~祖母と孫娘~
ヒートアップしたゲンドウとイサオが急ピッチで酒を飲み過ぎ、両者同時にダウンしたところで夕食はお開きとなった。もう遅い時間と言う事もあり、そのまま就寝へと流れていく。
ユイ達には寝室が用意されていたが、シイだけはメイ達と共に寝ることを選んだ。酔いつぶれたイサオの隣、メイの布団にシイは潜り込む。
「えへへ、懐かしいね」
「そうね。シイは昔から一人で寝たがらなかったから」
シイの身体を優しく包み込みながら、メイはシイと共に暮らした日々を思い出す。ゲンドウに捨てられたと言うトラウマからか、シイは一人で寝ることを極端に怖がった。
中学生になる事には大分改善されていたが、それでも時折泣きそうな顔で、メイの布団に入ってきた。
「今はもう大丈夫なの?」
「うぅぅ、時々レイさんに一緒に寝て貰ってる」
「恥ずかしい事では無いわよ。誰だって一人は寂しいし、怖いものだもの」
優しく背中をさするメイの手に、シイは大きな安らぎを感じていた。
「まだ眠くならないの?」
「うん。眠たいんだけど、目が冴えちゃって」
「ならお話を聞かせてくれる? シイがこの一年間、どんな事をしてきたのか」
メイの言葉に頷くと、シイは自分が第三新東京市で経験した出来事を、ゆっくり語り始めた。
~葛城ミサト~
ミサトとの共同生活を始めるにあたって、二人には決めなければならない事があった。
「えっと、家事なら私がやりますけど」
「駄目よ、シイちゃん。こう言うのは公平に決めないと」
食事当番、掃除当番、ゴミ捨て当番。それらを全て中学生の少女に押しつけるのは、ミサトも流石に気が引けてしまう。なので彼女は公平に、じゃんけんで決める事を提案した。
「じゃあ行くわよ。じゃ~んけ~ん」
「「ポン」」
決着が付く度に、ミサトお手製の当番表に名前が書き込まれていく。……ミサトと言う名前が。
「ぜ、全敗!? 作戦部長の私がじゃんけんで全敗なんて……」
「あの、やっぱり半分だけでもやりますから」
「いいえ、情けはいらないわ。私が本気になれば、家事くらい楽勝よ」
「はぁ」
あまりにも自信満々に言い切られた為、シイも悪いと思いつつ家事をミサトに任せる事にした。自分が出来るのだから、大人であるミサトも出来る筈だと、あの部屋の惨状を忘れたままで。
数日後、シイは疲れ切った顔でミサトに伝えた。
「……お願いですから、私に家事をやらせて下さい」
「……お願いします」
荒れ放題の部屋と、洗剤を入れすぎて故障した洗濯機、そして毎日続くインスタントの食事にやつれたペンペン。もしこの時シイが言い出さなければ、葛城家は崩壊していただろう。
「くえぇぇぇ」
家事全般がシイに引き継がれた瞬間、ペンペンは歓喜の声をあげるのだった。
~赤木リツコ~
エヴァでの実戦を数回経験したシイは、ネルフと学校、家事の三重生活にも大分慣れてきていた。定期テストを終えたシイに、白衣姿のリツコが声を掛ける。
「シイさん、ちょっと良いかしら」
「はい、何ですか?」
「シンクロテストの事で、少し話があるの。この後少し時間を貰えない?」
「えっと、大丈夫です」
特に予定は無いと頷くシイを、リツコは自分の研究室へ誘った。
「そこに座って。コーヒーは飲めるかしら?」
「実は飲んだこと無いんです」
「あら、そうなの。ココアもあるけど、こんな美味しい物を知らないなんて……」
残念そうに呟くリツコに、シイの好奇心が刺激される。甘いココアは大好きだが、リツコはコーヒーをそれよりも美味しいと言う。惹かれないはずが無い。
「リツコさん。是非コーヒーを下さい」
「無理しなくても良いのよ?」
「いいえ、お願いします」
シイが自分の意図通りの反応をした事に、リツコはニヤリと笑う。もし美味しいと受け入れれば、同好の士が増えて良し。もし駄目でも、シイの素敵なリアクションが見られるはずだと。
「そこまで言うなら分かったわ。ブラックで構わないかしら」
「えっと、リツコさんと同じで」
リツコは頷くと、砂糖もミルクも入れないブラックコーヒーを二つカップに注ぎ、一つをシイに手渡す。
「うわぁ、良い香りです」
「コーヒーは匂いでも楽しめるのよ」
「勉強になります。じゃあ、頂きますね」
息を吹きかけて少し冷ましたコーヒーを、シイは緊張しながら口に含む。そして、想像を絶する苦みに、目を白黒させて思い切り吹き出してしまった。
茶色い液体は勢いよく、正面に座っていたリツコを直撃する。
