無く、静かな空間にブランコの音が寂しく響く。
(……私の魂を抜き取れば、全部解決する)
時田の言葉通り、自分と全人類を天秤に掛けようとするが、そもそも釣り合うわけが無い。そしてレイも死ぬわけでは無く、記憶を引き継いだ新たなレイとして生き続けるのだから。
失うのは今こうして悩んでいる、自分の人格と気持ちだけ。迷う必要など無い筈だ。
(……でも私は……)
鎖を握りしめるレイの手に、ぎゅっと力が込められる。誰にも打ち明けられぬ思いが心の中を駆け巡り、レイを苦しめていた。
そんな彼女に、少し驚いた様子で女性が声を掛けてきた。
「あら、レイじゃない」
「……元葛城元三佐」
今日はどうにも知り合いに出会う日だと、レイはそっと視線を移す。そこには私服姿で胸に幼子を抱いているミサトが、不思議そうにレイを見つめていた。
「どうしたのよ、何か元気なさそうだけど」
「……いえ、問題ありません」
「あのね。そんな顔して問題無いって言われても、ちっとも説得力無いわよ」
呆れたように告げるミサトは、おいでおいでとレイに手招きをする。
「ま、ここで会ったのも何かの縁だし、うちでお茶でもしましょ?」
「……ごめんなさい。もう少しここで」
「良いから良いから。着いてきなさいって」
渋るレイの手を掴むと、ミサトは半ば強引にブランコから立ち上がらせ、自分の家へと招き入れた。
「コーヒーと紅茶、どっちにする?」
「…………水で」
「オッケー、コーヒーね」
身の安全を図ったレイを華麗にスルーし、ミサトは手慣れた手つきでコーヒーを入れる。それは以前のミサトを知る人間なら、目を疑う光景だっただろう。
「はい、お待たせ」
「……飲める」
「相変わらずストレートね。私だって何時までも昔のままじゃ無いのよ」
ボソッと聞こえた呟きに、どれだけ信用が無かったのかと、ミサトは苦笑しながらレイと向き合う様に座る。
「……元葛城元三佐。どうして私を」
「あ~ちょっちタンマ。私の事はミサトで良いわよ。一々面倒でしょ?」
「……分かりました。ではミサトさん、どうして私を連れて来たのですか?」
「そうね~。ちょっとしたお節介かしら」
ミサトはコーヒーをすすりながら答えた。
「自分では気づいて無いかもしれないけど、今の貴方は何か悩んでるって丸わかりよ。それこそ、私が家に連れて来ちゃう位にね」
「…………」
「リョウジは職業柄、盗聴盗撮を警戒してるから、この家はその類いに関しては万全なの。あの子は寝てるし、リョウジもまだ帰ってこない。ここでの会話が外に漏れる心配は無いわ」
「…………」
「まあ、貴方が話したく無いのなら、無理には聞かないけど」
レイは視線を下に落としながら、思考を巡らせる。自分の悩みを明かせば、ミサトに余計な気苦労をさせてしまうだろう。ゼーゲンを退職し、幸せな生活を送っているミサトを巻き込むのは躊躇われた。
だが同時に、誰かに自分の思いを打ち明けたいと言う気持ちもある。
「……誰にも……言わないで下さい」
「ええ、約束するわ」
力強く頷くミサトに、レイは自らの気持ちを全て打ち明けた。
~向き合う勇気~
レイが全てを話し終えた時には、窓の外はすっかり夜の闇に包まれていた。時計の針が時を刻む音がダイニングに響く中、ミサトは小さく息を吐いてから口を開く。
「成る程ね。また随分とヘビーな悩みだわ」
「……すいません」
「私が無理矢理聞き出したんだし、謝る必要は無いわよ」
俯くレイに、ミサトは気にするなと軽く手を振る。
「……ミサトさんはどう思いますか?」
「シイちゃん達と同じよ。サードインパクトは絶対に防ぐし、貴方も失わない。ぎりぎりまで諦めないで足掻く道を選ぶわ」
「……今、私の魂を封印すれば、確実にサードインパクトは防げます」
(そっか……レイは怖いのね)
生き続けたいと明確な意思を持つレイが呟いた言葉で、ミサトは本心を察した。レイは恐れているのだ。リリスの魂に覚醒した自分を止めて貰えず、サードインパクトを起こしてしまうことを。
「そっか~。結局レイは、シイちゃん達を信じてないって事ね」
「……違います」
「あらそう? でもシイちゃん達は最後まで諦めないって、もしもの時は対処するって言ってたんでしょ? でもそれが信じられないから、貴方は逃げようとしてるのよね?」
「違います」
「ま、仕方ないか~。シイちゃんもアスカも、今はエヴァに乗れないただの子供だし、鈴原君は頼りないし、渚君は使徒だもんね。司令もユイさんも結局口だけだし」
「違う!」
度重なるミサトの挑発に耐えかね、レイは思い切りテーブルを叩きながら声を荒げる。大切な人達を侮辱された怒り、それは初めてとも言える感情の爆発だった。
それを待っていたミサトは、動じる事無く最後の問いかけをする。
「レイ。貴方は何を望むの?」
「……生きたい。みんなと一緒に……シイさんと一緒に生きたい」
「なら、最後までそれを思い続けなさい。どんなに辛くても、怖くても、逃げちゃ駄目よ。貴方はまだ生きてるの。死ぬのを考えるのはまだ早すぎるわ」
肩で息をするレイに、ミサトは優しく微笑みかける。
「……でも、それは私のエゴです」
「な~に言ってんの。人間なんてね、我が儘の塊なんだから。レイはもっと自分に素直になった方が良いわ。……後悔したく無ければね」
