~困った大人達~
「それで、彼女の様子はどうかね?」
「学校で特別授業を受けている他、家でも自習を毎日欠かしていません」
暗闇の空間で特別審議室の面々に直接現状を伝えるゲンドウ。彼らの関心は間近に迫った、碇シイの受験に集まっていた。
なにせ総司令就任の条件が大学卒業なので、万が一シイが高校受験に失敗すれば、彼らの計画は大きな痛手を被る。意識せずにはいられない。
「だが、先日の模擬試験。成績芳しくない、との報告もあるが?」
「誤報です。MAGIのレコーダーを調べて頂いても構いません」
「冗談はよせ。事実の隠蔽は君の十八番だろ」
「シイの学力は向上しており、受験に向けて順調に進んでおります」
「……もう良い」
埒があかないと判断したキールが、ため息混じりに問答を制止する。その姿は同じ目的を持つ同士であるにも関わらず、何故か毎回仲違いするメンバーに少し呆れたようにも見えた。
「最終的に碇シイが大学を卒業すれば良い。その為の第一歩、くれぐれも誤るなよ」
「……はい。全てはゼーゲンのシナリオ通りに」
審議を終えて去ろうとしたゲンドウに、メンバーの一人から待ったが掛かった。
「待て、碇」
「何でしょうか?」
「その……何だ……君の家に差し入れを送った」
「はい?」
「か、勘違いするな。シイちゃんが合格しないと、我らが困るから……それだけだ」
「はぁ……」
「話は終わりだ。時間を取らせたな」
真っ赤な顔を見せないように、メンバーの一人はそっと立体映像を消した。後には何とも言えない気まずい空気だけが残る。
「……キール議長。あの方に良い病院を紹介しましょうか?」
「気にするな。あれはあれで、シイの事を気に掛けているのだろう」
「左様。彼女が人類を導く日を、我らは心待ちにしているのだからね」
「因みに我らも、僅かだが差し入れをさせて貰った」
「碇君、期待に応えてくれよ」
「……応えるのはシイだと思いますが、まあ一応分かりましたと返事をしておきます」
ゲンドウは困ったように眉をひそめながら、今度こそ会議室を後にした。
~もっと困った大人達~
ゼーゲン本部発令所では、いつもの面々が真剣な様子で作業を行っていた。
「この数値に間違いは無いな?」
「はい。MAGIによる計算誤差は認められません」
「厳しい戦いですわね」
彼らが一様に険しい表情で見つめるのは、巨大なメインモニター。そこにはMAGIがはじき出した、シイの高校合格率が表示されていた。
「シイちゃんの第一志望は、第三新東京市第一高校。レベルは中の中、特筆事項はありません」
「合格率は50%強か……」
「あくまで現時点での計算結果。今後の追い込み次第では、さらなる上昇が期待できますわ」
「下がる可能性もありますけどね……す、すんません」
その場に居た全員から凄まじい形相で睨まれ、青葉は全力で頭を下げた。
「でも今の時点で五割なら、何とかなりませんか?」
「判断が難しいですね。あの年頃の子は、当日の体調やメンタルに大きく影響されますから」
「うむ。可能な限り、合格率を高めておきたい所だな」
「副司令は元教師でしたよね? シイさんの家庭教師をされては?」
「……レイに拒否されたよ」
しょぼんとする冬月の肩を時田とリツコが優しく叩く。この二人もまた、レイに家庭教師を断られたくちであった。まあこれまでの行動を考えれば、当然と言えるのだが。
「だが何もしないわけにも行くまい。私達は私達なりのやり方でシイ君のサポートをしよう」
「マヤ、例のデータは?」
「はい、過去十年分の入試問題は既に回収済みです。現在解答解説をつける作業を行っています」
相変わらず仕事の早いマヤにリツコは満足げに頷く。発想力や開発力はまだまだだが、仕事の速度と正確さではもう一人前だと内心目を細めた。