「うぅぅ……苦い……っっ、ごめんなさいリツコさん。私、その……」
「良いのよ。気にしないで」
怒る素振りを見せないリツコだったが、顔と髪にシイが吹き出したコーヒーがかかり、白衣にも茶色い染みが出来ていた。
「本当にごめんなさい。このハンカチ使って下さい。それと……白衣も染み抜きしますから」
「ありがとう。でも白衣は予備があるから大丈夫よ」
申し訳無さそうなシイに、リツコは優しく声を掛けた。受け取ったハンカチで顔を軽く拭くと、俯くシイの頭をそっと撫でる。
「私の配慮が足りなかったのね。初めてなんだから、もっと甘くしてあげるべきだったわ」
「いえ、私が悪いんです」
「なら二人とも悪かったと言う事にしましょう」
自分が全面的に悪いのに、とシイはリツコの優しさに感動してしまう。こうしてリツコはシイの信頼を得ると同時に、素敵なリアクション、更にはハンカチまでもゲットするのだった。
~惣流・アスカ・ラングレー~
部屋の掃除も終わり、洗濯物をしようとしていたシイに、アスカが声を掛ける。
「ここに居たのね」
「うん。これからお洗濯しようと思って」
「ふ~ん。ま、良いわ。ちょっと本を買ってくるけど、何ならあんたの本もついでに見てくるわよ?」
アスカという少女は一見我が儘だが、実は他人に気遣いできる優しさを持っていた。もっとも照れ隠しの為か口が悪いので、親しい人以外には伝わりにくいが。
「本当? ならえっと……注文してた本が届いてるの。お金は支払ってるから」
「レシピ本ね~。あんたもっと、子供らしい本とか読まないの?」
シイから渡された受け取り表を見て、アスカは呆れたように問う。
「むぅ~。アスカは何の本を買うの?」
「ファッション誌よ。流行は常にチェックすべきだわ」
それは子供らしいのかと、シイは突っ込みたかったが黙っておく。折角親切に言ってくれているのだから、それは素直に受け止めることにした。
「まあ、あんたにはあたし直々に教え込むしかないわね。……じゃあ行ってくるわ」
「うん、行ってらっしゃい」
アスカを見送ると、シイは洗濯を再開した。
基本的に毎日洗濯しているが、女三人で暮らしていると、それなりに量がある。天気が優れない日が続くと、洗濯籠一杯になってしまう。
それをシイは一つ一つ丁寧に洗濯機に入れていき、ネットを使う物は避けていく。
「むぅぅ、またミサトさん洗濯物ため込んでた。……これはアスカの?」
手に取った下着を見て、シイは何とも言えぬ絶望感に包まれる。ミサトは年上だからと諦めていたが、同い年の少女も自分とは比較にならないのだと。
「私だっていつかは…………ちょっとだけ」
シイはそっとアスカの下着を胸に合わせる。とその瞬間、誰も居ない筈の背後に人の気配を感じ、慌てて振り返ると……呆然と自分の姿を見つめる、アスカが立っていた。
「シイ、あんた……」
「何でアスカが……だって本屋さんに」
「財布を忘れたから取りに来たんだけど……」
非常に気まずい空気が二人の間に漂う。
「その、あの、違うの。これは、だから、えっと」
「…………」
しどろもどろのシイに、アスカは何も言わずにきびすを返すと、玄関に向かって歩き出す。その反応が一番辛いと、ガックリ肩を落としたシイにアスカは振り返らずに言った。
「……牛乳、買ってくるから」
「うわぁぁぁぁん」
休日の葛城家に、シイの叫び声が響き渡るのだった。
~伊吹マヤ~
赤木リツコ自慢の部下であるマヤは、今日も発令所で業務を行っていた。するとそこに、キョロキョロと辺りを伺いながらシイが姿を見せる。
「ここにも居ない……」
「シイちゃん。誰か探してるの?」
マヤはキーボードを叩く手を止めると、シイに声を掛ける。
「あ、マヤさんこんにちは。ミサトさんが何処に居るか知りませんか?」
「葛城一尉? 確か今日はもうあがりだったと思うわよ」
「む~。やっぱりミサトさん忘れてた」
頬を膨らませてふて腐れるシイに、マヤは必死に抱きしめたい衝動を抑えると、急用ならば呼び出すと伝えた。しかしシイは首を横に振る。
「昨日テストの後に、今日お話があるから本部に来てくれって言われてたんですけど」
「あらら。葛城一尉も忙しいみたいだから、つい忘れちゃったのかも」
「そうかも知れません」
ミサトは作戦部長として多忙な日々を送っている。それを理解しているシイは、仕方ないとため息をつくと、家に帰って話を聞くことにした。
「ごめんなさい、マヤさん。お仕事の邪魔をしちゃって」
