~マタニティ~
加持ミサト。旧姓葛城。元ネルフの作戦部長だった彼女も、今では退職して専業主婦になっていた。お腹に宿った新たな命は、夫と周囲の人達から暖かな愛情を受けて、順調に育っていった。
「ごめんねリョウジ。家事をやって貰っちゃって」
「な~に気にするな。って言いたい所だが、元々俺がやってなかったか?」
「あはは、まあこういうのは気持ちよ、気持ち」
加持家のリビングで大きなお腹をしたミサトが笑う。出産予定日が近づいているミサトは、来週には病院に入院して出産に備える事になっていた。
「ま、お前には大きな仕事が控えてるからな。この位は任せて貰うさ」
「…………」
「ん、どうした?」
表情を曇らせるミサトに、洗濯物を干し終えた加持はゆっくりと近寄っていく。
「出産って……痛いのよね?」
「俺は経験無いが、話しに聞く限りだとな。産みの苦しみって言葉があるくらいだから」
「私……耐えられるかな」
入院が近づくにつれて、ミサトは時々こうしてマイナス思考に陥る事が多くなっていた。母親になろうとする女性にしか分からない不安や恐怖が、彼女を襲っているのだろう。
そんな時、加持は安易に言葉をかけずに、ミサトを背中から優しく抱きしめる事にしている。どれだけ加持がサポートしようと、最後に戦うのはミサトだ。その壁は彼女が自分で乗り越えるしか無い。
「……ありがと。ちょっと落ち着いた」
「そりゃ何よりだ」
「ねえ、リョウジ。赤ちゃん……男の子と女の子、どっちなら嬉しい?」
「どっちでも……いや、どっちも良いな。俺とお前の子供だ。嬉しくない筈が無いさ」
「うん、そうね」
愛する夫の温もりがミサトに勇気を与えていた。
~パニック・パニック~
気分転換にとマンション近くの公園を散歩していたミサトは、見知った顔を見かけて声を掛ける。
「シイちゃん、レイ、アスカ」
「ミサトさん?」
「……こんにちわ」
「ヘローミサト。久しぶりじゃない」
学生服姿のシイ達は、公園のベンチに座り手を振るミサトの姿を認めると、笑顔で近づいていく。ゼーゲンに顔を出さなくなった者同士、以前のように頻繁に会えないので、こうして偶然出会えた事が素直に嬉しかった。
「貴方達は学校の帰り? それにしては少し早いみたいだけど」
「はい。今はテストの返却期間なので、授業は午前中だけなんです」
「……葛城三佐は何故ここに?」
「あんた馬鹿ぁ? もうミサトは退職してるんだから、三佐じゃ無いわ」
「……葛城元三佐は何故ここに?」
「あんた馬鹿ぁ? もうミサトは結婚してるんだから、葛城じゃ無いわ」
「……元葛城元三佐は何故ここに?」
「あははは、貴方達二人は変わらないわね」
意地を張り合うレイとアスカを見て、ミサトは楽しそうに笑顔を見せる。こうしたやり取りすらも、もう大分昔のように思えてしまう。
「私はちょっち散歩よ。外の空気が吸いたくなってね」
「お腹、重く無いんですか?」
「もう慣れちゃったわ。……触ってみる?」
「は、はい。じゃあ、失礼します」
恐る恐るミサトのお腹にシイは手の平をあてる。ここに新たな命が宿っていると思うと心が暖かくなり、自然と笑みが零れた。そんなシイを見て、レイとアスカも手を伸ばす。
「……大きいお腹」
「良かったわね、ミサト。今なら太っても言い訳出来るから」
「ん~痛いとこ突くわね。マジで体重増えすぎてんのよね~。これ戻るのかしら」
妊婦には妊婦なりの苦労があるのだが、それを軽く受け流すミサトは以前よりも、精神的に大分大人になっているのだろう。彼女達から見ても、ミサトは姉から母親へと変わりつつあるのがハッキリと分かった。
「母親は子供を育て、子供は母親を育てる、か」
「アスカ、何それ?」
「前にママが言ってたのよ。親と子供は、互いに成長しあう関係なんだってさ」
「……出産はもう直ぐですか?」
「一応来週が予定日なの。だからもう少ししたら、病院で出産に備える事になるわね」
ミサトが入院を予定しているのは、ゼーゲン中央病院。最新の設備と最高の技術を持ったスタッフが常駐する、信頼の置ける病院だった。