「因みに、他の子達はどうなんでしょうか?」
「アスカはそもそも学卒ですから、何の問題もありません」
「レイも……まあ言い方は悪いけど、ユイさんと同じ遺伝子を持ってるから、頭は良いのよね」
「洞木ヒカリ、相田ケンスケ両名も合格ラインを超えています」
「渚も問題ないだろう。フォース……鈴原トウジはどうだ?」
「シイちゃんとどっこいどっこいですね。今は洞木ヒカリがつきっきりで、勉強を見ている様です」
メインモニターに並べられた、シイと親しい友人達のデータ。この中で厳しい戦いを強いられているのは、シイとトウジの二人だけだった。
「彼我戦力差は五対二か……分が悪いな」
「いや、別にこの七人で戦うわけじゃないんで……」
「倍率は二倍程度。分が悪いと言うほどではありませんわ」
「残された時間はあと僅か。さて、どうなるかな」
モニターを見つめる冬月の顔は最後まで険しいままだった。
~修羅場~
受験日まであと僅か。十五年前に季節を失った日本では、真冬と言えどもかつてのような寒さは無く、強い日差しが容赦なく照りつけている。
エアコンの無い中学校の教室は、極めて過酷な環境と言えた。
「うぅぅ、暑い……」
「あんた馬鹿ぁ? こっちはあんたの成績で背筋が凍ってんのよ!」
「お、上手いこと言いよったな」
「トウジも人のこと気にしてらんないでしょ。ほら、早く問題集の続きをやりなさい」
ヒカリに耳を引っ張られて、トウジは強引に勉強へと戻される。今この教室ではアスカ達が教師役となり、シイとトウジの受験直前最終追い込みが行われていた。
「あんたもやるのよ。もう時間が無いんだから」
「う、うん」
アスカに促され、シイは机に広げられた問題集を解き始める。ゼーゲンが総力を挙げて集めた、過去の受験問題をひたすら解く事で、少しでもテストに慣れるためだ。
「……シイさん、そこ違うわ」
「えっ!?」
「ふふ、その問題にはこっちの公式を使うんだよ」
両サイドに立っているレイとカヲルが、シイが解き間違う度に素早く指摘を行う。隣の席で同じように勉強に励むトウジには、ヒカリとケンスケがアドバイスを送る。
(うぅぅ、じっと見られるのって、凄い緊張するよ)
(この汗、絶対暑さだけやないで……)
何とも贅沢な学習環境だが、当の本人達にしてみれば相当のプレッシャーだった。
~受験前夜~
「シイ、レイ、ご飯よ~」
「……はい」
「う、うん……」
ユイの呼びかけに、シイは疲労困憊と言った様子でダイニングへと姿を現した。既に目の下の隈は、仮眠程度の睡眠では取れないほど色濃く残っている。
「あらあら、大分追い込んでいるみたいね」
「うん、最後の頑張りどころだから……」
「体調が悪ければ、実力を発揮できんぞ」
「でも、まだやり残しがあるから」
「……この後、強制的に睡眠を取らせます」
ぐっと拳を握ってみせるレイに、ユイは満足げに頷く。専属トレーナーの様なレイに対して、ユイは絶対の信頼をおいていた。
「さあ、しっかり食べて体力をつけなさい」
「ユイが腕によりをかけて、験を担いだ料理を作ってくれた」
「気持ちの問題だけど、少しでも、ね」
「ありがとうお母さ……ん?」
シイは席に着くと同時に、食卓に並んだ料理を見て思わず絶句する。普段の食事とは比べられないほど、大量の料理が所狭しと並んでいたのだ。
「とんかつ……」
「勝負に勝つの語呂合わせね」
「これ、馬刺し?」
「桜肉で桜咲くね」
「ウインナー?」
「勝者のウィナーをもじったの。ドイツのお土産ね」
「納豆……」
「ネバネバするから、ネバーギブアップね」
「このフルーツは……伊予柑?」
「ええ。良い予感ってね」
「鯛の酒蒸し……」