「ううん、気にしないで。シイちゃんとお話出来て、リフレッシュ出来たから」
マヤはそう言うと、高速タイピングで仕事を再開した。
立ち去ろうとしたシイだが、マヤの鮮やかな手さばきに思わず見とれてしまう。
「マヤさん凄いですね」
「うふふ、ありがとう。でも私はまだまだよ。先輩はもっと凄いんだから」
「もっとですか?」
「ええ。数倍は早いわよ」
こうして自分と会話しながらも、マヤの手は速度を緩めること無くキーを叩き続けている。リツコが凄いのは確かだろうが、シイは目の前のマヤを本気で尊敬していた。
「あ、邪魔してごめんなさい。お仕事頑張って――」
自分が結局邪魔していたと、慌ててきびすを返すシイ。だが慌てていたためかバランスを崩してしまい、手をマヤのキーボードへと思い切り着いてしまった。
瞬間、ネルフ本部にけたたましい警報が鳴り響く。
「ご、ごご、ごめんなさい。私……」
「大丈夫よシイちゃん。直ぐに解除する――」
「えっと、えっと……」
パニックに陥ったシイは、必死で警報を止めようとキーボードを無茶苦茶に押す。
『セントラルドグマ全域の全隔壁を緊急閉鎖』
『第一格納庫、冷却水排出終了』
『エヴァンゲリオン初号機、第一、第二ロックボルト解除』
『第一種戦闘配置。第一種戦闘配置』
『メインシャフトの全隔壁を解放』
『エヴァンゲリオン初号機、全拘束解除。状況フリー』
『第五リフトへ移動開始』
大惨事だった。鳴り続ける警報と相まって、ネルフ本部はまさに大混乱。次々に状況を問い合わせる通信が入る中、たまたま近くに居た日向が大慌てでシイ達の元へ駆けつける。
「おい伊吹! 一体何やってんだ!!」
「す、すいません」
「ってシイちゃん? 事情はよく分からないが、とにかく警報を止めて誤報処置をしろ」
キーボードを必死で押し続けるシイと、それを全力で食い止めようとするマヤに、日向は困惑しつつもこの事態を対処しようと動く。
だがマヤに向けた言葉を、シイは自分に言われたと思い、一層激しくキーを押し続ける。
「うぅぅぅぅ」
「シイちゃん、お願いだから落ち着いて!」
「そう言う事か……。伊吹、お前はシイちゃんを抑えろ。俺が処置をするから」
「はい!」
腕まくりする日向に頷くと、マヤはシイの身体を後ろから羽交い締めにし、どうにか端末から引き離そうとする。マヤも力がある方では無いが、小柄なシイなら遅れは取らない。
だが、最後の最後にシイが押したキーが、更なる悲劇を生む。
『オペレーターより、本部の自爆が提訴されました』
『ルート676、進路オールグリーン』
『非常事態宣言発令。非常事態宣言発令』
『エヴァンゲリオン初号機、射出』
『ターミナルドグマ最終ゲート、オープン』
「ヘブンズドアが……開いていく……」
呆然と呟く日向。どれほど天文学的な確率を重ねれば、こんな事が起こりうるのかと、彼のみならず発令所に居たスタッフ達は、一人の少女が引き起こした惨劇に驚きと感嘆を禁じ得なかった。
結局この騒ぎは、優秀なスタッフ達の尽力によって収拾した。主犯である碇シイが厳重注意で済んだのは、彼女の行動が過失と認められた事に加え、どさくさに紛れて地上に射出された初号機が、ゲンドウ達に無言の圧力を与えていたのは間違い無いだろう。
~確かな軌跡~
シイの口から語られる話はどれも、彼女が楽しく過ごしてきた事をメイに伝えてくれる。まだまだ話したいと唇を動かすシイだったが、眠気が勝ってきたのか言葉にならない。
「お休みなさい、シイ。目が覚めたらまた、楽しい日が待っているから」
祖母の温もりを感じながら、やがてシイは幸せそうな笑顔で眠りについた。
(優しい人達……この子は幸せ者ね)
人との絆は、何にも代えがたい宝物だとメイは思っている。自分達の元に居ては、今ほど人との繋がりを持つことは出来なかっただろう。
小さく非力で頭も決して良くない。突出した技能も美貌も無い。しかし抱えきれない程の宝物を持っているシイは、メイにとって誰よりも幸せな自慢の孫だった。
シイがメイに一年間の出来事を語ると言う形式で、ちょっとした出来事集をやってみました。実際はもっと語ったでしょうが、流石に全部書くと一万二万で済みそうに無いので、抜粋しました。
いい加減第三新東京市に戻ろうと言う事で、次回で京都編完結です。
次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。