~お風呂~
ゲンドウとユイが腫れた頬を冷やしている間に、シイとレイは二人揃ってお風呂に入る事にした。
「……シイさん。ここは?」
「え? 脱衣所だけど」
「……私の部屋よりも大きいわ」
広々とした脱衣所にレイは戸惑いを隠せない。まるで銭湯の様な脱衣所は、二人と言わずに十人でも同時に着替えが出来そうな程大きかった。
「……何か意味があるの?」
「えっと……」
「うふふ、昔の当主様は服を脱いだり着たり、身体を拭いたりするのを使用人にさせていたのよ」
レイの直球な質問に答えたのは、脱衣所に現れたメイだった。
「だからここには何人もの使用人が入るから、大きく作られているの」
「……分かりました」
「因みにシイは、身体を拭かないでここを走り回って、良くイサオさんに怒られてたわね」
「うぅぅ……」
幼い頃の話を暴露され、シイは恥ずかしげに頬を染めた。
「はい、着替えはこれを使ってね。レイさんはユイのお古が丁度良いと思うわ」
「……ありがとうございます」
「ゆっくり入って疲れを取りなさい」
メイは着替えの入った籠を置くと、微笑みながら脱衣所を後にした。
~命拾い~
「……木で出来ているわ」
「檜風呂って言うの。良い匂いがするよね」
身体を洗った二人は、広々とした湯船につかって風呂を堪能していた。ゼーゲン本部の大浴場ほどでは無いが、それでも十分な広さを持つ湯船は、張り詰めていた二人の心を優しく癒やす。
「今日は本当に良かったね。お父さんも許して貰えたし」
「……そうね」
「お祖父ちゃんがぶった時、凄い怖かったの。お父さんが否定されちゃうんじゃ無いかって」
「……私も怖かったわ」
目の前で父親と母親が殴られ、不安で無い子供など居ないだろう。イサオに精一杯の抵抗を示したのは、大好きな家族が壊れることを恐れたからだ。
「あ、でもいつもはお祖父ちゃん優しいんだよ。怖がらないでね」
「……大丈夫。怖かったのは、あの人じゃ無いから」
淡々と呟くレイに、シイは首を傾げる。
「なら、何が怖かったの?」
「……多分、司令が止めなかったら、あの人の手をへし折ってたから」
「え!?」
さらっととんでもない事を言ってのけるレイ。もしそうなっていたら、和解なんて夢のまた夢。話はどこまでも拗れていただろう。
「……私のせいで、全てを台無しにしてしまう所だったわ。それが怖かったの」
「レイさん」
少し落ち込んだ様子のレイを、シイはそっと抱きしめる。
「優しいもんね、レイさん。だから怒ったんだよね。大好きな人を守りたいから」
「……分からないわ」
「そうだよ。自分以外の人の為に怒れるのは、優しいからだもん」
慰めるように、励ますようにシイはレイの頭を撫でた。自分がもしレイだとしても、同じ行動をしていただろう。家族を守る為に。
「……ありがとう」
レイは小さな声でそっと呟いた。
~実体験~
「ん~でも本当に痛いのかな?」
「……何が?」
「良くアスカとカヲル君にやってるけど、レイさんのアレって本当に痛いのかなって」
殴られた事はあっても、流石に関節技を味わった経験は無い。アスカとカヲルのリアクションも、ひょっとしたら演技なのではシイは思っていた。
「ねえ、レイさん。ちょっと私にやってみてよ」
「…………」
話の流れから嫌な予感はしていたが、いざ言われるとレイは困惑する。リクエストとは言え、シイに関節技を掛ける事に強い抵抗があり、華奢な身体を見てしまえばなおさら躊躇ってしまう。
「……やめておいた方が良いわ」
「え~。ちょっとだけ、ね?」
上目遣いでおねだりされてしまい、レイは渋々承諾した。
「……軽くするわ。痛かったら直ぐ言って」
「うん」
わくわくと期待に満ちた笑顔を浮かべながら、シイは右手を差し出す。細い手を間違っても傷つけない様、レイは細心の注意を払って掴むと、軽く捻った。