「おめでたい、ね」
この調子で、食卓に並べられた全ての料理が験を担いだものだった。母の気持ちは嬉しい。嬉しいのだが、ここまで行くと違う感情が浮かんでしまう。
「お母さん……私、そんなに頼りない?」
実力を信頼されていないのでは無いかと、シイは密かにダメージを受けるのだった。
~受験当日の朝~
「じゃあお母さん、お父さん、行って来ます」
「……行って来ます」
「忘れ物は無いか? 受験票は? 筆記用具は? ハンカチちり紙は?」
「はぁ。あなた、これから戦いに行く娘達を、少しは信用してあげて下さい」
「う、うむ」
本人達以上に取り乱しているゲンドウにユイは苦笑する。子供以上に親が緊張するのが、受験なのかもしれない。平静を装うユイですら、滅多にしない緊張を味わっているのだから。
「シイ、レイ。これを持って行きなさい。お父様達から送られてきたお守りよ」
「ありがとうお母さん」
「……ありがとうございます」
遠い京都の地からの応援に、シイとレイはイサオ達にも感謝する。
「私もお前達に餞別だ。何も無いよりは役に立つ」
「うん。お父さんもありが……安産祈願?」
「……司令?」
「すまん。神社に行ったら、何故か学業成就だけが売り切れていた……」
まさか自分の部下達が買い占めていたとは知らず、ゲンドウは苦渋に満ちた表情を浮かべる。因みにシイの鞄には、ゼーゲン一同から送られてきたお守りが山ほど入っていた。
「ううん、嬉しい。お父さんが一緒にいてくれるって、そう思うだけで安心するから」
「シイぃぃぃ」
微笑むシイをゲンドウは泣きながら抱きしめるのだった。
~試験開始~
「では、始め」
監督官の号令で、受験生達が一斉に問題用紙を開いて、解答用紙に答えを書き込んでいく。カリカリカリと、鉛筆が走る音が心地よく教室に響いた。
(はん、こんなの楽勝ね。……シイとあの馬鹿は大丈夫かしら)
(……問題無いわ。……シイさん達も、落ち着いてやれば行ける)
(ふふ、リリンの問題は型にはまり過ぎているね。……さて、あの二人はどうかな)
(うん、大丈夫そう。シイちゃんとトウジも、普段通りに出来れば……)
(過去問と大体似偏ってるね。これなら碇とトウジの奴も、何とかなるかな)
教師役を務めた成績優秀組は楽々と問題を解いていき、早くも問題児二人の心配をしていた。そんな二人は周囲を気にする余裕も無く、必死に問題用紙と睨めっこしている。
(うぅぅ、緊張して頭が回らないよ……)
(落ち着け、落ち着くんやトウジ。まだ慌てる時間や無い)
時計の針が進む音と、鉛筆の音だけが聞こえる静かな空間で、受験生達の静かな戦いは続いた。
~合格発表~
受験日より数日が過ぎ、いよいよ合格発表の日を迎えた。シイはアスカ達と一緒に、合格者の番号が掲示される第一高校へと向かう。
「ほら、しゃきっとしなさい。まだ結果が出てないのよ」
「うぅぅ、絶対駄目だよ……」
「アホかお前は。こないところで諦めて、どないすんねん」
「おっ、トウジは自信あるの?」
「無い! そやさかい、もう腹は括っとるわ」
潔いほどの割り切りを見せるトウジに、一同は感心するやら呆れるやら、何とも複雑な表情を見せた。この二人を足して二で割れば丁度良いなとも思いつつ、高校へと歩いて行く。
やがてシイ達は、既に大勢の受験生が集まっている発表場所へと辿り着いた。心臓の鼓動が煩いほど高まる中、係員によってボードに掛けられていた布が外される。
露わになる合格者の受験番号。一斉に視線が注がれ、歓喜の声と落胆のため息が同時に聞こえた。
「あたしは当然ね」
「……私も問題無いわ」
「ふふ、僕もだ」
「私も合格してたわ」
「おっ、僕もだね」