「ふふ、これでミサトさんも仲間入りですね」
「え?」
「私もレイさんもアスカも、みんなあそこに入院しましたから」
「あんた……それ笑って言う話じゃ無いわよ」
軽くブラックの入ったシイの言葉に、ミサトも上手い返事が浮かばずに苦笑してしまう。だが気心知れた少女達との触れ合いが、ミサトの心をリラックスさせたのは間違い無い。
「貴方達と話せて良かったわ。さて、ぼちぼち戻るとしましょうかね」
「あ、はい」
「……さよなら」
「加持さんにそっくりな、格好いい男の子を期待してるわよ」
「……その子が大人になったら、アスカはおばさん」
「なっ、何ですってぇぇぇ!!」
とっくみあいを始めるアスカ達に笑みを向けたミサトは、公園からマンションに戻ろうと歩き出す。だが数歩進んだ瞬間、急にうずくまってしまう。
「み、ミサトさん!?」
「っっっ~~!!」
慌ててシイ達が駆け寄ると、ミサトは苦悶の表情を浮かべて拳を握りしめていた。額には大粒の汗が浮かんでおり、一目で異常事態だと分かる。
「ちょ、ちょっと、大丈夫なの?」
「……どうみても大丈夫じゃ無いわよ」
「こ、これ……まさか……まだ、予定日じゃ……くぅっっ!!」
荒い呼吸を続けるミサトは会話すらままならず、襲い来る激痛に耐えるので精一杯に見えた。シイ達は助けを求めようと周囲を見回すが、お昼の時間と言う事もあってか、公園には他に誰も居ない。
「どどど、どうしよう。このままじゃミサトさんが」
「あんたが慌ててどうすんのよ!」
「……人を呼びましょう」
レイが携帯電話を取りだしたのを見て、シイとアスカもハッと我に返って携帯を取り出す。そして、それぞれがこの状況を何とか出来ると思う人達へSOSを送る。
『あらレイ。私に電話してくるなんて珍しいわね。何かあったのかしら』
「……はい。元葛城元三佐が、急に苦しみ始めました」
『!? 場所は何処?』
「……マンション近くの公園です。私とシイさん、アスカ以外に人は居ません」
『直ぐに救急車を手配するわ。貴方は彼女を励まし続けて』
「……了解」
レイはユイに連絡を終えると、ミサトの背中をさすりながら励ましの言葉をかけ続けた。
『おや、珍しいなアスカ。どうかしたのか?』
「加持さん! ミサトが急にうずくまって、苦しんでるの」
『!? 場所は何処だ!』
「加持さんのマンションの近くにある公園。早く来て!」
『ああ、分かった。今すぐ行くから、ミサトの側に居てやってくれ』
慌てた様子の加持に電話を切られると、アスカは不安げにミサトを見守り続けた。
そして、シイが助けを求めた先は……。
※
「こ、これは……シイちゃんから緊急回線で通信が入りました!」
「「!!??」」
青葉の叫び声で、穏やかだったゼーゲン本部発令所の空気が一変した。緊急回線は衛星を経由した、重要保護人物にのみ許された非常回線。その用途は緊急時のSOSのみだ。
ゼーゲンの次期トップであるシイにも、当然それは適応されている。その彼女からの通信は、発令所に異常な緊張感を与えた。
「GPSの作動を確認。現在地を特定しました」
「よし、直ちに保安諜報部を向かわせろ。戦略自衛隊に出動要請も忘れるな」
「了解!」
「青葉、何をやっている。早く回線を開け!」
「りょ、了解」
「シイ君! 冬月だ! 何があった!?」
冬月は今まで出したことの無い大声で、シイへと呼びかける。回線維持を最優先にしているため、緊急回線は音声のみの通信だが、彼らにはシイが泣いているのが直ぐに分かった。
(な、泣いているだと! まさか……)
「シイ君! 返事をしてくれ!!」
『ぐす……うぅぅ……誰か……誰か(ミサトさんを)助けて下さい!!!』
「「!!??」」
「総員第一種戦闘配置だ。鈴原君と渚を呼び出して、参号機と四号機を発進させろ!」
「「了解!!」」
シイが助けを求めている。その事実がある限り、もう誰もゼーゲンを止める事は出来なかった。
※