「っっっっっ!!」
次の瞬間、声にならない悲鳴が碇家に響き渡るのだった。
~反省~
「全く、大騒ぎしてたから何かと思えば……」
「うぅぅ、ごめんなさい」
「……反省しています」
お風呂から上がったシイとレイは寝間着姿で脱衣所に正座し、ユイにお説教されていた。あの後シイは予想を超える痛みに動揺し、湯船に沈んだ。パニックを起こして溺れかけ、ちょっとした騒ぎになったのだ。
「一歩間違えれば大変な事になったのよ」
「ごめんなさい」
「……すいませんでした」
返す言葉も無いとうなだれる二人。ユイだけでなく使用人を始め、メイまでが慌ててお風呂に駆けつける事態を招いてしまった。浮かれすぎていたと猛省するしかない。
「反省しているなら良いわ。あまり心配させないでね」
「……うん」
「……はい」
「ふぅ。ならこの話はおしまい。ご飯の支度が出来てるから、部屋に行きましょう」
悪いことをしたと自覚し、反省しているのならば、これ以上の叱責は無用だ。ユイは気落ちするシイ達を連れて、居間へと向かうのだった。
~雪解け~
碇家の居間では、六人揃っての夕食が行われた。メイが腕を振るった料理は、一同を満足させる。
「うわぁ、美味しい……」
「……ええ」
「流石ですわ、お母様。私もシイもまだまだこの域には遠いです」
「うふふ、貴方達がこの歳になる頃には、私なんて軽く追い越すわよ」
二人に料理を教えた先生にして、味の原点。未だ衰えることを知らない碇メイの腕前は、娘と孫の目標として今もあり続けている。
「どうだ、ゲンドウ」
「美味しいです。そしてこの味は、ユイとシイに受け継がれていると確信しました」
ゲンドウの言葉にイサオは満足げに頷くと、脇に置いた日本酒の瓶を手に取る。
「飲め」
「頂きます」
イサオはゲンドウのコップに酒を注ぎ、ゲンドウから自分のコップに注いで貰うと、少し嬉しそうに乾杯をした。
「メイもユイも酒はからっきしだ。一人で飲む酒は味気ないからな」
「……美味いです」
「ふん。悪く無い飲みっぷりだ」
空になったゲンドウのコップに、再び酒を注ぐイサオ。息子とこうして酒を飲み交わす事を、彼は心の中で待ち望んでいたのかもしれない。
「お祖母ちゃんもお酒飲めないの?」
「ええ、直ぐに眠たくなってしまって……」
「そうなんだ~。お母さんも私もレイさんも、お祖母ちゃんに似たんだね」
ニッコリ笑いながら言うシイだったが、聞き捨てならない言葉にイサオの眉がピクリと動いた。
「シイ。今お前、酒に弱いと言ったか?」
「うん。言ったけど……」
「まさかとは思うが、よもや未成年の分際で酒を飲んだのではあるまいな?」
「え、あ、えっと、その……」
「……ウイスキーボンボンです」
ただならぬイサオの迫力に、しどろもどろのシイをレイがフォローする。
「ウイスキーボンボン?」
「ええ。チョコレートの中に、少量のウイスキーを入れたお菓子ですわ」
「菓子として販売されているので、子供でも食べる事が許されています」
「ふん、西洋菓子か。まあそれなら良い」
シイが飲酒をしていたら、間違い無く厳格なイサオは激怒していただろう。自分達の説明に納得したイサオを見て、レイは慰安旅行の件は黙っていようと心に決めた。
~シイの恋愛~
「そう言えば。シイ、お前……気になる奴は居るのか?」
「え?」
イサオからの突然の問いかけに、シイは意味が分からないと首を傾げる。
「好いている男は居るのかと聞いているんだ」
「好きな人……えっとお父さんと、冬月先生と――」
指を折りながら数えるシイの姿に、イサオは安堵したように息を吐く。一年間離れていた孫娘は、どうやら何一つ変わっていない様だ。
そんなイサオに、ユイが少し怒ったような視線を向ける。
「安心しましたか? この子がお父様の教育通り、性に無関心のままで」