教師役のアスカ達は、自分の番号があることを確認して、ひとまずは安堵する。だが直ぐさま思考を切り替えて、シイとトウジの合否を案じた。
「……ひ、ヒカリ……」
「トウジ……駄目だったの?」
「あった……わしの番号……あそこにあったでぇぇぇ!!」
喜びを堪えきれず、トウジは人目も忘れてヒカリへと思い切り抱きついた。
「ちょ、ちょっとトウジ。こんな場所で……」
「お前のお陰や。ホンマ、ホンマありがと」
「……まったくもう。トウジが頑張った結果でしょ」
顔を真っ赤にしつつも、優しくトウジを受け止めるヒカリ。すっかり二人の空間を作ったトウジ達とは対照的に、シイは受験票を片手に凍り付いた表情でボードを見つめていた。
その様子を見て一同は最悪のケースを想像する。哀愁漂う小さな背中に、誰一人として声を掛けられない。アスカ達は視線で会話をすると無言で頷き合い、そっとアスカが代表してシイに近寄った。
「シイ……っ!?」
肩に手を置いて声を掛けたアスカは、シイの顔を見て思わず言葉を失う。口を一文字に結んだシイは、目に涙を浮かべて今にも泣き出しそうな顔をしていたのだ。
「アスカ……私……駄目だった……みんな助けてくれたのに……番号……無いの」
「あ、あんた馬鹿だから、その、番号見間違えたりしてないの?」
「うん……980番が無いの……」
「ん?」
シイに受験票を見せられたアスカは、眉をひそめて首を傾げると、そのまま視線をボードへと向ける。そして大きく息を吐き、思い切りシイの頭を平手で叩いた。
様子を見守って居たレイ達は、アスカの行動に驚いてシイの元へと駆け寄る。
「アスカ、いくら何でも酷いと思うわ。シイちゃん傷ついてるのに」
「……腕の一本貰うわよ」
「ううん、アスカが怒るのも当然だよ。ごめんね、アスカ。勉強教えて貰ったのに……」
「はぁ。あんたはウルトラ馬鹿ね」
呆れたようにアスカはシイから受験票を奪い取る。
「あのね、あのボードをよ~く見てみなさい。最後の合格番号は幾つ?」
「……189」
「で、あんたの番号は幾つ?」
「980」
「あのね、おかしいと思わないの?」
「ふふ、確か受験生の数は、200人弱だったね」
ここに来て一同はようやく気づいた。極度に緊張していたシイ。最初から自分が落ちていると思うほど、自信が無い態度。そしてその受験番号。考えられることはただ一つ。
「あんたの番号、980じゃなくて、086なのよ。で、そこに書いてあるのは何番?」
「……086……って、あれ?」
「シイちゃん、合格してる」
「ほ、本当だ……私の番号がある。あるよアスカ!」
「はぁ~」
雨空に太陽が差し込んだように、シイの表情が一気に輝く。両手を突き上げて何度もジャンプする姿に、彼らは心底安堵するのだった。
「ま、一応おめでとうかしら」
「……おめでとう」
「ふふ、おめでとうだね」
「シイちゃんおめでとう」
「おめでとさん」
「めでたいな」
「みんな……ありがとう」
受験にさようなら。高校生活にこんにちは。そして共に戦った仲間達に、ありがとう。
碇シイ育成計画の第一関門、高校受験は無事に突破しました。
ここからは、華の女子高生編がスタート……かな?
投稿ペースについてお知らせがあります。
次の話から、本編投げっぱなし回収の『アダムとリリス編』に突入するのですが、執筆が間に合わなそうなので、投稿を一時中断させて頂きます。
『アダムとリリス編』の執筆が完了次第投稿を再開しますので、3、4日、長くても1週間程度で復帰出来るかと。
それが終われば、また投稿ペースは戻せると思います。
暫しのお時間を頂きますが、次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。