「……その結果、人類を滅ぼしてもですか?」
「それを止めてくれる人達が居るでしょ? 貴方の信じてる人達が」
ミサトの言葉にレイは長い沈黙の末、小さく頷くのだった。
「……ただいま」
「レイさん。お帰りなさい」
「何よ。随分遅かったけど、どっか寄り道でもしてたの?」
帰宅したレイに、料理中のシイとくつろいでいたアスカが声を掛ける。
「……ミサトさんとお茶をしてたの」
「あれ、あんた元葛城元三佐って呼んでたわよね?」
「……何? その面倒な呼び方」
「むきぃ~。あんたね~」
まるで呼吸をするかのように、しれっとアスカを挑発するレイ。そしてアスカもあえてそれに乗る。今まで通りのやり取りをする事で、変に意識をしてしまわないように。
「はい、お茶だよ。ご飯もあと少しで出来るから、ちょっと待っててね」
「……ありがとう」
「早くしてよね」
ダイニングで向かい合ってお茶をすする二人に、シイは笑顔で頷くと台所で料理を再開する。小気味よい包丁の音が響き、鍋からは食欲をそそる香りが漂ってきた。
「……司令とユイさんは?」
「今日は遅くなるの。キョウコさんも泊まり込みだから、三人でご飯食べようね」
「……そう」
「あの二人に用事でもあったの?」
少しガッカリしたレイの様子に、アスカが何気なく問いかける。
「……聞いて欲しい事があったから」
「ふ~ん。お小遣いアップしてとか?」
「……私にリリスの魂が宿っている事」
その瞬間、シイは思わず振り返りながら包丁を思い切り振り下ろし、アスカは口に含んでいたお茶をレイに吹きかける。穏やかだった時間は、あっという間に崩れ去った。
「あ、あ、あ、あ、あんた……え、えぇぇぇ!!」
「……汚いわ」
「れ、れ、れ、レイさん。どうしてそれを」
お茶で濡れた顔を、近くのタオルで拭きながら迷惑そうにアスカを睨むレイ。そんな彼女に、シイも思わず料理の手を止めて詰め寄った。
何せ隠し通そうと決めた矢先に、本人からのカミングアウトを受けたのだ。動揺も当然だろう。
「まさかあんた、最初から知ってたんじゃ」
「……違うわ。あの時……」
レイは落ち着いた様子で、シイとアスカに今日の出来事を話した。シイ達の会話を聞いて真実を知ったが、ミサトとのやり取りで受け入れる勇気を得たと。
「これって、状況は良くなったって言える?」
「私はレイさんに隠し事が無くなって、嬉しいけど」
「……平気。今はまだ、私は私だから」
困惑する二人を安心させようと、レイは不器用ながら笑みを浮かべる。自分の運命を知り、それを受け入れ、立ち向かう決意を持ったが故の微笑みだった。
「まったく、こうなりゃとことん足掻くしか無いわね」
「うん。きっと出来る。一緒に頑張ろう」
「……ありがとう」
共に困難に立ち向かおうと覚悟を決め、三人の絆はより一層深まった。
「……ん? 何か変な音が……って、シイ! あんた!?」
「どうしたの、アスカ?」
「手、手、手!」
思い切り動揺しながら、シイの手を指さすアスカ。レイとシイは何事かと視線を向けて、同時に表情を歪める。シイの左手の甲から大量の血液が流れ出て、フローリングの床に流れ落ちていたのだ。
動揺していて気づかなかったが、あの時振り下ろした包丁はシイの手を切っていたらしい。血だまりにポタポタと零れる血液。自覚してしまえば、もう冷静では居られない。
「…………きゅぅ~」
「いきなり気絶してんじゃ無いわよ!」
「……止血するわ」
「あんた馬鹿ぁ? 舌で舐めて止まる様な傷じゃ無いでしょ。救急箱は何処よ?」
衝撃的な光景にノックアウトされたシイ。落ち着いているようで、動揺しているレイは傷口を舐め続け、アスカは怒りつつも急いで止血処置を行う。
碇家の夜は騒がしく過ぎていく。
気絶したシイを布団に寝かせ、ダイニングの後始末を終わらせた二人は、作りかけの夕食を完成させる事を諦め、レトルト食品を寂しく食べる。
「……美味しく無いわ」
「贅沢言わないの。私だってシイの料理が食べたかったわよ」
「……アスカ」
「何よ」
「……もし、私が私で無くなったら、躊躇しないで」
レイの真剣な表情に、アスカも食事の手を止めて視線を交わす。
「……サードインパクトだけは、駄目だから」
「言われなくてもそうするわよ。余計な心配はいらないわ」
「……信じてるから」
優しすぎるシイは、非情な決断が出来ないだろう。トウジも同様に、いざという時にレイを見捨てられない可能性がある。そしてカヲルは行動が読めない。
だがアスカは違う。甘さと優しさの区別が出来ている彼女なら、どんな手段をとっても自分を止めてくれるだろう。
レイからの強い信頼を感じたアスカは、無言で頷いた。最悪の場合、例えシイ達に嫌われる事になろうとも、必ず友人の願いを叶えると。
碇家の夜は、静かに更けていく。
これまで沈黙を守っていた、レイがメインのパートです。
自分がリリスだと自覚した上で、それでも前を向いたレイ。
そんな彼女を救おうと動くのは、今まで絆を育んできた面々。
このまま解決出来れば理想ですが……さて。
次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。