「……気づいていたのか」
「当然ですわ」
性への目覚めは個人差が大きい。だがシイの場合はそれに当てはまらず、目覚める前に眠ってすら居ない状態だと、ユイは冷静に分析していた。
そしてそれは、間違い無く幼少からの教育によるものだろうとも。
「やはり、私がユイと結婚した事が切っ掛けですか?」
「今思えば我ながら馬鹿げていると思うがな」
愛娘を奪われたと感じたイサオは、強引に引き取った孫娘は決して手放さないと誓った。その為にはシイに異性への興味を持たせてはならない。
そして彼は歪んだ教育を実行した。
「全てはわしのエゴ。言い訳はしない。……すまなかったな、シイ」
「何の話かはよく分からないけど、私はお祖父ちゃんとお祖母ちゃんに感謝してるよ」
頭を下げるイサオに、シイは微笑みながら答える。
「だってお料理もお洗濯もお掃除も、みんな教えてくれたのは二人だもん。それに算盤も……あ、そうそう、あのね、お祖母ちゃんに習った算盤、ミサトさんの結婚式でやったの」
「シイ……」
「お二方は確かにシイから大切なものを奪いました。ですが大切なものを与えたのもお二方なのです。今のシイを、皆に愛されるている碇シイを育てたのは、間違い無く貴方達ですよ」
ゲンドウの言葉に、イサオとメイは静かに目を閉じる。それは自分達の行動を後悔している様にも、真っ直ぐに育ってくれた孫娘に感動している様にも見えた。
「……ふぅ。手遅れにならない内に、私がシイに少しずつ教えていきますわ」
「手遅れだと?」
「お忘れですか? シイは大学を卒業したら、ゼーゲンの総司令になる事が内定しています。そうなれば恋人をつくることすら自由に出来なくなりますもの」
総司令が既婚者であってはならないと言うわけでは無い。だがもしシイが総司令になってから恋をすれば、周囲に与える影響は計り知れないのだ。
まあそれを差し置いても、シイが誰かに恋をすれば大騒ぎになるだろうが。
「事は急を要するか」
「な、何だか前にも同じ様な事を言われた気がする……」
「……大丈夫よ。私が守るから」
「守りすぎても駄目だけどね」
レイが側に居る限り、シイに浮いた話は存在しないだろうと、ユイはため息をつきながら確信した。
「……ねえシイ。あなたの周りには、素敵な男の子は居るかしら?」
「素敵な男の子?」
不思議そうに聞き返すシイに、メイは穏やかな笑みを浮かべて頷いた。先程イサオが行った質問を、よりイメージしやすいように具体的にしただけだが、効果はあったらしい。
「ん~鈴原君はいつも元気だし、相田君は色んな事を知ってるし、カヲル君は面白いし……」
「あらあら」
シイの口から男子の名前が出てきたことに、メイは嬉しそうに笑う。あくまで友達の認識だろうが、それでも近くに男の子が居ない訳では無いのだと分かっただけ、安心出来た。
だがイサオとゲンドウは穏やかで居られない。
「ゲンドウ! 鈴原、相田、カヲルとやらのデータはあるか!」
「渚カヲルのデータは既に。他の者についても、直ちに本部へ連絡して送って貰います」
力強く頷き合うイサオとゲンドウに、女性陣は呆れ混じりの視線を向ける。結局男親と言うのは、娘の恋愛にとって最大の障害らしい。
結局六人で初めての夕食は、ヒートアップしたゲンドウとイサオが、酒を飲み過ぎてダウンするまで続いた。
両親不在の中でも、シイが真っ直ぐに育ったのは間違い無く、イサオとメイのお陰です。功罪ありますが、碇シイを形成したのは二人ですから。
そうだ、京都に行こう編をもうちょっとだけ延長します。
肩の力がようやく抜けてきたので、次は頭の力も抜こうかと……。
一応年内に完結予定ですが……終わるかな?
次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。