アスカからの連絡を受けた加持は、大慌てでマンションを飛び出すと、全速力で公園へと駆けつける。そこで彼が目にしたのは、予想を遙か斜め上に超える光景だった。
「なんだ……こりゃ?」
加持が呆然と呟くのも無理は無い。小さな公園は完全武装した戦略自衛隊に包囲されており、ネルフ保安諜報部が総出で公園内を巡回していた。
空には無数の戦闘ヘリとVTOLが飛び回り、漆黒と白銀のエヴァを搭載した、エヴァンゲリオン専用輸送機の姿もあった。
そしてその中心に居るのは、大泣きしているシイを宥めるアスカと、レイに励まされている愛する妻の姿。理解しろと言う方が無理だ。
「……はっ! み、ミサト」
一瞬惚けていた加持だが、直ぐさま我に返るとミサトへ駆け寄る。それとほぼ同時に、救急車がサイレンを響かせて公園へ近づいてきていた。
大混乱の現場はミサトの病院搬送後も、暫く収まりそうに無かった。
~こんにちは赤ちゃん~
「お母さん、ミサトさん大丈夫だよね? 赤ちゃん大丈夫だよね?」
「ええ、勿論よ」
分娩室の前で泣きじゃくるシイを、ユイは頭を撫でながら優しく落ち着かせる。あの後大混乱の現場に現れたユイは、テキパキと指示をして場を治め、パニック状態のシイを病院へと連れてきた。
ミサトが戦っている分娩室の前には、責任を取って後始末をしている冬月以外、ミサトと関わりのある人達が集合している。
そんな一同の元へ、ゲンドウが遅れてやってきた。
「……遅くなった」
「司令。わざわざすいません」
頭を下げようとする加持に、ゲンドウは気にするなと軽く手を挙げる。
「お疲れ様、あなた。日本政府は何と?」
「……問題無い。戦略自衛隊の実戦演習と言う事で話は付いた」
ユイの問いかけにゲンドウはサングラスを直しながら、口元に笑みを浮かべて答える。戦略自衛隊の出動には、決して安くない予算が掛かるのだが、シイの名前を出すだけであっさりと片が付いた。
本部司令であるゲンドウが直接説明に出向き、頭を下げた事も大きかったのだろう。
「今度菓子折でも持っていけば、それで終わりだ」
「うぅぅ、ごめんなさいお父さん……私が……」
「……問題無い。お前がミサト君の身を案じた心は、人として正しい事だ」
目を真っ赤に腫らしたシイに歩み寄り、頭をぽんぽんと叩くゲンドウの姿は、理想の父親像にも見えた。
(父親、か。俺も父親になる……なれるのか)
それから一時間後、分娩室から聞こえてきたのは、新たな命がこの世に誕生した産声だった。待っていていた瞬間を迎えた一同の顔が輝き、歓喜の声が病院中に響き渡る。
加持ミサトは、母親になる為の戦いに勝ったのだ。
~加持夫妻~
「……ねえリョウジ……私、頑張ったわよね?」
「ああ。良くやったな」
疲れ切ったミサトの前髪を、加持は優しくすくう。夫と言う事で一人分娩室に入れた加持は、諦めずに戦い抜いた妻を誇らしげに見つめていた。
「シイちゃん達に……お礼言わないと……」
「今は会わない方が良いな。特にシイ君は、大泣きして話どころじゃ無いぞ」
「ふふ……シイちゃん達が居なかったら……私はこの子に会えなかった」
「そうだな。落ち着いたら礼をしよう」
あの時あの場所に、シイ達が居なければどうなっていたか。もしもの話に意味は無いが、少なくとも良い結果にはならなかっただろう。あくまで偶然ではあるが、加持には必然にも思えた。
(これはあの三人とミサトの、絆なのかもしれないな)
この日、加持夫妻は宝物を得た。一つは愛すべき可愛い子供。そしてもう一つは、優しい人達との絆。どちらも二人にとっては、掛け替えのない宝物だった。
加持夫妻の間に、待望の子供が生まれました。新たな命の誕生は希望の象徴として、シイ達に大きな影響を与えたと思います。
未来へ繋ぐバトンの、ある意味一番具体的な形ですので。
さて次は、シイ達が頑張る番ですね。
何せ彼女達は受験生。果たして無事高校生になれるのか。
次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。
※誤字を修正しました。ご指摘感謝です。